デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
1節 綿業
4款 大日本紡績聯合会
■綱文

第10巻 p.328-338(DK100029k) ページ画像

明治23年5月28日(1890年)

先ニ却下セラレタル棉花関税免除請願ニツキ、既ニ二十二年末孟買視察員一行帰朝シ調査完了セルヲ以テ、是月東京ニ於テ当聯合会総会ヲ開キ、第一議題トシテ該関税免除案提出サレ満場一致之ヲ可決ス。是日栄一総会ニ出席シ、種々請願ノ趣旨ニツキ注意スル所アリ。委員三名ヲ選抜セシメ自ラ協議員トナリ請願書ヲ作成シ、委員岡田令高・駒井英太郎両名ト共ニ外務・大蔵・農商務三大臣ニ呈出ス。


■資料

第三回定期集会議事録 第一―五〇頁(大日本綿糸紡績同業聯合会明治廿三年五月廿六日開会同廿九日閉会)(DK100029k-0001)
第10巻 p.328-333 ページ画像

第三回定期集会議事録 第一―五〇頁
           (大日本綿糸紡績同業聯合会明治廿三年五月廿六日開会同廿九日閉会)
○大日本綿糸紡績同業聯合会第三回定期集会議事録
  明治廿三年五月廿六日午前十時開会
    出席ノ分
         大阪紡績会社
         堂島紡績会社
         桑原紡績所
         大和紡績会社         山辺丈夫
         名古屋紡績会社        渡辺平四郎
         岡山紡績会社         虫明一太郎
         浪花紡績会社         伏田清三郎
         鹿児島紡績所         相良甚之丞
         下村紡績所兼天満紡績会社   高田年太郎
         尾張紡績会社兼愛知紡績所   岡田令高
         金巾製織会社         田村正寛
         東京紡績会社         鹿島卯之吉
         三重紡績会社         斎藤恒三
         平野紡績会社兼宇和紡績会社  金沢仁作
         倉敷紡績所          小松原慶太郎
         渡辺紡績所          渡辺信
         遠州紡績会社         鈴木八郎
         鐘淵紡績会社         駒井英太郎
 - 第10巻 p.329 -ページ画像 
         下野紡績会社         浜野喜太郎
         宮城紡績会社         遠藤作兵衛
         泉州紡績会社         高田勝吉
(廿九日ヨリ出席)玉島紡績所          芳谷平左衛門
    欠席 ○略ス
    席次 ○略ス
右席次定マリ各員着席ノ上、幹事大阪紡績会社山辺丈夫氏ハ議長副議長ヲ撰挙スヘキ旨ヲ告ク、十二番(渡辺)会頭撰挙ノ事ニ付テハ前々ノ手続モアリ、今改メテ投票ヲ為スニ及ハス、前会ノ議長ヲ煩ハシタシ、○十八番(山辺)前会ハ臨時会ナリシカ、十二番ノ前会トハ例会ノコトナルカ、○十二番(渡辺)然リ、○衆皆十二番ニ賛成ス、○十四番(岡田)固辞シテ其投票撰挙ヲ望ム、○一番(駒井)各員挙テ岡田氏ヲ推テ議長タランコトヲ望ムヲ以テ投票ヲ以テスルモ全会一致ハ必セリ、然ラハ手数ヲ労ハスニ及ハサラン、○於是十四番(岡田)承諾ノ旨ヲ述ベ議長席ニ着ク、○十八番(山辺)本会ニ於テ協議スヘキ要項ハ
一綿花輸入税免除再願之件ヲ議スル事
 右ハ印度綿業調査派出員佐野氏此程帰朝相成、同氏報告書ニ依リ印度綿業之情態ヲ詳悉シ、彼我綿業上ノ長短得失ヲ比較シ、到底綿花輸入税免除再願ノ已ムヲ得サルヲ認メタルニ付、本会ノ議決ニ付スルモノナリ
一佐野氏ヲ議席ニ招待シ印度綿業ノ事情取調ニ係ル、同氏ノ談話ヲ聴問シ報告書ニ関スル疑義ヲ 質問スル事
一本会経費決算及信認金計算臨時費醵集等ニ付報告之事
