デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.6

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
6款 択善会・東京銀行集会所
■綱文

第6巻 p.186-218(DK060062k) ページ画像

明治23年4月15日(1890年)

大蔵大臣伯爵松方正義・日本銀行総裁川田小一郎ノ招ニ因リ、栄一是日安田善次郎ト共ニ大阪ニ至リ、東京大阪両同盟銀行ヲ代表シテ刻下金融市場逼迫ニ対スル救済意見ヲ述ブ。是ニ於テ政府担保品付手形割引ノ途ヲ開キ、且ツ兌換銀行券条例ヲ改正シテ保証準備制限額ヲ八千五百万円ニ拡張スルニ決ス。
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栄一神戸・京都・四日市・名古屋ヲ経テ五月四日帰京ス


■資料

--(DK060062k-0000)
第6巻 p.187 ページ画像

○第五巻「日本銀行」当日ノ項参照。


会議録事 自明治二十二年一月至明治二十三年十二月(DK060062k-0001)
第6巻 p.187-189 ページ画像

会議録事 自明治二十二年一月至明治二十三年十二月 (東京銀行集会所所蔵)
    ○同盟銀行臨時集会録事
明治二十三年四月十一日午前第九時ヨリ同盟銀行臨時集会ヲ開キ、来会スルモノ二十八名ナリ、委員第一国立銀行頭取渋沢栄一氏ハ本日開会ノ要旨ヲ陳ヘテ曰ク、昨年九月以来金融漸ク緊急ニ赴キ、本年一二月ノ交ハ殆ント壅塞ニ及ヒ、商工家ハ勿論各銀行トモ非常ノ苦慮ヲ為シ、日本銀行ハ限度外ノ兌換券ヲ発行シタル場合ニ迄達シ、後三四月ニ至リ少シク引緩ミタレトモ之ヲ平年ニ此スレハ尚大ニ繁劇ヲ覚ヘ、将来何様ノ情態ヲ生スルヤモ測リ難シ、抑此金融激変ハ米価ノ騰貴モ其原因ノ一ナレトモ、其本源ハ鉄道及諸工業会社ノ創設陸続数ヲ増シ、其株金ニ巨資ヲ吸収セラレ、商業資本ヲ減殺シタルニ帰因セスンハアラス、就テハ予メ適実ノ籌画ヲ定メ、他日ノ計ヲ要セントスルニ当リ適々九州同盟銀行総代松田源五郎・斎藤美知彦ノ二氏ヨリ同感ニ困リ其準備ノ為メ九州鉄道会社株券ヲ日本銀行抵当品ノ内ニ加充スヘキニ協賛アランコトヲ請求セラレタルヲ以テ、此外ニモ確実ナル諸会社ノ株券ヲ撰ミ之ヲ併一シテ日本銀行ニ請求スヘキコトノ協議ヲ開クヘキニ際シ、本月九日在大阪大蔵大臣ヨリ電報ヲ以テ安田氏及小子ニ至急赴阪ヲ要セラレタリ、其事タル蓋方今金融救済策ノ諮詢ナルヘシト思ヘルニ因リ、前述ノ事件ヲ議スヘキ為メニ本日諸君ノ会同ヲ煩ハシタル所ナリト、乃チ九州同盟銀行ノ請議書ヲ朗読シ、並ニ日本銀行ヘ請求スヘキ要旨ヲ陳述シテ衆議決定ヲ求メタルニ付、各位意見ヲ陳ヘ討議シタリシカ、畢竟今日金融ノ逼迫ヲ救済セント欲セハ目下ノ現象ニ対シ一時姑息ノ手段ヲ施サス、宜ク其根本ニ着目シテ大ニ治済ノ方法ヲ求メサルヘカラス、要之日本ニ於テ我同盟銀行ニ対スル取引上ノ信任ヲ一段厚フシ、其取引ノ額ヲ増加シ、且其取引上ノ制限ハ日本銀行ニ於テ之ヲ妥定シ、而シテ同盟銀行ハ各自日本銀行ニ対スル取引ノ限額ニヨリ担保品ヲ納置シ、其取引金額ヲ以テ実際ノ運用ニ十分力ヲ致サシメ、余裕アルトキハ之ヲ日本銀行ヘ預金ト為シ、其出納ハ当坐貸借ノ手続ニ拠リ小切手ヲ使用シテ受払ヲ為シ、且其担保品ノ種類ハ目下九州・山陽・北海道炭礦ノ三鉄道会社株券ヲ充用スヘキモノトシテ日本銀行ヘ請求スヘキコトヽナシ、尚大坂会議ノ事情ニヨリテハ甲武・水戸・両毛等ノ三鉄道会社株券ヲモ加充スルヲ望ミ、一切ノ事宜ヲ渋沢氏・安田氏ニ委托スヘキコトニ決議シテ、十一時四十五分一同退会セリ
  明治二十三年四月十一日
    臨時集会出席人名
        安田銀行   安田善次郎 ○外二六名氏名略
    ○第百二回定式集会録事
明治二十三年五月十五日、同盟銀行第百二回定式集会ヲ開キ来会スルモノ二十名ナリ、委員第一国立銀行頭取渋沢栄一氏ハ近日同盟銀行総
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代トシテ大阪ニ赴キタル諸氏ニ代リ報道シテ曰ク、前月九日大坂ニ出張セラルヽ大蔵大臣ヨリ至急赴阪スヘキヤウ電報アリタルニ因リ、或ハ金融政治策ニ関スル要務ナラント推想シ、其十一日同盟銀行臨時集会ヲ開キ其意見ヲ詢問シ、其十四日安田善次郎氏ト同行シテ十五日大阪ニ至リ、西邑虎四郎氏・原六郎氏ト会シ、相与ニ大蔵大臣ニ面謁セシカ、大臣ノ要求ハ果シテ金融政治策ニ係リ、而シテ大阪同業者ヨリハ已ニ大臣ヘ具状シタル所ノ者アリテ大臣ヨリ其要旨ヲ示サレ、我同盟銀行ノ意見ヲモ陳述セリ、翌十六日ハ大阪同業者諸氏ト会同シテ其ノ金融ノ事情ヲ詳カニセシカ、其意見ニ至テハ我同盟銀行ト大ニ趣ヲ異ニシ、且現今切迫ニ至リタルモノ実ニ一朝ノ故ニアラサルカ如シ、故ニ彼地同業者ハ此ノ政治法ヲ考案スルニ当リ、各国立銀行諸鉄道会社等日本銀行ニ於テ確実ト認ムルモノハ其株券ヲ抵当トシテ貸出ノ区域ヲ広ムルカ、然ラサレハ同盟銀行ノ連帯責任ヲ以テ五百万円ヲ低利ニ貸与セラルヽカノ二策ヲ要望セリ、然レトモ我々ハ其望ノ穏当ナラサルヲ以テ再三之ヲ論駁シテ遂ニ我同盟銀行ノ主旨ニ同意セシメ、其十七日午前九時双方ノ総代者一同大蔵大臣ニ泉布舘ニ面謁シ、其主旨ヲ詳述ス、大臣及日本銀行総裁モ大ニ之ヲ聴容セラレタレトモ、未タ大臣及日本銀行総裁ノ権限ニテ確定スルヲ得サルトノ旨ヲ示サレタルニ付、其励精賛助セラレンコトヲ懇請シ、二時下ニ及ヒ辞シ去リ、尚又其請願書ニ少ク修正ヲ加ヘ、而シテ其担保品ハ日本鉄道会社、日本郵船会社、正金銀行、海上保険会社、北海道炭礦鉄道、山陽鉄道、九州鉄道ノ外水戸鉄道、甲武鉄道、両毛鉄道ノ三種ヲ増加シ、以上十会社ノ株券ト定メ、即チ此書面ヲ日本銀行総裁ニ差出タセリ、此ニ於テ今回同盟銀行ノ総代トシテ赴坂ノ一事ハ了局シ、各自所用ノ都合ニヨリ前後シテ帰京セリ
又同件ニ付一昨十三日日本銀行総裁ヨリ我々ヲ招キ、曩ニ同盟銀行総代ヨリ大阪ニ於テ差出シタル書面ノ主意ハ当時速ニ大蔵大臣ヘ稟申セシカ、這回同大臣ヨリ指令アリタリ、其要旨ハ同盟銀行一般ニ予定シテ当坐ノ取引ヲ為スコトハ詮議ニ及ヒ難シ、但各行ノ請求ニヨリ日本銀行ノ都合ヲ以テ之ニ応スルハ妨ケナシトノ指令ナルヲ以テ、本行ハ彼ノ金融救治策ニヨリ採用シタル諸鉄道株券等ヲ担保品トシテ割引ノ便法ヲ開キタレハ其方法ニ由リ充分尽力スヘシトノ言ヲ以テ、前月十七日大阪ニ於テ東京同盟銀行総代ヨリ差出シタル書面ヲ還付セラレタリ之ヲ要スルニ同盟一躰トシテハ之ニ応セサルモ、各行銘々ヨリ請求スルトキハ之ニ応スヘシト云ヘハ即チ最前要求ノ旨趣貫徹シ、更ニ便利ヲ得タル者ト云ヘシト雖、小子ハ此際今一歩ヲ進メ自今手形ノ取引ヲ拡張スルニ於テ尚便利ノ道ヲ開カンコトヲ欲シ、左ノ三項ヲ日本銀行ニ要求セシカ大抵差支ナキ模様ナリ、尤其第三項交換所ノ件ハ、不日掛員長崎某氏銀行集会所内手形交換所ニ来リ実際ノ状況ヲ見聞シタル後協議スヘシトノコトナリシ
 第一項 例ヘハ甲カ九州鉄道会社株券ヲ担保品トシテ約束手形ヲ振出シ、若干円ヲ第一銀行ヨリ借入タル時、第一銀行ハ金融ノ都合ニヨリ之ヲ日本銀行ニ持参シテ割引スルコトヲ得ルノ便利ヲ与ヘラレタシ
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 第二項 第一項ノ場合ニ於テ、其手形仕払期日向九十日間トアルヲ標準トシテ割引シタルニ、其振出人金融ノ都合ニヨリ六十日ヲ経過シタル期限中ニ於テ返金シ、其手形ノ買戻ヲ求メタル時ハ、日本銀行ニ於テ相当ノ歩合ヲ収メ、其手形ヲ売戻ノ便利ヲ与ヘラレタシ
 第三項 我同盟銀行中ニハ現ニ手形交換所ニ出席シテ決算スルノ便アル者アレトモ、更ニ日本銀行ト当坐勘定ヲ開クニ於テハ日本銀行ヨリ交換所ヘ出席スルカ、又ハ日本銀行内ニ交換所ヲ設立スルカノ便利ヲ与ヘラレタシ
又頃日大阪同盟銀行ヨリ各国立銀行預金準備ヲ日本銀行当坐勘定ヘ預入レノ件ニ付大蔵大臣ヘ請願シタルニ因リ、我同盟銀行ニモ之ヲ賛成センコトヲ請求スルノ照会アリシカ、本件ハ前月十七日大阪ニ於テ談話シタリシ事柄ナレハ速ニ同意ヲ表シテ稟請スヘシト、衆皆此議ニ同意セリ
○中略
  明治二十三年五月十五日
    定式集会出席人名
        第一銀行   渋沢栄一 ○外二五名氏名略


明治廿三年度決議綴(DK060062k-0002)
第6巻 p.189 ページ画像

明治廿三年度決議綴 (東京銀行集会所所蔵)
  明治二十三年八月六日 書記(印)
  委員(印)
本年五月二十三日大蔵大臣ハ出願相成候日本銀行当坐預ケ金ヲ以テ諸予金準備ニ相充候件難聞届旨本日御指令下付相成候ニ付別紙相添供廻覧候也


会議録事 自明治二十二年一月至明治二十三年十二月(DK060062k-0003)
第6巻 p.189 ページ画像

会議録事 自明治二十二年一月至明治二十三年十二月 (東京銀行集会所所蔵)
    ○第百四回同盟銀行定式集会録事 ○明治二三年八月一五日
次ニ本年五月廿三日大蔵大臣ヘ稟請シタル各銀行ヨリ日本銀行ヘ当坐勘定トシテ預ケ入アル金額ヲ以テ諸預金準備ニ充ツルノ件ハ、去ル十五日《(マヽ)》同大臣ヨリ難聞届旨指令セラレタルニ付、之ヲ報告セリ
  明治二十三年八月十五日
    同盟銀行定式会出席人名
        第一国立銀行 渋沢栄一 ○外一九名氏名略


官報 第二〇六二号 〔明治二三年五月一七日〕 【朕兌換銀行券条例中改正…】(DK060062k-0004)
第6巻 p.189-190 ページ画像

官報 第二〇六二号 〔明治二三年五月一七日〕
朕兌換銀行券条例中改正ノ件ヲ裁可シ、玆ニ之ヲ公布セシム
  御名御璽
    明治二十三年五月十六日
              内閣総理大臣 伯爵 山県有朋
              大蔵大臣 伯爵 松方正義

法律第三十四号
兌換銀行券条例第二条第二項及同項但書中七千万円トアルヲ八千五百
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万円ニ改ム
同条第四項ヲ左ノ通改ム
日本銀行ハ政府発行紙幣消却ノ為メ弐千弐百万円ヲ限リ無利子ヲ以テ政府ヘ貸付スヘシ

法律第三十四号参照
  第十八号布告兌換銀行券条例(明治十七年五月二十六日)抄録
 第二条第二項
  日本銀行ハ前項○正貨準備兌換銀行券ノ外、特ニ七千万円ヲ限リ、政府発行ノ公債証書大蔵省証券其地確実ナル証券又ハ商業手形ヲ保証トシ兌換銀行券ヲ発行スルコトヲ得、但本項七千万円ノ中弐千七百万円ハ、明治二十二年一月一日以降ニ係ル国立銀行紙幣ノ消却高ヲ限トシ、漸次発行スルモノトス
 同条第四項
  日本銀行ハ政府紙幣消却ノ為メ弐千弐百万円ヲ限リ、一箇年利子百分ノ二ノ割合ヲ以テ政府ニ貸付スヘキモノトス、但明治三十一年以降ハ無利子タルヘシ

日本銀行沿革史 ○第二巻・第一八六頁(DK060062k-0005)
第6巻 p.190 ページ画像

日本銀行沿革史
 ○第二巻・第一八六頁
曩ニ明治二十三年金融逼迫ノ際、手形仕払ノ確実ヲ担保スル為メ、一定ノ株券ヲ附スル依頼銀行ニ対シテハ、其手形ノ割引ヲ為シ、以テ焦眉ノ急ニ応シタルモ、其所謂担保ナルモノハ其実抵当ニ異ナル所ナク担保付ノ手形ハ融通手形ニ外ナラス、且其担保タルヘキ株券ハ其種類ニ制限アルヲ以テ、他ニ現ニ之ニ勝ルノ株券アルモ、本行ノ定メタル担保タラサルノ故ヲ以テ、之ヲ受入レサルカ如キ弊アリ、之カ為メ真正ナル商業手形ノ発達ヲ妨クルノ嫌アルヲ以テ、本行ハ個人取引公開ト同日○明治三〇年六月一四日ヲ以テ、断然之ヲ廃止スルコトニ決セリ、而カモ数年ノ久シキ之カ習慣ヲ為シタルモノヲ、今俄カニ之ヲ廃止スルコトトセハ忽チ商業会社ヲシテ困難ニ陥ヰラシムルノ虞ナシトセス、是ニ於テ本行ハ已ムヲ得ス従来ノ担保品付手形割引ノ代リニ、他日条例ノ改正アルマテハ、従来ノ担保品其他確実ナル鉄道会社株券ヲ選ミテ、之ヲ手形ノ見返品トシテ、割引依頼者ヨリ保証品ヲ差入レシムルコト猶従来ノ商品付手形割引ノ如クシ、之ト同時ニ保証品価格ニ大改正ヲ加ヘ、一旦見返リ品ト定メタル株券ハ、彼此ノ別ナク一切時価六掛ノ価格ヲ以テ取引スルコトニ改メタリ

