デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

1編 在郷及ビ仕官時代

2部 亡命及ビ仕官時代

4章 民部大蔵両省仕官時代
■綱文

第3巻 p.292-293(DK030095k) ページ画像

明治四年辛未十二月二十四日(1871年)

大蔵大輔井上馨ニ書翰ヲ呈シ、其大阪出張中ニ於ケル本省ノ公務取扱方ノ順序ニ付キ指令ヲ仰グ。


■資料

渋沢栄一 書翰 井上馨宛(明治四年)一二月二四日(DK030095k-0001)
第3巻 p.292-293 ページ画像

渋沢栄一 書翰 井上馨宛(明治四年)一二月二四日 (渋沢子爵家所蔵)
    朱印
井上大輔殿此度御用有之大阪出張被成候ニ付而は、御帰京迄之間当地に於て公務取扱方之順序左之廉書を以予メ要領伺定置候様仕度候間、可然御指揮有之度候也
  辛未十二月廿四日
    要頒廉書
一本省処務順序、各寮司事務章程等、実際施行之便否を斟酙《(酌カ)》して更正之見込取調之事
一歳入出及内外国債之合計を概算し、会計之基礎目算相立候事
  但諸官省其外共都而未タ定額不相立場所も従来費用渡方を総計し、漸ニ定額相立候様之見込取調可申事
一大阪横浜出張出納寮之事務ハ此度渋沢栄一見込書に従ひ、向後ハ尋常之為替方同様之振合ニ釐正可致候事
  但先頃渋沢栄一大阪にて取調ノ件々ハ、此度夫々伺書又ハ取調書差出候間、尚実地と御参考相成御審判有之度候事
一フランクポルトより新来之紙幣ハ此程正院へ伺之手続を以二月十五日より発行之積精々取調可申、尤も印板朱肉等大阪へ注文いたし候分ハ御越之上尚御催促有之度候事
  但右紙幣改方並印版書込方之手続ハ此間伺定之通取扱可申事
一プロミソリーノートハ凡高「是ハ新紙幣発行迄之融通ヲ助クルヲ目的トス」《(井上侯鉛筆書入)》円但最初之高を合算して内拾円五円一円位を目途とし製造取計可申事
  開拓使之分ハ兼而決定之約書ニ照準いたし取計可申事
一旧藩札銀銭札とも此程一般御布告相成候当百銭其外之新貨比較ニ照し、毎藩詳細之相当表を製し、直ニ各県へ相達し候様取計可申事太政官之伺にハ不及と存候
一紙幣会社は兼而取調有之候条例成規を校正し公債証書之全高を紙幣にて会社に渡し紙幣之高半分之正金を準備せしめ、引替方ハ正金のミと限り候様可致就而ハ会社へ向即今税納ハ先差免し置可申歟来早春より正院へ伺、取計決定之上、追々実地会社創立之運歩相成候様取計可申事
  但現今之為替会社其外とも右紙幣会社に転業せしめ候積、漸ニ取調可申事
一内国負債ハ追而御処分も可有之候得共、差向公債証書之雛形書込等取調置可申事
  但新債ハ四朱利《(五朱)》五年後より拾五年間之割済中債ハ返済之期限なく、年三朱之利足と定め何れも利札附証書之体裁にて取調可申哉古債ハ追而御指揮に従ひ可申事
一外国負債ハ都而横浜にて御処置相成候処之御指揮に従ひ可申事
一米輸出之義ハ大阪ハ伴権助へ申付置候処を以御出張之上御取調相成、便宜尚輸出御取計可相成、東京之方ハ石巻之分及来春之都合を
 - 第3巻 p.293 -ページ画像 
見計ひ、壱万石計ハワルスホール社中へ申談輸出可取計事
  但船之義ハ横浜より御指揮により取計可申事
一右米及銅共売揚計算ハ一切東京にて取調可申就而ハ大阪輸出之分ハ丁寧ニ取調御申越有之度事
一大阪造幣寮並出張出納寮之事務ハ渋沢栄一最前取調候書面御判覧之上、夫々御指揮被下度尚御出張之上実地御取調有之度候事
一都而外国人より来状有之表向候事と被存候ハヽ、御名宛にて開封反訳之上差向候義ハ臨機取計可申哉
  但御引合続にて不心得之廉ハ大阪へ差上相伺可申事
一米利堅中島より来状有之候ハヽ相当之処返書取計可申事
一都而分課中之事務臨時差起り候件々又ハ、尋常之事等相当と存込候ハヽ専執処分可致哉
  但大事件にて差向候義ニ無之候ハヽ、御帰京まて留置可申もし大事件なりとも差向候義ハ他之同僚とも協議之上可取計尋常之件ハ独裁可致哉
一正院より御達し、又ハ他へ関係之事共も臨機相当ニ引合候様相心得可申哉
右之廉々伺定置度伏而乞
高裁候也

    辛未十二月廿四日         渋沢栄一□《(朱印)》
  井上大蔵大輔殿
   ○此書翰ニ対スル返書ハ見ルヲ得ザレドモ、当時ニ於ケル栄一ノ管掌事務ノ範囲広汎ナリシコトヲ示スモノナルベシ。