デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
1節 綿業
1款 大阪紡績株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治12年
(1879年)
第10巻 p.5-17(DK100001k)
是ヨリ先、西南戦役後ノ輸入綿糸布ノ増大ヲ慮リ、コレヲ阻止センガタメニハ大規模紡織工場ノ設立ヲ急務ナリトシ、是年初メ栄一大阪藤田伝三郎・松本重太郎等ト謀リ紡績会社設立ヲ企図ス。其資金ハ当時前田利嗣以下二十一華族ノ積立テタル京浜鉄道払下ゲ資金ノ残余ヲ以テシ、更ニ東京綿商薩摩治兵衛以下数人ヲ発起人ニ加フ。
明治13年10月
(1880年)
第10巻 p.17-30(DK100002k)
是ヨリ先、栄一津田束ノ紹介ニ依リ、当時英国滞留中ノ山辺丈夫ヲシテ紡績業ヲ研究セシム。是年七月山辺丈夫帰朝スルニ及ビ、是月資本金二十五万円ヲ以テ大阪紡績会社ノ創立ヲ決定シ、自ラ創立世話掛トナル。
明治14年5月
(1881年)
第10巻 p.30-34(DK100003k)
是月栄一大阪紡績会社創立世話掛トシテ大川英太郎・門田顕敏・佐々木豊吉・岡村勝正ノ四人ヲ紡績技術担当ノタメ社員トンテ採用シ、七月以降愛知・広島両県下官立工場ニ就キ紡績扱術ヲ習得セシム。
明治14年10月
(1881年)
第10巻 p.34-52(DK100004k)
是ヨリ先、山辺丈夫英国ヨリ帰朝スルニ及ビ、工場設立ノタメ先ヅソノ原動力ヲ水力ニ求メントシ、栄一等モ共二其ノ適当ナル水源地ヲ探討シタルモ得ズ。因リテ是月更ニ株主ノ会議ヲ経テ水工ヲ止メテ汽工トナシ、工場ノ地ヲ大阪二定ム。後大阪側重役松本重太郎等ノ斡旋ニヨリ其ノ地ヲ大阪府西成郡三軒家村ニ決定ス。
明治15年4月27日
(1882年)
第10巻 p.52-54(DK100005k)
藤田伝三郎等ト連署シテ創立願書ヲ大阪府知事建野郷三ニ提出シ、五月三日許可セラル。尋イデ六月大阪府西成郡三軒家村ニ工場建設ニ着手シ、十二月資本金三万円ヲ増加シテ定款ヲ作成ス。
明治16年3月12日
(1883年)
第10巻 p.54-72(DK100006k)
栄一相談役ト為ル。是年七月五日三軒家工場操業ヲ開始ス。
明治17年6月15日
(1884年)
第10巻 p.72-85(DK100007k)
大阪三軒家工場ニ於テ開業式ヲ挙行ス。栄一之ニ出席ス。尚是月株主総会ニテ資本ヲ倍加シテ五十六万円トナシ、工場ノ拡張ヲ決議ス。工事着手後更ニ明治十九年一月四万円ヲ増資シテ六十万円トナシ、同年六月工事成ル。明治二十年二月再ビ資本金ヲ倍加、百弐拾万円トナシ第二期拡張ヲナス。
明治20年7月
(1887年)
第10巻 p.85-91(DK100008k)
栄一ノ提案ニ依リ原棉輸入ノ為、当社々員川村利兵衛ヲ支那ニ派遣シ棉産地ヲ調査セシム。翌年更ニ印度支那地方ニ同人ヲ派シ、明治二十二年七月外務省書記官佐野常樹、印度綿業視察ノ目的ニテ孟買ニ赴クニ及ビ、再ビ抜擢シコレニ随行セシム。コレヨリ孟買棉花ノ輸入促進セラル。
明治23年10月1日
(1890年)
第10巻 p.91-101(DK100009k)
大阪織布会社ヲ買収シテ分工場トナシ、綿布製織業ヲ兼営ス。翌年七月国内市場ノ逼迫ニヨリ綿糸ヲ清国ニ輸出シ、本邦紡績業海外輸出ノ嚆矢ヲナス。
明治26年2月
(1893年)
第10巻 p.101-106(DK100010k)
明治二十五年十二月二十日、第一・第二号両工場焼失シ、ソノ損害金約四拾万円ニ及ブヤ、是月栄一大阪ニ至リ工場復旧ノ議ニ与ル。即チ四月社債二十六万円ヲ募集シテ復旧工事ニ着手シ、最新改良ノ紡機二万四千本及附属機械ヲ英国ヨリ購入シテ、二十七年其工ヲ竣ル。
明治26年7月14日
(1893年)
第10巻 p.106-107(DK100011k)
商法ノ施行ニヨリ大阪紡績株式会社ト改称ス。栄一引続キ相談役タリ。是年当社創立十周年ニ際シ模造華原磬ヲ贈ラル。
明治33年1月
(1900年)
第10巻 p.107-117(DK100012k)
