デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

3章 道徳・宗教
1節 儒教
1款 孔子祭典会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治40年1月16日
(1907年)
第26巻 p.5-13(DK260001k)
是日孔子祭典会発起人会開カレ、栄一評議員ニ選バル。越エテ四月二十八日、湯島聖堂ニ催サレタル第一回ノ祭典ニ出席ス。爾後当会ノ為ニ尽力ス。
明治41年4月26日
(1908年)
第26巻 p.13-20(DK260002k)
是日当会第二回祭典、湯島聖堂ニ行ハル。栄一出席ス。式後東京高等商業学校講堂ニ講演会開カレ、演説ヲ為ス。
明治42年4月25日
(1909年)
第26巻 p.21-22(DK260003k)
是日当会第三回祭典、湯島聖堂ニ行ハル。栄一之ニ臨ム。
2款 陽明学会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治41年5月17日
(1908年)
第26巻 p.23-27(DK260004k)
是日陽明学ノ大家東沢潟ノ息敬治等、王陽明学会拡張ノ為メ、本郷湯島麟祥院ニ有力者招待会ヲ行フ。栄一出席シ演説ス。同日推サレテ評議員ト為リ、又当会ノ指導経営ヲ委任サレテ尽力ス。
明治42年3月21日
(1909年)
第26巻 p.27-31(DK260005k)
是日、神田錦輝館ニ於テ当会主催学術大演説会開カル。栄一、評議員トシテ出席演説ス。
3款 孔子教会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治42年2月11日
(1909年)
第26巻 p.32-33(DK260006k)
是日栄一、孔子教会評議員ニ推薦セラル。
2節 神社
1款 神苑会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治22年3月7日
(1889年)
第26巻 p.34-45(DK260007k)
是日神苑会総裁有栖川宮熾仁親王、東京霞ケ関ノ邸内ニ栄一外二十六名ヲ会シ、評議員ヲ嘱託シ、且会則修正委員ニ栄一外四名ヲ指名ス。尚、栄一管財員ヲモ嘱託セラル。
2款 諏訪神社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治30年
(1897年)
第26巻 p.46(DK260008k)
是年栄一、埼玉県大里郡八基村大字血洗島諏訪神社改築費ニ金五百円ヲ寄附シ、更ニ金一千五百円ヲ寄附、且、石柱並ニ本殿扁額ノ社名ヲ揮毫ス。
明治34年9月9日
(1901年)
第26巻 p.46-47(DK260009k)
是日栄一、当社祭典中ノ一行事獅子舞ヲ見、翌十日当社ニ参詣ス。
明治39年5月20日
(1906年)
第26巻 p.47(DK260010k)
是ヨリ先三十八年十月、当社幟旗新調ノ議起リ、是日栄一、村民ノ求二応ジテ揮毫ス。
明治40年9月27日
(1907年)
第26巻 p.48-51(DK260011k)
前年当社奥殿修繕ノ議決シ、栄一其費用申ニ金三千円ヲ寄附ス。是日修繕落成シ遷座式行ハル。栄一参列シ、副斎主ト為ル。尚、十月十三日当社基金ノ件ヲ氏子ト議ス。
明治41年9月27日
(1908年)
第26巻 p.51(DK260012k)
是日栄一、当社祭典ニ参列ス。
3款 富岡八幡神社修補会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治36年7月9日
(1903年)
第26巻 p.52-54(DK260013k)
是日栄一、東京市深川区富岡町府社富岡八幡神社修補会会長ト為リ、其修補ニ尽力ス。
4款 其他 1. 明戸村熊野神社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治3年
(1870年)
第26巻 p.55(DK260014k)
是年栄一、埼玉県大里郡明戸村大字沼尻ノ村社熊野神社ノ扁額ヲ揮毫ス。
4款 其他 2. 明戸村諏訪神社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治26年3月
(1893年)
第26巻 p.55(DK260015k)
是年栄一、埼玉県大里郡明戸村村社諏訪神社ノ扁額ヲ揮毫ス。
4款 其他 3. 藤島神社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治38年11月1日
(1905年)
第26巻 p.55-56(DK260016k)
是ヨリ先栄一、別格官幣社藤島神社敷地移転事業費トシ金五十円ヲ寄附ス。是日其賞トシテ木杯一個ヲ下賜セラル。
3節 寺院及ビ仏教団体
1款 高野山興隆会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治33年5月17日
(1900年)
第26巻 p.57-62(DK260017k)
是ヨリ先高野山興隆会創立ノ企図アリ、是日東京華族会館ニ於テ小松宮彰仁親王殿下ヲ総裁ニ戴キ当会発会式挙行セラル。栄一之ニ出席シ賛成ノ意ヲ述ブ。次イデ同年六月二十一日、評議員兼会計監督ニ推サレテ四十二年六月六日ニ至ル。
2款 東叡山寛永寺
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治40年4月
(1907年)
第26巻 p.63-64(DK260018k)
是月栄一、東叡山寛永寺ノ檀家総代ニ推サル。
3款 比叡山延暦寺
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治42年2月
(1909年)
第26巻 p.65(DK260019k)
是月栄一、比叡山延暦寺ノ顧問トナル。
4節 キリスト教団体
1款 万国学生基督教青年会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治40年4月5日
(1907年)
第26巻 p.66-71(DK260020k)
