デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
6款 択善会・東京銀行集会所
■綱文

第5巻 p.438-440(DK050096k) ページ画像

明治10年9月3日(1877年)

是日、日本橋区小舟町第三国立銀行ニ於テ択善会第三回ノ会同開カル。栄一商工業ニ低金利ノ必要ナル所以ヲ演説ス。


■資料

択善会録事 第三回・第一―一ニ頁(DK050096k-0001)
第5巻 p.438-440 ページ画像

択善会録事 第三回・第一―一ニ頁
明治十年九月三日択善会第三回ヲ東京荒布橋ノ第三国立銀行ニ於テ開設シ、盟員畢ク集リ、午後四時下衆皆会場ニ上リ、数時ニシテ議ヲ罷メ晩飧、畢テ九時前退散ス、本会ニ於テ渋沢栄一ノ演説二題、議案一件、報道二件、安田善次郎ノ議案二件アツテ、衆頗ル討論弁説ヲ尽セリ、詳録左ノ如シ
      会員  第一国立銀行頭取    渋沢栄一
      同   同役員         須藤時一郎
      同   第二国立銀行頭取    原善三郎
      同   同副頭取        茂水総兵衛《(茂木総兵衛)》
      同   第三国立銀行頭取    安田善次郎
      同   同取締役        川崎八右衛門
      同   同同          市川好三
      同   第四国立銀行取締役   原田銀造
      同   同支配人        辻金五郎
      同   第五国立銀行取締役   又木元衛
 - 第5巻 p.439 -ページ画像 
      同   第六国立銀行副支配人  中村碌郎
      同   第十三国立銀行支配人  蘆田順三郎
      同   第十五国立銀行副頭取  徳川慶勝
      同   同幹事         北川亥之作
      同   第廿国立銀行副取《(頭脱)》 小島邦重
      同   三井銀行        三野村利助
      同   同           今井友五郎
        以上十八名《(マヽ)》
      傍記  第一国立銀行役員    大沢正道
        以上
      傍聴  第廿国立銀行役員    大亦興治
        以上
○渋沢栄一ハ金利ノ低廉ハ商売ノ繁盛ヲ致スノ一題ヲ演説スルニ先チ謂テ曰、嘗テ第一国立銀行創業ノ際米国銀行ノ実際ヲ探捜センカ為メニ一士ヲ其地ニ遣シ、三ケ年ヲ期シ留学セシム、玆ニ四月期満チテ帰朝シ其実践スル所ヲ細報シ、啻小生カ想望ニ副ユル所アルノミナラス実ニ案ヲ拊ツテ驚歎スル者アリ、因テ此一題ヲ発シ各位ノ為ニ其事情ヲ報道セント、乃チ演説ス、其文アリ云、夫レ貸借ノ間利足賤低ナレハ、商賈ノ業由テ以テ昌盛ヲ致スノ理ハ、三尺ノ童子モ亦能ク之ヲ解ス所ナレハ、今余カ此平凡ノ言ヲ以テ敢テ諸君ノ聡聴ヲ煩ハスハ固ヨリ迂濶ノ誹ヲ免カレサルヘシト雖モ、凡ソ事ハ空理ニ就テ之ヲ論スレハ仮令千万言ヲ費スモ其真情ヲ尽スヘカラスシテ、其感触スル所モ亦至ツテ軽々タル而已、之ニ反シテ身其局ニ当リテ躬ラ実際ニ処スルトキハ僅々ノ瑣事モ亦以テ四支ヲ針砭スルニ足ル、古言アリ曰、稠衆広ク坐シテ虎害ヲ談ス、時ニ一人股栗シテ立ツ、盖曾テ虎ニ遇ヒシ人ナリト、以テ其実験ノ感触ハ紙上ノ理論ヨリモ著ルシキ事アルヲ徴スヘシ、余曾テ種田誠一ナル者ヲ米国ニ遣リ、留学三年ヲ期シテ該地銀行ノ形状ヲ探討セシム、本年四月期満チテ帰朝シ、由テ其報道スル所ニ就テ米国銀行ノ総情及ヒ体裁結構ヲ詳悉セリ、殊ニ紐育府ニ在ル第四国立銀行ノ営業課程並ニ職員執務ノ実況ヲ聞クニ及ンテ、案ヲ拊テ驚歎シテ曰、何ゾ其美ヲ尽シテ且善ヲ尽セルヤ、既ニシテ其資本ヲ問ヘハ五百万円ナリト、之ヲ米国ノ広大ナル商業ノ繁盛ナルニ比フレハ尚以テ多シトセス、然而シテ其主顧タル所ノ地方小銀行及ヒ商賈家ハ無慮六七百ノ多キニ居リ、之カ為メ日々書ヲ投シ、手形ヲ送致シテ、出納ヲ報スルモノ其数亦六七百本ニ下ラス、又日々兌換ヲ以テ来ルモノ店頭ニ於テ麕集麋郡《(マヽ)》シ、一観場ニ彷彿タリ、而シテ其一日出納スル所ハ凡ソ三千万円ノ巨額ニ在リ、然ルニ其管理ノ人員ヲ問ヘハ挙店僅カニ五十名ニ上ラスト。