デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
15節 造船・船渠業
4款 函館船渠株式会社
■綱文

第12巻 p.73-79(DK120008k) ページ画像

明治42年6月6日(1909年)

是年栄一、古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ、諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日当会社相談役ヲ辞ス。


■資料

竜門雑誌 第二五三号・第四八―四九頁〔明治四二年六月〕 青淵先生の各種関係事業引退(DK120008k-0001)
第12巻 p.74 ページ画像

竜門雑誌 第二五三号・第四八―四九頁〔明治四二年六月〕
    青淵先生の各種関係事業引退
我青淵先生○中略本月六日○中略同日附を以て左記の如き辞任書及書状を発送せられたり
○中略
    辞任書
拙者儀頽齢に及び事務節約致度と存候間、貴社「何々役」辞任仕候、此段申上候也
  明治四十二年六月六日 渋沢栄一
    書状
拝啓、時下向暑の候益々御清泰奉賀候、陳は小生儀追々老年に及び候に付ては、関係事務を減省致度と存し、今回愈々第一銀行及東京貯蓄銀行を除くの外一切の職任を辞退致候事に取極候に付、別紙辞任書差出候間事情御了察の上可然御取計被下度候、尤も右様役名は相辞し候へ共、向後とて従来の御交誼上必要に臨み御相談に与り候事は敢て辞する処に無之候間、其辺御承知置被下度候、此段申添候 敬具
  明治四十二年六月六日 渋沢栄一
辞任せられたる各種事業の名称及職任左の如し
○中略
  函館船渠株式会社同上○相談役
○下略


