デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
18節 人造肥料業
1款 東京人造肥料株式会社
■綱文

第12巻 p.190-243(DK120027k) ページ画像

明治40年1月29日(1907年)

栄一、爾来取締役会長トシテ尽力スル所多ク、是日新タニ犬丸鉄太郎ヲ専務取締役ニ推挙シ、翌四十一年以後ニ於テ北海道人造肥料株式会社・帝国肥料株式会社等ヲ合併買収スル等当会社ノ発展ニ努ム。


■資料

竜門雑誌 第二二五号・第四一頁〔明治四〇年二月二五日〕 ○東京人造肥料会社重役選任(DK120027k-0001)
第12巻 p.190 ページ画像

竜門雑誌  第二二五号・第四一頁〔明治四〇年二月二五日〕
○東京人造肥料会社重役選任 東京人造肥料会社にては取締役及監査役各一名の補欠選挙を執行せる処、取締役には犬丸鉄太郎氏、監査役には植村澄三郎氏当選せられたり、又同社専務取締役たる竹田政智・田中元三郎両氏は何れも専務を辞任したるに付き互選の結果、右犬丸氏専務に任ずることゝなれり


大日本人造肥料株式会社五十年史 第六四―七一頁〔昭和一一年一一月〕(DK120027k-0002)
第12巻 p.190-193 ページ画像

大日本人造肥料株式会社五十年史  第六四―七一頁〔昭和一一年一一月〕
  ○第一編 当社の沿革
    第四章 日露戦役時代
○上略
 明治四十年一月二十九日の株主総会に於て、竹田・田中両専務取締役は専務の辞任を申出でられ、犬丸鉄太郎氏が専務取締役に就任された。
 斯くて当社は、戦後の好景気とともに簇生せる同業者間の競争裡にあつて、堅実なる躍進を続けた。明治四十年上半期に於ては、神戸工場の完成と共に販売数量も頓に増加し、一方小松川工場も明治四十年末には竣成の運びとなつて、事業拡張に伴ひ多額の資金を必要とするに至つた。こゝに於て明治四十年七月二十九日の株主総会は、五度増資を決議し、資本金を倍額の金参百万円としたのである。
 さて当社は創業以来玆に二十年を経過した。明治四十年八月五日創業二十年祝賀式を社内に挙げ、翌六日同祝賀会を大日本麦酒株式会社吾妻橋工場の庭園内に開催したのである。釜屋堀工場構内に催した祝賀式には、社員・職工・人夫等七百名が参列した。第二日の祝賀会は松岡農商務大臣以下朝野の名士及当社得意先諸氏等の会する者実に六百余名、盛大なる園遊会が催された。当日列席の農商務大臣の演説は左の如くで、以て当時の事情を覗ふに足るものがある。
  (前略)誠に我日本帝国の農業発達の上に一の功績を為したるものは人造肥料であると共に、其の人造肥料を率先して開祖となつたところのものは即ち当会社であると云ふ次第である。唯今承る所に依ると全国中今日凡そ十三の会社ありと雖も其の産額一も当社の盛大なるに敵ふものはないと云ふことであります。併し全国の広き農業に肥料を要することは尚前途益々遠いのであります。それ故に当会社が多年の辛苦経営を為して隆盛に赴くと云ふことが世間に知れ渡ると追々人造肥料業を企つる会社が増加して来た。昨今に至つて
 - 第12巻 p.191 -ページ画像 
は唯今承る通り千七百万円の資本と云ふ呼声を聞くに至つたのである。然る所多くの製造人の中には正しからぬ所謂粗製濫造よりも尚一層悪い肥料を拵へて純良なる農家にこれを売附けるものがある。一年の生計を為すところの農産物に貴重なる金を払つて無益の肥料を買はしめ、唯に無益なるのみならず有害なるものも中にはあると云ふことである。縦令有害でなくとも無益の肥料に金銭を費して居る農家が少くないのである。それ故に数年前より政府に於ても肥料の取締検査をする方法を設けて種々に手を尽して検査をし取締を致して居るのであるが、尚今日と雖も其の製造人に依り地方に依り、無効なる或は有害なる肥料の跡を絶つことが出来ない。それ故農家に向つては産業組合をして力を集めて善良なる肥料を選んで購買をするやうに、又官吏には検査の智識を注入するために特に肥料の検査官吏を養成して各地方に配置して其業に従はして居るのであります。併しながら此の消極的に物を防禦すると云ふことは甚だ効を収めることがむづかしい。一時は出来ても永久に碓かに持続すると云ふことは甚だむづかしい。何故と云へば其の時機を窺ひ、其隙を覗つて之を犯し又之を攻撃するといふ方のものは余程力を為し易い。それ故に官吏を配置し特に取締をしても尚価に相当しない処の肥料が随分沢山あるのであります。是は誠に国家の公益を害する事の甚しきものである。又各農家の代価を払ふ人に向つては製造人としては誠に相済まぬことである。なれども多数の中にはさう云ふものもあります。然るに当会社の主義として先づ国家に貢献する積りで公益を主とすると云ふことを原則と立てゝ、素より営業会社のことであるから損失をすることは好まないけれども国家に貢献すると云ふことが眼目であると云ふことを只今犬丸専務取締役より承るが、願くば此の言を空しからしめず、何処迄も農家の払ふところの代価に相当するところの善良有効なる肥料を製造し、販売を益々広くせられたならば他の小さい製造家や不正の製造人などは自然に圧倒されて来るやうに立至るであらうと思ひます。又さうなることを希望します。さうすれば消極的に防禦すると云ふやうな検査法も或は又組合を設けて善良なる肥料選択の労を執ると云ふことも省けて来るだらうと思ふのであります。二十年間発達して来たところの当会社に於て今云はれるところの主義を少しも違はず誤らず益々拡張して行かれるときには当会社の隆盛は無論期せらるゝことゝ思ふのであります。(後略)
 尚当時に於ける当社の資本金其他の状況は次の通りである。
一、資本金     三、〇〇〇、〇〇〇円
   内訳      払込資本金    一、三三三、〇九六円
           未払込資本金     一六六、九〇四円
           未募集資本金   一、五〇〇、〇〇〇円
二、積立金     五四一、二〇〇円
  内訳       法定積立金      一〇七、二〇〇円
           別段積立金      三〇九、〇〇〇円
           配当準備積立金    一二五、〇〇〇円
 - 第12巻 p.192 -ページ画像 
三、本社及工場
    本社       社員 二四
             現場係 五  小使   四
             給仕  三  倉庫夫 二七
    工場 釜屋堀工場 社員 一八  職工 二五九
             小使  三  人夫 三一九
       小松川工場 社員  四  小使   三
             雇員 一一  職工  一〇
       神戸工場 社員   八  職工  五〇
            給仕小使二
四、敷地坪数 四七、〇七七坪六八
    内訳 本社及釜屋堀工場 一一、四六五坪
       小松川工場    二八、三一九坪二
       神戸工場      七、二九三坪四八
五、製造高
   肥料   年産三〇五万叺
    内訳 釜屋堀工場
        過燐酸肥料 一四〇万叺 完全肥料 七〇万叺
       小松川工場
        過燐酸肥料 七五万叺
       神戸工場
        完全肥料  二〇万叺
   硫酸   年産一、一七〇万貫
    内訳 釜屋堀工場  七二〇万貫
       小松川工場  四五〇万貫
 日露戦役後の財界の恐慌は、日清戦役後の場合と全くその軌を一にして循環し来り、明治四十一年頃が最も甚しかつた。而してこの打撃は遂に大正時代にまで推移したのである。
 各種産業の内人造肥料界は、既設会社の拡張乃至新設会社の続出に依つて製産過剰の状態にあつたため、その打撃は特に著しく、基礎薄弱の会社は経営難に陥り、減産投売等斯界は混乱の状態に立至つた。この間に於て、当社は同業者が徒らに競争乱売することは、結局生産者のみではなく、消費者側にも不利益を齎す事情に鑑み、斯業の健全なる発達のために事業統制に当つた。即ち明治四十一年八月には北海道人造肥料株式会社及帝国肥料株式会社を合併し、同四十二年十二月には摂津製油株式会社肥料部を買収したが、更に同四十三年七月には大阪硫曹株式会社を合併するに至つたのである。
 北海道人造肥料株式会社は明治四十年二月に創立せられ、工場は北海道函館市外亀田村にあつた。又帝国肥料株式会社は明治三十九年十月の創立であつて、横浜市新浦島町に工場を建設中であつた。合併は両社とも当社二十四円払込済株式一株と先方十二円五十銭払込済四株の割合を以て行はれたのであるが、明治四十一年五月十八日合併仮契約書に調印して、同年八月十八日引継が完了し、前者を函館工場、後者を横浜工場と命名した。而して合併に伴ふ資本金増加のことは同年
 - 第12巻 p.193 -ページ画像 
六月八日の臨時株主総会に於て決議され、当社はここに六度増資を行つて、資本金四百万円となつたのである。
 然るに一方、一般経済界は益々沈淪し、農作物の収穫減少の上に糸価・米価の低落等、明治四十二年には農村は悲運の極度に達する状態であつた。この間拡張・新設の肥料界の競争は一層激甚の度を深め、当社に於てもその営業は頗る困難なるものがあつたのである。他方明治四十一年には肥料取締法が改正されて、高度燐礦に珪砂を混和して従来の普通過燐酸肥料を製造することを禁止されるに至つた。同業各社の請願により同四十二年末迄は猶予を得たが、当社に於てもこれがため従来の水溶性燐酸一五%十貫目入の過燐酸肥料の外に同二〇%七貫五百匁入の品をも製する等、斯界は頗る多事であつた。然し当社は社内外の努力に依つて、他社不況の裡に、四十二年上期には百七万余叺と云ふ創業以来の多数販売記録を挙げ、一割の配当を行ひ得たのである。


