デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

1編 在郷及ビ仕官時代

2部 亡命及ビ仕官時代

3章 静岡藩仕官時代
■綱文

第2巻 p.178-179(DK020008k) ページ画像

明治二年己巳七月二十七日(1869年)

通称篤太夫ヲ改メテ篤太郎ト為ス。


■資料

渋沢栄一伝稿本 第六章・第五八頁〔大正八―一二年〕(DK020008k-0001)
第2巻 p.179 ページ画像

渋沢栄一伝稿本  第六章・第五八頁〔大正八―一二年〕
先生が仏国関係の事によりて東京に滞在中、七月二十七日を以て篤太夫の名を篤太郎と改めたり、これ当時政府は太夫・兵衛・衛門等の旧官名を通称とする慣習を一般に禁止したるによりてなり。
  ○栄一ノ改名ガ稿本ノ説明スルガ如ク当時政府ガ旧官名ヲ通称トスル慣習ヲ一般ニ禁止シタルニ因ルモノトスレバ、明治二年七月二十七日以前ニ其達無カルベカラズ。然レドモ「法令全書」明治二年ノ部ニハ正ニ其ニ当ル達見当ラズ。タダ二年七月八日行政官達ニ『今般官位御改正ニ付従来之百官并受領被廃候事』トアリテ、其頭註ニ『三年第八百四十五ヲ以テ旧官人諸大夫侍等ノ位階廃止』トアリ。仍テ三年第八百四十五、十一月十九日太政官布告ヲ見ルニ、左ノ如シ。
    自今旧官人元諸大夫侍並元中大夫等位階総テ被廃候事
    一国名並ニ旧官名ヲ以テ通称ニ相用候儀被停候事
   此ハ明カニ改名ヲ必要トスル布告ナリ。按ズルニ明治二年七月ニモカヽル達アリシモノナレドモ、「法令全書」ニ脱落セルカ、或ハ二年七月ニ内達アリシナランカ。尚「太政官日誌」ニモカヽル達見エズ。


雨夜譚会談話筆記 下・第七五四貢〔昭和二年一一月―五年七月〕(DK020008k-0002)
第2巻 p.179 ページ画像

雨夜譚会談話筆記  下・第七五四頁〔昭和二年一一月―五年七月〕
○上略
先生「○中略 維新以後になつて、太夫とか左衛門と云つたやうな、官職に属する名を太政官達で禁ぜられたので、篤太夫を改めて篤太郎とした」○下略

常平倉御取建一件留(DK020008k-0003)
第2巻 p.179 ページ画像

常平倉御取建一件留         (萩原太郎次郎氏所蔵)
(付箋)
商法会所御頭渋沢篤太夫様此度篤太郎と御改メ被成八月十五日 ○明治二年東京より帰復被成候
  ○八月廿五日付渋沢篤太郎ヨリ萩原鶴夫宛書状ノ付箋ナリ。