一本会規約修正ノ事
而シテ此免除ノ事ニ付テハ渋沢栄一氏ニ於テモ考按アリ、且諸君ノ意見モ聞キタシトノ事ナリシカ本日ハ差支ヲ以テ来席セラレス、明午前ニ参会ノ筈ナレハ此一項ハ明日トナシ、又同日佐野氏モ臨席セラルヘキヲ以テ第二項モ明日ニ延ハシ、先ツ昨年度経費決算報告及信認金精算報告並印度派出員費用精算書ヲ報告シテ後、規約修正案ヲ討議セント欲スルナリ ○下略
五月二十七日午前十時開会
    出席員十八名、傍聴人農商務属長岡往来、大阪府農商課長板原直吉、大阪商法会議所理事吉田祥三郎ノ三氏
各員着席ノ上、議長(岡田)ハ本日渋沢君・佐野君モ出席ノ上説明及ビ談話アルベキ筈ナレドモ未ダ出席ナキニ付、是ヨリ規約ノ修正ニ取掛ルベキ旨ヲ告ゲ、且曰ク明日ヨリ午前八時揃午後五時閉会ノ事ニ改メタシ、各員ノ意見ヲ問フ
○中略
同午後零時五十分開会、○議長(岡田)ハ只今佐野書記官臨席ニ成リシ旨ヲ告ゲ、且ツ午前ノ救済策○明治二十二年秋来不況ノ救済策ナリハ一先ツ中止スル旨ヲ述ブ、○玆ニ於テ佐野書記官ハ各位ニ一礼ノ後述テ曰ク
私ハ元来学識経験モナキ人物ニテ固ヨリ経験ニ富ム諸君ニ御話シ申上ル材料トテ御座リマセンガ、昨年各員ノ御申出デニ依リマシテ外務大
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臣ヨリ印度ヘ綿業情況視察ノ為メ過テ私カ出張ヲ命セラレマシタ、就テハ取調結果ノ大要ヲ一応申上度イト存ジ升、乍去右取調マシタ事柄ハ此程書面ヲ以テ外務大臣ノ手元迄差出シテ置キ升シタ処、各員ニ御報告申上ル価値ナキニモ拘ハラス、斯ク立派ニ印刷セラレマシタ右報告書ニ依リマシテ、其大要ハ定メテ各員ニ於テ御了知ノ事ト存シ升
昨年私カ命ヲ受ケ七月九日セーロン、マドラス、ボンベイ、カルカツタヲ経歴シテ十二月末ニ帰朝致シマシタ、出立ノ節取調要件ノ廉々ヲ御示シ下サレ夫ニ頼テ調査致セシモノナレド、如何セン学識経験ノナキモノナレバ眼前表ルヽ所即チ皮相ノ事情ノミニテ、進ンデ実情ヲ探ル能ハズ、況ンヤ皮相ノ見ノミニテ各員ノ満足ヲ買フ能ハザルハ私ノ甚ダ慚愧ニ堪ヘザル所デアリマス、其調査ノ結果ハ前ニ申上ル通リノ事ニテ、是ヨリ更ニ申上ル事ハ各員ノ御起案ニナリマシタ輸入綿花免税請願ノ事ニ付キマシテ少シク申上マス、報告書中ノ第一・第二ノ比較ハ我邦今日ノ有様ハ彼ニ劣ラズシテ吾ノ優レルハ已ニ御承知ノ通リデアリマス、只第三・第四ノ大ニ彼ニ及バン事実ハ如何ナル原因カヲ推究致シマスニ、彼ハ吾ヨリ紡績事業ニ鋭敏ナル故カト云フニ決シテ左様デハアリマセン、去リナカラ吾一歩進メバ彼モ亦躊躇セズシテ進ムニ相違アリマセン、吾一歩進メバ彼モ進ム、第一・第二ハ吾ハ彼ヨリ優ルモ、第三ノ点ハ吾ハ彼ニ劣ル、而シテ其原因ハ私ノ考ヘデハ第一仕事上彼ハ吾ニ及ブ事覚束ナカラン、第二ノ賃銀ノ差ハ吾ノ大ニ利益アル点ナレド之モ深ク頼ムベカラズ、何ントナラバ一体印度ノ人々ハ御承知ノ通リ千八百八十一年ノ調査ニテ二億五千六百万人ニテ、其増加ノ割合ハ年々百ニ対シ一ノ割合ニテ即チ二百五十万人殖ル、其殖ル事ハ我国ヨリ殆ド倍ニテ其人民ハ何ニ従事スルカト云フニ九分ハ農業ニ従事シマス、然シ印度ノ土地ハ一般ニ開ケテ居ル事ハ実ニ驚クベキ有様ニテ、此上尚開墾スル所ハ我国ニ比シテ誠ニ僅少デアリマス、且又其土地ハ、数千年間土地ノ力ヲ使尽シテ居リマスレハ、此上産出力ハ増サナイト考ヘ升、且又農業ニ今日迄肥料ヲ用ヒマセン、旁々土地ノ力ハ使尽ス故政治家経済家ハ年々此多数増殖スル所ノ人民ノ使用法ニ関シテ、実ニ苦心シテ上下一般ノ深ク思慮ヲ要スル所ニテ現ニ過ル年間ノ大饑饉ノ節、調査委員ヲ設ケマシテ其報告ニ依リマスレバ、此上農業上ニ人ノ要ハ見出シ難シ、故ニ他ニ使用法ヲ見出スガ第一ノ必要ナリトノ事デアリマス、此年々二百五十万ニ超ユル人民カ恒産ヲ求ムルハ、農業ノ外ハ今日工業ニ使用スルヨリ外ニ有リマセン、既ニシテ此多数ノ人民ガ工業ニ従