デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

1編 在郷及ビ仕官時代

2部 亡命及ビ仕官時代

4章 民部大蔵両省仕官時代
■綱文

第2巻 p.369-370(DK020056k) ページ画像

明治三年庚午三月二十五日(1870年)

謹慎仰付ケラレ、本月二十九日免ゼラル。尋デ本年閏十月十二日謹慎仰付ケラレ、同月十八日免ゼラル。


■資料

百官履歴 下巻・第一四〇頁〔昭和三年二月二五日〕(DK020056k-0001)
第2巻 p.369-370 ページ画像

百官履歴 下巻・第一四〇頁〔昭和三年二月二五日〕
         東京府平民 渋沢栄一 篤太郎
○上略
同月○明治三年三月 廿五日 伺ノ通謹慎被仰付候事
同月廿九日 謹慎被免候事
○中略
同年○明治三年 閏十月十二日 伺ノ通謹慎被仰付候事
同月十八日 謹慎被免候事
 - 第2巻 p.370 -ページ画像 
  ○栄一ノ謹慎ノコトハ百官履歴ニハコノ二回アルノミ。次ニ掲グル雨夜譚会談話筆記ノ栄一ノ談ニハ『私は其頃度々謹慎を喰つたヨ』トアレド、事実ハ二回ノミナリシナラン。


雨夜譚会談話筆記 下・第八六四―八六六頁〔昭和二年一一月―昭和五年七月〕(DK020056k-0002)
第2巻 p.370 ページ画像

雨夜譚会談話筆記 下・第八六四―八六六頁〔昭和二年一一月―昭和五年七月〕
三、先生が官吏時代謹慎を命ぜられしに就て
先生「私が謹慎を命ぜられたと云ふのは、何も失策をやつた為めではないヨ。明治三年は丁度私が租税正として土地分割の職掌を持つて居つた。それに就て、在来の藩の移し替へをしなくてはならないのであるが、例へば駿州を静岡藩にするには先づ其処にある小さい藩に代へ地を探して移転させなくてはならない。それが今日と違つて、台帳と云ふものがないから、往々にして間違を生ずる。うつかり移し代へをすると、やつた後でそんな所はないとか、そう云ふ村はないとか云ふ事が判る。そうすると其責任は租税司の長たる私が負はなければならないと云ふ事になつて、謹慎を命ぜられる。だから私は其頃度々謹慎を喰つたヨ。けれどもこれは単に形式にとゞまる事で、政府の方でも、職務上間違を生じた以上、その儘ほつて置く訳にも出来ず、形式的に罰を課すると云ふに止まる。謹慎を命ぜられると家に引籠る事になつてゐたが、本が読めてその点からは却つてよかつた。」