公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
第10巻 p.448-461(DK100042k) ページ画像
明治29年6月25日(1896年)
第九帝国議会ハ棉花輸入税免除法律案ヲ可決シ、是年三月二十九日政府ハ法律第五十七号ヲ以テ之ヲ公布ス。因リテ是日聯合会委員長佐伯勢一郎ハ栄一ニ謝状ヲ贈リタリ。
官報 第三八二二号 〔明治二九年三月三〇日〕 ○法律(DK100042k-0001)
第10巻 p.448 ページ画像
官報 第三八二二号 〔明治二九年三月三〇日〕
○法律
朕帝国議会ノ協賛ヲ経タル輸入綿花海関税免除法律ヲ裁可シ玆ニ之ヲ公布セシム
御名 御璽
明治二十九年三月二十九日
内閣総理大臣臨時代理
枢密院議長 伯爵 黒田清隆
大蔵大臣 子爵 渡辺国武
法律第五十七号
外国ヨリ輸入スル棉花ハ明治二十九年四月一日ヨリ海関税ヲ免除ス
青淵先生六十年史 (再版) 第一巻・第一〇一三―一〇一四頁 〔明治三三年六月〕(DK100042k-0002)
第10巻 p.448-449 ページ画像
青淵先生六十年史(再版) 第一巻・第一〇一三―一〇一四頁 〔明治三三年六月〕
○第十九章 綿糸紡績及織布業
第一節 緒言
○上略
謝状
謹啓、抑々輸入棉花関税免除之儀ハ国家経済上ノ利益ニシテ、紡績工業ヲ発達セシメ、之レカ基礎ヲ強固ニスルニ於テ必要ノ策タルヲ認メ先年来政府及帝国議会ヘ請願候ニ就テハ、始終容易ナラサル御賛助ヲ蒙リ、種々御誘掖被成下候結果、本年ニ至リ其目的ヲ達シ候ハ、同業者ニ於テ深ク感喜スル所ニ御座候、依テ今回臨時聯合会ヲ開キ、満会誠心一致ノ決議ヲ以テ厚ク感謝之意ヲ表明シ、謹而別紙目録之通拝呈ス、庶幾クハ我同業者微意ノ存スル所宜敷御明鑑ヲ賜リ度奉存候也
頓首
明治二十九年六月二十五日
大日本綿糸紡績同業聯合会委員長
佐伯勢一郎
渋沢栄一殿
同答書
貴書拝誦致候陳者輸入棉花関税免除之義ニ付、先年来政府及帝国議会
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ヘ御請願被成候結果、本年ニ至リ愈々其目的ヲ達セラレ候ニ付テハ、小生モ其間聊駑力セシ微功ヲ被為録、今般貴聯合会之御決議ヲ以テ、御叮寧ナル御謝辞並ニ御厚腆ニ預リ、恐縮之至奉存候、右ハ小生等当業者ニ於テ本業ニ対シ奔走尽力致候義ハ、自己ノ本分トモ存居候次第ニテ、斯ル御贈与等ヲ得候ハ頗ル迷惑仕候程ニ候得共、貴聯合会ノ御決議ニ相背キ候モ、却テ失敬ト存候ニ付、乍不本意拝受仕候、何卒貴聯合御一同ヘハ貴台ヨリ宜敷御伝声被下度候、右拝謝迄如斯御座候
不宜
明治二十九年六月二十九日
大日本紡績聯合会紀要 第九款 棉花輸入税及綿糸輸出税免除に関する請願(DK100042k-0003)
第10巻 p.449-451 ページ画像
大日本紡績聯合会紀要
第九款 棉花輸入税及綿糸輸出税免除に関する請願
原料品の輸入に課税し工業の発達を阻害するの非なるは、今日に於て市儈村夫も亦善く之を知ると雖ども、我国の未だ条約改正を遂げず、欧洲崇拝の時代に在りては実に有識者も断案を下すに苦しみ、国柄を秉るもの亦之が取捨に惑ひ、紛々たる党人に至りては竟に又之を顧みざるものゝ如し、而して我聯合会は此間に立ちて独り敢然棉花輸入税免除の事を請願せり、其希望を達せんこと杳々として甚だ遼なるは固より疑ふべきにあらず、而も不屈不撓以て九年の久しきに及びたるは其志亦健剛ならずとせんや
蓋し我国の産棉は之を耕植する者の自家用に供するものにして、多くは手挽糸の料たり、左れば其の市場に上るものは幾もなく、紡績業者は夙に其欠乏に苦しみ、清国棉を仰ひて其用に供したるも之が輸入税として繰綿百斤に付従量税参拾九銭八厘、実棉従価約参拾五銭を課せられたれば之が為め其価貴く之を使用する多量なるに従ひ、倍々操業の困難を増したるを以て聯合会は第一回総会を開くに方り、首一の議題として之が免除を請願することとなしたるなり