事スル時ニハ工費ノ減ズルハ誠ニ至当ノ事ニテ、殊ニ印度人ノ生活ノ有様ハ我邦ノ工男工女ニ比シ一層下等ニテ、且ツ彼ハ熱帯ニ近キ国ナレバ日本ノ如ク四時衣服ヲ要セズシテ彼ハ三百六十日僅ニ一枚ノ衣服ニテ足リマス、食物モ我同胞ハ米飯魚肉又ハ香ノ物等種々ノ食料及器皿ヲ要スレド、彼ハ僅カニ一枚ノ皿ニテ犬猫ノ飲食スル如クニテ従テ我ヨリ費用ヲ要サヌ、之ニ反シテ我邦ハ米飯獣肉魚肉、夫レノミナラズ酒ヲ飲ムモ彼ハ我邦ノ如クナラズ、斯ク有様ナレバ夜食ノミニテモ余程ノ経費ヲ減ズルヲ得ルノ状況ナレバ即此第二ノ比較モ、彼ノ賃銀ハ遂ニ我ニ反対ノ位置ニ立ツカト推察致シ升
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夫ニ又一ツ攻究スベキハ此ノ資本ノ問題ニテ、此報告ノ附録ノ末ニ記シアリマスル通リ、印度ノ外国貿易ハ非常ノ利益テテ《(衍)》年々印度ニ入ル金ハ壱憶二三千万ニテ此夥多シキ金ハ今日経済社会ニ運転セズシテ、多分ハ徒ラニ国人ノ身ノ粧飾ニ使用シ経済上ノ死物ニナツテ居リ升、夫ニ会社ノ利益モ我国ハ一割以上ナレドモ彼ハ一割以下ノ利益ヲ以テ満足スルモノナレバ、若シ今日此死物ノ金ガ生キタナラ将来我国ノ当業者ハ如何ナル国難ノ地位ニ陥ルヤ、是レ今日攻究スベキノ一事ナリ而シテ彼ノ輸入税免除ノ事ニ至ツテハ一時ノ政治上ノ助ケヲ仮ラズシテ、永世完全ノ発達ヲ期セラレンコトヲ、既ニ印度ノ紡績会社ノ如キハ英国紡績ノ為メニ見事ニ打破ラレ為メニ非常ノ損害ヲ蒙リシト雖トモ、爾来自然ノ発達ヲ以テ今日健全ノ地位ニ復セシコトナレバ我紡績事業家ニ於テモ免税其事ノ有ル無シニ係ハラズ、進ンデ彼印度ト駢行セラレン事ヲ希望致シ升
○右演説終リシ時議長ハ佐野書記官ニ謝シテ曰ク、昨年ハ遠路モ厭ハセラレズ殊ニ彼ノ気候ノ悪シキ印度迄航セラレテ、今般完全ナル御報告ヲ給リ洵ニ感謝ノ至リニ不堪、且ツ本日ハ幸ヒニ御臨席ノ上貴重ナル御談話下サレ、別シテ難有此段会員ニ代リ謹ンデ之ヲ謝ス旨ヲ述ベラレ、畢テ各員ヨリ種々ノ質問ニ対シ一々詳細ニ説明セラレ、午後三時退席セラレタリ、玆ニ於テ午前ノ会ヲ継ク ○下略
明治二十三年五月二十八日午前八時三十分開会
    出席員 十六名
○中略
○議長(岡田)最早、救済策ニ付テハ意見ハナキカ、○十一番(小松原)輸入税免除請願ノ事モ救治策ノ一部ト見做シ然ラン、○議長(岡田)勿論ナリ、○七番(田村)本員ハ一昨日聯合会ノ力ヲ鞏固ナラシムル事ニ付述ベ置キタルガ、規約ヲ議スルニハ、精神丈ケヲ議シ置タシ、○十五番(遠藤)七番ニ賛成、○十一番(小松原)七番ニ賛成、○議長(岡田)七番ニ賛成ノ方ハ起立アレ、○総起立ニテ七番説ニ決ス、○議長(岡田)是ヨリ規約修正案ヲ議スヘケレハ実施スルコトヲ得ルモノト見做シ逐条議ヲ開カン、○十八番(山辺)逐条議ノ前述置クコトアリ、此修正ハ幹事カ心付ノ箇条々《(々)》ヲ朱書シ、示シタルモノナレバ其意ニテ発言ヲ希望ス、○議長(岡田)是ヲ原案トシテ議スヘシト、書記ヲシテ朗読セシム
○大日本綿糸紡績同業聯合会
    第三回定期会原按
洋式紡績同業者ハ同業ノ公益ヲ図ルカ為メ、一致団結シ協議ノ上聯合規則ヲ設クルコト左ノ如シ
 第一条 洋式綿糸紡績同業者ハ互ニ懇親ヲ結ビ相協戳シテ該業ノ隆盛ヲ図ルベシ
 ○中略
 第十七条 当聯令合ハ同盟中ヨリ幹事及其候補者各一名ヲ公選スヘシ
 ○中略
○議長(岡田)暫時相談会ヲ開クヲ報シ直ニ相談会ヲ開キ、幹事ヲ組
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合外ヨリ推撰スルカ、又ハ同盟中ヨリ撰ムカニ付テ協議セント欲スルノ折柄、渋沢栄一氏来会セラレタルヲ以テ議長ハ中止ヲ告ゲ各員ニ報シテ云フ、一昨年大阪ニ於テ決議ニナリシ綿花輸入税免除請願ノ件ニ付、委員難波君上京、渋沢君ニ打合、同君ニ於テ外務大蔵農商務各大臣等ヘ親シク事情ヲ陳除セラレ、爾来此件ニ就テハ同君ノ配慮セラルル処トナリ、尚今回建議ヲ為スニ付、是迄同君ノ尽力セラレタル事歴ヲ談話セラルヘキナレハ、各員其意ヲ得ラレンコトヲ