日本銀行沿革史 ○第一巻・第五三頁(DK060062k-0006)
第6巻 p.190-191 ページ画像

 ○第一巻・第五三頁
二十日○明治二三年五月担保品付手形割引ノ制ヲ施行ス、蓋明治十九年ノ頃ヨリ本邦財界ニ於テハ各種事業ノ企図セラルヽモノ多ク、従テ諸株券ノ売買盛ニ行ハレ、其相場ハ概シテ格外ノ騰貴ヲ示シタリシモ、明治二十二年来米穀ノ凶歉人心ノ消沈ニ伴ヒ、其相場頓ニ下落シ、金融逼迫ノ声全国市場ニ喧シク、之カ救済ヲ求ムルモノ続々踵ヲ接スルニ至レリ、此際ニ当リ本行ニ於テ若シ条例定款ヲ墨守シ、従来取扱ヒ来リシ保証品ニ対スル外、特別ノ融通ヲ与フルコト無クンハ、全国到ル処倒産者ヲ生シ非常ノ惨況ヲ見ルニ至ルノ恐ナキニアラス
 - 第6巻 p.191 -ページ画像 
是ニ於テ本行ハ臨機ノ処置ヲ執リ、従来抵当品トシテ採用セル政府保護ノ二三会社株券ノ外、鉄道会社等確実ナル会社株券ヲ担保トシ信用アル銀行ノ手形ニ対シテ特ニ割引融通ノ便ヲ開カントシ、之ヲ大蔵大臣ニ上申シテ其認可ヲ受ケ、五月十五日ヲ以テ担保品付手形割引手続ヲ定メ、之ニ規定セサル事項ハ通常手形割引ノ手続ニ従ヒ取扱フコトヽシタルカ、玆ニ至リ之ヲ実施スルニ至レルナリ


〔参考〕渋沢子爵家所蔵文書 【九州同盟銀行ノ意向 取次ギ】(DK060062k-0007)
第6巻 p.191 ページ画像

渋沢子爵家所蔵文書
昨年九月以来金融漸次緊迫致し、本年一二月之交は、殆壅塞ニ及ひ、各銀行大ニ苦慮致し候処、貴行ニ於ても其事情御洞察相成限度外之兌換券発行一時救済之途を開れ候程之事ニ有之、爾後三月以来稍引緩ミ聊安意致し候得共、尚平年ニ比し候得は、大ニ繁劇を覚へ、将来何様之情態を為すへき哉も難測憂慮不少候、抑此金融之激変は其近因昨年歉収ニ而米価非常之騰貴を来し候ニ可有之候得共、尚其遠因を尋ね候得は、蓋類年鉄道及諸工業会社之創設陸続相接し、其株金ニ巨資を吸収し、流通資本減少致し候故ニ可有之候間、他日今一層金融ニ影響致し候節は、恐くハ既設之諸工業会社も其難を被り、或は倒敗ニ帰し候者も可相生と各銀行今日ニ於て且憂且戒大ニ苦慮罷在候、貴行ニ於ても疾く其辺ニ御注目、未雨綢繆之御計策相立、其不幸ニ際し候節は必貴行之御本分を御尽し可被成、又各銀行も百方籌計其営業ニ不愧様費心可致精神有之候処、今般九州同盟銀行より別紙之通商議有之候ニ付更ニ協議致し候処、此上金融一層之緊迫を告候節、一時救済之策は貴行ニ於て各銀行ニ対し信用之定度を一段相進め、貸借之区域を敷衍し其取引を長足し、貴行と各銀行と之間ニ於て融通益便利を得可申儀急務と被存候、就而は之を実行致し候ニは信用取引即貸借ニ関する保証物又は当座貸借ニ対する根抵当ニ充用すへき物件之種類を増添致し候儀必要ニ可有之と相信し申候間、従前貴行ニ於て御指定相成居候公債証書及日本鉄道会社外四種株券之外尚又別紙記載之三会社株券をも其抵当ニ御加被下候様仕度候、幸ニ此方策御肯諾相成候得は、貴行金融上之御本文益顕著致し候は申迄も無之、各銀行ニ於て多少営業上変通之運動を得、其諸工業を間接ニ維持すへき効用も可有之、縦令其辺迄ニ不及も尚一般金融上ニ於て必一段之実効相立可申奉存候間、此段及御委頼候、前条之次第御諒被下御肯諾有之度、不堪企望候也
   ○右ハ九州同盟銀行ノ意向ヲ日本銀行ニ取次ギタルモノニシテ、第一国立銀行用箋ニ記サレアルモ日付差出人宛名等ハ不明ナリ。



〔参考〕銀行便覧 (大蔵省銀行局編纂)第二九―三三頁〔大正七年三月〕(DK060062k-0008)
第6巻 p.191-193 ページ画像

銀行便覧 (大蔵省銀行局編纂)第二九―三三頁〔大正七年三月〕
前記兌換券条例ノ改正ニ由リ二十二年一月以降兌換券ヲ以テ政府紙幣銀行紙幣ヲ消却スルニ従ヒ、随時民間ノ需要ニ応シテ其空隙ヲ補充シ以テ漸次兌換画一ノ制ニ帰セシムルヲ期セリ、蓋シ同年ハ物価大ニ騰貴シ金融一時逼迫ヲ告ケ殆ト恐慌ノ兆アリシモ、蚕糸輸出ノ好況ヲ呈シタル等ノ為メ稍々平穏ニ経過スルコトヲ得、終ニ兌換券モ亦其条例制限額以外ニ増発スルノ必要ヲ見サリシ、然ルニ二十三年二月ニ至リ
 - 第6巻 p.192 -ページ画像 
諸会社株金払込ノ期ニ接シ、且米価ニ不測ノ変動ヲ生セシ等ノ為メ金融頗ル壅塞セリ、夫レ本邦市場ノ金融ハ秋冬ノ候一時繁劇ヲ告クルモ春季漸ク緩慢ノ状ヲ呈スルハ其常態ナリトス、然ルニ今回ノ如キハ其常態ヲ示ス能ハスシテ非常ノ形情ヲ示セリ、蓋シ其原因一ニシテ足ラサルヘシト雖トモ、米価ノ騰貴、会社新株ノ払込之カ主因タラサルヲ得ス、之ヲ自然ニ放任スルニ於テハ或ハ恐慌ヲ生シ、漸ク勃起セントスル所ノ事業ハ玉石共ニ之ヲ砕カサルヲ得サルノ状ヲ呈セシニ由リ、日本銀行ハ此ニ注目シ改正兌換券条例○明治二十一年七月ノ改正兌換券条例第二条ニ拠リ制限外ニ該券ヲ発行シ、焦眉ノ急ヲ救済センコトヲ稟請セリ、政府之ヲ容レ三月一日其税率ヲ五分トシ之カ増発ヲ認可シタルヲ以テ同月以降之ヲ発行シタルモ其額ハ僅々五拾万円ニ止マリ、且四月ヲ以テ悉ク之ヲ引揚クルニ至レリ、是レ蓋シ此増発ヲ認可スルニ際シ金禄公債証書五百万円ノ償還アリテ其元利金ノ一時市場ニ流出シタルト制限外増発ノ挙アルニ会シ、前途金融疏通ノ望ヲ生セシニ由ルナリ、斯ノ如ク二十三年ノ春季ニ於テ金融繁忙ヲ告ケ市場ニ異状ヲ呈セシハ前陳ノ如ク諸会社ノ株金払込期ニ迫リシト米価ノ騰貴之カ主因タリシハ敢テ疑ヲ容レスト雖トモ、近来買易ノ伸張及新事業ノ発達実ニ意表ニ出テ、市場漸ク通貨欠乏ノ情ナキ能ハス、殊ニ我邦固有ノ情況ニ由リ外国貿易ノ為メ中央銀行ノ発行制限高ヲ増加セサルヲ得サルノ必要ヲ感シ、二十三年五月法律第三十四号ヲ以テ兌換銀行券条例中更ニ改正ヲ加ヘ保証準備発行ノ額七千万円ナリシヲ八千五百万円トナシ、即チ制限高ニ壱千五百万円ヲ増加シ、政府ヘノ貸金ニハ従来二分ノ利子ヲ付スヘキモノナリツヲ改テ無利子トナセリ、今其改正ヲ要セシ理由ヲ略叙スルコト左ノ如シ
曩ニ兌換券条例ヲ改正シテ保証準備発行ノ額ヲ七千万円トシ、内弐千七円万円ハ銀行紙幣ノ減少ニ従ヒ、漸次発行スルモノトシ、政府所有ノ準備ハ之ヲ紙幣償還ニ充テ、其不足高ハ弐千弐百万円ヲ限リ之ヲ日本銀行ヲシテ政府ヘ貸付セシメ、明治三十年マテハ年二分ノ利子ヲ付スヘシト定メラレタリ、是レ当時貿易ノ景況ト日本銀行ノ収利トヲ斟酌シ、制定セラレシモノニシテ固ヨリ其当ヲ得タルモノナリト雖トモ爾来内外ノ貿易大ニ伸張シ、凡百ノ事業頗ル発達シ、当時ノ計画モ已ニ当今ノ勢ニ応スル能ハス、況ヤ将来海陸運輸ノ便益々開ケ貿易愈々進歩シ随テ商業社会ニ金融ヲ要スル実ニ今日ノ比ニアラサルヘキニ於テヲヤ、然ルニ日本銀行ノ資力已ニ今日ノ需要ヲ充スニ足ラサルノ観ナキヲ得ス、今ニシテ之ニ応スルノ策ヲ講セスンハ通貨需要ノ権衡ヲ失シ、大ニ凡百事業ノ進歩ヲ障害スルニ至ルヤ疑ヲ容レス、然ラハ則チ之ニ応スルノ策如何、曰ク中央銀行ノ利子割引歩合ヲ増加シテ以テ正貨ノ供給ヲ外国ヨリ得ルハ我邦経済上地理上未タ劇カニ為シ能ハサル所ナルヲ以テ宜シク兌換券条例ノ制限ヲ拡張シ、保証準備ニ対スル発行額ヲ増加シテ八千五百万円トナスヘシ、而シテ此増加額ハ直チニ之ヲ発行セシメスシテ常ニ十分ノ検束ヲ加ヘ、内外貿易上已ムナキノ需要額ヲ発行セシメハ以テ現在将来ノ需要ヲ充スニ足ラン、斯ノ如クナレハ日本銀行ノ利益モ亦増加スルヲ以テ曩ニ紙幣消却ノ為メ借入ルヘキ金額ニ対シテ年二分ノ利子ヲ付スルコトヲ定メタルモ、今ハ則チ
 - 第6巻 p.193 -ページ画像 
之ヲ付セスシテ敢テ差支ナカルヘシ、是レ一方ニ於テハ亦国費ヲ減スルノ一端トナリ、一方ニ於テハ大ニ融通ヲ資ケ、内外貿易ノ発達ヲ促スモノニシテ、実ニ一挙両全ノ策ト言フヘキナリ、今明治十五年以降二十二年ニ至リ本邦輸出入貿易ヲ調査スルニ、其統計ノ成績ハ左表ノ如シ、亦以テ兌換券条例ニ改正ヲ加ヘ保証準備額ヲ増加スルノ必要ヲ証スルニ足ルヘシ
    輸出入貿易高等

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  年次     輸出入貿易高           日本銀行定期当座貸付高並割引高   横浜正金銀行貸付金当座貸割引手形買入高外国為替貸其他   日本銀行、正金銀行ノ二欄合計                  円       下半期       円                円                            円 明治十五年   六八、二九五、二七七・一五八       九八七、八〇〇・〇〇〇   一七、三四三、三二〇・三九七               一八、三三一、一二〇・三九七 十六年     六六、一九一、三三六・二五〇     五、六五六、四五〇・〇〇〇   三六、七一三、八六六・八〇七               四二、三七〇、三一六・八〇七 十七年     六五、〇四六、六二七・六九四    一六、五七一、〇八二・四八八   五四、三七七、八三五・八八七               七〇、九四八、九一八・三七五 十八年     六八、七九七、八一七・六九五    一五、八四〇、八七〇・〇九一   六七、四三二、五一五・四〇四               八三、二七三、三八五・四九五 十九年     八六、一七五、〇五六・三九五    二七、四一八、五六〇・三三二   六二、〇七二、六三九・五二六               八九、四九一、一九九・八五八 二十年    一〇四、一〇八、九九二・八七〇    八一、〇〇七、九八七・一七四   八五、〇一一、四七七・四三四              一六六、〇一九、四六四・六〇八 二十一年   一三一、一六〇、七四四・二二〇   一〇四、七二七、一〇〇・四九一   八〇、三九二、八〇一・五四三              一八五、一一九、九〇二・〇三四 二十二年   一三六、一六四、四七二・四二〇   一一三、三九三、五〇八・〇五四   七二、三三二、〇七四・五七一              一八五、七二五、五八二・六二五 



   備考 従来輸出ハ再輸入ヲ控除シテ其統計ヲ示スノ方ナリシカ、十九年以降ハ輸出ニハ再輸出ヲ、輸入ニハ再輸入ヲ加算スルコトヽナレリ、依テ其方法ニ拠リ十八年以前ノ分モ改正セリ
      外国貿易年表ニ於テ輸出人品原価ハ十九年ヨリ総テ銀円ニ換算掲表スルコトヽナレリ、其以前ハ金銀混計ナルヲ以テ各年ノ消長ヲ通覧スルニ便ナラス、因テ今此ニ二十年ノ比例ヲ平均シ十五年ヨリ十八年迄各金銀ヲ区分シ、金貨ニハ各年毎ニ金銀ノ差ヲ加算シテ総テ銀円トナシテ掲記セリ

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 年次     輸出入貿易高            政府紙幣銀行紙幣兌換銀行券流通高   補助銀貨流通高         以上二欄合計            通貨ニ対スル貿易ノ割合                  円                 円                円                 円        割分厘毛 明治十五年   六八、二八五、二七七・一五八   一四三、七五四、三六三・二三二    七、四九九、二五九・一〇〇   一五一、二五三、六二二・三三二   四・五一五 十六年     六六、一九一、三三六・二五〇   一三二、二七五、〇一二・九三二    七、三〇一、三一一・四五〇   一三九、五七六、三二四・三八二   四・七四二 十七年     六五、〇四六、六二七・六九四   一二四、三六九、一七五・六三二    七、二六三、〇三九・四〇〇   一三一、六三二、二一五・〇三二   四・九四〇 十八年     六八、六九七、八一七・六九五   一二二、一五三、七五七・二三二    九、二五二、八八五・三〇〇   一三一、四〇六、六四二・五三二   五・二三五 十九年     八六、一七五、〇五六・三九五   一三六、三二八、一〇九・八三二    九、二五三、〇三一・〇五〇   一四五、五八一、一四〇・八八二   五・九一九 二十年    一〇四、一〇八、九九二・八七〇   一三七、六五四、二八〇・三三二   一一、二四四、五八〇・六〇〇   一四八、八九八、八六〇・九三二   六・九九一 二十一年   一三一、一六〇、七四四・二二〇   一三七、四〇九、九一五・〇八二   一一、九八二、七九九・一〇〇   一四九、三九二、七一四・一八二   八・七七九 二十二年   一三六、一六四、四七二・四二〇   一四一、九四九、二四五・〇八二   一二、一九四、九四八・九五〇   一五四、一四四、一九四・〇三二   八・八三三 



   備考 外国貿易年表ニ於テ輸出入品原価ハ十九年ヨリ総テ銀円ヲ換算掲表スルコトヽナレリ、其以前ハ金銀混計ナルヲ以テ各年ノ消長ヲ通覧スルニ便ナラス、因テ今此ニ二十年二十一年ノ比例ヲ平均シ十五年ヨリ十八年迄各金銀ヲ区分シ、金貨ニハ各年毎ニ金銀ノ差ヲ加算シ総テ銀円トナシ掲記セリ


