デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
6款 択善会・東京銀行集会所
■綱文

第6巻 p.534-539(DK060149k) ページ画像

明治35年2月26日、27日(1902年)

二十六日、東京銀行集会所及東京銀行倶楽部主催ニテ伯爵松方正義渡欧送別会ヲ坂本町東京銀行集会所ニ開ク。栄一出席シテ挨拶ヲ述ベ、翌二十七日大蔵大臣男爵曽禰荒助、日本銀行総裁山本達雄、男爵岩崎久弥、三井高保ト共ニ発起シテ同伯ノ送別会ヲ帝国ホテルニ催ス。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三五年(DK060149k-0001)
第6巻 p.534 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三五年
二月廿六日 大風
午後三時松方伯ヲ三田邸ニ訪ヒ今夕臨席ノコトヲ依頼ス○中略四時半銀行倶楽部ニ抵リ、松方伯・岩崎男・目賀田氏ノ送別会ニ列ス、食卓上三氏ニ対シ一場ノ送別演説ヲ為ス、夜九時散会シ、浜町宅ニ帰宿ス
二月廿七日 晴
午後五時帝国ホテルニ抵ル、松方伯送別会ヲ開ク、会スル者百十数名食卓上一場ノ演説ヲ為ス


銀行通信録 第三三巻第一九七号・第五〇九―五一二頁〔明治三五年三月一五日〕 録事 松方伯、岩崎男及目賀田主税局長送別会(DK060149k-0002)
第6巻 p.534-538 ページ画像