於是渋沢氏起テ左ノ旨趣ヲ演フ
自分ハ聯合会事務上ノ相談役トナリ居ルヲ以テ是迄ノ行カヽリヲ報告スヘシ、併シ其成否ハ予メ知ルヲ得サレハ参考ニ供スル為メ、陳述スヘク出席シタルナリ
全体此紡績業ノ事ハ三四年前迄ハ双方ノ供給者カ衝突シ、昨今ノ如キ有様ガアラントハ懸念モナサヽリシカ、昨年ノ聯合会ニ於テ輸入税免除ノコトガ成立チ、同年十月請願委員難波氏上京セラレ、小生ニ相談セラレタルヲ以テ賛成ヲ表シ、小生ハ同氏ノ介添人トシテ共ニ松方大蔵大臣ノ邸ヘ伺候シ、面謁ヲ得、綿ニ輸入税ヲ課セラルヽハ反対ノ保護ヲ与ヘラルヽモノニテ、原料ニ向ヒ取立ツルハ日本ノ工業ノ発達ヲ妨ケ、経済上不得策ナル事等、困難ノ事情ヲ縷述セシ処、大臣ニモ道理上尤モノ事ニテ自分ニ於テハ聞届ケヤリタキナレトモ、今条約改正中ナレハコチラデ減スレハアチラデモ減セヨトノ不都合モアリ、外交上ニモ関スレハ先ツ大隈伯ニ就キ陳述スヘシトノコトニテ、夫ヨリ外務大臣ノ官邸ニ至リシカ折悪ク大臣ニハ不在ニテ青木次官ニ面陳スルヲ得タリ、幸ヒ井上農商務大臣ニモ別席ニ居ラレタレハ面謁ヲ乞ヒ、同席シテ本邦紡績業ノ進歩スルニ連レ競争ヲ生シ基緒ニ付クノ今日、目下ノ困難ヲ救済セサレハ前途モ実ニ案シラルヽ等、請願ノ旨趣ヲ縷述セシニ大臣ノ云ハルヽニハ、此事タル多年計面スル所アリテ未タ断行スルヲ得サレトモ政府ニ於テモ充分見ル所モアレハ、此事モ先ツ一両年待ツ方反テ得策ナルヘク、且ツ今日強テ之ヲ減セサレハ紡績事業者カ忽チ困難スルニモアラサルヘシト、依テソハゴ尤ナレトモ願クハ之ヲ今日ニ望ム旨ヲ述ヘシニ、大臣ノ云ハルヽニハ斯ク同業者カ請願スルカラニハ支那印度等ノ棉作、若クハ彼ノ孟買地方製糸場ノ実況等ハ取調タル上ナルカトノコト故、詳細ナル取調ハ為サヾル旨ヲ述ヘシニ、大臣ニハ差詰、我敵タル孟買ノ実況ノ審査ヲ遂クルコソ必要ナラント云ハレタリ、依テ其必要ハ固ヨリ感セサルニアラサレトモ我々同業者中ニ其人ヲ得スト答ヘシニ、大臣ニハ其審査ヲ遂クルニ付テノ人物ナラハ随分貸与スヘケレトモ費用ハ支弁スルヤトノ問ニ、費用ノ点ハ敢テ辞セザル旨ヲ答ヘタリ、大臣ハ尚大隈伯ニモ相談ヲ為スヘシトノコトナリシ、而シテ当時ノ請願書ハ一先ツ却下セラレタレトモ、此事タル一朝一夕ニ成ルヘキニアラサレハ難波氏ハ帰阪セラレ、其後小生ハ大隈大臣ニ面謁ヲ請ヒ、縷々困難ノ情ヲ述ヘタルニ大臣ハ三軒家ノ如キ昨年ハ随分利益モアリタレハ、左マテ八ケ間敷云フニモ及ハサルヘシト、依テ営業ハ行立タント云フ請願ニアラス、将来ヲ察シテノコトナレハ、先ツ調査ニ適当ノ人ヲ借用シテ海外ヘ派出セシメ、彼我ノ長短ヲ比較セバ、将来ノ運命ヲ定メ得ラルヘキ考ナリト答ヘシニ、
 - 第10巻 p.333 -ページ画像 
大臣ノ云ハルヽニハ止ムヲ得ネハ戻シ税ヲ為スノ考ヘモアレドモ、先ツ人ハ貸スヘケレバ、一人ニテハ不都合ナレハ商売上ニ委シキモノ一名ヲ撰ミ共ニ派出サスヘシトノコトニテ、昨年ノ春ニ佐野君派出サルルコトニナリ、同年ノ七月出発シ十二月帰朝セラレ、其取調ハ印刷シテ報告シ別ニ外務大臣ニモ簡短ノ意見ヲ復申セリ、此上ハ外務・大蔵農商務ニ願タナラハ成否ハ兎モ角深ク取調ハセラルヽナラント考ヘレバ、御同意ハ勿論ナレトモ願書ノ文意ニ付、弱キトコロトカ其他ドコガ悪イトカ腹蔵ナク述ヘラレタシ、唯々困難々々ヲ名トシ救助ヲ仰クト云デナク、道理ヲ以テ願フナレバ其レ等モ能ク了解アリタシ、就テハ一名ナリ二名ナリ請願委員ヲ撰マレタシ、尤モ滞京ハ願書捧呈セラレシ其上ハ帰社シテ、然ル後何カ下問其他ノ事ニ付必要ノ場合ニハ上京ヲ労ハスベケレハ左様了意セラレヨ
於是各員皆其意ヲ了シ同君カ配意ヲ謝ス、議長岡田氏ハ委員撰定ノコトヲ問フ、衆、岡田・駒井・山辺ノ三氏ヲ推テ請願委員タランコトヲ望ム、三氏承諾ス、時恰モ五時一同散会ス


