デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

6章 対外事業
2節 支那・満洲
5款 中日実業株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正3年4月25日
(1914年)
第55巻 p.5-12(DK550001k)
是ヨリ先、栄一ノ主唱ニヨリ、孫文一派ト合辦シテ設立セラレタル中国興業株式会社ハ、其後、中華民国ニ於ケル政情変化セルタメ、孫文ノ諒承ヲ得テ北京政府側ト提携スルコトトナリ、之ガ具体的条件ニツキ、同政府当局ト折衝ヲ重ネタル結果、会社改造ニ関スル両者ノ協定成リ、是日、東京商業会議所ニ開カレタル第一回定時株主総会ニ於テ、会社名ヲ改メテ中日実業株式会社トシ、中華民国側取締役ニ楊士琦・孫多森等四名ヲ、同監査役ニ胡宗瀛ヲ選任シ、且ツ総会終了後ノ取締役会ニ於テ、楊士琦ヲ総裁ニ互選シ、更ニ、北京政府農商総長張謇等五名ヲ相談役ニ推挙ス。中華民国側ノ持株モ亦、北方派ノ手中ニ移リ、且ツ政府資金ヲ以テ支弁セラレタル結果、恰モ同国ノ官設機関タルノ特質ヲ備フルニ至ル等、玆ニ会社ノ性格ハ全ク更新ヲ見ルニ至ル。
栄一、引続キ相談役トシテ在任歿年ニ及ブ。
尚、是年一月、北京政府ヨリ派遣セラレタル劉崇傑一行来日ス。
大正3年5月2日
(1914年)
第55巻 p.12-13(DK550002k)
是ヨリ先、栄一、中華民国大総統袁世凱ノ招請ニ応ジテ、同国ニ赴カントシ、病気ノタメ中止セシガ、是日、三男武之助及ビ明石照男・馬越恭平・尾高次郎等ヲ同伴シテ東京ヲ発シ、上海・南京等ヲ経テ、十九日北京ニ到ル。栄一、大総統袁世凱ヲ初メ、政府当局者及ビ当会社総裁楊子琦・専務取締役孫多森其他有力者ト会見シ、当会社ノタメ、及ビ広ク日中両国ノ経済提携ノタメ尽力スル所アリ、六月十五日帰京ス。
○中国旅行ニ関スル資料ハ本資料第三十二巻所収「中国行」ニ収ム。
大正4年3月31日
(1915年)
第55巻 p.14-16(DK550003k)
是月三十日、当会社取締役李士偉ノ来日ヲ機トシ、帝国ホテルニ於テ当会社晩餐会開カレ、栄一出席ス。是日栄一、李士偉ヲ飛鳥山邸ニ招キ、午餐会ヲ催ス。
大正4年5月18日
(1915年)
第55巻 p.16-18(DK550004k)
是日、帝国ホテルニ於テ、当会社相談役会開カル。栄一出席シ、四月二十日北京ニ於テ開催サレタル当会社定時株主総会ニ列席セル副総裁倉知鉄吉ノ報告ヲ聴取ス。
爾後栄一、当会社ニ赴キテ、副総裁倉知鉄吉・専務取締役尾崎敬義ト要談シ、又、当会社ノ諸会合ニ出席スル等、当会社ノタメ尽力ス。
大正4年10月17日
(1915年)
第55巻 p.18(DK550005k)
是日、当会社主催、栄一渡米送別会、帝国ホテルニ開カレ、栄一出席ス。
大正5年1月―12月
(1916年)
第55巻 p.18-20(DK550006k)
是年栄一、当会社副総裁倉知鉄吉等ト、屡々会談シ、又、相談役会ニ出席ス。
大正6年1月8日
(1917年)
第55巻 p.20-21(DK550007k)
是日栄一、当会社副総裁倉知鉄吉ノ来訪ニ接シ、当会社ノ状況ニ関スル報告ヲ聴取ス。爾後、屡々同様来訪ニ接ス。
大正6年12月2日
(1917年)
第55巻 p.21(DK550008k)
是日、当会社主催、中華民国人梁士詒歓迎晩餐会木挽町山口ニ開カレ、栄一出席ス。
大正7年1月12日
(1918年)
第55巻 p.21-22(DK550009k)
是日栄一、当会社副総裁倉知鉄吉ノ訪問ニ接シ、当会社経営ニ関スル報告ヲ聴取ス。爾後亦、当会社ノタメ種々尽力ス。
大正7年4月8日
(1918年)
第55巻 p.22(DK550010k)
是日、当会社主催、中華民国前総理唐紹儀招待晩餐会、帝国ホテルニ開カレ、栄一出席ス。
大正7年5月2日
(1918年)
第55巻 p.22(DK550011k)
是日栄一、当会社総裁李士偉一行ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ開ク。
大正7年5月―大正9年2月
(1918-1920年)
第55巻 p.22-23(DK550012k)
栄一、引続キ当会社経営ニツキ尽力ス。
大正9年5月2日
(1920年)
第55巻 p.23(DK550013k)
是日栄一、当会社取締役周晋鑣一行ヲ飛鳥山邸ニ招待シ、午餐会ヲ催ス。当日栄一病気ノタメ、阪谷芳郎代リテ接待ス。爾後ニ於テモ、栄一、当会社ノタメ、種々尽力ス。
大正11年11月24日
(1922年)
第55巻 p.24-25(DK550014k)
是日、当会社臨時株主総会ニ於テ、高木陸郎、取締役ニ選任セラレ、総会終了後ノ取締役会ニ於テ、倉知鉄吉ニ代リ副総裁ニ推挙セラル。栄一、之ニ与ル。
大正12年1月13日
(1923年)
第55巻 p.25-26(DK550015k)
是日及ビ二月二十四日、栄一、当会社副総裁高木陸郎ノ来訪ニ接シ、当会社経営ニ関シ要談ス。爾後亦、栄一、当会社ノタメ、尽力スル所少ナカラズ。
大正12年12月27日
(1923年)
第55巻 p.26-30(DK550016k)
是日栄一、駐支公使芳沢謙吉ヨリ、当会社副総裁高木陸郎ノ北京ニ於ケル行動ニ対スル世上一部ノ誤解ヲ解キ、且ツ、公使トシテ同人ノ北京滞留ヲ切望スル旨ノ書翰ニ接ス。翌年四月十六日、栄一、返書ヲ送ル。
大正13年5月15日
(1924年)
第55巻 p.30-36(DK550017k)
是日、東京銀行倶楽部ニ於テ、当会社相談役会開催セラル。栄一出席シテ、当会社設立ノ趣旨並ニ現状ヲ説明シテ、今後ノ経営方策ニ関シ種々協議ス。
大正13年11月26日
(1924年)
第55巻 p.36-44(DK550018k)
是日付書翰ヲ以テ、栄一、当会社専務取締役ヨリ、中華民国ノ政局変動ト当会社総裁袁乃寛・専務取締役呂均等、中華民国側重役ノ立場ニ関シ、北京滞在中ノ当会社副総裁高木陸郎ノ報告ニ接ス。爾後数次ニ亘リ、中華民国ノ政変ト当会社トノ関係、特ニ参戦借款・兵器借款ノ処置等ニ関シ、同様報告ニ接ス。
大正14年2月4日
(1925年)
第55巻 p.44-51(DK550019k)