〔参考〕官報 第二七〇号 〔明治一七年五月二六日〕 第拾八号(DK060062k-0009)
第6巻 p.193-194 ページ画像

官報 第二七〇号 〔明治一七年五月二六日〕
○第拾八号
兌換銀行券条例別紙ノ通制定シ、明治十七年七月一日ヨリ施行ス
 但明治七年九月第百号布告ハ、此条令布告ノ日ヨリ満一ケ年ノ後廃止ス
右奉 勅旨布告候事
  明治十七年五月二十六日      左大臣 熾仁親王
                   大蔵卿 松方正義
 - 第6巻 p.194 -ページ画像 
(別紙)
    兌換銀行券条令
第一条 兌換銀行券ハ日本銀行条令第十四条ニ拠リ、同銀行ニ於テ発行シ、銀貸ヲ以テ兌換スルモノトス
第二条 日本銀行ハ兌換銀行券発行高ニ対シ、相当ノ銀貨ヲ置キ、其引換準備ニ充ツヘシ
第三条 兌換銀行券ノ種類ハ壱円五円拾円弐拾円五拾円百円弐百円ノ七種トス、但大蔵卿ハ各種ニ就テ其発行高ヲ定ムヘシ
第四条 兌換銀行券ハ租税海関税其他一切ノ取引ニ差支ナク通用スルモノトス
第五条 兌換銀行券ハ大蔵卿ノ指定スル書式図形ニヨリ、日本銀行ニ於テ之ヲ製造シ、時々其製造高ヲ大蔵卿ニ上申スヘシ、但其見本ハ発行期日前大蔵卿ヨリ告示スヘシ
第六条 兌換銀行券ノ引換ヲ請フ者アルトキハ、日本銀行本店及ヒ支店ニ於テ、営業時間中何時ニテモ兌換スヘシ
第七条 金銀貨ヲ持参シテ兌換銀行券ニ引換ンコトヲ請フモノアルトキハ、日本銀行本店及ヒ支店ニ於テ、無手数料ニテ之ヲ交換スルモノトス
第八条 日本銀行ハ兌換銀行券発行ニ関シ、出納日表及ヒ精算月表ヲ作リ、之ヲ大蔵卿ニ報告スヘシ
第九条 大蔵卿ハ日本銀行監理官ヲシテ特ニ兌換銀行券発行ノ件ヲ監督セシムヘシ、但監理官ニ於テ必要ナリトスルトキハ、何時ニテモ其手許有高及ヒ帳簿ヲ撿査スルコトヲ得
第十条 兌換銀行券ノ染汚毀損等ニヨリ通用シ難キモノハ、日本銀行本店及ヒ支店ニ於テ無手数料ニテ之ヲ引換フヘシ
第十一条 兌換銀行券ノ製造損券引換及ヒ消却等ノ手続ハ、大蔵卿之ヲ定ムヘシ
第十二条 兌換銀行券ノ偽造変造ニ係ル罪ハ、刑法偽造紙幣ノ各本条ニ照シテ処断ス
   ○担保品制度実施ノ結果、日本銀行手形割引高明治二十二年ニ参千七百〇九万壱千参百拾参円九拾参銭参厘ナリシモノ、同二十三年ニハ七千七百五拾四万七千参百七拾九円七拾七銭弐厘ニ増加シタリ。
   ○日本銀行ヨリ手形交換所ニ出席スル件ニ就テハ、明治二十四年二月二十八日ノ頃参照。尚明治三十三年三月三十一日ノ項参照。


〔参考〕稿本日本金融史論 (滝沢直七著) 第二四一―二七九頁〔大正元年一〇月〕(DK060062k-0010)
第6巻 p.194-209 ページ画像

稿本日本金融史論 (滝沢直七著)第二四一―二七九頁〔大正元年一〇月〕
    第二款 二十三年の逼迫
急激過度の企業勃興はこれが反動として到底来るべき破綻の潜み居たのである。然れども明治十九年より四個年間彼れが如く企業熱の高潮してなほ恐慌の襲来せず明治二十二年の経過せしもの蓋し識者の警告は狂奔せる経済界をして大に警戒を加へしめたるものその原因の一であらう。最初に警告を与へた人は日本銀行総裁であつて、日本銀行の警戒は当然あるべき所、屡々金利を変更し、短期の貸出に努め、回収を謀り、警戒を厳にして努めて来らんとする金融の変調に対して矯正
 - 第6巻 p.195 -ページ画像 
せんとし、日本銀行が中央銀行たる職分を尽さんとせし結果はその原因の一であろう。国債の償還せられたるものその原因の一であらう。また政府が多年外国為替の作用によりて海外に取得し倫敦に蓄積したる正貨を準備金整理のために取戻したるは八百三十一万余円に達し、また輸出超過よりして正貨輸入せられ日本銀行の預金となりしものもその原因の一であらう。且つや生糸価格は兎角不振の商況にありしが二十一年の末に至りて俄に売れ行き、輸出巨額にして二十一年に外国貿易をして輸出超過たらしめしほどであつて、その価格は高価ならざるも輸出額は近時稀なる盛況であつたから、その代価の回収せられて少しく引締らんとせし金融一変して円滑の状態を呈するに至りしものその原因の一であらう。当時未だ商法の制定なく、払込に関する法規備はらざりしを以て払込は会社の創立に重要視せられず。殊に泡沫会社にあつては出来得べき限りは払込を遅延せしむるの傾向を有せしなるべく、概してこの時期に於ける企業の資本金払込は遅延せられしなり。従て会社創立の割合にまた資本増加の割合に実際に資金を要せずして金融市場に影響せざりしもその原因の一であらう。而して二十一年及二十二年に於ける公債は海軍公債、整理公債及鉄道補充公債等の募集あつたけれども、左の如く二個年間に於ける現金償還は遥に募集額より多額に上つたのである。
  年月   種目               現金募集        現金償還        市場放散高累計
 明治廿一年                      円           円              円
  二月  金禄公債                        四四六、〇五〇        四四六、〇五〇
  三月  海軍公債証拠金         二〇〇、〇〇〇                    二四六、〇五〇
  四月  金禄公債                         一一、六五〇        二五七、七〇〇
  同月  新公債                          一〇、〇〇〇        二六七、七〇〇
  同月  起業公債                          七、四〇〇        二七五、一〇〇
  同月  金札引換公債                        一、二〇〇        二七六、三〇〇
  九月  金禄公債                        五七〇、五九〇        八四六、八九〇
  十一月 同上                        六、二九八、五七〇      七、一四五、四六〇
  同年中 旧公債(概算)                     二一九、四五四      七、三六四、九一四
  同年中 大蔵省証券                    六一、五一〇、〇〇〇              ―
  同年中 同上                                               ―
 同 廿二年
  一月  金禄公債                        一〇〇、三七五      七、四六四、九一四
  二月  鉄道補充公債証拠金       二〇〇、〇〇〇                  七、二六四、九一四
  三月  金禄公債                        一〇〇、三七五      七、三六四、九一四
  三月  鉄道補充公債第一回払込               一、〇〇三、五三七      八、三六八、四五一
  同月  金禄公債                      一、二八四、八二〇      七、〇八三、六三一
  四月  整理公債第一回及第二回払込 四、五一五、〇二九                  二、五六八、六〇二
  同月  海軍公債証拠金         四〇〇、〇〇〇                  二、一六八、六〇二
  同月  鉄道補充公債第一回払込     八〇三、五三七                  一、三六五、〇六五
  同月  新公債                          一〇、〇〇〇      一、三七五、〇六五
  同月  起業公債                          七、四〇〇      一、三八二、四六五
  五月  海軍公債第一回及第二回払込 三、六〇三、三九五            (国庫吸収 二、二二〇、九三〇)
  六月  金禄公債                      一、三七〇、四六五 (同     八五〇、四六五)
  同年中 旧公債(概算)                     二一九、四五四 (同     六三二、〇一一)
  同年中 大蔵省証券                     七、七八〇、〇〇〇             ―
  同年中 同上              八五〇、〇〇〇                         ―
○中略
これ等数原因のあつたゝめであらう二十一年は平穏に経過し、二十二年の春に入り金融少しく緩み勝ちとはなつて日本銀行は金利を三回に引下げ全国に於ける金利も従て引下げたのである。その趨勢をここに掲げよう。
 - 第6巻 p.196 -ページ画像 
    日本銀行金利低落

図表を画像で表示日本銀行金利低落

   改正年月日                  本店貸附日歩                  本店当所割引日歩  明治廿一年                     銭                       銭   九月廿九日                   一・八六                    一・八五  同 廿二年   一月 四日  [img 図]〓(低落) 一・八一  [img 図]〓(低落)  一・八〇   二月 一日                   一・七五                    一・七五   二月十九日                   一・七〇                    一・六五 



    全国貸附利子平均高低

図表を画像で表示全国貸附利子平均高低

   年 月                最高                 最低  明治廿一年                割                  割    九月                一・五三               〇・七三    十月                一・五七               〇・七五    十一月               一・六〇               〇・七五    十二月               一・六八               〇・七八  同 廿二年 [img 図]〓(低落)   [img 図]〓(騰貴)    一月                一・四一               〇・九〇    二月                一・三九               〇・八七    三月                一・三四               〇・八四 



○中略
兎角する中これ等の公債募集は金融市場の流通資本を国庫に吸収したるあり二十二年中に於ける国債償還は二百九十九万余円に過ぎざることは前に掲げし表のやうであり、新会社の資本払込は漸く接近し来るあり、七月に入りては連日の雨天を気構へて米価常に騰貴に傾き日本銀行は金融の前途を虞りて回収を怠らず警戒以て頻りに金利を引上げ
    改正年月日 本店貸附日歩 当所割引日歩
   明治二十二年   銭            銭
    八月十九日  一・八六(年利六分八厘) 一・八五
   同年九月三日  一・九二(年利七分)   一・九〇
と為し、年初に比較して貸附に於て年利八厘方引上られ、各銀行は前途を危ぶみ、手許の準備を謀るに汲々たれば普通貸付の如きは担保如何に係らず貸借みて大概拒絶し、公債及株式の価格は一済に下落するに至つては殆と恐慌の兆を顕はすやうになつたのである。即ち株式の趨勢を示そう。
    東京株式取引所定期先物平均相場

図表を画像で表示東京株式取引所定期先物平均相場

                    日本郵船会社株                                                       東京株式取引所株 月次                  二十二年                          二十三年                           二十二年                               二十三年                      最高     最低                     最高      最低                     最高       最低                       最高       最低                        円      円                      円       円                       円        円                        円         円 一月                 最高九八・八〇  九〇・〇〇                  七九・三〇   七五・九〇                  三二二・五〇   二六〇・五〇                   二六一・五〇   二五七・五〇 二月                   九四・八〇  九一・四〇                  七八・一〇   七三・六〇                  三七五・九〇   二五九・〇〇                   二六〇・〇〇   二五二・〇〇 三月                   九二・九〇  九〇・六〇                  七五・〇〇   七一・八〇                  三六三・三〇   二六四・〇〇                   二八一・〇〇   二七七・〇〇 四月                   九三・九〇  八七、四〇                  七五・一〇   七一・八〇                  三六二・八〇   二六九・〇〇                   二九〇・八〇   二六八・〇〇 五月                   八八・六〇  八三・〇〇 [img 図]〓(低落) 七五・一〇   七四・〇〇                 三二一・五〇    二六八・〇〇 [img 図]〓(騰貴) 二六九・〇〇   二六〇・八〇 六月                   八六・五〇  八四・一〇                  七四・〇〇   七一・六〇                  二九一・〇〇   二六七・五〇                   二七八・〇〇   二五九・〇〇 七月                   八六・〇〇  八四・七〇                  七五・四〇   七四・七〇                  二八八・五〇   二七五・〇〇                   三三六・三〇   二七七・〇〇 八月                   八六・四〇  七八・九〇                  七五・五〇   七五・一〇                  二八〇・〇〇   二八九・〇〇                   三五〇・〇〇   三三一・〇〇 九月 [img 図]〓(低落)  八二・一〇  七九・九〇                      ―       ―                  二八六・〇〇   三四四・六〇                 最高三五一・一〇   三一六・五〇 十月                   八二・四〇  七九・五〇                      ―       ― [img 図]〓(低落) 二七九・〇〇   三四九・八〇 [img 図]〓低    三二二・五〇   二九四・八〇 十一月                  八四・八〇  八二・六〇                最低六八・二〇   六六・六〇                  二八三・五〇   三二二・五〇                   二七〇・五〇   二四七・五〇 十二月                  八三・七〇  八一・二〇                  六八・五〇   六七・〇〇                  二七七・五〇   三一七・〇〇                   二八五・〇〇   二五九・三〇 



  (注意) 比較ノ便宜上払込金額ノ変更ナキ前二種ノミヲ挙ゲタリ
    大阪株式取引所定期取引平均相場

図表を画像で表示大阪株式取引所定期取引平均相場

   年月                    山陽鉄道会社株                九州鉄道会社株   大阪商船会社株                 大阪株式取引所株   明治廿二年                   円                       円        円                        円     一月                  三三・六二六                       ―   二七・八七七                  三一一・一八七     二月                  四〇・八四九                       ―   二六・八六八                  三四一・六〇一                         (払込卅円)  以下p.197 ページ画像      三月                  四三・四八六                       ―   二六・六五三                  三四四・三四一                         (払込卅五円)     四月                  四〇・〇〇五                  一九・八〇六   三二・四八九              (最高)三四四・五六三                                                 (払込十円)     五月                  四六・二四三                  一七・一三九   二九・九六九                  二九六・七三二                         (払込四十円)     六月                  四六・〇八二                  二五・三三二   三〇・三九三                  二九八・六一八                                                 (払込二十円)     七月                  四二・一八五                  二四・七九〇   二九・二四〇                  二九一・六六七     八月                  一九・六五〇                  二二・八〇〇   二七・五〇〇                  三〇一・五〇〇                                                 (払込二十円)     九月                  二〇・〇〇〇                  二四・四〇〇   二五・一〇〇                  三〇〇・五〇〇     十月                  二〇・〇二五                  二四・一〇〇   二七・八五〇                  二九五・〇〇〇    十一月                  二一・二五〇              (最高)二六・一五〇   三一・七五〇 [img 図]〓(低落) 二九四・二五〇    十二月                  二〇・七五〇                  二四・四〇〇   三一・三五〇                  二九一・五〇〇    同廿三年                                                  保合     一月                  二〇・二〇〇                  二一・七〇〇   三一・八〇〇                  二八五・〇〇〇     二月                  一八・一〇〇                  二〇・〇五〇   三一・二五〇                  二八四・〇〇〇     三月                  一七・二五〇                  二四・七〇〇   三〇・五〇〇                  二八九・七五〇                                                 (払込廿五円)     四月                  一六・〇七五 [img 図]〓(低落) 二三・七〇〇   二九・〇五〇                  二九五・五〇〇     五月                  一七・四〇〇                  二二・五〇〇   三〇・〇五〇                  二八三・〇〇〇     六月 [img 図]〓(低落) 一五・八〇〇                  二三・八五〇   二七・七五〇                  二六四・五〇〇     七月                  一七・九五〇                  二四・〇〇〇   三〇・七〇〇                  二八六・〇〇〇     八月                  一七・二二五                  二二・七五〇   三二・一五〇                  二九九・〇〇〇     九月                  一六・七〇〇                  二六・六五〇   三四・九五〇                  二九九・〇〇〇                                                 (払込三十円)     十月              (最低)一五・五五〇                  二六・〇五〇   三四・一〇〇                  二八六・〇〇〇    十一月                  一五・六〇〇              (最低)二四・六〇〇   三三・七七五              (最低)二六〇・〇〇〇    十二月                  一五・四二五                  二四・五五〇   三三・八〇〇                  二六九・二五〇 



これに勢を添へたるものは米作であつた。米穀収穫の季節に入り凶作の予想は事実となつて近来の凶作となつた。即ち
      年次 総収獲高 一反歩ニ対スル収獲高
                     石   石
     明治二十年  三九、九九九、一八九  一・五二
     同 廿一年  三八、六四五、五八三  一・四四
     同 廿二年  三三、〇〇七、五六六  一・二一
二十二年は平年に比較して二百二十六万余石の減収となり、前年に比して五百六十余万石の減収となつて、米価は騰貴した。即ち
    明治二十二年全国米商会所平均相場(石)
        円         円         円
   一月  四、四三  五月  四、三六  九月  六、六五
   二月  四、三八  六月  四、六四  十月  六、七二
   三月  四、二七  七月  五、〇四  十一月 六、九一
   四月  四、三六  八月  五、五六  十二月 六、七二
七月以降より年末に至りては五割以上の騰貴となり、愈々金融市場の警戒を刺激したのである。而して物価もまた米価に伴ふて騰貴せしこと左の如くである。
    明治二十二年中物価 (東京重要品平均価格指数)
     (日本銀行調査、二十年一月四十一品ノ相場平均ヲ百トシテ算出)
   一月  一一七  五月  一一八 九月  一一九
   二月  一一七  六月  一一九 十月  一一八
   三月  一一八  七月  一一八 十一月 一一五
   四月  一一六  八月  一二〇 十二月 一一一
物価の騰貴は資金の需要を増加し来たつて愈々金融市場を刺激するやうになり、凶作の結果は直に外国貿易に影響したり。常に輸出したのであつた米は輸入するやうになり、左の如く二十三年は二十二年に比して変動したのを見るのである。

