デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
2節 手形
3款 全国手形交換所聯合会
■綱文

第7巻 p.516-519(DK070067k) ページ画像

明治41年9月10日(1608年)

是日、栄一東京銀行集会所ニ開カレタル全国手形交換所臨時聯合懇親会ニ臨ミ、一場ノ演説ヲ為ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四一年(DK070067k-0001)
第7巻 p.516 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四一年
九月十日 晴 涼
○上略 五時銀行集会所ニ抵リ、聯合懇親会ニ出席ス、桂首相病気ニ付代理トシテ後藤逓相来会ス、食卓ニテ豊川良平氏総代トシテ開会ノ趣旨ヲ述ヘ尋テ後藤逓相ハ桂大蔵大臣ノ代理トシテ財政整理方針ヲ朗読セラル、後其謝詞トシテ一場ノ演説ヲ為シ、後逓相及若槻大蔵次官等ノ演説アリ、賓主歓ヲ尽シ夜十時過散会ス


銀行通信録 第四六巻第二七六号・第四九一―第四九二頁〔明治四一年一〇月一五日〕 全国交換所聯合懇親会(DK070067k-0002)
第7巻 p.516-519 ページ画像

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東京日日新聞 第一一四〇一号〔明治四一年九月一二日〕 逓相以下の演説(DK070067k-0003)
第7巻 p.519 ページ画像

東京日日新聞 第一一四〇一号〔明治四一年九月一二日〕
    逓相以下の演説
一昨十日夜の全交換所聯合懇親会状況は既報の如くなるが、尚当夜は後藤逓信大臣・若槻大蔵次官及び渋沢男より大要左の如き演説ありたりと
   ○後藤逓相の演説略ス。
    若槻大蔵次官演説
余は久しく海外にあり、特に帰朝後未だ一回も大蔵省へ出務せざるにより、内地の事は全く知らず、故に海外の経済状況に就き一言せんに元来余が海外に赴きし際は恰かも財界不況の歴幕にして、夫れより漸次激烈となり、帰朝前には既に回復しつゝありしを以て、余の旅行は全く其の不況期間に於ける間なるが、不況は資本家をして注意深くならしめ、進んで臆病ならしむるものにて、当時欧米にありては信用ある政府の保証せる事業公債類にあらざれば安んじて所有するものなきに至り、結局現実に資金の窮乏を告げしよりも、寧ろ人気の赴く所が然らしめたるものにして、漸を追ふて回復するの外なきものなり、最も余が倫敦出発前には余程回復に向ひ、右の如き思想は大に薄らぎ、公債社債の募集も弗々市場に表はれ来りたるを以て、最早曩日の如きことは之れなかるべしと信ず、云々
    渋沢男の演説
後藤逓信大臣は桂蔵相の代理として臨席せられ、最も親切に最も綿密に又最も正確に財政計画の綱領を説明せられたるは感謝の外なし、抑も三十七八年戦後に於ける財政経済が非常の窮状に陥るべきは当時《(マヽ)》のことにして、如何なる大国に於ても大戦後の財界は皆同一の状況に陥れり、然れども斯の如きは等閑に観過すべきにあらざれば、吾々銀行家は希望のある所を建白せしに、政府に於ては吾々以上の注意を払ひ只今説明せられし如き整理案を立てられたるを以て、久しく念頭にありし危惧の観念は全く消散して、青天に白日を見るの思ひをなせり、然るに、吾々銀行者の意見は我田引水的にして、財政を整理せんとならば尚他に多くの急務ありと論ずるものあるも、凡そ物に本末あり、事に終始あり、戦時俄に激増したる公債を整理するは即ち財政整理の根本なり、現内閣が玆に斯る正鵠なる案を立てられたるは誠に機宜に適せるものにして、吾々は之れに酬ゆる為め、将来軽挙に走るが如きことなきを深く戒むるものなり、云々