中外商業新報 第二四五四号 〔明治二三年五月二九日〕 大日本綿糸紡績同業聯合会定期会(DK100029k-0002)
第10巻 p.333 ページ画像

中外商業新報 第二四五四号 〔明治二三年五月二九日〕
    大日本綿糸紡績同業聯合会定期会
目下阪本町銀行集会所に於て開会中なる同会は、一昨日に引続き昨二十八日午前九時より開きしが、今右両日会議の模様を記さんに、近時製糸販路渋滞の傾きを生せしより同業申合せのうへ、其の製産額を減少し以て需用供給の権衡を謀らんとするか為め、臨時約束書を起草し之れを原案として提出したる其の一条に就て、最初議事に取掛り衆員討議を為せし処、遂に各工場の錘数に応じ(二千錘以下は毎月三昼夜三千錘以下は同上五昼夜、四千錘以下は同上六昼夜、五千錘以下は同上七昼夜、五千錘以上は同八昼夜)て夫々定期休業を為すことに決定し次で一二の修正を加へたる上同約束書全体を議了したり、扨又昨日は(十一番)小松原慶太郎氏の建議に係る職工賃銀の夜業割増を減額若しくは全廃せんとの議題に移り彼是論議を為したる末、中途談話会を開て懇談すべきことに決し十分協議したる処ありしが、右は一に夜業の割増減少のみに止めず、尚ほ職工の賃銀を二割減と為すの議続々起り、遂に延びて各紡績会社頭取及取締役等の給料並に手当も、同様二割減とすべしとの議にまで推し及ぼしたりしも(十八番)山辺丈夫氏は已に毎月定期休業を実施する上からは、職工の身に取りては減給も同様の感情を抱くなるべし、然るに尚其の賃銀を減少せんとするは彼の同盟罷工の不幸を見るの憂あらんや未だ計りがたし、左れば概ね賃銀の二割を減少すべしとの精神は此の儘に存し置き、他日時を得るに従て徐々実行する方、蓋し穏当得策ならんと云ふの説多数を占めて之れに可決したり (以下次号)