銀行通信録 第三三巻第一九七号・第五〇九―五一二頁〔明治三五年三月一五日〕
    録事
  ○松方伯、岩崎男及目賀田主税局長送別会
東京銀行集会所及銀行倶楽部の申合にて今般海外巡廻の途に就かるゝ松方伯、岩崎男及目賀田主税局長の送別会を開くことに決し二月二十六日(水曜日)午後五時より松方伯、岩崎男、目賀田主税局長、深井
 - 第6巻 p.535 -ページ画像 
英五、植松京、松方五郎の六氏並に曾禰大蔵大臣、阪谷大蔵総務長官松尾大蔵省理財局長及長森大蔵省官房長を銀行倶楽部に招待して宴会を開けり、当日会する者百二十名、宴酣になる比総代渋沢男爵は起て左の如く送別の辞を述べたり
 閣下及諸君、今夕は松方伯爵、岩崎男爵、目賀田主税局長が今般欧米へ御旅行のございますに就きまして、当銀行集会所組合銀行及銀行倶楽部会員相会しまして玆に御送別の小宴を開きました、然るに松方伯を初として御出立前御多忙なるにも拘はらず、我々の懇請を快くお受け下すつて御枉駕を賜はりましたは私共の光栄此上もございませぬ、故に玆に会員の総代と致しまして一場の謝辞を述べ且つ此盛なる御旅行の贐として一言申上たいと考へます
 松方伯爵の此処に会同する我々に縁故関係の深いことは最早多弁を要せずして分つて居る、我国の銀行は多くは伯に依りて産まれ伯に依りて成長し先づ今日は聊か見るに足るべき有様に至つたのでございます、而して此処に会しました人数も殆ど二百名でございますが、皆後進の俊才であります、斯く申す私共は所謂考耄といふ声を聴くかも知れませんが此処に集つたものゝ多くは決して白髪蒼顔の者ではございません、何れも皆伯の御薫陶御導示に依て生じたものと称して宜しいのでございます、而して其人数は銀行集会所組合銀行が六十余、倶楽部会員は二百四十名に上り双方を合しますると三百名の多き数を以て数ふるに至りました、今我銀行界を回想致しますると明治五年国立銀行の創立からして九年に法度を改め、十五年に日本銀行が設立され、銀行界も追々変遷致しましたが其間に処して此隆盛を見るに至りました事は伯御自身も種々御経営のあつた事であるから今玆に喋々を要しませぬ、其間或は進まむとして蹉跌し伸びむと欲して意の如くならぬと云ふ事も往々にしてございましたが、併し今日に於て先づ前に申します程の会員もあり、其会員等が相集つて此事業を進め得るやうになりましたのは伯の賜と申さねばならぬのでございます、而して伯が此度の御旅行は漫遊と伺ひましたけれども伯は決して一日を空く費やすお方でないと云ふことは我我の深く信ずる所でございまして、其御漫遊の間には大に経済界の上に利益ある事の御調査又其他にも種々御研究あつて利益あるお土産をお持帰り下さるであらうと考へるのでございます
 又岩崎男爵は申上げるまでもなく大なる資力を以て種々なる事業に御従事でございますれば、此旅行は蓋し軽く云つたら御漫遊、一の御遊山でございませうが、必ずや御漫遊御遊山に止まらず種々なる御研究あつて大に我々経済界に裨益を与へらるゝ事と信じます
 目賀田君の従来長い間租税の事に御従事のことは吾人皆能く承知して居る、其の智識と経験とを以て海外に於て充分な御研究御調査を下さいましたならば我々経済界に補益を与ふることは容易であらうと信じます、今日は内国のみではない海外に於ける税務に就ても充分注意せねばならぬ事が多々あります、是等の点に就ても目賀田君は充分御注意あつて御調査ある事と考へます
 殊に申上げたいのは松方伯が今度の御旅行は実に御盛んと申して宜
 - 第6巻 p.536 -ページ画像 
しい、特に我々共に於て別して敬服せざるを得ぬのは、最早其齢七旬に近きにも拘らず政治上の事と云ひ経済上の事と云ひ総て此世の中に相当な事はお尽しになつたお体でございます、漫遊と云へば或は漫遊と申さうかなれども齢七旬に近き身を以て海外万里の御旅行を為さるゝと云ふのは蓋し老いて益々壮んにして国を思ふ念慮の深きに由つての事と私は深く此の御旅行を感謝するのでございます、先づ従来日本の風習としては追々年ても老りますると必ず先づ一身の安楽を図り心力を労する事には可成丈遠ざかると云ふのが人の常情である、固より脳力と申し体格と申し充分の健全を保つてござるからでもありませうけれども、今齢七旬に垂とする伯にして此遠洋万里の御旅行をなされ御自分の抱負する所及其他に就て御研究の結果我々経済界の上に大に裨補する所あらうと考へますると蓋し其国に厚きを感謝せざるを得ない
 次に岩崎男爵は限りなき資力を以て何事でも出来る御体でありながら、是より充分なる研究を為され我々を裨補して下さることも亦以て厚く感謝の意を表はさゞるを得ないのでございます
 古より年老いて世の中に立つ者は政治界には間々あつた、例へば支那の昔を見れば趙の廉頗将軍若くは後漢の伏波将軍馬援、唐の廓子儀等年老いて皆能く政務を処した、欧羅巴に於ても古の人は能く知りませんがグラツドストーン、ビスマーク或はチエールの如き老いて益々壮であつた、我朝に於ても武内宿禰の如きは三代の天皇に歴仕した、其の老いたるや知るべく而して益々壮んなりしも皆人の知る所である、然るに経済界に従事する人々は五十以上になつて右の如く世の中に働いた人は……私の識の乏しきが為め知らぬか……なかつたと思ふのでございます、是れは経済界の為に大に惜む所であつて且つ経済界の振はぬのも蓋し夫等が一の原因ではないかと思はれる、松方伯が今夕此処へ御来臨下されたのは政治界の伯として迎へたのでなく経済界の伯として迎へ我党の一人として玆に一言を呈したのでございます、然るに前申す通り斯る高齢の御体でからに尚且屈せず海外万里の御旅行を為すつて我々経済界を裨補して下さるは、御一同なんと悦ばしいことではございませんか、此経済界をして年寄は老耄したと云はれぬだけ我々の気力を強うするに松方伯は善い証拠であると申上げたいのでございます、終に臨んで伯爵男爵及目賀田君が御出立の時期は恰度厳寒も弛み追々に柳も芽ざし花も催すと云ふ好時季である、今承はりますると伯が英吉利への御到着は四月の末で所謂春風駘蕩百花爛熳の時であらうと思ひます、此好時季を欧羅巴に御経過なされ、而も御健康の体力と脳力と又充分の経験力とを以て種々御研究あると云ふことは甚だ喜ばしい、乍併伯のみならず男爵も、目賀田君も、必ず此春風駘蕩百花爛熳の美しい有様だけを以てお土産にはなさらぬであらうと思ふ、春に花咲くものは必ず秋に至つて実を結び冬は蔵すると云へば、善いお土産を御持帰りになつて我々を裨補して下さることであらうと信じます、我我は花を持てお帰りよりは実を持てお帰りになる事を希ふのでございます