函館船渠株式会社株主総会決議録(DK120008k-0002)
第12巻 p.74-75 ページ画像

函館船渠株式会社株主総会決議録
    函館船渠株式会社第二十六回定時及第二十五回臨時株主総会決議録
明治四十二年七月二十一日午後二時定時株主総会ヲ当会社ニ於テ開ク
  出席株主九十四名
   此株数七千九百六十七株(委任状共)
専務取締役男爵川田竜吉君議長席ニ就ク
議長男爵川田竜吉君 諸君ハ御多用中ニモ拘ハラセラレス御出席下サレ難有存シマス、本日ハ兼テ御通知申上置キマシタ通リ第二十六回定時株主総会ヲ開キマス
○中略
議長男爵川田竜吉君 是レニテ第二十六回定時株主総会ヲ閉会致シマス、次ハ第二十五回臨時株主総会テアリマスカ、暫時休息ノ上テ開キマスカ又ハ之レヨリ引続キ直チニ開会致シマスカ、諸君ノ御意見ヲ伺ヒマス
株主和田惟一君 是レヨリ直チニ臨時総会ノ開会ヲ希望致シマス
   満場賛成
議長男爵川田竜吉君 諸君ノ御希望ニ依リマシテ直チニ第二十五回臨時株主総会ヲ開キマス○中略
議長男爵川田竜吉君 終リニ臨ミマシテ諸君ニ一寸御協議ヲ願ヒタイコトカアリマス、外テモアリマセンカ兼子テ当会社ノ相談役トシテ指導ヲ仰ヒテ居リマシタ渋沢男爵ヨリ、本年六月六日付ノ書面ヲ以
 - 第12巻 p.75 -ページ画像 
テ追々ト頽齢ニ及ヒ従来関係ノ事務ヲ節約シ第一銀行及東京貯蓄銀行ヲ除ク外一切ノ職任ヲ辞退スルコトニ致シタカラ、相談役モ辞任スルニ依ツテ宜シク取計ヒ呉レル様申出テカアリマシタ、其辞任書及書面ヲ朗読サセマス(書記之レヲ朗読ス、書面ハ総テ略ス)其当時恰モ拙者カ私用滞京中テアリマシタカラ、男爵ニ面会ノ上一応挨拶ヲ申シ述ヘ度ト思ヒ、帰函ノ日取リヲ一日繰延ヘテ、男爵ノ都合ヲ電話ヲ以テ数度問合セマシタケレトモ、不在中テ終ニ其意ヲ得マセス止ムナク不本意ナカラ、不取敢挨拶状ヲ送ツテ帰函致シマシタ(書記挨拶状ヲ朗読ス)其書面ニ対シテ男爵ヨリ叮重ナル書面カ参リマシタ(書記之レヲ朗読ス)
 男爵辞任ノ経過ハ如上ノ次第テアリマシテ此上御留任ヲ懇請スルコトモ出来マセン、就キマシテハ是レマテノ御尽力ニ対シ何ニカ紀念物ヲ差上タイト思ヒマシテ重役一同カ相談致シマシタカ、何分ニモ会社目下ノ形勢テハ、御尽力ニ酬ユル丈ノ充分ノコトモ出来マセンカ、去リトテ此儘ニ打捨テ置クコトモ出来マセス、主トシテ是レマテノ指導ノ労ニ対シ其印トシテ何ニカ紀念品ヲ贈呈致シタイト思ヒマス、株主諸君ニ於カレマシテ何ニカ御高案モアリマスレハ伺ヒトフ御座リマス
株主和田惟一君 渋沢男爵ニ於テ相談役御辞任ノ事ハ誠ニ惜シキ次第テアリマスカ只今御説明ノ通リ如何トモ致シ難キコトテアリマス、依テ紀念品ヲ贈ルコトハ双手ヲ挙ケテ賛成致シマス、而シテ其紀念品贈呈ニ関シテハ一切重役諸君ニ於テ宜シク御取計アランコトヲ希望致シマス
   満場賛成
議長男爵川田竜吉君 重役一同ニ於テ内相談致シマシタ腹案ハ、ホンノ御印トシテ弐百円乃至参百円ノ範囲テ何ニカ紀念品ヲ贈呈致シタイト思フテ居リマス
株主斎藤又右衛門君 聊カ僅少ノ感アルモ重役ニ於テ何分宜シク御取計ヲ願ヒマス
   満場賛成
議長男爵川田竜吉君 諸君ニ於テ重役ニ御一任ニナリマシタカラハ、我々モ諸君ノ御意志ニ背カナイ様ニ御取計ヒマス
 左スレハ是レニテ臨時総会ヲ開会シマス(時ニ弐時四十分ナリ)
   以上
           函館船渠株式会社
             専務取締役 男爵川田竜吉
             取締役   岡本忠蔵
             同     榊茂夫
             監査役   松下熊槌
             株主    和田惟一
             書記    中村五郎


実業之世界 第六巻第七号〔明治四二年七月一日〕 余が今回辞任したる六十会社の運命観(男爵渋沢栄一)(DK120008k-0003)
第12巻 p.75-76 ページ画像

実業之世界 第六巻第七号〔明治四二年七月一日〕
  余が今回辞任したる六十会社の運命観(男爵渋沢栄一)
 - 第12巻 p.76 -ページ画像 
    ◎函館船渠株式会社
             (明治二十九年十一月設立払込資本百六十五万円配当年三分二厘渋沢男は会社の相談役)
川田竜吉(専務取締役)が、是には大分苦しんで居る。併し性来厳格な人であるから細々ながらも維持が出来るであらうと思ふ。全体函館に彼のやうな大船渠を作つたのが抑もの誤であつた。あれは余り社会の趨勢を想像し過ぎた結果で、今になつてはどうとも致方がない。若し細々ながらも維持して行く間に、当初想像した如く社会が趨いたら其時こそ此の会社が全盛期に入る時である。



