デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
6款 択善会・東京銀行集会所
■綱文

第6巻 p.233-251(DK060065k) ページ画像

明治23年9月12日(1890年)

是ヨリ先、政府ノ国立銀行紙幣銷却方法ノ違算明ラカトナリ、国立銀行間ニ紙幣銷却期限延期問題起ル。従来栄一東京同盟銀行ヲ代表シテ此問題ニ付屡々意見ヲ述ベタリシガ、是日遂ニ紙幣銷却年限五ケ年延長案ヲ田尻銀行局長ニ提出シ、尚大蔵大臣松方正義ニ面謁シテ其要旨ヲ陳述セリ。


■資料

銀行通信録 第三一号・第六―一五頁〔明治二一年六月二八日〕 第八十四回定式集会録事 ○明治二一年六月一五日(DK060065k-0001)
第6巻 p.233-236 ページ画像

銀行通信録  第三一号・第六―一五頁〔明治二一年六月二八日〕
    ○第八十四回定式集会録事 ○明治二一年六月一五日
一銀行紙幣合同消却法ニ係リ九州銀行同盟会ヘ回答ノ件 本年五月九州銀行同盟会ニ於テ、銀行紙幣合同消却方法ハ近年公債証書騰貴ノ為メ各銀行紙幣消却高ニ算差ヲ生シ常業年限内ニ消却シ能ハサルヘキヲ以テ、従前ノ消却方法ヲ廃シテ常業満期ニ至リ一時ノ消却トナシ其間利倍増加ノ過剰金ヲ以テ其算差ヲ補塡スヘキ方案ヲ議決シ、既ニ之ヲ大蔵大臣ニ建議シタリ、而シテ該同盟会ハ之ヲ我集会所ニ照知シ、我同盟銀行ニ於テ此建議ノ旨ヲ賛成セハ当路ニ尽力シテ其旨趣ノ貫徹センコトヲ要求セリ、然ルニ其建議ノ旨ハ明治十六年改正銀行条例第百十二条ノ精神ニ背戻スルヲ以テ恐ラクハ採用セラレサルヘク、且本件ニ於テハ我同盟銀行ニ在テモ嘗テ苦慮スル所ナレトモ、其営業年限ノ前途尚遠キカ為メニ他日熟議ノ上適切ノ考案ヲ設ケ、該同盟会ヘモ協議セント欲スルニ付、此回ノ建議ニ対シテハ十分同意ヲ表シ難キヲ以テ委員ニ於テ之カ回答案ヲ造リ直ニ照覆スヘキコトニ議決セリ
    九州銀行同盟会ヨリ銀行紙幣消却ノ件ニ付大蔵大臣ヘ建議書ノ写
我政府ハ明治十六年五月ニ於テ国立銀行条例ヲ改正追加シ、発行紙幣ノ消却法ヲ定メ、我国立銀行カ前途ノ目的ヲ確定シテ猶大ニ財政ノ整理ヲ計画シ、以テ不換紙幣ノ弊害ヲ除カレシハ誠ニ千歳ノ偉業ト謂フヘシ、豈敬服セサル可ケンヤ、然リ而シテ財政ノ整理ハ大ニ諸公債証書ノ価格ニ影響シテ其騰貴ヲイタス而已ナラス、我政府ハ高利ノ公債ハ陸続之ヲ消還シ、換ユルニ低利ノ公債ヲ以テセラル、於是乎曩ニ条例改正追加アリシ際我同業者等ヘ示サレタル紙幣消却方ノ予算今日ニ在リテ当初ノ目途ヲ達スルコト能ハス、因テ既往ノ実跡ヲ以テ将来満期ノ暁ヲ想像スルニ実ニ戦慄寒心ヲ為スニ堪タリ、故ヲ以テ我同盟会ハ去ル明治十九年以来日夜苦心焦慮シテ之カ救済策ヲ討究スルモ未タ其良法ヲ得ス、今般ノ会同ニ至テ聊カ所見ヲ評決スルコト得タリ、乃チ潜越《(僭)》ノ罪ヲ不顧閣下ヘ申具スル左ノ如シ
夫レ紙幣消却ノ法タル、準備金及其差益金弐分五厘積立金及ヒ其差益金ヨリ生スル利子ヲ以テ消却金ニ充テ年々消却ヲ実施スルモノナリ、然ニ条例第百拾二条ヲ捧読スルニ、国立銀行ヨリ発行スル紙幣ハ(中略)其営業年限内ニ於テ悉皆消却スヘキモノトストアリ、此条例ノ範
 - 第6巻 p.234 -ページ画像 
囲内即満期迄紙幣消却ノ御猶予ヲ仰キ、目下ノ消却金ヲ以テ更ニ利付公債証書ヲ購入シ之ヲ元資ニ加ヘ、如斯年々利倍スルモ尚不足ヲ生スルニ付、向三ケ年間積立金ハ必ス七分利付金禄公債証書ヲ以テ積立ル事トセハ、満期ニ至リテハ庶幾クハ当初ノ目的ト差違ナキニ至ラン歟(其計算書ノ如キハ別紙アリ)然レトモ弐千八百余万円ナル大額ノ発行紙幣ヲシテ満期ノ際一時ニ消却セハ或ハ恐ル社会経済上一大劇変ヲ生センコトヲ、依テ右ハ去ル明治十九年八月東京銀行集会所ヨリ請願シタル第三項ノ趣旨ニヨリ銀行紙幣ハ漸次兌換銀券ト交換シ、而シテ営業年限内ハ主省ヘ預納シタル発行紙幣抵当公債ヲ以テ之レヲ日本銀行ヘ転預シ、其兌換銀券ノ準備ニ充テ候ハヽ一ハ其経済上ノ劇変ヲ医シ、一ハ其通貨雑駁ノ憂ヲ療シ、理財ノ一端トモ可相成哉ト愚考仕候若シ採択嘉納ヲ賜ハヽ幸甚タシ、本会ノ決議ヲ以テ此段建議仕候也
             九州銀行同盟会幹事
  明治二十一年五月廿五日    福岡 第十七国立銀行
                    頭取 小河久四郎
    大蔵大臣 伯爵 松方正義殿

     銀行紙幣消却法計算書
一金参千百六拾九万二千八百八拾円   紙幣発行高
  内金参百拾弐万六千九百二十八円  二十年下半季迄ニ消却高
 差引残
 金弐千八百五拾六万五千九百五拾弐円 消却未済
   処ニ
 金千四百拾壱万七千九百七拾円     諸公債在高
   内
  三拾三万八千五百円         中山道鉄道公債
  四百拾七万四千八百円        七歩金禄公債
  五百八拾七万千弐百弐拾五円     六歩同
  百四拾七万七千六百九十五円     五歩同
  四百円               起業公債
  弐百弐拾五万五千参百五拾円     整理海軍公債
 金四拾六万六千七百六拾四円弐拾五銭九厘    紙幣消却預ケ金
 金八百三拾壱万九千参百八拾壱円    弐歩五厘積立
  但二十一年下半季分ヨリ三十年下半季迄
   内
  弐百三拾七万六千九百六拾六円   七分金禄公債ヲ以テ積立
  五百九拾四万弐千四百拾五円    五分利付諸公債ヲ以テ積立
 金四拾四万弐千四百弐円九拾三銭五厘 金禄公債過剰利息
   内
  弐拾弐万九千三百拾壱円八拾壱銭  七分金禄公債過剰利息
  拾七万六千百四拾八円七拾五銭   六分同   同上
  三万六千九百四拾弐円参拾七銭五厘 五分同   同上
 金千拾八万七千七百八拾五円四拾銭  諸公債ノ利子
   内
 - 第6巻 p.235 -ページ画像 
  百八万四千六百九拾弐円五拾弐銭五厘  七分公債利子
   但二十一年上半季ヨリ廿三年下半季迄三ケ年分
  拾六万五千八百六拾五円      中山道鉄道公債利子
   但二十一年上半季ヨリ廿七年下半季迄七ケ年分
  弐百四拾六万六千八拾弐円五拾銭  六分公債利子
   但前断
  六百四拾七万千百四拾五円参拾七銭五厘  五分公債利子
   但二十一上半季ヨリ三十年下半季迄十ケ年分
 金三百万五百弐拾四円五銭 消却金ヲ以テ買入タル公債ノ利倍利子
 小計金参千六百五拾参万四千八百弐拾七円六拾四銭四厘
   内
  弐千八百五拾六万五千九百五拾弐円 帋幣消却高
  七百九拾弐万参千弐百弐拾円    準備金
 差引
  残金四万五千六百五拾五円六拾四銭四厘
  右準備金高ニ対照スレハ準備金壱万円ニ付五拾七円余
 説明
 一廿一年上半季ヨリ廿三年下半季迄三ケ年間ノ弐分五厘積立金ハ必ス七歩金禄公債証書ヲ以テ積立ルモノトス
 一金禄公債証書ノ当籤ハ今ヨリ七分ハ三ケ年、六分及中山道鉄道ノ公債ハ七ケ年ノ見積リトス
 一五分金禄公債ノ過剰利息ヲ受入タルハ、満期当籤セスト雖トモ金公禄債ハ他ノ公債ヨリモ過剰利息丈高価ナルモノトスルニヨル
 一二十年下半季消却預ケ金ヲモ受入タルハ、廿一年一月ヨリ本建議ノ趣旨ヲ実施セラレンコトヲ希望スルニ付、若シ紙幣消却セリトスルモ代リ紙幣ハ兌換券ヲ受下ラルヽモノトスルニヨル
 一爾来買入ノ公債価格ハ額面ヲ以テセシニ付、満期売却スルモ矢張額面ヲ以テ算出セシニヨル