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               輸出高                    輸入高  年次      数量         金額          数量           金額                 円          円           円           円 明治廿二年   三、二七七、一二九  七、四三四、六五三      五一、七三七     一三六、七五五 同 廿三年     三九五、〇二七  一、三二三、五一〇   四、五九六、五九四  一二、三〇二、八八三 



その輸出額に於て六百万円を減じて輸入額に於て千二百万円を増加し
 - 第6巻 p.198 -ページ画像 
たり。帰するところ千八百万円は凶作の影響であつた。これ明治三年の凶作以来の米穀に於ける外国貿易の現象なりとす。更に二十二年七月以降の連月米穀輸出入を看れば、

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      輸出                    輸入 月次   廿二年       廿三年          廿二年       廿三年            円          円        円           円 一月               七四、三八九                九九、五二九 二月               五四、七七六               一二九、九一七 三月               六八、七〇六               四二四、七七七 四月               九二、八〇九               七六五、二五〇 五月               七八、三九三               八六二、三四一 六月              一三〇、九二七             二、三一三、八六七 七月   二二三、五五七     一三、一四八        五    二、六二九、五三四 八月   一二一、三七五     五七、三五二       一六    三、一〇一、四六五 九月   一三七、七一七     四八、三四二    八、六二一    一、六六九、〇一七 十月   一二八、一六三      八、四四二   七九、七八九      一三六、四五五 十一月  一二三、六二九    一四〇、八三一   一五、〇八八       四八、三三七 十二月  一二六、七九三    五五三、四二五   三三、〇六七       九八、三五二 



明治二十二年の九月より輸入は増進し二十三年八月に至りてはその最多額に達して三百万円に上つて居り、これに反して輸出は二十三年八月以降より減少して十月に至つては八千円に減少し、最高額と比較すれば十分の一にも足らないのである。この現象は金融に影響せずして已むべきものではないのである。
更に金融をして引締らしむる偶因があつた。即ち銀塊の騰貴がそれである。蓋し銀塊騰貴して金貨下落せば銀貨国たる本邦の輸出貿易は甚だ不利なるに反して欧米金貨国より本邦への輸入貿易は甚だ利なるの故を以て輸出品殊に生糸輸出に減少を来たし、本邦の外国貿易の逆勢を現出するやうになつた、そも銀価の数年来下落しつゝあるに俄に騰貴せしものは北米合衆国に於ける銀貨問題に原因せり。米国は多額の銀を産出する国であるから年々の下落に際してはその救済策の当然施されなければならぬ。この救済に於ける経済上の問題は実にまた米国に於ける政治上の大問題であつて、政治の栄枯盛衰はこの問題より分かれたのである。この救済策の一として生れたる銀貨条例なるものもあつて、毎月最低額二百万オンスの銀塊を購入してこれを鋳造し下落せんとする銀価を維持したのである。然るに二十二年一月大蔵卿はこれを廃して新案を企て、銀貨論者の排斥する所となり、元老院議員は別に新案として米国政府は毎年五千四百万オンス即ち一個月四百五十万オンスの銀塊を買入れまた金貨を売出すものあらば銀貨を以てこれを引換ふべしといふのであつたが、遂に多数の同意を得て可決せられたのである。この銀貨問題が二十二年十月以来世界の一大問題となつて銀貨に影響を及ぼしたが、遂に二十三年三月に至り該法案の国会に提出せらるゝや該案の成行によりて一々倫敦銀塊相場に影響し、その結果終に倫敦銀塊相場をして四十三片八分の五より四十九片まで暴騰せしめ、該案の両院を通過し大統領の批準を経るや五十片を抜き、八月実施の時に入り五十四片半の極に達せり。倫敦銀塊相場は米国の市況に左右せられ、本邦の外国為替相場はまた倫敦銀塊相場に支配せられ、一々銀貨国たる我経済に影響したのである。即ち二十三年に於ける外国為替の変動は、

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  以下p.199 ページ画像  月次    倫敦参着               平均相場ヲ以テ   巴里参着       平均相場ニテ    紐育参着          平均相場ニテ       (銀貨一円ニ付)           英貨一磅ヲ     (銀貨一円ニ付)   仏貨一法ヲ     (銀貨百円ニ付)      米貨一弗ヲ                          我銀貨ニ換算高              我銀貨ニ換算高                 我銀貨ニ換算高       最高        最低                 最高    最低              最高     最低       志         志         円        法     法    円           弗      弗     円 一月   三、〇二、三/八  三、〇一、七/八  六、二九四八   四、〇三  三、九九  、二四九三     七七、七五  七六、五〇  一、二九六六 二月   二、〇二、一/八  三、〇〇、三/四  六、四一二八   四、〇一  三、九〇  、二五二八     七七、二五  七四、五〇  一、三一八三 三月   三、〇一、七/八  三、〇〇、三/四  六、四三三四   三、九九  三、八九  、二五三八     七六、七五  七四、七五  一、三二〇三 四月   三、〇四、三/四  三、〇一、三/八  六、一六一一   四、二七  三、九三  、二四四二     八二、〇〇  七五、七五  一、二七〇四 五月   三、〇四、三/四  三、〇三、一/四  六、〇〇七七   四、二五  四、一三  、二三八六     八二、五〇  七五、五〇  一、二三四九 六月   三、〇六、一/四  三、〇四、〇    五、七九八五   四、四二  四、一九  、二三二四     八五、七五  八一、〇〇  一、二〇〇三 七月   三、〇七、一/四  三、〇四、一/二  五、七三〇一   四、五二  四、二五  、二二八七     八七、五〇  八二、〇〇  一、一八一三 八月   三、一〇、〇    三、〇七、一/四  (最低)     四、八三  四、五三  (最低)      九三、〇〇  八七、五〇  (最低)                          五、三八三二               、二一四〇                   一、一〇九〇 九月   三、一〇、一/四  三、〇六、〇    五、四二四〇   四、八五  四、四〇  、二一六六     九三、五〇  八五、〇〇  一、一二二九 十月   三、〇七、一/四  三、〇四、一/四  五、七五五九   四、五四  四、二三  、二二八五     八七、五〇  八一、五〇  一、一八一六 十一月  三、〇五、一/四  三、〇二、一/二  六、〇二五九   四、三三  四、〇五  、二二九二     八三、五〇  七九、〇〇  一、二三一六 十二月  三、〇六、三/四  三、〇四、一/二  五、七一四四   四、四八  四、二五  、二二九二     八六、五〇  八二、〇〇  一、一八七九 



外国為替はかくの如くして欧米の貨幣は我銀貨に対して価格大に下落したから、本邦より欧米に輸出せんとする生糸は欧米に取りては高価たらざるを得ず、二十三年が二十二年の生糸輸出に比して頗る振はずして、劃然三月よりその輸出を減少し明かにその影響を生糸貿易に現はしたのである。即ち二十二年と二十三年との生糸輸出額を対照すれば左の如くである。

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 月次               数量                                 金額      二十二年      二十三年       廿二年対比較減     二十二年        二十三年         廿二年対比較減             斤          斤       斤               円           円        円 一月    四七五、七二一    三八一、〇四四     九四、六七七    二、六八二、〇七八   二、八四三、九一〇   (増一六一、八三二) 二月    二九二、五一五    二二五、五八二     六七、〇三三    一、七六七、九一二   一、六六五、三九二      一〇二、五二〇 三月    一六四、五二〇     八五、八四二     七八、六七八      九八七、七四四     六三〇、二七七      三五七、四六七 四月    一二七、一五八     二五、九七四    一〇一、一八四      七二五、四〇八     一九〇、五一二      五三四、八九六 五月    一五二、六一九     三〇、一一二    一二二、五〇七      八九〇、六七二     一九八、二六七      六九八、四五二 六月    一〇六、九一五     五九、〇五八     四七、八五七      六四〇、五三七     三八三、三三三      二五七、二〇四 七月    一六二、〇六二    一四四、二八二     一七、七八〇      九九八、二八二   一、〇一〇、五九五    (増一二、三一三) 八月    四三八、五五六     九六、六八九    三四二、八六七    二、七〇四、八六三     六二七、二七〇    二、〇七七、六一三 九月    五九五、二九八    一五六、〇八四    四三九、二一四    三、六六一、六八五     九六三、一〇七    二、六九八、五七八 十月    六四〇、六六八    二〇八、八八一    四三一、七八七    四、三八七、八一九   一、三一六、六七一    三、〇七一、一四八 十一月   五一二、三六三    三七三、七四〇    一三八、六二三    三、七一七、六三四   二、二一四、九二五    一、五〇二、七〇九 十二月   四七六、三三五    三二三、〇二二    一五三、三一三    三、四五一、九〇一   一、八一五、〇七五    一、六三六、八二六 合計  四、一二六、七四一  二、一一〇、三一五  二、〇一六、四二六   二六、六一六、五四一  一三、八五九、三三八   一二、七五七、二〇三 



凶作は米価に影響して輸出を減少し、反て外国米の輸入を増加したるに、銀貨騰貴は生糸輸出を減少すること千二百万円に上り、二十三年に於ける外国貿易は実に二千五百円の不利を来たしたわけであるから二十二年凶作となるに至つては早く流出し、二十三年は毎月流出し停止する所を知らず。外国貿易は不平均の勢を逞しうして正貨の流出より来る圧力は金融逼迫を助長せしめしこと多大であつた。外国貿易は左の如く逆勢である。
    月次      物品輸入超過額    金銀輸出超過額
                    円           円
   一月         七二四、三一五     四二三、七一二
   二月       一、四八七、八八六     七〇九、四八〇
   三月       二、九三八、八三一   一、六七八、四五三
   四月       三、七八〇、六二六   一、〇三四、五六七
   五月       二、八三八、八三一     二〇九、四八二
   六月       二、四五一、四八七     五九五、四〇五
   七月       三、五九八、九五七   一、三〇〇、〇二八
   八月       四、四五四、四二五   二、九四三、一九四
   九月       三、一〇八、七四八   一、四一一、二八六
   十月         七二九、六五五   一、六六〇、九六四
 - 第6巻 p.200 -ページ画像 
   十一月 (輸出超過一、〇四九、八七五)    二四五、一九六
   十二月         六一、七五七     三六六、一五二
   合計      二五、一二五、〇七四  一二、五七七、九二四
十一月に於て一百万円の輸出超過ありし外は毎月連りに輸入超過となり、総額二千五百万円に達して開港以来の巨額に上り、金銀は一個月として輸出超過ならざるはなく一千二百万円の流出となりて明治八年以来未だかくの如き巨額に達せしことはなかつた。
以上論ずるが如き経済界の状態であるから、金融は明治二十二年八月以来漸々逼迫の状を呈し来つて十一月十二月に至り、二十三年一月二月三月に至りて益々逼迫を告げてその極点に達したのである。殊に大阪にあつては逼迫を極めて頗る危急なる状況あり、市中の金利は日歩五銭に騰貴し、東京にありても市中の金利四銭を唱へ、日本銀行は警戒時季たりし八月九月の両月に於て金利を引上げて一般の警戒を促せし外愈々逼迫の状態となりては九月改正の金利を据置きて引上げず、世上に於ける恐慌を促進せしめざる態度に出でたのである。今全国金利と日本銀行金利とを比較して金融状況を看よう。

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                全国                貸金                      預金                  日本銀行本店                最高        最低            最高       最低         当所割引日歩 年月              割         割            割        割           銭 明治廿二年   七月           一・三七      ・八八           ・五六      ・三一         一・八〇   八月           一・三八      ・九〇           ・五六      ・三〇         一・八五   九月           一・四一      ・九二           ・五七      ・三一         一・九〇   十月           一・四五      ・九四           ・五六      ・三一         一・九〇  十一月           一・四八      ・九七           ・五六      ・三一         一・九〇  十二月 [img 図]〓(騰貴) 一・五〇      ・九六           ・五七      ・三一         一・九〇  同廿三年   一月           一・五〇      ・九七           ・五七      ・三一         一・九〇   二月  (最高)     一・五一 (最高) ・九七           ・五七      ・三一         一・九〇   三月           一・四八      ・九六           ・五七      ・三一         一・九〇   四月           一・四七      ・九五           ・五八      ・三一  (最高)   一・九〇   五月           一・四七      ・九五           ・五八(騰貴傾向)・三二         一・九〇   六月           一・四八      ・九六[img 図]〓(騰貴傾向)・五八      ・三二[img 図]〓(低落)一・七〇   七月           一・四五      ・九五           ・五七      ・三二         一・七〇   八月 [img 図]〓(低落) 一・四七      ・九四           ・五七      ・三二         一・七〇   九月           一・四五      ・九五           ・五七      ・三二  (最低)   一・七〇   十月  (最低)     一・四三 (最低) ・九三           ・五八      ・三二[img 図]〓(騰) 一・八〇  十一月           一・四四      ・九三           ・五八      ・三二         二・〇〇  十二月           一・四六      ・九五           ・五九      ・三二         二・〇〇 



貸出の金利は二十三年上半期までは騰貴したが、下半期に入りては下落して居る。預金の二十二年より二十三年上半期まで騰貴せしのみに止まらず、下半期まで騰貴を持続するところを以て見れば銀行の警戒状況が歴然としてあらはれてあるのである。更に東京及大阪の貸金利子を観察せんに、

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 年次                   最高                                                 最低                      東京                   大阪       比較(大阪高)              東京                   大阪         比較                       割                    割       割                     割                    割          割 明治廿二年 七月                  一・一〇                  一・三二     ・二二                   ・九三                   ・八二(東京高)  ・〇一 八月                  一・一二                  一・四四     ・三二                   ・九一                   ・九〇(同  )  ・〇一 九月                  一・一七 [img 図]〓(騰貴) 一・四四     ・二七                  一・〇〇                   ・七九(同  )  ・二一 十月 [img 図]〓(騰貴) 一・一四                  一・六六(最高) ・五二                  一・〇〇                  一・〇〇         〇 十一月                 一・一五                  一・六六     ・五一 [img 図]〓(騰貴) 一・〇〇 [img 図]〓(騰貴) 一・〇〇         〇 十二月                 一・一五                  一・六二     ・四七                  一・〇〇                  一・〇二(大阪高)  ・〇二 同 廿三年 一月                  一・一八     (最高)         一・六二     ・四四                  一・〇二                  一・〇八(同  )  ・〇六 二月       (最高)       一・二一                  一・六二     ・五一                  一・〇六                   ・九〇(東京高)  ・一六 三月                  一・一六 [img 図]〓(低落) 一・六二     ・四六(最高)              一・〇六                   ・九〇(同  )  ・一六  以下p.201 ページ画像  四月                  一・一五                  一・四八     ・三三                   ・九九                   ・九六(同  )  ・〇三 五月                  一・一五                  一・四四     ・二九                   ・九六                   ・九五(同  )  ・〇一 六月 [img 図]〓(低落) 一・〇九                  一・四八     ・三九                   ・九〇                  一・〇〇(大阪高)  ・一〇 七月                  一・一一                  一・三二     ・二一                   ・九二                   ・八四(東京高)  ・〇八 八月                  一・一〇                  一・五〇     ・四〇                   ・九三                   ・九五(大阪高)  ・一二 九月                  一・〇七                  一・五五     ・四八                   ・九四                   ・九五(同  )  ・〇一 十月                  一・一三                  一・三二     ・一九                   ・九二                   ・九三(同  )  ・〇一 十一月                 一・一〇                  一・五〇     ・四〇                   ・八四                   ・七九(東京高)  ・一五 十二月                 一・一四                  一・三二     ・一八                   ・九〇                   ・九五(大阪高)  ・〇五 



東京及大阪の金利もまた二十三年上半期までを騰貴の極点とする。然れども、大阪は東京に比して騰貴の度を強うし、その金利は頗る東京に比して高率であつて逼迫の程度一段銀かりしことを示して居るが、その下落の端を発したのは大阪の市場は東京の市場に比して遥に早く二十三年に入るか入らざるかに落付いたのである。以て大阪金融市場に於ける動揺の激烈なりしを見ることが出来るであらう。
いまこの金融逼迫の概観を描かん為に左に二十二年と二十三年とを比較したる統計を掲げよう。