是日、東京市並ニ商工業有志者主催、第七回万国学生基督教青年会大会参列者歓迎会、芝公園内三縁亭ニ開カル。栄一之ニ出席シ、主催者ヲ代表シテ歓迎ノ辞ヲ朗読ス。
2款 救世軍
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治40年4月18日
(1907年)
第26巻 p.72-80(DK260021k)
是ヨリ先救世軍大将ウイリアム・ブース(William Booth)渡来ス。栄一等発起人トナリ、是日東京市会議事堂ニ其歓迎会ヲ開ク。栄一商工業有志者ヲ代表シテ歓迎ノ辞ヲ朗読ス。
明治40年4月20日
(1907年)
第26巻 p.80-86(DK260022k)
是日栄一、救世軍大将ウイリアム・ブースヲ案内シテ、東京市養老院ヲ縦覧セシメ、畢リテ之ヲ飛鳥山邸ニ招ジ、慈善研究会ノ名ニ於テ歓迎会ヲ開ク。栄一総代トシテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。
明治41年10月3日
(1908年)
第26巻 p.86-88(DK260023k)
是日栄一、救世軍ノ労作館落成式ニ臨ミ演説ス。
明治42年3月18日
(1909年)
第26巻 p.88(DK260024k)
栄一、救世軍中佐山室軍平渡英スルニ託シ、是日附ニテ救世軍大将ウイリアム・ブースニ宛テ八十ノ賀詞ヲ寄ス。
5節 修養団体
1款 竜門社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治19年4月
(1886年)
第26巻 p.89-106(DK260025k)
是月、栄一ノ深川邸ニ寄寓セル書生等相謀リテ一社ヲ結ビ名ヅケテ竜門社ト曰フ、尾高惇忠ノ命ズル所ナリ。爾来月次ニ集会ヲ開キ且ツ「竜門雑誌」ヲ発行ス。右月次会ノ外春秋二季ニ総会ヲ開キ、栄一毎会出席シテ社員ヲ指導ス。
明治21年4月
(1888年)
第26巻 p.106-114(DK260026k)
是月竜門社規則ヲ改正シ、社長ニ渋沢篤二、幹事ニ尾高次郎、委員ニ斎藤峰三郎・松村五三郎ヲ推薦シ、月次会並ニ年二回ノ総会ヲ制定ス。「竜門雑誌」ハ二十年十二月ニ第九号ヲ発刊セシモ出版条例ノ改正ニ従ヒ是月改メテ第一号ヲ発行ス。栄一之レガ育成ニ尽力ス。
明治22年4月7日
(1889年)
第26巻 p.114-124(DK260027k)
是日栄一、当社春季総会ニ出席シ「商人ノ本務ヲ示ス」ト題シテ演説ヲナス。尚、九月・十一月ノ月次会ニモ出席シテ演説ヲナス。
明治23年11月16日
(1890年)
第26巻 p.124-130(DK260028k)
是日栄一、当社秋季総集会ニ出席シ「工業ニ就テノ意見」ト題スル演説ヲナス。
明治24年4月12日
(1891年)
第26巻 p.130-133(DK260029k)
是日栄一、当社春季総集会ニ出席シ「政治家及学士諸君ニ望ム」ト題シテ演説ヲナシ、尚、六月・八月ノ月次会ニ出席シテ演説ヲナス。
明治24年10月25日
(1891年)
第26巻 p.134-141(DK260030k)
是日栄一、当社秋季総集会ニ出席シ「実業ト学問トノ関係」ト題シテ演説ヲナス。
明治25年4月17日
(1892年)
第26巻 p.141-145(DK260031k)
栄一、引続キ当社一月・三月ノ月次会ニ出席シテ演説ヲナシ、是日、春季総集会ニ出席シ「竜門社諸君ニ告グ」ト題スル演説ヲナス。
明治25年7月27日
(1892年)
第26巻 p.145-151(DK260032k)
是日栄一、当社第九回総集会ニ出席シ「古今商業ノ区別」ト題スル演説ヲナシ、又、十月ノ月次会ニ出席ス。
明治26年2月25日
(1893年)
第26巻 p.151-154(DK260033k)
是日栄一、当社月次会ニ出席シ「竜門社員ニ告グ」ト題スル演説ヲナス。
明治26年4月16日
(1893年)
第26巻 p.155-161(DK260034k)
是日栄一、当社第十回春季総集会ニ出席ツ「商人ノ本分」ト題スル演説ヲナス。
明治26年10月22日
(1893年)
第26巻 p.161-163(DK260035k)
是日栄一、当社第十一回秋季総集会ニ出席シ「精神ト智能」ト題スル演説ヲナス。
明治27年4月29日
(1894年)
第26巻 p.163-168(DK260036k)
是日栄一、当社第十二回春季総集会ニ出席シ「竜門社員ニ望ム」ト題スル演説ヲナシ、又、九月ノ月次会ニ出席ス。
明治27年10月17日
(1894年)
第26巻 p.168-170(DK260037k)
是日当社第十三回秋季総集会開催サレシモ、栄一東京商業会議所会頭及ビ関東銀行会総代トシテ、天機奉伺ノタメ、広島市ニ旅行中ノタメ出席セズ。
明治28年5月12日
(1895年)
第26巻 p.170-195(DK260038k)
栄一、当社一月・三月ノ月次会ニ出席シ、是日更ニ第十四回春季総集会ニ出席、「償金論」ト題スル演説ヲナス。
明治28年10月17日
(1895年)
第26巻 p.195-199(DK260039k)
栄一、当社七月ノ月次会ニ出席シ、且、是日第十五回秋季総集会ニ出席、「実業ノ定義」ト題スル演説ヲナス。
明治29年4月19日
(1896年)
第26巻 p.199-202(DK260040k)
是日栄一、当社第十六回春季総集会ニ出席シ「戦後ノ経済」ト題シテ演説ヲナス。
明治29年9月15日
(1896年)
第26巻 p.202-206(DK260041k)
是日当社ノ機関雑誌「竜門雑誌」第百号発行サレ、栄一之ニ対シ題字並ニ祝賀ノ和歌一首ヲ揮毫ス。次イデ二十日、帝国ホテルニ於テ第十七回秋季総集会開カレシモ栄一欠席ス。
明治30年5月9日
(1897年)
第26巻 p.206-213(DK260042k)
是日栄一、当社第十八回春季総集会ニ出席シ「竜門社員ノ為ニ処世ノ覚悟ヲ語ラム」ト題スル演説ヲナス。
明治30年10月17日
(1897年)
第26巻 p.213-228(DK260043k)
是日栄一、当社第十九回秋季総集会ニ出席シ「経済界ノ三疑問」ト題スル演説ヲナス。
明治30年11月28日
(1897年)
第26巻 p.228-231(DK260044k)