    銀行集会所回答書
去月二十五日付之御書面拝見、陳ハ今般貴同盟会之御決議ニ拠リ銀行紙幣合同消却法之議ニ付別紙之通大蔵大臣ヘ御建議相成候間当集会等《(所カ)》ニ於テモ賛成致シ、御申立之趣意相貫キ候様尽力可致旨御照会之趣承知仕候、早速去ル十五日定式集会ニ於テ評議致候処、公債証書騰貴ノ為メ銀行紙幣消却高ニ違算相生シ、営業年限中ニ発行紙幣消却相成不申事ハ御同様困却之次第ニ候得共、今般貴場同盟会ヨリ御建議之趣意ハ紙幣消却元資積立金ヨリ生スル利益金ヲ年々積立置営業満期之節一時ニ消却致候方法ニテ、去ル明治十六年ニ御改正相成候条例之御趣旨ト相違致候様相見ヘ候間、御採用如何ト被存候、加之六分以上利付之公債ヲ三ケ年若クハ六ケ年之後迄据置之事モ同業者ノ為メニハ都合宜敷候得共、紙幣消却ノ元資ト相成居候公債ノミ抽籤ヲ不行ト申事ハ事実出来申間敷、詰リ六分以上利付公債之抽籤停止ヲ相願候モ同様之筋ニ相当リ、是又御聞届相成間敷奉存候、依之此度之御建議ニハ十分御同意ヲ表シ候儀出来兼候得共、前書紙幣消却法之予算相違致シ候儀ニ
 - 第6巻 p.236 -ページ画像 
付テハ当同盟銀行ニ於テモ一日深慮致居候ニ付、何トカ方按相立、其筋ヘ請願可致心得ニ候、乍去未タ営業年限ニ余裕モ有之ニ付、其内時機見計御相談可致旨同盟銀行一同之決評ニ御座候、此段拝答旁得貴意候也
  明治廿一年六月廿六日           銀行集会所
   九州銀行同盟会幹事 御中


会議録事 自明治二十二年一月至明治二十三年十二月(DK060065k-0002)
第6巻 p.236-239 ページ画像

会議録事  自明治二十二年一月至明治二十三年十二月 (東京銀行集会所所蔵)
   明治二十三年九月五日定式会議録事草按
第三号議案
    国立銀行紙幣消却延期願草案
 明治九年国立銀行条例御改正相成、全国有志者ヲ御勧誘被為在候ニ付其後三四年間ニ新設銀行ノ数百五十有余ニ及ヒ、相提携シテ其業務ヲ精励致候ハ当時我政府ニ於テ国立銀行ヲシテ邦内ノ財源通暢ノ機関タラシムルノ御成意ヲ遵奉セシモノニシテ、而シテ此百五十余行ノ株主等ハ国立銀行条例ニ於テ営業期限ヲ廿ケ年ト制限セラルヽト云トモ、満期ニ至ラハ之ヲ継続シ得ラルヘキハ条例ニヨリテモ確信罷在候処十六年ニ至リ更ニ条例御改正ニテ各国立銀行ハ其営業年限満期ノ日ニ至ラハ之レヲ閉鎖セシメ、発行ノ紙幣モ其時迄ニ悉ク之ヲ消却スヘキモノト御制定相成候ハ各国立銀行ニ於テハ実ニ非常ノ御処置ト一時驚愕仕候、然ルニ我大蔵大臣閣下ハ右条例御改定ニ付各国立銀行ノ損害少ナカラサルコトヲ御推知被為在、銀行紙幣消却ニ付便法御設相成、乃チ各国立銀行紙幣引換ノコトハ一ニ日本銀行ニ負担セシメ、而シテ其紙幣引換準備金ヲ総テ日本銀行ニ托シテ公債証書ニ代ヘ、別ニ紙幣消却元資積立トシテ各行紙幣発行高ノ一分二厘五毛宛ヲ毎半季ノ利益金ヨリ割キテ、同シク日本銀行ヘ払込ミ、共ニ公債証書ニ代ヘ、両種公債証書ヨリ生スル利子ヲ以テ年々紙幣消却ヲ行ヒ、満期ノ際ニハ右紙幣消却元資積立金ノ元金ヲ以テ各行ノ発行紙幣ハ悉ク之ヲ消却シ、其残金ト曩ニ日本銀行ニ托セシ紙幣引換準備金ヲ以テ買入レタル公債証書ハ其差益ヲモ併セテ全ク各国立銀行ヘ還付セラルヘキ予算表及説明書御下付相成、其計算ノ大要ハ別紙甲号ノ通ニ有之候、此際各国立銀行ハ其営業期限継続ノ予望ヲ失シタルト毎季利益金ヲ割キ紙幣消却元資ヲ積立ツルノ不利ナルトニ苦慮仕候得共、国家財政整理ノ為メ已ムヲ得サルニ生スル大法ト恐察仕リ勉メテ之ヲ奉承シ、爾来七ケ年営業罷在候、然ル処明治十九年以来我政府ニ於テ公債整理ノ方法御施行相成、頻年高利ノ公債ヲ回収セラレ、従テ低利公債モ其価格ヲ騰上セシヨリ廿三年ノ今日ニ在テ紙幣消却ノ現況ヲ観レハ大ニ前述ノ甲号計算書ト差違ヲ生シ候ニ付、更ニ将来ヲ想察シテ之カ予算ヲ設クルトキハ、明治三十年則概ネ各国立銀行閉鎖ノ時期ニ至ラハ乙号計算書ノ如ク相成其差違実ニ七百七十弐万千百四十八円拾六銭九厘ノ巨額ニ上リ、詰リ此差額ハ各国立銀行ノ損失ニ帰シ候ハ要スルニ財政整理ニ起因致シ候事トハ申乍ラ、各国立銀行ノ困難此上モナキ次第ニ候、就テハ特別ノ御詮議ヲ以テ国立銀行紙幣消却ノ年限ヲ延期セラレ、各国立
 - 第6巻 p.237 -ページ画像 
銀行ヨリ日本銀行ニ托セシ紙幣引換準備金ヲ以テ買入レタル公債証書及其差益金ハ各行営業満期ノ際ニ其金額ヲ日本銀行ヨリ還付スルノ方法御施設相成候様御取扱被下度候、依テ別紙甲乙計算書相添此段一同連署上願仕候也
  明治二十三年 月 日
    銀行局長宛
    銀行紙幣消却高予算書《(概)》
(甲号)
明治十六年銀行条例改正ニヨリ当時大蔵省ヨリ示サレタル予算ニ拠レハ明治三十年ニ至リ其結果左ノ如シ
一金千八百七拾参万千弐百〇六円四拾六銭九厘
         準備金及積立金ヨリ生シタル公債利息
一金千三百七拾九万千五百拾五円参拾弐銭七厘
         積立金公債同当籤利益ニテ買入タル公債売却代
合計金参千弐百五拾弐万弐千七百弐拾壱円七拾九銭六厘
  内金参千百八拾壱万弐千八百八拾円  発行紙幣
差引
  金七拾万九千八百四拾壱円七拾九銭六厘  剰余
(乙号)
大蔵省ヨリ示サレタル予算ハ右ノ如クナレトモ現今ノ計算ヲ以テスレハ三十年ノ終ニ於テ其結果左ノ如シ
 一金千参百〇七万四千参百〇九円七拾壱銭壱厘
          準備金及積立金ヨリ生スル公債利息
 一金千百六拾万七千弐百六拾参円九拾壱銭六厘
          元資積立金ヲ以テ買入タル公債及差益金
 合計金弐千四百六拾八万千五百七拾参円六拾弐銭七厘
    右ニ対シ
 金参千百六拾九万弐千八百八拾円  発行紙幣総高
  差引
   金七百壱万千三百六円参拾七銭三厘 不足
 甲号予算ニ比較シテ其不足左ノ如シ
    金七百七拾弐万千百四拾八円拾六銭九厘
 会長○安田善次郎曰ク、我カ国立銀行者カ僅ニ七ケ年営業ノ間ニ於テ七百七十余万円ノ大ナル損失ヲ蒙ルヘキコトハ同業者カ常ニ憂慮スル処ナリシカ、頃日渋沢氏外二三氏ヨリ銀行局長ノ意見ヲモ聴領シ、再三協議ノ上本案ヲ提出シタルモノナレハ十分討議アリタシ
 第一銀行佐々木勇之助氏曰ク、本案ニ就テハ各員ニ申述ヘ置タキコトアリ、本按ハ最初第十五銀行ヨリ出テ委員中協議ノ上其書面ニ修正ヲ加ヘテ出来シタルモノナリシカ、本按中他ノ営業年限云々ノ三十字ヲ刪除シ、条例ノ二字ヲ加ヘタリ、是レハ第十五銀行三輪氏カ条例ヲ調ヘラレ営業継続延期ノ事ハ条例中ニ明文アリトノ注意ニヨリ改メタルモノナレハ、了知アリタシ
 第十五銀行三輪信次郎氏曰ク、消却予算トアレトモ其大略ヲ算出セシモノナレハ、予算概略書ト改メタシ
 - 第6巻 p.238 -ページ画像 
 会長曰ク、予算ト云ハ即チ概略ナレハ差支ナカラン
 三輪氏曰ク、主張スル程ノ事ニモアラサレトモ予算ト概略トハ少ク異ナルヘシ、成ヘクハ改メタシ
 会長曰ク、然ラハ概算書ニナシテハ如何
 衆皆同意ヲ表シ、概算書ト改ム
 委員山中隣之助氏曰ク、頃日聞知スル処ニヨレハ銀行局ノ計算モ略此予算書ニ同シト云トモ、唯高利公債ノ償還期ニ於テ少シク相違セリトノ事ナリ
 第一銀行長谷川一彦氏曰ク、本文末項紙幣計算書ハ概算ニ政メタシ然ラサレハ計算書ト本文ト符合セス
 会長曰ク、然シナカラ甲乙ナレハ差支ナカラン
 第百十九銀行三村君平氏曰ク、此書面ヲ局長宛ニセシハ如何
 委員山中隣之助氏曰ク、先日銀行局長ノ意見ヲ問ヒシトキ局長ニモ既ニ成算アリテ日本銀行トノ契約上ニ於テ成立ツヘキモノト思惟スレハ左程急カストモ宜シカラントノ事ナリシカ、帝国議会ニ付セラルヽノ事ナシトモ保シ難ケレハ、成ヘク早ク安心シ置キタキ精心ヨリ先ツ同局長ノ参考ニ供シ置クノ心算ニテ起案シタルモノナリ
 第十五銀行三輪信次郎氏曰ク、本按中四行目株主等ノ期念云々ノ「ノ期念」ノ三字ヲ刪除シタシ
 衆皆同意刪除ニ決ス
 会長曰ク最早意見モナキヤウナレハ可否ヲ決定スヘシ、一同異議ナキヲ以テ字句ニ修正ヲ加ヘ、同盟国立銀行調印ノ上速カニ進達シ、併セテ同盟外各国立銀行ヘ通牒スヘキコトニ決定ス
 川崎銀行安藤浩氏曰ク、本員ハ各位ノ意見ヲ問ヒタキ事アリ、之レ他ナシ、川崎銀行ハ貯金ノ業ヲ兼営シ在リシカ、貯蓄銀行条例ヲ閲スルニ貯金ト貸金トハ皆公債証書ニ依ラサルヘカラサル制ナレハ、貯金銀行カ預リタル金額ヲ国立銀行其他ニ預ケテ之ヲ運転スルハ出来サルモ、本家ナル銀行ニ預托スルハ差支ナキヤ如何
 委員山中隣之助氏曰ク、本員ハ此条例ノ発布ニ付其筋ノ人ニ説明ヲ乞ヒタルニ説明者ノ言ニ元来貯蓄銀行ニ預金ヲ為スモノト国立銀行ニ預クル者トハ預ケ者其人ノ性質ヲ異ニシ、貯蓄銀行ノ方ハ重ニ小民カ粒々辛苦ヨリ得ル所ノ金ヲ積ムモノナルニ一朝其本家ナル銀行カ破産スル場合アレハ、其影響ハ貯蓄預ケヲナシタル人ニ及ホシ、其困難ヲ見ルハ往々其例アリ、故ニ其等ヲ防カン為メノ精神ナリトノ事ナレハ六ケ敷カルヘシ
 会長曰ク、抵当ハ公債ニ限リ役員ハ別ニナシ区別ヲ立テネハナラサレトモ預ケ丈ケハ可ナラン
 第十五銀行三輪信次郎氏曰ク、預金局日本銀行ノ外ハ差支ナルヘシ第百銀行高田小次郎氏曰ク、紙幣抵当公債証書ノ事ニ付意見アリ、銀行紙幣抵当公債証書ハ当時銀行局ノ保管ニ係リシカ之ヲ日本銀行ニテ保管スル事トナラハ大ニ便利ナラン、就中地方ノ銀行ニテハ余程困難ノ由ニ聞知セリ、故ニ幸ニシテ日本銀行ニテ管保スルコトニナレハ先方ニテ利札ヲ切取リ、直ニ当座勘定ニ組込ムコトヲ得テ甚タ好都合ナレハ之ヲ御願シテハ如何
 - 第6巻 p.239 -ページ画像 
 委員山中隣之助氏曰ク、高田氏ノ説ノ如ク行ナハルヽニ於テハ便利タルヘシト雖トモ銀行局カ国立銀行ヲ保管シアル間ハ六ケ敷カラン会長曰ク、此事ハ委員長ニ話シ其考按ニヨリ次会ニ協議スヘシ
於此本日ノ議事結了シ会長閉会ヲ報シ一同階下食堂ニ入リ晩餐シ、午後九時退散セリ
  ○「国立銀行紙幣消却延期願草案」中、第十五銀行三輪信次郎ノ申出ニヨリ抹殺セル文字ハ「他ノ営業年限ノ制定アルモノモ多クハ其継続ヲ許可セラルヽノ類例」ノ三〇字ナリ。


