デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
6款 択善会・東京銀行集会所
■綱文

第6巻 p.526-534(DK060148k) ページ画像

明治34年9月26日(1901年)

銀行倶楽部第十九回晩餐会開カレ、加藤高明外債募集ニ関スル演説ヲナス。栄一謝辞ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三四年(DK060148k-0001)
第6巻 p.526 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三四年
九月廿六日
五時銀行倶楽部晩餐会ニ出席ス、加藤高明氏来ル、食卓上一場ノ演説ヲ為ス、夜王子別荘ニ帰宿ス


銀行通信録 ○第三二巻第一九二号・六八〇頁〔明治三四年一〇月一五日〕 銀行倶楽部第十九回晩餐会(DK060148k-0002)
第6巻 p.526 ページ画像

銀行通信録
 ○第三二巻第一九二号・六八〇頁〔明治三四年一〇月一五日〕
    ○銀行倶楽部第十九回晩餐会
銀行倶楽部にては九月二十六日午後六時より第十九回晩餐会を開けり来賓は前外務大臣加藤高明、芝罘駐在領事田結鉚三郎、アントウエルプ駐在領事幣原喜重郎及今回海外より帰朝せる倶楽部常務委員波多野承五郎の四氏(外務大臣小村寿太郎氏は差支の為め欠席)にして、会する者主客合せて凡そ八十名、食後委員長園田孝吉氏の挨拶あり、次に加藤高明氏外債募集に関して一場の演説を為し、終りに渋沢男爵の謝辞あり、近来稀なる盛会にして午後九時散会せり

銀行通信録 ○第三二巻第一九三号・第八〇七―八一五頁〔明治三四年一一月一五日〕 銀行倶楽部晩餐会に於ける加藤高明君の演説(九月二十六日)(DK060148k-0003)
第6巻 p.526-534 ページ画像

 ○第三二巻第一九三号・第八〇七―八一五頁〔明治三四年一一月一五日〕
    ○銀行倶楽部晩餐会に於ける加藤高明君の演説
                     (九月二十六日)
委員長並に諸君、今夕は御招待を受け鄭重なる御饗応を受けまして洵に有難く存じます
唯今園田君より何か話をしろと云ふ御注文でございましたが、承りますれば、波多野君よりも欧羅巴のお土産談が余程訳山出るやうなことであります、其外領事両君も御出席になつて居ることでございますから、私は寧ろ控へた方が宜からうかと斯う考へまして園田君に一応御相談申上げましたが、前座を勤ろと云ふことでございます、私は御承知の通り近来浪人者でありまして世間から遠ざかつて居りますから、諸君にお話を申上るやうな事柄は何も有ちませぬ、有ちませんが今日
 - 第6巻 p.527 -ページ画像 
或は此席へ出たら何か立つて物を云へと云ふ御注文もあらうと存じて実は腹組はしたのでございます、処が矢張り面白いお話を諸君にすると云ふやうな種も考へ出しませんでございましたが、唯だ玆に問題が一ツありまするから、私は諸君にお話を申すのでなくして、其問題を諸君の前に申上げて、諸君の御答弁なり、或は御研究なりを仰きたいと思ふ、食後のお話には少し六ケ敷過ぎるかは知りませんが此段は御了承を願ひます、外でもありませんが近来日本の財政が困難だと云ふことでございます、其事に就て私は疑問が一ツありますから、此銀行集会所即ち重要なる金融機関を掌つて居られる最も重立つた方々の御集会の席に於て私の疑を述べて、出来るならば諸君の御答弁なり、或はお教へを請ひ、又都合に依つては幾らか御研究を願ひたいのでございます
