デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

1編 在郷及ビ仕官時代

2部 亡命及ビ仕官時代

2章 幕府仕官時代
■綱文

第1巻 p.697(DK010050k) ページ画像

明治戊辰元年二月十四日(1868年)

外国奉行支配調役ヲ命ゼラル。


■資料

渋沢栄一自筆履歴書(DK010050k-0001)
第1巻 p.697 ページ画像

渋沢栄一自筆履歴書 (渋沢子爵家所蔵)
○上略 慶応四辰年二月十四日仏国おいて外国奉行支配調役被命並之通御足高御役扶持とも被下候 ○下略


家記材料 第四冊 奉申上候書付 徳川新三位中将家来 渋沢篤太夫(DK010050k-0002)
第1巻 p.697 ページ画像

 家記材料 第四冊 (徳川公爵家所蔵)
    奉申上候書付
             徳川新三位中将家来 渋沢篤太夫
 私儀去々卯年より辰年迄徳川少将江附添仏国滞在仕居候ニ付、彼地ニおゐて取扱候儀存居候事共無細大可奉申上、且又此程弊藩公用人共江御達御坐候仏国都府江コンシユルセ子ラール差置始末、并同国博覧会ニ付差出候物品、彼地江残置候諸道具、政府江可差出分又は弊藩江願下ケ可仕分、其他徳川少将仏国都府滞在中止宿被致候旅館取始末等迄記臆仕居候儀は全備不仕候共、不苦候間早々可申上旨御沙汰之趣承知奉畏候、然ル処私儀は当時賤役ニ而漸去辰年十二月中仏国滞留先ニ而外国奉行支配調役被申付候程之儀ニ付、其前之義は勿論其後ニ至候而も唯支配ニ進退被致候迄ニ而、別而重立取扱候義は無御坐候 ○下略
  巳六月十五日   徳川新三位中将家来   渋沢篤太夫
   ○『去辰年十二月中』トアルハ二月中ノ誤リナルベシ。栄一ガ徳川昭武ニ随ヒテマルセーユヲ発シタルハ、九月四日ナレバ、『十二月中仏国滞留先ニ而』トイフコトハアリ得ザルナリ。