会議録事 自明治二十二年一月至明治二十三年十二月(DK060065k-0003)
第6巻 p.239 ページ画像

会議録事  自明治二十二年一月至明治二十三年十二月 (東京銀行集会所所蔵)
               栄一印
    ○第百六回同盟定式会議録事 (印) ○明治二二年一〇月一五日
会長○渋沢栄一ハ前ニ当集会所同盟銀行連署ヲ以テ当路ヘ請願セシ紙幣消却法ノ事ニ関シ、今回大坂同盟銀行ニ於テモ別ニ請願書ヲ出スカ、又ハ委員上京シテ請願スヘキカ、便宜其一ヲ取ルヘキニ付テハ一応当集会所ノ都合如何ヲ領知センコトヲ欲スルトノ照会アリシ旨ヲ告ケ、並ニ其書面ヲ読示シ、以テ之ヲ協議ニ付セシカ敢テ不都合ナキノミナラス却テ当集会所ノ稟請ニ対シ便利有ルニ付、差支ナキ旨回答スヘキコトニ決セリ
右会事畢リ晩餐ノ後八時頃散会セリ
    ○第百七回定式会議録事 ○明治二三年一一月一五日
                栄一印
明治二十三年十一月十五日同盟銀行第百七回定式会議ヲ開キ、来会スルモノ三十一人ナリ、会長渋沢栄一氏ハ議事ニ先タチ第百三十二国立銀行及第百四十七国立銀行支店役員ノ交迭ヲ報告シ、次ニ大阪同盟銀行ヨリ銀行紙幣消却法ノ件ニ係リ、再次照会書ヲ寄セテ曩ニ該同盟銀行ハ其筋ヘ書面ヲ以テ請願スルカ又ハ委員ヲ上京スヘキ目的ナリシカ更ニ評議ヲ経テ之ヲ中止スルニ付、該同盟銀行ニ於テモ銀行紙幣消却法ノ件ハ、我同盟銀行稟請ノ旨ニ同意ナルコトヲ上申センコトヲ請求セリ、然レトモ今日ハ已ニ時機ヲ失シ、我同盟銀行ヨリ追稟スルハ不可ナルニ付、別ニ大阪同盟銀行ヨリ稟請スヘキ様回答スヘキ意見ヲ告ケ衆皆領意セリ