我邦の財政困難と云ふことはどう云ふことであるかと申すと、今直接に現はれて来て居ることは、私が末席を涜して居りました前の内閣に起つた問題で、事業の中止とか繰延と云ふことがあつたのでありますそれから引続いて今日に至つて居る問題で、外債を募つて財政の不足を補ふと云ふことが新聞紙に見へまするが、此事に関係して私の疑団かある、其問題を申述べる前に此問題を起す所以の道行を少々御話申さなければなりませぬ、私が末席を涜して居つた内閣に起つた問題は、当時の新聞紙にも精しく出まして諸君は御承知になつて居りませうが、公債を募つて鉄道敷設其他の事業を経営すると云ふ計画が数年前に成立つて居る、其事の続きで議論が起り、其議論が纏まらずして遂に内閣は斃れるに至つた訳であります、所で大体を申しますると、其内に幾らか当時の政府の秘密もございますけれど、其秘密も既に公けになつて新聞紙に毎日出たやうな訳でありますから実際は秘密でないやうであるが、此三十四年度に募るべき若干の公債があり、其当時到底内国で募集は出来ない、外国債でも募らなければならぬであらうかと云ふ問題も出ました、併し三十四年度は幾らか金額を減らして兎に角片を付けやうと云ふことで一時纏まつたが、後の三十五年度の問題で纏らなくなつたのであります、一方の論者は曰く、事業公債で計画した事業は此儘で遂行することは六ケ敷いから今日限り一切之を止めて仕舞ふ、全く事業中止、斯う云ふ議論が一ツ、一方は公債は募れぬことはなささうなものである、内国では六ケ敷いか知らぬが、外国で募つたら行けるだらうから、交通機関の完成とか其他必要な事業を金の融通が悪るい為に止めるのは国家の為に甚だ不利益であるから、何処までも最初の計画通り遂行しやうと云ふ議論であつた、所が私をして謂はしむれば、何方の言ふことも道理はあるが、又其処に当を得ない事もあると思つたのでございます、と云ふものは公債を募つて各種の事業を企てると云ふことは、今日から始ると云ふ場合であるならば、徐ろに其利害を攻究して良いとか悪いとかユツクリ考へる暇もありませう、又其議論の決着次第に依つては其事を為し、或は之を為さざる事も出来ませうが、其事は数年前に極つて今日は途中にあるのであるから、俄に今日から止めて仕舞ふと云ふことは出来難い、又強いて之を止めたならば事業の上に付いても随分不経済なることがあるだ
 - 第6巻 p.528 -ページ画像 
らう、それかと申して他の論者が云ふ如く、従前の如く公債を募る計画を少しも改めずに、内国で募らなければ外国で募つて行くと云ふことも是亦随分困難なることである、それであるから若し左程に不利益なる条件でなくして公債が募れる道理であるならば、或はやツても宜いかも知れませぬ、けれども到底今日の場合、充分利益ある条件を以て之を募ることは覚束ないに付ては、事業を一切中止することは出来ぬかも知れませぬけれども、公債を募ると云ふことは先づ止めて、少くも当分は之を休むで其他の財源で出来るだけの範囲で仕事をして居たらどうかと云ふことを当時吾々は考出した、然るに其説も詰り行はれずして内閣は遂に是が為に斃るゝことになつたのでございます、続いて今日起つて居る問題は新聞紙にて見受けますれば、外国で金を募ることを政府は折角経営をして居られるやうでございますが、新聞の報道する所が事実ならば、五千万円の金を米国にて募るの目的を以て目下交渉中であると云ふことである、其成否に付いても種々な説がありまするが、近頃の模様はどうでありまするか、充分に好い望があつて不日話は纏まると云ふ報道をする新聞紙もあれば、又一方に於てはナカナカ行悩みで居ると云ふことを報ずる新聞紙もあつて、頓と其要領を得ませぬ、要領を得ませぬが財政の社会に於ては余程此問題に重きを置いて居られると見えて、是が出来ることを以て甚だ慶事となし其の出来ざることを以て甚だ凶事とすると云ふやうな人気になつて居ります、所で又或方面の人は、此度の外債一件が若し成功したならば非常な難事を成遂げたことのやうに感ずる人もあるし、