〔参考〕函館船渠株式会社報告書 昭和三年八月二九日(DK120008k-0004)
第12巻 p.76-79 ページ画像

函館船渠株式会社報告書 昭和三年八月二九日
    渋沢事務所ヨリノ照会ニ対スル回答
一、創立年月日 明治二十九年十一月九日
一、目的
 船渠業及船舶ノ製造修繕、遭難船舶ノ救助、曳船、貸船、陸上用諸機械及汽缶製造修繕、其他鉄工木工に関する諸般の業務
一、創立関係人
  創立委員として選挙せられたる人々は左の通り
 (在函館)
   渡辺熊四郎  平田文右衛門
   久保扶桑   遠藤吉平
   伊藤一隆   和田惟一
   小川為次郎
 (在東京)
   渋沢栄一   近藤廉平
   大倉喜八郎  園田実徳
   阿部興人
 創立委員長 渋沢栄一氏
    渋沢子爵との関係
 明治二十九年四月五日子爵を函館ドツク株式会社創立委員長として発起申請をなし、同廿九年拾一月九日資本金壱百弐拾万円を以て設立を許可せらる。
 明治廿九年六月拾三日創業総会に於て子爵は取締役に選挙せられ、種々の業務多端にして其責を尽し難しとて辞退せられたるも遂に衆望を容れて取締役に就任せられ、左記諸氏と共に社務整理及発展の為め大に尽瘁せられたり。
  取締役姓名
    取締役社長 園田実徳
    同理事   阿部興人
    取締役   渋沢栄一
     〃    大倉喜八郎
     〃    平田文右衛門
  監査役姓名
    浅田正文   小川為次郎  田中市太郎
 - 第12巻 p.77 -ページ画像 
 其後子爵従来関係せられたる諸方事業益々多端となりたるを以て明治卅六年七月任期中退引せらるゝの止むなきに至れり、同年同月更に相談役となることを懇請せられ暫く在任せられたるも、遂に同卅七年拾月廿六日相談役を辞任せられたり。
 爾後時運非にして会社は経営困難に向ひ明治卅八年末頃には其極に達したるに及び、明治卅九年壱月子爵は左記諸氏と共に整理委員に押され、再び会社の為めに立つて善後策を講究せられたり。
  男爵 渋沢栄一   近藤廉平   大倉喜八郎
     浅野総一郎  加藤正義   田中市太郎
     梅浦精一   柳田藤吉   吉田三郎左衛門
     広海二三郎
 明治卅九年四月当時の取締役園田実徳・阿部興人・岡本忠蔵氏ら辞任せられたるに付同卅九年四月弐日の臨時総会に於て前記諸氏の提案せる優先株による増資を決定し、つづいて取締役改選に当り子爵は全会一致の希望を負ふて男爵川田竜吉・川田豊吉両氏を新任取締役に指命し、尚両氏を助くる為め達て岡本忠蔵氏の重任を求められたり、且又子爵は再び衆望を容れて近藤廉平氏と共に相談役たることを承諾せられたり。
  当時の重役員及相談役左の如し
   取締役  男爵 川田竜吉、岡本忠蔵、川田豊吉
   監査役     松下熊槌、遠藤吉平
   相談役  男爵 渋沢栄一、近藤廉平
 子爵は社運挽回の為援助せられたるも、明治四十二年六月に至り子爵は従来関係せられたる諸会社より引退せらるゝに当り、当社相談役をも亦辞任せられたり。