爾来印度棉、米国棉を使用するに及びても依然此課税を免れず、技術の不熟にして基礎亦最も脆弱なるに拘はらず此税を負ふて市場に孟買糸と相駢馳せんと欲す、甚だ其難事たるを疑はず、況んや之れを逐駆するおや、紡績業者は必らず之を蠲免を得すんは終に其業に安んずる能はざるなり
第一次第二次の請願に於て政府は未だ其意を動かさゞりしと雖ども聯合会は必らず其貫徹を得て甘心せんと欲し、帝国議会の開会せられて請願の新門戸を得たるや奮躍一番、其両翼たる輸出綿糸関税廃止及輸入綿糸関税増額の請願書と共に先づ之を農商務省に呈出し、更らに在朝在野の名士有志家及実業熱心の代議士間を歴説したり、此頃輸出関税免除は民力休養問題と相併んで操觚者の題目となり、政党の標榜となりたれは本会提出の請願書は大に識者の注目を惹きたり、農商務大臣は之を容れんと欲し、大蔵省に廻議したりしが同省に於ては法律上の問題にして、勅令の範囲に属すべきものにあらずとして之を斥けたり、而も我国紡績業の稍々旺盛に趨き製糸を清国に輸販するに方りては、既に一たび其原料に対し徴税せらるゝ上再びその輸出に方りて征課せられ、三《(た脱)》び清国関税を払はざるを得ず、即此障碍を除かずんば万
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一勝利の算なし、於是輸出綿糸関税免除及輸入棉花税蠲免の必要一層切なるを覚へ第二帝国議会開かるゝや、二十四年十一月東京帝国ホテルに臨時総会を開きて意見を発表し、請願委員十名を撰み委員は理事部署の下に各方面に運動したり、此間臨時聯合会事務所を東京に置き主として之に関する事務を取扱ひ而して委員の熱心なる運動は先づ農商務大臣をして閣議に之を上さしめ、他方に在ては又東京商業会議所をして建議書を其筋に提出せしめたり。又都下幾多の新聞紙は声を同ふして我意見を称賛し夙に免除すべきの理を説きしかば、衆議院に在りても亦竟に高田早苗氏外十五名の賛成を以て議場に提出せられたりと雖ども、その解散は不幸にも委員をして運動を中止するの已むなきに至らしめたり、理事岡田氏の死により菅沼政経氏の代りて理事となるや、第三議会に対し一層の運動をなしたるの結果、廿五年六月八日法律案として提出せらるゝの栄に会したるも、議会の閉会に遇ふて空しく又次期議会を待たざるを得ざるに至りたり、然れども聯合会は大勢の既に卜すべきを見倍々其運動の活溌を期し、更に二名の請願委員を増加したり
二十五年十二月に至り輸入棉花関税免除法律案は衆議院に於て第三読会を結了し、貴族院に於ても特別委員に付托せらるゝに及びしが、会期切迫終にその本議に上らずして已みたるは委員の最も遺憾としたる所なり
爾来委員は其運動を緩にせずと雖ども功を収むることを得ず、以て第六議会に至る、此頃政界擾々を極め且当議会も会期三週日にして議案山積すと伝ふ、委員は素より之を諒せざるにあらざるも国家経済上一日も早く其の所願を達せんと欲し、開会前より各々東上し之が運動に着手したり、機や到来綿糸輸出税免除法律案は忽ち政府より衆議院に提出せられたり、時恰も上奏案に対する各党間の紛争あり、通過の望殆んど属するを得ざりしが、亦倐然議事日程に上り即時議了して之を貴族院に廻付せられたり、貴族院は正に其廻送を俟つものゝ如く一議通過し、終に廿七年六月廿五日を以て法律第四号として
外国に輸出する綿糸は明治廿七年七月一日より海関税を免除す
と公布せらるゝの幸を荷ひ、聯合会は寧ろ事の意外に出でたるに驚きたり、是に至りて聯合会は夙望の一端を達し、販路の開通を信じて歓喜に堪へず、直ちに臨時総会を関《(開)》きて輸出に対する諧約を遂げ此盛意に酬ゆることとなしたり
輸出綿糸関税免除の法律案は如何の反映を棉業界に示したるや、其結果は唯だ一、而も国民の挙りて希望せる綿糸輸出額の劇増を表現したり、即ち明治廿五年に於て三万斤を輸出し、廿六年に於て三十余万斤に過ぎざりしもの、廿七年に至り大に其額を増して三百五十三万余斤に達し、其価額亦約百万円に上りたること是なり
素より我同業者の経営に苦心し費用節減に躊躇せざる、独り是等法令の恩恵にのみ俟たんとするものにあらず、曩に原棉一部の運賃を低減する為め日本郵船会社を援けて孟買航路を開始し、一大障碍を除去したりと雖猶ほ依然として、輸出綿糸税及輸入棉花税の前面に横はるありて経紀上甚だ便ならず、幸に前者は之を免除せられたるも棉花輸入