渋沢栄一 書翰 犬丸鉄太郎宛(明治三九年)一二月三一日(DK120027k-0003)
第12巻 p.193 ページ画像

渋沢栄一 書翰  犬丸鉄太郎宛(明治三九年)一二月三一日
                    (犬丸鉄太郎氏所蔵)
益御清適奉賀候、然者過日来御内話申上候貴台御身分之義者其後御本省之方如何御運ニ相成候哉、既ニ小生ハ此程拝眉之後会社ニ罷越一同を招集して改革之方針まて相達候義ニ付、願くハ至急御自由之御身と相成候様企望仕候、又先日尊書を以て御内示相成候件々ハ夫々相心得居候ニ付御降心可被下候、右可得貴意如此御坐候 不宣
  十二月三十一日
                        渋沢栄一
    犬丸鉄太郎様
         梧下
  ○以下ハ右ノ書翰ニツキ犬丸氏ガ当時ノ事情ヲ説明シタルモノナリ。
   「青淵先生ノ取締役会長タル東京人造肥料株式会社ノ改革急ニ迫リ、既ニ其改革方針ヲモ発表シタルニ付、至急ニ農商務省ヲ辞職スルヤウ催促セラレタルモノナリ
    所謂大晦日ニ手記セラレタル御書面ヲ新年早々ニ拝受シ、感激シテ愈々辞職ヲ決心シタル次第ニシテ、大晦日ト雖先生カ一肥料会社ノ経営ニ関心セラレタルヲ見ルニ足ルヘシ
    末段ニ内示相成候件々トハ、改革ニ着手スルモ先生ノ御期待ニ副フコトノ困難ナルコト、又自己ノ一身トシテハ保身ノ途ニ非サルヤウ思考スルユヘ猶ホ躊躇スル旨ヲ述ヘタル小生ノ手紙ナリ」


渋沢栄一 書翰 犬丸鉄太郎宛(明治四〇年)一月一五日(DK120027k-0004)
第12巻 p.193-194 ページ画像

渋沢栄一 書翰  犬丸鉄太郎宛(明治四〇年)一月一五日
                    (犬丸鉄太郎氏所蔵)
再度之貴翰及電報とも拝披来示了承仕候、貴台御辞職之事も都合克御取運相成御自由之御身と相成候よし好都合ニ奉存候、右ニ付花房男・阪谷氏等へも夫々御通置之趣是又拝承仕候、小生も去ル十一日ニも帰京田中元三郎面会之上留守中之事共申談し、又竹田ニも夫々諭示致置候ニ付此際之処別段不都合之事共無之と存候、且小生ハ明日帰京之筈ニ付、多分十八九日頃貴台御同行会社ニ於て現況御一覧も相願、向後
 - 第12巻 p.194 -ページ画像 
之取扱振百事御打合可申上と存候、右不取敢拝答如此御坐候 不宣
  一月十五日
                      渋沢栄一
    犬丸鉄太郎様
         拝答
  ○以下ハ右ノ書翰ニツキ犬丸氏ガ当時ノ事情ヲ説明シタルモノナリ。
   「明治四十年ノ年頭ニハ先生ハ国府津ノ国府津館ニ滞在セラル、一月十四日小生ノ辞職聴許セラレタレハ、御約束ニ従ヒ即日書面及電報ヲ呈シタルニ、翌十五日ニ与ヘラレタル御書面ナリ
    花房男トハ後ノ花房義質子爵、阪谷氏トハ申迄モナク後ノ芳郎男爵ニシテ当時大蔵大臣タリ、共ニ小生ノ辞職入社ニ関与セラレタルナリ
    田中元三郎、竹田(政智)トアルハ共ニ当時ノ東京人造肥料株式会社ノ専務取締役ニシテ先生ハ取締役会長タリ、此両氏退任シテ小生入社ス、二人ノ専務取締役ヲ一人トス、是レ改革ノ発端ナリ
    此書状ニハ一月十六日ニ帰京シ十八九日頃小生ヲ会社ニ同行ストアリシモ先生ハ十六日帰京セラレテ其翌十七日小生ヲ会社ニ帯同セラレ引続キテ出勤シ、其月二十九日ノ総会ニ於テ専務取締役ニ推薦セラレタルナリ、以テ如何ニ肥料会社ノ改革カ一日モ忽ニスヘカラサルノ急ニ迫リ、如何ニ先生カ腐心セラレタルカヲ知ルニ足ルヘシ」


渋沢栄一 書翰 秋葉善吉宛(明治四〇年)三月一七日(DK120027k-0005)
第12巻 p.194 ページ画像

渋沢栄一 書翰  秋葉善吉宛(明治四〇年)三月一七日
                    (八十島親義氏所蔵)
拝啓益御清適奉賀候、過日ハ御出京且遠路再三御過訪被下忝存候、其際御申聞有之候東京人造肥料会社増資之件ハ、昨日同会社之重役会ニ於て種々評議致候得共、目下経済界不況之場合ニ提出も致兼候間暫時見合置、好時機を待て或ハ臨時会相開き可申と存候、尤も向後之気配不充分ニて臨時会ニ提出候都合ニ相成兼候とも、七月之定時総会ニハ提出可仕度《(衍カ)》と相考居候、将又其増資額も或ハ現在資本額之倍増ニいたし候歟、又ハ其余ニ割増額をも発行候歟ハ其際之景況ニ応して取究め申度と存候
右之通り決定致候ニ付、詰り御申出之御企望と大差無之候間過日御提出之御書面ハ返上仕候ニ付御落手可被下候、且又調査員云々之御申出ニ付而ハ過日之御面話ニて相尽し候間拝答相略申候、右可得貴意如此御坐候 拝具
  三月十七日               渋沢栄一
    秋葉善吉様
  (別筆)
  秋葉善吉様 渋沢栄一
  (甲) 事務所印 四十年 三月十七日


渋沢栄一 書翰 犬丸鉄太郎宛(明治四一年)三月三〇日(DK120027k-0006)
第12巻 p.194-195 ページ画像

渋沢栄一 書翰  犬丸鉄太郎宛(明治四一年)三月三〇日
                    (犬丸鉄太郎氏所蔵)
 - 第12巻 p.195 -ページ画像 
拝啓、然者昨日吉岡新五郎面会之際会社肥料売捌直段引下之義ニ付、一案有之貴台へ陳上仕候得共、老生ニも考慮いたし候様との申聞有之候、右者此際売捌人ニ対し何千俵以上ニ及候時ハ幾許之直下ケ可致と申方法相立、概算八千円歟壱万円位迄割引して販売高之拡張を勉め申度との趣意ニ御坐候、貴案如何ニ候哉、或ハ一考もの歟とも存候ニ付賢慮御伺申上候
馬越氏ニ内議すへき帝国肥料合併問題ハ過日書中ニ申通、尚植村氏を以て懇切ニ伝言いたし置候(其前ニ会見之義電話ニて引合候得共、痛所全愈無之外出出来兼候由ニ付無拠植村氏ニ伝言せし事ニ候)右ニ付而ハ未た回答無之候得共近日確乎たる事申出候筈と存候
別紙印刷物ハ岐阜県下之人ニて篤志ニ昆虫学研究せし由ニ有之、肥料業ニハ幾分之関係も有之候ニ付老生も少々之寄附金致度、品ニ寄他之重役諸君ニも幾分宛ニても相願度と存候間、一応印刷物御廻し申上候間其中重役会之際詳細申上候様可仕候御含置可被下候
株金払込之義ニ付而ハ先日来示ニ対し御返事申上候御取計之事と存候右一書申上度匆々 不一
  三月三十日               渋沢栄一
    犬丸鉄太郎様
         梧下
  ○以下ハ右ノ書翰ニツキ犬丸氏ガ当時ノ事情ヲ説明シタルモノナリ。
   「吉岡新五郎トハ肥料会社ノ販売課長ニシテ、先生ノ姉上ノ子即チ甥ナリ、此御書面ニテハ販売上ニ於ケル深キ御注意ヲ見ルヘシ
    世上一般ノ大家カ社長又ハ会長タルモノ概ネ所謂盲判的ニ社業ヲ処理スル者多キ当時ニ於テ、殊ニ先生ノ如ク唯一無二ノ繁激ノ身ヲ以テ、恰モ専意専身之ニ従事スル者ト雖尚ホ且ツ及ハサルノ熱誠ト周密ナル用意トヲ以テ、或ハ販売ニ或ハ人事ニ或ハ原料ニ或ハ製造其他会社内外ノ用件ニ関シ貴重ノ時間ヲ割キテ一肥料会社ノ経営ニ対シ事ノ大小ヲ問ハズ誘掖指導セラレタルヲ見ルヘシ
    馬越氏トハ馬越恭平氏ニシテ、当時新設ノ帝国肥料株式会社取締役会長タリ
    植村氏トハ植村澄三郎氏ニシテ当時肥料会社ノ監査役タリ、又馬越氏ノ社長タル大日本麦酒会社ニ常務取締役タリ
    岐阜県下ノ昆虫研究家トハ名和靖氏ナリ」


渋沢栄一 書翰 犬丸鉄太郎宛(明治四二年)二月二日(DK120027k-0007)
第12巻 p.195-196 ページ画像

渋沢栄一 書翰 犬丸鉄太郎宛(明治四二年)二月二日
                    (犬丸鉄太郎氏所蔵)
拝啓益御清適奉賀候、然者過日御評議相済候当会社職員身上ニ関する評議書ハ小印返上いたし候、早々ニ他之同僚ニも御廻議之上御履行可被成候
先夜申上候大坂地方之工場合同問題ニ付而ハ藤井・杉山両氏へ一書を送り可申と存候、且同時ニ藤野氏へも其段通知之積ニ御坐候、乍序此段申上候匆々拝具
  二月二日               渋沢栄一
    犬丸鉄太郎様
         梧下
 - 第12巻 p.196 -ページ画像 
  ○以下ハ右ノ書翰ニツキ犬丸氏ガ当時ノ事情ヲ説明シタルモノナリ。
   「藤井氏トハ大坂アルカリー株式会社長藤江章夫氏ナリ、先生ハお国なまりニテ折々いトゑトヲ誤ルコトアリト自カラ申サレタルコトアリ
    杉山トハ岡山ノ日本製銅硫酸肥料株式会社長杉山岩三郎氏ナリ
    藤野氏トハ三井物産株式会社大坂支店長藤野亀之助氏ナリ」