 子爵は会社創立当時より此時迄会社との役員関係の有無に拘す常に会社経営上に有力なる援助を与へられ、殊に明治卅九年の整理時期に於ては種々の意見を出せられたるも、子爵は国家的事業の存続と株主擁護との見地より、苟も之に適合せざる意見は之を排し、近藤廉平氏と共に会社が優先株に依る増資を以て徐ろに自ら基礎を固めて事業を存続せんとする整理方法を賛して極力其実行を後援せられたる事は、実に会社今日の基礎安定を得るに至りたる基因をなすものにして、会社は子爵を徳として感謝措かざるところなり。
    沿革
明治廿九年十一月資本金壱百弐拾万円を以て創立す
明治三十年函館造船所を買収し分工場として一部営業開始す
明治卅一年六月六千噸の船渠建造に着手したるも当時艦船噸数増大の気運に向ひたるを以て、将来を慮り卅三年六月一万噸の艦船を容れうべきものに変更したり
此間に於て壱千弐百噸の船架を築造し同卅四年二月竣工せり、船渠築造は資金不足の為め渋滞し頗る困難を極めたるも、金六十万円の借入をなし同卅五年十一月竣工せり、大船渠は国家的には必要欠くべからざる施設なること明かなれども当時北海方面には未だ大船舶の航行少く殊に明治三十七年初、日露戦役勃発以来は船舶の航行殆ど其跡を絶
 - 第12巻 p.78 -ページ画像 
ち、又副業工事に於ても未だ何分みるべきものなく、業績不振を極め経営難に陥りたり
明治卅九年四月優先株金六拾万円を増資し合計総資本金を壱百八拾万円とし、借入金は七拾万円として存続し、工場設備の幾分を改善し材料を充実し戦後業務の発展を図り一時稍々好況を呈したるも、同四十年初秋に於ける函館市稀有の大火の影響と一般財界の反動的不振による打撃を受け、再び経営困難を来たせり
明治四十四年五月旧株金壱百弐拾万円の九割即ち金壱百八万円を減資し、優先株式の優先権を廃し旧株式の残余と併せて単一なる平等の株式とし、総資本金を金七拾弐万円に改めたり
爾来社運漸く順調に向ひ良好なる業績を挙げつゝありし折柄、大正三年盛夏の候欧洲に突発したる大戦乱は東洋の船舶界にも甚大なる好影響を及ぼし、大正五年初頭の頃より我国海運界異常の殷盛を極め船価頻に暴騰し、当社の如きも大正九年迄に千噸以上参千五百噸に至る船舶十数隻を新造し、殊に同六年下半期の如きは空前の好成績を挙げたり
大正七年一月株金七拾弐万円を増資して総資本金壱百四拾四万円に改め、利益金を充当して全額の払込を了し、次て同年八月又総資本金を弐百万円に改め利益金を充当し新資金を加へて全額の払込を了せり、此間に於て大正七年八月借入金全部を皆済せり
更に大正九年三月株金弐百万円を増資して総資本金を金四百万円に改め、積立金及利益金を払込みに充当し、現在総払込済資本金参百弐拾万円を有するに至れり
  創立当時より現時に至る役員及相談役の変遷左の如し○略ス
  現状○略ス
    (昭和三年八月現在)
                           以上
   ○明治三十九年四月二日男爵川田竜吉専務ニ就任セル時代ヨリ当会社沿革ヲ略述センニ川田専務新任ト共ニ栄一・近藤二長老相談役ニ就任、次イデ六拾万円ノ優先株増資ヲ行ヒ、借入金ノ利下ゲヲ実現シ、進ンデ事務工務ノ革新ヲ図リテ社運ノ挽回ヲ期セリ、然レトモ諸経費節約ニマデ意ヲ用ヒタレドモ猶多額ノ損失ヲ生ジ、当分此以上ノ営業成績ヲ挙グル見込立タズ、玆ニ四十三年入社ノ主事長近藤勝之助ノ提案ニテ、四十四年五月十五日株主総会ニ於テ「資本金ノ内普通株式弐万千六百株ヲ切捨テ、此株金壱百八万円ヲ減資シ、優先株式ノ名称及優先ノ権利ヲ廃スル件」ヲ決議シ、危機ニ沈面セル当会社ハ此ノ如キ手段ヲ以テ切抜ケントシタリ、又安田銀行ヨリノ借入金七拾万円ニ対シ、交渉委員ノ屡々折衝ヲ重ネタル結果、年利ヲ前利率ヨリ一分減ノ七分トナシ、返済明治四十五年二月二日ヲ更ニ五箇年延期スルノ承諾ヲ得タリ、之ヲ以テ起倒ノ岐路ニ立チタル当会社ハ再起ノ態勢ニ還リ、困難ヲ極メタル懸案ハ先ヅ解決シタルニ由リ、四十四年七月男爵川田専務ハ取締役ヲ引退シ依嘱サレテ相談役ト為ル、斯ノ如キ英断ナル整理ニ依リ営業成績ハ爾後漸次好調ニ転ジ、従来ノ重役報酬ヲモ復活シ配当モ大正元年ヨリ八分ニ上レリ、而シテ大正三年ニ発生セル欧洲大戦ハ当会社ニモ好影響ヲ与ヘ、船舶修繕工事ハ減少セルモ陸上諸工事ハ相当ノ多キニ上リ、五年八月ニ於ケル株主配当金ハ一割ヲ超エ、同年九月ニハ新株未払込金ヲ徴収シ株金全額払込済トナレリ、他方此頃ヨリ当会社ハ大イニ造船事業ニ力ヲ注ギテ、五年七月当会社最初ノ千噸級新造鋼船第二吉備
 - 第12巻 p.79 -ページ画像 
丸ヲ建造セルヲ始メトシテ、此レヲ機トシ総噸数千噸以上ノ鋼船ノ建造ヲ続行セリ、安田銀行借入金ニ就テハ期日切迫セルニ因リ期限延長ヲ交渉セシガ其見込無ク為メニ残額五拾五万円ヲ日本勧業銀行ニテ借入レ之ヲ返済セリ、大正七年一月二十日臨時総会ニ於テ資本金七拾弐万円ヲ倍加シ総資本金百四拾四万円トナシ、続テ八月十七日定式総会ニ於テ更ニ金五拾六万円ヲ増資シ総資本金弐百万円トス、尚同年十一月日本勧業銀行ヨリノ借入金五拾五万円ヲ返済シ創立以来ノ癌ナリシ借入金ヲ全部完済ス、斯クテ好調ヲ示シタル当会社ハ七年ノ下半期ニモ多大ノ利益ヲ計上セルニ因リ八年二月十九日ノ株主総会ニ於テ配当年四割トス、此総会ニ於テ原案四割ヲ増率シ六割トスベシト反対セル株主アリシモ欧洲大戦終熄シ我国ノ景況ハ次第ニ下向シツヽアリタレバ、堅実主義ヲ採リ将来ノ不況ニ備ヘ原案ヲ可決ス、而シテ大正九年更ニ増資ノ機運アリテ、三月十二日臨時総会ニ於テ弐百万円ヲ増資シ総資本金四百万円トナスノ決議ヲナス、蓋シ其理由トナス所ハ法定積立金以外ノ積立金ハ百万円以上トナリ、之ガ既ニ資本トシテ運転セルニモ拘ラズ外見上宛モ多大ノ暴利ヲ貪ルカノ如キ感ヲ懐カセシガ為メ資本金ヲ増額スルヲ至当トセシナリ、爾後工場設備改良及ビ拡張等ニ意ヲ注ギ其充実ヲ企レリ、仕上旋盤工場鋳物工場等ノ工場其他ノ設備新築増設相次ギ昭和二年六月浮船渠進水ス、他方大戦後造船工事ノ激減ニ因リ大正十二年頃ヨリ再ビ陸上作業ニ力ヲ注ギ、景気好転ノ場合ニ備ヘ工場ノ改築設備ノ改善ヲ施ス必要ヲ感シ日本勧業銀行ヨリ借入ヲナシ其完備ヲ期シタリ、斯クノ如クニシテ昭和十二年当社創業満四十周年ヲ迎ヘテ今日ノ隆盛ヲ見ルニ至レリ。
    現在当会社ノ営業科目左ノ如シ。
    船渠業 船舶及漁船ノ製造、修繕 遭難船舶ノ救助 曳船及貸船 重量物ノ積付、積卸シ及運搬 各方面陸上用機械及汽缶ノ製造修繕 鉱山用建築用鉄骨製作組立 各種橋梁製作架設工事 電気瓦斯鎔接工事 各種木材製材販売 各種木工品製作並塗工 其他鉄工木工ニ関スル諸般ノ業務
    設備大要
    乾船渠 浮船渠 船架 造船台設備 岸壁設備 海上設備 動力設備 構内設備 仕上工場 機械工場 鉄工場 鎔接工場 鋳物工場 鋳銅工場 木型工場 木工及製材工場 鍛冶工場 銅工工場 綱具工場 電気工場 工具工場 附属設備等(函館船渠株式会社四十年史ニ拠ル)