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税は幾回の請願も功を一簣に虧きて宿志未だ成らず、然るに日清戦争は既に過ぎ通商条約の改訂せらるゝに方りては各国之に均霑するものとし、清国各居留地に於て欧米人の紡績業を経始し、又清国人の自ら進んで工場を建設せしもの尠なからず、我紡績業の死活は此時に決せられんとするの状勢なりしかば同業者は之を想ふて緩頬平座する能はず、菅沼理事は蹶然起ちて東上し、各国務大臣を歴訪し該税免除の急切に就き委曲縷陳して大に其決心を促がしたり、是れ実に廿八年八月の事に属す
斯くて棉花輪入海関税免除法律案は愈々第九帝国議会の初に於て政府案として提出せられ、貴衆両院孰れも大多数を以て通過したり、此際紡績業者の感激し狂喜して迎へたるものは何ぞ、実に法律第五十七号なり、曰く
朕帝国議会の協賛を経たる輸入棉花海関税免除法律を裁可し玆に之を公布せしむ
御名 御璽
明治廿九年三月廿九日 内閣総理及大蔵両大臣副署
法律第五十七号
外国より輸入する棉花は明治廿九年四月一日より海関税を免除す
斯業の福祉、国家の利源是より長へに開展し、今や当業者も此間に於ける幾年の辛酸を語りて破顔一笑するの幸福を得るに至りて此隆寵に報答するの念倍々切なるを見る
棉花輸入税免除及綿糸輸出税蠲免と相応じて、鼎足たる綿糸輸入関税増率の件に就ては、政府に於ても調査せらるゝ所あり、嘗て議会に提出せられたるも議に上るに及ばずして荏苒経過し以て条約改正の時に至る
大日本紡績聯合会月報 第一三三号・第三―九頁 〔明治三六年九月〕 ◎大日本紡績聯合会沿革史(十)(DK100042k-0004)
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大日本紡績聯合会月報 第一三三号・第三―九頁 〔明治三六年九月〕
◎大日本紡績聯合会沿革史(十)
職工の病傷を保険し救恤の法を設けて之を待つは、職工愛護の道にして決して之を等閑視すへきにあらす、但た此年紡績事業の浮沈常ならさる当路者は外に忙しくして内顧の遑なく、這般須急の事業を下任したりしか、前年独逸学者杉山平三郎氏の勧説するありて大阪附近十五紡績会社の重役は此等の事業に就き凝議する所あり、遂に病傷保険会社を設立し義恤の挙に出てんと欲し、之か創立を計画し創立委員十名を選挙し、各地同業者の賛成を勧誘したり、爾来会商幾次、遂に廿七年十月三日を以て開業の式を挙け、一年以上勤続の職工に対し些少の保険料を微《(徴)》して其病傷並に死亡を保険したり、洵に好挙と云ふへきなり
我同業者か多年熱望せし棉糸輸出税は既に免除せられ、目的の一半は達し得て益々其業務に黽勉せしも、猶ほ輸入棉花に関税ありて海外市場に於ける競争上、自然英印製糸に対し未た其権衡を得すして輸出に便ならす、加ふるに当下五十五万七千余本の紡錘は其計画及建設中のものを合して八十万を数へ、其需用棉は一億四五百万斤に上るへきに拘らす、紡績工業の経営は戦時に際して倍々困難を感し損失を被ふる
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もの比々皆然り、今力めて之を忍ふも他時交戦終局の暁には、必らす内地に於ける堆積を避くる為め大に輸出せさるへからす、但た此関税の一障礙ありて我に十分の勝算なし、因て請願委員は一部東京に於て当路に請願し、又一部広島に趨き願書を袖にして国務大臣を歴訪したり
航海奨励法案は廿六年政府より議会へ提出したりしも、不幸にして議会は解散せられ之を議決する能はさりしか、政争狂熱の際此種の法案は疎外視せらるゝを免れすして、次回の議会に対し提出の有無未た卜すへからす、聯合会は曩きに日本郵船会社と二ケ年間を期し、孟買棉花回漕の約を結ひたるも、同会社は之か為め利益を収むる能はす、寧ろ毎航多少の損失ありと称せらる、果して然らは聯合会は期満て同社の発船を強ゆる能はす、大にして我国航運の消長に関し小にして斯業の通塞に係り裕然之を座視するを得す、故を以て前きに総会に於て航路拡張の議ありしか、於是航海奨励の必要を陳へ次回帝国議会に提案し、其通過を計らんことを望み時の内閣総理大臣に上書したり