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                              明治廿二年         同 廿三年         廿二年ニ対シテ廿三年増減                                       円             円                  円       日本銀行、正金銀行及国立銀行人民諸預金   四八九、〇七〇、八二八   六六〇、六六八、七五一   (増) 一七一、五九七、九二三       同上年末残高                 三〇、〇八四、五一七    三七、九八五、九六六   (増)  七九、〇一四、四九〇       国立銀行貯蔵預金本年預金高           四、三八七、四五四     四、九八一、五〇三   (増)     九九四、〇四九 預金関係  同上年末残高                  二、五四六、八三〇     一、二八一、二九四   (減)   一、二六五、五三六       私立銀行諸預金                二四、九〇四、四四四    二四、六九〇、八八五   (減)     二一三、五五九       郵便貯金本年預金高              一一、五二五、九五九    一〇、三六七、九三五   (減)   一、一五八、〇五九       同上年末残高                 二〇、四四一、三五四    一九、七五八、四八二   (減)     六八二、八六二        日本銀行、正金銀行及国立銀行貸附金高    三八二、九〇〇、五四五   四一四、五九八、四一六   (増)  三一、六九七、八七一       同上年末残高                 七九、三〇二、三六二    九二、〇四五、九六五   (増)  一二、七四二、六〇三       私立銀行貸附金                三六、六九八、一七〇    三九、五三二、八三五   (増)   二、八三四、六六五       (資本金)                  一七、四七二、一七〇   (一八、九七六、六一六) 貸出関係  国立銀行貯蔵金払戻高              三、九〇三、一三一     六、二四七、〇三九   (減)   二、三四三、九〇八       郵便貯金払戻高                一〇、八四三、一二二    一一、二九四、四四五   (増)     四五一、三二三       日本銀行、正金銀行及国立銀行公債買入高    一四、九六四、九七五    一一、一三一、八二〇   (減)   三、八三三、一五五       同上公債所有高                七七、七七五、九二六    七四、四七七、五四三   (減)   三、二九八、三八三       (年末)       日本銀行、正金銀行及国立銀行通貨有高     五〇、〇八二、〇一一    三五、八三八、四四四   (減)  一四、二四三、五六七 



日本銀行正金銀行及国立銀行の預金は二十三年に於て増加しあるに反して、私立銀行及郵便貯金の預金は減少したり。これ一は預金の比較的信用薄き私立銀行を離れて日本銀行正金銀行及国立銀行に移りたると、他は貯蓄資金の如き概して小資本であるものが逼迫の困難に誘発せられて流動したものであらう。国立銀行貯蔵金の払戻高が著しく増進せしが如き、郵便貯金の払戻高が増加せしが如きはそれである。然れども、日本銀行正金銀行及国立銀行の通貨在高の千四百余万円の減少し居るのは銀行手許に資本の薄きを示すもので、資本漸く固定し終りしをあらはすのであらう。
金融の関係以上の如くであつて、流通資本は減少するし、金利は騰貴したり、基礎の薄弱なる事業の不確実なる新設会社は最早融通を得ること困難にして、勢ひ倒壊せざるを得ないやうになり、会社の信用はこゝに地に墜ち、確実なる会社すらその内情を疑はれ、従て一般株式に対する疑惧心を生じ。金融の逼迫漸くその度を高めんとするに至つ
 - 第6巻 p.202 -ページ画像 
て銀行の貸出も一層の警戒を加へ、殊に二十三年七月大阪に於て山陽鉄道会社の株券偽造せられたるを発見せられたるに及びては、株式に対する人気に之を危険なりとする懸念を生ずるに至り、株式に対し厭気を生じて株式の価格は下落する、株式熱に誘惑せられて身分不相応の株式を所有するものは多額の損失を来たして、倒産するものその数を知らず、株式の下落は愈々その度を増加して、惨憺たる状況となれり。今二十年及二十一年に於ける暴騰せし際に於ける株式価格と金利騰貴後に於て低落したる株式価格とを比較して景況を看よう。

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           種 目           最 高                   最 低             差                                 円                      円        円         東京株式取引所株(二十年三月十八日)   四二五、六〇   (廿三年十一月十三日)   二四七、五〇   一七八、一〇 東京株式取引所 日本郵船会社株 (廿一年十二月十九日)   九二、三〇   (廿三年十一月十一日)    六八、二〇    二四、一〇         整 理 公 債 (二十年四月五日)    一〇四、七〇   (廿三年十一月十九日)    九八、〇〇     六、七〇          日本郵船会社株 (二十一年)        九〇、〇〇   (二十四年)         五七、〇〇    三三、〇〇         阪商船会社株  (二十年)         六七、八〇   (二十三年)         二六、五〇    四一、三〇 大阪株式取引所 整 理 公 債 (二十年)        一〇四、三〇   (二十三年)         九八、〇〇     六、三〇         堂島米商船会所株(二十年)        二四七、〇〇   (二十三年)        一八八、〇〇    五九、〇〇         大阪株式取引所株(二十二年)       三五五、五〇   (二十三年)        一五六、〇〇    九九、五〇 



公債の価格にして六円の差を生じ、株式に至りては三四十円乃至八九十円、東京株式取引所株の如き百七十八円の多額に上ぼつて居るのである。かゝる有様であるから、株式市場に於ける投機者流に非常なる動揺を生ぜざるを得ないのである。投機者流は己が頭上に落下し来る困難に対しては救済を得るやう絶叫せざるを得ぬ。この騒擾は救済運動その他種々なる形態を取つて経済社会を恐怖せしめ、殊に金融市場を恐怖せしめた。これ本邦に於ける投機者流の行動が金融市場に於ける心理的に大なる関係を有するやうになる最初の時であつて金融史上等閑視することの出来ぬものであらう。川田日本銀行総裁が松方大蔵大臣へ金融市場の救済方法に関する認可申請書に曰く、『……株券低落の困難を救済せんとするが如きは本行性質の許さざる所なるを以て是迄種々の請求も相受け苦情も承はり其情実は万々諒察致候得共本行は堅く本分を守りて不得已謝絶致居候次第に御座候……株式低落金融逼迫の場合に於て若し株式銀行興業銀行等の設け有之候へば必ずや円滑の調和を得べき儀に有之候へども我邦未だ右等の創設無之経済の機関具備せざるに因り四方皆来りて本行に迫り候は亦已むを得ざる情勢に候抑商業上より生じたる困難を救助するは当銀行の本分に候へども本行の責任に無之と被存候……』と以て株式市場に於ける投機者流が如何に苦情を鳴らし如何に種々の運動を為せしかを知るであらう。これ等の運動に対して日本銀行総裁は弁解して居る、これ金融逼迫の声を大ならしめしこと必せり、これ銀行の警戒をして一層厳ならしめたものであると思ふのである。
要するに、この金融の逼迫は急激なる企業勃興に原因するものであつて、漸く払込の増加するに従ひ資本需要の平準を壊らんとする時に当り、本邦の主食物たる米作の凶歉なりしことが小恐慌を起さしむるの動機であり又助因であつたのである。新設せられたる会社銀行の払込資本の詳細なる統計は世にこれを欠き、払込資本額さへ精確なる統計を得る能はざるが故に証明することが出来ないが、企業の反動がこの逼迫を来たせしことは疑ふべくもないことである。また米作の凶歉は
 - 第6巻 p.203 -ページ画像 
これが動機を成せしことは米価の高低と金利と相比較する時は全く一致してこれを証明するに充分であらう。

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       全国割引日歩                                         全国米商会所平均相場(一石ニ付)       最高     最低                   平均 明治廿二年  銭      銭                    銭                     円   一月  三、八七   二、九八                 三、四一五                 四、四三   二月  三、七七   二、八七                 三、三二〇                 四、三八   三月  三、六八   二、七八                 三、二二五                 四、二七   四月  三、七六   二、六三                 三、一九五                 四、三六   五月  三、七九   二、七七                 三、二八〇                 四、三六   六月  三、八六   二、七六[img 図]〓(騰貴) 三、三一〇                 四、六四   七月  三、七五   二、八三                 三、二九〇                 五、〇四   八月  三、八一   二、八九                 三、三五〇                 五、五六   九月  三、九八   二、九九                 三、四三五                 六、六五   十月  四、〇七   三、〇一                 三、五四〇[img 図]〓(騰貴) 六、七二  十一月  四、一五   三、〇七                 三、六一〇                 六、九一  十二月  四、二五   三、一一                 三、六八〇                 六、七二 同 廿三年   一月  四、三三   三、一四                 三、七三五                 七、〇七   二月  四、四二   三、二一             (最高)三、八一五                 七、九〇   三月  四、二二   三、一五                 三、六八五                 八、二三   四月  四、二二   三、〇五                 三、六三五                 八、五一   五月  四、一五   三、〇四                 三、五九五                 八、六四   六月  四、一四   三、〇三                 三、五八五             (最高)九、四六   七月  四、一一   二、九六[img 図]〓(低落) 三、五三五                 八、〇二   八月  四、一四   二、九五                 三、五四五                 七、八六   九月  四、一八   三、〇一                 三、五九五                 七、〇二   十月  四、一三   二、九八                 三、五五五[img 図]〓(低落) 六、六三  十一月  四、一二   三、〇二                 三、五七〇                 六、〇二  十二月  四、一六   三、〇七                 三、六一五                 五、八二 



然るに生糸輸出の金融に及ぼせし影響は、換言すれば銀貨騰貴の金融に及ぼせし影響は金融の逼迫既にその勢を成して愈々その度を高めんとするに当りてこれが勢を助けたるのみである。このゆゑに生糸輸出の減退せんとする以前既でに金利は騰貴して、生糸輸出愈々減退せんとするもその程度に於いてその金利騰貴の勢を逞しうせず。左に生糸輸出額と金利とを相対比してその傾向を観察しよう。

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                    全国平均割引日歩                生糸輸出額 明治廿二年                 銭                            円   一月                 三・四一五                 二、六八二、〇七八   二月                 三・三二〇                 一、七六七、九一七   三月                 三・二二五                   九八七、七四四   四月                 三・一九五                   七二五、四〇八   五月                 三・二八〇                   八九〇、六七二   六月[img 図]〓(騰貴) 三・三一〇                   六四〇、五三七   七月                 三・二九〇                   九九八、二八二   八月                 三・三五〇                 二、七〇四、八六三   九月                 三・四三五[img 図]〓(減少) 三、六六一、六八五   十月                 三・五四〇                 四、三八七、八一九  十一月                 三・六一〇                 三、七一七、六三四  十二月                 三・六八〇                 三、四五一、九〇一 同廿三年   一月                 三・七三五                 二、八四三、九一〇   二月      (最高)       三・八一五                 一、六六五、三九二   三月                 三・六八五                   六三〇、二七七   四月                 三・六三五       (最少額)       一九〇、五一二   五月                 三・五九五                   一九八、二六七   六月                 三・五八五                   三八三、三三三   七月[img 図]〓(低落) 三・五三五[img 図]〓(増加) 一、〇一〇、五九五   八月                 三・五四五                   六二七、二七〇   九月                 三・五九五                   九六三、一〇七   十月                 三・五五五                 一、三一六、六七一  十一月                 三・五七〇                 二、二一四、九二五  十二月                 三・六一五                 一、八一五、〇七五 



