デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
2節 蚕糸絹織業
2款 郡山絹糸紡績株式会社
■綱文

第10巻 p.642-645(DK100057k) ページ画像

明治30年12月(1897年)

栄一、当会社ノ創立委員長ト為リ、会社成立ノ後其相談役ト為ル。


■資料

青淵先生六十年史 (再版) 第一巻・第一〇九三頁 〔明治三三年六月〕(DK100057k-0001)
第10巻 p.642 ページ画像

青淵先生六十年史(再版) 一巻・第一〇九三頁〔明治三三年六月〕
  第二十章 絹糸紡績業
○上略
福島県郡山絹糸紡績株式会社ハ同地方有志者永戸直之介外二十三名ノ発起ニ係リ、青淵先生ハ顧問役トシテ大倉喜八郎等ト其相談ニ与ル、同社ハ明治三十年十二月資本金四拾万円ヲ以テ創立セリ、其目的ハ猪苗代疏水ノ水力ヲ利用シ工費ヲ省キ、絹糸紡績ノ業ヲ営ムニアリ


渋沢栄一 書翰 日下・大倉・高田・佐治宛(明治三〇年)三月一九日(DK100057k-0002)
第10巻 p.642 ページ画像

渋沢栄一 書翰 日下・大倉・高田・佐治宛(明治三〇年)三月一九日
                     (八十島親義氏所蔵)
益御清適奉賀候、然者兼而御協議仕置候郡山絹糸紡績会社創設之義ニ付、此程永戸氏出京被致、至急設立願書差出度との事ニ候間、此際一会相催し過日同氏より相廻し候仮定款をも熟覧いたし、其他之要件御打合申上度、就而ハ明後廿一日午前九時兜町拙宅ニ御会同被下度候、此段書中拝願仕候 匆々不一
  三月十九日
                    渋沢栄一
    日下義雄様
    大倉喜八郎様
    高田慎蔵様
    佐治幸平様
  永戸氏ヘハ此書状写相添、別紙之通御一同ヘ申上候間、貴台ニも同時刻御来会被下度候云々申通候事
  ○本款明治三十七年十月ノ項(本巻第六四五頁)参照。


橋本万右衛門氏報告(DK100057k-0003)
第10巻 p.642-643 ページ画像

橋本万右衛門氏報告
    郡山絹糸紡績株式会社に就て
一、青淵先生を発起人の一人として、資本金四拾万円を以て本社を福島県郡山町(現在郡山市)字大堤に置き創立す
一、同社の目的は絹糸紡績業、並に社用余剰電力を市街地ヘ動力並に点灯用として供給するにあり
一、郡山区裁判所登記簿によれば、創立は明治三十一年二月十日にして、青淵先生の御氏名は取締役及監査役中に無し
一、青淵先生は創立以来相談役に御就任相成り、其御就任期間は明治三十一年二月十日より、明治三十七年十月の御大患後各会社重役御
 - 第10巻 p.643 -ページ画像 
引退の御時期に至る迄と見るを以て至当とするならん
一、大正四年紡績業を廃止し電気業専門となり、社名を「郡山電気株式会社」と改称す
一、大正十四年本社を、東京市へ移し、社名を更に「東部電力株式会社」と改称す
一、昭和十三年北海道電灯株式会社(現大日本電力株式会社)へ合併に依り解散
一、郡山絹糸紡績株式会社創立以来改称、解散に至る迄の社長名

   初代社長 故   永戸直之介
   二代社長 故男爵 大倉喜八郎
   三代社長 故   橋本万右衛門(先代)
   四代社長     橋本万之介(先代橋本万右衛門弟)
                    以上
  ○右ハ昭和十六年三月十七日及ビ同月二十四日附書翰ヲ以テ本資料編簒室ヘ報告セラレタルモノナリ。


商工都市『郡山』の今昔を語る(再版)(橋本万右衛門著) 第一二―一四頁〔昭和一六年一〇月〕(DK100057k-0004)
第10巻 p.643-644 ページ画像