正会員は同業織するは本者を以て組会の規制なりしか《(同業者を以て組織するは本会の規制なりしか)》、此頃に至り亦共同事業者として大阪毛糸株式会社を迎へ其加盟を承認したり
「チユーチコリン」積棉花の運賃は従来一噸印貨十五留比なりしが、廿七年十二月十二日、同港発「アロヨ」号積より二十留比に改定したり
紡績業者か棉商より棉花を買入るゝは単に品名に拠りて買約定を為すの慣習にして、当初同業者の未だ多からさりし際は棉商も亦甚た放慢ならす、両者の間相欺くの如き事なかりしか漸次紡績事業の勃興するに従ひ、徒に此慣習を存して其実なく実際の引取品は全然其品質を異にし、時として使用に堪へさるものあるに至り紡績業者の迷惑尠少ならす、終に廿八年三月の十日会に於て今後は各種各等級に付き其標本を備へ、之に拠りて注文を為すことを協議し、此趣意各同盟棉商に通照することゝし、其手続きを聯合会に托したり
廿八年四月十六日神戸出張所を海岸通三丁目五番屋敷に移したり
輸出税は既に免除せられ一時十四・十六両号の製糸を増加し、従て外輸を激進し我製糸の清国内地に流布するに及ひ、到る処印度糸に優るの評ありて其一等品に抜くこと一歩、頗る需用者の愛用を博し揚子江沿岸及長江附近に売行き、且天津牛荘等へ転売するに至りたりしか、日清の戦争は船便の欠乏を来し保険料は一噸に就き四十銭より一円二三十銭に上り、運賃は二円五十銭より五円に上り、廿手一俵上海に於ける価格は其以前八十四五円のものにして九十六七円に昂騰するに至り、且諸多の事情は本邦商店の引払ひを余義なくしたるを以て、其持荷を投売したるもの少なからす、勢是に頓挫し香港に於ては亦黒死病流行の為め截然其の進路を阻碍せられたり、之に反し印度糸は単に一時の影響を受けたるに過きさりしと雖も、是より大に我紡績事業に注意を払ふに至りたるものゝ如し、蓋し明治廿七年乃至廿八年の季節に於ては印度棉は前年の豊収に似す、甚た不作の状を呈し其価貴く同地紡績業者をして前途の暗憺を想像せしめたるに反し、我国需用の原棉は漸く米棉に嚮ひし際にして米棉は其作柄至て佳良に其価格は逐次下
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落したれは、大勢我に順なるもの多かりけれはなり、実に戦雲一たひ散せは我紡績業者の飛躍は亀卜すへく、好望は寧ろ寸前に邇きたりし韓国に於ては従来其商権の清国人の手に属したるもの、開戦以後我商人の一手に帰し本邦品の声価を揚くるの機を得たると共に、棉布製織用及縫糸材料として我棉糸は尤も其嗜好を助長したるを見る、又南清地方に於ても広東に在りて売行宜しく、既に東京へも廿手の転輸ありたる等機微寔に窺ふへきものありしなり
明治廿八年五月定式総会を大阪商業会議所に開くや、恰かも日清媾和の盛時に際したるを以て、開会第一左の頌徳表奉呈の議を最敬最粛の間に一決したり
頌徳表
謹白す
征清の軍事全勝局を結ひ、東洋の平和玆に克復す、臣等誠歓誠喜頓首頓伏惟るに
天皇陛下英武神聖仁徳四表を被ふ、帝国の光栄倍々宇内に赫耀たり
臣等幸に聖代に生れ此盛事に遭遇す、感恩激励の至に任ること無し、謹て表を奉して陳賀す、伏て庶幾くは臣等の微意執奏あらんことを
明治廿八年五月廿二日
大日本棉糸紡績同業聯合会
委員長 佐伯勢一郎
宮内大臣子爵 土方久元殿
中央同盟会は本会の付属として本会と其屋を同ふし、単に各同盟紡績会社の職工に係る一部の事務を執りたりしか、第八回定式総会に於て本会の組織改革と関聯し其分合を決する為め、常務委員に付托し慎密調査の上草案を会員に廻示し熟慮の後、総会議に問ふことゝなしたり孟買棉花回漕事務は決議要領第十三条により、日本綿花三井物産及東京綿の三会社派出員に於て毎月更替事務を執り、本会は其費用を負担し来りしか、東京棉会社の解散するや、内外棉会社之に代り各自勉励其職に尽したりと雖も、元と棉商の組織する所に係るを以て、自然荷物積入上慊焉の嫌なきにあらす、由て当会に於て之を本会の指揮の下に置き、首尾遺憾なきを期し、兼て同地商工業の実勢並に棉作の状況等を速報せしむるか為め、事務所を特置し、書記を派遣することに決したり