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金利は明治二十二年下半期より騰貴の傾向を有して居るに反して生糸は同一期に於て輸出を増加してゐたのであつて、二十三年に入り二月は金利の最高点であるに生糸輸出の減退は三月より著しく、四月に於てその極に達したのである。二十二年に比し二十三年の減退したるは同年の下半期にありしことは既に掲げた二十二年対二十三年生糸輸出額比較表の示す所である。
吾人はこの逼迫を以て企業勃興より来たるものなりと論ずれども、その企業は過大なるものなりと信ずることが出来ぬ。無論経済発達の程度に比して過大であつたのであつたらう。経済上の発達は彼の企業を包容して余裕あつたものでないから金融に影響したのであらう。然れども、唯急激であつたためにその影響を大ならしめたのである。明治十四年より紙幣価格の変動あつて産業の不振なりしこと約七個年間、商業に於て殊に工業に於て維新以来幾何も発達せず、寧ろ十九個年間に於ける企業の発達は遅緩なりしを免れざるのである。
殊に吾人はこの逼迫の救済頗る容易であつて、一たび救済策を実行するや、大に成功したるを以て見るも、企業勃興は当代に於ける富に比較して過大ならざりしものなることを知るであらう。
金融の漸々逼迫するや、日本銀行兌換券発行額はどうあつたか。正貨準備及保証準備はどうあつたか。左にこれを看よう。
          兌換券発行高      正貨準備高       保証準備高       銀行紙幣流通額
   明治廿二年
                  円           円           円           円
    四月末  六一、六五〇、四二九  四二、三六九、四二六  一九、二八一、〇〇三  二七、二一四、三二一
    五月末  六二、七〇八、一〇五  四三、四二七、四〇二  一九、二八〇、七〇三  二七、二一四、一一九
    六月末  六四、四九九、八四九  四四、七二八、七一〇  一九、一四五、八一一  二七、二一四、一一九
    七月末  六五、五八三、〇二七  四六、〇一一、六七四  一九、五七一、三五三  二七、〇九五、三一八
    八月末  六八、六七九、四六三  四七、九〇八、一一〇  二〇、七七一、三五三  二六、九七五、五三三
    九月末  七三、五三二、五九七  五一、八三三、二四四  二一、六九九、三五三  二六、八五七、七〇七
    十月末  七五、七七二、一三七  五四、〇七二、七八四  二一、六九九、三五三  二六、七三九、七三一
    十一月末 七六、四九〇、八〇一  五四、七九一、四四八  二一、六九九、三五三  二六、七三九、七三一
    十二月末 七九、一〇八、六五二  五七、四〇九、二九九  二一、六九九、三五三  二六、七三九、二〇五
   同廿三年
    一月末  七八、八五八、四六九  五七、一五九、一一六  二一、六九九、三五三  二六、六二三、三四九
    二月未  七九、三二一、七九七  五七、二七二、四四四  二二、〇四九、三五三  二六、五〇七、三〇七
    三月末  七七、六一五、四四二  五四、九五六、〇八九  二二、六五九、三五三  二六、三九一、三七六
    四月末  七四、五五三、九五一  五二、三九四、五九八  二二、二一五、三五三  二六、二七五、三五〇
    五月末  七三、五七六、〇六六  五一、四一六、七一三  二二、一五九、三五三  二六、二七五、三五〇
    六月末  七二、八八六、一九〇  五〇、七二六、八三七  二二、一五九、三五三  二六、二七五、三五〇
正貨準備は二十二年の下半期より増進して毫も危険の状態はなく、保証準備は未だ発行余力を存して居つた。然れども、日本銀行は金融逼迫に対する救済策として気配を転換せしむるの方法を取れり。乃ち日本銀行は制限外発行の必要を認め大蔵大臣に具申してその許可を請ひ以てその急に応ぜんとしたのである。政府これを許可して発行限度を五百万円と定め税率年五分と為す、五個月を期して回収すべきことを命じた。こゝに於てか制限外兌換券発行は始めて行はる。その発行額は三月三日より七日に至る間は三十万円を発行し、十日より四月一日に至る間は五十万円を発行した。その発行せられてありし日数三十日間、四月一日には悉くこれを回収したのである。保証準備発行制限額に達して発行余力を尽したりといふにはあらず、制限外発行の許可を請ひたりしもの唯急変に応ぜんとせし準備行為に過ぎずして、制限外
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発行の必要は見なかつたから、その発行額極めて少額未だ金融を緩和するの効果なかつたやうであるけれども、制限外発行のその額五百万円を許可せられたりといふことは金融市場の意を安ずるに足りたのである。
政府はまた金禄公債を償還し以て金融の逼迫を救済せんことに力を致した。二月には百八十万円を現金を以て償還し、更に政府は五月に入りて金禄公債百五十二万四千五百九十円を現金にて償還し、米価抑圧の策としては政府は備荒儲蓄金を運用し外国米を輸入してこれを陸続払下を為したのである。
金融の愈々逼迫するやうになつて金融逼迫の叫は一入高くなるに至り、上下の注意を促すやうになつて其救済を講ずる者多く、東京商工会は金融逼迫調査委員会を設けて救済方法を講究するあり、各所の商業会議所もまたこれを研究するあり、外債を募集すべしといふあり興業銀行を起すべしといふ意見あり、時事新報の社説の如き富籤を起すべしとの説を為せり。遂に大蔵大臣松方正義は西下し、日本銀行総裁と大阪に会して東京及大阪の銀行家を招集してその意見を諮詢した。大阪銀行家の意見は第一に日本銀行に於ける貸出抵当の区域を拡張せんと希望し、第二に日本銀行が大阪の金融市場に五百万円を一時融通せられんことを希望してこれを提議せり。東京銀行家は抵当区域を拡張すべしとはいはず、唯数種の鉄道株を限り抵当としてこれを日本銀行へ預け、その信用によりて一層金融の道を開くべしといふにあつた。十七日の夜であつた日本銀行総裁の旅館に於て最後の協議会がありし時に、日本銀行総裁は五百万円を融通することを拒絶し、東京銀行家の意見を容れるやうになり、五月八日大蔵大臣の認可あり、翌九日より実行せらるゝやうになつた。乃ち(第一)新に諸会社の株券を担保として割引を拡張することとし、(第二)諸株券を抵当として信用ある各銀行に対し応分の貸越を許し、(第三)これ等株券引受の価格はその払込金額と利益の割合及市場の相場を酙酌して毎月一回日本銀行に於てこれを議定し大蔵大臣の認可を請ふことゝしたが、その貸出方に付ては日本銀行と一般銀行との間に協議し、一般銀行より種々の提議があつたけれども、遂に手形割引の方法を拡張するに決し、最初に定めたる株式の種類及担保価格は左の如くである。
    種類       担保価格    種類        担保価格
               円                円
   日本鉄道会社株   七〇、〇〇  炭砿鉄道会社株   一二、〇〇
   同第三回払込株   六五、〇〇  水戸鉄道会社株   三〇、〇〇
   同第二回払込株   六〇、〇〇  両毛鉄道会社株   三〇、〇〇
   日本郵船会社株   六〇、〇〇  関西鉄道会社株   二〇、〇〇
   海上保険会社株  一〇〇、〇〇  阪堺鉄道会社株  一〇〇、〇〇
   九州鉄道会社株   一七、〇〇  大阪鉄道会社株   三〇、〇〇
   山陽鉄道会社株   一五、〇〇  讃岐鉄道会社株   二〇、〇〇
   京成鉄道会社株   二五、〇〇
等であつた。以上十五種の株券を担保とせば日本銀行は必ず何時にても貸出を為す制であつて、所謂見返品制度と称するものである。この時に於て金融逼迫の救済策として創始せられた。一般銀行がこれ等特定の株券を担保として資金需要者より預り以て貸出を為し、銀行が預金に欠乏するときはこれを日本銀行に提供せば直に融通を得るの便あ
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りて、一般銀行はその利益を顧みるの要ありとする所あるよりして蓋し見返品なる名称を生ぜしものであろう。而してその株式の種類及担保価格は日本銀行が時々の変動に伴ひて一般に公示するものなれば、その公示の中に加はりし株式に対する融通力は頗る確実となり、しかのみならずその担保価格一定し、これ等の株式は一定の担保価格範囲内にありては何時たりとも中央銀行の融通を得るの安心があるやうになり、株券の信用地に墜ち株式に対し甚しく疑惧の念を有せし際にありてこの制度を創始せしものその時宜に適せしものと言はなければならぬ。その効果は著しく日本銀行に於ける割引手形は二十三年に於て頗る増進したのである。即ち
    日本銀行手形割引高
           二十二年        二十三年       二十三年ノ増加額
                  円           円           円
 本店      一七、一三一、五六六  一九、七三三、五八六   二、六〇二、〇二〇
 支店(大阪)  一一、三五四、四八八  二一、三五二、三一二   九、九九七、八二四
 合計      二八、四八六、〇五四  四一、〇八五、八九八  一二、五九九、八四四
二十二年に比較して二十三年は千二百六十万円を増加し、東京本店にて二百六十万円を増加せしに対して大阪支店に於ては約一千万円を増進せしを見るべく、大阪に於ける金融逼迫の度は東京より更に著しかりしより考ふるも、大阪支店に東京支店より増加の著しきは見返品担保制度の救済に効果著しかりしを知ることが出来る。また担保付割引手形は明治二十三年にあつては東京支店に於て千四十一万三千九百二十一円、大阪支店に於て五百四十八万三千二百八十五円の巨額に達せり、これがために株式所有者の融通を得て一般銀行もまたこれを以て融通を得、中央銀行はこれが資力を保証準備発行制限額拡張せられたるによりて得ることが出来たのである。
二十年以来企業熱勃興したる結果として企業界の健全なる部分にありては各種の事業頗る発達し、外国貿易もまた伸張し、我国経済界に於て通貨流通の必要額を既に増加しありたるをこの金融逼迫に際して覚知した。然かも保証準備制限額拡張は当時に於ける金融逼迫に対する一種の救済策であつたのである。大蔵大臣松方正義が総理大臣山県有朋に兌換銀行券発行制限額拡張の建議に曰く、『……今や金融緩慢の期なるに尚目下壅塞に際会する時にあり生糸輸出の盛時に際するに於て金融の要大に増加するは敢て疑を容れず今日にして之が計を為さざれば貿易の発達得て望むべからず速に決せられんこと冀望の至りに堪へず……』と。これ救済策の一なりしを証するものでなかろうか。ここに第一回保証準備制限額の拡張行はれたり。即ち五月十六日法律第三十四号を以て兌換銀行条例に改正を加へ、七千万円を八千五百万円に増加し、これと同時に政府紙幣銷却の借上金二千二百万円は爾来無利子となしたり。これ発行権一千五百万円を拡張せし特典に対する義務たりしなり。かくて日本銀行貸出資力は増進し、その資力を貸出し以て金融市場を潤ほし得るやうになつた。
以上述べたる救済策によりて、七月以後は稍緩和せられたのであつたが、九月に入り既に論ぜし所の銀貨騰貴が原因した外国貿易に於ける本邦の不利は愈々生糸の輸出を阻害し、その下旬は生糸三万梱を横浜
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に滞積するの状況にして、日本銀行の生糸資金を供給するに力めたりしもの保証準備発行制限額の拡張より来たりし資金によつたものである。かくして漸々に金融の逼迫は緩和せられたが、二十三年を終りて未だ金融逼迫の憂を解くに至らなかつた。
吾人は今より企業勃輿より遂に金融逼迫に至りし間に於ける新制度の効果を講究せんとおもふ。早く既に日本銀行条例の発布あつて日本銀行創立せられ、兌換券条例の発布あり、続て条例の改正によりて保証準備発行法の制定せられてより兌換制度は確立し、急激なる企業勃興あつて金融の逼迫するに至りしと雖ども、金融市場に於ける中心点は秋毫も動揺せず、泰山の安きが如くであつた。その逼迫の程度未だ恐慌に速せずして国立銀行及重なる私立銀行の信用堕ちざりしを以て、預金はこれ等銀行を去つて日本銀行に転ずるが如きことはなかつたけれども、各銀行の警戒は遂に日本銀行の預金を増加せしめ、左の如く増加の趨勢を示めしたのを看るのである。
           日本銀行預リ金         前年対増
                   円
   明治廿一年末    六六五、八六五              ―
   同 廿二年末    二四二、八〇七  (減)   四二三、〇五八
   同 廿三年末  六、三一五、二八六  (増) 六、〇七二、四七九
二十三年に於て二十二年に比し二十六倍の増加を来たした。かくの如く増加したりしもの鞏固なる中心点の存するあつて、これに信頼する所あるが為めなりしことは明かであり、金融市場に於ける動揺があつても一点その渦中に確乎不抜のものあるやうになつて来たのである。
然れども、この中央銀行を信頼するの思想はやがて普通銀行の資金関係に於て容易に独立すること能はざりし弊習を生じたのである。
企業の勃興するに当りて、会社に関する準拠すべき法規未だ備はらざりしが為に、会社を濫設せしめまた容易に会社を解散せしめたる弊害を生じ、固より払込に関する法規なかりしが故に会社成立せずして早く株式の売買せらるゝが如き投機を助勢せしめしことは殊にその弊害の甚しかりしものであつた。
その間にあつて為替手形約束手形条例は明治十五年十二月発布せられてあつてこの金融逼迫の際にありてこの法規ありしが為に割引手形取引はよくその権利義務を確保せられ、融通上緩和に与て力ありしものである。かの日本銀行の見返品制度の如きは多くは割引手形の担保に供せらるゝものであるからこの法規に覊束せらるべきものに属し、隠然この法規に《(はカ)》金融逼迫の緩和を助けたものである。
十年戦争後に於ける企業勃興の際、商事に関する法規の存せざりしことは、この企業勃興即ち銀行設立の流行にその制定の急務を深く世人に知らしめた。国立銀行に対しては国立銀行条例の存して居つたけれども、私立銀行に対する法規を欠きしことは既に論じたのであるが、屡々その制定を当局者より建議したけれどもその普通法規たる会社法の制定なきを以てその制定を待て制定することに決せられ、明治十三年中会社並に組合に関する特別法の草案を起しこれを審査せしが、明治十四年彼の不換紙幣銷却のために商況頓挫して不景気となり、稍その制定の急なりしことを閑却するの傾を生じて、商法全部を編纂する
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の議に変じ、ロエスレルの商法草案の起稿となり、明治十七年に至りてその草案及説明書の編纂を竣り、これによりて商法編纂局の議に附したが浩澣なる容易に局を結ばずして、然かも時勢は会社法の制定を促すこと愈々急なりしを以て再び会社法を特別法として制定せんと決せしが如き、会社法の制定の必要は焦眉の急に迫るを知るべく、更に商法全部の制定なき以上は会社法の実施甚だ困難なるの時季に達し、再び商法全部を編纂することゝはなりて、会々二十三年四月企業勃興後法律第三十二号として公布せられ、二十四年七月一日より実施せらるることゝなり、明治十年以来の懸案たりし普通私立銀行条例は一般法の発布と共に発布せられ、実施の際施行細則制定せられた。疾くにこの部面の金融機関の監督は最も急務とされて居つたのであつて、二十三午金融逼迫は更にこれが急を愈々促進せしものである。
啻に普通私立銀行のみならず、最も監督を厳にするの必要ある貯蓄銀行に対する法規は制定せられず。この金融機関の管理宜しからざるより国民殊に下流の勧倹貯蓄の美風を挫折せんことを恐れ、明治十七年以来大蔵省はその創立を許可せざる方針を取りて、六七年間未だ法律の制定を見るの運びに至らざりしが、企業勃興はまた貯蓄銀行創立を等閑に附すること能はず。殊に金融逼迫に際しては資金吸収の一手段として銀行家が貯蓄預金の取扱を渇望し、その創立または兼営を出願するあり。しかのみならずかくの如き際にありては寧ろ国民の貯蓄心を奨励するの必要あるべく、法律の不備なるがために国民の貯蓄心の発達を妨げんこと当を得ざるものなるを以て、臨機の手段として大蔵省に貯金取扱内規取扱手続なるものを定めこれを地方庁に移牒し、これに準拠するもののみを認可することとした。その手続なるものは宛然法律にして重役の責任を無限とし、資本金は五万円以上に制限し、貯蓄預金に対しては古金銀、公債証書、大蔵省証券、確実なる銀行または会社の株券を以て資本金五分の一に相当する物件を払戻担保として地方庁に供托せしめ、また貯蓄預金の五分の一より少なからざる通貨を以て払戻準備金として備へしめ、また貯金利子の変更は大蔵省の認可を要せしめ、半季決算報告表を徴し、進んでは臨撿処罰のことを規定す。これ貯蓄銀行条例の基礎を作りしものであつて、こゝに貯蓄銀行を覊束すべき法規の基礎となつたものであつた。これまた金融の逼迫はこれが法律の発布を促進せしめ、普通銀行条例と共に発布せられ、二十二年より実施せらる。実施の際施行細則の発布せられしこと銀行条例と同一であつた。
この二条例は二十三年の逼迫に促進せられたものであつて、二法規の発布はこゝに金融機関に対する法規備はり、規矩存して自ら金融機関は整理せらるゝやうになり金融機関の一進歩を来たしたのである。
こゝにまた二十三年の金融逼迫が、興業銀行即ち動産銀行の創設に対して影響せし所あるを記憶せざるべからず、動産銀行の草案は既に二十二年に於て起草せられたのであつたが。金融の逼迫は株式の下落を来たし、株式投機者流の困難甚だしく、殊に株式担保の貸出を得るに難渋であつたから、遂に見返品制度の創始せられたのであつて、この際動産銀行の必要を実際に感じたのである。日本銀行総裁の具申書に
 - 第6巻 p.209 -ページ画像 
「株式銀行興業銀行等の設有之候へば必ずや円滑の調和を得べき儀に可有之候へども」といへるもその消息を知るに難からぬのである。
明治二十五年四月大阪の四銀行相謀て興信所を創立したり。興信所の設立は我国に於てこれを以て嚆矢とす。それ興信所の目的は商業者にその知らんと欲する他人の財産状態について迅速且つ確実に報道を与へるにあり。二十三年の金融は経済界に於ける疑惧心を深からしめて他人の財産状態を調査するの機関の必要を感ぜしめ、欧洲の例に倣ひて大阪に設立したるもの大阪商業興信所と称するのである。吾人はこれもまた二十三年の逼迫より促された産物の一に数ふるのである。


〔参考〕中外商業新報 ○第二四〇八号 〔明治二三年四月五日〕 理財の当局者大阪に集る(DK060062k-0011)
第6巻 p.209 ページ画像

中外商業新報
 ○第二四〇八号 〔明治二三年四月五日〕
    理財の当局者大阪に集る
松方大蔵大臣は出張先より直ちに大阪へ赴かれ、川田日本銀行総裁も亦昨日午後急匆阪地へ向けて出発の途に上られたり、左れは伯及ひ総裁の心事を解せさる者流は今日此の事業界の危急なる場合を見捨て瓢然此行あるは如何にも冷淡に過ぎざる乎と評し、尚ほ甚しきは此危急に関する世論を避くるにはあらさる乎抔とあられもせぬ種々の臆説を立る者もありたれど、理財の当局者は決して冷淡なるものにあらざるのみならず、既に業に救急策実施の手順に付き専ら熟慮を凝らし、頻りに之を急ぎ居らるゝ事は前号の帋上に記したる如くなるが、此時に方り、松方伯及ひ川田氏の大坂に落ち合はさるゝは、蓋し偶然にあらさるを察知するに足るへし、尤も今日の危急を救ふに専ら掛念し居らるゝ松方伯は、来る十一二日には帰京あるへく、又其策の実施を急き居らるゝ川田氏も伯に数日を後れ直ちに帰京の予定なれば、今後の成行に就ては事業社会の人々こそ最も注意すへき所なり、吾々は尚聞込居る事もあれば、尚之を公に報道するの機あるべし

〔参考〕中外商業新報 ○第二四一三号 〔明治二三年四月一一日〕 同盟銀行の臨時総会(DK060062k-0012)
第6巻 p.209 ページ画像

 ○第二四一三号 〔明治二三年四月一一日〕
    同盟銀行の臨時総会
京浜同盟銀行員等は今十一日午前九時より坂本町銀行集会所に於て臨時総会を開く由なるが、其協議の箇条は此程中或る五、六の銀行頭取連中が寄り寄り熟議を凝らし居たる某々会社等の株券を推挙して、日本銀行の抵当株たらしむるに至らんことを同行に申入れんとする事に就てなりと云ふ

〔参考〕中外商業新報 ○第二四一三号 〔明治二三年四月一一日〕 右の臨時会を促したる因由(DK060062k-0013)
第6巻 p.209-210 ページ画像

 ○第二四一三号 〔明治二三年四月一一日〕
    右の臨時会を促したる因由
全体某々鉄道会社の株券をして日本銀行の抵当株とならしむるに一臂の力を貸さんとは、二、三銀行員等の同業中に議《(は)》かりしも、独立独歩有力の某々銀行員等は何も我が銀行家より斯る余計の心配を為さずとも其の会社より直に日本銀行に請求せしめて可なり抔云ふの異論もありて、結局立消への姿となり居たりしが、此程来当局者も頻りに其の救済の方案を思考中なる折しも、九州の同盟銀行より京浜同盟銀行に向て九州同盟銀行にては九州鉄道会社の株券をして日本銀行の抵当株に組入れられたき旨推挙に及びたければ、何卒之れを賛成し共に其の
 - 第6巻 p.210 -ページ画像 
事に配慮せんことを以てしたる等に就き、扨ては右の如く該鉄道会社の株券のみ推挙する事を為さず、同じ配慮せんには之れに併て他の某々会社等の株券をも抵当株たらしめんとせん《(マヽ)》とて、本日の臨時会を開きて篤と協議を遂ぐるの運びに立至りし因由の一なりと云ふへきなり