渋沢栄一 書翰 犬丸鉄太郎宛(明治四二年)五月一二日(DK120027k-0008)
第12巻 p.196 ページ画像

渋沢栄一 書翰  犬丸鉄太郎宛(明治四二年)五月一二日
                    (犬丸鉄太郎氏所蔵)
拝啓益御清適奉賀候、然者別紙無名之来状ハ只一覧いたし置候外無之と存候得共、不取敢御廻し申上候、株主中ニ此際之払込を困難ニ感し候向有之候義と被存候
合同問題ニ付而ハ此程植村・田中両氏より其調査書被相示候間、先以大坂地方之模様聞合候方と申談置候処明日藤野氏右件ニ付出京之由ニ候、老生も午前後之中会見之積ニ候、右等乍序御含まて申上候 匆々不一
  五月十二日              渋沢栄一
    犬丸賢契
       坐下
  ○以下ハ犬丸氏自ラ右ノ書翰ニツキ当時ノ事情ヲ説明シタルモノナリ。
   「植村・田中トハ肥料会社監査役植村澄三郎氏、同取締役田中元三郎氏ナリ藤野氏ハ三井物産大坂支店長藤野亀之助氏ナリ
    先生ハ農家ノ出身ナルコトヲ常ニ口ニセラレ、農事ノ改良ト農民ノ利福増進ヲ念トセラレタレハ、先生ノ肥料会社創立ト経営ハ偶然ナラサルナリ、而シテ全国肥料会社ノ合併統制ハ先生経綸ノ現ハレニシテ、玆ニ差出ス御書面十一通中其五通ハ併合ニ関スルモノニ属シ、月日満弐ケ年ニ亘レリ、此期間ニ帝国肥料及北海道人造肥料ノ二会社ノ合併ハ終了シ、残レル会社ノ当局者トハ幾多ノ予備行為概ネ調ヒ居タルコトユヘ、先生ニシテ尚ホ壱ケ年在職セラレタルナラハ、全国肥料会社ノ併合ハ後年ヲ俟タズシテ実現セラレタルナリ
    然ルニ先生ハ此御書面(五月十二日)後壱ケ月ヲ出テサル明治四十二年六月六日、突如トシテ第一銀行頭取タル以外数十会社ノ関係ヲ一時ニ辞任スル旨発表セラレタレハ、全国肥料会社ノ大合同ハ忽チ頓挫水泡ニ帰シ、小生ハ知己去ツテ単リ職ニ留ルヲ欲セズ先生ノ進退ニ従ヒテ退任シタリ、其事情ノ一斑ハ明治四十二年七月二十五日発行ノ竜門雑誌第二百五十四号ノ第二十頁ニ於ケル先生ノ辞任告別演説速記中、及六十三頁上段ノ雑報中ニアリ」


渋沢栄一 日記 明治三八年(DK120027k-0009)
第12巻 p.196-197 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三八年
一月七日 晴 風ナシ
○上略 十時頃○午前横浜イリス商会ノ独人ポール氏・小束栄太郎二氏来リ燐礦石ノ事ニ関シ来請ノコトアリ、依テ東京ニ電話ヲ通シテ肥料会社竹田・田中二氏明日来磯ノコトヲ照会ス○下略
一月八日 晴 少シク風アリ
○上略 十時○午前竹田政智・田中元三郎二氏来リ人造肥料会社ニテ買入ヘキ燐礦石ノ事ヲ談シ、且本月ノ株主総会ニ提出スヘキ増株ニ関スル議案ヲ協議シ、燐礦ニ付テハ明日イリス商会ニ照会スヘキコトトシ、且来ル十四日午後兜町ニ重役会ヲ開クコトヲ約ス○下略
 - 第12巻 p.197 -ページ画像 
一月九日 晴 風寒シ
○上略
午後東京人造肥料会社ヨリ電話来ルヲ以テ其回答ヲ発スル為郵便局ニ抵リ、竹田政智氏ニ電話シテ燐石五千噸イリス商会ニ注文ノコトヲ照会ス○下略
  ○一月四日ヨリ大磯滞留中ナリ。
一月十四日 雨 軽暖
○上略 午後二時半兜町事務所ニ抵リ人造肥料会社重役会ヲ開ク、堀江・益田・竹田・田中・浅野・桜井諸氏来会ス○下略
一月二十九日 曇 寒
○上略
九時○午前馬車ニテ釜屋堀人造肥料会社ニ抵リ株主総会ヲ開ク、定時臨時ノ議案ヲ決定シ、更ニ重役会議ヲ開キテ二三ノ要件ヲ議決ス○下略
二月二日 曇 寒甚シ
○上略 夜七時過王子別荘ニ帰宿ス、竹田政智氏来リ人造肥料会社ノコトヲ談ス○下略
二月二十四日 晴 軽暖
○上略 食後○午飧後人造肥料会社ニ抵リ新工場建設ノ件、土地買入ノ件ヲ協議シ、中川ノ地所ヲ一覧ス、竹田・田中・浅野・益田太郎ノ諸氏同行ス、一覧後更ニ会社ニ於テ種々ノ議ヲ凝ラシ午後六時過人形町ヨリ電車ニテ本郷ニ抵リ更ニ人力ニテ王子別荘ニ帰宿ス
五月五日 晴 風強シ
○上略 午後二時人造肥料会社ニ抵リ重役会ヲ開ク、取締役・監査役悉ク来会ス○下略
五月九日 曇 風ナシ
○上略
午前十一時人造肥料会社新設工場ノ土地ニ関シ竹田・田中二氏太田広吉同行事務所ニ来ル、種々ノ協議ヲ為ス
五月二十七日 晴 風強シ
○上略 十時○午前兜町事務所ニ於テ人造肥料会社田中元三郎来話ス○下略
七月八日 晴 風涼シ
○上略 午後一時人造肥料会社重役会ヲ兜町事務所ニ開キ○下略
七月二十七日 曇 蒸暑
○上略 午前十時人造肥料会社株主総会ニ出席ス○下略
十一月二十二日 晴 風ナシ
○上略 竹田政智・田中元三郎二氏来リ人造肥料会社ノ要務ヲ談シ○下略
十二月二十九日 雪 寒甚シ
○上略 午飧後事務所ニ抵リ人造肥料会社重役会ヲ開ク○下略


渋沢栄一 日記 明治三九年(DK120027k-0010)
第12巻 p.197-198 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三九年
一月十三日 晴 風ナシ            起床七時就蓐十一時
○上略 一時事務所ニ抵リ人造肥料会社重役会ヲ開ク、新工場建築ノコトヲ議決ス○下略
一月二十九日 晴 風ナシ           起床七時
 - 第12巻 p.198 -ページ画像 
○上略 十時○午前向島ニ抵リ札幌麦酒会社ノ株主総会ニ出席ス、畢テ直ニ馬車ヲ馳セ釜屋堀ニ抵人造肥料会社《(リ脱)》ノ株主総会ニ出席ス○下略
二月九日 雪 寒甚シ             起床七時三十分
○上略 十二時半帝国ホテルニ抵リ、英国人アランデル氏ノ午飧会ニ出席ス、氏ハ燐酸原料ヲ販売スル人ナリ、人造肥料会社田中元三郎・益田太郎二氏来会ス、竹田政智ハ病ニヨリテ出席セス○下略
二月二十五日 雪 寒             起床九時就蓐十二時
○上略 夜皆川・竹田氏等来ル、人造肥料会社ノ要務ヲ談ス
三月二十二日 曇 風寒シ           起床七時二十分就蓐一時
○上略
皆川四郎・竹田政智二氏来リ人造肥料会社ノ要務及水産会社創設ノ件ヲ談ス
○下略
四月八日 曇夕雨 軽暖            起床八時就蓐十二時三十分
○上略 竹田政智氏来リ人造肥料会社ノコトヲ談ス○下略
四月十一日 晴 微寒             起床六時三十分就蓐十二時三十分
○上略 農商務省ニ抵リ和田次官ニ面会シ人造肥料会社ノコトヲ談ス、更ニ警視庁ニ総監ヲ訪フモ不在面会ヲ得ス○下略
四月十二日 半晴 微寒            起床六時就蓐十二時
○上略 人造肥料会社ノコトニ関シ警視総監ヲ訪フモ面会ヲ得ス○下略
四月十三日 晴 軽暖             起床七時就蓐十一時三十分
午飧後農商務省ニ抵リ、和田次官ニ面会シテ人造肥料会社ノコトヲ談ス、畢テ警視庁ヲ訪フモ総監ニ面会ヲ得ス○下略
四月十五日 曇 軽暖             起床七時就蓐十一時三十分
○上略 午後二時警視総監ヲ其官舎ニ訪フテ人造肥料会社ノコトニ関シ談話ス
五月十日 半晴 暖              起床七時就蓐十二時
○上略 七時半朝飧ヲ喫ス、竹田政智氏来リ人造肥料会社ノコトヲ談ス、午前十時釜屋堀人造肥料会社ニ抵リ更ニ新工場ニ抵リテ建築工事ヲ一覧ス、十一時会社ニ於テ重役会ヲ開キ要件ヲ議決ス
五月十九日 半晴 暖             起床五時三十分
○上略 十一時半農商務省ニ抵リ酒匂農務局長ニ面会シ人造肥料ノコトヲ談ス○下略
五月二十五日 晴 風アリ           起床六時就蓐十二時
○上略
竹田政智氏来リ人造肥料会社ノコトヲ談ス
七月十一日 雨 涼              起床七時就蓐十二時
○上略 新湊川尻ナル人造肥料会社買入地所ヲ一覧シ、午後六時過帰寓ス
  ○此日朝鮮旅行ヨリノ帰途神戸ニ立寄リタルナリ。


渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK120027k-0011)
第12巻 p.198-200 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四〇年
一月八日 晴 軽暖              起床七時三十分就蓐十一時三十分
○上略 午前十時兜町事務所ニ抵リ田中元三郎・犬丸鉄太郎二人ヲ会シテ人造肥料会社ノコトヲ談ス○下略
 - 第12巻 p.199 -ページ画像 
一月十七日 曇雨               起床七時就蓐十二時
○上略 午後三時ヨリ人造肥料会社ニ抵リ犬丸氏ヲ同行シテ事務取扱ノコトヲ談ス○下略
一月二十四日 雨 寒             起床七時就蓐十一時三十分
○上略 午前十時兜町事務所ニ抵リ人造肥料会社重役会ヲ開ク○下略
一月二十六日 曇 寒             起床七時三十分就蓐十一時三十分
○上略 午前十一時兜町事務所ニ抵リ人造肥料会社重役会ヲ開ク、竹田・田中・益田・技師数名犬丸氏モ来会ス
一月二十七日 曇 寒             起床八時就蓐十一時三十分
○上略 田中元三郎氏来リ肥料会社ノコトヲ談ス○下略
一月二十九日 雨 寒             起床七時就蓐十一時
○上略 午前十時半東京人造肥料会社ニ抵リ先ツ重役等ト種々ノ協議ヲ為シ、株主総会ニ付株主中ニ物議アルヲ以テ丁寧之ヲ弁解ス
午後四時頃ニ至リテ漸ク総会ヲ決了ス
○下略
二月四日 晴 寒               起床八時就蓐十一時三十分
○上略 十時○午前兜町事務所ニ抵リ○中略又渋沢喜作・益田太郎・犬丸鉄太郎三氏ト人造肥料会社ノコトヲ談ス
○下略
二月二十日 半晴 軽暖            起床八時就蓐十一時三十分
○上略 夜竹田政智来リテ辞表ヲ出シ、種々ノ苦情ヲ陳述ス
三月三日 晴 軽暖              起床八時就蓐十二時
○上略 秋葉善吉来リ人造肥料会社ノコトヲ談ス○下略
三月五日 雪 寒               起床七時三十分就蓐十一時三十分
起床後入浴シ畢テ朝飧ヲ喫ス、食後秋葉善吉来リ人造肥料会社ノコトヲ談ス
○中略
犬丸鉄太郎氏来リ人造肥料会社ノ要務ヲ談ス
○下略
三月十六日 曇 寒              起床七時就蓐十一時三十分
○上略 午前十時過東京人造肥料会社ニ抵リ、重役会ヲ開キ要件ヲ議決ス
○下略
三月二十五日 雨 寒             起床七時三十分就蓐十一時三十分
○上略 午前十時人造肥料会社ニ抵リ重役会ヲ開キ要件ヲ議決ス
○下略
四月十二日 晴 暖              起床六時四十分就蓐十二時
○上略 午前九時人造肥料会社ニ抵リ重役会ヲ開キ要務ヲ議決ス○下略
五月五日 晴 暖               起床七時就蓐十二時
○上略
皆川四郎・竹田政智二氏来ル、遠洋漁業会社・人造肥料会社ノコトヲ談ス
○下略
五月十三日 晴 軽暖             起床七時就蓐十二時
○上略 午前十一時犬村・森・吉岡氏等ト共ニ農事試験所ニ抵リ、各地ヨ
 - 第12巻 p.200 -ページ画像 
リ来会セル試験所長ニ人造肥料ノコトヲ談話ス○下略
五月二十七日 晴 軽暑            起床七時就蓐十二時
○上略
人造肥料会社犬丸・益田及三井物産ノ遠藤氏等来リテ、京摂以西ニ於ル肥料売捌方法ヲ会議ス
六月十九日 雨 冷              起床七時就蓐二時
○上略 石井重任氏来リ人造肥料業ニ関スル談話ヲ為ス○下略
六月二十五日 曇 涼             起床七時就蓐十一時三十分
○上略 石井重任氏来リ人造肥料事業協同ノコトヲ請求セラル○下略
七月二十日 曇 冷              起床七時就蓐十二時
○上略 午後四時犬丸鉄太郎氏来リ人造肥料会社ノコトヲ談ス○下略
七月二十九日 晴 暑             起床八時就蓐十一時三十分
○上略 比日ハ人造肥料会社株主会及東京市役所ノ会同、石川島造船所ノ株主総会アリシモ病ノ為メ電話ヲ以テ之ヲ謝絶ス○下略
八月五日 雨又晴 暑             起床七時就蓐十一時三十分
○上略
此日人造肥料会社紀念祭ノ為出席スヘキ筈ナリシモ病ノ為謝絶ス
八月六日 晴 暑               起床六時三十分
○上略
此日ハ人造肥料会社二十年紀念ノ夜会ヲ催セシモ、病ノ為メ出席ヲ得ス○下略
九月五日 晴 暑              起床七時就蓐十二時
○上略 午前九時人造肥料会社ニ抵リ重役会ニ出席ス○下略
十月五日 曇 冷              起床七時三十分就蓐十一時三十分
○上略 十一時○午前兜町ニ於テ人造肥料各会社ノ会同ニ出席ス。○下略
十月二十九日 曇 冷            起床七時就蓐二時
○上略 午前九時朝飧ヲ食シ、十時半人造肥料会社ニ抵リ重役会ヲ開ク、小松川工場建築ノ現状ヲ一覧スル為メ重役諸氏一同ト共ニ同所ニ抵リテ工事其他ノ模様ヲ視察ス、畢リテ本社ニ帰リ午飧ヲ為シ、食後要件ヲ議決ス○下略
十一月二日 晴 冷             起床七時就蓐十二時
○上略 夕方人造肥料会社技師森庸太郎外一人来話ス○下略
十一月八日 晴 冷             起床七時三十分
起床後入浴シ畢テ朝飧ヲ食ス、食後森殿五郎氏ノ来訪ニ接ス、人造肥料会社ノコトニ関シ種々ノ苦情ヲ述フ○下略
十一月九日 晴 冷             起床七時就蓐三時
起床後直ニ入浴シ畢テ日記ヲ編成ス、竹田政智来リ新会社設立ニ付賛成ヲ求ム、人造肥料会社一色藤之助氏来ル、面会ヲ謝絶ス○下略
十一月十四日 曇 冷
○上略 午前十時半兜町事務所ニ抵リ東京人造肥料会社重役会ヲ開キ要件ヲ議決ス○下略 起床六時三十分


渋沢栄一 日記 明治四一年(DK120027k-0012)
第12巻 p.200-202 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四一年
一月八日 晴 軽寒
 - 第12巻 p.201 -ページ画像 
○上略 午後三時犬丸氏夫妻来訪ス、肥料会社ノ要務ヲ談ス
  ○大磯滞留中ナリ。
一月十四日 曇 寒強シ
○上略 午前九時五十分大磯発ノ汽車ニテ帰京ス、十二時過キ新橋着、直ニ釜屋堀人造肥料会社ニ抵リ重役会ヲ開ク、午後三時議事畢リテ○下略
一月二十九日 晴 寒
○上略 十時○午前人造肥料会社ニ抵リ株主総会ヲ開キ、半季決算ノコトヲ議決ス○下略
二月十四日 晴 寒
○上略 午飧後兜町事務所ニ抵リ人造肥料会社ノ重役会ヲ開ク○下略
四月十七日 晴 軽寒
○上略 十一時○午前兜町事務所ニ抵リ書状ヲ裁ス、犬丸鉄太郎氏来リ人造肥料会社ノコトヲ談ス○下略
四月二十七日 雨 暖
○上略 午前十時兜町事務所ニ抵リ人造肥料会社重役会ヲ開キ、要件ヲ議決ス○下略
五月十八日 晴 暖
○上略
此日午前十時人造肥料会社重役会ヲ兜町ニ開キ要件ヲ議了ス
五月二十八日 雨 軽寒
○上略 午前十時兜町事務所ニ抵リ杉山岩三郎氏ノ来訪ニ接ス、人造肥料ノコトヲ談ス○下略
六月八日 雷雨 暑
○上略 午前十時釜屋堀人造肥料会社ニ抵リ重役会ヲ開キ、又株主総会ヲ開キテ要件ヲ議決ス○下略
六月十二日 曇 暑
○下略 犬丸鉄太郎氏・守随某来訪、人造肥料会社ノコトヲ談ス○下略
七月十三日 晴 暑
○上略 午後三時釜屋堀人造肥料会社ニ抵リ重役会ヲ開キ、要件ヲ議決ス
○下略
七月十九日 曇 冷
○上略 竹田政智氏来リ新設会社ノコトニ関シ種々ノ談話アリ○下略
七月二十九日 晴 大暑
○上略 午前十二時人造肥料会社ニ抵リ株主総会ヲ開ク、畢テ午飧ヲ食シ重役会ヲ開キ要務ヲ議決ス○下略
八月八日 半晴 暑
○上略 午飧シ後三井物産会社ニ抵リ益田氏及藤野大坂支店長ニ面会シテ人造肥料会社ノコトヲ談ス○下略
八月十三日 快晴 暑
○上略 十二時過午飧シ後植村・犬丸二氏及家人モ皆相伴フテ五稜廓ニ抵リ堤上ニ於テ眺望ス○中略一覧後兼子等ト分袂シテ人造肥料会社工場ニ抵リ各所ヲ一覧シ、詰合員ニ一場ノ訓誡ヲ為ス○下略
  ○八月十一日東京発北海道旅行ノ途ニ上リ、此日函館ニアリ。植村澄三郎・犬丸鉄太郎二氏同行ス。
 - 第12巻 p.202 -ページ画像 
九月十四日 半晴 冷
○上略 午前十時兜町事務所ニ抵リ人造肥料会社重役会ヲ開ク○下略
九月十五日 曇 涼
○上略 午後三時兜町事務所ニ抵リ、杉山岩三郎・藤井某二氏ノ来訪ニ接シ、人造肥料業大合同ノコトヲ談ス ○下略
九月二十六日 曇 涼
○上略 十二時半人造肥料会社ニ抵リ韓国ヨリノ来客ニ接ス、食卓上種々農業ニ関スル談話ヲ為ス○下略
十月三日 半晴 涼
○上略 午後二時農商務省ニ抵リ押川次官ニ面会シテ人造肥料ノコトヲ談ス○下略
十月二十七日 晴 冷
午前八時起床風邪気ニテ入浴セス褥中ニテ事務ヲ処理ス、東京人造肥料会社ノコト、宮城屋貯蓄銀行ノコトニ関シ兜町事務所ニ会議アリシモ出席スルヲ得サリキ○下略
十一月三日 晴 冷
○上略 午飧後二三ノ来人ニ接ス、吉岡新五郎来リ人造肥料会社ノ事ヲ談ス、大坂地方同業会社ノ処分ニ関シ詳細ノ意見ヲ示ス、専務取締役ノ行為ニ付テモ種々ノ談話アリ
○下略
十二月九日 晴 寒
○上略 午後六時浜町常盤屋ニ抵リ肥料業者ノ催ニ係ル宴会ニ出席ス、余輿アリ、夜十時王子ニ帰宿ス○下略