明治廿三年度決議綴(DK060065k-0004)
第6巻 p.239-241 ページ画像

明治廿三年度決議綴          (東京銀行集会所所蔵)
拝啓、然ハ国立銀行紙幣消却法之義ハ弊地同盟銀行ニ於テモ曾テ上願可致精神ニテ協議中ニ候処、客月十二日附ヲ以テ貴地御同盟ヨリ上願相成願書之写御送付被下、御厚情之程奉鳴謝候、就テハ帝国議会開会以前ニ実施ヲ可蒙様可相運ハ最モ得策ト存シ、弊地ヨリモ願書ヲ可呈哉或ハ事誼ニ依リ委員壱名上京可致哉ト思考仕候ヱ共、今回貴所ノ御上願ハ頗ル深長ノ御意味可有之義ト被相窺候ニ付、勿卒ニ願書ヲ呈シ、却テ不都合ノ場合可有之哉モ難計ト思惟仕候間、一応御都合之程相伺候依テ折返シ何分ノ御指示被成下度、此段及御照会候也
  明治二十三年十月九日
                     大阪同盟銀行集会所 
    東京銀行集会所 御中
 - 第6巻 p.240 -ページ画像 
追申
銀行社印改正之義ハ其筋ノ御指令ニ基キ弊地ハ方壱寸ト定メ各行各自ヨリ定款改正ヲ上願可致事ニ決議仕候間此段御参考直ニ申進候
     ○
 明治二十三年十月十四日 書記長 (印)
 委員長 (印)
 委員 (印)
  紙幣消却法之件ニ付大阪同盟銀行集会所ヨリ別紙照会ニ付、回答案御廻議申上候也
去ル九日附之貴書拝見仕候、陳者銀行紙幣消却法之儀ニ付、此程当集会所同盟銀行ヨリ田尻銀行局長ヘ稟請致候書面写相添御通牒申上候処、本件ハ貴同盟銀行ニテモ其筋ヘ上願可相成御協議有之候折柄ニ付可成帝国議会開会以前ニ篤ト安心之場合ニ取極リ候様被成度、依之貴同盟銀行ヨリモ其筋ヘ稟請書御差出被成候歟若クハ委員ヲ選ミ御上京之御評議有之候趣ニ候処、当集会所之稟請ニ対シ差支ニモ可有之ヤトノ御配意ヲ以テ御照会之趣委細承知致候、本件ハ曩ニ当集会所委員中其他重立タル数名ヨリ田尻銀行局長迄意見承リ候処、其筋ニ於テモ既ニ評議有之候由ニテ、到底国立銀行発行紙幣計算上ニ於テ損失勿カラシムル事丈ケハ行届可申模様ニ窺知仕候得共、本件ハ国立銀行全体ニ関シ重大ノ事柄ニ付、貴同盟銀行之御意見モ御座候ハヽ更ニ御出願被成候共、当集会所之稟請ニ対シ毫モ差支無之候間、可然御取計相成度此段御回答申上候也
  明治二十三年十月 日
                   東京銀行集会所
    大阪同盟銀行集会所
            御中
  追申銀行社印改正之儀貴地ニハ方一寸ト御定メ各行格段決議之上上願可被成事ニ御治定之趣委細承知仕候
      ○
拝啓、時下寒礼之候益御安静奉賀候、陳ハ銀行紙幣消却法之儀ニ付毎毎御配慮被下奉鳴謝候、右一件ニ付過日当地同盟より貴地御同盟へ対し書面ヲ以御照会仕候処、早速御細答被下猶協議仕候処、別紙之趣意ニ決議仕候ニ付、別紙書面差出候、併当地よりも表面願書捧呈スル方可然哉、尊台之御賢慮奉伺上度、猶御見込之処小生迄御洩し可被下候先ハ右御願迄如此御座候 草々頓首
  十一月九日               田中市兵衛
    渋沢栄一様
        侍史
      ○
  明治二十三年十一月十五日
御状拝見仕候、益御清栄之由奉抃喜候、陳は銀行紙幣合同消却法之義ニ付御申越之趣拝承仕候、右は当方ニ於ても兼而より苦慮いたし種々協議之末銀行局へ書面差出置候へとも、其後何之御沙汰もなく尚其儘ニ相成居候義ニ御座候、就而は貴方より更ニ書面捧呈之義は其効果ニ関し
 - 第6巻 p.241 -ページ画像 
てハ如何様とも御確答はいたし兼候へとも、其書面捧呈旁御一名御上京被下候ハヽ幸ニ或は好都合ニ相運ひ可申哉とも相考申候、尤もこれとても充分ニ見込相立候義ニハ無之候へとも、御照会ニ付単ニ気附を申上候まてニ御座候間、左様御了意被下度候
右拝答まて如此ニ御座候 草々拝復
    田中市兵衛殿            渋沢栄一
      ○
拝啓、陳ハ客月九日付ヲ以テ銀行紙幣消却法ノ義ニ付御照会申上候処同月廿一日付ヲ以懇々之御廻答ニ預リ奉鴻謝候、右御書面ノ趣ニ依リ弊地同盟銀行協議仕候処、今般ノ請願一件ハ貴地御同盟ヨリ御稟請ノ趣旨ト同感ニシテ既ニ貴地ヨリ充分ノ御配慮ニ相成、其筋ニ於テモ何分ノ御詮議中ニシテ到底国立銀行発行紙幣計算上ニ於テ損失勿カラシムルノ好結果ヲ得ヘキ義ト信認仕候間、此上弊地ヨリ請願書捧呈スルモ結リ貴地ト御同意之義ニ付、同文ノ願書ト相成却テ其筋ノ御手数ヲ嵩ムル而已ニテ無益ノ義ト思考シ、願書ハ呈出セサル事ニ決議仕候間甚タ自由ケ間敷候得共、前段ノ如ク弊地同盟銀行ハ貴地ト同意同願ナル旨其筋ヘ御上申被成下度、此義特別ニ御依頼申上候 以上
  明治二十三年十一月四日      大阪同盟銀行集会所
   東京銀行集会所 御中
      ○
明治二十三年十一月十八日            書記長(印)
  委員長(印)
  委員(印)
   大阪同盟銀行ヨリ別紙之如ク再応照会有之候ニ付回答案左ニ御廻議申上候
拝啓陳は兼而御報道申上置候銀行紙幣消却法ニ関シ、客月九日付ヲ以テ御照会ニ付同月二十一日御回答申上候処、尚又本月四日付ヲ以テ貴同盟銀行ヨリ大蔵大臣ヘ請願書捧呈之議ハ御見合之事ニ御議決相成候ニ付テハ、当集会所ヨリ貴同盟銀行ニ於而モ本件ニ御同意ノ旨上申可致様御照会ニ候処、実ハ其後銀行局ヨリ何等之御沙汰モ無之候ニ付、今日ニ当リ貴同盟銀行ノ御意見トシテ書面御捧呈旁委員御上京被下候ハヽ却テ好果ヲ奏シ可申ト存候間、尚御評議之上可然御取計被成下候様仕度、此段再応御回答申上候也


東京商業会議所月報 第二七号〔明治二七年一一月〕 国立銀行ノ沿革大要(渋沢栄一君述)(DK060065k-0005)
第6巻 p.241-242 ページ画像

東京商業会議所月報  第二七号〔明治二七年一一月〕
    国立銀行ノ沿革大要 (渋沢栄一君述)
○上文明治一六年五月一〇日ノ条ニ接ス然ルニ其後明治十九年ニ至リ、政府ハ兌換紙幣ノ制度ヲ実行スルニ当リ、財政整理ノ為メ新ニ薄利公債ヲ発行シテ従来ノ厚利公債ヲ消却セラレタルヨリ、俄然前陳ノ計算上ニ至大ノ喰ヒ違ヒヲ生シ、当初ハ営業満期ニ至リ、準備金公債ヲ外ニシテ七十万円以上ヲ持帰リ得ヘキノ予算ナリシモ、今ハ却テ多額ノ持出シヲ要スルノ懸念ヲ生スルニ至レリ、右ハ畢竟財政整理上ノ結果ニシテ、固ヨリ不得已コトヽハ申シナカラ、国立銀行ニ取リテハ非常ノ迷惑ナルニ付、早晩之カ救済策ヲ講スルノ必要アルヲ信シ、当時ノ銀行局長加藤済氏ヲ
 - 第6巻 p.242 -ページ画像 
訪ヒ之カ意見ヲ叩キタルニ、恰モ同氏ノ病中ト云ヒ、為メニ充分ノ研究ヲ尽サスシテ別レタルカ、其後同氏ハ間モナク死亡セラレ、之ニ代テ局長ノ任ヲ襲ヒシハ上床熙載氏ナリシモ、是亦不幸ニシテ病死セラレ、次ニ明治二十二年ニ至リ大野直輔氏其職ニ任セラレタルニ付、更ニ従来ノ行掛リヲ談シテ同氏ノ一考ヲ求メタルニ、同氏モ@ハ至極尤モノ次第ナレハ、追テ何分ノ詮議ニ及フヘキ旨ヲ答ヘラレタルモ、其後間モナク他ニ転任セラレテ又々要領ヲ得ルニ至ラサリシ、次ニ同局長ニ任セラレタルハ今ノ大蔵次官田尻稲次郎氏ニシテ、余ト同氏トハ予テ旧交ノ因アルニ付、一応一己ノ資格ヲ以テ其大意ヲ陳述シ置キ、更ニ同盟銀行中ヨリ五名ノ陳情委員ヲ選ヒ、余モ其委員ノ一人トシテ他ノ四氏ト共ニ、明治二十三年夏季ノ頃ヨリ九月ノ初旬ニ至ル迄、再三大蔵省ニ出頭シ、同氏ニ面会シテ事情ヲ具陳シタルニ、同氏モ其玆ニ至リシハ国家経済上已ムヲ得サルコトヽハ言ヘ、銀行ノ迷惑モ亦思ヒヤラルヽニ付、何トカ他ニ適当ノ方法ヲ設ケテ、之カ救済ノ途ヲ求メサルヘカラストハ思ヘトモ、今更法律ヲ変更スル訳ニモ行カサレハ兎ニ角局長宛ノ書面ヲ以テ希望ノ点ヲ陳情アリテハ如何、左スレハ日本銀行トモ協議ノ上、各国立銀行ト日本銀行トノ間ニ一種ノ契約ヲ締結シ、営業満期ノ際ニ未消却ノ紙幣アラハ、予テ紙幣発行ノ抵当トシテ大蔵省ニ預ケアル処ノ公債証書ヲ其儘日本銀行ニ預ケ替ヘ、各国立銀行ハ之ヲ抵当トシテ日本銀行ヨリ紙幣消却ニ要スル丈ケノ金ヲ無利足ニテ借入レ、漸次其消却ノ道ヲ立ツルノ方法ヲ設クルノ考ナリトノ事ナリシニ付、即チ局長ノ諭示ニ従ヒ、明治二十三年九月十二日附ヲ以テ書面ヲ同局長ニ差出シ、猶ホ余ハ一己ノ資格ヲ以テ時ノ大蔵大臣松方伯ニ面謁シ、素望ノ要旨ヲ陳述シテ、略ホ其認諾ヲ得タリキ
○下文明治二六年一○月二三日ノ条ニ続ク