此ノ如キ少員ヲ以テ此ノ如キ多務ニ当リ、秋毫差ハス繊細誤ラス、整然トシテ備ハリ秩然トシテ叙アルハ、宛モ一大機関ノ運転回旋シテ乗違舛錯セサル者ノ如ク、実ニ国立銀行ノ体面ヲ具有スルモノト謂ツヘシ、翻テ我銀行ノ形情ヲ視レハ盖其事業ハ前日ヨリ進歩シテ職員ノ班置モ稍其宜ヲ得タリト雖トモ、尚未タ喫烟間話或ハ新聞紙ヲ閲シ、或ハ机ニ凭リ睡ヲ偸ミ、甚シキニ至ツテハ欠伸摩手終日一労ナキ者アルヲ免カレスシテ、其店頭ノ如キモ日々数十ノ来
 - 第5巻 p.440 -ページ画像 
客アレハ自他以テ繁大ノ想ヲ為ス、今此ヲ以テ彼ノ第四国立銀行ニ比セハ豈啻霄壌相反スルト為スノミナランヤ、実ニ慙愧ニ堪ヘサル所ナリ、而シテ彼ノ毎季株主ニ配賦スル利益ノ多寡ヲ問ヘハ、則半歳ノ計算百分ノ四、或ハ四半ニ過キスト、之ヲ我銀行ノ利益即チ百分ノ七アルニ計較セハ彼レ却テ十分ノ三六ヲ減少セリ、余玆ニ至テ疑団忽チ生ス、豈精ニシテ且勤ムレハ其利ヲ得ル少ナク拙ニシテ且怠レ其ハ《(ハ其)》益ヲ収ムル多キヲ致スカ、抑亦労スルモノハ齷齪シテ佚スル者ハ優裕ナルノ理アリテ然ルカ、否決シテ此理アルニアラサルヘシ、既ニシテ翻然暁解シ以為ラク、夫レ紐育府ノ如ハキ《(キハ)》地球三大都府ノ一ニ居リ、巨商殊ニ多クシテ財源洋溢シ、貿易閙繁ニシテ貸借流通シ、銀行ノ数ハ七十有余店アリテ各店其手形ヲ交換スヘキ為メ別ニ一ノ共同交換所ヲ設置シ、此ニ就テ交換ノ事ヲ弁ス、故ニ貨財ノ供給常ニ其宜ヲ致シ、勢随テ亦利足ヲ低廉ニセサルヘカラス、既ニ其利足ノ低廉ナルト供給ノ宜キトヲ得レハ、商工ノ業皆旺盛拡張シテ勢又低廉ナルモノヲシテ更ニ低廉セシムルニ至リ、各人相競テ貨幣ヲ供給スル事ヲ之レ勉ム、此ノ如クナルヲ以テ其第四国立銀行ノ収益ニ至ツテハ、豈我邦ノ金貨乏少融通否塞シ利息ノ貴キニ由テ収益ノ饒キ事ヲ得ルカ如キ情勢ナランヤ、由之観是貨財ノ流通ハ貿易ノ繁盛ト相待ツテ行ハルヘキハ益信認スヘキナリ、而シテ我銀行ハ之ニ異リ其利益ノ饒キハ職トシテ融通ノ軋轢スルニ之レ由ル、故ニ其益スル所愈多キ時ハ商業ノ衰頽スル愈甚シク、随テ殖産興ラス工芸昌ンナラスシテ、其帰結スル所ハ実ニ寒心ニ堪ヘサルナリ、覃想玆ニ至ツテ前ノ疑団頓ニ氷釈スルノミナラス、反ツテ我利益ノ饒キヲ恐レテ彼レカ薄少ナルヲ羨ムニ至レリ、是余カ実際ニ感触シテ股栗スル所ナリ、願クハ諸君此平凡ノ理由ニ鑑省シテ殊ニ其利益、即チ割賦金ノ饒カラン事ノミヲ勉メス、宜シク正経ナル商沽、確実ナル工芸ヲ補賛シテ、漸ク流通ノ途、貿易ノ業、相待ツテ共ニ旺盛拡張スル事ヲ企望スヘシ、諸君夫レ以テ迂トナスカ、途《(余)》ハ自ラ此見ヲ信シテ諸君ト与ニ黽勉シ、以テ彼ノ尽美・尽善ノ深旨ニ適ハン事ヲ欲スルノミ
○又同氏ハ、方今士族ノ輩競テ禄券ニ依ツテ創立セントスル銀行ノ利害ヲ痛論シ、銀行本体ノ性質ヲ説キ、而シテ同業相共ニ前説ノ根理ヲ開述スヘキ事ヲ説ク、其略ニ云、今士族諸子銀行創立ノ説ヲ聞クニ、其目的トスル所ハ概ネ財産ヲ保護スルト二重ノ利息ヲ要スルトニ過キス、其利トスル所ハ利ナリト雖トモ、銀行ノ本旨ハ則然ラス、要スルニ銀行営業ヲ起サント欲セハ須ラク土地ノ貧富、人口ノ多寡、財用ノ充乏等ヲ詳察シ、其適当スヘキ資本ヲ以テ結社シ、而シテ其営業ヲ開クニ至リテハ物産蕃殖、貨財流通ノ点ニ着目シテ、務メテ正経ノ商工ヲ資ケ、貸借ノ間最信認ヲ重ンシ、且条理ニ膠着セス、情実ニ流読《(マヽ)》セス、趨舎与ニ霊活ニシテ初テ能ク銀行ノ本旨ニ称フヘキナリ、且凡ソ事ハ人ニ成リ、又人ニ敗ル、銀行ノ如キハ最其人ヲ得ルニ存ス、若シ夫レ財産ヲ保護スルト二重ノ利息ヲ射ルニ傾心シテ銀行ノ本主ヲ鑑ミス、其人ノ有無ヲ問ハスシテ卒然唾手以テ其創立ヲ図ラントスルハ、実ニ目的ヲ違ヘル者ニアラスヤ、而シテ一旦之ヲ創立スルモ、恐クハ永存ヲ期スヘカラサルニ至ランカ、慎マサルヘケンヤ、云々