是日当社幹事会ニ於テ、来ル明治三十三年ハ栄一還暦ニ当ルヲ以テ、其ノ祝賀ノ為メ「青淵渋沢先生六十年史一名日本近世実業発達史」ヲ編纂シ、之ヲ世ニ公ニシ、且其ノ一部ヲ栄一ニ贈ルベキ儀ヲ決シ、当社名誉社員阪谷芳郎ヲ編纂委員長ニ推シ、編纂委員数十名ヲ置クコトヲ決ス。
明治31年4月17日
(1898年)
第26巻 p.231-236(DK260045k)
是日栄一、当社第二十回春季総集会ニ出席シ、渡韓ノ挨拶ヲ兼ネテ「韓国ノ経済的観察」ト題スル演説ヲナス。
明治32年4月16日
(1899年)
第26巻 p.236-240(DK260046k)
是日栄一、当社第二十二回春季総集会ニ出席シ、「株式会社ノ将来ニ就テ」ト題スル演説ヲナス。
明治32年6月18日
(1899年)
第26巻 p.240-243(DK260047k)
是日栄一、当社長渋沢篤二・監督穂積陳重洋行送別ノ為メノ当社臨時総集会ニ出席シ、挨拶ヲナス。
明治32年11月5日
(1899年)
第26巻 p.243-248(DK260048k)
是日栄一、当社第二十三回秋季総集会ニ出席シ、「商業者ノ徳操ニ関シテ竜門社後進生ニ告グ」ト
題スル演説ヲナス。
明治33年2月13日
(1900年)
第26巻 p.248-252(DK260049k)
是ヨリ先、兼ネテ編纂中ナリシ「青淵先生六十年史」稿成リ、且去ル一月中印刷製本モ完了セルヲ以テ、是日栄一、阪谷編纂委員長及ビ幹事八名ヨリ正本ヲ贈ラル。
明治33年6月17日
(1900年)
第26巻 p.252-261(DK260050k)
是日、向島ノ八百松ニ於テ、栄一ノ還暦・授爵祝賀ト社長渋沢篤二・名誉社員穂積陳重ノ帰朝歓迎トヲ兼ネテ当社第二十四回春季総集会開カレ、栄一之ニ出席シ、社員ヨリ寿言ヲ受ケ、之ニ対シテ答辞ヲ述ブ。
明治33年12月16日
(1900年)
第26巻 p.261-271(DK260051k)
栄一、七月・九月・十月ノ当社月次会ニ出席シ、更ニ是日、第二十五回秋季総集会ニ出席シテ、韓国見聞ニ就キ演説ヲナス。
明治34年1月29日
(1901年)
第26巻 p.271-280(DK260052k)
是ヨリ先、是月二日、当社監督名誉社員尾高惇忠卒ス。仍ツテ是日銀行集会所ニ於テ当社主催ノ追悼会開カレ、栄一之ニ出席シ追悼演説ヲナス。更ニ三月ノ月次会ニ出席ス。
明治34年5月19日
(1901年)
第26巻 p.281-282(DK260053k)
是日栄一、当社第二十六回春季総集会ニ出席シ、一場ノ挨拶ヲナス。更ニ六月・九月ノ月次会ニ出席ス。
明治34年10月27日
(1901年)
第26巻 p.282-287(DK260054k)
是日栄一、当社第二十七回秋季総集会ニ出席シ、「保護貿易主義ノ必要ヲ論ズ」ト題スル演説ヲナス。次イデ十一月ノ月次会ニ出席ス。
明治34年12月14日
(1901年)
第26巻 p.288-316(DK260055k)
栄一、是日及ビ一月・三月ノ当社月次会ニ出席シ、三回ニ亘リ、近世史(特ニケンペル著「日本鎖国論」)ニ就キ演説ス。
明治35年4月27日
(1902年)
第26巻 p.316(DK260056k)
是日、栄一等一行ノ欧米漫遊旅行送別会ヲ兼ネテ当社第二十八回春季総集会開カル。栄一之ニ出席シ、一場ノ挨拶ヲナス。
明治35年11月23日
(1902年)
第26巻 p.316(DK260057k)
是日、当社第二十九回秋季総集会ヲ兼ネテ、栄一等一行ノ海外旅行帰朝歓迎会催サレ、栄一之ニ出席シ欧米視察ニ就イテノ演説ヲナス。
明治36年5月24日
(1903年)
第26巻 p.316-320(DK260058k)
是日栄一、当社第三十回春季総集会ニ出席シ「善模倣ト悪模倣談」ト題シテ演説ヲナス。尚、七月ノ月次会ニ出席ス。
明治36年10月25日
(1903年)
第26巻 p.320-327(DK260059k)
是日栄一、当社第三十一回秋季総集会ニ出席シ、「以其弊勿没其功」ト題シテ演説ヲナス。
明治37年5月1日
(1904年)
第26巻 p.327-339(DK260060k)
是日、日本橋倶楽部ニ於テ、当社第三十二回春季総集会ヲ開ク。栄一病気ノタメ出席セズ。
明治37年11月23日
(1904年)
第26巻 p.339-345(DK260061k)
是日、日本橋倶楽部ニ於テ、栄一ノ病気全快祝賀ヲ兼ネテ当社第三十三回秋季総集会開カル。栄一之ニ出席シ挨拶ヲナス。
明治38年5月21日
(1905年)
第26巻 p.345-365(DK260062k)
是日栄一、当社第三十四回春季総集会ニ出席シ、「武士道ノ解釈」ト題シテ演説ヲナス。
明治38年11月5日
(1905年)
第26巻 p.365-372(DK260063k)
是日栄一、当社第三十五回秋季総集会ニ出席シ、「戦後経営及成功談」ト題シテ演説ヲナス。
明治39年4月4日
(1906年)
第26巻 p.372-376(DK260064k)
栄一、当社三月ノ月次会ニ出席シ、是日当社有志主催ニヨル名誉社員阪谷芳郎、大蔵大臣就任祝賀会ニ出席、挨拶ヲ述ブ。
明治39年5月13日
(1906年)
第26巻 p.376-383(DK260065k)
是日栄一、当社第三十六回春季総集会ニ出席シ、「青年処世ノ方針」ト題シテ演説ヲナス。
明治39年11月11日
(1906年)
第26巻 p.383-391(DK260066k)
是日栄一、当社第三十七回秋期総集会ニ出席シ、「国際経済ト商業道徳」ト題シテ演説ヲナス。
明治40年5月12日
(1907年)
第26巻 p.391-398(DK260067k)
是日栄一、当社第三十八回春季総集会ニ出席シ、「常識ノ修養」ト題シテ演説ヲナス。
明治40年10月27日
(1907年)
第26巻 p.398-407(DK260068k)
是ヨリ先九月二十一日、当社名誉社員阪谷芳郎ハ男爵ヲ授ケラル。是日、大日本麦酒株式会社庭園ニ於テ右祝賀ヲ兼ネテ当社第三十九回秋季総集会開カル。栄一之ニ出席シ「竜門社ノ精神及将来ノ経営ニ関スル希望」ト題シテ演説ヲナス。
明治41年4月3日
(1908年)
第26巻 p.407-427(DK260069k)
是日、当社名誉社員阪谷芳郎ノ欧米旅行送別会ヲ兼ネテ当社第四十回春季総集会開カル。栄一之ニ出席シ送別演説ヲナス。
明治41年11月8日
(1908年)
第26巻 p.427-445(DK260070k)
是日、当社名誉社員阪谷芳郎ノ欧米旅行帰朝歓迎ヲ兼ネテ第四十一回秋季総集会開カル。栄一之ニ出席シ「青年ノ奮起ヲ望ム」ト題シテ演説ヲナス。
明治42年2月11日
(1909年)
第26巻 p.445-462(DK260071k)
是日、当社組織変更発表会開カレ、社則ヲ改定シテ栄一ノ平素唱道スル道徳経済合一主義ニ由リ、商工業者ノ智徳ヲ進メ、人格ヲ高尚ニスルヲ以テ目的トナス。栄一之ニ出席シテ主義綱領ニ関シテ意見ヲ述ブ。
明治42年3月24日
(1909年)
第26巻 p.462(DK260072k)
是日当社評議員会開カレ、之ガ議決ニ由リ、栄一名誉会員トナル。
明治42年5月2日
(1909年)
第26巻 p.462-468(DK260073k)
是日栄一、当社第四十二回春季総集会ニ出席シ、「人道ト儒教」ト題シテ演説ヲナス。
2款 講道館
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治34年4月21日
(1901年)
第26巻 p.469-476(DK260074k)
是日栄一、講道館長嘉納治五郎ノ懇請ニヨリ、当館造士会第六回講話会ニ出席演説ス。
明治40年3月24日
(1907年)
第26巻 p.476(DK260075k)
是日、講道館大塚坂下町ニ開運坂道場ヲ新設ス。栄一其落成祝賀会ニ臨ム。
明治42年5月30日
(1909年)
第26巻 p.476-486(DK260076k)
是ヨリ先、嘉納治五郎経営ニ係ル講道館ハ組織ヲ改メテ財団法人ト為シ、寄附行為ノ認可ヲ受ク。栄一推サレテ監事トナル。是日、下富坂講道館ニ於テ理事及ビ監事相会シテ維持経営ニ関スル寄附行為ヲ協議ス。
3款 日本弘道会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治35年12月13日
(1902年)
第26巻 p.487-493(DK260077k)
是日栄一、日本弘道会八王子支会ノ秋季大会ニ臨席演説ス。
明治41年10月30日
(1908年)
第26巻 p.493-499(DK260078k)
是日、四谷第二小学校ニ於テ当会勅語捧読会挙行セラレ、栄一、当会会長伯爵徳川達孝ノ懇請ヲ容レ出席演説ス。
4款 其他 1. 興風会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治41年6月
(1908年)
第26巻 p.500(DK260079k)
是月栄一、興風会顧問トナル。
4款 其他 2. 実業家道徳会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治41年10月10日
(1908年)
第26巻 p.500(DK260080k)
是日栄一、森村市左衛門ト共ニ実業家道徳会ヲ組織シ、第一生命保険会社ニ於テ第一回講談会ヲ催ス。
4章 教育
1節 実業教育
1款 東京商法講習所
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治8年11月
(1875年)
第26巻 p.501-523(DK260081k)
是ヨリ先九月、森有礼、米国人教師ヲ招聘シテ商法講習ノ私塾ヲ興シタリシガ、幾許モ無ク清国駐箚弁理公使ヲ拝命シ、其経営ニ任ズル能ハザルニ至リ、是月、之ヲ東京会議所ノ管理ニ移ス。栄一、益田孝・福地源一郎ト共ニ其経営委員ニ挙ゲラル。翌九年五月、東京会議所ハ其行務ヲ府庁ニ還納セシヨリ当講習所モ亦府庁ノ管轄トナリ、矢野二郎命ゼラレテ其所長トナル。
明治12年4月
(1879年)
第26巻 p.523-534(DK260082k)
爾来当講習所ハ東京府ノ維持スル所ナリシモ、是月府会ハソノ経費半減ヲ決議セリ。依ツテ栄一有志醵金ヲ首唱シ、以テ経費ヲ補充ス。尚、是年十一月東京府ノ命ニ依リ当講習所委員トナル。
明治14年4月27日
(1881年)
第26巻 p.534(DK260083k)
是ヨリ先東京商法会議所、東京府知事松田道之ヨリ当講習所ノ教則並ニ組織ノ方法調査ヲ托セラレシガ、調査成ルヲ以テ、是日栄一、会議所ヲ代表シテ之ヲ復申ス。
明治14年7月15日
(1881年)
第26巻 p.535(DK260084k)
是日栄一、東京商法会議所ヲ代表シテ、商法学校設立ノ急務ナル所以ヲ農商務卿河野敏鎌ニ建議ス。
明治14年7月26日
(1881年)
第26巻 p.535-554(DK260085k)
是日東京府会、当講習所経費ノ支出ヲ拒ミ、ソノ廃止ヲ議決ス。栄一、府知事松田道之及ビ農商務卿河野敏鎌ニ謀リ、農商務省ノ補助ヲ得テ之ヲ存続セシム。
明治15年3月28日
(1882年)
第26巻 p.554-564(DK260086k)
是日、東京府下銀行業者ノ第一回臨時集会、木挽町ノ商法会議所ニ於テ開催セラレ、当講習所寄附金ノ件ニツキ協議ス。栄一ソノ間ニ斡旋シ、四月八日ノ第二回臨時集会ニ於テ寄附金額ヲ決定ス。
2款 東京商業学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治17年6月10日
(1884年)
第26巻 p.565-569(DK260087k)
是ヨリ先三月、商法講習所東京府ノ管轄ヲ離レテ農商務省ノ直轄ト為リ、東京商業学校ト改称ス。是日栄一、益田孝・富田鉄之助ト共ニ農商務省ヨリ当校校務商議委員ヲ嘱託セラル。
明治18年5月14日
(1885年)
第26巻 p.569-573(DK260088k)
是日当校、農商務省所轄ヨリ文部省所轄ニ移リ、栄一、文部省ヨリ再ビ当校校務商議委員ニ嘱託セラル。九月、当校ハ東京外国語学校及ビ其附属高等商業学校ト合併シ、更メテ東京商業学校ト称シ矢野二郎引続キ当校校長トナル。
明治18年7月10日
(1885年)
第26巻 p.573-575(DK260089k)
是日栄一、当校仮卒業証書授与式ニ臨ミ演説ス。
明治19年12月24日
(1886年)
第26巻 p.576(DK260090k)
是日栄一、文部省ヨリ当校校務商議委員トシテ商業教育ニ尽瘁セル功労ヲ嘉賞セラル。
3款 高等商業学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治22年3月19日
(1889年)