又一方では、之を為せば時の理事者の誉となるから、不成功に了らしたいと云ふ様な感覚を抱く人も、絶無にはあらざる様に見受ける、私をして云はしむれば、甚だ以ての外のことで、果して外債募集の必要があツたならば、其事は充分に成功することを国民として望まなければならぬ、時の大蔵大臣が誰であらうとも、其人が好きであらうとも、嫌ひであらうとも、其人の経営することが失敗することを希望すると云ふことは以ての外のことである、又外債が縦令出来て見た所が、当局者が之を以て己れの功と誇るにも及ばない、他人の成遂げないことを自分だからやられたと云ふ慢心があれば其人は大に間違つて居やしないか、我が帝国の信用を以て五千万や一億の外債を募ることは決して困離でないと思ふ、故にそれを為した所が決して人の成遂げないことを為したと云ふ様な大事業ではないと思ふ、要するに外債の募集を成功として祝すべきや否は、其条件の如何に因て決せねばならぬ、条件さへ構はぬと云ふことなら私でも五千万円や一億万円位は募つて来ることが出来るかも知らぬ、条件の如何は最も攻究すべき問題で、良い条件ならば当局者の成功を祝すべし、若し条件が悪ければ其人の責は決して軽からず、故に当局者の手腕を見るは一に条件の良否にあるだらうと思ふ、所が新聞紙の報ずる所は売出価格であるか、手取りの金であるか明瞭でありませぬが、九十円とか九十二円とかにも書いてあります、此相場は果して適当であるや否や、御承知の如く我邦が最初外国で募つた公債は、渋沢さんは御承知でございませう、確か九朱の公債があつたらうと思ふ、其後七朱で募つた公債もあり、長いこと掛つて返し
 - 第6巻 p.529 -ページ画像 
ましたので、モツト早く返せたかは知らぬが、償還年限の定めある為めに漸く数年前に其七朱の公債は完済をしたと云ふ有様である、近来になつては、明治二十九年でありましたか三十年でありましたか、私が公使として倫敦に在勤中のことでございましたが、軍事公債を四千三百万円売られた、其時は五朱利付の軍事公債千円券が百二「ポンド」何「シルリング」とか言ひました、それは日本の貨幣千円を英貨に比較して見ると百二「ポンド」何「シルリング」に当ると云ふことで、兎に角額面で募集した訳である、それから其後一昨年の春倫敦で四歩利付の公債を一億円募られたが、其時の利子は四朱で売出価格九十「ポンド」手取りは八十六「ポンド」である、前には九朱であり、若くは七朱でなければ募られなかつた公債が、四五年前から五朱で募られ四朱六厘で募られた時代があつたのです、所が其後に日本の財政は甚だ困難であると云ふ評判が高くつて民間の経済社会も余程困難なる有様であると云ふことの評判が海外に高い為に、我が日本の信用は余程墜ちたやうでありまするから、どうも其通りの条件では募れぬかも知れませぬ、日本の国力に於て決して弱つたと云ふことはない、否大に増進して居ると思ひますけれども、外国人の信用の程度に至つてはどうも一昨年のやうな景気は或は六ケ敷いかも知れぬ、六ケ敷いかも知れませぬから今度の公債が其時の通りに出来なくつても強ち非難すると云ふ訳には往きませぬけれども、出来ることなら折角数年掛つて博し得たる所の高い信用の標準を落したくない、折角五朱若くは其以下に降つたものが、又五朱寧ろ六朱に近いと云ふことになるのは甚だ残念なることで、それも一時の現象ならば忍ぶべしであるが、其処まで後戻りをし後に又之を盛返し、五朱以下にすると云ふことは容易なことでない、此の後長い間掛らなければ出来なからうと思ふ、七朱の公債であつたものが、五朱で募り得ると云ふに至つたのは支那とアレ程の大戦争をして、戦争は経済上の信用に関係は無さそうなものであるが、実際は大に関係があつて、日本は世界に大評判を取つたときであつて漸く五朱、それが今日僅に三四年過去つた所でそれより下