日清戦後ノ紡績業発展ノ時期ニ当リ、織布業拡張ノ計画ヲ以テ、是月山辺丈夫ヲ米国ニ派遣シ新式汽織機ヲ購入セシメ、帰朝後織布工場ヲ本社所有地内ニ建設ス。翌三十四年織布部拡張資金トシテ優先株八千株金額四十万円ヲ募集シ、資本金百六十万円トナス。此期ノ拡張ヲ第三期トシ、以後明治四十二年六月第六期拡張ニ及ビ、資本金五百万円ニ達ス。栄一此間要務ニ参与ス。
明治33年5月27日
(1900年)
第10巻 p.117(DK100013k)
五月十日栄一男爵ニ叙セラルルヤ、是日当社ヨリ賀表ヲ呈ス。
明治42年6月6日
(1909年)
第10巻 p.117-120(DK100014k)
是年栄一古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日当社相談役ヲ辞ス。当社ハ大正三年六月三重紡績株式会社ト合併シ、東洋紡績株式会社ヲ創立ス。
2款 三重紡績株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治19年6月3日
(1886年)
第10巻 p.121-139(DK100015k)
是ヨリ先、伊藤伝七ソノ経営ニ係ル三重県川島紡績所ノ成績不振ナルニツキ、栄一ニ援助ヲ求ム。
栄一其ノ請ヲ容レテ大紡績会社設立ヲ勧メ、資本金二拾二万円ヲ以テ三重紡績会社創立ヲ決定ス。
乃チ自ラ資本金半額ノ募集ヲ引請ケ、是日四日市ニ於ケル創立発起人会ニ出席シ議ヲ纏ム。是年七月一日当社其事業ヲ開始ス。
朋治22年7月15日
(1889年)
第10巻 p.139-149(DK100016k)
是日臨時株主総会決議ニヨリ栄一、相談役二選挙セラル。是ヨリ先当社ハ前年一月及ビ十一月、第一・二次ノ増資ヲ行ヒタルガ、更ニ是年八月第三次増資ヲ行ヒ、資本金七拾万円トナス。
明治26年10月8日
(1893年)
第10巻 p.149-150(DK100017k)
是日商法施行ニ因リテ三重紡績株式会社ト改称シ、翌九日取締役会議ヲ以テ栄一ヲ相談役ニ推薦ス。是ヨリ先今年二月当社ハ更ニ資本金拾四万円ヲ増加シ、愛知分工場ヲ設置ス。
明治27年4月14日
(1894年)
第10巻 p.150-160(DK100018k)
近来競争会社ノ増資、支那市場拡大等ニ因リ、是日臨時株主総会ヲ開キ資本金参拾六万円ノ増資ヲ決議シ、新ニ織布工場ヲ設置ス。栄一相談役トシテコノ間ニ尽力ス。
明治30年1月10日
(1897年)
第10巻 p.160-162(DK100019k)
当社創立十周年ニ際シ、監査役佐分慎一郎外二名ハ株主一同ヲ代表シテ、感謝状及記念品ヲ栄一及取締役九鬼紋七・伊藤伝七・斎藤恒三ニ贈与シ、創立以来ノ功労ヲ謝ス。
明治30年2月11日
(1897年)
第10巻 p.162-167(DK100020k)
是日臨時株主総会ヲ開キ、伊勢中央紡績株式会社ノ解散ニ因リ同社津工場ヲ当社分工場ト為スノ目的ヲ以テ、資本金参拾万円ノ増加ヲ決議ス。翌三十一年四月九日第一工場火災ニ罹リタルニヨリ、五月臨時株主総会ニ於テ新式紡機約一万錘ヲ購入シ復旧工事ヲナスベキ事ヲ決議ス。栄一コノ間相談役トシテ要務ニ参与ス。
明治33年6月
(1890年)
第10巻 p.167-168(DK100021k)
五月十日栄一男爵ニ叙セラルルヤ、是月当社ヨリ紅白ノ羽二重二匹ヲ贈リ賀表ヲ呈ス。
明治38年8月5日
(1905年)
第10巻 p.168-174(DK100022k)
日露戦後ノ財界情勢ハ群小諸会社ノ合併集中ヲ促進シ、尾勢地方ニ於テモ亦紡績業合同ノ議起ル。依リテ当社ハ栄一ノ奔走ニヨリ尾張・名古屋両紡績会社ヲ合併スルコトトナシ、是日株主総会ニ於テ之ヲ議決ス。翌年更ニ西成・津嶋両紡績会社ヲ買収ス。
明治40年1月26日
(1907年)
第10巻 p.174-179(DK100023k)
是日定時株主総会ヲ開キ、工場増設ノ為ノ資本金増加、取締役増員、定款改正等ヲ議決シ、併セテ役員改選ノ結果、栄一取締役ニ選挙セラル。幾モナク当社ハ桑名・知多両紡績会社ヲ合併シ、尾勢地方紡績会社ノ合同凡ソ成ル。
明治42年6月6日
(1909年)
第10巻 p.179-180(DK100024k)