商工都市『郡山』の今昔を語る(再版)(橋本万右衛門著)
               第一二―一四頁〔昭和一六年一〇月〕
 明治三十一年二月には、郡山の先人達は故子爵渋沢栄一氏・故男爵大倉喜八郎氏・故浅野総一郎氏を初め京浜地方の実業家達と相結び、東北地方切つての当時の大会社たる、郡山絹糸紡績株式会社を設立致しました。此会社は絹糸紡績業を以て本業となし、電気業を以て副業として居つた会社であります。後年、其絹糸紡績業を、現在は鐘淵紡績株式会社へ合併となりました。元本社を京都市上京区に定め、京都市二個所・岡山市・和歌山市・群馬県新町・前橋市及郡山の各地所在の各絹糸紡績会社並に絹糸紡績所を挙げて、全国的大トラストを結成し、其初代社長に故藤田四郎氏、二代社長に森田茂吉氏を迎へ新立せる「絹糸紡績株式会社」へ其業務を譲渡致し、其副業なる電気業のみの専門に目的を変更致しまして、其後増資に次ぐに増資を以てし、拡張に拡張を重ねまして、商号も郡山電気株式会社と改称し、又東部電力株式会社と改め、今日資本金壱億参千六百八万円の大日本電力株式会社の基礎を成したものであります。
 此会社の営業開始は明治三十二年でございまして、独創を常に誇る先人達と、学究的の若い技師達の事とて、何事にも先鞭を附けたいことの一念から、日本最高レコードを目指して精進致しましたる結果、遂に当時本邦無比なる一万一千ボルトの高圧電力と、十五哩の長距離送電との二つの点に於て大成功を収めまして、日本電力界に凱歌を奏した次第でございます。
 現在朝鮮に於て、事業王と謳はれ、電力界に、化学界に君臨し、曩頃学術研究費として私財三千万円の寄附を行はれた野口遵氏、並に東武鉄道株式会社社長たりし故吉野伝次氏等こそは、其若き日孰れも電気技術者として、旧郡山絹糸紡績株式会社の創業に携りし人々であります。
 又同社の絹糸紡績事業の全部を譲り受けたる前述の「絹糸紡績株式
 - 第10巻 p.644 -ページ画像 
会社」に於ては、一時其郡山工場として作業を継続し来りしも、其後上海へ三井家との共同出資の許に上海紡績株式会社を設立の事となりたる為め、其所有に係る紬糸紡績(玉糸紡績)機械を除きたる全部の機械を上海へ転送致しました。其工場跡へ郡山の先人達の努力により専売局の各種煙草工場を誘致したものでございます。而して上海へ機械転送の際、取残せし紬糸紡績機械は郡山側に於て買戻し、市内細沼畔に新規に工場を建築の上、再び紡績業を経営したりしも、其後都合に依り、信州片倉組へ譲渡致しました。之が岩代絹糸紡績所となり、軈て日東紡績株式会社の根幹を成すに至りまして現在其第一工場であります。
 此電気事業専門に目的を変更致しましたる会社は孰れも郡山の先人達の経営せし新町電気株式会社・平電気株式会社・夏井川水電株式会社・川前電気株式会社・双葉電力株式会社及常葉電気株式会社等を漸次併合し、其発電力を一層増加せしめまして、軈て其所有に係る数万キロワツトの大電力を動員し、郡山地方への、投げ売を行ひましたので、見る見る間に各種の工業が此地を中心として俄かに勃興し、桑田変じて煙突林立の観を呈するに至りました。
  ○本パンフレツトハ橋本万右衛門氏ガ、昭和十六年七月二十八日郡山放送局ヲ通ジテ放送シタル演説草案ニ幾分補正ヲ加ヘ出版サレタルモノナリ。


青淵先生公私履歴台帳(DK100057k-0005)
第10巻 p.644 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳 (渋沢子爵家所蔵)
   民間略歴(明治二十五年以後)
○上略
明治三十年
一郡山絹糸紡績株式会社ノ創立ヲ賛助ス
  本会社ハ生糸産地ノ中央ナル岩代郡山ニ於テ、水力ヲ利用シ、屑糸ノ紡績業ヲ起スヲ目的トスルモノニシテ、地方発起人ノ請ニヨリテ其創立委員長トナリ尽力ス、後会社成立スルニ及ヒ相談役ニ推サレ、現ニ其職ニアリ
○下略
 以上明治卅三年五月十日調


渋沢栄一 日記 ○明治三四年(DK100057k-0006)
第10巻 p.644 ページ画像

渋沢栄一日記
 ○明治三四年
四月四日《(五月)》 曇
○上略 正製・真正両会社ノ製糸場ヲ一覧シ、更ニ郡山絹糸紡績工場ヲ一覧ス ○下略
  ○四月二十五日ヨリ信越地方ヲ旅行、若松・郡山ヲ経テ此日帰京ス。

渋沢栄一 日記 ○明治三五年(DK100057k-0007)
第10巻 p.644 ページ画像

 ○明治三五年
四月廿一日 晴
○上略 午後三時兜町ニ抵リ、郡山絹糸紡績会社ノコトニ関シ、門多・堀田ノ両氏ニ会見ス○下略


竜門雑誌 第一五六号・第四二頁〔明治三四年五月二五日〕 越岩地方旅行日誌(DK100057k-0008)
第10巻 p.644-645 ページ画像

竜門雑誌 第一五六号・第四二頁〔明治三四年五月二五日〕
 - 第10巻 p.645 -ページ画像 
     越岩地方旅行日誌
○上略
同○五月三日 ○中略午後二時半臨時滊車にて同所○若松発、沼上停車場にて下車、郡山絹糸紡績会社発電所を一覧せられ、再び乗車、午後五時半郡山着、永戸直之助方に一泊せられ、同夜同地有志者に招待せられ郡山倶楽部に於て演説を為されたり
同四日 午前七時より有志者の案内に依り真製社及正製社・郡山絹糸紡績会社等を一覧せられたる上、開成山に到り開墾地を遠見せられ、午後〇時廿六分同地発車、午後八時半無事上野に帰着せられたり