国立銀行営業延期始末 一―八丁(DK060065k-0006)
第6巻 p.242-245 ページ画像

国立銀行営業延期始末  一―八丁   (渋沢子爵家所蔵)
一、営業期限ノ短縮 国立銀行ノ営業期限ハ明治九年八月制定ノ国立銀行条例ニ於テ国立銀行ハ開業免状受得ノ日ヨリ二十箇年ヲ一期トシ、其期限ヲ経過シテ尚営業センコトヲ望ムモノハ更ニ允許ヲ受クヘキコトト規定セラレタリト雖トモ、越ヘテ十六年五月ニ至リ(布告第十四号)此営業満期後ハ紙幣発行ノ特許ヲ有シ、従来ノ資格ヲ以テ業務ヲ継続スルコトハ許サスト雖トモ、更ニ私立銀行ノ資格ヲ以テ允准ヲ受ケ、其営業ヲ継続スルコトヲ得ヘシト更正シテ国立銀行ノ命脈ヲ制限短縮セラレタリ
二、銀行紙幣消却法ノ規定 之レト同時ニ政府ハ国立銀行発行紙幣消却ノ方法ヲ設ケテ紙幣発行高四分ノ一ニ該当スル彼ノ紙幣引換準備金ト共ニ各国立銀行ニ毎半季利益ノ多少ニ拘ハラス紙幣発行高ニ対シ年弐分五厘(即毎半季壱分弐厘五毛)ニ当ル金額ヲ積立サセ、此二廉金額ヲ日本銀行ニ預托シテ紙幣消却ノ元資トシ、此ヨリ生スル所ノ利子ヲ以テ毎半季各国立銀行ノ発行紙幣ヲ消却シ、営業満期ノ日ニ際シ積立タル元資金ノ内ヲ以テ尚残存ノ発行紙幣ヲ一時ニ消却シ、其剰余金ハ準備金ヲ以テ買収シタル公債証書及ヒ其差益ニ併セテ各国立銀行ニ還附スルコトトシ、殊更ニ精細ナル計算書ヲ調製
 - 第6巻 p.243 -ページ画像 
シテ各銀行ニ明示セラレタリ
三、当時ニ於ル銀行家ノ意向 此営業期限ノ制限(一)タルヤ曾テ政府ノ勧奨誘導ニ依リテ創立シタル当初ノ意志ニ背反スル而已ナラス我国立銀行ニ及ボス利害ノ影響タル頗ル大ナル者アリ、然ルニ当時ニ於テ敢テ紛々擾々其非理不当ヲ鳴ラサヽリシ所以ノモノハ、一ハ時未タ立憲ノ治ニアラスシテ官民ノ間相懸隔セル時運ニ由ルト雖トモ、一ハ政府カ明示シタル計算書ヲ確認シ、営業満期ノ暁ニ於テハ啻ニ旧有ノ資本金ヲ減耗セサル而已ナラス、紙幣消却ヲ完了シ、且若干ノ持帰金アルコトヲ信シテ疑ハサリシニ由ラスンハアラサルナリ
四、公債証書ノ騰貴 然ルニ条例ノ改正(一)消却法ノ規定(二)セラルヽヤ公債証書ノ市価(計算書ニ於テハ市価八拾円ニ積ル)ハ頓ニ騰貴シ、爾来年々ニ昂騰セシニ依リ紙幣消却元資金ヲ以テ予期ノ如ク(計算書ノ割合ニ)公債証書ヲ買収スルコト能ハス、従フテ此元資金ヨリ生スル所ノ利子ハ大ニ低減スヘキコトトナレリ、唯之レ而已ナラス又此元資金ヲ以テ購入シタル公債証書中当籤スル者アルニ際シ同種ノ公債証書ヲ以テ補充センニハ予期ニ超過セル金額ヲ投セスシテハ之ヲ買収スルコト能ハサルナリ、是ヲ以テ消却金ニ供スヘキ利子ニ大ナル不足ヲ生シ、将来不測ノ損害ヲ生セントス
五、高利公債ノ償還 之レニ加フルニ彼ノ計算書ニ於テハ公債証書(七分利付)ノ当籤ハ毎年平均五十分ノ一ト仮定セラレタリト雖トモ十九年ニ至リ政府ハ速ニ高利公債ヲ償還スルノ方針ヲ取リ着々其ノ運ヒニ至レリ、是レ国家財政上頗ル賀ス可キノ美挙ナリト雖トモ国立銀行ニ於テハ益憂フ可キノ厄難トナレリ、何ソヤ、当籤公債証書ノ補充並ニ積立金ヲ以テ将来七分利付ノ如キ高利公債ヲ購入スルコト能ハサルヲ以テ、愈消却金ニ不足ヲ生シ、営業満期ノ日ニ臨ミ資本金ヲ減殺セスシテハ到底発行紙幣ノ消却ヲ完了スルコト能ハサルニ至レルコト是ナリ
六、九州銀行同盟会ノ決議 是ニ於テカ十九年五月九州銀行同盟会ハ率先シテ長崎ニ会合シ営業満期ニ先チ予メ之レカ救治ノ方法ヲ画策シ、不測ノ損害ヲ未然ニ防カンコトヲ決議シ、七月ニ至リ東京同盟銀行ニ諮リ同意ヲ得テ全国々立銀行ノ大会ヲ開キ後図ヲ立テンコトヲ計劃セリ
七、東京同盟銀行ノ協議会 九月ニ至リ会々九州銀行同盟会ノ委員トシテ長崎第十八国立銀行頭取松田源五郎、馬関第百十国立銀行支配人草刈隆一上京セシニヨリ、東京同盟銀行委員ハ特ニ相会シ其協議員トシテ東京同盟銀行ノ重立タル数行ノ頭取ヲ招集シ、審議商量ノ後チ本件ハ国立銀行ニ関スル至重至大ノ事タルハ論ヲ竢タスト雖トモ公然請願スルニ至リテハ或ハ採納セラレサランモ亦知ル可ラストノ説アリテ、先ツ委員長渋沢栄一ヨリ当局者ニ内稟スルコトニ決シタリ、其後チ渋沢栄一ハ此決議ニ基キ当路者ニ商議セント雖トモ目下実行シ難キ事情ノ存スルアレハ尚時機ヲ待ツヘシトノコトニテ議止ミヌ
八、整理公債ノ発行並渋沢栄一ノ発議 十月我政府ハ旧来発行ノ六
 - 第6巻 p.244 -ページ画像 
分以上利付ノ内国債ヲ償還整理センカ為メニ五分利付ノ整理公債ヲ募集スルコトヲ発令シタリ、是ニ於テカ愈紙幣消却金ニ欠乏ヲ生シ国立銀行ノ受クル損害ハ益大トナレリ、故ニ翌廿年一月東京同盟銀行ノ定式集会ニ於テ委員長渋沢栄一ハ曰ク、聞ク大阪同盟銀行ニテハ整理公債ノ発行ハ国立銀行ニ影響スルコト少小ナラサルヲ憂慮シ其損失ヲ補償センカ為ニ営業年限ノ延長ヲ請ハントテ審議ヲ尽シ、既ニ其委員ヲモ撰定シタリト云フ、曩ニハ諸公債証書ノ騰貴ニ因リ九州同盟銀行ヨリ政府ヘ建言スル所アラントテ我同盟会ヘ合議(六)アリシカ、結局請願ノ要旨貫徹セサルヘキカトテ敢テセサリシト雖トモ、今日ノ事ハ又前日ノ比ニアラサルヲ以テ黙々ニ付スヘキ場合ニアラス、然レトモ其措置若シ軽忽ニ出ツル時ハ反テ禍ヲ異日ニ貽スコトナシト云フ可ラス、依テ我々委員ニ於テ至細ニ各地同業者ノ趨勢ヲ察シ、又当局者ノ内意ヲ糺シ、機ニ投シテ協議ヲ尽シ以テ其輿論ヲ上陳セント満場敢テ異議ヲ提出スルモノナカリキ
九、九州同盟銀行ノ建議 九州同盟銀行ハ公債証書ノ価格比年騰貴(四)スル而已ナラス、我政府ハ高利公債ノ償還(五)ヲ急施シ、為メニ紙幣消却ハ到底予期ノ如ク完了セサルヘキヲ苦慮シ、曾テ東京同盟銀行ヘ協議(六、七)スル所アリシト雖トモ要領ヲ得ス、然レトモ予メ之レカ救済策ヲ講スルノ止ム能ハサルヲ見、廿一年五月ニ至リ「国立銀行条例第百十二条ニ拠レハ発行紙幣ハ其営業年限内ニ於テ悉皆消却スヘキモノトアリ、故ニ此範囲内即チ満期ノ日マテ紙幣消却ノ猶予ヲ仰キ、現在ノ消却金ヲ以テ更ニ公債証書ヲ購入シ之ヲ元資ニ加ヘ、斯ノ如ク年々利倍スルモ尚不足ヲ生スルニヨリ向後三箇年間積立金ハ必ス七分利付公債証書ヲ以テ積立ツルコトトナサハ満期ニ至リテ当初ノ目的ト契合スルニ至ラン、然レトモ巨額ノ発行紙幣ヲシテ満期ノ際一時ニ消却セハ社会経済上劇変ヲ生スルコトアラン、由テ発行紙幣ハ漸次兌換銀券ト交換シ而シテ営業年限内ハ大蔵省ヘ預ケタル紙幣抵当公債証書ヲ以テ之ヲ日本銀行ヘ転預シテ兌換銀券ノ準備ニ充ツルコト(兌換銀券ト交換スルコトハ十九年九月東京同盟銀行ヨリ大蔵省ヘ請願セシ所ナレトモ此時未タ指令ヲ得ス)トナサハ一ハ経済上ノ劇変ヲ医シ、一ハ通貨雑駁ノ憂ヲ療シテ可ナラン」トノ主意ヲ以テ大蔵大臣ヘ建議シタリ
十、九州銀行同盟会ノ通知並東京同盟銀行ノ決議 九州銀行同盟会ハ此建議ヲ為スト共ニ其旨趣ヲ東京同盟銀行ニ報シ且此建議ヲ賛成シ其主意ノ貫徹ニ斡旋ノ労ヲ取ランコトヲ要求セリ、是ニ於テ東京同盟銀行ハ六月定式集会ニ於テ討議スル所アリシト雖トモ此建議ノ要旨ハ条例第百十二条ノ精神ニ背戻スルヲ以テ恐クハ採納セラレサラン、本件ニ就テハ嘗テ苦慮スル所アレトモ其営業年限ノ前途尚遠キカ故ニ他日熟議ヲ経テ適切ノ考案ヲ立テ該同盟会ヘモ協議スヘキニ依リ此建議ニ対シテハ全然同意ヲ表シ難キコトニ決了シ、其意ヲ同会ヘ報シタリ
十一、第一、第三、第百国立銀行ノ紙幣消却法 上来所説ノ次第ニ依リテ紙幣消却ニ非常ノ違算ヲ生シ、各国立銀行ノ蒙ルヘキ損失甚大ナルヲ以テ、東京同盟銀行ハ従来屡当局者ニ迫リ、其処置ヲ施為セ
 - 第6巻 p.245 -ページ画像 
ラレンコトヲ要求セシト雖トモ遷延時日ヲ空過スル而已ニテ規定ノ運ニ至ラス、廿二年ニ至リ大野銀行局長ヨリ本件処分法ハ素ヨリ本局ニ於テ講究セント欲スル所ナレトモ、当業者ニ於テモ良法ヲ案出シ本局ヘ差出スヘシトノ内命アリケレハ、同年六月左ニ掲クル三種ノ方案中適当ノモノヲ撰択セラレンコトヲ渋沢栄一ヨリ大野局長ヘ申報シタリ今其方案ノ梗概ヲ録サン
 (1)第一国立銀行ノ消却法 明治廿一年十二月現在ノ調査ニ拠レハ明治三十年ノ終ニ於テ四百拾八万四千百八拾五円余ノ不足、即チ此金額ハ各国立銀行ノ損失ニ帰スルヲ以テ、之ヲ代償スルカ為ニ全国各国立銀行ノ営業ヲ明治三十三年マテ延期スルコトトシ、現行法ニ由リテ紙幣消却ヲ行ヘハ三十三年ノ終ニ於テ、百七拾万六千八百五拾四円余ノ過剰金ヲ生ス、是各国立銀行ノ持帰金ナリ
 (2)第三、第百国立銀行ノ消却法ハ(1)ト大同小異ナルヲ以テ之ヲ略ス
十二、東京同盟銀行及其他ノ稟請 廿三年九月東京同盟銀行ハ定式会ノ評決ニ基キ、紙幣消却金ハ既ニ説ク所ノ事情(四、五、八)ニ依リテ大ナル減耗ヲ生シ、之ヲ予算スル時ハ明治三十年ニ至リ其減額実ニ七百七拾弐万千百四拾八円余ニ上ル、是レ即チ各国立銀行ノ損失ニ帰スヘキモノナレハ、右紙幣消却年限ヲ延長シテ結局前日ノ計算ト差異ナカラシメンコトヲ同盟銀行連署ヲ以テ田尻銀行局長ヘ稟請セリ、某銀行ハ紙幣消却ノ予算表ヲ提出シテ尚営業五ケ年ヲ延長セサルヘカラサルヲ明示セルハ此時ナリキ、之ニ次キテ大阪同盟銀行モ亦此請願ニ同意ヲ表シ、十一月ニ至リ其由ヲ稟請セリ、是ヨリ営業延期ノ希望ハ漸ク其熱度ヲ高ムルニ至レリ