渋沢栄一 日記 明治四二年(DK120027k-0013)
第12巻 p.202-203 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四二年
一月十二日 晴 寒
○上略 犬丸鉄太郎氏ニ人造肥料会社ノコトヲ通知ス○下略
一月十三日 雪 寒甚
○上略 十二時半第一銀行ニ於テ午飧シ、後人造肥料会社重役会ヲ開キ諸計算ヲ撿閲シ要件ヲ議決ス○下略
一月二十九日 晴 寒風強シ
○上略 十一時半釜屋堀人造肥料会社ニ抵リ株主総会ヲ開キ決算ノコトヲ議決ス○中略午後六時浜町常盤屋ニ抵リ人造肥料会社重役会ヲ開キ種々ノ議案ヲ決定シ、且人丸氏身上《(犬丸)》ニ関シテ大ニ協議スル所アリタリ○下略
二月八日 晴 寒
○上略 十二時兜町事務所ニ抵リ○中略又人造肥料会社ノコトニ関シ益田・植村・田中三氏ト要件ヲ協議ス○下略
二月十一日 晴 風寒
○上略 八時朝飧ヲ食ス、吉岡新五郎来リ人造肥料会社ノコトヲ談ス○下略
二月十六日 晴 風寒
○上略 十時○午前人造肥料会社ニ抵リ重役会ヲ開キ要件ヲ議決ス○中略
三井物産会社藤野氏及藤井志方ノ諸氏来リ人造肥料会社合同ノコトヲ談ス
○下略
 - 第12巻 p.203 -ページ画像 
二月二十四日 曇 寒
○上略 人造肥料会社合同ノ件ニ関シ犬丸・益田・植村諸氏ト其方法ヲ協議ス○下略
五月七日 雨 暖
○上略 植村・田中二氏来リ人造肥料会社合同ノコトヲ談ス○下略
五月二十日 曇午後雨 暖
○上略 午後二時○中略畢テ兜町事務所ニ抵リ田中元三郎氏ノ来訪ニ接シ、人造肥料会社合同ノコトヲ談ス、植村澄三郎氏来リ同シク肥料会社ノコトヲ談ス○下略
五月二十七日 曇 暖
○上略 午前十時兜町事務所ニ抵リ東京人造肥料会社重役会ヲ開キ要件ヲ議決ス、後各会社合同ノ件ニ関シテ種々ノ協議ヲ為ス○下略


(八十島親徳)日録 ○明治三七年(DK120027k-0014)
第12巻 p.203 ページ画像

(八十島親徳)日録  ○明治三七年  (八十島親義氏所蔵)
十二月七日
正午、肥料会社ヨリ近々洋行ノ磯長・吉田両技師ノ為ニ銀行倶楽部ニ於テ送別ノ宴ヲ開カレ、予モ陪席ヲ命セラル


(八十島親徳) 日録 明治四〇年(DK120027k-0015)
第12巻 p.203 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治四〇年  (八十島親義氏所蔵)
八月六日
本日ハ夕向島札幌ビール庭園ニ於テ人造肥料会社二十年祝会アリ、電灯用意ノ夜ノ園遊会ニシテ、殊ニ舞台ヲ設ケ曲芸・手踊及井伊《(伊井)》ノ演劇ナドアリ、各所ニ露店ヲ設ク、来会者六七百人、殆人ヲ以テ埋マル、池上ニ仕カケ花火アリ、式ハ男爵病気ニ付犬丸氏一場ノ演説ヲ為シ、販売人ノ祝詞、松岡農商務大臣ノ演説、馬越氏ノ同上モアリ、立食、午後八時被開《(閉カ)》、中々ノ盛会ナリシ