第26巻 p.577-581(DK260091k)
是ヨリ先明治二十年十月、東京商業学校ハ高等商業学校ト改称シ、是日始メテ第一回卒業式ヲ挙行ス。栄一之ニ臨ミ祝辞ヲ述ブ。
明治25年11月21日
(1892年)
第26巻 p.581-585(DK260092k)
是日、有栖川宮熾仁親王殿下ノ台臨ヲ仰ギ、当校第二回卒業証書授与式挙行セラル。栄一之ニ出席シ演説ス。
明治26年7月25日
(1893年)
第26巻 p.586-594(DK260093k)
是ヨリ先矢野二郎、当校校長ヲ辞ス。是日、有志者相謀リ矢野ヲ請ジテ慰労会ヲ開ク。栄一同会ノ発起賛成人トシテ出席演説ス。
明治27年7月7日
(1894年)
第26巻 p.594-596(DK260094k)
是日栄一、当校第四回卒業証書授与式ニ臨ミ演説ス。
明治28年7月6日
(1895年)
第26巻 p.596-598(DK260095k)
是日栄一、当校第五回卒業証書授与式ニ臨ミ演説ス。
明治29年7月6日
(1896年)
第26巻 p.598-600(DK260096k)
是日栄一、当校第六回卒業証書授与式ニ臨ミ演説ス。
明治30年7月6日
(1897年)
第26巻 p.600-602(DK260097k)
是日栄一、当校第七回卒業証書授与式ニ臨ミ演説ス。
明治31年6月
(1898年)
第26巻 p.602-613(DK260098k)
是月当校生徒、新校長清水彦五郎ノ就任ヲ懌バズ排斥運動ヲ為ス。栄一、同窓会ノ懇請ニ因リ前校長小山健三ト共ニ斡旋、静穏ニ帰セシム。
明治33年7月1日
(1900年)
第26巻 p.613-621(DK260099k)
是日当校同窓会、栄一ヲ招請シテ其還暦並ニ授爵ノ祝賀会ヲ同校講堂ニ開ク。栄一謝辞ヲ述ベ、兼ネテ商業教育ヲ大学程度ニ高ムルコトノ必要ヲ力説ス。
明治33年7月3日
(1900年)
第26巻 p.621-624(DK260100k)
是日栄一、当校第十回卒業証書授与式ニ臨ミ演説ス。
明治34年3月13日
(1901年)
第26巻 p.624-638(DK260101k)
是ヨリ先昨年七月、当校同窓会主催ノ栄一還暦並ニ授爵祝賀会ニ於テ、栄一ガ商業大学必要論ヲ開陳シテ以来、同窓会其ノ設立ニ関シ調査研究ヲ続ク。是日、同問題ニ関スル商議員ノ意見ヲ聴カントシ、商議員招待会ヲ銀行集会所ニ催ス。栄一出席シ所見ヲ述ブ。爾後商業大学実現ノ為ニ栄一斡旋尽力シテ止マズ、日露戦役勃発ト共ニ論議一時中絶ス。
明治34年7月8日
(1901年)
第26巻 p.638-641(DK260102k)
是日栄一、当校第十一回卒業証書授与式ニ臨ミ演説ス。
4款 東京高等商業学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治35年2月9日
(1902年)
第26巻 p.642-645(DK260103k)
是ヨリ先昨年末、当校校長駒井重格卒去シ、文部省参事官寺田勇吉校長事務取扱ヲ命ゼラレ、次イデ是月四日校長ニ任ゼラル。当校教授ハ之ヲ不満トシテ排斥運動ヲ起ス。仍ツテ菊池文部大臣、穂積陳重ヲ介シテ栄一ニ説諭ヲ依頼セリ。是日栄一、当校教授五名ト会シテ調停ニ努ム。次イデ四月、東京高等商業学校ト改称ス。
明治35年11月29日
(1902年)
第26巻 p.645(DK260104k)
先ニ栄一欧米巡遊ヨリ帰朝セルヲ以テ、是日当校職員、帰朝歓迎会ヲ上野精養軒ニ開キ、次イデ十二月十二日当校同窓会モ亦同所ニ於テ帰朝歓迎会ヲ開ク。栄一各出席ス。
明治36年6月20日
(1903年)
第26巻 p.645-649(DK260105k)
是日当校同窓会員有志、元校長矢野二郎ノ病気全快祝賀会ヲ帝国ホテルニ催ス。栄一之ニ出席シ、祝賀演説ヲ為ス。
明治36年11月1日
(1903年)
第26巻 p.649-655(DK260106k)
是日栄一、当校ニ於テ催サレタル一橋会第二回大会ニ出席シ、一場ノ演説ヲナス。
明治38年7月8日
(1905年)
第26巻 p.655-659(DK260107k)
是日栄一、当校第十五回卒業証書授与式ニ臨ミ演説ス。
明治40年5月11日
(1907年)
第26巻 p.659-665(DK260108k)
是日栄一、当校同窓会ノ懇請ニ応ジ、三縁亭ニ催サレタル同会全国会員懇親会ニ臨ミ挨拶ヲ述ブ。
明治41年7月7日
(1908年)
第26巻 p.665-668(DK260109k)
是日栄一、当校第十八回卒業証書授与式ニ臨ミ演説ス。
明治41年9月14日
(1908年)
第26巻 p.668(DK260110k)
是日栄一、当校商科大学設置ノ件ニ関シ、辻新次松崎蔵之助ト共ニ文部大臣及ビ同次官ニ面会シテ意見ヲ陳述ス。
明治41年10月2日
(1908年)
第26巻 p.668-680(DK260111k)
是日栄一、横浜銀行集会所ニ於テ催サレタル当校横浜支部例会ニ出席シ、演説ヲナス。
明治42年3月1日
(1909年)
第26巻 p.680-685(DK260112k)
是ヨリ先前月下旬、当校学生等文部大臣並ニ貴衆両院議長ニ商科大学問題ニ関スル請願書ヲ提出セントシテ、校長松崎蔵之助ニ其進達ヲ依頼ス。校長其進達ヲ拒否シ学生五名ヲ退学処分ニ附シタルニ因リ、学生等校長排斥運動ヲ起ス。栄一事態ヲ憂慮シ、是日学生大会ニ臨ミ慰撫演説ヲ試ム。翌日学生等善後処置ヲ栄一ニ一任ス。
明治42年5月23日
(1909年)
第26巻 p.685-720(DK260113k)
是ヨリ先当校学生、当校ヲ昇格シテ商科大学ト為サンコトヲ希望セルモ成ラズ、文部省却テ東京帝国大学法科大学内ニ経済科新設ノ故ヲ以テ是月六日当校専攻部ヲ廃止ス。玆ニ至ツテ遂ニ是月十一日当校学生等総退学ヲ決行ス。是日栄一、同窓会主催ノ学生大会ニ出席シ、五商業会議所代表、父兄保証人会代表ト共ニ商議員会ヲ代表シテ学生ニ懇諭スルニ、其主張貫徹ヲ三団体ニ一任シ無条件ニ復校就学センコトヲ以テス。学生等遂ニ勧説ニ服シ翌日ヨリ復校ス。幾許モナク専攻部廃止ハ六ケ年延長サレ、明治四十五年三月ニ至リ廃止令撤回セラル。
5款 大倉商業学校
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明治31年1月13日
(1898年)
