デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

1編 在郷及ビ仕官時代

2部 亡命及ビ仕官時代

4章 民部大蔵両省仕官時代
■綱文

第2巻 p.356-358(DK020049k) ページ画像

明治三年庚午三月十四日(1870年)

大蔵省改正掛ノ立案ニ基キ電信機、蒸気車ヲ興造ス可キヲ建議ス。栄一改正掛長トシテ之ニ与ル。


■資料

大蔵省沿革志 本省第三・第一三―一六丁(明治前期 財政経済史料集成 第二巻・第八三―八四頁〔昭和七年六月〕)(DK020049k-0001)
第2巻 p.356-357 ページ画像

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青淵先生伝初稿 第七章一・第二七―三一頁〔大正八―十二年〕(DK020049k-0002)
第2巻 p.357-358 ページ画像

青淵先生伝初稿 第七章一・第二七―三一頁〔大正八―十二年〕
通信交通の方面においては「伝信滊車を興すの議」あり、東西両京の間に電信機及び鉄道を布設すべきの意見なり。是より先明治二年政府が鉄道布設の必要を感ずるの際、英国公使パークスの忠告もありたれば、之に力を得て鉄道起業の議を定め、大隈重信伊藤博文の二人専ら事に任じたるが、其計画たる東西両京を連絡して神戸に達する幹線を布き、別に敦賀と横浜とに支線を設け、まづ第一着手として東京横浜間の工事に充つるが為に、経費五十万円を計上したれども、財源を得るに苦しみ、英人レーなるものゝ提議を納れ、海関税を抵当とせる一百万磅の外債を英国に募らんとし、大隈伊藤の二人募債の全権を委任せらる、実に明治二年十一月十日の事なり。かくて三年四月東京横浜間の工事、同年十一月神戸大阪間の工事に着手せしが、本邦未曾有の新事業なるが為に物議紛起し、或は之を以て無用又は不急の土木なりとなし、或は沿道宿駅の旅舎人夫の生業を奪ふものなりといひて工事を妨害せんとするものあり、政府部内においても反対尠からず、甚しきは外債募集の性質を解せず、金を外国より借るは売国の所業なりと激論するなど、異論百出せり。先生は親しく欧米に、遊びて之に試乗し、文明の利器たるを信ずるがゆゑに深く大隈伊藤の計画に賛同せしに、今や世上の反対漸く甚しきを見て、憂慮に堪へず、改正掛に拠りて極
 - 第2巻 p.358 -ページ画像 
力弁駁の任に当り、物情の鎮撫に従へり。上述せる「伝信鉄道を興すの議」は三年三月の起草なるを見るに、蓋し政府部内の鉄道異論者に教ふるの用意にして、かねて電信布設の急務なる事をも説明したるものならん。かくて鉄道の工事は漸く進み、五年五月横浜品川間まづ開通して九月新橋に達し、七年五月神戸大阪間開通して世人長く其利便に頼る。電信の工事も既に明治二年十二月東京横浜間の架線成りて通信を開始したれば、先生等の意見は更に之を延長せんとするものゝ如し。ともかくも電信並鉄道の事業に対し、改正掛が其力を添へたる事は疑ふべくもあらず。但し此両事業は幾もなく工部省の所轄に帰したれば、先生は後ち民間に下るまで、再び之に関係するの機会なくして已めり。