に信用が降ると云ふことは誠に残念で堪りせまぬ、是も或は既に現存する所の公債証書を金持が買つて永く自己の手に所有すると云ふことならば、其売相場が安いと云ふだけで未だ忍ぶべしかも知らぬ、が巨額の外国公債証書を一手に所有の目的を以て買入るゝものは実際にある筈なければ引受人は謂ゆる「シンヂケート」を組織して、矢張新しい公債を募る場合と同じ手続にて目論見書を発し、公衆に対し応募を促かすこと前の軍事公債の売出の時と大要に於て変らぬ手続を為すものと見なければならぬ、如何なる金持と雖も外国の公債を五千万円も一人若くは数人の手にて買つて仕舞て置くと云ふやうなものは殆んどなからうと思ふ、前の政府の内幕のアラを言ふやうでありますが、前年軍事公債を売る時分に日本の方では手続が分らなかつたか四千三百万円と云ふ公債を「サミユル」と云ふエライ金持が現金を以て一手に買ふやうに当時の大蔵省などでは心得て居られたのではないかと思はるる節もありました、然るに実際「サミユル」は一の取次をするのであつて、倫敦で何うしたかと云ふと「シンヂケート」を組織し目論見書
 - 第6巻 p.530 -ページ画像 
を発してそれを汎く公衆から募つた、新しい公債を募る場合と少しも変つたことはありませんでした、若し今度の公債を九十円に売られても、日本では八十七円しかしないではないか、夫が三円も高く売れるのは悦ばねばならぬと云ふ様な弁解も或は出るかも知れませぬ、けれども私の推察では、五千万円も一手に買ふものはあるまいと思ひまするに因り、矢張り前述の如く目論見書を発して新債募集と同様の手続を為すのであらうと思はれます、さうして見ると結局標準が五朱より上の利息に戻ると云ふことになるのであります、私の此推察が間違つて居れば仕合せでありますが、私は多分さうであらうと思ふ、さうすると、日本で八十七円にしか売れないものが、九十円に売れゝば三円だけ高く売れるのであるから悦ぶへしと云ふ弁解も其効を失ふことゝなる
所で私は五朱以下に成つた日本の信用の標準が、それより又たズツト後戻りをして悪くなると云ふことは甚はだ残念であるから、どうにか外債以外に方法はないかと云ふことの疑団を有つて居る、大蔵省の当局者に私が政府に居つたときに聴いたのでは、到底内国で之を募集する所の見込は更になし、斯う云ふことを断言して居られた、今日の当局者又アナタ方でも或はさう云ふ御答になるかも知れぬ、どうでありませう、三千万、五千万と云ふ金は随分大金でありまするけれども、今日の日本の力でどう云ふことがあつても国内にて作ることが出来ぬと云ふことはなからうと思ふ、私は之を諸君に御尋ねしたい、それから都合に依つたら御研究を願ひたいと思ふ、(今日は既に遅しかも知れませぬけれども)、尤も万事は今日の儘で五千万円を日本の銀行に相談して、此際募らうと云つても或は六ケ敷いかも知れませぬ、六ケ敷いかも知れぬが何故公債が日本で売れないであらうか、何故公債が募れないであらうか、斯う云ふことからして一ツ攻究して行かなければならぬ、是は近来公債の高が非常に殖へたに因ることもありませう、或は公債政略なるものが日本の資本家の同情を得ないのかも知れませぬ、是が為に資本家に不安の念を抱かして居るのではなからうかとも思はれる、何処迄行くやら分らぬ、今年五千万の公債を募ツて又来年も募るかも知れぬと云ふ所から容易に出来ぬのではあるまいかとも思ふ、何様此相談は容易には纏まりますまい、財政の計画を、時としては根本から改めてそれで相談せねばならぬ場合もあるかも知れませぬが、私は夫ほどの事が必要であればやるが宜からうと思ふ、今日の大蔵大臣其他は何う考へて居られるか知らぬが、此際幸ひに五千万円の外債か募られた所が今日までの公債事業計画を改めぬ以上は来年も入用であらう、再来年も又入用であらう、と申すのは是までの計画に依ると何でも三十三年度から四十一年度までの間に一億三千九百万かの公債を募らなければならぬ、昨年は少しも公債は募れなかつた、今年も亦募れなかつたと云ふのであるから、今五千万円募られた所が今年分の不足と、昨年募るべき筈であつたものを募ることが出来ないで外から借入れたものを償ふ為めに使用せられて、来年に廻る資金は多分にはありますまい、さうして見ると予ての公債の計画が改まらぬければ来年又金が要る、再来年も要る、詰り一億三千九百万円から五千万