是年栄一古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日当社取締役ヲ辞任ス。翌四十三年二月二十七日斎藤恒三栄一ヲ訪ヒ、感謝状及退職慰労金ヲ寄贈ス。
3款 鐘淵紡績株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治20年9月17日
(1887年)
第10巻 p.181-194(DK100025k)
明治十九年十一月、東京繰綿問屋組合中ノ所謂改革派ニヨリ、棉花ノ売買及其改良ヲ目的トシテ、資本金十万円ヲ以テ組織サレタル東京綿商社ハ其後紡績所ノ設立ヲ計画シ、是年四月十日資本金ヲ百万円ニ増加シタルガ、更ニ是日株主総会ニ於テ栄一ニ顧問役ヲ依嘱セントノ議起ル。後同社ハ棉花ノ売買ヲ廃シ、専ラ紡績業ヲ経営スルコトトシ、明治二十一年八月鐘淵紡績会社ト改称ス。
明治24年1月
(1891年)
第10巻 p.194-206(DK100026k)
明治二十三年ニ入リ経済界不況ノ影響ヲ受ケテ、業績著シク不振トナル。玆ニ於テ是月、首脳部ヲ一新ノ上三井銀行ヨリ融通ヲ受ケ、更ニ翌二十五年一月二十五日第十回定時株主総会ニ於テ中上川彦次郎・朝吹英二ヲ取締役トシテ就任セシメ、更生ニ努ム。コノ間栄一・益田孝ト共ニ顧問役トシテ改良整理ノ相談ニ与ル。
4款 大日本紡績聯合会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治21年10月
(1888年)
第10巻 p.207-237(DK100027k)
明治十五年十月岡田令高ニヨツテ組織サレタル紡績聯合会ハ、紡績業ノ勃興ニ適応シテ、是年六月改組ノ上大日本紡績同業聯合会ト改称ス。栄一当聯合会ノ事務上ノ相談役トシテ予テ棉花輸入税免除ニツキ大蔵大臣伯爵松方正義等政府要路者ニ斡旋シタリシガ、是月聯合会請願委員難波二郎三郎ヲ大阪ヨリ上京セシメ、共ニ松方正義・外務次官青木梅三郎[青木周三]・農商務大臣伯爵井上馨ニ面謁シ、本邦紡績業発達ノ為棉花輸入税免除ノ急ナルヲ説ク。該請願ハ其調査不完全ノ故ヲ以テ却下セラレタリシガ、コノ会合ニ於テ井上馨ノ慫慂アリ、孟買綿業視察ノ議進ム。後栄一外務大臣伯爵大隈重信ニ面謁シ同様ノ趣旨ヲ述ベ、孟買綿業視察員派遣ノ事ヲ決ス。
明治22年7月
(1889年)
第10巻 p.237-328(DK100028k)
孟買綿業視察ノ為、是月政府ハ農商務省書記官佐野常樹ヲ印度ニ派遣ス。当聯合会ハ主トシテ栄一ノ斡旋ニ依リ大阪紡績会社副支配人川村利兵衛、三重紡績会社杉村仙之助ノ両人ヲ選ビテ之ニ随行セシム。是年十二月一行帰朝ス。
明治23年5月28日
(1890年)
第10巻 p.328-338(DK100029k)
先ニ却下セラレタル棉花関税免除請願ニツキ、既ニ二十二年末孟買視察員一行帰朝シ調査完了セルヲ以テ、是月東京ニ於テ当聯合会総会ヲ開キ、第一議題トシテ該関税免除案提出サレ満場一致之ヲ可決ス。是日栄一総会ニ出席シ、種々請願ノ趣旨ニツキ注意スル所アリ。委員三名ヲ選抜セシメ自ラ協議員トナリ請願書ヲ作成シ、委員岡田令高・駒井英太郎両名ト共ニ外務・大蔵・農商務三大臣ニ呈出ス。
明治23年11月15日
(1890年)
第10巻 p.338-355(DK100030k)
是日大阪商法会議所ニ於テ臨時総会ヲ開キ、棉花輸入税免除ニ付キ追願並ニ綿糸輸出税免除及ビ綿糸輸入税増額ノ請願ヲナスコトニ決ス。棉花輸入税免除追願書ハ先ニ発表サレタル農商務省三等技師平賀義美ノ免税反対意見ニ対シ反駁ヲ加ヘタルモノニシテ、是月農商務大臣陸奥宗光ニ提出ス。栄一追願ニツキ意見ヲ述ブ。
明治24年7月8日
(1891年)
第10巻 p.355-361(DK100031k)
是日栄一、原六郎ガ横浜正金銀行ノ要務ヲ帯ビテ欧米ニ出張スルニ托シテ印度ボンベイ棉ノ実況取調ヲ依頼ス。原ハ是月十六日横浜ヲ解纜、米国・英国ヲ経テ十二月二十八日ボンベイニ着シ、タタ商会及ビサスーン商会トノ交渉ヲ遂ゲ、翌二十五年二月十五日帰朝ス。
明治24年12月25日
(1891年)
第10巻 p.361-368(DK100032k)
