デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
3節 製麻業
1款 北海道製麻株式会社
■綱文

第10巻 p.701-706(DK100064k) ページ画像

明治35年7月29日(1902年)

前年近江麻糸紡織会社・下野製麻会社・大阪麻糸会社及ビ当社ノ間ニ日清戦後ノ不況期ニ処シテ自治的統制ノタメ四社合同販売協定結バレシガ、是年ニ及ビ近江麻糸重役大倉喜八郎、下野製麻株主安田善次郎主唱トナリ四社ノ合同ヲ企図シ、是日大倉・安田ハ四社々長ヲ東京帝国ホテルニ招キ四社合同ヲ提議ス。当社ハ主権重役タル栄一外遊中ナルヲ以テコノ案ノ賛同ヲ控エタリ。後栄一帰朝スルニ及ビ、三社重役ハ重ネテ栄一ヲ訪ヒ四社合同ノコトヲ促ス所アリシモ、一先ヅ辞退セリ。


■資料

帝国製麻株式会社三十年史資料 第壱輯・第三二三頁 〔昭和一二年一〇月〕 【三社合同販売より日本製麻株式会社創立に至る経過 (鹿沼工場長 大河原雄吉氏記述)】(DK100064k-0001)
第10巻 p.701-702 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
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帝国製麻株式会社三十年史資料 第壱輯・第三五三頁 〔昭和一二年一〇月〕 【三社合同販売より日本製麻株式会社創立に至る経過 (鹿沼工場長 大河原雄吉氏記述)】(DK100064k-0002)
第10巻 p.702-703 ページ画像

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帝国製麻株式会社三十年史資料 第壱輯・第九九頁 〔昭和一二年一〇月〕 【北海道製麻株式会社沿革誌(元常務取締役 宇野保太郎氏記述)】(DK100064k-0003)
第10巻 p.703 ページ画像

帝国製麻株式会社三十年史資料 第壱輯・第九九頁 〔昭和一二年一〇月〕
  北海道製麻株式会社沿革誌(元常務取締役 宇野保太郎氏記述)
○上略
 三十五年二月大島六郎氏監査役に就任せり、此年五月大倉喜八郎氏を介し安田善次郎氏主唱となり、麻業各社合同を提議せられ、下野製麻・大津麻糸、大阪織糸の各社、金融に困難する折柄なるより其議大に進み当社に対し屡々加盟を促し来りたるも、渋沢男爵欧行不在中にして当社の内議熟せず、止を得ず独立除外を主張せり。同年八月亜麻原料購入に際し、倍々金融に困り、遂に勧業銀行及拓殖銀行より負債し、買茎資金を調達し漸く買茎時機を凌きたるも、又々製品堆積、金融途絶、営業上最窮迫せり
○下略