第26巻 p.721-726(DK260114k)
是ヨリ先、大倉喜八郎、ソノ還暦並ニ銀婚ヲ記念シテ一商業学校設立ノ意アリ。乃チ是年一月四日石黒忠悳ニ諮リテ実行ノ約成ルヤ、栄一、渡辺洪基ト共ニ之ヲ輔佐センコトヲ請ハル。仍ツテ之ヲ諾シ、是日大倉邸ニ会同シテ、石黒忠悳他数名ト共ニ協議員ニ列シ、次イデ同年三月五日協議員会ノ決議ニ依リ、学校設立委員ニ推挙セラル。
明治31年5月23日
(1898年)
第26巻 p.726-731(DK260115k)
是日、大倉喜八郎還暦・銀婚ノ祝賀会ヲ開催スルニ当リ、栄一及ビ渡辺洪基・石黒忠悳ノ連名ヲ以テ学校設立ノ趣旨ヲ来賓ニ披露スル所アリシガ、栄一、偶々韓国地方旅行中ノ為メ、嫡子篤二ヲ代理トシテ之ニ参列セシム。
明治31年12月19日
(1898年)
第26巻 p.731-734(DK260116k)
是ヨリ先五月二十六日ノ協議員会ニ於テ採決セル寄附行為証書ノ定ムル所ニ従ヒ、是日、栄一等委員三名、設立者大倉喜八郎ヨリ創立資金本年度出資額金十万円ノ引渡ヲ受ク。尚、同日更メテ協議員・理事及ビ監事決定サレ、栄一、協議員兼監事ニ就任ス。
明治33年9月1日
(1900年)
第26巻 p.734-739(DK260117k)
既ニシテ当校開校ノ準備全ク成リ、是日、赤坂区葵町ナル新校舎ニ開校式ヲ挙グ。栄一之ニ臨ミ一場ノ演説ヲナス。
明治34年3月9日
(1901年)
第26巻 p.739-745(DK260118k)
是日栄一当校ヲ訪ヒ、生徒ニ対シ一場ノ演説ヲナス。尚、当校ニ就キ尽力スル所アリ。
明治36年3月1日
(1903年)
第26巻 p.745-746(DK260119k)
是日栄一、当校専修科第一回卒業式ニ臨ミ一場ノ演説ヲナス。
明治39年3月17日
(1906年)
第26巻 p.746(DK260120k)
是日、イギリス下院議員サー・ヒューベルト・シエリンハム当校ニテ講演ヲナス。栄一之ニ出席ス。
明治39年7月30日
(1906年)
第26巻 p.746-747(DK260121k)
是日栄一、当校専修科第八回卒業式ニ臨ミ一場ノ演説ヲナス。
明治39年10月23日
(1906年)
第26巻 p.747-754(DK260122k)
是日ヨリ三日間、当校設立者大倉喜八郎ソノ古稀ヲ記念シ、赤坂区葵町ナル自邸ニ園遊会ヲ開催ス。栄一毎日之ニ臨ミ、祝詞ヲ述ブ。
明治40年4月1日
(1907年)
第26巻 p.754-757(DK260123k)
是日栄一、当校第四回卒業式ニ臨ミ、生徒ニ対シテ一場ノ訓辞ヲ述ブ。
明治42年6月6日
(1909年)
第26巻 p.757(DK260124k)
是年栄一、古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日大倉商業学校協議員ヲ辞ス。
6款 其他 1. 東京大学
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明治14年9月
(1881年)
第26巻 p.758-767(DK260125k)
当時、世俗官尊民卑ノ弊習漸ク盛トナリ、大学学生ノ間ニ於テモ亦実業ヲ蔑視スルノ風有リ、栄一之ヲ嘆ジ、偶々事ニ托シテ当大学総理加藤弘之ニソノ非ヲ難ズルヤ、弘之ソノ言ヲ是トシ、却テ大学学生ノ為メニ実業ノ実際ヲ講ゼンコトヲ請ハル。栄一之ヲ諾シ、即チ是月ヲ以テ当大学文学部講師トナリ、日本財政論ヲ講ズルコト爾後三ケ年ニ及ブ。
6款 其他 2. 共立統計学校
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明治16年
(1883年)
第26巻 p.768-775(DK260126k)
是年、大書記官杉亨二当校ヲ設立スルヤ、栄一ソノ趣旨ニ賛シ、資金ヲ拠出シテ之ヲ援助セシガ、後漸ク経営困難トナリ、十八年三月遂ニ東京統計協会ニ合併セシメラレタリ。
6款 其他 3. 工手学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治21年9月8日
(1888年)
第26巻 p.775-779(DK260127k)
是ヨリ先明治二十年十月、帝国大学総長渡辺洪基等、工手養成ヲ目的トスル一学校創設ノ意アリ。乃チ同月三十一日当校設立趣意書ヲ発表シ、汎ク同志ヲ勧誘スル所アリシガ、栄一亦此挙ヲ賛シ、之ガ為メニ賛助員トナリ、且当校設立基金トシテ金二百円ヲ寄附セリ。斯クテ是年二月、仮校舎ニ於テ開校セシガ、其後校舎ノ購入並ニ増築ノ事成リ、是日新校舎ニ移転、開校式挙行セラルルニ当リ、栄一来賓トシテ之ニ臨ミ一場ノ祝詞ヲ述ブ。
明治29年2月
(1896年)
第26巻 p.779-782(DK260128k)
是月九日、当校火災ニ遭ヒ、校舎其他一切ノ備品悉ク焼失ス。玆ニ於テ十三日直チニ臨時管理委員会ニ於テ校舎ノ再築並ニ寄附金募集ノ事ヲ決議シ、汎ク関係諸方面ノ援助ヲ乞フ。栄一之ニ応ジテ金一百円ヲ寄附シ、且石川島造船所取締役会長トシテ金三百円ヲ寄附セリ。
6款 其他 4. 私立東京商業学校
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明治25年2月7日
(1892年)
第26巻 p.782-785(DK260129k)
是日栄一、当校第二回卒業証書授与式ニ臨ミ演説ヲナス。
6款 其他 5. 新潟商業学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治34年4月30日
(1901年)
第26巻 p.785-793(DK260130k)
是ヨリ先是月二十五日、栄一信越地方巡察ノ旅途ニ著ク。是日当校ニ到リ、生徒ニ対シ一場ノ演説ヲ為ス。
6款 其他 6. 岩倉鉄道学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治34年10月26日
(1901年)
第26巻 p.793(DK260131k)
是日当校第七回卒業式挙行セラル。栄一来賓トシテ之ニ臨ミ、生徒ニ対シ一場ノ演説ヲ為ス。
明治35年10月23日
(1902年)
第26巻 p.793-798(DK260132k)