 - 第6巻 p.537 -ページ画像 
次に来賓松方伯より左の答辞ありたり
 一言御挨拶を申上げます、諸君今晩は誠に御丁重なる御招待に預り且つ唯今渋沢君の御丁寧なる御挨拶を蒙り実に此出立に就きましての御送別は厚く感謝致します
 抑々私が漫遊を望んで居りましたことは、今日に初まつた事でもございませぬ、両三年前より欧米を漫遊したいと云ふ志を抱いて居りましたが、始終事故の為に遮ぎられまして漸く此度志を達する事を得るの時期に際会したのでござます、此漫遊を致しまするに就きましても別に内々公務を帯びて居ると云ふ事を新聞紙などに載せて居りますけれども、斯の如きことは更にないので全く私の漫遊でございます、而して漫遊をする地方は如何なる地方であるかといへば先進国を巡廻することでございますから、農工商の事且又窃に考へますには教育上の事に就きましても将来国家の大切なる事業と心得ますから幾分か此の辺を研究して見たい、松方が教育の事に就きまして斯く申しますると聊か方角違ひではあるまいかとお考へなさるお方もございませうが、其処には聊か微意の存する処があるのでございます
 将来国の隆盛を保つて行くには人物の輩出して賢才の出来るやうにするより外に道はない、決して政治上のみの賢才でない、商業なり工業なり農業なり総てに賢才の輩出するやうな時期に際会せぬ以上は如何に空に考へた処が仕様がない、人で持つ国であるから人物を養成するは大に必要である、併しそれに就ては松方輩の不学者が見識の及ぶ所でもありますまいが聊か微意の存する所がある、免に角国の隆盛を図る上に就て今日日本の不足は何でございませう、外に不足な事もないやうに総ての事が進んで参りましたが第一此富国といふ点に就ては諸君如何でございませうか、欧米各国と比較したならば遥か道が遠くはないか、私の考へには諸君と共に此点に就ては深思せぬ以上は容易に富国を望むことは難い事と考へます、今日此老骨が無学で漫遊しやうといふ志を抱きましたは諸君に向つて赤面かは知りませんが聊か其処には我丈けの志を懐き、老骨を顧みずして漫遊を致す考でございます、就きましては漫遊中聊か研究する所があり或は心頭に感覚を起したことがありますれば帰りました上に諸君とお話を致す事もあらうと考へます
 モウ一度私は繰返して申しますが、私の漫遊に就て新聞紙にある如く、外国に於て公債でも募る事の務に与つて居りはせぬかといふ考を持つお方もあるか知れぬが、決してさういふ事はないのでございます、モウ一つ無いと云ふ事に語を強うするならば、どうでございませう今日々本の財政は外国債を募つて補はなければ危いと云ふ財政ではないと私は考へます、政府も決して左様な事はないと信ずる且つアダに資本の入つて来るといふことはアダに風波を起して却て経済界に害ある事と思ふ、是れはお互に経験上の事でございますが、どうでございませう、どうぞ国の信用が高まつて自然に外資が入つて来ると云ふやうな時節に進歩させて見たいものではございませんか、信用のない国へは決して外資は入つて来ない、信用の高ま
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つた国は必ず求めずして入つて来はせぬかと私は思ふ、古今和漢洋を通じて……決して漫遊中研究するまでもなく、此点に就ては徹頭徹尾銀行社会は勿論一体の上に就きましても、信用と云ふものを高むる事にせねばならぬと考へます
 銀行の事業も段々進んで参りまして、昔を顧みますると実に幼稚なものであつた、それは諸君も御承知でありませう、併し今日は余程発達して来たが、先刻渋沢君が仰つしやる通り、間々不都合なものもあつて蹉跌した銀行も多々ある、けれども是は多数の中には免かれぬことである、併し大多数の上から見て正確に業を行つて居る銀行はどうでございませう、今日は余程発達して居るに違ひない、是れは外ではない、諸君が業務に熟練して斯業に勉励なされた結果今日の盛況を見るに至つたのであらうと信ずる、此銀行事業は商工業の媒介者となつて金融の運用を敏活にするやうにするのは容易の事であるが、国の富を図る処の金融運転の事を掌る要用な機関でありますから、愈々以て御勉励あつて益々御進歩なさる事を希望したい是は予て諸君の段々御研究のある事でもありませうが、此度暫くお別れ申すに就きましてはどうぞ此信用と金融運用の敏活に且つ堅固に発達する事を一言述べてお別れをしたい、今日は誠に御鄭重なる御饗応に預りまして満腔のお礼を申上げるのでございます
次に来賓岩崎男爵より左の答辞ありたり
 渋沢男爵閣下及諸君、私も今夕植松と共に皆様の御厚意を忝う致しましたが、私が今度の旅行は誠に僅な日子で何も目的はない、唯健康保養の為めでございます、然るに有力なる銀行家諸君の賑々しい御寄合へ御招待に預つたのは実に限りなき光栄に存じます、唯今は御叮嚀なるお言葉を頂戴しましたが、誠に耻しながら敢て当りませぬ
 併しさう云ふ事を伺つて見ると飄然の漫遊ではございますが御刺激のお言葉に依つて多少感激したのでございます、私は何も申上げることはございません、今晩は諸君の御厚意に対し一言御礼を申上げます
最後に来賓目賀田主税局長より左の答辞ありたり
 渋沢男爵閣下及諸君、私は今夕此御盛宴に陪するを得ましたのは深く光栄と致します、他日幸に私が使命の幾分を遂げる事を得ましたならば、其時を以て初めて諸君の御厚意に酬ゆることが出来やうと存じます、唯今は恭しくお礼を申上げます
右終て主客歓を尽し午後九時散会せり


