デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
2節 手形
3款 全国手形交換所聯合会
■綱文

第7巻 p.516-519(DK070067k) ページ画像

明治41年9月10日(1608[1908]年)

是日、栄一東京銀行集会所ニ開カレタル全国手形交換所臨時聯合懇親会ニ臨ミ、一場ノ演説ヲ為ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四一年(DK070067k-0001)
第7巻 p.516 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四一年
九月十日 晴 涼
○上略 五時銀行集会所ニ抵リ、聯合懇親会ニ出席ス、桂首相病気ニ付代理トシテ後藤逓相来会ス、食卓ニテ豊川良平氏総代トシテ開会ノ趣旨ヲ述ヘ尋テ後藤逓相ハ桂大蔵大臣ノ代理トシテ財政整理方針ヲ朗読セラル、後其謝詞トシテ一場ノ演説ヲ為シ、後逓相及若槻大蔵次官等ノ演説アリ、賓主歓ヲ尽シ夜十時過散会ス


銀行通信録 第四六巻第二七六号・第四九一―第四九二頁〔明治四一年一〇月一五日〕 全国交換所聯合懇親会(DK070067k-0002)
第7巻 p.516-519 ページ画像

銀行通信録 第四六巻第二七六号・第四九一―第四九二頁〔明治四一年一〇月一五日〕
    ○全国交換所聯合懇親会
全国交換所臨時聯合懇親会は九月十日午後六時より、東京銀行集会所に於て開会せられたり、出席者は桂大蔵大臣代理後藤逓信大臣を始め来賓十四名、主人側七十一名にして、其氏名左の如し
    来賓
 大蔵大臣代理   男爵後藤新平  大蔵次官     若槻礼次郎
 大蔵次官     水町袈裟六   主税局長     桜井鉄太郎
 主計局長     橋本圭三郎   専売局長     浜口雄幸
 理財局長     勝田主計    国債整理局長   塚田達二郎
 大蔵大臣秘書官  長島隆二
 日本銀行総裁   男爵松尾臣善  日本銀行副総裁  男爵高橋是清
 同理事      木村清四郎   同営業局長    井上準之助
 同国債局長    土方久徴
   ○主人側略ス。
斯くて、一同食卓に着き、宴酣なる頃東京交換所委員長豊川良平氏起て一場の挨拶を述べ、次で後藤逓信大臣は桂大蔵大臣の代理として財政計画に関する演説筆記を代読し、終て渋沢男爵より一同を代表して謝辞を述べ、夫より後藤逓信大臣の演説、若槻大蔵次官の海外視察談
 - 第7巻 p.517 -ページ画像 
あり、更に席を別室に移し、各自歓談の上、午後十時散会せり、左に桂大蔵大臣の演説筆記を掲載す
    桂大蔵大臣の演説(後藤逓信大臣代読)
諸君、全国金融機関を代表する銀行家諸君と食卓を共にして会談するを得たるは、予の最も喜ぶ所なり
顧みれば、嘗て予が内閣に立ちし際、諸君と共に曠古未曾有の三十七八年事件に遭遇したり、当時政府が最も苦心を重ねたるは実に財政並に経済の上に在りたり、幸に攻戦一年半に亘り大軍を支へ、十七億円の軍費を支弁し、民間経済界は何等動揺を来すことなきのみならず、平和克復の際には尚財政上の余裕を存することか得たるは、之れ全く挙国一致奉公殉国の決心固かりしの致す処にして、予は窃かに我国経済力の根底意外に鞏固なるを認むると同時に、朝野一致の決心覚悟の力極めて偉大なるを感じたり
今回不肖計らずも再び内閣組織の大命を拝し、殊に大蔵大臣兼務に親任せられ、直接に財政経済の衝に立つことゝなりたり、然るに内外の情勢を見るに、戦後の経営未だ完からず、政府の財政並民間の経済は尚未だ順調に帰せず、依て国運の円満なる発達を期するには、此際朝野官民の別なく、戦役当時の断然たる決心を以て其の整理恢復を図らざるべからず
財政の実状を見るに、従来の計画に於ては確定歳入を以て確定歳出に応ずるに足らず、之を補ふに年々巨額の公債を以てせり、然るに時運の変遷は公債の新規募集を困難ならしめ予算編成上に支牾を来す結果を生ぜり、依て此際之が病源を断ち以て歳出入を整頓し財政の基礎を確立するは目今の最大急務なりと認む
加之ならず公債は急激に増加したるを以て未だ真正の放資者の手に帰せざるもの少なからず加ふるに財政に対し不安の念を生じたるを以て内外市場に於て著しく価格の下落を来し之が為め公債所有者に多大の損害を被らしむるに至れり、故に此際新公債の発行は勉めて之を避くるの必要あるのみならず鉄道買収公債発行の時期も迫れるを以て公債償還資金を適度に増加し償還計画を確立し以て公債の信用を高め価格の恢復を図るは之れ亦避くべからさるの急務なり
