デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
1節 綿業
1款 大阪紡績株式会社
■綱文

第10巻 p.52-54(DK100005k) ページ画像

明治15年4月27日(1882年)

藤田伝三郎等ト連署シテ創立願書ヲ大阪府知事建野郷三ニ提出シ、五月三日許可セラル。尋イデ六月大阪府西成郡三軒家村ニ工場建設ニ着手シ、十二月資本金三万円ヲ増加シテ定款ヲ作成ス。


■資料

大阪紡績会社創立願書及創立要旨(DK100005k-0001)
第10巻 p.52-53 ページ画像

大阪紡績会社創立願書及創立要旨 (大阪市役所所蔵)
    紡績会社創立願書
今般私共協力同心致シ別紙創立要旨之趣意ニ従ヒ、資本金弐拾五万円ヲ以テ合本会社ヲ設立シ、社名ヲ大阪紡績会社ト称シ、工場ヲ御府下三軒屋村官池船囲場側ニ設置シ、棉糸紡績営業仕度候間、御聞届被下度候、尤会社定款ハ追テ草定之上御承認ヲ経テ確定可仕ト奉存候得共差向キ創立要旨相添、此段奉願候也
  明治十五年四月 日
              紡績組合総代
              東京府麻布区三河台廿八番地
                    矢島作郎   
              大坂府平野町四丁目十九番地
                    松本重太郎  
              東京府南葛飾郡小梅村七拾七番地
                    小室信夫   
              大坂府高麗橋壱丁目壱番地
                    藤田伝三郎  
              東京府深川区福住町四番地
                    渋沢栄一   

前書之通申出候付、奥印仕候也
          西成郡三軒家村
          戸長        上田丹治郎  
  大坂府知事 建野郷三殿
    紡績会社創立要旨
第一条 当会社ノ名称ハ大阪紡績会社ト称スヘシ
第二条 当会社ノ資本金ハ弐拾五万円ト定メ、之ヲ弐千五百株ニ分チ即チ百円ヲ以テ一株トスヘシ
第三条 当会社ノ責任ハ株高丈ケノ有限タルヘシ
第四条 当会社ノ性質ハ合本会社タルニ付、追テ役員撰挙法及会社定款営業規則等モ其性質ニ照準シテ之ヲ定ムヘシ
第五条 当会社創立ノ目的ハ泰西紡績ノ方法ニ做ヒ、器械ヲ以テ棉糸
 - 第10巻 p.53 -ページ画像 
ヲ紡績シ、之ヲ販売スルニ在リ、故ニ此目的部内ノ事ヲ除クノ外ハ、如何ナル場合アリト雖トモ之ニ関与セサルヘシ
第六条 当会社ノ株高ハ外国人ヲ除クノ外ハ誰ニテモ之ヲ引受ケ得ルモノトシ、既ニ引受ケタル割合ハ左ニ記載スル所ノ如シ
    株高引受割合
    株数      金高          住所         姓名
  弐百七拾弐株  弐万七千弐百円  東京市深川区福住町四番地  渋沢栄一 (印)
  ○外七十九名略
  合計二千五百株 二十五万円
右之通相違無之候也
  ○「右第六条の末尾には渋沢と彫られた四角い認印が押されてある。以下余白といふ様な意味であろう。株高引受割合といふ処へは二百七十二株渋沢栄一を始めとし二株九条道孝を最終とし、合計二千五百株二十五万円八十名と書してある。尚ほその八十名の内主なる人の姓名は華族で蜂須賀・前田・毛利・亀井・徳川・伊達・西園寺・井伊、又た実業家では益田・大倉・藤田・松本・住友・五代・山口・薩摩・渋谷・秋馬・金沢等である。
    斯の如く大名華族といふ資本家、綿業家といふ其途の達人、それに東西第一流の実業家を網羅して居るから、大阪紡績の根底は其創立当時業に已に鞏固に築かれた。」(絹川太一編「本邦綿糸紡績史」第二巻第三七五頁)


(大阪紡績株式会社)創業二十五年沿革略史 〔明治四一年一〇月〕(DK100005k-0002)
第10巻 p.53 ページ画像

(大阪紡績株式会社)創業二十五年沿革略史 〔明治四一年一〇月〕
○明治十四年四月地《(マヽ)》ヲ大阪市西区三軒家上ノ町ニ相定シ、十五年夏ヲ以テ始メテ工場建設ニ着手シ、十六年七月ニ至リテ竣工ヲ告ゲ尋テ試業ニ従事セリ
○先是十五年十二月資本増加ノ必要アリ、即チ金参万円ヲ増加シ原資ヲ合シテ、金弐拾八万円トナシ定款ヲ制定セリ


大阪紡績会社第一回半季考課状 自創業 至明治一六年一二月(DK100005k-0003)
第10巻 p.53-54 ページ画像

大阪紡績会社第一回半季考課状 自創業 至明治一六年一二月
    願伺届之事
一明治十五年三月九日本社建築委員連署ヲ以テ、大阪府摂州西成郡三軒屋官有地ニ於テ工場建築ノ為メ四千八百二十五坪余、同年以後四拾七ケ年間借用センコトヲ該府庁ニ請願シ、其廿八日請ノ如ク允准セラレタリ
一同年四月廿七日世話掛全員株主総代ノ資格ヲ以テ、本社創立要旨及創立願書ヲ大阪府庁ヘ稟申シ、其五月三日允准セラレタリ
一同年八月廿三日大阪府庁ヘ申牒シテ本社工場ノ地借用允准ノ際具申シタル受書中、該地官用ノ時ハ六ケ月前照知セラルヽコトアレバ、期ニ至リ返納スベキ云々ノ文句ヲ刪除センコトヲ乞フ、其九月二十日工事落成ノ後何分ノ詮議ニ及フヘキ旨ヲ指令セラレタリ
一同年十一月六日工場建築着手ノ願書ヲ大阪府庁ヘ上申シ、其十二月十九日允准セラレタリ
○下略
      ○
    創業由来来之事
○上略 先是十五年十二月株主中資本ヲ増額スルヲ望ム者アリ、実際上肝
 - 第10巻 p.54 -ページ画像 
要ノ考察ナルヲ以テ之ヲ総株主ニ詢議シテ僉ナ之ヲ賛成シ乃チ三万円ヲ増加シ、原株式弐拾五万円ト合セ二拾八万円トナシ並定款ヲ制定セリ、十二年ヨリ十六年七月ニ至ルマテ年ヲ渡ル六年、月ヲ閲スル六十箇月ナリ


(芝崎確次郎) 日記 明治一五年(DK100005k-0004)
第10巻 p.54 ページ画像

(芝崎確次郎) 日記 明治一五年 (芝崎猪根吉氏所蔵)
    七月六日
本日銀行ニおゐて頭取(主君ノコト)○栄一より左之用件被申付
第一番印刷局斎藤良知君へ紡績所工事書類之件ニテ出頭面謁致し帰社
上申○下略