渋沢取締役会長訓示・犬丸専務取締役諭告 【於東京人造肥料会社】(DK120027k-0016)
第12巻 p.203-210 ページ画像

渋沢取締役会長訓示・犬丸専務取締役諭告
      明治四十壱年壱月十四日 於東京人造肥料会社
    取締役会長訓示
     明治四十一年一月十四日重役会席ニ於テ、吉岡販売課長・松谷経理課長・森釜屋堀工場長ニ対シ訓示セラレタル要綱
本日重役会ヲ開キ明治四十年下半季決算報告ヲ審査セシニ、各位ノ勉励ニ依リ相当ノ利益ヲ得タルハ栄一ノ大ニ満足トスル所ナリ、然レトモ本収支決算ノ成績ヲ討究スルニ、前季ニ於テ神戸工場ヘ輸送セシ貨物ノ計算ニ差違アリ、又原料出納上不注意ノ為メ且ハ神戸工場ヘ輸送スヘキ貨物ニ海上保険ノ申込ヲ怠リタル等ノ怠慢ニヨリ、損失勘定ニ繰入ルヽモノ多額ニ及ヒタルハ畢竟各位ノ注意周到ナラサル結果ニ外ナラス、目今斯カル失態ヲ再演セサル様篤ク注意セラル可シ
総テ物ノ移動ヲ記帳スルニハ複記法(ダブルヱントリー)ニ基ク伝票(バツジ)ヲ用ユルヲ以テ最モ安全トス、而シテ此伝票ヲ始メテ使用スル時ハ頗ル繁雑ノ感ヲ抱クモノアレトモ是ハ全ク未ダ其利便ノ存スル点ヲ覚ラサルニ由ル、元来複記法ハ去明治四年ノ比伊藤公爵外国ニ於テ取調ベ帰リ、栄一等之ニ賛シテバツジノ名ニ冠スルニ伝票ナル邦
 - 第12巻 p.204 -ページ画像 
語ヲ新案シテ大蔵省ニ於テ始メテ実行シタルモノナリ、而シテ実行ノ当初ハ旧思想ヲ懐クノ徒殆ンド之ヲ無用ノ長物ト称シ、好ンデ事務ヲ繁累ナラシムルモノナリト号シナ盛ンニ反対ノ説起リ、或時ハ此栄一ヲ殴打セシモノサヘアリシガ遂ニハ其殴打者ニ於テ複記法ノ利益ヲ鼓吹スルニ至リタル程ノモノニシテ、今日ハ諸官庁各会社ハ勿論一私人ト雖モ皆之ヲ行フニ至レリ、本会社ニ於テハ疾クニ之ヲ使用セルモノト思ヒ居タルニ、未ダ充分之ヲ行ハサル趣ナルヲ以テ玆ニ一言ヲ加ヘ置ク次第ナリ
伝票ハ蓋シ一例ナリ、凡ソ物ノ整理ト拡張ニ着手スレバ困難ニ遭遇シ事務ノ繁激ヲ加フルハ自然ノ通則ニシテ辞ス可カラズ、若シ為メニ多少ノ経費ヲ増加スル事アルモ是レ敢テ顧慮スルニ足ラザルナリ、然シテ又本会社ノ今日ニ於テハ特ニ節約勤倹ヲ主トシテ熱心勉励セサル可カラズ、如此ニシテ革新成リ処務挙リテ秩序整然タルモノアルニ至ラバ、事ヲ敏活ニ且確実ニ行ヒ得テ結局利益ヲ増進スヘキヤ明カナリ、各位須ラク此意ヲ体シテ専務取締役ヲ補翼スルト共ニ宜シク部下ヲ督励シテ栄一ノ希望ニ副ヘラル可シ、工場長ハ巧ニ良品ヲ製造シ、販売課長ハ盛ニ製品ヲ鬻キ、経理課長ハ能ク経理ノ事務ヲ整理シ、以テ新ニ作製セラレタル予算ノ如ク本年亦今回ノ決算ニ劣ラサル、否此以上ノ良成績ヲ挙ゲラレン事ヲ列席ノ重役一同一致シテ各位ニ期待ス、栄一取締役会長タルノ故ヲ以テ重役会議ノ決議ヲ玆ニ申告スル也
    犬丸専務取締役諭告
 本日会長ヨリ松谷・吉岡両課長及森工場長ニ対シ訓示セラレタルコトハ御聞及ト思ヒマス、是ハ単ニ此三名ノミニ垂示セラレタノデハナク他ノ工場長ハ勿論社員・準社員・雇員・職工・人夫等本会社ノ全員ニ訓示セラレタノデアリマスガ、御承知ノ如ク会長ハ激忙ノ御身デ全員ニ親シク説示セラルヽノ時間ガアリマセヌユヱ其要点ヲ此三名ニ訓示セラレタルモノニテ、御訓示ノ内容ト詳細ヲ不肖ナガラ私ガ専務取締役ナルガ故ニ玆ニ各位ニ解説諭告シ且ツ所感ヲ述ブル次第デアリマス
 私ハ会長ノ御訓示ヲ拝聴致シマシテ汗顔恐縮シタノデアリマス、斯ク迄ニ会長ニ御心労ヲ懸ケルコトハ一ニ専務取締役ガ不肖不徳無能ナルニ基クモノト考ヘ、承ハルニ堪ヘナイ心地ガ致シタノデアリマスガ只恐縮スルダケニテハ責任ヲ解シナイモノト考ヘマシテ駑馬ニ鞭チ、モ一ツ勉励致シタイト思フノデアリマス、各位モ御同感ト考ヘマスカラ互ニ胸襟ヲ披テ相語リ相琢磨シテ社業ノ革新ト隆盛ヲ期シタイト思ヒマス
 顧レバ昨年一月私ガ入社致シテヨリ正ニ一ケ年トナリマス、其間各位ノ協力ニ依リ幾多ノ改革ヲ実行シタリト思ヒマス、併シナガラ尚ホ改良ヲ要スルモノハ多々アルノデアリマス、殊ニ同業者ノ競争益々激烈ヲ加フル今日ニ於テハ、少シノ油断モ出来ナイノデアリマス、如何ニスレバ会長ノ御心労ヲ省キ得ルカ、如何ニスレバ株主ノ安心ヲ求メ得ラルヽカ、如何ニスレバ本会社ノ使命ヲ全ウシ国家ニ貢献シ得ルカト、夙夜之ヲ思フノデアリマス、会長ハ毎々農家ノ出身ナルガ故ニ農民ノ福利増進ニ大関係アル肥料業ニハ多大ノ関心ヲ持ツト申サレテ居リマス、此等ノ点ニ留意セラレテ私ノ話ヲ御聞キ下サルヤウ各位ニ望
 - 第12巻 p.205 -ページ画像 
ムノデアリマス
 先ツ会長ハ昨年下期ノ決算報告ヲ審査シタルニ各位ノ勉励ニ依リ相当ノ利益ヲ得タルハ満足デアルト申サレテ居リマス、此一般不景気ノ際殊ニ関西ニ於ケル同業会社中ニハ無配当ノモノ続出スル間ニ於テ一割五分ノ株主配当ヲ為シ得ルコトハ同慶ノ至リデアリマス、併シ各位ハ会長ノ御褒メニ与ツタダケ、責任ガ倍加スルト私ハ思フノデアリマス、安心シテハ不可ト思ヒマス、此期次ノ期等ニ於テ減配トナラヌヤウ努力セネバナラヌト考ヘルノデアリマス
 神戸工場ヘ輸送シタル貨物ニ計算ノ差違アリタルヲ挙ゲラレテ居リマスガ是ハ数量ト価額計算トノ誤謬デアリマス、又海上保険ノ怠慢ハ海上保険ニ附スルヲ忘レタノデアリマス、過燐酸ノ出荷当日直ニ保険手続ヲ為ス可キニ退社時間近ツキ居レリトテ之ヲ為サズ、翌日為ストテ退社シ、翌朝出勤シタルトキハ之ヲ忘却シテ終ニ保険セズ、然ルニ其帆船遭難シテ参千余円ノ損害ヲ蒙ルニ至ツタノデアリマス
 伝票ノコトハ昨年私ガ入社以来、新定シタル処務規程・事務取扱手続・文書取扱細則・物品出納保管細則・予算細則・勘定科目及計算報告様式・販売細則等ニ関聯セル片鱗デアリマスガ、当初私ハ倉庫・工場間ニ原料物品製品等ヲ受渡スルニ当リ、一冊ノ帳簿ヲ用ヰ係員互ニ捺印シ、其帳簿ヲ或時ハ工場ニ或時ハ倉庫係ニ保有スルノミナルヲ発見シ、斯クテハ若シ其帳簿ヲ紛失シタルトキハ、多大ノ混乱ヲ生ズ可ク、又其取扱及仕訳等ニ不便ナリト信ジテ各件毎ニ伝票ニ改メタノデアリマス、其他各係ニ於ケル覚帳式ノモノハ概ネ伝票ニ改メ、係員ハ勿論係長・課長等モ其数量又ハ価額ノ多少等ニ依リテ順次点検捺印スル様式ニナツテ居ルコトハ御承知ノ通リデアリマス、然ルニ係員中ニハコンナ小形ノ紙片ニ記入スルハ不便ナリ、又紛失シ易シトテ改悪ナリト申シテ之ヲ喜バヌ人モアルノデアリマス、私ヨリ申セバ、只今申シタル海上保険忘却ノコトモ、出荷伝票ガ係長ナリ課長ノ手許ニ早ク廻リマシタナラバ其人々ガ海上保険ハ附ケタカト気付カレタト思フノデアリマシテ、伝票ヲ面倒視スルヨリ起リタル災害ト思ヒマス、係員以外ニ上役ノ人々ガ、目ヲ通ス効能ヲ弁ゼザルモノト思フノデアリマス、素ヨリ旧慣ハ重ンズ可キモノデアリマス、悉ク之ヲ陋ナリトスルハ不当デアリマス、併シ弐十万円五十万円ノ資本金ナリシ時代ニ於テ適切ナリシコトモ、参百万円ノ資本ニ増進シタル現今ニ於テハ不適当トナルモノヲ生ズルハ止ムヲ得ザル成行デアリマス、夫等ノモノハ改正セザルヲ得ヌノデアリマス
 伝票ハ事務ヲ煩累ナラシムルモノトシテ非難ノ声ガ大分社員中ニアルト聞キマシタカラ、私モ反省セネバナラヌト思ヒ之ヲ会長ニ申出テ置キタノデアリマスガ、会長ハ之ヲ遂行セネバナラヌモノトシテ訓示中ニ御経験等ニ付キ細話セラレタ次第デアリマス、会長ガ明治維新早早大蔵省ニ御在官中伝票ヲ新設セラレタルトキニモ、囂々トシテ守旧派ノ反対起リ、就中得能良介ト申ス人ハ非難ノ急先鋒トナリ会長ト可否ノ論議ヲ闘ハシテ勝テズ終ニ腕力ニ訴ヘテ会長ヲ殴打セラレタコトサヘアリタリト承ハルノデアリマス、併シ其後ニ至リ得能氏ハ伝票ノ効力ヲ弁知シ翻然トシテ会長ノ説ニ同意シ、大ニ会長ヲ賛助セラレタ
 - 第12巻 p.206 -ページ画像 
トノ御話ヲ承ツテ居リマス、流石ニ得能氏デアルト思ヒマス、会長ノ御体験ハ明治四年、私ニ於テハ其四十年デアリマスガ、等シク伝票ニ就テ反対ヲ受ケタルハ一奇ト思ヒマス、殴打セラレヌノガマダ私ノ幸福デアリマス、併シ明治四年ニ於テ新設セラレタル伝票ガ三十六七年後ノ今日ニ於テ尚ホ之ヲ用ウルヲ好マズ非難スルモノアリトハ会長モ一驚セラレタ次第デアリマシテ、本会社又ハ社員中ニハ大分遅レタ所ガアルト評サレテモ致方ナイカト思ヒマス、其人々ハ得能氏ノ如ク豁然トシテ過去ニ拘泥セズ大ニ伝票ヲ活用セラルヽノ襟度ヲ望ミマス
 伝票ハ一例ナリト会長モ申シテ居ラレマスガ、本会社ハ目下旧来ノ弊習ヲ改ムルト共ニ不況ノ時運ヲ切リ抜ケ且ツ拡張ヲ図ラネバナラヌト云フ難局ニ当ツテ居ルノデアリマスカラ容易ノ事デハアリマセヌ、関東ニ本会社盛ニシテ、関西ニ多木ト大坂硫曹ノミト云フ黄金時代ハ昔ノ夢デアリマス、此機会ニ試ニ尚ホ改ム可シト思フコトノ二三ヲ挙グルナレバ、株式定期ヲ行ハヌコトデアリマス、殊ニ之ニ会社ノ電話ヲ用ヰヌコトデアリマス、各位ガ其資産ノ擁護増殖ヲ図ラルヽコトハ当然ノコトデアリマスナレド、昨年改正ノ社員心得ノ中ニモ明記シアル如ク、投機行為ハ慎マネバナラヌノデアリマス、之ヲ為スト会社ニ出勤中ト雖之ニ心ヲ奪ハレテ自然ニ執務ヲ怠ルノ虞ガアルノデアリマス、終ニ或ハ会社ニ損害ヲ与ヘ其身モ亦亡ブルニ至ルコトガアルノデアリマス、況ンヤ出勤中社用電話ヲ用ヰテ之ヲ為スガ如キハ以テノ外ト思ヒマス、又昨年処務規程等ヲ改ムルニ当リ会長ノ御関係ノ各会社ノソレヲ集メテ参考ニ致シマシタ中ニ、東京瓦斯会社ニテハ社員ハ背広服ヲ着用スベシトアリマス、工場ノ一隅ニ本店ヲ置キテ工業ヲ営ム本会社ニモ適切ナル一項ナリト思ヒマシタナレド、暫ク各自ノ自覚ニ俟ツベシト思ヒ条項ニ加ヘナカツタノデアリマスガ、平然和服ノ着流シデ出勤スル人ガ見エルヤウデアリマス、中ニハ来客用ノスリツパヤ麻裏草履ヲ使用シテ居ル人ガアリマス、ソノマヽ工場内ヲ歩ミテ居ルノヲ見受ケルコトガアリマス、又事務所ノ床ノ上ニ蜜柑ノ皮ガ散乱シテ居ルコトガアリマス、是ハ執務シナガラ蜜柑ヲ間食スルノデアリマスカ、社外ノ人ガ此等ヲ見マシタラ如何ニ感ジルデアリマセウカ、株式名義ノ書換ダケニテモ沢山ノ人ガ外来シマスガ、一事ガ万事ト判断セラレテハ残念デハアリマセヌカ
 甚ダ些細ノコトヲ申スヤウデアリ又申シタクナイノハ勿論デアリマスナレド、他ニ申ス人ガ無イカラ悪ク思ハレルト知リナガラ申スノデアリマス、大石ニハ躓カザルモ小石ニ躓ク場合ガ多イモノデアリマスカラ小事モ却テ忽ニス可カラズト思ヒマス、又先ニ申シタル如ク五時ノ退社時間ガモウ三十分デアルカラ保険ノ申込ハ明日ニスルトテ之ヲ行ハザリシガ如ク、定刻前ヨリ帰宅ヲ急グガ如キハ沙汰ノ限リト思ヒマスガ、殊更ニ執務ヲ延バシ、退刻前ヨリ俄ニ急ガシク執務シテ居残リ、居残料ヲ貪ルモノト誤解セラルヽニ至ルモ亦心外ト思ヒマス、仕事ノ繁閑緩急ヲ考ヘツヽ、其日ノ事ハ其日ノ中ニ処理シテ持越サヌヤウ心掛ラレ、又骨牌遊等ニ耽ラズ大ニ風紀ヲ振粛シ、夜間ハ休養シテ英気ヲ回復シ、翌日愉快ニ執務セラレタイノデアリマス
 ソレカラ工場ニ於テ良品ヲ割安ニ製造スルヤウ専念スルコトハ申迄
 - 第12巻 p.207 -ページ画像 
モナイコトデアリマスガ、工場ヨリ倉庫ニ原料物品等ヲ請求スルニハ其品々ノ悉クガ倉庫ニ保管シテ在ルトハ限リマセヌカラ、其物ニヨリテ夫々異リマスガ、其物ガ若シ倉庫ニ欠乏シテ居ル場合、倉庫ヨリ購買ニ請求シ購買ハ適当ノ稟議ヲ為シテ之ヲ買入ルヽ日数及其倉庫ニ納入セラルヽ日数等ヲ慮リ予メ事前ニ請求セラルヽコトガ肝要デアリマス、然ルニモウ一週間分シカ無イト申出タリシテ購買係ガ驚キテ諸所ヲ捜索シテ居ルト、其品ハ何商店ニアルト気付ラシク申出デヽ、購買係ハ間ニ合セル為ニ高価ト知リナガラ買入レタ場合ガアリハシナカツタカト思フノデアリマス、而シテ又購買係員ハ買入先トノ交際ニ於テ互ニ情誼ヲ重ンズ可キコトハ勿論デアリマスナレド、猥リニ飲食饗応等ヲ共ニシテ私交ノ深キニ陥ラヌ心掛ガ必要デアリマス、又折角購買員ガ苦心シテ良品ヲ安価ニ購入致シテモ、倉庫係ガ其受渡ニ当リ量目トカ個数トカヲ誤ツテ少ナク受入レルガ如キコトアリテハ曲事デアリマス、敢テ約定ヨリ多ク取入レルノモ曲事ナルト共ニ、常ニ此点ニモ注意ヲ怠ツテハナリマセヌ、従前屡々此種ノ非難ハ本会社ニアツタカニ伝承シマスル故、特ニ一言スル次第デアリマス