是ヨリ先、当会社副総裁高木陸郎、北京ニ於テ中華民国執政段祺瑞ト会見シ、当会社ノタメ参戦・兵器両借款問題ノ解決促進方ヲ要望シ、又、王正廷トモ会見シテ、政局安定ノタメ、外交総長就任ヲ勧奨スル所アリ。是日栄一、当会社書翰ニヨリ、右会見顛末ノ報告ニ接ス。
大正14年9月30日
(1925年)
第55巻 p.51-57(DK550020k)
是ヨリ先、参戦・兵器両借款ノ整理問題ニ対シテハ、中華民国世論ノ反対激烈ヲ極メタルモ、当会社ニ於テ、同国政府当局ト交渉ヲ重ネタル結果、是月ニ至リ、漸ク解決ヲ見タルニツキ、十六日、当会社副総裁高木陸郎・取締役江藤豊二ハ、執政段祺瑞ヲ訪ヒテ謝意ヲ表ス。是日栄一、当会社書翰ニヨリ、右ニ関スル報告ニ接ス。
大正15年4月1日
(1926年)
第55巻 p.58-79(DK550021k)
是ヨリ先、中華民国ニ於ケル相踵グ動乱ノ影響ニヨリ、当会社ノ業績不振ニ陥ル。是年一月二十二日及ビ三月五日、栄一、当会社副総裁高木陸郎ノ来訪ニ接シ、其状況報告ヲ聴取ス。
是日、東京銀行集会所ニ於テ、当会社ノ根本的整理ニ関スル相談役会開カル。栄一出席シテ、之ガ協議ヲナシ、次イデ六日、相談役郷誠之助ト共ニ大蔵次官田健治郎ヲ訪ヒ、当会社ノ沿革及ビ現状ヲ説明シテ、参戦・兵器両借款取立ニ対スル当会社ノ代行手数料収受ニ関シ、政府当局ノ善処方ヲ懇請ス。
大正15年5月31日
(1926年)
第55巻 p.79-81(DK550022k)
是日栄一、当会社定時株主総会ニ出席ノタメ来日セル、専務取締役呂均ヲ飛鳥山邸ニ招待シテ、午餐会ヲ開ク。
右総会ハ、是月二十九日、日本工業倶楽部ニ於テ開カレ、取締役改選ノ結果、袁乃寛・高木陸郎・呂均等八名当選シ、総会終了後ノ取締役会ニ於テ、呂均、専務取締役ニ互選セラル。
大正15年6月29日
(1926年)
第55巻 p.81-84(DK550023k)
是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当会社相談役会開カル。栄一出席シ、当会社整理案ニ関シテ協議ヲナス。
大正15年8月19日
(1926年)
第55巻 p.84-86(DK550024k)
是日栄一、当会社副総裁高木陸郎ニ書翰ヲ送リ、当会社ノ経営上ニ関シ、駐支公使芳沢謙吉トノ会談ニツキ打合セヲナス。
昭和6年6月26日
(1931年)
第55巻 p.86-107(DK550025k)
是ヨリ先、当会社ノ中華民国政府ニ対スル電話借款ノ利払資源トシテ、同政府ハ、吉長鉄路ノ収益ヲ以テ之ニ充ツベキコトヲ約セシモ、実行セラレザルニツキ、当会社ハ、該鉄路ノ経営受託者タル南満洲鉄道株式会社ニ対シ、之ガ取立方ヲ要望シ、是日栄一、同会社総裁内田康哉以下首脳者ヲ、東京銀行倶楽部ニ招キテ種々懇談スルトコロアリ、次イデ七月二日、外務大臣幣原喜重郎ニ書翰ヲ送リテ、コノ間ノ斡旋ヲ依頼ス。
6款 日華実業協会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正4年5月7日
(1915年)
第55巻 p.108-140(DK550026k)
是ヨリ先、中華民国トノ国交極度ニ緊張シ、是日、総理大臣大隈重信ハ、栄一外各主要銀行代表者ヲ官邸ニ招キ、一朝有事ノ際ニ於ケル軍資調達ニツキ協力ヲ要請ス。栄一答辞ヲ述ブ。
外交交渉ハ、漸クニシテ妥結ヲ見ルニ至リタルモ、中華民国各地ニ日貸排斥運動起ル。仍ツテ六月二十六日、栄一、帝国ホテルニ於テ大倉喜八郎・井上準之助・大橋新太郎等ト会シ、之ガ善後策ニ関シ意見ヲ交換ス。
大正4年7月27日
(1915年)
第55巻 p.140-143(DK550027k)
是日、上野精養軒ニ於テ、東京商業会議所主催ノ日中交驩晩餐会開カル。栄一、出席シテ演説ヲナシ、両国親善ノタメ日中実業家ノ提携ノ緊要ナルヲ力説ス。更ニ是月、栄一、中華民国人孫宝琦及ビ楊士琦ニ書翰ヲ寄セ、両国実業家ノ提携ヲ図ルタメ、日中実業協会ノ設立ヲ提唱ス。
大正6年2月19日
(1917年)
第55巻 p.143-146(DK550028k)
是日、中華民国公使館ニ於テ、来日中ノ陸宗輿及ビ駐日公使章宗祥主催ノ晩餐会開カル。次イデ三月二十五日、栄一等我国有力実業家ノ発起ニヨリ、帝国劇場ニ於テ、中華民国特派大使汪大燮歓迎会開カル。更ニ四月十四日、上野精養軒ニ於テ、内務大臣兼鉄道院総裁後藤新平主催ニヨル、中華民国政府王交通次長一行歓迎園遊会開カル。栄一ソレゾレ出席ス。
大正9年2月20日
(1920年)
第55巻 p.146-165(DK550029k)
是ヨリ先、中華民国ニ於テハ、南北和平未ダ成ラズ、且ツ排日運動ハ益々熾ントナル。是日、東京商業会議所ニ於テ、全国商業会議所聯合大会ノ決議ニ基ク日貨排斥問題根本解決実行委員会開カレ、日中両国ノ共存共益ヲ図ルタメ、実業家ニヨル日支協会ノ組織等ヲ決議ス。
三月十三日、栄一、東京商業会議所副会頭杉原栄三郎等ヨリ、右協会設立ニツキ会長就任方ヲ懇請セラル。
大正9年6月18日
(1920年)
第55巻 p.165-171(DK550030k)
是日、帝国ホテルニ於テ、当協会創立総会開カル。栄一、病気ノタメ出席セズ。
栄一、右総会ニ於テ、会長ニ推挙セラレ、在任歿年ニ及ブ。
大正9年9月24日
(1920年)
第55巻 p.171-175(DK550031k)
是ヨリ先、当協会ハ、中華民国北部一帯ノ旱魃飢饉ニ因ル難民ノ救済ヲ決シ、屡々幹事会ヲ開キテ、之ガ方法ニ関シ協議ス。是日栄一、当協会会長トシテ、総理大臣原敬以下関係各大臣ト会見シ、政府ノ援助方ヲ陳情ス。
十一月初旬、当協会ハ、広ク全国ニ亘リ、義捐金募集ニ着手シ、翌十年一月十八日、当協会事務所ニ於テ、救済委員会ヲ開キ、右義捐金ノ使途ニツキ協議ス。栄一、会長トシテ出席ス。
大正9年12月15日
(1920年)
第55巻 p.175-177(DK550032k)
是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当協会主催ニヨリ、新任中華民国公使胡惟徳歓迎晩餐会開カル。栄一出席シ、会長トシテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。
大正10年6月15日
(1921年)
第55巻 p.177-185(DK550033k)
是日、帝国ホテルニ於テ、当協会第一回総会開カル。栄一出席シ、議長トナリテ、規則一部改正ノ件及ビ其他ノ議事ヲ司宰シ、且ツ、日中親善ニ関シ演説ヲナス。