 - 第6巻 p.531 -ページ画像 
円差引いた所が尚八九千万と云ふ金がなければならぬ勘定となる様てあります、で政府は此財政のことは何うせらるゝ考か知れませぬが、公債の計画を従前定められた通りに少しも改めずに置くと云ふことは余程困難であらうと思ふ、私の一己の説を申せば本年度に既に必要の起りて来て居るものは已むを得ませぬが、来年以後は公債を募ると云ふことは暫らく見合せたら宜からう、併しながら事業を全く中止すると云ふことは不利益であるかも知らぬから、通常の歳入からどうか繰合せを付けて初めの計画通りは行かぬとしても、其半分でも若くは三分の一でも仕事を絶えさず徐々と進行せしむると云ふ方針を採り、三年に出来るものは五年とか、五箇年でやると云ふことは七年に延はすと云ふ様に、財政の基礎を改めむければなるまいと思ふ、そうでなければ今年仮し五千万円募つても、来年亦た募らなければならぬと云ふことになりはせぬか、因て政府は前述の如き議を定めて、公債事業の計画は三十四年度分は規定の通りに遂行するも三十五年度以降の分は暫く見合せることゝ為し、結局此度募集の公債を以て一段落を付け安心を日本の資本家に与へて一つ熟談をしたならばどうか、内国に於て必要の資金を調製するの法は出て来ぬかと云ふ疑団を有つて居る、利息は五朱ではいけぬかも知れぬ、或はもう少し高くつて宜からう、六朱か七朱でも宜いかも知れぬ、勿論是までの公債条例に因ることゝすれは年限が長過きる、四十五年、五十年も過ぎざれば高利公債を償還することが出来ぬと云ふことでは困る、之に反し例の大蔵省証券の如きものであれば其の年度内で返すと云ふ規定で短かきに過ぎる、因て従来の公債条例にも依らず、又大蔵省証券にもあらざる一種新規の短期公債と云ふものは出来ぬであらうか、三年とか五年とか七年とか云ふ短い期限で償還をする方法は出来ぬであらうか、今日の法律でいけなければ別に法律を作つたら宜からう、さうして短期公債なれば利息は高くも出来るなら内国の資本家と交渉をして之を募ると云ふことに致したならば一時の事であるから忍ぶことが出来るかも知れぬ、外国へ行つて四十五年とか五十年とか云ふ年限で五朱六厘とか六朱と云ふ公債を新に発行するよりは遥に国の体面又は利益から云つても後日の為に宜からうと思ふ、どうかさう云ふ法はあるまいか、斯う云ふ事を私一人で考へて居るのであります、前にもお話した通り、世間と遠かつて誰とも話をしたことはございませぬから、其様な考は価値なしと云ふお言葉があるか知らぬが併し唯だ私が斯の如き考を起し希望を懐く所以は、折角外国の市場に於て五朱とか四朱六厘まで行つた日本の公債の位が、復た五朱より余計の利息を以て募らなければならぬと云ふやうに跡戻りをするのは誠に残念で堪らない、それから日本の財政全般の事を考へて見まするに(是は諸君も無論御承知でありませう)至極健全の有様で、経常の歳出入を比較して見れば歳出より歳入の方が数千万円多い、然るに不足を生するは臨時費である、事業費殊に其重もなる部分は鉄道の敷設費である、是れは私をして忌憚なく言はしむれば、今日着手中の鉄道は余り利益はありさうもない、東海道の官線の改良は宜しいかも知らぬが、其他儲かりさうなものはない、是れは議員の操縦とか云ふやうな事から時の当局者が政略として承諾せられ