東京日々新聞 ○第九一一八号〔明治三五年二月二七日〕 松方伯一行の招待会(DK060149k-0003)
第6巻 p.538-539 ページ画像

東京日々新聞
 ○第九一一八号〔明治三五年二月二七日〕
    ○松方伯一行の招待会
 銀行集会所の催しに係はる松方伯一行の送別宴は昨夜午後六時より同所倶楽部内に開かれたり、来賓として臨席せられたるは松方伯爵、岩崎男爵、目賀田主税局長、深井英吾《(深井英五)》、松方五郎、植松京の諸氏曾禰蔵相、阪谷総務長官、長森官房長、松尾理財局長等にして主人役
 - 第6巻 p.539 -ページ画像 
は渋沢男爵、高橋是清、豊川良平、高橋新吉、園田孝吉、早川千吉郎、波多野承五郎、池田謙三、志村源太郎等諸氏百四五十名、渋沢男、松方伯、岩崎男、目賀田氏等の演説あり、午後九時過ぎ散会したり渋沢男と松方伯の演説○前掲は左の如し。

東京日々新聞 ○第九一一九号〔明治三五年二月二八日〕 松方伯送別会(DK060149k-0004)
第6巻 p.539 ページ画像

 ○第九一一九号〔明治三五年二月二八日〕
    ○松方伯送別会
曾禰蔵相、渋沢栄一、三井高保、山本達雄諸氏の発起にかゝる同会は予報の如く昨日午後五時より帝国ホテルに開かれたり、菊池文相、芳川逓相、大隈伯、清浦法相、阪谷総務長官、目賀田主税局長、井上角五郎、今村清之助、曾我祐準、園田孝吉、相馬永胤、添田寿一、中野武営、安田善次郎、浅野惣一郎、郷誠之助、波多野承五郎、大倉喜八郎、早川千吉郎等の諸氏百余名来会し、奏楽の間に曾禰蔵相は官民総代として起て松方伯を送るの辞を述べ、次で渋沢男実業団体を代表して同じく伯を送るの演説あり、了て伯の挨拶あり、後ち大隈伯亦伯を送るの演説を為し、続いて山本日銀総裁は目賀田氏を送るの辞を述べ目賀田氏之に答へ、終に井上角五郎氏は松方伯を送ると共に大隈伯及渋沢男に対し洋行を勧告し、渋沢男は然らば予も一奮発して松方伯と外国にて御目に懸るべしと答へられ、和気洋々歓声四方に起るの間款談時を移し全く散会せしは午後九時三十分頃なりき