尚、是ヨリ先、日中親善方策ニ関シ、当協会ヨリ政府当局ニ建議シタル趣旨ヲ公表スルニ決シ、是月二十一日ノ新聞紙上ニ発表セラル。
大正10年8月5日
(1921年)
第55巻 p.185-186(DK550034k)
是日、東京銀行倶楽部ニ於テ、当協会主催ニヨリ、中華民国大総統徐世昌ノ使節朱啓鈐一行歓迎会開カル。栄一出席シ、会長トシテ挨拶ヲ述ブ。
大正10年9月9日
(1921年)
第55巻 p.186-187(DK550035k)
是日、当協会幹事会開カル。栄一、会長トシテ出席シ、当協会ノ文化施設トシテ、中華民国ニ大学設置ノ件ニ関シ協議ス。翌十一年二月二日、臨時評議員会ヲ開キテ、更ニ協議ス。栄一出席ス。
大正10年10月9日
(1921年)
第55巻 p.187(DK550036k)
是日、帝国ホテルニ於テ、当協会主催、栄一ノ渡米送別会開カル。栄一出席ス。
大正11年6月23日
(1922年)
第55巻 p.187-193(DK550037k)
是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当協会評議員会、次イデ第二回総会開カル。栄一出席シ、議長トナリテ議事ヲ司宰ス。
大正11年8月28日
(1922年)
第55巻 p.193-196(DK550038k)
是月二十一日、栄一、渋沢事務所ニ於テ、中華民国実業家張謇ノ特使章亮元・張同寿・陳儀ノ来訪ニ接シ、通州ニ於ケル棉花栽培等ノ事業資金融通ニツキ援助ヲ請ハル。二十三日、当協会幹事会ニ於テ評議ノ結果、我国紡績業者ノ協力ヲ求ムルニ意見一致シ、是日栄一、東洋紡績株式会社社長斎藤恒三ニ書翰ヲ送リ、右ニ関シ打合セノタメ上京ヲ促ス。
大正11年12月5日
(1922年)
第55巻 p.196-199(DK550039k)
是日、当協会幹事会ニ於テ、青島商科大学ノ設置ニ関シ協議ス。栄一会長トシテ出席ス。
爾後、当協会ニ於テハ、之ガ開校ニツキ諸般ノ準備ヲ進メツツアリシ所、翌十二年九月一日ノ関東大震災ニ遭遇シ、該計画ハ、当分延期ノ已ムナキニ至ル。
大正12年6月11日
(1923年)
第55巻 p.199-209(DK550040k)
是ヨリ先、中華民国ニ於ケル排日運動頓ニ熾烈トナリ、日中関係ニ重大ナル悪影響ヲ及ボスニ至ル。是日栄一、副会長和田豊治ト共ニ、当協会ヲ代表シテ、外務大臣内田康哉ト会見シ、当局ノ強硬態度ヲ要望ス。十四日、当協会幹事会ニ於テ、更ニ之ガ対策協議ノ上、十九日、日本工業倶楽部ニ、外務省亜細亜局長出淵勝次等外務省当局ヲ招キテ、当協会側ト意見ノ交換ヲ行フ。栄一、ソレゾレ出席ス。
二十五日、東京商業会議所ニ於テ、当協会・東京商業会議所及ビ東京実業組合聯合会ノ合同協議会開カル。栄一出席シ、座長トナリテ、排日運動防止対策ニ関スル議事ヲ司ル。
次イデ七月三日、当協会幹部ハ、東京銀行集会所ニ於テ、外務次官田中都吉・駐支公使芳沢謙吉・通商局長永井松三・亜細亜局長出淵勝次等外務省当局ト会シ、協議ス。栄一、会長トシテ出席シ、排日排日貨運動ニ対スル当協会ノ声明書ヲ発表ス。
大正12年7月8日
(1923年)
第55巻 p.209-217(DK550041k)
是日、華族会館ニ於テ、対支国民同盟会・全国商業会議所聯合会・東京実業組合聯合会及ビ当協会ノ各代表者相会シ、排日問題ニ対スル輿論喚起ノタメ、右四団体共催ニヨル対支聯合大会ノ開催ニツキ協議ス。栄一出席シ、実行委員ニ挙ゲラル。
十三日、東京会館ニ於テ、右実行委員会開カレ、引続キ、新聞記者等招待会開カル。栄一、ソレゾレ出席ス。
十五日、日本工業倶楽部ニ於テ、右対支聯合大会開カル。栄一出席シテ、開会ノ辞ヲ述ブ。
大正12年10月2日
(1923年)
第55巻 p.217-224(DK550042k)
是年八月、天津商務総会総弁卞蔭昌外四名連署ニヨリ、栄一ニ宛テ、両国親善増進ヲ期スルタメ、当協会トノ提携申出アリ。
是日栄一、当協会幹事会ニ出席シ、右申出及ビ関東大震災ニ対スル中国官民ノ同情ニ対スル感謝決議ニツキ協議ス。次イデ四日、幹事会ヲ続開シ、天津総領事吉田茂ヲ招待シテ協議ヲ重ネ、六日付ヲ以テ前記五名ニ宛テ回答書ヲ発送ス。
大正12年11月7日
(1923年)
第55巻 p.224-247(DK550043k)
中華民国漢口方面ニ於ケル排日運動ニ関シ、日本綿花株式会社及ビ日華製油株式会社社長喜多又蔵ヨリ、当協会会長タル栄一ニ対シ、是日付書翰ヲ以テ其実情ヲ報告シ、局面打開ニツキ当協会ノ尽力ヲ要望シ来タル。十九日、当協会幹事会ヲ開キ、之等ノ件ニ関シ協議ス。栄一出席ス。
大正12年11月8日
(1923年)
第55巻 p.247-248(DK550044k)
是日当協会、東京銀行倶楽部ニ於テ、関東大震災慰問ノタメ来日セル、中華民国人袁良ヲ招待シテ午餐会ヲ催ス、栄一、出席シテ挨拶ヲナス。
大正12年12月1日
(1923年)
第55巻 p.248-256(DK550045k)
是ヨリ先、関東大震災ノ際ニ於ケル中華民国人誤殺事件取調ノタメ、同国宗教家兪顕蔭及ビ包承志来日ス。是日、東京銀行倶楽部ニ於テ、当協会及ビ日華学会ノ共催ニヨリ、右両名招待午餐会開カル。栄一出席ス。
引続キ同所ニ於テ、栄一、当協会会長トシテ、外務大臣伊集院彦吉以下外務当局者ト会見シ、前記事件及ビ其他当面ノ中華民国関係諸問題ニ関シ、要談ス。
七日栄一、華族会館ニ於テ開カレタル、日華学会主催ノ中華民国人誤殺事件報告会ニ出席シ、十日、外務大臣伊集院彦吉ヲ官邸ニ訪ヒ、右事件ニ関シ進言ス。
大正12年12月22日
(1923年)
第55巻 p.256-257(DK550046k)
是日栄一、当協会及ビ日華学会ヲ代表シテ、中華民国前外交総長王正廷ノ一行ヲ、飛鳥山邸ニ招待シテ午餐会ヲ開ク。
大正12年12月24日
(1923年)
第55巻 p.257-266(DK550047k)
是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当協会評議員会及ビ第三回総会開カル。栄一出席シ、会長トシテ議事ヲ司宰ス。
大正13年1月21日
(1924年)
第55巻 p.266-267(DK550048k)