本会の会員は綿糸紡績業者を以て正会員とし、綿糸綿花の売買に従事するものを准会員となし、猶ほ孟買棉花の回漕取締上より特約同盟者を置き、之を聚めて一団となし、既に大形体を作したりしか、此会に於て浪華・平野・金巾、三会社の建議を容れ、毛麻或は絹、若くは綿毛麻絹等混交の原料を以て紡織事業を為すものゝ特別加盟を許したり(先是大阪毛糸会社は入会して我聯合会の一員たりしなり)、蓋し時運の進歩と工業の発達は諸機械的紡織業を促進し、是等事業は皆紡織の点に於て本会と利害の関係を倶にするもの少なからされは、其来盟するものを迎へんと欲してなり、而して是等会員に対しては亦特殊の規例を設け常務委員に於て其関係の軽重を按し、臨時費用を軽減し、
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又ハ免除することを得るものとせり、聯合会事務所は経費を節する為め、その狭隘を忍んて是時に至りしも、事務の漸く増すに従ひ不便に堪へす、偶々三重紡績外五会社より相当の家を賃するにあらされは、新に地を相し一万円の費を限り、新築せんとの建議出てたるも、精密なる調査を経て次会の議に付すへきものとして、常務委員に付托したり
委員の改選に於ては常務委員は依然重任に決し、評議員は平野・浪華・金巾の三会社その任を重ね、三井・摂津の二社新に撰に膺り、朝日及鐘淵之が予備たり、而して孟買委員は総員挙けて重任に決したり悪棉排除は紡績業者の最も望みて而も最も行ふに難んせし所にして、曩に廿三年の総会に於て決議する所ありしも久しからすして其趣旨を没したり、寔に惜しむへしとなす、此頃大阪府近紡績業者廿三会社《(附)》は棉花品評会なるものを組織し、品評方法七条を定め棉花の品質を詮考評騰し、其改良を図り側面より悪棉排除の目的を達せんとし、事務所を本会内に設け月次開会したり
内外綛糸商組合は嘗て十日会に向ひ製糸荷造改良の件に就き商議する所ありしか、此の年六月の同会に於て荷造は可成的厚き筵を用ひ、又両端の当て筵は可成大形にすること、及ひ竪縄を一層強確にすること等を協定したり
第四回内国勧業博覧会の褒賞授与式は此年六月十一日を以て京都に挙行せられたり、その褒賞の栄を荷ふもの一万七千余其内我紡績業者の賞旌に与りたるもの実に三十社なりとす、紡績業者拮据奮励の状以て察すへきなり、而して此間に在りて大阪紡績の名誉銀牌を受けたる外有功一等に於て摂津・平野・金巾の三社あり、進歩一等に於て三重の一社ありたるに過きさりしは遺憾の情なき能はさるなり
我同業者は製造原料たる棉花を低廉に得るの道を講すること既に年あり、棉花一部の運賃を低減する為め日本郵船会社を幇助して孟買航路を開始し聊か所期の百一を達したりといへとも、依然輸入棉花関税の前面に横はるありて経営に便ならす、此の障碍を除かんか為め同業者の請願既に幾回に及ひたるや知るへからす、然も之を以て国家の財政に累を及ぼすものとなす頑徒あり、又動もすれは之を藉りて党争の武器となさんとする猾奴ありて、未た天下を挙けて賛翼せしむるに至らす、已むを得す時期の到るを待ちたりしか日清の戦既に平き通商条約を改訂せられんとするに会し、戦勝国の権利として我国の要求する所必す多大なるへきを想ひ、之か利益に均霑すへきの理を料り欧米人にして支那居留地に紡績工場を設立するの計画を為すもの少なからす、其錘数のみにして既に二十万本に達せりと云ふ、此際に方り翻て我内地紡績事業の状態を観れば、夙昔の希望漸く其緒に就き着々歩武を進めて対岸の好輸販地に於て棉糸供給者として半座を分たるゝを得、愁眉僅に開きたりしも戦雲一たひ韓山の東、黄海の北に密聚してより、航海の危惧は運輸の利便を妨け製糸は内地に氾濫して疏通の溝渠なく通商条約の改訂と共に壟断せんと欲したる好輸販地は早く既に前叙の如く欧米人の着鞭する所となり、怡和茂生を首とし各々豊富なる資金を擁し、多年の熟練に加へ清国の低廉なる労力を役し経始せんとする