〔参考〕中外商業新報 ○第二四一三号 〔明治二三年四月一一日〕 同盟銀行臨時総会の決議(DK060062k-0014)
第6巻 p.210 ページ画像

 ○第二四一四号 〔明治二三年四月一二日〕
    同盟銀行臨時総会の決議
前号の本帋上に記載したる如く、昨十一日午前九時より渋沢・西村・安田等の諸氏を始め京浜の同盟銀行員等総員二十八名坂本町銀行集会所に参集して臨時総会を開きたり、其の協議の要領は此程九州同盟銀行より右同盟銀行に向て九州鉄道会社の株券をして日本銀行の抵当株に組み入れられたき旨を推挙せんとするに就き、之れを賛成し、共に配慮し呉れたき趣き照会ありしを以て、同じ其の照会通り承諾して配慮せんには他の二三会社の株券をも併て推挙せんと云ふの趣旨にて、之れを衆議に附したりし処ろ或は大に其の他の某々株券までをも序に加へて推挙せんと云ひ、又た或は斯る配慮は吾々銀行者の為さずとも宜しく、其の会社より日本銀行に請求せしめて可ならんか抔種々異論の湧出せしかども、結局日本銀行と右同盟各銀行との間に於ける日常取引上の信用区域を拡め、若し当座預け金の高より多額の金円を引出し、尚ほ其の金額は予て同行に差入れ置ける根抵当の額をも超過せんとする場合に際しては、其の時の都合に依り先づ九州鉄道・山陽鉄道北海道炭礦鉄道、此の三会社の株券を以て其引当とし所謂此の三株券を差入れて信用の担保と為さんことを同行に申入れて、其の承諾を得ることあらば大ひに金融市場逼迫の際には其の流通をして敏活ならしむるの便も得られ、尚且つ同行も唯だ其の銀行に信用のみを置き、抵当に超過して貸出さんよりも右等の株券を抵当に加へ置かしむる方確実なる道理にして、謂はば其の銀行と其の株券とを信用して取引することなれば強て不都合も之れあらざるべしと云ふの説多数を占め、遂に此の議に決定したれば愈々其の次第を書面に認め、川田日本銀行総裁の手許に提出して稟議に及ばんとの事に全会一致し、各々退散したるは恰も正午十二時なりし

〔参考〕中外商業新報 ○第二四一四号 〔明治二三年四月一二日〕 書面の提出(DK060062k-0015)
第6巻 p.210 ページ画像

 ○第二四一四号 〔明治二三年四月一二日〕
    書面の提出
前項に記す如く其の決議の趣旨を以て同盟銀行より川田日本銀行総裁の承諾を請ふべき筈なるも、目下同総裁は大阪に滞留中なれば、明後十四日渋沢・安田の両頭取が同地に赴かるゝを幸ひ右両頭取に托し、其の書面を同総裁の手許に提出すべき手筈に決したる由

〔参考〕中外商業新報 ○第二四二一号 〔明治二三年四月二〇日〕 金融円滑策果して如何(DK060062k-0016)
第6巻 p.210-211 ページ画像

 ○第二四二一号 〔明治二三年四月二〇日〕
    金融円滑策果して如何
今回松方大蔵大臣を始め、川田日本銀行総裁及東京、大阪、銀行家の重達たる諸氏は大阪に会合し、頻りに金融円滑策に就き熟議を凝らさるゝ処あり、松方大蔵大臣の意見果して如何にして川田日本銀行総裁の方案又果して如何なるべきや未だ之れを詳かに知ることを得ずと雖へども、東京同盟銀行家の既に去る十一日に於ける臨時総会決議の趣旨即ち之れを書面にして此程渋沢・安田の両氏が松方大臣の召に応じ
 - 第6巻 p.211 -ページ画像 
て彼地に赴かるるを幸ひ、齎らし行きて川田総裁に提出せられたる九州、山陽、炭礦、鉄道会社等の株券を以て取引銀行の信用を主とし、当座貸越の根抵当に使用せんとの承諾を請求したるの意は川田総裁の至極穏当なるものなりと認むる処となり、尚ほ此の意に従て大阪同盟銀行も亦た其の根抵当にすべき株券の種類を定めて川田総裁に提出するの筈に決定したりと云ふより推察を下す時は、同総裁の方案も蓋し知るに足るべきのみ、左れば同総裁も日ならず其の請求を容れて金融を円滑ならしめらるゝことならんが、抑も其の承諾されんとする株券を使用して各銀行が日本銀行に当座貸越の根抵当に差入れんとするまでに至るには、余程手許逼迫し来り、最早正抵当たるべき公債株券等を悉く使用し尽くしたる後、漸く右ぎの株券を根抵当に用ちゆべきは事の順序にもあり、又た斯く予ねて日本銀行に於ひても其の制裁法を設け置かされは勢ひ叶はざることなるべけん、然るに銀行の数多き常に貸借取引の得意を異にし、自から其の抵当に預かる其の種類も様々なるより或は某々銀行の如き株券のみを重に抵当として営業せるもあれば、又全く株券を抵当にせざるものありて之れを要するに只だ一に府下銀行の営業せる摸様のみを以て其の区別を為すも、重に株券を抵当にせる向は十中の三、四にて他は稀に抵当となし或は全く抵当にせざるもありと云へば、今回更に鉄道会社の株券を当座貸越の根抵当に日本銀行の承諾する処となりて金融を円滑ならしめらるゝに至るべきことあるも銀行中の多きを占めたる斯くの如き種類の抵当に充つべき株券を取引せざる向は其の円滑策のお接伴には頓とあづからざるの姿なりと云ふべし、而して目下金融市場の全体を観察すれば其の情形一般に引緩みたりと云ふべきも、之れが大要を区別する時は蓋し逼迫と緩慢の二様あるが如し、其商業に関する貸借取引は稍や緩慢にして尚ほ九月乃至十月に至るにあらされば繁忙を告くることはなかるべく、其工業に係れる貸借取引は概ね逼迫にして今後其の度合は差して減少することなかるべしと云ふ、即ち近時金融逼迫の救済を促したる事実も全く是等に外ならざるべきが如し、夫れ前述の如く日本銀行が鉄道株券を当座貸越根抵当とするに至らば幾分か其の逼迫をして引緩め、其の取引の関係厚き銀行も其の取引者も亦た大に其の困難を容易ならしむべき実あらんか、なれども概して其の部類の銀行にしても取引者にしても是迄の情態に依れば左程信用の行はれ居りしとも察せられざれば、果して日本銀行が其の抵当を承諾するも実際其の逼迫を円滑ならしむるまでに其の取引の銀行を信用して其の当座貸越を許すべきことあるべきか奈何抔頻りに物語りし者も之れありしが、苟くも川田総裁が良方案を運らして其の逼迫を救済すべしと決意せられたる上は去る気遣は真逆に之れあるまじと吾々の信ずる処なれども、実際果して如何にあるべき歟

〔参考〕中外商業新報 ○第二四二四号 〔明治二三年四月二四日〕 蓋し唯だ一策あるのみ(DK060062k-0017)
第6巻 p.211-212 ページ画像

 ○第二四二四号 〔明治二三年四月二四日〕
    蓋し唯だ一策あるのみ
過日来松方大蔵大臣は川田日本銀行総裁を始め東京、大坂両所銀行家の重達たる人々を大坂に会合せしめて、頻りに其の意見の在る処を叩き、以て金融市場逼迫の情態を救済せんとするの議を開かれたりしか
 - 第6巻 p.212 -ページ画像 
松方大臣の意見果して如何にして川田総裁の方案又果して如何なるべき、未だ之れを詳に知ることを得すと雖へども兎に角東京、大阪の同盟銀行等か提出せし当坐貸越を自由に許諾し、以て金融の円滑を謀り、其の担保品たる所謂根抵当には是迄の区域を拡め正当確実なる諸会社の株券を採用せらるゝに至らんことを望むと云ふ趣意なる請求を容れらるべきことに内決せし様子なれば、多分其の実施の方案如何を窺ひ知るべきことも近々なるべけんが、扨て目下金融市場全体の情態を観察する時は、寧ろ逼迫と云はんよりは却て漸く緩慢ならんとする有様にして、金融逼迫救済策の必要は最早其の時機を通り過ぎ去て今は殆んど其の要なきが如くなれば、暫らく之れを転じ曩に其の救済の必要を感ぜしめたりし根源たる株券価格下落の救済策を専らとして直接に之れが方案を運らしたる方蓋し其の当を得たるものなりと云ふべき時運にとは変じたり、株券の下落殆んど回復の色なし当局者須らく其の救済策を施こさゞるべからず、去りながら川田総裁若し幸にして東京大阪両所同盟銀行等の請求を承諾し、自由に当座貸越を許諾さるゝことあらんも其の担保品たらんとする某会社株券の如きは僅に年三分の利益配当を為し、又た或る会社株券の如き其利益配当の割合年六分に過ぎざる位にては一任将来其の線路の延長するに従て其の利益の割合を増加するの見込ならんか、なれども兎に角其の予想の利益を胸算に加ふるものも真逆に之れなければ、迚も現今の価格を回復せしめ其の事業の衰退を救済せんことは到底望むべからざるものあるに似たり、左れば日本銀行が夫等の株券を担保品として承諾するの割合も務めて其の価格を低廉に見込むべきは営業上勢の止むべからざるものにして仮令へは平素各銀行は某鉄道会社株券を十五円(払込金額二十円)又た或る鉄道会社株券を十円払込(金額二十円)前後に見積りて之れを抵当に借貸の取引を為し居れりといへども、若し日本銀行が是等の株券を担保品とせんには大に其の割合を減じて十五円のものは十円乃至十二円、其の十円のものは六円乃至七円位の割合を以てせらるべきは既に是迄抵当とせし株券の割合より察するも蓋し甚だしき相違なからんとす、若し夫れ此の割合を以て担保品とせらるゝ位に過ぎざれば、其の価格の騰貴は無論望むべからざるのみならず、尚ほ其の株券所有主が之れを抵当に金の融通を謀るにも矢張目下と其の情を同ふして頭金の才覚に先づ窮して折角の金融救済策に向て歓喜の涙をこぼす程のことは頓と之れなかるべし、寧ろ其の功験斯くの如く甚だ微なるものなりとすれば其の間接の救済策を転じて直接に株券価格下落の救済策を施こすに意を専らとし、政府は既に其の補給を附したる其の割合の少なきものは之れを引上げ、尚ほ其の工事の保護に止まるものは之れを補給に引直して其の収利の高きを保証するの英断あらば其の価格は忽ち回復し来たり、為めに金融も大に円滑なるに至りて其の逼迫の救済策は真に要なきに至り、政府も其の実功を目前に見ることを得んのみと或る実業家は物語れり

〔参考〕中外商業新報 ○第二四二九号 〔明治二三年四月三〇日〕 大坂同盟銀行委員の上京(DK060062k-0018)
第6巻 p.212-213 ページ画像

 ○第二四二九号 〔明治二三年四月三〇日〕
    大坂同盟銀行委員の上京
大坂銀行家より差出す担保品に関する書類提出の件に付き、同盟銀行
 - 第6巻 p.213 -ページ画像 
より一旦大坂日本銀行支店へ差出したるも此れは同盟銀行より直接に差出す方可然との事に付、去廿六日夜大坂伏見町なる銀行集会所に於て上京委員を撰定せしに松本重太郎・田中市兵衛の両氏其撰に当り、来月一二日頃出発上京する事となれりと云ふ


〔参考〕中外商業新報 ○第二四三二号 〔明治二三年五月三日〕 【過般大阪に於て金融会議のあ…】(DK060062k-0019)
第6巻 p.213 ページ画像

中外商業新報
 ○第二四三二号 〔明治二三年五月三日〕
過般大阪に於て金融会議のあるや、東京・大阪の重なる銀行家は同地に集り、各其意見を吐露し、当局者に向て大に求る所ありしが、今や松方大臣、川田総裁を始め同地に出張したる西村(同氏は一昨日帰京)安田の両氏は已に帰京し、渋沢氏も亦本日を以て帰京せらるへしと云ひ、又大阪同盟銀行の委員総代松本重太郎・田中市兵衛の両氏も今明日の内には着京の筈なれば、今度は東京が一時銀行家の集合点となりたるものと云ふべし

〔参考〕中外商業新報 ○第二四三三号 〔明治二三年五月四日〕 金融事件閣議に上る(DK060062k-0020)
第6巻 p.213 ページ画像

 ○第二四三三号 〔明治二三年五月四日〕
    金融事件閣議に上る
過般大阪に於ける金融会議のありし其後、此事に関しては何の音沙汰もなく、世人の待設けしほどに早く捗取らさるやの摸様ありしより、或は其結果を見るに至らずして立消えとなるならんとまで思ふものもありて聊か気迷ひの傾きを生するものもなきにあらす、左れど当局者に於ても決して之を等閑に附せられさるものと見へ、此議に愈々去一日の内閣臨時会議の議事に上りたるよし、左れば此事の理財社会に発するの日も蓋し遠きにあらさるべき歟、吾々は尚此事に関し聞込み居る事もあれば追て明かに報道するの機あるべし

〔参考〕中外商業新報 ○第二四三四号 〔明治二三年五月六日〕 閣議可決して元老院に廻る(DK060062k-0021)
第6巻 p.213 ページ画像

 ○第二四三四号 〔明治二三年五月六日〕
    閣議可決して元老院に廻る
金融救治策を実施する為め其資金を得るの方案は此程遂に松方大蔵大臣より閣議に提出せし事は已に一昨日の紙上にて報道せし所なるが、仄に聞く所に拠れば内閣に於ては異議なく原案に可決して已に元老院へ廻附せられし由にて、其筋に於ては最も之を急かるゝ趣なれば、其発表を見るも近日の内に在るへしと思はる

〔参考〕中外商業新報 ○第二四三七号 〔明治二三年五月九日〕 金融救治策弥よ実行せらる;銀行集会所の通知(DK060062k-0022)
第6巻 p.213-214 ページ画像

 ○第二四三七号 〔明治二三年五月九日〕
    金融救治策弥よ実行せらる
予て報道し置きたる如く其筋に於ては弥よ金融救治策を実行する事に決し、日本銀行にては今度日本鉄道、日本郵船、海上保険、九州鉄道山陽鉄道等都合十五種の株券を担保品として盛んに割引を拡張し、且つ之を根抵当として信用ある各銀行に対し応分の当座貸越を許し以て融通の区域を広る事と相成り、川田総裁も此際非常の英断を以て大に金融疏通の道を開かるゝの決心にて、弥よ本日より実施する筈なれば実業社会は霹靂一声玆に再生の思を為し其面目を一変するならん、吾輩が世の株式市場沈底の極に達したる際に当て、各社に先立ち已に去月初旬の帋上に於て株式市場大に望みありと題し、予め此事あるを報し、未た落胆し去るへきの時機にあらざる所以を記して聊か実業者の注意を喚起せしが、今日に及で始めて本社予言の事実を誤らさるを確め、公然此事を我愛読者諸君に報道するを得るに至れり、尚其詳細の
 - 第6巻 p.214 -ページ画像 
事実は本日の社説に就て御熟覧ありたし
    銀行集会所の通知
去月十一日、京浜同盟銀行員は阪本町銀行集会所に於て彼の当座貸越根抵当の件に就き種々協議を尽くしたる末、渋沢・西村・安田の三氏に托して川田日本銀行総裁に稟議に及ひし手続きなりとて、昨八日集会所より各同盟銀行に通知せし書面は左の如し
拝啓仕候、陳者去月十一日臨時集会決議に依り、其十四日渋沢・西村・安田の三氏均しく出発、翌十五日大阪着、直に大蔵大臣及日本銀行総裁等へ種々稟議の上尚大阪同盟銀行の諸氏にも彼是談話有之候末、兼て御打合の旨趣に依り、其十七日日本銀行総裁へ請求書を呈し我同盟銀行の意見先づ都合宜敷方に御座候、而して安田氏は二十一日出発帰京、西村氏は去月早々渋沢氏は自用にて所々巡回、去四日帰着相成候間、御安意可被成候、尚大阪会議の顛末等は近日集会の節御報道可相成筈に候へ共、不取敢此段御通知申上候也
 二十三年五月八日             銀行集会所

〔参考〕中外商業新報 ○第二四三八号 〔明治二三年五月一〇日〕 金融救治策弥よ実施せらる(昨日の続)(DK060062k-0023)
第6巻 p.214-215 ページ画像