是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当協会及ビ日華学会ノ共同主催ニヨリ、中華民国人魯嗣香・李伯勲歓迎晩餐会開カレ、栄一出席ス。次イデ二十三日栄一、右両名ヲ飛鳥山邸ニ招キテ、午餐会ヲ催ス。
大正13年2月23日
(1924年)
第55巻 p.267-269(DK550049k)
是日栄一、当協会幹事会ニ出席シ、中日両国民親交機関ノ設置ニ関シ協議ス。
大正13年3月8日
(1924年)
第55巻 p.269-271(DK550050k)
是日、当協会副会長和田豊治ノ告別式ニ当リ、栄一、当協会会長トシテ弔辞ヲ贈ル。
大正13年3月31日
(1924年)
第55巻 p.271-275(DK550051k)
是日栄一、当協会幹事会ニ出席シ、日中両国民ノ親交機関設置ニ関シ協議シ、右設置促進ノタメ、当協会代表トシテ、幹事角田隆郎ヲ、中華民国各地ニ特派スルコトヲ決ス。角田隆郎ハ、四月十八日東京ヲ出発シ、上海・漢口・北京・天津・奉天ノ各地ヲ経テ、六月十七日帰京ス。
大正13年3月31日
(1924年)
第55巻 p.275-276(DK550052k)
是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当協会・日華学会・東亜同文会共同主催ニヨル、中華民国学生視察団一行歓迎会開カル。栄一出席シ、主催者ヲ代表シテ挨拶ヲ述ブ。
大正13年4月28日
(1924年)
第55巻 p.276-277(DK550053k)
是ヨリ先、中華留日基督教青年会総幹事馬伯援、前年九月一日ノ関東大震災直後、中華民国各地ヲ歴訪シテ其実情ヲ伝ヘ、対日同情ノ喚起ト、日中両国民ノ感情融和ニ尽力ス。栄一等発起人トナリ、是日、馬伯援ヲ東京銀行倶楽部ニ招待シテ、慰労午餐会ヲ開ク。栄一、発起人ヲ代表シテ挨拶ヲ述ブ。
大正13年6月17日
(1924年)
第55巻 p.277-292(DK550054k)
是ヨリ先、上海中華学芸社ニ於テ学芸大学設立ヲ計画シ、同籌備委員会委員長王兆栄ヨリ当協会ニ対シ、其設立資金ノ援助方依頼アリ。之ト前後シテ、上海総商会会長宋漢章・副会長方積蕃ヨリ、我国ニ於ケル中華民国人労働者ノ入国制限緩和方ニツキ要請アリ。是日、当協会幹事会ヲ開キ、右二件ニ関シ協議ス。栄一、会長トシテ出席ス。
次イデ二十一日、三十日及ビ七月九日ノ幹事会ニ於テ、継続協議ヲ行フ。栄一、ソレゾレ出席ス。
大正13年7月21日
(1924年)
第55巻 p.292-295(DK550055k)
是ヨリ先、中華民国側ニ於テ、青島大学設立ノ企図アリ、右ニ関シ、是月十四日付書翰ヲ以テ、外務省対支文化事務局長出淵勝次ヨリ、之ガ助成方ニ関スル当協会ノ意見照会アリ。是日、当協会幹事会ヲ開キテ協議ス。栄一、出席ス。右協議ノ結果ニ基キ、八月九日付書翰ヲ以テ回答ス。
大正13年9月2日
(1924年)
第55巻 p.295-298(DK550056k)
是ヨリ先、外務省亜細亜局長出淵勝次ヨリ、八月二十六日付書翰ヲ以テ、青島旭兵営ヲ中華民国側ニ返還ノ件ニ関シ、当協会ノ意見照会アリ。是日、当協会幹事会ヲ開キテ協議ス。栄一、病気ノタメ出席セズ。五日栄一、当協会幹事角田隆郎ヨリ、右協議ノ結果ニツキ報告ヲ受ク。
大正13年10月7日
(1924年)
第55巻 p.298-300(DK550057k)
是日栄一、当協会幹事会ニ出席シ、漢口居留民会及ビ行政委員会ヨリ政府ニ対シ請願ノ低利資金貸下ニ関スル件、中華民国ニ対スル時局問題等ニツキ協議ス。
八日、日本工業倶楽部ニ於テ開カレタル、有志実業家ノ会合ニハ、栄一病気ノタメ、当協会幹事白岩竜平ヲ代理トシテ出席セシメ、対中時局問題ニ関スル意見ヲ伝達セシム。
大正13年11月12日
(1924年)
第55巻 p.300-309(DK550058k)
是ヨリ先、上海・漢口・安東ノ各日本人商業会議所、当協会ニ対シ、中華民国ニ於ケル我商務官制度ノ存続方ニツキ、当協会ノ尽力ヲ依頼シ来ル。
是日栄一、当協会幹事会ニ出席シ、右ノ件及ビ副会長後任者推挙ノ件等ニツキ協議ス。
二十四日、東京商業会議所ニ於テ、当協会・日華学会・商業会議所聯合会ノ各委員会合シ、中華学芸社学芸大学設立資金援助方ニ関シ協議ス。
大正13年12月26日
(1924年)
第55巻 p.309-312(DK550059k)
是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当協会評議員会並ニ第四回総会開カル。栄一病気ノタメ出席セズ。
欠員中ノ副会長・幹事及ビ評議員ノ補欠選挙ニツイテハ、会長タル栄一ニ一任セラル。
大正14年2月27日
(1925年)
第55巻 p.312-313(DK550060k)
是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当協会幹事会ヲ開キ、新任ノ外務省亜細亜局長木村鋭市及ビ北京公使館一等書記官重光葵ヲ招待ス。栄一出席シ、当協会ノ沿革及ビ目的ヲ述ベタル後、中華民国関係諸問題ニツキ意見ノ交換ヲ行フ。
大正14年3月13日
(1925年)
第55巻 p.313-314(DK550061k)
是月十二日孫逸仙逝去ス。是日栄一、当協会ヲ代表シテ弔電ヲ発ス。
大正14年5月23日
(1925年)
第55巻 p.314-320(DK550062k)
是年三月十六日、雲南省大理地方ニ震災アリ、是日、当協会幹事会ヲ開キ、義捐金募集ノ議ヲ定ム。栄一、病気ノタメ出席セズ。六月十八日当協会、右募集義捐金四千円ヲ、外務省ヲ通ジテ送付ス。
大正14年7月8日
(1925年)
第55巻 p.320-352(DK550063k)
是ヨリ先、上海邦人経営紡績工場ノ罷業起リ、之ヲ動機トシテ中華民国各地ニ於ケル排外運動熾烈トナル。当協会ニ於テハ、幹事会ヲ開キテ、之ガ対策ヲ議シ、是日、政府当局ニ意見書ヲ提出シ、二十二日、再度意見書ヲ提出ス。栄一会長トシテ之ニ与ル。
大正14年8月16日
(1925年)
第55巻 p.352-353(DK550064k)
是ヨリ先、栄一、馮玉祥ノ中日親善ヲ説ケル書翰ニ接シ、是日返書ヲ送ル
大正14年9月16日
(1925年)
第55巻 p.353-354(DK550065k)
是日栄一、当協会会長トシテ、中華民国政府ヨリ、大正九年同国北部五省ノ飢饉救済ニ対スル功労表彰トシテ、大総統扁額ヲ、我外務省ヲ経テ贈ラル。
大正14年9月25日