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に会す、我必す力めて之に抵らさるへからす、然るに渠等は直に原棉を其産地に採るの便ありて優勢既に彼に帰するものあり、於是従来我同業者の依頼なしたる燃料の低廉海運の便利等の如きは、殆んと全く其効を没了したり、実に当時に於て六十余万の紡錘を擁し内地の需用に踰ゆるの棉糸を製紡せる我国紡績事業の死活は此際に決せんとするものゝ如くなりき、之に応するの策図豈に忽諸に付すへけんや、乃ち本会理事は之を想ふて煩悶に禁へす、此年八月単身東上して各国務大臣を歴訪し、輸入棉花関税免除に関し委曲縷陳して請願する所ありたり
尋て山辺丈夫・金沢仁作の両氏は上海地方紡績事業の視察を遂け帰朝せり、其報告の要に云ふ、上海附近に於ける既設及ひ計画中のものを合し、総錘数四十万六千本にして、織機は三千百五十台なりといへとも、元来上海地方に於ては、原料製品需給の容易なる運搬の便なる賃銀金利の低廉なる、皆是れ工業発達の素因を有せさ《(マヽ)》るなり、支那人の利に敏にして資に豊富なる争て之か放資に汲々たるへきは更に怪しむに足らす、殊に輓近銀貨国に於ける工費の低廉を来し、欧洲資本の注入を促かすへきは言を俟たさるなり、故に上海地方の紡織業は異常の速力を以て進歩し、数年を期せすして日本を凌き、孟買を駕し、極東棉物製造の府たるに至るへし、又清国に於ける棉産地は広大なれは将来需用の増加に従ひ、其産額を増加すへしといへとも需給の間に生する緩急の差は、自然に価格の激変を来し、本邦紡績業の経営を難からしむると共に、清国へ輸出する棉物の数額を減し、或は終に其途を塞くに至らん、既に現時に於ける両国の紡績費額を比するに、同しく上海に売捌くものとして、彼は一梱に付三円六十五銭六厘の利益を占むるの計算なれは、此間大に戒心を要するものあり云々と、実に清国に於ける各紡績会社にして熱心奮励せしならは、我国の紡績業に激甚の打撃を加へたるや必せり、当時視察員の把憂慮《(杞カ)》せしは洵に其所なりとす
棉花輪入海関税免除は愈々第九帝国議会の初に当り政府案として提出せられ、審議の末衆議院ハ廿九年三月十一日貴族院は同月廿六日、何れも大多数を以て通過し、其結果同月二十九日法律第五十七号を以て左の如く公布せられたり
○中略
是れ我同業者か多年一日奔走竭力して嬴得せんと欲したる所にして、之か為めに瀝瀉したる心血は果して幾何なるやを知らす、今や其期望已まさる所を達し欣躍に勝へす、四月七日を卜して臨時聯合会を開き当局国務大臣次官・井上・松方・板垣・大隈の四伯、品川・野村の二子爵及貴衆両院議員各新聞社其他該税免除に就き尽力せられたる朝野の人士に感謝状を贈り、請願委員理事及事務員に報酬することを決議せり、実に此法律は紡績業の福祉を増し国家の利源を招きたるものにして、欧米印度等の外糸と清韓及南洋の諸国に於て競争するの余裕を与へたるものとす、於是紡績業者は一点外部より控制を受くることなく、只た専念黽勉以て内工業の進歩を図るへきの時機会に逢着したるなり、加之ならす本年々初の如きは上海に於て印度糸の在荷壱万三千
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五百俵の多きに上り、北清地方にも又尠なからさる滞糸あり、気配不振の折柄印度より更らに多数の輸入あるへしとの報ありて、相場は二弗方低落し我邦棉糸の如きは価格の高下に拘らす、更に買ふ者なく従て相場も漸次下落し、十六手最上八十七円廿手八十五円を唱ふるか如き商況を呈したり、是を以て各紡績業者は輸出上躊躇して其塁を守り私に好機の到来を待つの状なりしに、時なるかな棉花輸入税全廃の恩沢に浴するを得、当業者は奮躍一番昂々の気象偏に突撃を思ふて已ます、今該免税の紡績業に与へたる影響を述へんに、先つ当時の運転錘数六十万本とし、之に消費する棉花