日本製麻史 (高谷光雄著) 第三七三―三七八頁 〔明治四〇年一二月〕(DK100064k-0004)
第10巻 p.703-705 ページ画像

日本製麻史(高谷光雄著) 第三七三―三七八頁 〔明治四〇年一二月〕
 ○第八章 日本製麻株式会社成立
    第一節 成立の事情
下野・大阪、近江三製麻会社が合同販売を実行するに至れる経過及成蹟は、前章に於て之を説述せり、然れども三会社は単に合同販売を以て終極の目的とするものに非らず、進んで全日本の四製麻会社を打て一団となさんことを期し、若し、尚ほ直ちに之を実現する能はずとするも、少くも北海以外の三会社の根本的合同を完成せざるべからずとなし、三社重役は種々協議するところあり、而して曩きに北海製麻が合同販売に加入せざりしもの、合同その事に不同意なりしに非ずして当時渋沢男不在なりしため、加不加の決定を延期せるものに止るが故に、順序上先づ一応同男の意嚮を聴き然る後三会社の態度を定むるも遅からざるべしと、折柄在京中なりし三社重役打揃ひて男を東京商業会議所に訪ひ、去歳以来の始末を陳べ、且つ根本的合同の必要を述たり、男曰く根本的合同の事は予亦固より之を希望せり、然れども予や製麻の業に就ては平生其議に与らざるには非ずと雖も、先般来長らく海外に在りたると殊に担任当事者が当時多少躊躇せるものありし如きは、想ふに何等か不已得ざる事情ありしなるべし、果して然らば其事
 - 第10巻 p.704 -ページ画像 
情を審にせざる予にして、遽かに諾否を決定するは不可能の事たり、他日篤と謀るところあるべし云々と語らる、於是三社も此解決の急速に望むべからざるを察し、断然三社のみの合同を成せむことゝして明治三十六年三月二日改めて大阪市に会同せり
○中略
三月○明治三六年中各社同一の協議会を開くことゝなり、其協議案の如きも三社共に大同小異孰れも同一のことなりしが、今我近江会社の株主を会同し附議せし協議案は左の如なりし。
     協議案
 三社合同販売の義は大倉・安田両氏の懇切と援助に依り幸に一段の成を相告けしも、当時渋沢男の不在中なりしを以て主眼たる根本的合同の期を延引し、及販売の義も四社の連合に至らさりしは共に遺憾とする処なり、然るに世運の進行は一日を仮すことなく今や内地の競争は進て国際の競争に移るの看なきを保せす、大に牖戸綢繆すべきの時なるを信す、抑四社を合同せる資本は参百六拾万円なるも其払込額は、参百拾参万円にして、其製造額は約弐百万円とす(製線の副業を併す)而して其利益を合算するに僅々七朱内外に止まる者は他なし、需用の一面に向ては兄弟相喰むの競争に吸々とし、未だ汎く販路を他方に需むるの余暇なきを以て、其製造の如きも器械の全力に比すれば十分の五六に過ざるへし、今若し合同して毎社に得意の製造を分配し内外の需用を一手に収め、器械の全部を運用せしむる者とせは、其製造の多大を致すと共に、目下に在ては実に東洋特許の専売に均しく、其利も又蓋し尠少にあらざるを信す、且合同の方法に於ける手段多しと雖も要するに一の新社、又は既設の一社へ合同し、而して其合同は固定、或は株券の時価又は晩近の利益等を標準として其額を定め、其代償は悉皆新株を以て之に換へ、且現存の社債及び現品の如きは、一定の価格を以て総て新会社に引継き、単に利害を異にする者のみを旧会社に於て整理する者とせは、新旧の区別は勿論各社の損益も判然として混合の煩なく、又株主に在ても新旧株の交換に止まり、期して利益の増進を俟つへき者により、互に多少の情実を抛ち進て賛同を表するも蓋し疑ひ勿るべし、儻し夫れ如此相成る者とせんか、新会社に在ては原料を配致し、工銀を支払ふ迄に止まり、随意に製品を供給し而して一面の得意に向ては一定の価格を以て一定の需用に応し、且一定の利益を収むるも他に之を鬩くものなく、実に愉快の業たるべし、又其工場に在ては依然各地方の習慣を応用し、一定の工銀を以て其製造の需に任し、本社をして当初の予定を誤まらざらしむる者とせは、本社に在ては内外の商況に随ひ其製造を各工場に分配するに止まり、一定の原価と売価により坐して利益を査定し得へく、実に安全無上の業務にして其他に比なきに至るや知るべきなり、今や宇内の形勢は競争の時代を異にし、又我麻業に在ても創業の期を過ぎ共に成業の域に進まんとするの時に際会す、寔に千載の一遇にして此機逸すへからさるの時なるべし、是今日諸君の来会を促し、敢て一考を煩す所以なり云々
 - 第10巻 p.705 -ページ画像 
而して三社共何等の異議もなく全体の賛成を得、更に同年六月を以て総会を開き、制規の決議をなして玆に全く三社の合同を成就せり
○下略



〔参考〕帝国製麻株式会社三十年史資料 第壱輯・第九七頁 〔昭和一二年一〇月〕 【北海道製麻株式会社沿革誌 (元常務取締役 宇野保太郎記述)】(DK100064k-0005)
第10巻 p.705-706 ページ画像