〔参考〕稿本日本金融史論 (滝沢直七著) 第四五三―四六〇頁(DK060065k-0007)
第6巻 p.245-249 ページ画像

稿本日本金融史論  (滝沢直七著) 第四五三―四六〇頁
 第三款 金融機関ノ変動及発展
   第一項 国立銀行の処分
戦後に於ける金融はその変動の働因漸く動き、将にその変調の現象を呈せんとするのとき、国立銀行の処分問題はその間に起つたのである。国立銀行処分問題は既に明治十五年中央銀行たる日本銀行を創立せられてよりの懸案である。吾人が前に述べしが如く、政府は国立銀行を円滑に処分せんと欲し、国立銀行条例を改正して、各国立銀行紙幣下附高に対し毎年利益金の内より年二分五厘を日本銀行に預托し、日本銀行はこれを以て公債を買入れ、その元利金を紙幣を銷却の元金となして蓄積すれば営業満期の際にはこれを以て紙幣を銷却しなほ紙幣抵当の公債並に準備金は依然銀行の所有たるべき計算と為したのであつた。然るにこの計算は二方面より齟齬してしまふたのである。その一は公債価格の騰貴せしことこれなり。公債価格の騰貴は規定の積立金により購入し得る公債の額を減少してしまふた。今予定の公債価格と事実上の公債価格とを比較するに
  年次    予想公債価格(七分利附)   事実上ノ公債価格
           円             円
 明治十六年   八〇、〇〇         八三、九四七(七分利附)
   十七年   八〇、〇〇         九三、三九三(同)
 - 第6巻 p.246 -ページ画像 
   十八年   八〇、〇〇         九六、三三一(同)
   十九年   八五、〇〇        一〇七、三〇九(同)
   二十年   八五、〇〇        一〇一、五七八(五分利附)
  二十一年   八五、〇〇        一〇一、四四五(同)
  二十二年   八五、〇〇        一〇一、〇一五(同)
  二十三年   九〇、〇〇         九九、八六六(同)
  二十四年   九〇、〇〇        一〇〇、四五一(同)
  二十五年   九〇、〇〇        一〇一、七二六(同)
  二十六年   九〇、〇〇        一〇六、九六二(同)
  二十七年   九五、〇〇        一〇五、二七〇(同)
  二十八年   九五、〇〇         九九、七〇三(同)
予想価格と実際に於ける価格とは大に懸隔を生じたることかくの如く蓄積したる紙幣銷却資金を以て購入する公債額を減少したるの違算を生じたのである。また他の一面にありては政府が明治十九年整理公債証書条例を制定し、次で二十年三月より五分利以上の公債を償却したるより、七分利附の公債を蓄積しての利益と五分利附公債を蓄積しての利益とは大なる相違を生じ、随て公債買入の額を減少するに至れりこゝに於て各国立銀行は啻に過剰金額の持帰りを為す能はざるのみならず、反て多額の持出を為さざるべからざるに至つたのである。
これ国家財政策に因るものであるけれども、要するに金融の発達に依るものであつて、金利下落の一般の趨勢に影響せられたものである。
然れども各国立銀行に取りては自己の利害に関係するところなればこれに驚き明治二十一年五月九州同盟銀行の猶予の建議となり、二十三年九月東京同盟銀行の紙幣銷却願延期とはなつた。然れども各国立銀行の運命は十六年の国立銀行条例により切迫し来らんとして居つた。
而して金融事情は最早永く国立銀行の如き組織を有する銀行の存在して、銀行組織の統一を妨ぐることを許さざるに至つたのである。日清戦争の際に於ける日本銀行の活動は中央銀行としてその功績の偉大なることを示したるより日本に於ける金融制度の組織は既にその良否を実験せられその制度は確定せられ、国立銀行の存在の必要なきを証明したるものである。されば政府は幾多の請願建議あるとも毫も躊躇する所なく、断然本来の処信を行はんとした。政府が二十七年に於て国立銀行処分に関する法律案を提出したるもの、これ世に所謂政府提出の継続案といふのである。即ち営業満期後国立銀行をして私立銀行の資格を以てその営業を継続せしめんとするものである。提出せられて後ち議会の解散によつて消滅し、二十八年再び同案を提出せられ国立銀行処分問題として世上に議論沸騰せしものである。東京同盟銀行は率先して起ち、全国各地の国立銀行を勧誘し、関東関西九州四国奥羽及北海道の六団体を糾合し、二十七年六月国立銀行延期趣意書を発表して延期の輿論を喚起せんことに努め、極力運動して貴衆両院の議員を動かすに至つた。延期とは国立銀行としての営業年限を延期せんとするにあつたのである。政府もまた延期と継続との得失を詳述して議員に配布し、その反省を促したのであつたが。二十八年政府案の未だ提出せられざるに、早く衆議院議員は十個年営業年限を延集すべき国立銀行条例改正案を提出した。世にこれを十年延期法案といふのであ
 - 第6巻 p.247 -ページ画像 
る。この法案の提出せらるゝと共に政府案もまた提出せられたが、否決せられて、十個年延期法案は衆議院特別委員会に於て七個年延期に修正せられて通過し、貴族院に送付せらるゝや、延期継続の議論はここにも囂しく、火花を散らして戦ひ、遂に否決となりし運命に終つたのである。然れども営業満期に切迫せり。政府は二十九年第九議会に於て三たび国立銀行処分方案を提出した。政府は最初の処分法案を提出するに当り、紙幣銷却資金の蓄積に違算を生ぜし故を以て、紙幣銷却資金として日本銀行より無利子貸附を為さしめ、以てその不利とする所を補足せんとして、日本銀行をしてこれを承認せしめ、政府は屡々議会に於てこれを言明した。然れどもこれを法文に掲げざりしを以て、国立銀行当事者は疑惧の念を懐きて満足しなかつたから、政府は二十九年提出の法案にはこれを明記した。この法案の法律となりて日本銀行かその義務の一として二千二百万円の国立銀行紙幣銷却資金を貸出すやうになつたものである。この法案を議したる議会に於てもなほ喧騒を極め、衆議院議員は前回提出の国立銀行条例改正法律案と同一の精神に基き、国立銀行に七個年の延期を許し、同時にこれが処分を定めたる法律案を衆議院に提出したけれども延期論を支張するものは一局部に止つた。
延期継続の議論沸騰せしもの、その初めや公債価格の騰貴と高利公債の償却とに因る紙幣銷却資金に於ける不利より惹起したものであつてこれを政府財政策に帰し、その不利を営業年限延長によりて恢復せんとしたるにあり、その真の騒擾を惹起せし原因は国立銀行の紙幣発行権の回収に帰せざるを得ないのである。特権の回収せられんとするやその利益の専占を継続せんとするは勢ひ免るべからざる所なり。然るをなほ更に金融の大勢は特権回収を阻止せしめんとする二様の圧迫があつた。第一の圧迫は前に論ぜしが如く、公債価格の騰貴と高利公債の消失とに因る紙幣銷却資金の蓄積が予定に反するにあり。然れども翻て考ふれば自己所有の公債価格もまた騰貴して居つて、紙幣銷却資金は日本銀行より無利子借入を為し得るに至つては、最早不利なきやうになつたが、第二の圧迫があつて、延期説を主張するの余儀なからしめたのである。第二圧迫はその根抵を究むれば日清戦争の影響を破りしものである。若し夫れ営業満期後国立銀行が私立銀行に継続せんとするや、紙幣発行権を剥奪せらるゝが故に資金の供給を減じ、将来に金融の逼迫を来たすべく、随て公債の価格は下落すべし。しかのみならず公債は日清戦争の結果甚だ増進し居れるに際し、公債価格の維持せらるゝものは、国立銀行のあるありてこれが需要者となり、これを吸収しつゝあつたからである。然るに紙幣銷却の為に国立銀行が公債を売出すに於ては公債下落して積立公債の外準備公債を売放すも紙幣銷却資金に不足を生ずべく、所有株式を売放すに至つては株式の下落を来たし、次で恐慌を来たすであらうと為したのである。これ国立銀行をして延期を主張し、これに奔走せしめし圧迫である。畢竟するにこれ日清戦争の圧迫が国立銀行処分問題に影響せしものであつて、更に詳言すれば戦後の金融が国立銀行処分問題に影響を及ぼしたのである。