にして海外より供給を仰くへきもの一億三千万斤に上れは、之に対する税額は少なくとも五十万円を下らす是れ棉糸製造者の利潤にあらさるも経営上の余裕を得たるや明なり、故に此勅令発布後我国棉糸の商勢は一変し猛然清国市場に於て孟買糸と戟を交ふるに至り、阪神在留の清商は愈々輸出棉糸を買進みたり、恰も好し、清国に於ては内地製造の棉糸に対し重税を賦課すへしとの風説上海地方に流伝せしより、忽ち日本棉糸の購買に一段の勢を鼓したるのみならす、実際に於て清商は清国製造の棉糸を購ふよりも本邦産を仰くの幾層利あることを察し、愈々其取引をして活溌ならしめたり
〔参考〕日本産業資料大系 第六巻工業・第五〇七頁 〔大正五年[大正一五]年一一月〕(DK100042k-0005)
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著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。
〔参考〕東洋経済新報 第一四六九号・第三九頁 〔昭和六年一〇月三日〕 大日本紡績聯合会論(五) 其カルテル政策に就て(東京帝大助教授 脇村義太郎)(DK100042k-0006)
第10巻 p.456-458 ページ画像
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〔参考〕東京経済雑誌 第八二〇号・第六一〇―六一一頁 〔明治二九年四月一一日〕 ○棉花輸入税免除の利益(DK100042k-0007)
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東京経済雑誌 第八二〇号・第六一〇―六一一頁 〔明治二九年四月一一日〕
○棉花輸入税免除の利益
棉花の輸入税は本月一日より免除せられたるが、誠に全国紡績会社中重なるものゝみに就て、その利益を概算せしに、左の如き結果を得たりと云ふ
此の利益は更に紡績綿糸の購買者に移るべきものなりと雖とも、紡績業者等が之に依りて其の競争力を増加するは其の便益尠少ならざるべし
〔参考〕東京経済雑誌 第三九巻第九七四号・第七三七―七三八頁 〔明治三二年四月一五日〕 ○日清紡績業の比較(DK100042k-0008)
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東京経済雑誌 第三九巻第九七四号・第七三七―七三八頁 〔明治三二年四月十五日〕
○日清紡績業の比較
近年の計画に係る我が邦木綿紡績業の拡張、即ち紡績会社の新設と、紡績会社の錘数増加とは、要するに支那に向ひて販路を拡張し、其の宏大なる需要に供給せんとするにありしなり、然るに一昨年十月より実施せる金貨本位は日清間の為替相場に変動を生じ、従来英印金貨国の紡績業に対して我が紡績業を保護せし銀貨の下落は、銀価国たる支那より見る時は我が紡績綿糸の相場を騰貴せしむるの結果となせるを以て、我が綿糸の支那貿易は俄然として大影響を蒙むり、各紡績会社は同盟して或は輸出奨励金を給与し、或は夜業を廃止して生産高を減少し、或は政府に泣付き、正金銀行を経て為替の保護を受くる等種々の方策を講究し、今や更に日清貿易の機関たるべき銀行の設立を主張し居ることなるが、去月三日附在上海帝国総領事館より外務省へ報告せし所に拠れば、由来本邦の紡績綿糸には上海綿糸其の他の企及すべからざる特別の優点ありて存すと云ふ、即ち左の如し
本邦糸が優るの点とは何ぞ
第一、品質の善美なるにあり
甲 色白く光沢あること
乙 撚の平均せること
丙 織物を製出するときに屑の少なきこと
伸張力のあること「ムラ」の生ぜざること
丁 重量の他綿糸に優ること
本邦の製品は百貨悉く情巧《(精)》にして微に入り細を極め、綿糸の如き其製造したる見面に於て大に他綿糸を凌き、到底其企及し得ざるの優所ありて存す、上海糸の如き其色白く光沢あるも印度糸は色黒く光沢なく、加ふるに印度糸も上海糸も製出の際、職工の不器用と一は粗雑なるに依り繋ぎ目の結び瘤をなし、或は結ばずして切れたる儘となし置けるもあり、或は撚りの平均せざるが為めに捲縮し、従ひて断れ易く、織物屋に手渡りて屑の生じ易く「ムラ」の生ずる多しと云ふ