帝国製麻株式会社三十年史資料 第壱輯・第九七頁 〔昭和一二年一〇月〕
  北海道製麻株式会社沿革誌 (元常務取締役 宇野保太郎記述)
    創立の順序及役員の変遷枢要社員の異動
○上略
 卅一年一月金井文之助、亜麻及麻栽培及浸水製造の実況を視察し其調査を遂げて帰朝したり。既に製線所は昨年来拡張に着手せしを以て分工場を東京府川崎駅方面に設置し、細糸及捻糸器械並薄地織物機を増置する考案なりしも、昨卅年亜麻の凶作と同年下半期以後金融逼迫営業不景気に陥りたるを以て、暫く時機を待つことにせしも拡張事業には社員一致鋭意奮励の必要あるより、取締役一人を増員し札幌本社に常務担任者を置くことゝなり、臨時総会選挙の結果、拙者選任就職支配人兼務となり、更に福田久徳を副支配人兼工業部長に、谷山一介を同副部長、事務部長を拙者兼務、堀江淳太郎を副部長、城戸熊次郎を製線部長として札幌本社の分担を定め、分社に販売部を置き浜田善吉を以て部長とし事業の改善を企図したるも、不景気の大勢は激甚となり、製品多量堆積し遂に上半期の決算無配当を報告せり。依て七月上旬札幌本社に於ては内部刷新改良の為め部長を除く外本社及製線所社員を半減解雇したり。同年九月大洪水の為め各製線工場の被害莫大の損害を蒙り、時恰も一般財界困難の上に会社は巨額の負債を有し、金融愈々困厄に瀕し、内は解雇社員の不平苦情となり、外は債主側並に耕作者の抗撃となりて内外一時に悪評を流布し、当局者の苦境を付込み地方新聞紙の毒筆悪評は、益々地方人民を激せしめ世上の信用を失墜せり
 卅二年一月には札幌株主を糾合網羅し取締役永山盛繁及宮村朔三など会社に縁故あるもの急先鉾の抗撃者となり、会社当任者を非難抗撃取りて代らんとしたり。其顔触は永山を常務とし当時の支庁長林顕三を事務支配人とし、宮村朔三を工務支配人に擬し、屡々各所に会合協議したるも植村澄三郎氏調停に尽力し、其気焔を沈め大に斡旋の労を尽されたるも、大井上輝前札幌株主総代として二月株主総会に出席其議を主張することに決したるも、植村氏外温和派の株主は監査役として渋沢男爵あり、会社の悲境内部の改良刷新の考按もあるべく濫りに当務者を抗撃し世間を喧すは株主の利益にあらず、現当務者に忠告し其実行を求むれば足れりとの説に決し、総代大井上に委任状を託したるもの僅に永山盛繁・水野義郎・宮村朔三の三名のみ、其他は凡て会社重役たる拙者に委任状を託したれば大井上は着京、渋沢男爵を訪ねたるも遂に面会することを得ず、渋沢社長・田中取締役を訪ね希望を述べ総会席上にては何等の発言も為さずして遂に立消となれり。此年二月長尾三十郎補欠監査役となる、同三月取締役永山盛繁病死せり。
同年五月取締役小室信夫氏病死せり。同年八月山中利右衛門又病気の
 - 第10巻 p.706 -ページ画像 
為、監査役を辞職し続て病死せり。当時販路倍々不況にして各社の製品堆積し、互に競争投売するより、高谷光雄と打合せ救済方法を協議し、販売同盟の議を唱へ北海製麻・下野製麻・大津麻糸織物販売の同盟規約を決定実行せり
○下略
  ○栄一ノ明治三十五年ノ外遊ハ同年五月十五日横浜港発、同年十月卅一日帰京セリ。


〔参考〕竜門雑誌 第一六〇号・第三七―三八頁 〔明治三四年九月二五日〕 △北海道製麻会社(同先生監査役)(DK100064k-0006)
第10巻 p.706 ページ画像

竜門雑誌 第一六〇号・第三七―三八頁 〔明治三四年九月二五日〕
    △北海道製麻会社(同先生監査役)
同会社に於ても亦、去八月株主定式総会を開き本年上半季間の営業報告を為し、続て左の利益金分配案を議決せりと云ふ
      損益勘定
                   円
  一収入計      一〇五、一八九・八六六
  一支出計       六一、三九六・八七七
   差引益金      四三、七九二・九八九
  外ニ前期繰越金     九、五七七・九二八
   計         五三、三七〇・九一七
    内
   積立金        五、〇〇〇・〇〇〇
   配当金(年五歩)  三四、〇〇〇・〇〇〇
   賞与金        四、ニ〇〇・〇〇〇
   後期繰越金     一〇、一七〇・九一七


〔参考〕竜門雑誌 第一七二号〔明治三五年九月二五日〕 △北海道製麻会社(DK100064k-0007)
第10巻 p.706 ページ画像

竜門雑誌 第一七二号〔明治三五年九月二五日〕
△北海道製麻会社 同会社に於ても亦去八月株主定式総会を開き、本年上半季間の決算を報告し、株主の承認を得て左の通り利益金の分配を為せり
                   円
  一収入計      一〇九、六四五・六八五
  一支出計       七二、五〇六・一三〇
   差引益金      三七、一三九・五五五
  外ニ前期繰越金    一一、三六二・五六二
   計         四八、五〇二・一一七
    内
   積立金        五、〇〇〇・〇〇〇
   配当金(年四朱)  二七、二〇〇・〇〇〇
   賞与金        三、七〇〇・〇〇〇
   得意先欠損金償却   七、五〇〇・〇〇〇
   後期繰越金      五、一〇二・一一七