(1925年)
第55巻 p.354-383(DK550066k)
是年十月下旬、北京ニ於テ開カルベキ中華民国特別関税会議ニ関シ、当協会ハ屡次幹事会ヲ開キテ、之ガ対策ヲ議シ、是日、副会長児玉謙次ヨリ、当協会意見書ヲ外務省当局ニ提出ス。
次イデ二十九日、全権大使トシテ右会議ニ赴クベキ日置益ヲ、東京銀行倶楽部ニ招待シテ、懇談会ヲ催ス。栄一、病気静養中ナリシモ、特ニ出席ス。
大正14年10月30日
(1925年)
第55巻 p.383-388(DK550067k)
是ヨリ先、中華学芸社及ビ上海日本商業会議所ヨリ、当協会ニ対シ、学芸大学資金援助方依頼アリ、是日、当協会幹事会ヲ開キテ協議ス。栄一、会長トシテ之ニ与ル。
大正14年11月6日
(1925年)
第55巻 p.388-389(DK550068k)
是日栄一、当協会会長トシテ、来日中ノ上海総商会董事王一亭ヲ、飛鳥山邸ニ招待シテ午餐会ヲ催ス。
大正14年12月23日
(1925年)
第55巻 p.389-392(DK550069k)
是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当協会評議員会及ビ第五回総会開カル。栄一出席シ、議長トシテ議事ヲ司宰ス。
大正15年1月13日
(1926年)
第55巻 p.392-402(DK550070k)
是日栄一、当協会会長トシテ、北京燕塵社ヨリ「馮玉祥氏解剖」ト表記スル資料ヲ内送セラル。
大正15年1月16日
(1926年)
第55巻 p.402(DK550071k)
是日栄一、当協会会長トシテ、来日中ノ中華民国東魯学校校長夏継泉一行ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正15年1月27日
(1926年)
第55巻 p.402-409(DK550072k)
是月二十日付ノ書翰ヲ以テ、上海駐在商務書記官代理加藤日吉ヨリ、当協会ニ対シテ、上海商工館設置ニ援助方依頼アリ。是日、当協会幹事会ヲ開キテ、之ニ関シ協議ス。栄一、会長トシテ之ニ与ル。
大正15年2月1日
(1926年)
第55巻 p.409-411(DK550073k)
是日、東京銀行倶楽部ニ於テ、当協会幹事会開カル。栄一出席シ、外務省通商局長佐分利貞男等ヨリ、中華民国特別関税会議ノ模様及ビ同国政情ノ報告ヲ聴キ、右ニ関スル意見ノ交換ヲナス。
大正15年2月19日
(1926年)
第55巻 p.411-413(DK550074k)
是日栄一、当協会書記長油谷恭一ノ来訪ニ接シ、中華民国特別関税会議ニ関シ、重ネテ当協会ヨリ政府当局ニ提出スベキ意見書ノ閲覧ヲ請ハル。
大正15年3月30日
(1926年)
第55巻 p.413-414(DK550075k)
是日栄一、当協会幹事会ニ出席シ、当協会幹事角田隆郎ノ中華民国旅行談ヲ聴ク。
大正15年4月17日
(1926年)
第55巻 p.414-415(DK550076k)
是日栄一、当協会会長トシテ、上海実業団一行十八名ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ、茶菓ノ饗応ヲナス。
大正15年5月29日
(1926年)
第55巻 p.416(DK550077k)
是日、当協会事務所ニ於テ幹事会開カル。栄一出席シ、外務省木村亜細亜局長ヨリ、中華民国特別関税会議ノ経過報告ヲ聴ク。
大正15年6月5日
(1926年)
第55巻 p.416-436(DK550078k)
是ヨリ先、上海総商会会長虞洽卿ヲ団長トスル中華民国実業団来日ノ報アリ、五月十四日及ビ二十四日、当協会幹事会ヲ開キ、其款待方ニツキ協議ス。栄一、ソレゾレ出席ス。
是日、当協会及ビ日華懇話会ノ共同主催ニヨリ、飛鳥山邸ニ於テ、右一行歓迎午餐会開カル。栄一、主催者ヲ代表シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。同日夜、東京銀行倶楽部ニ於テ、当協会幹事ト実業団代表者トノ懇談会開カレ、栄一出席ス。
次イデ八日、栄一、虞洽卿等ヲ飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催シ、当協会副会長児玉謙次等ト共ニ、日中親善方策ニ関シ、意見ノ交換ヲナス。
大正15年6月11日
(1926年)
第55巻 p.436(DK550079k)
是日、当協会事務所ニ於テ幹事会開カレ、栄一出席ス。
大正15年6月21日
(1926年)
第55巻 p.436-437(DK550080k)
是日栄一、当協会会長トシテ、中華民国画家代表金紹城・周肇祥外九名ヲ、飛鳥山邸ニ招待シテ、午餐会ヲ催ス。
大正15年7月6日
(1926年)
第55巻 p.437(DK550081k)
是日及ビ九月九日、当協会事務所ニ於テ幹事会開カレ、栄一ソレゾレ出席ス。
大正15年8月16日
(1926年)
第55巻 p.437-441(DK550082k)
是ヨリ先、当協会、中華学芸社ノ学芸大学資金援助ニツキ尽力中ノトコロ、是日、上海日本商業会議所ヲ経テ、金二万五千円ヲ寄贈ス。栄一、会長トシテ之ニ与ル。
大正15年11月24日
(1926年)
第55巻 p.441(DK550083k)
是日栄一、東方文化事業総会ニ出席ノタメ来日セル、中華民国側委員王樹枬外各委員ヲ、飛鳥山邸ニ招待シテ、午餐会ヲ催ス。
大正15年12月7日
(1926年)
第55巻 p.441-444(DK550084k)
是日栄一、当協会幹事会ニ出席シ、是年末開催スベキ総会及ビ評議員会ハ之ヲ省略シ、文書ヲ以テ、会計報告・次年度予算、並ビニ任期満了役員ノ重任ニツキ、会員ノ承認ヲ求ムルコトヲ申合ハス。
大正15年12月10日
(1926年)
第55巻 p.444-448(DK550085k)
是日、当協会、外務省亜細亜局長木村鋭市等ノ出席ヲ求メテ、幹事会ヲ開ク。栄一出席シ、中華民国時局問題ニ開シ、意見ノ交換ヲナス。
昭和2年1月14日
(1927年)
第55巻 p.448-451(DK550086k)
是ヨリ先、当協会幹事会ニ於テ、中華民国ノ時局問題ニツキ、協議ヲ重ネタル上、是日「支那時局ニ対スル声明書」ヲ発表ス。栄一、会長トシテ之ニ与ル。
昭和2年2月10日
(1927年)
第55巻 p.451-455(DK550087k)