中外商業新報 第二四五五号 〔明治二三年五月三〇日〕 大日本綿糸紡績同業聯合会定期会(DK100029k-0003)
第10巻 p.333-335 ページ画像

中外商業新報 第二四五五号 〔明治二三年五月三〇日〕
    大日本綿糸紡績同業聯合会定期会
(前号の続)斯て同会規約修正の本議に取掛りしが、其の第一条より第十一条に至るまでは別に修正を要する箇条なかりしを以て原案に可
 - 第10巻 p.334 -ページ画像 
決し、於是暫時休憩の後再び本議に移りて逐条議を始め.第十二・十三の両条は彼是討議の末、遂に多数説にて削除することに決し、第十四条は原案の儘に決定せり、而して第十五条には(七番)田村正寛氏の発議に依り「緊要の事件と認むる時は臨時報道を成すべし」と云ふ但書を加ふべし、との議に衆員の賛成ありしを以て本条に但書を挿入することに決し、第十六条は異議なく原案に可決すると同時に、渋沢栄一氏が大阪紡績会社相談役たる資格を以つて臨席し、兼て同氏が一昨年中棉花輸入税免除出願の件に就き奔走尽力されたる事の顛末を演述されたり、尚ほ之れに引続き今回再願の手続き及願書草案等に就き議事を開きしが別に異議なく、其の草案の儘を採用して提出することに議決し、該請願委員には山辺丈夫(大阪紡績会社)岡田令高(尾張紡績会社)駒井英太郎(鐘ケ淵紡績会社)の三氏を推し、尚ほ同相談役は渋沢栄一氏に依頼するとのことに満場一致し、夫々依頼したりし処、何れも承諾ありしを以て同日の議事を了はり各々退散したり、時恰も午後四時過なりし
又た昨二十九日は尚ほ引続き午前八時三十分を以て開会し、同規約第十七条(当聯合会は、同盟中より幹事及び其候補者各一名を公選すべし)の本議に掛りしが、(七番)田村正寛氏は成るべく局外者よりも一名を雇入れ庶務の事に当らしめ、尚ほ月報の編輯をも担任せしむることゝし、就ては相当の場所を撰定して本会の事務所をも設くることに致したし、若し此の議に決することとならば勿論経費も従て増加するに至るべきは勢ひ免かるべからざることならん、此の辺は委員を設けて篤と調査を遂げたる上実行したきものなりと述べ、之れに次で(十一番)小松原慶太郎氏は七番の説を賛成し、尚ほ委員は十七条に就てのみの調査に止まらず、同条以下第三十八条に至る迄の調査をも為さしめたしと云ふの説に可決し、会長は(六番)金沢仁作(七番)田村正寛(十一番)小松原慶太郎(十五番)遠藤作兵衛(十八番)山辺丈夫の五氏を指名して、右の調査委員に推撰し各々承諾せり、時殆んど正午なりしを以て会長は暫時休憩を告けたり
午後一時三十分午前に引続き開会したるが調査委員の報告ありて修正議案に就き稟議したるが、(二番)鈴木八郎氏は動議を起し修正案を廃案となし、本会は旧議案を以て議定せんと云ひ、(十一番)小松原慶太郎氏は修正案の起りし所以は元々幹事撰定の事より同盟以外に対する方針等の事も与り、余程重大の事項に付必用より起りたる事なれば今更全廃せんとの議論は同意し難きも、幹事撰定の件は旧議案に依り他は修正案に依て議せんと云ふ折中説を持出して二番の同意を乞へり、其れより彼是論弁の末、遂に折中説に決したり、又十一番の発議にて議案第十七条に幹事及び其候補者一名を公選すべしとあるを、委員三名を公選し委員の互選を以て委員長一名を撰定すべしとの説に可決したるに依り、直ちに次項に在る「幹事」を就れも「委員」と改めたり、次に第十八・十九の二条は原案に決し、第二十・二十一の二条は満場一致を以て削除し、第二十三条より三十条に至る八ケ条は逐条稟議の上、原案に確定したり、第三十一・第三十二条は原案に決し、第三十三条は信認金云々の項に於て、百錘以下云々とあるを削除した
 - 第10巻 p.335 -ページ画像 
り、第三十四条より第四十四条に至る逐条議は異論なく原案に可決し第三十六条の規約実施期限云々とあるを(七番)田村正寛氏の発議にて廿三年六月十五日よりと確定したり、又附則第一第二の両項は原案に決し、第三項中に於て「責罰」云々とあるを「処分」云々と改め、第四・第五の両項は原案に可定し、第六項は削除したれば岡議長 《(岡田カ)》は規約修正に係る意見の有無を正したるが別に異議なかりしに由り会議を結了せり、右了りて更に(十一番)小松原氏より議事細則に修正を要する建議ありしも成規の賛成なくして消滅したれは、第十七条の明文に依る三名の委員を投票したるに、高点にて大阪紡績会社・名古屋紡績会社・天満紡績会社の三社何れも当撰したり


中外商業新報 第二四九七号 〔明治二三年七月一八日〕 渋沢栄一氏(DK100029k-0004)
第10巻 p.335 ページ画像

中外商業新報 第二四九七号 〔明治二三年七月一八日〕
    渋沢栄一氏
渋沢栄一氏は昨十七日農商務省へ出頭し、斎藤商工局長と暫らく談話ありしが、右は綿糸輸出税免除請願に付ての件なるべしと云ふ