当校ハモト明治三十年六月、工学士笠井愛次郎等有志相図リ、本邦鉄道事業ノ伸張ニ即応スル職員養成ノ目的ヲ以テ創立スル所ナリ。是日当校理事会ニ於テ社団法人設立ニ伴フ基本金募集ノ方法ヲ議シ、該募集委員長ニ栄一ヲ推挙セムコトヲ決定シタリシガ、機運未ダ熟セズ遂ニ実行ニ到ラザリキ。明治三十六年四月、当校ノ組織ヲ改メテ社団法人トナシ、校名ヲ岩倉鉄道学校ト称ス。
明治40年11月26日
(1907年)
第26巻 p.798-800(DK260133k)
是日栄一、日本鉄道株式会社追加慰労金分配方法調査委員長ノ資格ニ於テ、公債額面金二千五百五十円ヲ当校基本金中ニ寄附ス。
6款 其他 7. 浅草商業補習学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治34年11月1日
(1901年)
第26巻 p.800-803(DK260134k)
是日当校開校式挙行セラル。栄一来賓トシテ之ニ臨ミ一場ノ演説ヲ為ス。
6款 其他 8. 京華商業学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治37年4月10日
(1904年)
第26巻 p.804(DK260135k)
是日栄一、当校生徒ニ対シ「商工業ノ現況並ニ諸子ニ対スル注意」ト題スル演説ヲ代読セシム。
6款 其他 9. 東京高等工業学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治39年5月26日
(1906年)
第26巻 p.804-806(DK260136k)
是日、当校創立二十五年記念式挙行セラレ、栄一来賓トシテ之ニ臨ム。次イデ七月、記念ノ為メ奨学資金トシテ金二百円ヲ寄附セルニ対シ、翌四十年五月九日附ヲ以テ、賞勲局総裁ヨリ其賞トシテ木杯一組ヲ下賜セラル。
明治39年7月20日
(1906年)
第26巻 p.806-810(DK260137k)
是年六月二十九日、当校校長手島精一ガ多年工業教育ニ尽瘁セル功労ニヨリ、特ニ御沙汰書ヲ以テ銀盃一組ヲ下賜セラレタルヲ慶祝シ、是日当校ニ手島校長款待会開催セラル。栄一発起者ノ一人トシテ其式ニ臨ミ、頌辞ヲ朗読ス。
6款 其他 10. 神戸高等商業学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治39年7月11日
(1906年)
第26巻 p.810-817(DK260138k)
是ヨリ先、栄一韓国視察ノ旅程ヲ終ヘ、帰路神戸ニ在リ。偶々当校校長水島鉄也ノ需ニ応ジ、是日初メテ当校ヲ訪ヒ、学生ニ対シ一場ノ演説ヲ為ス。
6款 其他 11. 蚕業講習所
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治39年7月25日
(1906年)
第26巻 p.817-818(DK260139k)
是日栄一、当所卒業式ニ臨ミ演説ヲナシテ、ドイツ・アメリカ両国ニ人造絹糸ナルモノ現ハレ、将来我国ノ蚕業ニ重大ノ影響アランコトヲ警告ス。
6款 其他 12. 名古屋商業学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治39年12月23日
(1906年)
第26巻 p.818-819(DK260140k)
是日栄一、市立名古屋商業学校ニ於テ挙行セラレタル、名古屋市教育家頌徳会主催ノ同校校長市村芳樹頌徳式ニ祝辞ヲ贈ル。
6款 其他 13. 山口高等商業学校
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明治41年5月28日
(1908年)
第26巻 p.819-820(DK260141k)
是日栄一、修学旅行ノ為メ上京セル当校学生ノ為メ東京高等商業学校ニ到リ、一場ノ演説ヲ為ス。
6款 其他 14. 東京市教育会附属実用夜学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治41年8月
(1908年)
第26巻 p.820-823(DK260142k)
是月、東京市及ビ東京市教育会ノ合議ニ依リ、通訳・店員・事務員等ノ養成ヲ目的トシテ当校ノ開設セラルルヤ、栄一、嘱ヲ受ケ名誉顧問ト為ル。
6款 其他 15. 静岡市立静岡商業学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治41年11月15日
(1908年)
第26巻 p.823-828(DK260143k)
是日栄一、静岡市教育会主催ノ講演会ニ臨ミタルヲ機トシ、当校ニ到リ生徒ニ対シ、一場ノ演説ヲ為ス。
7款 全国地方商業学校長会議
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治33年5月5日
(1900年)
第26巻 p.829-838(DK260144k)
是月一日ヨリ八日ニ亘リ、全国地方商業学校長会議東京ニ開催セラル。是日栄一、ソノ招請ニ応ジ会場タル東京高等商業学校講堂ニ到リ、商業教育ニ関シ一場ノ演説ヲ為ス。
明治36年5月21日
(1903年)
第26巻 p.838-846(DK260145k)
是月十八日ヨリ二十二日ニ亘リ、全国地方商業学校長会議東京ニ開催セラル。栄一ソノ招請ニ応ジ是日会場タル東京高等商業学校講堂ニ於テ、商業教育ニ関シ一場ノ演説ヲ為ス。
8款 全国実業学校長会議
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治39年10月7日
(1906年)
第26巻 p.847-855(DK260146k)
是月六日ヨリ十二日ニ亘リ、全国実業学校長会議東京ニ開催セラル。栄一ソノ招請ニ応ジ、是日会場タル東京高等商業学校講堂ニ於テ、商業教育ニ関シ一場ノ演説ヲ為ス。
2節 女子教育
1款 東京女学館
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治19年11月
(1886年)
第26巻 p.856-864(DK260147k)
是ヨリ先栄一、伊藤博文ノ勧説ニ従ヒ女子教育奨励会設立ニ協力シ、資金募集等ニ尽力ス。是月同会評議員トナル。
明治21年9月11日
(1888年)
第26巻 p.864-867(DK260148k)