 - 第6巻 p.248 -ページ画像 
然れどもこれ等の圧迫はまた金融事情の変遷によりて国立銀行処分問題は影響を受くるの時機に達した。即ち二十八年下半季よりは有価証券の価格騰貴して公債価格を騰貴するあり。銀行条例は既に制定せられて銀行の組織は一定し、政府の監督の下にその信用を保障せらるゝことなりて《(マヽ)》、銀行に対する信用は愈々加はり。預金増進して銀行業の利益増加せしに、戦後に於ける商業の活躍は銀行業の利益を増加せしめ。企業中最も安全にして確実なるものであつたから、戦後に於ける銀行の設立は盛んとなり。相競ふて銀行業者は預金銀行として預金を吸収せんとしつゝあり。然るに国立銀行の営業満期日は目睫の間にあり、延期となるもまた継続するも早くこれが解決を為し、戦後に於ける金融事情に伴はんことを欲するやうになつた。寧ろ私立銀行として継続し、以て金融市場に他の私立銀行と競争せんことを希望するやうになつた。金融事情は国立銀行処分問題をして一転機を作つたのである。
先きに第八議会にあつては継続延期の両者が鎬を削りて戦ひ、院外有志はこれに応援し、東京第十五国立銀行はその影響大且つ切なるを以て、その株主たる華族は貴族院にありて延期を主張し、その勢当るべからざるものがあり、国立銀行間にありても継続説を唱ふるものあり、経済上の問題として議会開設以来の騒擾を惹起し、甲論乙駁その得失を研究して、金融事情は国立銀行の存在を許さざるのみならず、国立銀行をして私立銀行に継続せんことを誘致するものありて、営業延期は金融発達の趨勢に副はざることを明かにしたるあり。議会にありては大半継続に傾き、国立銀行は継続の請願を陸続衆議院に差出すやうになつた。
こゝに於てか政府提出案は僅に字句の修正に止まり、容易に両院を通過する所となり。二十九年三月法律第七号を以て公布せられ。国立銀行は営業延期と同時に私立銀行として継続することに決定し、銀行の嚆矢として設立せられたる国立銀行は左の如く消滅したのである。

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 年次        私立銀行ニ継続                鎖店             満期  満期前  満期解散   合併   平穏  官命   合計   逓減行数   払込資本金 明治二十九年以前     行   行   行       行   行   行     行     行            円 (継続法公布以前)    ―   ―   ―      一五   ―   五    二〇   一三三   四八、八八一、一〇〇 同二十九年        五   六   ―       一   ―   ―    一二   一二一   四四、七六一、七七〇 同三十年        一〇  五二   一       ―   ―   ―    六三     六   一三、六三〇、〇〇〇 同三十一年       一四  三二   六       ―   一   一    五四     四      三九〇、〇〇〇 同三十二年        一   二   一       ―   ―   ―     四     ―            ― 合計          三〇  九二   八      一六   一   六   一五三 


設立に於て第一であつた第一国立銀行は順序として第一に私立銀行に継続して第一銀行となり、殿として彦根第百三十二国立銀行が最後に私立銀行に継続し、国立銀行は全く我金融市場より存在せざるに至りかくして国立銀行の紙幣発行の特権は回収せられ、分権主義の紙幣発行制度は集権主義の紙幣発行制度に変化して、世界の大勢に副ふやうになつたのである。

  ○国立銀行紙幣ノ銷却ハ明治十六年五月国立銀行条例改正ト共ニ松方正義ノ立案ニヨリ着手シタリシガ、予算ニ比シテ公債価格ノ値上リ甚シク「国債
 - 第6巻 p.249 -ページ画像 
沿革略」第一巻第七七一頁附表ニヨレバ左ノ如シ。
   明治十六年  八十四円      同 十七年  九十三円五十銭
   同十八年   九十六円五十銭   同 十九年  百七円五十銭
   同二十年   百五円       同二十一年  百四円五十銭
   同二十二、二十三両年  百三円五十銭
   右ノ如ク積立金ヲ以テ予定額ノ公債証書ヲ購入スルヲ得ズ、銀行紙幣消却ノ予定ニ齟齬ヲ来セルヲ以テ、紙幣消却ノ年限ヲ延長シ、営業満期ノ際一先ヅ準備金ノ下附ヲ請ヒタルモノナリ。
  ○九州同盟銀行会ノ建議文ハ明治財政史第十三巻第五二四、五二五頁ニアリ明治二十一年五月二十五日附、同会幹事福岡第十七国立銀行頭取小河久四郎ヨリ大蔵大臣伯爵松方正義ヘノ建議ニシテ、内容ハ栄一等ノ建議ト略同様ナリ。
  ○明治二十六年十月二十三日及ビ明治二十八年九月六日ノ条ヲ参照スベシ。
  ○明治財政史ニ省略シタル別表ノ甲号ハ明治二十七年六月ノ条ニ引用セルモノト同一ナルベシ。乙号ハ不詳。


〔参考〕第一銀行五十年史稿 巻四〔第七二―七五頁〕(DK060065k-0008)
第6巻 p.249-250 ページ画像

第一銀行五十年史稿   巻四〔第七二―七五頁〕
    銀行紙幣の銷却
本行の提案に基ける紙幣合同銷却の方法は政府の採用する所となり、爾来日本銀行との約定に基きて銷却を行ひしが不幸にしてかの紙幣銷却元資金を公債に換へ之より生ずる利子を以て年々銷却に充てんとする政府の予定には違算なき能はざりき、既に上文に述べたるが如く経済界幾多の波瀾は公債証書の騰貴となり、明治十六年末には九十円を越え、十七年には九十三円余、十八年には九十六円余に達し、十九年には百七円余の高値を示せり、然るに政府の見積は十六年乃至十八年は八十円、十九年乃至二十二年は八十五円、二十三年乃至二十六年は九十円、二十七年乃至二十九年は九十五円、三十年は百円といふにありしかば玆に著しき差違を生じ、日本銀行にて購入すべき公債の額また従ひて減少せざるを得ず、加ふるに政府は国債の借換整理を行はんが為に明治十九年十月整理公債条例を公布し、其利子を五分と定めて従前発行せる六分以上利付の公債を償還せしかば、銀行紙幣銷却元資に供する公債もまた漸次五分利付となり、之より生ずる利子も大に減少したれば国立銀行の受くる損失多くして、其結果営業満期の日において完全に紙幣の銷却を為す能はざる苦境に陥れり。
公債の価格騰貴に基く違算の明かなるや紙幣銷却延期の議論漸く国立銀行の間に行はるゝに至れり、本行もまた見解を同じくし、東京同盟銀行の決議を以て銷却延期願を大蔵省に提出すると共に、本行の頭取は大蔵大臣及銀行局長を歴訪して旧来の沿革並に利害得失を評論し、周旋頗る力めたれども遂に行はれずして空しく数年を経過せり。是に於て明治二十六年六月に至り第十五国立銀行外数行は特に会議を開き紙幣銷却を完了せんが為に営業年限を延長すべきを決議し、本行の同意を迫まりて已まず、本行の意見は紙幣銷却年限の延期には同意なれども営業年限の延長には寧ろ反対なりき、此時に際し国立銀行営業の期限既に近づき、而も本行の主張は政府の納るゝ所とならず、また策の施すべきなきが故に暫く容忍して之に従へる折しも、大蔵大臣渡辺国武は嚮に本行等の提出せる意見に基きて妥協する所あらんとし、特
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に本行の頭取を招きて内議せしかば、頭取は更に同盟銀行の議に附して交渉を開始したれども、日本銀行の異議により不調に帰し、営業延期の論これよりしてますます盛んなり。