 - 第6巻 p.532 -ページ画像 
た事でありませう、九州の端にも山陰道の山の中にも、北海道にも、一時に着手してどれも成つて居らぬと云ふ有様で、政略の宜しきを得たるものとは思ひませんが、一時已むを得ず斯う云ふ事をした事と考へます、併し出来上つた処が儲りさうな鉄道はない、儲からぬものと承知しながら鉄道は国の交通機関であるからどうでも斯うでも造らねばならぬと云ふものではなからう、鉄道と云ふものは、矢張り利益を見なければならぬから、儲からぬのに高い利息の出る金を出しては何にもならぬ、鉄道経営は算盤を持たずやる訳には行かぬと思ふ、併し其儲けは少くとも夫は初めに云ふことであつて、着手中のものは仕方がない、幾らか段落を付けなければならぬ、詰り臨時費の為に今日の困難を来して居るのでありますが、一体の財政は甚だ健全である、所が外国の市場にはさう云ふ区別が解らない、唯だ日本の財政は非常に困難であると云ふことが解つて居るのみです、外国人がさう云ふ疑を起すも亦無理はない、私の同僚でありましたけれども、渡辺子爵の如きは或書面を公けにして自分の意見に依らずんば日本は破産すると云ふ様なることを断言した、日本の人はさう云ふ考は起さぬかも知れぬが、外国人は日本の事情を知らぬから大蔵大臣が斯う云ふ事を言ふからと云つて、其言に信を置くのは無理はない、さう云ふ所で公債を募ると云ふのは甚だ不利益である
民間の経済はどうであるかと云ふと、日本の経済は私の見た所では決して不健全ではない、誠に健全と思ふ、成程株の直段などは安いさうでありますけれども、新聞で見ると払込より上つて居るものも沢山ある、下つて居るのは儲けのない株である、デ外債募集談が段々運んで来ると云ふことの新聞を見て、株の直段が上ると云ふことを言ふが、私にはどう云ふ訳か少しも解らぬ、仮し外国から五千万円持て来た処で、其の金は株を買ふ為めに使はれるものでもなし、所謂通貨膨脹或は物価騰貴と云ふことは是から来すか知りませんが、其の金が資本となつて株式売買に使はれるものではありますまい、何ゆゑ株式社会の人が外債の出来るのを喜ぶのであるか私には少しも解らぬ、畢竟是れは一時の景気を付け株の直段を上けると云ふ策略かと考へる、さう云ふ連中は暫く別とし、私は世間に遠かつて居りますが、弗々聞く所に依りますれば、一時は大分不景気であつたが今日は米の収穫も大に豊穣であると云ふことになり、滊船会社の営業の有様を見ても鉄道の有様を見ても、或は倉庫会社等の荷物の出入を見ても、大きに景気が好い方に向いて居ると云ふことである、それから又輸出貿易の有様を見ると八月までの分を統計した処では我開港以来曾て見ない金高の輸出があつたやうであります、斯う云ふことは健全な兆候であつて、我が経済社会は一時浮沈することはありませうが、決して失望するものではなくして頗る有望な有様であらうと思ひます
然るに外国の方へ行つて居る報道は、政府は財政の始末に甚だ困つて居る、民間の経済も誠に急迫して居ると云ふことであり、一方では又鉄道国有の為に外国で金を募つたら宜からうと云ふ議論もあるし、内国債を償還する為に外国債を募つたら宜からうと云ふ議論もある、是は随分有力なる団体に依つて唱へられて居るが(或は此中にお差合が
 - 第6巻 p.533 -ページ画像 