第一帝国議会開会セラルルヤ、是年一月二十二日理事岡田令高ノ名ヲ以テ綿糸輸出関税免除請願書ヲ農商務大臣陸奥宗光ニ提出ス。爾来棉花輸入綿糸輸出両関税免除ノ請願ハ合体結合シテ行フコトニ決シ、第二帝国議会ノ開会ニ際シ、是日両関税免除請願書ヲ衆議院ニ提出シタルモ、衆議院ハ同日解散トナル。栄一、益田孝ト共ニソノ間請願運動ニ尽力ス。
明治25年7月1日
(1892年)
第10巻 p.368(DK100033k)
予テ東京商業会議所会頭ニ対シテ大日本紡績聯合会ノ建議アリシ綿糸棉花輸出入税免除ノ儀ハ、前年十二月十二日同会議所臨時会議ニ附サレ、栄一会頭トシテ五名ノ委員ヲ指命シテコレヲ調査セシメタリシガ、是日会議所ヲ代表シ綿糸棉花輸出入税免除ニ付大蔵大臣伯爵松方正義・農商務大臣河野敏鎌ニ建議ス。
明治26年2月20日
(1893年)
第10巻 p.368-394(DK100034k)
是ヨリ先、明治二十五年十二月一日、第四帝国議会召集ニ先立チ、理事菅沼政経及ビ請願委員等免除請願書ヲ貴衆両院ニ提出ス。理事菅沼政経ハ前理事岡田令高ノ歿後、ソノ後任トシテ栄一ノ推薦ニヨリ就任シタルモノナリ。
是日棉花輸入税免除法律案ハ衆議院ニ於テ第三読会ヲ結了シ貴族院ニ廻附サル。因リテ請願委員等貴族院議員ヲ歴問シテ運動スルニ及ビ、栄一ソノ間ニ周旋シ、該案ノ貴族院通過ニ尽力ス。是月二十二日該法律案ハ貴族院特別委員付托ニ決シタルモ、会期切迫シテ遂ニ通過ヲ見ズ。
明治26年5月
(1893年)
第10巻 p.394-400(DK100035k)
明治二十二年孟買綿業視察ノ結果印度棉花輸入ノ道開ケ、爾来大ニ其量ヲ増加シタルモ、当時日印航路ハ英国彼阿会社ノ独占ニシテ運賃甚ダ高価ナリ。明治二十四年印度ノ綿商タタ・アンド・サンス商会ノ一員アール・デ・タタ来朝シ、栄一ヲ訪ヒ印度棉花輪入ノ事ヲ談ジ、議船腹問題ニ及ビシモ纏マラズシテ帰印ス。是月同商会ノ首領ゼー・エヌ・タタ来朝シ、栄一ヲ訪ヒ同問題ニツキ熟議ス。栄一乃チ当聯合会並ニ日本郵船会社トタヽ商会ノ間ヲ斡旋シ、七月十三日タタヲ同道シテ日本郵船会社ヲ訪ヒ、重役ト会シテ孟買航路開設ノ事ヲ決ス。
明治26年8月5日
(1893年)
第10巻 p.400-418(DK100036k)
是日ヨリ同月十日ニ亘リ臨時聯合会ヲ開キ、孟買航路開設ニ際シテ日本郵船会社ニ対スル要求条件ヲ議決シ、相談委員五名ヲ撰ビ常務委員三名ト共ニ交渉ニ当ラシム。委員等ハ栄一ノ斡旋ニヨリ交渉ニ努メタルモ、加盟紡績会社中ニ不同意ナル者モアリテ議容易ニ決セズ。遂ニ九月九日有志団体トシテ鐘淵・大阪・三重ノ三紡績会社及ビ内外棉会社・日本棉花会社ノ五会社ト日本郵船会社トノ間ニ仮契約成立シ、後、漸次加盟紡績会社ノ合流ヲ見ルニ至ル。
明治26年10月17日
(1893年)
第10巻 p.418-423(DK100037k)
孟買航路開設ノコト決スルヤ、予テ日印航路ヲ独占セシ英国彼阿会社ノ東洋支店総支配人ヂヨセフ来朝シ、十月十六日日本郵船会社ヲ訪ヒ、更ニ是日栄一ヲ訪フテ同航路開設ノ議ヲ中止セシメントス。栄一乃チ理ヲ尽シテコレヲ拒絶ス。尋イデ十月二十八日日本郵船会社ト紡績聯合会トノ間ニ第一回印棉運送契約成立シ、日本郵船会社ハ翌十一月七日ヲ以テ孟買航路第一船広島丸ヲ神戸ヨリ解纜セシム。
明治26年11月28日
(1893年)
第10巻 p.423(DK100038k)
栄一、東京商業会議所ヲ代表シ第二回商業会議所聯合会ノ決議ニヨル綿糸輸出税及ビ棉花輸入税免除ノ儀ヲ再ビ大蔵大臣渡辺国武、農商務大臣伯爵後藤象二郎ヘ建議シ、尋イデ同年十二月二日附ヲ以テ衆議院議長星亨ヘ、同四日附ヲ以テ貴族院議長侯爵蜂須賀茂韶ヘ請願ス。
明治27年2月14日
(1894年)
第10巻 p.423-442(DK100039k)
前年末栄一、日本郵船株式会社取締役ニ就任スルニ及ビ、孟買定期航路ノ確立ノタメ、先ニ締結セル紡績聯合会日本郵船会社間第一回印棉運送契約ノ改正ヲ期シ、是日大阪ニ於ケル第七回定期聯合会ニ出席シ、孟買航路開設ノ経過ヲ述ベ、更ニ十四・十五・十六ノ三日ニ亘リ日本郵船会社ヲ代表シテ調査委員会ニ出席ノ上、右契約ノ改正ヲ首唱ス。聯合会ハソノ意見ニ随ヒ三月六日日本郵船会社ト印度棉花輸送ニ関スル追加約定ヲ結ビ、爾来加盟紡績会社ハ輸入印度棉花ノ全量ヲ郵船会社ニ依託ス。
明治27年8月
(1894年)