是日、東京銀行倶楽部ニ於テ、当協会評議員会開カル。栄一出席シ、中華民国時局ニ対スル方策ニツキ、意見ノ交換ヲナス。十六日、幹事会ニ於テ、右ニ関スル当協会意見書ヲ取纏メ、十七日、之ヲ政府当局ニ建議ス。
昭和2年2月21日
(1927年)
第55巻 p.455-457(DK550088k)
是日栄一、当協会事務所ニ於ケル幹事会ニ出席シ、外務省通商局長佐分利貞男ヨリ、中華民国視察談ヲ聴キタル後、同国ノ政情及ビ関税会議等ニ関シ、意見ノ交換ヲナス。
昭和2年3月17日
(1927年)
第55巻 p.457-458(DK550089k)
是日、東京銀行倶楽部ニ於テ、当協会関係有志実業家ニヨリ、中華民国国民党赴日専使戴天仇招待午餐会開カレ、栄一出席ス。
次イデ二十一日、栄一、戴天仇ヲ飛鳥山邸ニ招キテ、午餐会ヲ催ス。
昭和2年4月2日
(1927年)
第55巻 p.458-469(DK550090k)
是ヨリ先、南京事件等相次イデ起リ、長江流域在留邦人ノ生命財産、危殆ニ瀕スルニ至ル。当協会、幹事会ヲ開キテ、之ガ対策ヲ協議シ、是日栄一、総理大臣若槻礼次郎及ビ外務大臣幣原喜重郎ヲ訪ヒテ、政府ノ緊急善処方ヲ要望シ、同日ノ幹事会ニ右会見顛末ヲ報告ス。
次イデ、天津日本人商業会議所ヨリモ、同地方ノ危局対策ニツキ、当協会ノ協力要請ノ来電アリ、十三日及ビ十八日、幹事会ヲ開キテ種々協議ヲナス。栄一、ソレゾレ出席ス。翌十九日、当協会、「支那時局ニ対スル声明書」ヲ各新聞紙上ニ発表ス。
昭和2年5月10日
(1927年)
第55巻 p.469-475(DK550091k)
是ヨリ先、長江流域ニ於ケル治安益々乱レ、同地域在留邦人代表及ビ漢口日本商業会議所等ヨリ、当協会ニ対シ、ソレゾレ現地ノ実情ヲ報ズルト共ニ、政府ノ積極的対策ヲ要望シ来タル。是日栄一、当協会幹事会ニ出席シテ、右ニ関シ協議ヲナシ、翌十一日、副会長児玉謙次・幹事喜多又蔵ト共ニ、総理大臣兼外務大臣田中義一ト会見シテ、現地ヨリノ情報ヲ伝ヘ、政府ノ善処ヲ要請ス。
二十四日栄一、当協会幹事会ニ出席シ、長野朗ノ中華民国北部視察談ヲ聴取ス。
昭和2年6月7日
(1927年)
第55巻 p.475-478(DK550092k)
是ヨリ先、南京・重慶・杭州・漢口・上海等長江流域在留邦人代表ハ、政府当局ニ対シ、避難邦人ノ救済ト、積極的対中政策ノ推進トヲ陳情シ、其実現ニツキ、当協会ノ尽力ヲ要望ス。是日栄一、当協会幹事会ニ於テ、幹事角田隆郎ノ長江方面視察談ヲ聴取シ、翌八日、副会長児玉謙次等ト共ニ、兼摂外務大臣田中義一ヲ訪ヒ、中華民国ノ時局ニ関シ、種々意見ノ交換ヲナス。
昭和2年6月28日
(1927年)
第55巻 p.478-481(DK550093k)
是日及ビ七月五日、九日ノ三回ニ亘リ、当協会ニ於テハ、要務ノタメ帰国中ノ中華民国駐箚公使芳沢謙吉等ヲ、東京銀行倶楽部及ビ築地新喜楽ニ招キテ、懇談会ヲ開キ、時局ニ関シ意見ノ交換ヲナス。栄一、ソレゾレ出席ス。
尚、七月二日栄一、当協会事務所ニ於テ開カレタル幹事会ニモ出席シ、漢口民団及ビ漢口日本商業会議所ヲ代表シテ上京中ノ後藤富賀美・近藤宗治ヨリ、現地ノ近況ヲ聴取ス。
昭和2年8月6日
(1927年)
第55巻 p.481-486(DK550094k)
是ヨリ先、中華民国ニ於ケル不当課税問題及ビ排日風潮起ル。是日栄一、当協会幹事会ニ出席シ、最近上海ヨリ帰京セル幹事荻野元太郎ヨリ、右ニ関スル報告ヲ聴取シタル後、対支商権擁護聯盟大会ニ、当協会代表者出席ノ件ニツキ協議ス。
次イデ十六日、日本工業倶楽部ニ於テ、当協会・対支商権擁護聯盟及ビ上海日本商業会議所ノ各代表者懇談会開カレ、東京ニ於ケル聯盟運動方法等ニ関シ協議ス。
昭和2年10月26日
(1927年)
第55巻 p.486-487(DK550095k)
是日栄一、飛鳥山邸ニ於テ、中華民国前国民革命軍総司令蒋介石及ビ前南京政府総参議張群ノ来訪ニ接シ、更ニ十一月四日、東京銀行倶楽部ニ於テ、当協会副会長児玉謙次・幹事白岩竜平ト共ニ、再応会見シ、相互意見ノ交換ヲナス。
昭和2年12月6日
(1927年)
第55巻 p.487-488(DK550096k)
是日栄一、当協会幹事会ニ出席シ、中華民国ノ不当課税問題等ニ関シ協議シ、次イデ、是年ノ総会ハ之ヲ省略シ、会務報告及ビ会計報告ハ、文書ヲ以テナスコト等ヲ申合ス。
昭和3年1月9日
(1928年)
第55巻 p.488-489(DK550097k)
是日栄一、飛鳥山邸ニ於テ、中華民国要人王正廷ノ特使崔士傑ノ来訪ヲ受ケ、我国ノ山東出兵ノ事ニ関シ、王正廷ノ内意ヲ伝達セラル。十三日栄一、総理大臣兼外務大臣田中義一ヲ官邸ニ訪ヒ、右来訪ノ要旨ニ関シ進言ス。
次イデ二十日、栄一、当協会幹事会ニ出席シテ、之ヲ報告シ、且ツ時局諸問題ニ関シ、意見ノ交換ヲナス。
昭和3年3月23日
(1928年)
第55巻 p.489-496(DK550098k)
是ヨリ先、栄一、累次当協会幹事会ニ出席シ、中華民国ノ時局諸問題ニ関シ協議ヲ重ネ、是日、副会長児玉謙次・幹事白岩竜平ト共ニ総理大臣兼外務大臣田中義一ト会見シテ、中華民国南北和平ノ勧告及ビ関税会議ノ再開促進等ニ関シ進言ス。
次イデ三十日、栄一、当協会幹事会ニ於テ、右会見ノ顛末ヲ報告シタル後、更ニ意見ノ交換ヲナス。同日、当協会ハ「支那関税問題並ニ時局ニ関スル意見書」ヲ発表シ、政府当局及ビ一般各方面ニ之ヲ送付ス。
昭和3年5月18日
(1928年)
第55巻 p.496-502(DK550099k)
是ヨリ先、当協会、屡々幹事会ヲ開キテ、中華民国関係諸問題ニ関スル協議ヲ重ネ、又、日本商工会議所・日本経済聯盟・大日本紡績聯合会トノ共同主催ニヨリ、支那問題聯合協議会ヲ開キ、是日、四団体連名ヲ以テ「支那問題ニ関スル決議」ヲ発表ス。是間栄一、病気ノタメ出席セズ。
昭和3年6月13日
(1928年)
第55巻 p.502-505(DK550100k)
是日及ビ爾後、屡々、当協会幹事会開カレタルモ、栄一、病気ノタメ出席セズ。
昭和3年9月11日
(1928年)
第55巻 p.505-508(DK550101k)
是日、当協会、中華民国関税問題ニ関シ、日華経済協会トノ連名ヲ以テ、外務大臣田中義一宛意見書ヲ提出ス。栄一、会長トシテ之ニ与ル。
昭和3年12月7日
(1928年)
第55巻 p.508-509(DK550102k)