聯合紡績月報 第一四号・第一頁 〔明治二三年六月〕 【○輸入棉税免除再願の…】(DK100029k-0005)
第10巻 p.335-336 ページ画像

聯合紡績月報 第一四号・第一頁 〔明治二三年六月〕
○輸入棉税免除再願の事ハ去月東京に於て開きたる定期集会に於て議決したる処なるが、同請願委員にハ大阪・尾張・錬淵三紡績会社当選し、同協議員にハ渋沢栄一氏を嘱み、夫々準備の整ひたるを以て同請願書ハ本月十四日尾張紡績会社商務支配人岡田令高、鐘淵紡績会社商務支配人駒井英太郎氏の両氏同道にて農商務省に出頭し、之を捧呈したるに直ちに受理せられ、迫而何分の沙汰あるべき旨申渡されたりと、亦た職工条例制定に就ての願書も同時に差出したる由、右二様のの願書は左の如し
    輸入棉税蠲免請願書
 本邦棉糸紡績の業は明治廿年の前後に於て、増錘又は新設等頻に増加致し現今其数卅五、紡績通計卅三万三千〇四拾本の多きに至り、其原料に要する棉は一ケ月八百廿四万三千七百四拾貫と為し、其大約八分即六百五十九万四千九百九十弐貫前後の額は支那又は印度の産棉を購求して之に充つへきに付ては、印度の儀は其製糸所謂孟買棉なるもの、近年輸入漸次増加し業既に我製糸と競争の勢を持し候に付、其紡績業の実際を探悉し併せて棉花買入の便宜をも取調可申為め、昨年六月外務大臣へ稟請し特別の御詮議を以て官吏一名彼地へ派遺之儀《(遣)》を允准せられ候に付、本会よりも派員同行し其取調を為し候顛末は別冊報告書之通にて、尚此報告に依り彼我紡績業の得失を比較致候処、別紙(略寸但操業時間・工費・製糸原価及估価に関する比較)之通に有之、其得失自から趣を殊に致候得共、要之、彼の販路を本邦に拡張致候実跡は其諸種の統計上に歴然致し、此上彼一進して工程を振起し、工費を節略し、糸価を低減して益競争致候時は、我紡績業は何程刻苦致候得共、其原料に於て彼に一等を輸し候而已ならず、其原料輸入之途に横たはり候棉花輸入税なるもの有之、其率繰棉百斤に付三拾九銭八厘(従量税)、実棉は従価税に付、仮に従量税に換算し、百斤に付凡三拾五銭に当り候に付、遠く原料
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を彼地より購求致候上、一度我税関を経過すれは忽ち其価格を増し其製糸の原価は到底彼の如き低価なるを得す、然るに強ひて競争をなし候ては竟に得失相償はさるに帰し可申、思ふに玆に至り候時は痛歎流涕に不堪候、抑国家興利の計は天産物を改造して人造品となし、尚進んで粗貨を精貨に化し、以て其価位を長進するを要すへきは、今更陳述仕候迄も無之、経済の大理に候得共、前現の如く棉花輸入税をして我紡績業の発達を抑へ、其競争に耐へさらしむるに至り候ては、恐らくは当初此税を制定せられ候政意に背き候のみならす、此税乃ち我紡績業乃織布業《(及)》に対する一大害物にして、彼製糸布等の輸入を増加せしむへき媒介物と可申も過言に無之存候、誠に昨廿二年に於ける棉糸・棉花・織物等輸入の金額を通計するに、実に二千二百六十九万八千百八十六円の巨額を成し、此内五百六十五万八千八百三十八円は繰棉生棉の価金に係り、六百二十三万四千六百弐十七円は孟買糸の価金に係り、乃ち孟買棉の金額は百分の卅六・四を占め候に付、此巨額に代ゆるに我製糸を以てする時は此孟買糸の金額を減し、而して棉花の項に於て其原料に要する分、即孟買糸の四分三、四百六十七万五千九百七十円余を増し差引百五十五万八千六百五十七円余、我金貨の輸出減すへきに付、国家の大経済に於て利益の著大なる照然掩ふへからす、之我紡績業にして此便宜を得候上は延ひて他の棉布の輸入額をも漸次減少すへき様勉励致候儀は是亦当業者の責任たること論を俟たさる事と奉存候間、仰願くは此事情を御洞察被下、棉花輸入税一切御蠲免相成候様非常の御処置被下度、此段奉懇願候也