第10巻 p.442-447(DK100040k)
第六帝国議会ハ綿糸輸出税免除法律案ヲ可決シ、是年五月二十五日政府ハ法律第四号ヲ以テ之ヲ公布ス。因リテ是月当聯合会委員長佐伯勢一郎ハ栄一ニ謝状ヲ贈リタリ。
明治28年10月29日
(1895年)
第10巻 p.447-448(DK100041k)
是ヨリ先、大日本綿糸紡績同業聯合会及ビ倉敷紡績株式会社外九会社聯合シテ東京商業会議所ニ書ヲ致シ、棉花輸入税ノ廃止ニ一層尽力サレンコトヲ求ム。会議所ソノ議ヲ容レ、是日大蔵大臣子爵渡辺国武・農商務大臣子爵榎本武揚ニ建議シ、尋イデ十二月二十六日貴族院議長侯爵蜂須賀茂韶・衆議院議長楠本正隆ニ請願ス。
明治29年6月25日
(1896年)
第10巻 p.448-461(DK100042k)
第九帝国議会ハ棉花輸入税免除法律案ヲ可決シ、是年三月二十九日政府ハ法律第五十七号ヲ以テ之ヲ公布ス。因リテ是日聯合会委員長佐伯勢一郎ハ栄一ニ謝状ヲ贈リタリ。
明治29年7月1日
(1896年)
第10巻 p.461-466(DK100043k)
是ヨリ先、明治二十八年二月、日本郵船株式会社ハ孟買航路二関スル印度タタ商会トノ共同契約ノ解除ヲ行ヒ単独ニテ同航路ヲ営業シタリシカ、栄一此間当聯合会ト日本郵船会社ノ結合ニ一層尽力シ、遂ニ競争会社英国彼阿会社ヲシテ我外務省ヲ通シテ妥協ヲ申出デシム。即チ是年五月六日日本郵船会社ハ彼阿会社外二社ト孟買東洋間航海ノ運賃合同計算契約ヲ締結シ、是日ヨリ実行ス。之ニ因リテ聯合会加盟会社ハ四会社ノ何レノ船ニモ棉花ヲ塔載スルノ利便ヲ得タルモ、尚其後モ日本郵船会社トノ特約ヲ継続シ、栄一又ソノ間ニ種々斡旋スル所少カラズ、我国印度棉花輸入ハ順調ニ進捗ス。
明治30年1月
(1897年)
第10巻 p.466-496(DK100044k)
是月当聯合会ハ孟買航路開設、印度棉花輸人ニ対スル栄一ノ尽力ヲ謝シ、銀製花瓶一対ヲ贈ル。
明治33年9月9日
(1900年)
第10巻 p.496(DK100045k)
栄一、印度ノ豪商アール・デ・タタヲ深川ノ本邸ニ請ジテ晩餐会ヲ開ク。後、十月十六日帝国ホテルニ開カレタル、タタ主催晩餐会ニ臨ム。
5款 三栄綿布組合(韓国輸出綿布同盟)
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治39年3月1日
(1906年)
第10巻 p.497-524(DK100046k)
韓国方面ヘノ綿布ノ輸出向上ノタメ大阪紡績株式会社・三重紡績株式会社・金巾製織株式会社ノ三社協同シテ輸出同盟三栄綿布組合ノ組織ヲ図リ、是日成立ス。当組合成立ニ際シ、栄一、飯田義一等ト共ニ斡旋スルトコロアリシガ、其後、第一銀行ヨリ当組合ニ為替資金ヲ融通スルニ当リ尽力セリ。組合成立後幾何モナクシテ金巾製織株式会社ハ大阪紡績株式会社ニ合併サレ、又是年新ニ岡山紡績株式会社ノ加盟アリタルモ、同会社ハ其後明治四十四年ニ至リ脱退シタルタメ、遂ニ当組合ハ大阪・三重二紡績会社ノミトナリテ、大正三年六月両社合併ニ迄及ベリ。
6款 紡績職工誘拐事件仲裁
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治29年12月
(1896年)
第10巻 p.525-528(DK100047k)
是ヨリ先、中央綿糸紡績業同盟会ト鐘淵紡績会社兵庫分工場トノ間ニ職工誘拐ニ因ル紛議生ジ、解決困難トナル。栄一両者間ノ仲裁調停ニ起チ、是月末鐘淵紡績会社ノ朝吹英二・中上川彦次郎及ビ中央同盟会田辺丈夫等ノ間ヲ斡旋シ、其ノ解決ニ尽力ス。
明治30年2月15日
(1897年)
第10巻 p.528-541(DK100048k)
是ヨリ先、中央綿糸紡績業同盟会ト鐘淵紡績株式会社間ノ職工誘拐事件解決セザルニ、合名会社三井銀行ハ鐘淵紡績会社ニ左袒シテ同盟会ニ当リ、事態愈々紛糾ニ及ビタレバ、日本銀行総裁男爵岩崎弥之助ソノ調停ニ立ツニ至レリ。ココニ於テ栄一等相謀リテ該事件仲裁ヲ同男爵ニ一任スルニ決シ、是年一月二十三日、岩崎ハ該事件当事者ヲ日本銀行ニ招キ紛議ヲ裁断シ、調停成立セリ。同日職工取締規約ノ設定ニ付キ、栄一・金子堅太郎・前田正名等八名ヲ委員ニ選任シ之ヲ作成セシメ、是日成ル。