あるから知ぬが)私一己の考を腹蔵なく申せば、鉄道国有其の事柄の良否は暫く別問題として兎に角今日出来ることでない、金の力から実行が出来ない、それから内国公債五朱の金を返すに五朱六厘で外国から金を借りると云ふことは、無算の甚しきものにして到底実行すへきにあらす、所が外資輸入と云ふ事柄は今日頗ふる人気に投することになつて居ります、私も決して外資は悪るいとは申しませぬ、各種の事業家なり鉄道会社などが日本で金を借りる、又は債券のやうなもので世間から募るより利益であると思ふならば、銘々の見込次第外国で募るが宜し、又材料を買ふて其代金を延払ひにすることも一の外資輸入でありませう、又鉱山の事業を為す為め外国人から金を募ることも宜からう、銘々の力で算盤と相談をして其方が利益と云ふ算盤が出るならばやるも宜しい、何しろ算盤次第である、斯様な事は宜いとか悪るいとか多数決で決して見た所が何等の利益もない、利益ないのみならずさう云ふ声を高め甚だしきは有力なる団体の決議などに上るから、日本では非常に資金が欠乏して居ると見へると云ふことに取られ却て入るべき外資をも遠ざけると云ふ結果を生じ真に面白くないことである
それから是れは大蔵省の人に言ふ事かも知らぬが、安い相場で公債を売ると先の公債の持主に大変気の毒で、五朱利付の公債は倫敦で百三磅から四磅で売つた直段より宜い額面を保つて居る、さう云ふ所へ行つて売れば忽ち先の公債が安くなる、そこらの鈞合も能く考へなければならぬと思ふ、一時五千万円出来れば宜いと云ふものでない、又此後に募ることもあるから日本政府はひどい、我々に斯う云ふ損害を与へたと云ふ苦情の出ぬやう注意しなければならない、其辺は如才なく考へて居らるゝでございませうが、倫敦で額面を保つて居るにそれより安く売るのは大に考究する必要がある、大蔵省に於ても其辺の事は考へて居らるゝこととは思ふが、従来の経験に依つて見ると時々失策もあるやうでございますから、局外の注意も全く無用ではありますまい、今日迄交渉の実際は知りませぬが、新聞紙の報道する所が事実なれば、其経過は随分困難なるやに察せられ又大体より考ふるも、何分今日の場合強て外債を募るは甚だ不利な事であらうと思ひますから、出来るならば内国で募つて一時片を付けて、財政の基礎を立つると云ふ事にしたい、一方には大蔵省に於ても……政府に於ても財政の基礎をシツカリ立て、一方には諸君に於て公債を引受けると云ふ事には行くまいか、軍さのある時などゝは違つて単に国民の愛国心に訴へて損をしても公債の募集に応すべしと勧誘する訳には行きますまいが、どうかこうか算盤は持てる位の処で資金の調達が国内で出来れば、真に国家の為め結構なることであると信します、そんな事は迚もいかぬと仰有れば致方はありませんが、私は何となく遣り方次第に因ては内国で出来ぬには限らぬと云ふ、疑を有ちますゆゑ諸君にお尋を致しますので、食後の話としては甚だ長話しでありますが国家の為め大切な事であると思ふから申述べたのでございます、諸君に於て本問題に付御研究下さることあらば望外の仕合であります、甚だ長談議に相成りました(拍手起る)
 - 第6巻 p.534 -ページ画像 
    ○右に対して
                  男爵 渋沢栄一君 演説
唯今加藤君から我々銀行者へ対して最も注意すべき御懇切なるお示しは甚だ感謝に堪へませぬ、併し我々共今日までの考では日本に於て此際公債が募集し得るであらうと云ふことは殆ど想像以外の御示とも申したい位でございます、けれども我邦の信用を海外諸国が如何に考へるかと云ふ方の問題から望みを起されて見ますると誠に御尤千万で、どうか若し此日本政府が将来に事業を斯々云ふ方法にする、併しマルデ鳶凧の糸の切れたやうには出来得ぬから、是だけには処置せんければならぬと云ふことであつたならば、或は私共微力な者はどうする思案もございませんが、それこそ国の為めに力を入れて、我々国民が損のない限りは応ずると云ふ手段は決して為し得られぬことでもなからうと思ふ、今夜のお説に就ては亦想ひ起す辺もございまする、但し斯る問題を私一人が玆に代表して委細畏りましたやつて見ませうとは申兼ねまするし、又必ず出来兼ると云ふことも尚ほ申上げたくないのであります、暫く是れは金玉の御論として充分に研究をする、一杯飲んだ機嫌で忘れて仕舞はないやうにしたいと考へます