 毎期ノ初ニ当リ、其期ノ販売方針及直段等ハ重役会ノ決議ヲ経テ或範囲ノ裁量ヲ専務取締役ニ一任セラルヽコトハ各位ノ知ラルヽ所ナルガ、是ハ会社ノ秘密事項ノ一ツデアリマス、殊ニ近来ノ如ク各会社競争激甚ノ際ニ於テハ一層ノコトデアリマス、然ルニ奨励金ノ割合等ガ販売店ニ洩レタカト思ハルヽコトガアツタノデアリマス、販売課員ハ日当・宿泊料・乗車賃等ノ旅費ノ外ニ或ハ土産物或ハ饗応費ヲモ支給セラルヽニ、地方ニ出テ販売店ニ無料宿泊スル人ガ往々アルト云フコトデアリマス、又販売店員ガ上京スルヤ先ツ販売課員ノ私宅ヲ訪問シタル上ニテ来社スルモノアリトノ噂ヲ聞クノデアリマス、斯クテハ直段ガ洩レタリ、出荷ニ遅速ヲ生ジタリ、限度以上ノ手形ヲ受入レタリ或ハ期限経過ノ手形ヲ生ズルノ虞起リ、心外ナル噂ヲ発生シ、終ニ其当人ノミニ止マラズ会社ノ信用ニ関スル憂ガアルノデアリマス、販売店ニ親切ヲ尽シ互ニ能ク諒解シテ社製品ノ販売ニ専心ナラシムルコトハ最モ大切デアリマスナレド、各販売店ニ対スル取扱ハ一視同仁、販売店ヲシテ本会社ニ倚頼シ信頼セシムルコトガ重要デアリマス、ソレニハ先ヅ礼儀親切ヲ主トシ、親疏私情ニ捉ハレズ甲乙公平ニ、而カモ其資産・信用・営業振等ニ鑑ミテ取引スルコトガ第一義ナリト思ヒマス
 ソレカラ私ノ入社以来執務ガ窮屈ニナツタトカ繁激ニナツタトカノ非難アルコトヲ承ツテ居リマス、御尤ト思フ点モアリマス、会長モ御承知デアリマスカラ、御訓示中ニ物ノ整理拡張ニ着手スレバ事務ノ繁劇ハ自然ノ通則ニシテ、為ニ困難ニ遭遇シ又多少ノ経費ヲ増スコトアルモ顧慮スルニ足ラズト訓示セラレタルモノト信ジマス、会社ノ経営ハ株主ナル他人ノ財産ヲ預リテ営業スルノデアリマスカラ、利益ヲ挙ゲルニモ如何ナル所以デコレダケノ利潤ガ挙ガツタ、又損失ニ至ルトシテモ如何ナル理由デ損失ヲ生ズルニ至ツタカ、其理路ガ井然トシテ明瞭デナケレバナラヌト私ハ思フノデアリマス、ソレニハ事後若シ調査ヲ必要トスル場合ニ其径路ナリ行動ナリ帳簿ナリガ判然シテ居ラネ
 - 第12巻 p.208 -ページ画像 
バナリマセヌ、本会社ノ或時代ノ如ク大福帳式デハ判然セヌノデアリマス、之ニ馴致セラレタル人々ガ窮屈ナリトカ煩累ナリトカニ感ゼラルヽハ御尤ニシテ同情スル所デアリマスナレド、本会社モ逐次発展シテ大会社ノ列ニ加ハレル今日ニ於テハ、従前ノ旧式執務ハ最早容レラレナイノデアリマス、如何ナル愚人ト雖モ、無用ノ煩累ヲ加ヘントスルモノハアリマスマイト信ジマス、此辺ヲ善ク考慮セラレタイノデアリマス
 又前期ヨリ始メマシタ収支予算ノ服膺デアリマス、之ヲ机上論トシテ非難セラレタコトモ承ツテ居リマスガ、幸ニシテ前期ハ予算以上ノ成績ヲ収メ得タノデアリマス、之ヲ窮屈ト申スナラバ始メタ私ガ一番窮屈デアリマス、専務取締役ガ第一ニ窮屈ヲ感ズルノデアルト思ヒマス、期末ニ至ラネバ損益ノ見当ガ判然セヌヤウデハ、会社ノ経営ハ勿論各地工場ノ監督モ出来兼ヌルノデアリマス、会社ノ収入ハ予算以上ニ入レ支出ハ予算以内ニ止メヨウト云フノデアリマスカラ、会社経営ノ羅針盤デアリマス、会長ガ新タニ作製セラレタル予算ノ如ク、本年モ亦今回ノ決算ニ劣ラザル成績ヲ挙ゲヨト訓示セラレタル所以玆ニアリト存ジマス
 数日前前期ノ決算ヲ監査役ガ監査セラルヽニ当リ、釜屋堀工場ニ於テ硫化鉱ノ焼滓ガ山積スルヲ見ラレタノデアリマス、此焼滓ハ銅鉱製煉ノ媒介料トシテ割高ニ売レルノデアリマスガ、ドノ位アリマスカト問ハレタノデアリマス、係員ハ勿論係長・課長・工場長モ黙々トシテ答ヘナイノデアリマス、私ハ当惑セザルヲ得ナカツタノデアリマス、監査役ガ私ノ方ニ顔ヲ向ケラレタノデ止ムナク私ハ十万貫以上アル筈デスト答ヘタノデアリマス、是ハ私ガ予算デ覚エテ居タ数量ト其期間ニ入札売却シタ数量トヲ差引キテ、概算ヲ咄嗟ニ申シタノデアリマスガ、後ニ調ベマシタラ約十二万貫アリマシタノデ、アヽヨカツタト申シタコトハ其時ノ人々ハ御存知ノ通リデアリマス、此ノ如キハ専務取締役ハ知ラナクトモ其係ノ人ガ幾貫アリマスト答ヘテクレマシタラ、私ハドノ位面目ヲ施シタカト遺憾ニ思フノデアリマス、今一ツ職務ニ熱心緊張ヲ加ヘ自己担当ノ事ニ精通セラルヽコトヲ望ムノデアリマス
 コンナ事例ヲ数ヘマスレバ尚ホ多々アリマスナレド、一斑ヲ申セバ以テ全豹ヲ考ヘラレ各自ニ於テ自覚匡正セラレタイノデアリマス、終リニ一ツ申述ベタキハ投書ノコトデアリマス、何時ノ頃ヨリノ陋習ナルカ私ハ知リマセヌガ、本会社ニハ投書ノ流行スルコトデアリマス、例ヘバ私ノ事ハ会長ヘ、社員間ノコトハ私ヘト云フ風ニ、盛ニ無名ノ投書、殊ニ無根中傷ノソレガ郵送セラルヽコトデアリマス、投書ヲ以テ上司ノ心ヲ動カシ得ルト思フハ投書者ノ自己催眠ニシテ、左様ナ浅慮ナル上司ハ本会社ニハ無イト信ジマス、由来、投書ナルモノハ陰険卑劣ノ行為ナリト思ヒマス、真ニ会社ヲ愛スル心ヨリ出テ、又正確ナル事実ニ基クモノナラバ、会長ナリ当局者ニ面陳セラル可キデアリマス、其確信誠意ナクシテ投書ヲ弄スルハ、徒ニ他人ヲ傷ケ人心ヲ惑乱セントスル罪悪デアリマス、人ハ各其所見ヲ異ニスル場合ガアリマスカラ、上司同僚ノ為ス所ト雖モ自己ニ於テ非ナリトスル確信アラバ、之ニ対シテ意見ヲ開陳スルコトハ男子ノ本懐ナリト思ヒマス、忌憚ナ
 - 第12巻 p.209 -ページ画像 
ク堂々ト所見ヲ披瀝セラレタイノデアリマス、社業進歩ノ上ニ喜ブ可キコトデアリマス、而シテ亦面従腹背蔭デ不平不満ヲ述ブルコトモ卑怯デアリマス、斯カル陰性的ノ気風ガ尚ホ社内ニ残レルナラバ、今日ヲ限リ一掃致シタイノデアリマス、或ハ俸給ガ不満ナリトカ賞与金ガ尠イトカ不平ヲ述ブル人ガアルトモ聞キマスルガ、私ノ入社以来、職員ノ俸給及賞与金ノ平均率ハ弐割方増加シテ居リマス、而シテ其給配ハ一定ノ内規ニ準拠シ至公至平デアリマス、若シ不満ヲ感ズル人アラバ、先ヅ自己ノ能力勤怠等ニ就テ反省セラル可キデアリマス、漫然不満ヲ述ブルモノハ恰モ盲人ガ象ノ耳ニ触レテ象ハ箕ノ如キ動物ナリト独断スルニ等シク、或ハ又俸給賞与以外ノ収入無キニ至リタルヲ怨ズルガ如クニ聞ユルノデアリマス、従前ノコトハ知リマセヌガ、今日ノ本会社ニ於テハ、何人ト雖モ俸給及賞与金即チ会社ヨリ公然支給セラルヽモノ以外ニ何等ノ収入ナキヲ当然トスル次第デアリマス
 曾テ某監査役ハ肥料会社ハ同業者尠キ当時、殊ニ日露戦争当時、居ナガラ大利潤ヲ得タ、社員ハ其頃ノ安逸気分ニ馴レ、労セズシテ収獲ヲ望ム所謂沃土ノ民デアルト申サレタコトガアリマスガ、不当デアリマセウカ、然ルニ同業者ガ全国ニ続出シテ三倍スルニ至リタルト、戦後ノ不況ヲ突破スル為ニ之ニ対応スルノ処置ヲ要スルニ当リ、偶々私ガ入社シテ其衝ニ当リタノデアリマス、殊ニ私ノ浅学薄徳年少等ノ点ニモ依リテ、各位中ニ不満ヲ感ゼラルヽハ御尤ト思ヒマスガ、私ハ自己一身ノ功利ヲ思ヒテ入社シタノデナイコトハ各位モ御承知ノコトデアリマスカラ、私ノ立場ニ対シテモ御諒解ヲ得タイノデアリマス、私ハ為ス可キ予定事項ハ如何ナル障害ニ遭フモ之ヲ遂行スル信念デアリマス、徳川家光ハ三代将軍ヲ襲グニ当リ諸侯ヲ会シテ、自分ハ父祖ノ如ク諸子ノ儕輩ヨリ出デタルニ非ズ、生レナガラノ将軍デアル、至公至平以テ天下ヲ治メントスルモ、逆心アル諸子ニ対シテハ父祖ノ如ク遠慮仮借スルコトナシ、若シ不平アラバ三年封ニ就キテ考慮セヨト申シタト云フコトガ歴史ニアリマスガ、甚ダ不遜ナル比喩トハ思ヒマスガ、家光ノ心事ガ私ニハ能ク判ルヤウナ気持ガスルノデアリマス、既往一ケ年間、私ハ専念社業ノ刷新ニ努力シ、大体ノ局面ハ好転シ得タリトハ思ヒマスガ、尚ホ及バザル所モ多々アルノデアリマス、各位ノ忠言ト援助ニ俟タネバナラヌノデアリマス、幸ニ各位ノ多数ガ私ノ心事ニ同情セラレ、行動ニ共鳴セラレテ協心戮力セラレタレバコソ、此度ノ好決算モ挙ゲ得タノデアリマス、寔ニ感謝ノ至リデアリマス、併シ中ニハ反対センガ為ニ反対スル人ノアルコトモ知ツテ居リマスナレド、私ハ之ヲ念トセズ今日ニ及ンダノデアリマス、今後トテモ介意致シマセヌガ、夫等ノ人々ハ大ニ自覚反省セラレタイノデアリマス、然ラザレバ封ニ就カルヽカデアリマス
 以上申度クモナイコトヲ申述ベタルハ、一ニ益々各位ト共ニ一致協力シテ会社ノ経営ニ当リ度シト思フカラデアリマス、先ヅ私カラ胸襟ヲ披キテ各位ノ忠言ヲ得タイト思フカラデアリマス、非難スルトカ抗弁スルトカノ意ハ寸毫モ無イノデアリマス、或ハ人ニハ多少ノ不平不満アルハ却テ向上ノ第一歩カモ知レマセヌ、併シ之ヲ懐ク以前ニ先ヅ誠意勉励スルコトデアリマス、其努力ガ終ニ認メラレザルトキニ、初
 - 第12巻 p.210 -ページ画像 
メテ不平不満ヲ洩スモ遅カラズト思ヒマス、併シ誠意ノ努力ガ酬イラレヌコトハ無イ筈デアリマス、少クトモ本会社ニ於テハ其憂ナシト断言スルノデアリマス、自ラ揣ラズ蕪言ヲ縷陳シテ恐縮デアリマス、殊ニ誠実励精ノ人々ニ対シテハ不当非礼ノ至リデアリマシテ、迷惑千万ナリト憤ラルヽコトヽ思ヒマスガ、不悪御諒承仁免ヲ希フ次第デアリマス、夫等誠意勤勉ノ方々ガ卒先シテ他ヲ率ヰ、専務取締役ト共ニ肝胆相照ラシ、忠恕相助ケ相補ヒテ社業ニ尽瘁セラレタイノデアリマス
 会長ハ御承知ノ如ク円満玉ノ如キ人格デアリマス、平生ノ御談話モ温厚ソノモノデアリマス、然ルニ今日ノ御訓示ヲ拝聴解釈致シマスニ毅然トシテ社務怠慢ノ要点ヲ指摘セラレ、尚ホ革新ノ急要ヲ説カレ、且ツ敏活ニシテ確実ニ社務ヲ執リ以テ利益ヲ増進ス可シト厳示セラレテ居リマス、寔ニ秋霜烈日ノ感ガアリマス、専務取締役ヲ補佐スルト共ニ、宜シク部下ヲ督励シテ栄一ノ希望ニ副ヘラル可シト強ク説カレテアリマス、我等ハ互ニ一体一団トナリテ社務ニ励精シ、以テ寛厳慈母ノ如キ会長ノ御趣旨ニ酬イネバナラヌト確信致シマス、強健ナルモ老齢ニ在ラレ且ツ百般繁劇寸閑ナキ御身ナルニ拘ラズ、此僻陬ノ工場ニ枉駕セラレテ訓示アリタルコトハ、会長ノ御衷心ヲ拝察シテ肝ニ銘ズ可キデアリマス
 本会社ハ人造肥料業ノ鼻祖タルノ名誉ヲ有シ、我実業界ノ泰斗ヲ会長ニ戴クノ光栄ヲ保有シ、国民ノ大多数タル農家ノ福利ヲ増進スル工業ヲ経営スルノデアリマス、此栄誉アル会社ニ従事スルコトハ、我等一同ノ名誉ニシテ光栄ナリト信ズルノデアリマス、斯ク思ヒ来ルトキハ凡テノ自我私心ヲ一掃シ、社内和協専念専心只社業ニ努力スルアルノミト思フノデアリマス、以テ会長ノ意ヲ安ンジタイト思フノデアリマス、素ヨリ各位ノ御同感ナルコトハ申スニ及バズト確信スル次第デアリマス、各位ハ益々社規人心ヲ振興シ、自己ノ職責ヲ重ンジ、廉直質実ニ身ヲ持シ、自己一人ニシテ本会社ヲ荷フガ如キ抱負気概ト誠意熱心ヲ以テ一致協力、不安ナク愉快ニ其職務ニ尽瘁セラルヽコトヲ熱望スル次第デアリマス
  ○犬丸鉄太郎氏注。
    「本訓示ハ青淵先生ガ其御多忙ナルニ拘ラズ主裁セラルヽ会社ニ対シ、能ク大綱ヲ統ベ如何ニ熱心親切周到ニ督励セラレテ間然スル所ナク、世上ノ大家ニ往々アリタル所謂飾リ社長、盲判会長ナラザリシ事実ヲ知ルニ足ルベシ
    又諭告ヲ一覧アレバ青淵先生ノ部下ガ如何ニ能ク先生ノ意ヲ体シ、真率熱誠ヲ以テ奉仕シタルカヲ見ルノ実例タルベシ、又先生ガ其部下例ヘバ専務取締役ヲシテ其仕事ノ為シ易キヤウニ仕向ラレ、指導適切、打テバ響クガ如ク相互ノ情誼水魚ノ如クナリシヲ見ルベシ」