2節 蚕糸絹織業
1款 京都織物株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治19年12月16日
(1886年)
第10巻 p.542-551(DK100049k)
栄一、洋式絹織物工業ノ必要ニ鑑ミ、従来織物ニ著名ナル京都ニ之ヲ起サンコトヲ企図シ、是日京都池亀楼ニ於テ高木斎造等三十二名ノ発起者ト相会シ、京都織物会社設立ノ事ヲ計画ス。後資本金ヲ三十五万円ニ決ス。
明治20年2月27日
(1887年)
第10巻 p.551-578(DK100050k)
是月京都ニ京都染物会社・京都撚糸会社創立サル。栄一等京都織物会社発起人ハ此等二会社ノ当織物会社トノ関係密接ニシテ分離スベカラザルヲ知リ、此等二会社ニ謀ツテ合併ノ事ヲ議ス。是日三会社ノ合併成立シ資本金五十万円ヲ以テ京都織物会社ト称シ、同日田中源太郎・浜岡光哲等十二名ト連署シテ京都府知事ニ創立願書ヲ提出ス。
明治20年5月5日
(1887年)
第10巻 p.578-597(DK100051k)
是ヨリ先、二月二十七日附ヲ以テ京都織物会社創立願書提出中ノトコロ、是日創立許可セラレ、六月二十二日京都商工会議所ニ於テ創立認許後第一回ノ株主総会ヲ開ク。栄一、大倉喜八郎・益田孝ト共ニ相談役ニ選挙セラル。尋イデ七月一日府立織殿払下許可セラレ、以後明治二十三年五月一日迄仮営業ヲ為シ、二十三年五月一日ヲ以テ営業開始ト為ス。
明治24年3月24日
(1891年)
第10巻 p.597-613(DK100052k)
時勢風潮ノ推移ハ会社創業ノ意図ニ悉ク反シ、加フルニ前年来ノ一般的経済界ノ不況ハ是年当会社ヲシテ極度ノ悲境ニ陥シ、重役ノ辞任相踵グニ至レリ。栄一極力会社ノ維持ニ奔走セシガ、是日委員会ニ於テ委員ニ当選シ、尋イデ互選ヲ以テ委員長ニ当選セリ。以後重任シテ専ラ会社ノ整理改革ニ当リ、明治二十六年十一月五日ニ及ブ。
明治26年11月5日
(1893年)
第10巻 p.613-621(DK100053k)
商法ノ施行ニヨリテ会社ヲ京都織物株式会社ト改称ス。栄一先ニ七月二十八日ノ株主総会ニ於テ委員ニ重任セルガ、是日臨時総会ニ於テ取締役ニ選挙セラレ、互選ニヨリテ取締役会長トナル。是日又臨時総会ハ資本金ヲ四十五万円ニ減額決議ヲ為ス。以後会社漸ク隆昌ニ赴キ、二十九年ニ至リ倍額増資シテ資本金九十万円トナレリ。此間栄一専ラ尽力スルトコロアリ。
明治33年7月14日
(1900年)
第10巻 p.621-623(DK100054k)
是日栄一、二十六年十一月五日以来毎期重任セル京都織物株式会社取締役会長ヲ辞シ、取締役ト為ル。是ヨリ後毎期取締役ヲ重任シテ明治三十七年十二月ニ至ル。
明治37年12月31日
(1904年)
第10巻 p.624-628(DK100055k)
栄一、大患後事務減省ノタメ、是日当会社取締役ヲ辞ス。当会社ヨリ其創業以来ノ功労ヲ謝シテ記念金品ヲ贈ラル。翌年一月二十四日当会社株主総会ニテ、栄一ノ相談役トシテ会社ニ関係サレンコトヲ懇請スル旨決議シ、栄一ソノ請ヲ容レテ相談役ト為リ、明治四十二年六月ニ及ブ。
明治42年6月6日
(1909年)
第10巻 p.628-641(DK100056k)
是年栄一古稀ニ渉ルヲ以テ、第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ、諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日当会社相談役ヲ辞ス。是年七月二十六日当会社定時株主総会ハ栄一ヘノ謝辞及記念品贈呈ヲ決議ス。
2款 郡山絹糸紡績株式会社
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明治30年12月
(1897年)
第10巻 p.642-645(DK100057k)
栄一、当会社ノ創立委員長ト為リ、会社成立ノ後其相談役ト為ル。
明治37年10月
(1904年)
第10巻 p.645-647(DK100058k)
栄一、当会社相談役ヲ辞ス。
3款 富岡製糸場払下問題