是年末開カルベキ当協会総会ハ、之ヲ省略シ、会務報告及ビ収支報告ハ文書ニ依ルコトトシ、是日栄一、会長トシテ会員ニ対シ、書翰ヲ以テ其承認ヲ求ム。
昭和4年8月14日
(1929年)
第55巻 p.509-521(DK550103k)
是ヨリ先、当協会、屡々幹事会ヲ開キテ、中華民国関係諸問題ニツキ協議シ、特ニ通商条約改訂問題ニ関シテハ、日本経済聯盟会ト連合ノ特別調査委員会ヲ設ケテ審議ヲ重ネ、「日支通商条約改訂ニ関スル意見書」ヲ作成ス。是日栄一、箱根小湧谷三河屋旅館ニ於テ、当協会書記長油谷恭一ノ来訪ヲ受ケ、委員会審議ノ経過等ニ関シ、説明ヲ聴取ス。右意見書ハ、両団体会長ノ連名ヲ以テ、政府当局ニ提出セラル。
昭和4年10月22日
(1929年)
第55巻 p.521-524(DK550104k)
是ヨリ先、当協会、中華民国ニ於ケル日貨排斥運動ニ関シ、協議ヲ重ヌルトコロアリ、是日、会長栄一ノ名ヲ以テ、太平洋問題調査会第三回会議理事長新渡戸稲造ニ対シ、右問題ヲ会議ノ議題トシテ討議サルルコトヲ提議ス。
昭和4年12月10日
(1929年)
第55巻 p.524-526(DK550105k)
是月末開催セラルベキ当協会総会ハ、之ヲ省略シ、当年度会務報告・収支報告及ビ次年度予算並ニ役員改選ニツイテハ、文書ニ依リ承認ヲ求ムルコトトナリ、是日栄一、会長トシテ会員ニ対シ、右ニ関シ書翰ヲ発ス。
昭和5年7月29日
(1930年)
第55巻 p.526-534(DK550106k)
是年開カレタル当協会幹事会ニハ、栄一、病気等ノタメ殆ンド出席セザリシモノノ如シ。
是日栄一、飛鳥山邸ニ於テ、日本基督教青年会同盟ノ招待ニヨリ来日中ノ、中華民国大学生一行ヲ引見ス。
昭和5年12月20日
(1930年)
第55巻 p.534-536(DK550107k)
是日栄一、当協会会長トシテ会員ニ対シ、是年末開カルベキ総会ハ之ヲ省略シ、当年度会務報告及ビ収支報告並ニ次年度予算ハ、文書ニ依リ承認ヲ求メタキ旨ノ書翰ヲ発ス。
昭和6年1月―9月
(1931年)
第55巻 p.536-537(DK550108k)
是間開カレタル当協会幹事会ニハ、栄一、静養中ノタメ出席セザリシモノノ如シ。
昭和6年7月
(1931年)
第55巻 p.537(DK550109k)
是月栄一、当協会編「支那近代の政治経済」ニ序文ヲ寄ス。右ハ是年十二月刊行サル。
昭和6年11月15日
(1931年)
第55巻 p.537-538(DK550110k)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、当協会ヨリ弔詞ヲ贈ル。
昭和6年12月11日
(1931年)
第55巻 p.538(DK550111k)
是日、東京市公会堂ニ於テ、当協会及ビ日本経済聯盟会・日本工業倶楽部・東京銀行倶楽部・東京商工会議所合同主催ニヨル「故渋沢子爵追悼会」開カル。
7款 支那銀行設立問題
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治45年1月12日
(1912年)
第55巻 p.539-540(DK550112k)
是ヨリ先、栄一、生産調査会委員トシテ、支那銀行設立問題ニ関与スルトコロアリ、是日及ビ十五日、飛鳥山邸ニ於テ、阪谷芳郎ト同問題ニツキ協議ヲ重ネ、次イデ十七日、桂太郎及ビ外務大臣内田康哉ヲソレゾレ訪問シテ、右ニ関シ要談ス。
○生産調査会ニ関スル資料ハ、本資料第五十六巻ニ収ム。
大正5年8月27日
(1916年)
第55巻 p.540-547(DK550113k)
是日栄一、欧米旅行中ノ阪谷芳郎ニ書翰ヲ送リ、ニュー・ヨークニ於テ、フランク・エー・ヴァンダーリップ及ビジャッジ・エルバート・エッチ・ゲーリート会見ノ上、中国ニ日米共同出資ノ銀行設立ニ関シ、懇談センコトヲ依頼ス。九月十八日、栄一、右ニ関シ、重ネテ阪谷芳郎ニ書翰ヲ送ル。
8款 雑 1. 株式会社金福鉄路公司
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第55巻 p.548-549(DK550114k)
--
8款 雑 2. 竜口銀行
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第55巻 p.549(DK550115k)
--
3節 其他ノ外国
1款 株式会社馬来護謨公司
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正元年10月19日
(1912年)
第55巻 p.550-562(DK550116k)
是ヨリ先、栄一後援ノ下ニ、当会社設立ノ計画進ミ、是日、帝国鉄道協会ニ於テ、創立総会開カル。栄一、株主トナリ、爾後当会社ノタメ尽力ス。
大正二年四月、増田明六ヲ現地ニ派遣シテ視察セシム。
2款 伯剌西爾拓殖株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正元年11月7日
(1912年)
第55巻 p.563-571(DK550117k)
是ヨリ先、当会社設立ノ計画進ミ、是日、東京商業会議所ニ於テ、創立相談会開カル。栄一出席シテ、設立ノ趣旨ヲ述ブ。次イデ二年一月十三日、栄一、当会社ノ設立ニ関シ、外務大臣官邸ニ於テ開カレタル集会ニ出席シ、近藤廉平・中野武営・大橋新太郎等九名ト共ニ、創立準備委員ニ挙ゲラル。
大正2年3月10日
(1913年)
第55巻 p.571-583(DK550118k)
是日、東京商業会議所ニ於テ、当会社創立総会開カル。栄一出席シ、議長トナリテ議事ヲ司宰ス。栄一、当会社名誉顧問ニ推サレ、爾後当会社ノタメ尽力スルトコロ少ナカラズ。
大正六年十二月、当会社ハ、我国移民事業統合ノタメ設立セラレタル、海外興業株式会社ニ合併セラル。其後ニ於テモ栄一、移民事業ノタメ種々尽力ス。
3款 日新護謨株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正2年6月
(1913年)
第55巻 p.584-601(DK550119k)
是月、当会社設立セラル。栄一、株主トナリ、増田明六、取締役ニ就任ス。
大正四年六月二十六日、栄一、当会社株主総会ニ出席ス。