第二、本邦糸は上海糸に比し製産費の却て少きこと
当地の労銀は幼年職工の日給六銭より十銭迄、普通職工は十八銭より三十五銭迄、監督職工の月給は六弗より二十弗迄の間にして、之を本邦職工の労銀に比すれば其低廉なる言を俟ざる所なり、然るに
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生産費の嵩む所以のものは
甲 職工の緩慢に横着に不器用なること
故に職工として忠実を欠き技術に不熟練にして労銀の安価なるに拘らず、其の結果は却て本邦糸より多額の費用を要する姿なり、即ち上海糸の十六手一梱を製する雑費は十七両より十八両に及ぶべしと云ふ、然るに本邦糸の十六手一梱を製する雑費は十二円五十銭より十六円位迄なりと云へば、其差大なりと云はざるべからず
乙 非理を営むこと
職工と云はず監督者と云はず当国の風として只己を利する事のみに汲々し、会社の利益如何を顧ず手の及ぶ限り力の及ぶ限り非理の利を鷲攫し、月給に衣食するよりも是に依りて衣食するの傾にて上下通じて此風あり、貴人に之を賄賂と云ひ卑人に之を「カムシヨウ」と云ひ、公然の秘密と云はんよりは当然の事として靦として恥とせず、去れば外人の如何に厳格なる監督をなすも、当国人工《(工人カ)》を使用する間は獅子身中の虫一般にして其蠹蝕を蒙むるを免れざるなり、故に全く当国人の手に組織せられたる会社の如きは盗に鑰を委するに過ぎずして、其結果費用益々嵩み遂に倒産するに至るべし、故に労銀は少なきも製産に於て却て嵩むを見るなり
丙 不規律
外人の監督の下にある工場は兎に角、清人の手に経営せられたる工場は塵埃山を成し、機械の或部分に既に錆蝕するも顧みず、職工の動作の緩慢なる機械運転の遅々たる驚くに堪へたり、独り工場の不規律なるのみならず其職工を使役するも亦不規律を極む
第三 原棉の関係に依り上海糸の十四手以上を製出する能はざること
上海棉花は色純白、質細美、且繊偉長《(緯)》くして印度棉花に劣らざるも、之を実地に紡績するに当ては印度棉花に劣る所あり、若し印度棉花を紡くの割合を以て上海棉を紡けば撚更に加はらず、伸長力なき綿糸を紡出すべし、是れ全く上海棉の性質印度棉と同じからずして纏綿力稍少く一の繊緯は他の織緯と並行する傾を有し、互に撚合ふ傾の少きに由る、故に上海棉を紡績するに印度棉を紡績する力に尚ほ二割増の力を要すると云ふ、故に十六手以上の細手物は製出するを得ず、去れば各紡績会社の製出糸も重に十四手以下の太手物にして、時には十六手・二十手の如き細手物を製出するも、他国棉花を混入して製出したるも、其結果上海糸に固有の色沢を失ひ大に擯斥を受けたりと云ふ、本邦糸は之に反して十六手・二十手の如き細手物を製出するには利あれども、十四手以下の太手物を製出するも当地相場に割合はずと云ふ、故に上海糸も亦本邦糸も独得の優処あるを以て、依つて以て立脚の地を占め、競争場裡に馳駆するを得る所以なり
斯く日清両国の紡績を対照して、我が綿糸の上海綿糸に優れる所以を示したる後ち、領事は我が紡績業者が前途に於て勉むべき点を示して曰く
現に本年印度糸は粗製品の濫輸に依りて失敗し、上海糸は印度棉を
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多量に混用したるを以て不評を蒙むれり、故に本邦紡績業者に切望する所のものは
第一 原棉を撰択し成るべく同一種類の綿糸を製出すること
第二 製出を信切にして品質を善美ならしむること
第三 重量を消滅せざること
の三点にして本邦糸の他綿糸を凌ぐ所以の特色は、蓋し此に在るべし
我が綿糸にして僅かに此の三点に勉むれば、以て清国に販路を拡張し得べしとすれば、紡績業者は区々保護方策に関して彼が如き運動を為すを要せざるべき也、唯々上海総領事の報告は往々観察を誤まり、容易に信ずべからざるものあるを以て、余輩はこれを玆に抄録して当業者に質さゞるを得ざるなり