 ○第二四三八号 〔明治二三年五月一〇日〕
    金融救治策弥よ実施せらる(昨日の続)
川田日本銀行総裁が松方大蔵大臣の認可を得て将に実施せんとする金融救治の方案は已に昨日の紙上に詳かなり、当局大臣及総裁に於て既に現今の事態を救治せんとするの決心を示し、弥よ之を実行せらるゝ以上は其金融市場の逼迫を緩和し、実業社会に与ふる所の影響は実に著大なるものあるを疑はざるなり、然れども此事たる果して日本銀行たるの資格本分に適合せるものなる乎、或は今日の時機真に不得止に出てたる救急の臨機策たるに止る乎を吟味し、以て其精神資格の存する所を明らかにするは蓋し無用の弁にあらさるへし
抑も日本銀行は我国の所謂中央銀行にして、其精神資格たる要するに二個の目的あるに過きず、則ち一は以て一国財源の根軸となり、商業社会の金融を円滑にし、金利を低減し、専ら商業手形割引の途を開き全国商業者の資力を倍蓰し、其営業を進歩せしむるに在り、一は以て金銀濫出の源を塞ぎ、却て之が国収の道を開き、維新以来紙幣世界に沈淪し、殆んど哀頽に属せし我国の経済を回復して欧米各国今日の現況に於けるが如く金銀を以て通貨とし、之が兌換券と並行の盛時を期するに在り、日本銀行は已に此二大目的を有する機関たるが故に、不動産及ひ銀行又は諸会社の株券を抵当として貸金を為し、或は間接にも諸工業に関係するが如きは該銀行条例の固く厳禁する所なり、故に昨年末以来世上一般に金融逼迫を告げ、殊に工業社会最も困難なるの際に方り、鉄道其他の工業会社に従事せる人々は、頻りに日本銀行に迫り、株券に対して融通の便利を与へられん事を求たりしにも拘らず、川田総裁は断然同行の精神本分のある処を守て更に動かざりしかば、世論囂々遂には総裁の処置を非難し川田氏は理財上に強硬主義を執れり抔と云ふ者あるに至れり、然れども株式低落の困難を救助するが如きは同行性質の許さざる所なるを以て吾輩は日本銀行総裁たるの資格より観察し、其本分を守るの一点に於ては固より斯くあるへしと信したり、然るに又更に眼を転して事業社会の有様を顧みれば、其困
 - 第6巻 p.215 -ページ画像 
難は日に益々甚しく、今や将に成立せんとするの工業も殆んど名状すべからさるの危急に迫り、金融市場も更に逼迫の歎声を絶たず、若し此儘に推移らば数年来漸く発達したる我が経済社会も或は秩序を破壊するの不幸に陥らん歟と憂懼せしむるに及べり、是れ畢竟するに事業と資本の不釣合より生したる結果なれば、寔に如何ともすべからさるの次第なりと雖も、抑も亦国家経済の為めに憂へさるを得ず、左れば理財の当局者も日夜苦慮して之を救はんと欲するも我国猶経済上の機関全く具備せず、今日に於て国家財政の機関たるへきものは唯一の日本銀行のみにして、未た興業銀行或は動産抵当等の設けなきが故に斯の如き場合に於て之を円滑に調和すべきの途なきを奈何せん、玆に於て松方大臣・川田総裁は過般東京大阪の各銀行家を大阪に招集して金融救治の方案を諮問し、今回遂に日本銀行に於て一大救治の方案を立てゝ、大蔵省に稟議し、松方同大臣も亦今日の時機不得止ものとして之が実施を認可したり、之を要するに今日日本銀行に於て斯の如き方策実施の大任に当るは固より其本分にあらざる所なりと雖も、本邦未た財政機関の具備せさる折柄、現今の切迫黙視すへからさるものあるが故に不得止一時此の臨機策を実施し、他日動産抵当銀行の如きものの創設を待て此種の業務を移し、以て経済社会の整理を謀らんとするの意たるは川田総裁の意見書及ひ松方大臣認可の文意を以て見るも明らかなりとす、是れ畢竟我が経済社会の幼稚なる又工業社会の危急なる場合よりして遂に玆に至りたるすの《(マヽ)》なるか故に、吾輩も亦日本銀行は必す最初創立の精神目的を失はさることを確信すると同時に、今回の出来事は真に当分の臨機策たるに止められんことを切望せさるを得さるなり
理財の当局者に於て已に此の決心あり、金融の中央機関たる日本銀行に於ては指定の株券を担保品として大に割引を拡張し、且つ之を根抵当として信用ある各銀行に対し、応分の貸越を許し以て盛に金融疏通の途を聞く以上は必ずや市上信用の程度を増進し、随て現今四方に凝滞せる資金も忽ち躍て市場に流出し、融通の用を弁するに至り、彼此相応し、以て大に金融社会の面目を一変するや更に疑ひを容れさる所なり、而して今吾輩は此稿を了るに臨み聊か各銀行に何て希望せさるを得さるものあり、何そや、他なし我か理財の当局者が非常の英断を以て大に金融救治の方策を実施し、各銀行に対し、太だ低利を以て融通を謀る以上は各銀行に於ても此際又勉めて金利の割合を安くし以て広く金融の便利を進められんこと即ち是れなり、勿論各銀行家諸氏に於ては固より其然るへきを信すと雖も若しも然らすして今回の臨時急救の出来事を利用し、一方に於ては非常に低利の資金を引出し、一方に於ては彼らに高利を貪るか如きものあらば是れ実に徳義上の非難を免る能はさるへきなり(了)

〔参考〕中外商業新報 ○第二四三八号 〔明治二三年五月一〇日〕 唯だ方案を発表したるのみ(DK060062k-0024)
第6巻 p.215-216 ページ画像

 ○第二四三八号 〔明治二三年五月一〇日〕
    唯だ方案を発表したるのみ
世人が俟ちに俟ちたる川田日本銀行総裁の金融救治策は、愈々今回松方大蔵大臣の裁可さるゝ処となりて公然之れを世に発表せられたるが故に、是迄金融に困難を極めたる人々は孰れも霹靂一声霖雨忽ち霽れ
 - 第6巻 p.216 -ページ画像 
渉りて、青天白日を見るが如き感情を抱き、既に動もすれば下向に歩まんとせし株式市場の気配も俄然面目を革め、昨日の立会の如き人々の喜色其の面に現はれ、活気自から同市場に溢れんとするの風情ありしは脇目で見るさへ最とゞ心地よかりし、然るに是は之れ唯だ同総裁が松方大蔵大臣の裁可を得られたる其の救治策の方案を発表されたるまでにして、未だ其の実を見ざるの今日に於て既に斯の如し、左れば同総裁が別項に記す如く各銀行家に親しく其の融通を与ふべき方法を熟議し、愈々不日にして割引に依て当坐貸越に依て許す限り融通を自由ならしむることあらば一層活溌の気勢を回復し来り、世間一体の不景気も亦た為めに其の情勢を変し春ならぬ春に遇ふたる趣きを現ずるならんと察せられぬ


〔参考〕中外商業新報 ○第二四三八号 〔明治二三年五月一〇日〕 【川田日本銀行総裁には…】(DK060062k-0025)
第6巻 p.216 ページ画像

中外商業新報
 ○第二四三八号 〔明治二三年五月一〇日〕
川田日本銀行総裁には本日頃各銀行家を同行に招集して今回同総裁が松方大蔵大臣に稟議して其の裁可を得られたる金融救治策の趣意に基き、其の融通を与ふべき方法即ち彼の十五種の券を担保品として割引を拡張し、且つ之れを根抵当として信用ある各銀行に対し応分の貸越を許す手続の詳細、及其の担保品の価格等に就き充分の熟議を遂け、飽迄同総裁が非常の英断に出でたる実を挙げらるべき筈なりと聞けり

〔参考〕中外商業新報 ○第二四三八号 〔明治二三年五月一〇日〕 銀行家続々日本銀行に臻る(DK060062k-0026)
第6巻 p.216 ページ画像

 ○第二四三八号 〔明治二三年五月一〇日〕
    銀行家続々日本銀行に臻る
渋沢・西村・安田・山中・其他府下三、四の銀行家諸氏及当時滞京中なる大阪同盟銀行の委員総代松本重太郎・田中市兵衛氏等は、昨日交も交も踵を接して日本銀行に臻り、川田総裁に面会して今回総裁が金融救治策を松方大蔵大臣に稟議されて其の裁可を得られたる顛末及今後各銀行に融通を与ふべき方法手続等に就き懇話したる処ありと云ふ

〔参考〕中外商業新報 ○第二四三八号 〔明治二三年五月一〇日〕 銀行家の協議(DK060062k-0027)
第6巻 p.216 ページ画像

 ○第二四三八号 〔明治二三年五月一〇日〕
    銀行家の協議
今十日午後より渋沢・西村・安田氏等を始め府下の重立ちたる各銀行家は阪本町銀行集会所に集合し、今回川田日本銀行総裁の金融救治策に対する融通方法の手続に就て協議し、其の便利とする処を同行に向て申出づべき筈なりと云ふ

〔参考〕中外商業新報 ○第二四三九号 〔明治二三年五月一一日〕 大坂同盟銀行尚ほ請願する処あらんとす(DK060062k-0028)
第6巻 p.216-217 ページ画像

 ○第二四三九号 〔明治二三年五月一一日〕
    大坂同盟銀行尚ほ請願する処あらんとす
此程中各銀行家が頻りに熟議を凝らし、川田日本銀行総裁に向て請求したる金融救治策も大に採用さるゝ処となりて愈々今回の沙汰あるを聞くに就ては其の満足も亦た思ふに足るべきものあり、殊に大坂同盟銀行員の如きは当初よりして府下の銀行家に比し其の請求の熱望稍々強かりしかば、蓋し其の割合に亦た喜悦満足の度も一層多かるべしと察せられぬ、左れど隴を得て蜀を望むは人情の常とやら、曩に彼の担保品を議定して川田総裁に開申したる会社株券の内にして今回の担保品に洩たるは些か未練の残る処なきにしもあらざるべけれども、早晩機に乗じて其の担保品たらしめんと務むるの熱心は勃々として尚ほ其の余焔を止むるなるべし、夫れかあらぬか今度同銀行の委員総代として
 - 第6巻 p.217 -ページ画像 
上京せし松本重太郎・田中市兵衛の両氏は、其の出発前同銀行の総会に於て評議決定せし一箇条を提出して当局者に請願せんとする処あらんとする筈なりとか伝聞せり、@は他事ならず此程日本銀行が当座預け金に対して利子を附するの美挙を実行したるに就き今後同行に向て預け入れたる金額は銀行条例第五十九条(此の条例を遵守する銀行は諸方よりの預り金を他へ運転流用するには須らく之が制限を立て其預り金総額の内少くも十分の二、五即ち四分の一を引残し之を返却の準備として銀行の金庫中に積立置くべし、尤も内十分の一員額は政府の公債証書を実価を以て積立るを得べし但此準備金は銀行紙幣引換の準備金と混同すべからず)に基き以て平常各銀行の金庫中に積立て置かざるべからざる諸預り金返却準備金と看做されんことを請願せんとするに在りとか云へり、尤も此一条は疾くに府下各銀行家の寄り寄り相談して已に中には議事の序に衆議に附せんとするの噂もありし位の事にして、殊には此の願意は既に松方大蔵大臣が先頃阪地滞留中二三の同銀行等が同大臣の旅館を訪ふて其の採用さるゝ処となるべき歟否を内内伺ひ出でしに、事実差支の廉も之れなければ兎に角表向より其の請願を試むべしと答へられたるやにも承れば、蓋し思ふに此程請願したり三ケ年間無利足五百万円貸下げの一条と事違ひ容易に其の好結果を見るに至らん歟

〔参考〕中外商業新報 ○第二四四一号 〔明治二三年五月一四日〕 貸出手続きの協議会(DK060062k-0029)
第6巻 p.217 ページ画像

 ○第二四四一号 〔明治二三年五月一四日〕
    貸出手続きの協議会
今回金融救治策実施の手続に付き、昨日午後より日本銀行楼上に於て協議会を開き、渋沢・西村・安田及ひ松本・田中の五氏にも出席して種々の協議を遂げしか、未た全く決定したるにはあらねど其手続案も略ほ定りたるが如くなれは、尚一両日中に同盟銀行の集会を催ふし熟議する筈なりと云ふ

〔参考〕中外商業新報 ○第二四四三号 〔明治二三年五月一六日〕 同盟銀行月次定式総会(DK060062k-0030)
第6巻 p.217-218 ページ画像

 ○第二四四三号 〔明治二三年五月一六日〕
    同盟銀行月次定式総会
兼て報道せし如く京浜同盟銀行員は昨十五日午後四時より銀行集会所に於て月次定式総会を開きしが、渋沢・園田・西村・安田・山中等の諸氏を始め総員二十六名出席開会したり、軈て渋沢・西村・安田の三氏は先頃同盟銀行の委托を受て川田日本銀行総裁に向て稟議に及し彼の当座貸越担保品採用の件に就き逐一詳細の顛末及坂地に於て松方大蔵大臣の諮問に応し、金融救治策の趣意尚ほ帰京後日本銀行に於て今回川田総裁が発表されたる金融救治策方案実施の手続に就て協議せし摸様等を交はる交はる報告したる後、大阪同盟銀行より此程日本銀行が当座預け金に対して利子を附するの美挙を実行したるに就き、今後同行に向つて預け入れたる金額は銀行条例第九十五条に基き平常各銀行の金庫中に積立て置かざるべからざる諸預り金返却の準備金と看做されんことを請願せんとするの件に同意賛成の照会を受けたれば、其の同意すべき哉否を衆議に附せしに、大阪同盟銀行とは共に之を為さす、別に其筋に稟議せんとのことを決定し、次で今回東京商工会と相共に商法質疑研究会を設け、双方より質疑委員(各十名)を撰定することに協議決定したるに就き、其の撰挙を行ふことに決し、中途晩餐を喫
 - 第6巻 p.218 -ページ画像 
したる後引続き一二箇条の協議を遂げ各々退散したるは殆んど同九時過頃なりし、尚ほ其の詳細は次号に記載する処あるべし

〔参考〕中外商業新報 ○第二四四六号 〔明治二三年五月二〇日〕 担保品附手形割引の門を開く(DK060062k-0031)
第6巻 p.218 ページ画像

 ○第二四四六号 〔明治二三年五月二〇日〕
    担保品附手形割引の門を開く
日本銀行に於て九州山陽炭礦等都合十一鉄道会社の株券を担保品として一方には当座貸越を許し、一方には手形を割引して金融救治の道を疏通せんとすることは屡々諸者に報道せしが、其方法手続の如何に依ては折角の救治策も殆んど其効なかるへしと窃かに杞憂を抱きし者も多かりし、尤も当座貸越の事は疾く定りて京浜其他大阪兵庫神戸京都等の各銀行家へ過般夫々通知されしも、独り担保品付手形割引の手続等は末た定らさりしが、其方法手続も今度弥よ確定したるを以て此際特に各銀行へ通知せさるも申込のあり次第直ちに実施する事になれり今其要領を挙ぐれは左の如し
 担保品附属の手形は振出人名宛人とも銀行会社一個人たるを問はざれども、割引依頼人は銀行若くは諸会社に限る
 日本銀行に於て割引したる手形にして割引依頼人より之が買戻を望むときは、期日前と雖も之を売戻さるへし
  但し此場合に於ては売戻の翌日より手形期日迄の利子は日歩一銭五厘の割合を以て計算する筈なる由
斯くの如くにして担保品点附の手形割引は二名以上の裏書なきも日本銀行にては之に向て割引の便を与へらるゝ筈なり、即ち銀行諸会社は勿論何人たりとも担保品合格の各鉄道会社株券を所有するものにして金融を要する場合に際し兼て取引ある銀行宛約束手形を製し、之に担保品を添へ振出すときは該銀行は之を日本銀行に持参し、直ちに其割引を請求し、該金を以て振出人に仕払ふとも又銀行者は各一己人の手形を割引し、数葉若くは数十葉の手形を一纏めにして日本銀行に持参し、割引を為すとも皆勝手次第なり、且又振出人の都合に依ては期日前と雖も僅かの利子にて手形を売戻すと云へば此間手形の売買自由自在に行れて毫も面倒なく、定期貸に比すれば手数も少なく印紙税も減じ頗る便利なる方法なり、殊に実業者は確実なる株券を所有し、商況の緩慢なるときは之を庫中に蔵めて其利子を得へく、商業活溌なるときは之を銀行に持参して担保品とし約束の手形を発行して金策立ち所に弁する等程々の便ある由なれば、実業者にして果して之を利用せば遠からず金融社会の面目を一変するならん