〔参考〕大日本紡績聯合会月報 第一二四号・第一〇―一四頁 〔明治三六年一月〕 ◎大日本紡績聯合会沿革史(三)(DK100029k-0006)
第10巻 p.336-338 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第一二四号・第一〇―一四頁 〔明治三六年一月〕
    ◎大日本紡績聯合会沿革史(三)
前年秋期以来金融は逼迫を告け、米価は日を逐ふて騰貴したれは百業沈滞して商況振はす、即ち需用家の購買力は大に減衰したるに拘はらす、紡績糸の供給は上記の如き事情にて層一層需用に超過し来り、各社斉しくその製額の半数以上を停滞せしめたるを以て、相競ふて売抜かんとし相場は日々に下落も《(し)》、独り棉糸者の之を手扣へたるのみならす、機業地も亦その製織を中止して成行を観望したれは、糸価は愈々下落して未曾有の低価を示すに至れり、紡績業者にして社債を起したるは此時に始まる、如此紡績事業は痛く惨害を被りたれは之か救済策を講するは実に焦眉の急なりしなり、去れは此処に於て製額減少論を唱ふるものあり、金融疏通説を述ふるものあり、又原料を廉買し工費を節約し一挙外糸を圧倒せんとの議を為すものなりしか、先つ個々の利害を後にし大局の維持を計るか為め結局救済方案起草委員を撰み、原案の成るに及ひ如左決議したり
    臨時約束書
 近来製糸渋滞に付聯合同業者決議の上、製額減少を計り左の通履行すへき事
 第一 廿三年六月十五日より向三ケ月間(九月十四日迄)一ケ月に
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付、定期休業日を八昼夜となすへき事
  但五千錘以下の工場ハ左の割合を以て定期休業日数とす
   二千錘以下  四昼夜   三千錘以下  五昼夜
   四千錘以下  六昼夜   五千錘以下  七昼夜
 第二 休日は各所の都合に依り六月十日迄に其時日を定め幹事に届出つへき事
 第三 前条休業時日を其所轄府県庁農商課へ届出置き、毎月該庁の証明を受け委員長に届出つへき事
 但聯合会委員長より本文の旨趣を所轄庁へ願置くへき事
 第四 夜業を廃し又ハ臨時休業を以て前条休暇日に交換するを得へし
 第五 同業中若し違約者あるときは信認金三分の一を没収すへし、其不足を補充するは規約第三十三条に依る
 第六 前条期限内と雖とも販路開通するときは大阪・愛知・岡山・東京地方の同盟者各一人宛の請求に依り解約すへし
而して各府県知事の監督は大阪府知事を通して之を申請し、みなその允許を得たりと云ふ、然れとも此定約は約後一ケ月を出てさる七月初旬に至り、平野・玉島・岡山等の諸会社より相踵てその販路開通を申告したるに由り、解除せらるゝの幸に接したるは斯業界の為め寔に祝すへきなりしなり
当時紡績会社の窮状を紹介する為め猶ほ一事の存録すへきものあり、开は他にあらす、山辺丈夫氏に依りて披露せられたる堂島紡績所の建議是なり曰く
 本年は到る処営業困難を唱へ諸工業会社にて職工の賃銭を減し、現に本棉を織るものゝ如き是迄三十銭の者、昨今上等十四五銭に減給したれとも尚甘して働き居れり、他の職工は既に如此の有様なるにも拘はらす、唯た紡績所に於ては従来の慣例を守り雇者被雇者の間一方に於ては憂ひ、一方には喜ふの姿なれは、此際全国同業者に於て断然の処置に出て十銭以下の者を除き、夜業に拘はらす総体にて日給月給とも均一に二割の減額を為さん
と此建議に対し聯合会員は如何の処置を取りしか、即ち決議して曰く
 廿三年六月十五日より当分の内、各所職工給料は一割以上を減するものとす、但本文の減額内を以て夜業増の手当を減するは各所の都合によるへしと
他業は既に職工の賃銭を減して其生活費すら支ふ能はさるまてに惨酷の処置を敢てせしに拘はらす、紡績業者は当時尚ほ旧に依りて支給せるのみならす夜業の如きは四割増(三十四年一月之を廃す)となし、優給を与へて吝ます、偶々その減削を議定するも尚一割を下らす、之に休日を加へて僅に二割六分の減給を行ひしに過きさるなり、固よりその事業の大なる、爾他小規模の工場と異にして、自然に綽々たる余地ありしは終《(掩カ)》ふへからすといへとも、職工の情状を原諒して之に対し終に忍克なる能はさりしなり、世人之を評して同盟罷工を恐るゝに出つと為すものは非なり、当時の協議会は之か反証を示して十分なり、曰く給与金減額は独り職工に強ゆへからす、支配人以下紡績会社に関
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係ある者を通して総て二割を減し、殊に重役の如きは之を無給にせんと、紡績会社役員の情に厚き以て察すへきなり
紡績業者這般の原意は亦能く其同業者間に公平の観を以て経費賦課法の標準を定めたり、従来の賦課法は漠然として拠る所なく、之か為め小会社に負担重くして大会社に軽く、正に大会社は小会社の保護を受得るものゝ如くなりしか、是に於て左の標準を定めたり
  千錘以上二千五百錘―千七百五十錘―一錘一銭
  二千五百錘以上五千錘―三千七百五十錘―一銭八厘
  五千錘以上七千五百錘―六千弐百五十錘―一錘六厘八毛
  七千五百錘以上一万錘―八千七百五十錘―一錘五厘八毛
  一万錘以上一万五千錘―一万弐千五百錘―一錘四厘九毛三
  一万五千錘以上―準之
只惜むらくは今一歩を進めて最も公平に、最も簡明なる錘数割と為さざりしに在りといへとも、差々公平に幾く且小工場は為之多少其負担を軽ふするに至りたるは掩ふへからさるなり
夫の第一次の請願に於て却下せられたる棉花輸入税免除は、玆に再願の機為を得たり、蓋し政府当局者は夙に支那の棉作及印度棉業の状態を詳査し、彼我棉業上の長短得失を比較商量し、その已むを得さるを認議《(識)》したる後に於て請願すへしとの旨を諭したるに対し、佐野氏は既に帰朝して其報告を頒ち、我が同業者は孟買紡績業の事情を知悉したると共に、愈々免税の緊切事たるを了したれは必らす其貫徹を謀らんと欲し、此処に於て第一議題として提出し、満場一致之を可決するに当り渋沢栄一氏の来場して注意する所ありたるを以て、請願の趣旨に於て酙酌し、堂々理を説きて当路に迫ることとし、且同氏の勧告に従ひ委員を三名とし、岡田令高(尾張)・駒井英太郎(鐘淵)・及山辺丈夫(大阪)の三氏之に当ることとなり、渋沢氏を協議員とし、岡田・駒井の二氏之を携へ其筋に呈出したり、其請願書は左の如し
    輸入棉税蠲免請願書 ○前掲ニ付略ス
而して該請願書は職工条例条項の可否下詢の願書と共に呈出せられ、快く受理《(せ脱)》られたるも未だ其功を収むる能はさりしなり、尋て農商務省は三等技師平賀義美氏を派し親しく各地紡績業者に就き実際の状況を査察せしめたり、氏は免税の本邦棉作に影響を及ほすのみならす之か為め外国棉糸の輸入を防遏する能はさること等を述へ、紡績業者の困難と自称するも綽然猶ほ余地あるを指証し、一々之を説服するに力め二十万円の輸入棉花税を維持せんとしたり、於是同業者は政府意嚮の在る所を察し之に対し空しく過すへからさるを認め、一層精細の調査を為し其趣旨を確実にし、更らに農商務省に追願せんことを協議し各社の考案を求めたり
曩に規約を修正し聯合会の組織を革めたりしが、是に至りて聯合会役員事務取扱手続十二条を定め、始めて事務執行の指鍼をなしたり○下略