民間経済界の経過並実況は諸君の知悉する所にして、玆に之を述ぶるの必要なし、之れ亦永く今日の如き不安の状態に放任するは、国力充実の必要上観過する能はざる所なり
以上の事実を基礎とし、財政整理に関する大体の意見を定め、就任以来専ら国債上の調査を進め、漸く具体的成案を得て既に其決定を見るに至れり、今回の整理は国家の大計に鑑み、財政の根本的基礎を確立し、断然公債の完全なる整理を期したるものなり、之れ特に諸君の御注意を請はんと欲する処なり
財政整理案を立つるに当り、特に深く感じたるは我国財政の基礎が実際に於ては比較的鞏固にして、決して往々世人の論ずるが如き危険なるものにあらざること之れなり、即ち従前の実蹟を見るに、歳入の実収は常に予算に超過し、又予定経費は当該年度内使用し終らずして次年度に繰越されたるもの尠なからず、毎年実際の出納は予定の公債を
 - 第7巻 p.518 -ページ画像 
打切として差支を見ざるの実況なり、之を以て、事業計画施行の実況を精査して適宜の整理を加ふるときは、事業の計画自体に何等の変更を加へずして歳出入の均衡を得せしむるは敢て困難ならざるを認めたり、各種の事業は経済的経営上又は国防若くは治安継持上国家当然の必要に属するもの多く、遽かに之が改廃変更を許さずと雖ども、其の実施の歳月に至りては財政及経済上の必要に応じ適宜の整理を加ふるは寧ろ其当を得たるものなり、今回の整理は此趣旨に基き、財政の整理、事業の完成両つながら其の目的を達することを期したり、徒らに積極的政策に走り又消極的整理に陥りたるものにあらず
財政及国債の整理に関する詳細は、今日未だ之を述ぶるの時期にあらずと雖も、已に決定したる方針の綱領を述べんに
一、確定歳出に対しては確定歳入を以て之に応ぜしむることゝし、電話・製鉄所に要する事業費及臨時軍事費所属の経費にして従来公債を財源としたるものは之を一般財源の支弁に移し、新規公債の発行は当分之を廃止することゝせり、但し台湾事業公債は年々の所要少く且つ特別引受の途定まるを以て例外とす
二、従前の計画に於ては歳入の自然増加を見込みたるも、今回の計画に於ては確実を図り又余裕を後年度に存するが為め、之を見積らざることゝせり
三、公債の信用を維持し、漸次価格の恢復を図り、以て公債所有者の利益を保護し、間接には一般経済界に良好なる影響を与ふる為め、公債償還を毎年少くとも五千万円以上と定めたり
四、鉄道の経営は全然独立自営のものとし、一般会計との関係を断絶し、以て従前の如く一般の会計と鉄道の会計とか互に相累を為すの弊を矯むることとし、之に適当なる特別会計法を設くることゝせり而して同特別会計に於て、財政計画の主旨に依り当分公債の募集を見合せ、其の収益金及預金部運用資金よりの借入金、経費の節約より生ずべき金額等を以て、其の建設改良費に充当することゝせり
以上の方針実行の為め、規定経費の年度割に改正を加へ、之れを相当年度に繰延べ使用することとし、尚ほ此以外に行政費に或程度の節減を加ふることとせり、其結果として、従前の六年計画を変更して新に四十二年度より五十二年度迄の計画を定めたり、今回の繰延は使用年割の改定なるが故に、一年限り使用を見合せ翌年度に之を繰延すとは全然其の性質を異にするものなり、而して繰延は六年計画に於て一旦繰延改定せられたる継続費に対し更に之を行ひたるものにして、今回の整理に係る新繰延総金額約二億円に達す、繰延金額の細目は各省主務者に於て調査の上決定し、然る後相当の手続を踏んで確定のものとする筈なり、而して巨額の経費繰延の結果民間の生産事業等に影響する所極めて尠かるべしと信ずと雖も、其影響等に至ては尚詳細なる□《(調)》査をなさしめ、機宜の処置を誤らざるに注意すべし、財政並公債整理方針既に定まり、玆に諸君に向て其の大要を述ぶることを得たるは予の欣喜に堪へざる所なり
財政の基礎既に確定し、公債整理の方針玆に定まりたるを以て、今後民間に於ては安んじて経済事業の経営に従事することを得べしと確信
 - 第7巻 p.519 -ページ画像 
す、予は実業家諸君が同心協力、経済界の整理恢復に尽力せられ、速かに経済界繁栄発達の日を実現せられんことを要望す、幸に我国経済界の不振の一大原因を為したる欧米経済界の波瀾は全く歛まり、近来著しく好況に向ひたるの傾あり、内地に於ても生糸の売行漸く活溌となり、米作豊収の見込立ちたるを以て、経済界の中枢たる金融機関を掌握する諸君の尽力宜しきを得ば、民間経済界の整理恢復を見るは敢て難きにあらざるべしと信ず、而して生産事業の改良発達は中外国民の幸福を増進し、以て永久に平和を維持するに貢献する所尠からざる所にして諸君と共に協力一致其遂行を希望して止まざるなり