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治10年10月
(1877年)
第10巻 p.648-667(DK100059k)
是ヨリ先、原六郎在英中、同地ニアリシ井上馨等ト本邦貿易振興策トシテ生糸ノ生産改良ノ急ナルヲ論ジ、富岡製糸場ノ払下ゲヲ画ス。依ツテ是年五月、原ハ急遽帰朝シテ該件ニツキ奔走ス。
是月井上馨ハ、横山孫一郎ニ托シテ、富岡製糸会社設立ニ当ツテハ栄一並ニ益田孝ヲ加入セシメ、栄一ヲ頭取、益田孝ヲ支配人トナスベキ旨ヲ伝フ。
然レド当会社ハ遂ニ設立ヲ見ルニ至ラズ。
4款 関係絹織会社諸資料 1. 安積絹糸紡績会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第10巻 p.668(DK100060k)
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4款 関係絹織会社諸資料 2. 岩橋リボン製織所
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第10巻 p.668(DK100061k)
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3節 製麻業
1款 北海道製麻株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治20年4月1日
(1887年)
第10巻 p.669-698(DK100062k)
是ヨリ先、北海道庁長官岩村通俊、道庁第二部長堀基、製麻ノ事ニ精通セル農商務省技師吉田健作ニ諮リ北海道ニ製麻業ヲ起サントス。東京ノ渋沢喜作・小室信夫、京都ノ浜岡光哲・田中源太郎等亦コレト前後シテ札幌市ニ麻糸及麻布製造ノ工場設立ヲ企図スルニ及ビ、是日岩村通俊上京シテ芝見晴亭ニ小室・渋沢・田中等ヲ招キ、会社設立ニツキ会議ス。大蔵大臣伯爵松方正義亦来リテコノ議ニ与リ、資本金八十万円ヲ以テ北海道製麻会社創立ヲ決ス。栄一モコレニ賛同シ、是年十一月五日東京蜂須賀邸ニ於ケル第一回株主総会後推サレテ相談役トナル。
明治26年12月
(1893年)
第10巻 p.698-701(DK100063k)
明治二十年十一月以来栄一相談役トシテ会社創業ニ与リシガ、是月商法実施ニ付キ定款ヲ改正シ、渋沢喜作社長トナルニ及ビ、山中利右衛門・本野小平ト共ニ監査役ニ当選シ、以後重任シテ明治四十年五月帝国製麻株式会社創立ニ及ブ。
明治35年7月29日
(1902年)
第10巻 p.701-706(DK100064k)
前年近江麻糸紡織会社・下野製麻会社・大阪麻糸会社及ビ当社ノ間ニ日清戦後ノ不況期ニ処シテ自治的統制ノタメ四社合同販売協定結バレシガ、是年ニ及ビ近江麻糸重役大倉喜八郎、下野製麻株主安田善次郎主唱トナリ四社ノ合同ヲ企図シ、是日大倉・安田ハ四社々長ヲ東京帝国ホテルニ招キ四社合同ヲ提議ス。当社ハ主権重役タル栄一外遊中ナルヲ以テコノ案ノ賛同ヲ控エタリ。後栄一帰朝スルニ及ビ、三社重役ハ重ネテ栄一ヲ訪ヒ四社合同ノコトヲ促ス所アリシモ、一先ヅ辞退セリ。
明治36年6月
(1903年)
第10巻 p.706-711(DK100065k)
是年各製麻会社合同シテ日本製麻株式会社ヲ創立スルニ際シ、当社ヒトリ単独営業ヲ持続シタルタメ、一般ノ不況ニ加ヘテ愈々資金供給ニ困難ヲ加フ。栄一ソノ金融ニ尽力シ、是月社長渋沢喜作辞職スルニ及ビ会社重役ノ請ヲ容レテ、当時第一銀行監査役土岐僙ヲ挙ゲテ東京分社詰常務取締役トナシ、又取締役田中源太郎ヲ社長ニ指名ス。
明治40年5月23日
(1907年)
第10巻 p.712-714(DK100066k)
日露戦後ノ好況ニヨリ当社ハ是年資本金百二十万円ヲ倍額増資シタリシガ、先ニ三社合同シテ創立セル日本製麻株式会社モ又倍額増資ヲ行ヒ、両社合同ノ好機至リタレバ、日本製麻ノ安田善次郎・大倉喜八郎ト栄一ノ間ニ両社合併ノ議進ミ、是日両社同時ニ臨時総会ヲ開キ合併仮契約案ヲ議決ス。
2款 下野麻紡織会社(下野製麻株式会社)
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明治20年10月20日