大正十四年十一月二十日、栄一、飛鳥山邸ニ於テ、増田明六ヨリ、当会社シンガポール護謨園売却ニ関シ報告ヲ受ク。
当会社ハ、昭和六年七月二十三日開催ノ臨時株主総会ニ於テ、解散決議ヲナス。
4款 智利漁業株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正3年7月23日
(1914年)
第55巻 p.602-603(DK550120k)
是ヨリ先、栄一、近藤廉平・浅野総一郎・岡十郎等ト共ニ、当会社設立発起人トナリ、是日、帝国ホテルニ於テ開カレタル発起人会ニ出席ス。次イデ九月十二日、東京商業会議所ニ於テ開カレタル発起人会ニモ、栄一出席ス。
5款 メキシコ共和国コロラド河流域開拓事業
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正11年10月12日
(1922年)
第55巻 p.604-608(DK550121k)
是日栄一、飛鳥山邸ニ於テ、アメリカ合衆国人ヘンリ・チェンバレン、ジェー・シー・アリソン等ノ来訪ニ接シ、当事業ノ日米共同経営ニ関シ提議ヲ受ク。更ニ十七日、栄一、渋沢事務所ニ於テ、右両名等ト会見シ、当事業ノ企画ニ関スル説明ヲ聴取ス。
大正11年10月20日
(1922年)
第55巻 p.608-610(DK550122k)
是日栄一、浅野総一郎・福井菊三郎等六名ヲ、東京銀行倶楽部ニ招キ、ヘンリ・チェンバレン及ビジェー・シー・アリソンヲ紹介シタル後、当事業ノ大要ニツキ談話ス。
十二年二月九日、栄一、渋沢事務所ニ於テ、先ニ栄一ノ依頼ニヨリ、当事業ノ現地ヲ視察シテ帰国セル山科礼蔵・神谷忠雄ヨリ、其調査報告ヲ聴取シ、次イデ十九日、渋沢事務所ニ浅野総一郎・福井菊三郎等ヲ招キテ、右調査報告会ヲ催ス。
大正13年3月4日
(1924年)
第55巻 p.610-629(DK550123k)
是ヨリ先、栄一、当事業ノ成立ニ関シ、種々尽力スルトコロアリシモ、大正十二年九月一日ノ関東大震火災ノタメ、日本側ノ出資不可能トナリタルニツキ、ヘンリ・チェンバレン及ビデーヴィッド・エス・ジョルダン等ニ書翰ヲ以テ諒承ヲ求ムルト共ニ、是日、日本側関係者ニ対シテモ、其旨ヲ通知ス。
6款 コナ開拓株式会社
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大正15年9月3日
(1926年)
第55巻 p.630-640(DK550124k)
是ヨリ先、栄一、当会社社長紺野登米吉ノ懇請ニヨリ、事業資金ノ斡旋ニ尽力シタルガ、其後当会社ノ経営振ハズ、債務ノ弁済不能ノ状態トナル。栄一、之ガ善後措置ニ関シ、増田明六ヲシテ、外務省当局・日本興業銀行総裁小野英二郎・塩水港製糖株式会社社長荒井泰治・同専務取締役槙哲等関係各方面ニ奔走セシメ、是日、自ラモ横浜正金銀行頭取児玉謙次ト会見シテ、融資ノ依頼ヲナス等、種々尽力ス。
7款 南米拓殖株式会社
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昭和3年3月26日
(1928年)
第55巻 p.641-652(DK550125k)
是ヨリ先、ブラジル共和国パラ州政府ヨリ我政府ニ対シ、邦人植民ニヨリ同州有地ノ開拓ヲ慫慂シ来タル。政府ハ、之ヲ民営企業ニヨリ経営セシメントシ、是日、東京・大阪・名古屋等各地実業家ヲ外務大臣官邸ニ招キ、総理大臣兼外務大臣田中義一ヨリ、之ヲ勧説ス。栄一、実業家側ヲ代表シテ挨拶ヲ述ベ、且ツ、右会社設立ニ関スル準備委員トシテ、団琢磨等十二名ヲ指名ス。
四月九日及ビ十九日、日本工業倶楽部ニ於テ、右委員会開カレ、栄一ソレゾレ出席ス。
八月十一日、日本橋倶楽部ニ於テ、当会社創立総会開カル。
8款 日本移民協会
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大正3年2月11日
(1914年)
第55巻 p.653-656(DK550126k)
是日、当協会設立セラレ、栄一其会員トナル。
大正4年5月30日
(1915年)
第55巻 p.656-660(DK550127k)
是日、当協会会頭大隈重信邸ニ於テ、当協会第二回総会開カル。栄一、出席シテ演説ヲナス。
大正5年1月14日
(1916年)
第55巻 p.660(DK550128k)
是日、神田青年会館ニ於テ、当協会第三回講演会開カル。栄一出席シテ米国旅行談ヲナス。
大正10年8月1日
(1921年)
第55巻 p.660-663(DK550129k)
是日栄一、東京商科大学講堂ニ於テ開カレタル、当協会夏期講習会特別講演会ニ出席シ、「国際道徳の高調」ト題シ講演ス。
9款 南洋協会
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大正4年1月30日
(1915年)
第55巻 p.664-667(DK550130k)
是日、築地精養軒ニ於テ、当協会創立総会開カル。栄一、評議員ニ推サレ、在任歿年ニ及ブ。
10款 海外移住組合聯合会
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昭和2年11月
(1927年)
第55巻 p.668-669(DK550131k)
是月栄一、当会ノ顧問トナリ、在任歿年ニ及ブ。
11款 其他 1. 移民ニ関スル栄一ノ談話・講演
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大正2年10月
(1913年)
第55巻 p.670-672(DK550132k)
是ヨリ先、栄一、雑誌『実業之日本』ノタメ、移民問題ニツキ談話シ、是月ノ同誌上ニ掲載セラル。
大正4年10月3日
(1915年)
第55巻 p.672-676(DK550133k)
是日栄一、広島市公会堂ニ於テ開カレタル、広島商業会議所及ビ広島植民協会主催ノ講演会ニ出席シ、移民問題ニツキ講演ス。
大正8年
(1919年)
第55巻 p.676-682(DK550134k)
是年栄一、三回ニ亘リ雑誌『拓殖新報』ノタメニ談話セル、移民問題ニ関スル意見、同誌上ニ掲載セラル。
--第55巻 p.682-683(DK550135k)
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