〔参考〕明治財政史 第一三巻 〔第五二五―五二八頁〕(DK060065k-0009)
第6巻 p.250-251 ページ画像

明治財政史   第一三巻 〔第五二五―五二八頁〕
○上略 明治二十三年ニ及ンテ各国立銀行前途ノ違算愈々明白トナルヤ、銀行紙幣銷却延期ノ議益々旺ンニシテ、遂ニ同年九月十二日ニ至リ東京同盟銀行ハ左ノ請願ヲ大蔵省ニ提出セリ
    国立銀行紙幣銷却延期願
 明治九年国立銀行条例御改正相成、全国有志者ヲ御勧誘被為在候ニ付、其後三四年間ニ新設銀行ノ数百五十有余ニ及ヒ、相提携シテ其業務ヲ精励致候ハ、当時我政府ニ於テ国立銀行ヲシテ邦内ノ財源通暢ノ機関タラシムルノ御盛意ヲ遵奉セシモノニシテ、而シテ此百五十余行ノ株主等ハ、国立銀行条例ニ於テ営業期限ヲ二十箇年ト制限セラルヽト雖トモ、満期ニ至ラハ之ヲ継続シ得ラルヘキハ、条例ニヨリテモ確信罷在候処、十六年ニ至リ更ニ条例御改正ニテ、各国立銀行ハ其営業年限満期ノ日ニ至ラハ之レヲ閉鎖セシメ、発行ノ紙幣モ其時迄ニ悉ク之ヲ銷却スヘキモノト御制定相成候ハ、各国立銀行ニ於テハ実ニ非常ノ御処置ト一時驚愕仕候、然ルニ我大蔵大臣閣下ハ右条例御改定ニ付、各国立銀行ノ損害少ナカラサルコトヲ御推知被為在、銀行紙幣銷却ニ付便法御設相成、乃チ各国立銀行紙幣引換ノコトハ一ニ日本銀行ニ負担セシメ、而シテ其紙幣引換準備金ヲ総テ日本銀行ニ託シテ公債証書ニ代ヘ、別ニ紙幣銷却元資積立トシテ各行紙幣発行高ノ一分二厘五毛宛ヲ毎半季ノ利益金ヨリ割キテ、同シク日本銀行ヘ払込ミ、共ニ公債証書ニ代ヘ、両種公債証書ヨリ生スル利子ヲ以テ年々紙幣銷却ヲ行ヒ、満期ノ際ニハ右紙幣銷却元資積立金ノ元金ヲ以テ、各行ノ発行紙幣ハ悉ク之ヲ銷却シ、其残金ト曩ニ日本銀行ニ託セシ紙幣引換準備金ヲ以テ買入レタル公債証書ハ、其差益ヲモ併セテ全ク各国立銀行ヘ還付セラルヘキ予算表及ヒ説明書御下附相成、其計算ノ大要ハ別紙甲号ノ通リニ有之候、此際各国立銀行ハ其営業期限継続ノ予望ヲ失シタルト毎季利益金ヲ割キ紙幣銷却元資ヲ積立ツルノ不利ナルトニ苦慮仕候得共、国家財政整理ノ為メ已ムヲ得サルニ生スル大法ト恐察仕リ勉メテ之ヲ奉承シ爾来七箇年営業罷在候、然ル処明治十九年以来我政府ニ於テ公債整理ノ方法御施行相成、頻年高利ノ公債ヲ回収セラレ従テ低利公債モ其価格ヲ騰上セシヨリ、二十三年ノ今日ニ在テ紙幣銷却ノ現況ヲ見レハ大ニ前述ノ甲号計算書ト差違ヲ生シ候ニ付、更ニ将来ヲ想察シテ之カ予算ヲ設クルトキハ、明治三十年即チ概ネ各国立銀行閉鎖ノ時期ニ至ラハ乙号概算書ノ如ク相成、其差違実ニ七百七拾弐万千百四拾八円拾六銭九厘ノ巨額ニ上リ、詰リ此差額ハ各国立銀行ノ損失ニ帰シ候ハ、要スルニ財政整理ニ起因致シ候事トハ申乍ラ各国立銀行ノ困難此上モナキ次第ニ候、就テハ特別ノ御詮議ヲ以テ国立銀行紙幣銷却ノ年限ヲ延期セラレ、各国立銀行ヨリ日本銀行ニ託セシ紙幣引換準備金ヲ以テ買入レタル公債証書及ヒ其差益金ハ各行営業満期
 - 第6巻 p.251 -ページ画像 
ノ際ニ、其金額ヲ日本銀行ヨリ還付スルノ方法御施設相成候様御取扱被下度候、依テ別紙甲乙計算書相添ヘ、此段一同連署上願仕候也
  (別紙計算書略ス)
元来国立銀行紙幣ノ銷却ハ政府幣政統一ノ方針ニ伴ヒ、業ニ已ニ明治十六年ノ昔ニ於テ其大本ヲ確定セラレタルモノナレハ、非常ノ理由アルニアラサレハ容易ニ其目途ヲ改ムルコトヲ許サス、且ツ又紙幣銷却ノ計算ハ全ク一片ノ予算ニ止マリ、已ニ明治十六年条例改正ノ際ニ於テ、各国立銀行ハ将来ニ公債価格利子等ノ変動アルヘキヲ含領シ、万一銷却元資ニ不足ヲ生スルトキハ、準備金公債ヲ以テ之ヲ補足スヘキ旨ヲ明記シテ、日本銀行ト約定ヲ締結セルモノナレハ、請願者ノ所謂国立銀行ノ損失ナルモノハ畢竟銀行業者カ将来ニ期望セル利益ノ喪失ニ外ナラス、加之銀行ハ一方ニ於テ所有公債価格ノ騰貴ニ依リテ知ラス識ラス資産ノ膨大ヲ致セルモノナレハ、斯ノ如キ些少タル事由ヲ以テ、紙幣ノ銷却ヲ延期シ、年来ノ政策ヲ抛擲スヘキニアラス、故ニ政府ハ断乎トシテ其所信ヲ保チ、且ツ其請願ニ対シテハ之ヲ九州銀行同盟会ノ建議ニ準シ、何等別ニ指令スル所ナカリキ、然レトモ国立銀行ハ従来久シク金融ノ中枢ニ居リ、且ツ全国各地ニ散在セルヲ以テ、其盛衰ハ直ニ一国経済ノ消長ニ関スルノミナラス、間接政府ノ財政ニ影響スルコト甚タ大ナルヲ以テ、成ルヘク之ヲ保護シ、以テ其有終ノ美ヲ済サシムルコトヲ欲シ、当時大蔵省ニ於テハ、或ハ国立銀行営業満期ノ際現存セル紙幣銷却残高ハ一切日本銀行ニ引継キ、銷却ノ事務ヲ終了セシメントシ、或ハ其銷却残高ニ対スル処分ハ、各国立銀行ト日本銀行トノ契約ニ一任シテ、便宜条例ノ本旨ヲ遵行セシメントシ、或ハ又特別法ヲ設ケテ国立銀行ノ終リヲ滑カニセントスル等、局ニ当ルモノ切リニ思ヲ苦シメ策ヲ立テ、幾度カ其案ヲ作リ、又幾度カ其議ヲ更メタルカヲ知ラス、然レトモ明治二十三四年ノ頃ニ在リテハ尚ホ国立銀行ノ前途甚タ遠ク、未タ卒ニ善後ノ方案ヲ処決スルノ必要ヲ認メサリシニ依リ、静ニ其成行ヲ監視セリ
政府ハ国立銀行ヲシテ有終ノ美ヲ済サシメンコトヲ欲シ、種々切ニ画策スル所アリシモ、表面紙幣銷却延期ノ請願ニ対シテハ毫モ仮借スル所ナク、断乎トシテ本来ノ所信ヲ行フヘキノ意ヲ示セシカハ、之カ反動トシテ紙幣銷却延期ノ議愈々旺ンニ民間ニ起ルニ至リ、延テ遂ニ営業年限ノ伸張ヲ政府ニ請願スルニ至レリ