(1887年)
第10巻 p.715-743(DK100067k)
栄一、鈴木要三・横尾勝右衛門・大倉喜八郎・安田善次郎等ト共ニ下野麻紡織会社ノ設立ヲ発起シ是日設立願ヲ栃木県知事樺山資雄ニ提出ス。十一月六日許可セラル。当社ハ後、明治二十六年七月下野製麻株式会社ト改称シ、明治三十六年七月、近江麻糸紡織株式会社・大阪麻糸株式会社ト合同シテ日本製麻株式会社ヲ創立ス。
3款 帝国製麻株式会社
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明治40年7月26日
(1907年)
第10巻 p.744-759(DK100068k)
北海道製麻株式会社・日本製麻株式会社ノ二社合同シテ帝国製麻株式会社創立ノタメ、是日東京銀行集会所ニ於テ両社合併創立株主総会開催サル。
栄一相談役ニ推薦サル。
明治42年4月14日
(1909年)
第10巻 p.759-760(DK100069k)
要務多忙ノタメ帝国製麻株式会社相談役ヲ辞ス。
4節 毛織物業
1款 東京モスリン紡織株式会社
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明治29年2月
(1896年)
第10巻 p.761-765(DK100070k)
日清役後モスリンノ輸人著増シタルニ鑑ミ、杉村甚兵衛・三井高保等東京モスリン紡織株式会社ヲ設立ス。栄一株主タリ。
2款 東京毛織物株式会社
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明治39年11月25日
(1906年)
第10巻 p.766-769(DK100071k)
栄一、大倉喜八郎・日比谷平左衛門等ト共ニ東京毛織物株式会社ノ設立ヲ計画、是日東京商業会議所ニ於テ創立総会ヲ開ク。推サレテ相談役トナル。
明治42年6月6日
(1909年)
第10巻 p.769-770(DK100072k)
是年栄一、古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日当会社相談役ヲ辞ス。
3款 帝国紡織株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治40年2月14日
(1907年)
第10巻 p.771-772(DK100073k)
栄一、大倉喜八郎・日比谷平左衛門等ト共ニ帝国紡織株式会社ノ設立ヲ発起シ、是日東京銀行集会所ニ於テ発起人会ヲ開催ス。栄一、創立委員長ト為リ、創立委員ヲ指名ス。
5節 製帽業
1款 日本製帽会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治22年1月21日
(1889年)
第10巻 p.773-779(DK100074k)
栄一、益田克徳等ト日本製帽会社創立ヲ発起シ、是日東京府知事高崎五六ニ出願ス。二月二十一日許可セラレ、二十三年五月十二日ニ至リテ営業ヲ開始ス。
明治24年1月
(1891年)
第10巻 p.779-782(DK100075k)
栄一、日本製帽会社相談役ト為ル。当会社ハ創業以来ノ損失巨額ニシテ、二十五年十一月遂ニ解散ノ決議ヲナス。
2款 東京帽子株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治25年12月12日
(1892年)
第10巻 p.783-792(DK100076k)
栄一、益田克徳等ト謀リ、元日本製帽会社ヲ買収シテ東京帽子株式会社ヲ創立ス。是日創立総会ニ於テ同会社取締役ニ選バレ、取締役長(後ニ取締役会長ト改ム)トナル。
明治30年3月5日
(1897年)
第10巻 p.792-797(DK100077k)
栄一、当会社株主ヨリ創業以来ノ功労ヲ謝シ金壱千五百円ヲ贈ラル。
明治42年6月6日
(1909年)
第10巻 p.797-800(DK100078k)
是年栄一、古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日当会社取締役会長ヲ辞ス。