是ヨリ先七月、女子教育奨励会ノ計画セル当館設立認可ヲ受ケタリシガ、是日開校ス。栄一当館ノ会計監督ニ選任セラル。
明治35年3月31日
(1902年)
第26巻 p.867-868(DK260149k)
是日栄一、当館卒業証書授与式ニ出席シテ演説ヲナス。
明治41年10月30日
(1908年)
第26巻 p.868-873(DK260150k)
是日栄一、当館創立二十年紀念祝典ニ参列シ、祝辞ヲ述ブ。
2款 日本女子大学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治30年3月24日
(1897年)
第26巻 p.874-880(DK260151k)
是ヨリ先栄一、大隈重信ノ紹介ニヨリ成瀬仁蔵ト会見シ、女子大学校ノ設立計画ヲ聞ク。栄一賛意ヲ表シ設立発起人タルベキコトヲ承諾ス。是日第一回発起人会ニ出席シ、創立委員ニ選定セラレ且ツ会計監督ニ挙ゲラル。
明治32年5月8日
(1899年)
第26巻 p.880-881(DK260152k)
是日栄一、当校第一回募金中ニ金二千五百円ヲ寄附ス。
明治33年4月
(1900年)
第26巻 p.881-884(DK260153k)
是月、当校創立委員会開催セラレ、栄一建築委員並ニ教務委員ニ挙ゲラル。
明治34年4月20日
(1901年)
第26巻 p.884-889(DK260154k)
是日当校開校式挙行セラル。栄一之ニ出席シ、演説ス。
明治34年6月17日
(1901年)
第26巻 p.889(DK260155k)
是日栄一、イギリス評論雑誌レビュー・オブ・レビューズ(The Review of Reviews)記者アルフレット・ステット(Alfred Stead)ヲ案内シテ当校ヲ参観セシム。
明治35年4月20日
(1902年)
第26巻 p.889(DK260156k)
是日栄一、当校創立記念式及ビ附属高等女学校卒業証書授与式ニ臨ミ祝辞ヲ述ブ。
明治35年4月26日
(1902年)
第26巻 p.890(DK260157k)
栄一、来ル五月十五日、欧米旅行ヘ出発ニツキ、是日当校ニ送別会催サル。栄一、夫人兼子ト共ニ出席、答辞ヲ述ブ。
明治36年3月28日
(1903年)
第26巻 p.890-892(DK260158k)
是日栄一、当校卒業式ニ臨ミ演説ス。
明治37年12月15日
(1904年)
第26巻 p.892-899(DK260159k)
是ヨリ先、当校ソノ拡張計画ニヨリ資金三十万円ヲ募集中ナリシガ、遂ニ予定金額ニ達セルヲ以テ是日、朝野ノ名士ヲ招キ拡張案ヲ発表シ、組織ヲ財団法人ニ変更スル旨ヲ明ラカニス。翌三十八年五月組織変更サレ、栄一評議員トナル。尚、第二回募金中ニ金五千円ヲ寄附ス。
明治38年4月20日
(1905年)
第26巻 p.899-900(DK260160k)
是日栄一、当校第五回創立記念式並ニ卒業式ニ出席シ演説ス。
明治38年9月25日
(1905年)
第26巻 p.900-901(DK260161k)
是日栄一、桜楓館開館式ニ臨ミ祝辞ヲ述ブ。
明治39年3月9日
(1906年)
第26巻 p.901-904(DK260162k)
是日栄一、当校ニ於テ大学部学生ノ為ニ講話ス。
明治39年4月11日
(1906年)
第26巻 p.904-905(DK260163k)
是日栄一、当校卒業式及ビ豊明館・豊明図書館新築落成式ニ出席シ、財務報告ヲ兼ネ祝辞ヲ述ブ。
明治40年2月
(1907年)
第26巻 p.905-909(DK260164k)
当校第二期拡張ノ為メ、是月栄一、第三回募金中ニ金二万円ヲ寄附ス。
明治40年4月11日
(1907年)
第26巻 p.909(DK260165k)
是日栄一、当校卒業証書授与式ニ臨ミ演説ヲナス。
明治41年4月11日
(1908年)
第26巻 p.909-910(DK260166k)
是日栄一、当校卒業証書授与式ニ臨ミ演説ヲナス。
明治41年4月20日
(1908年)
第26巻 p.910-912(DK260167k)
是日栄一、当校創立第七回記念式並ニ藤田伝三郎ノ寄贈セル「香雪化学館」開館式、栄一ノ寄贈セル「晩香寮」ノ開寮式ニ臨ミ祝辞ヲ述ブ。
明治41年9月16日
(1908年)
第26巻 p.912-915(DK260168k)
是ヨリ先当校ニテ大学拡張ノ一方法トシテ、当校桜楓会ニ女子通信教育会ヲ設ケ「女子大学講義」ノ発刊ヲ計画シ来リシガ、是日其計画ヲ発表セントシ、都下各新聞・雑誌関係者ヲ当校ニ招キ披露会ヲ催ス。栄一之ニ出席シ演説ス。
明治41年12月27日
(1908年)
第26巻 p.915(DK260169k)
是日栄一、フランス実業家、アルベール・カーン(Albert Kahn)ヲ案内シテ当校ヲ参観セシム。
明治42年4月10日
(1909年)
第26巻 p.915-916(DK260170k)
是日栄一、当校卒業証書授与式ニ臨ミテ祝辞ヲ述ブ。
明治42年4月21日
(1909年)
第26巻 p.916-918(DK260171k)
是日当校第八回創立記念式日ニ当リ、当校晩香寮ニ於テ寮生ノ発起ニヨリ、栄一ノ古稀祝賀会ヲ催ス。栄一出席シテ謝辞ヲ述ブ。
3款 其他 1. 明治女学校
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明治18年9月
(1885年)
第26巻 p.919-922(DK260172k)
是月明治女学校創立ニ際シ、栄一其ノ趣旨ニ賛シ、出資シテ之ヲ援ク。
3款 其他 2. 共立女子職業学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治19年12月
(1886年)
第26巻 p.922-924(DK260173k)
是ヨリ先、宮川保全等当校ヲ創立ス。是月栄一、其趣旨ニ賛シ、出資シテ之ヲ援ク。
3款 其他 3. 日本女子商業学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治40年10月17日
(1907年)
第26巻 p.925-929(DK260174k)
是日当校創立四週年記念式挙行セラルルニ当リ、栄一、当校学監嘉悦孝子ノ請ニ応ジ、会場タル東京高等商業学校講堂ニ臨ミ、生徒ニ対シテ一場ノ訓話ヲナス。