東京日日新聞 第一一四〇一号〔明治四一年九月一二日〕 逓相以下の演説(DK070067k-0003)
第7巻 p.519 ページ画像

東京日日新聞 第一一四〇一号〔明治四一年九月一二日〕
    逓相以下の演説
一昨十日夜の全交換所聯合懇親会状況は既報の如くなるが、尚当夜は後藤逓信大臣・若槻大蔵次官及び渋沢男より大要左の如き演説ありたりと
   ○後藤逓相の演説略ス。
    若槻大蔵次官演説
余は久しく海外にあり、特に帰朝後未だ一回も大蔵省へ出務せざるにより、内地の事は全く知らず、故に海外の経済状況に就き一言せんに元来余が海外に赴きし際は恰かも財界不況の歴幕にして、夫れより漸次激烈となり、帰朝前には既に回復しつゝありしを以て、余の旅行は全く其の不況期間に於ける間なるが、不況は資本家をして注意深くならしめ、進んで臆病ならしむるものにて、当時欧米にありては信用ある政府の保証せる事業公債類にあらざれば安んじて所有するものなきに至り、結局現実に資金の窮乏を告げしよりも、寧ろ人気の赴く所が然らしめたるものにして、漸を追ふて回復するの外なきものなり、最も余が倫敦出発前には余程回復に向ひ、右の如き思想は大に薄らぎ、公債社債の募集も弗々市場に表はれ来りたるを以て、最早曩日の如きことは之れなかるべしと信ず、云々
    渋沢男の演説
後藤逓信大臣は桂蔵相の代理として臨席せられ、最も親切に最も綿密に又最も正確に財政計画の綱領を説明せられたるは感謝の外なし、抑も三十七八年戦後に於ける財政経済が非常の窮状に陥るべきは当時《(マヽ)》のことにして、如何なる大国に於ても大戦後の財界は皆同一の状況に陥れり、然れども斯の如きは等閑に観過すべきにあらざれば、吾々銀行家は希望のある所を建白せしに、政府に於ては吾々以上の注意を払ひ只今説明せられし如き整理案を立てられたるを以て、久しく念頭にありし危惧の観念は全く消散して、青天に白日を見るの思ひをなせり、然るに、吾々銀行者の意見は我田引水的にして、財政を整理せんとならば尚他に多くの急務ありと論ずるものあるも、凡そ物に本末あり、事に終始あり、戦時俄に激増したる公債を整理するは即ち財政整理の根本なり、現内閣が玆に斯る正鵠なる案を立てられたるは誠に機宜に適せるものにして、吾々は之れに酬ゆる為め、将来軽挙に走るが如きことなきを深く戒むるものなり、云々