竜門雑誌 第二三四号・第二六頁〔明治四〇年一一月二五日〕 ○両肥料会社合同の協議(DK120027k-0017)
第12巻 p.210-211 ページ画像

竜門雑誌  第二三四号・第二六頁〔明治四〇年一一月二五日〕
○両肥料会社合同の協議 帝国肥料会社の馬越恭平・福沢桃介両氏は本月六日東京人造肥料会社取締役会長たる青淵先生を訪問して、合同の希望を申入れしに、先生は大体に於て同意を表せられ、爾後帝国肥料会社の藁品槍太郎氏と東京人造肥料会社の犬丸鉄太郎氏との間に於て種々協商中なりしが、東京人造肥料会社にては、右に関し本月十四
 - 第12巻 p.211 -ページ画像 
日兜町渋沢事務所に於て重役会を開き、種々協議を尽す所ありたり


東京経済雑誌 第六〇巻第一五〇〇号・第一六〇―一六三頁〔明治四二年七月二四日〕 東京人造肥料株式会社(下)(DK120027k-0018)
第12巻 p.211-213 ページ画像

東京経済雑誌  第六〇巻第一五〇〇号・第一六〇―一六三頁〔明治四二年七月二四日〕
  東京人造肥料株式会社(下)
    四、日露戦役後の大拡張
同社の資本金は前にも記しゝ如く最初二十五万円なりしが日清戦役後即ち二十九年下半季に於て五十万円に増資し、払込金は二十六万二千五百円となしぬ、爾来需要の増大は製品の不足を感ずるを以て三十六年上半季に於て更に七十五万円に増資し、払込五十六万二千五百円と為して日露戦役に臨みたるが、同戦役中に於ける人造肥料の発展は日清戦役の折に数倍し、現存の人造肥料会社は此期間に於て格外の利得を博し、孰れも二割乃至三割以上の配当を為すの好景気なりき、抑々人造肥料と戦役とは何が故に爾かく密接の関係を有し、戦争起れば人造肥料従て発展するかと云ふに、一般の原則としては(一)戦争中農家の壮丁は多く其田圃を棄てゝ軍務に服するが故に、普通彼等の労力に依りて製造せられたる緑肥堆肥等の天然肥料は著しく減少するを以て、其代用として販売肥料乃至人造肥料を施用せざるを得ざらしむること、(二)戦争中船舶払底し、且つ航海の危険あるとに依り肥料の輸入自由ならず、随て市場の在荷薄となるに連れ需要は供給に越ることの二に帰す可し、而して日露戦役中は露艦数々北海方面に出没して、我邦内地産肥料中最も重要なる練粕其他魚肥料《(鰊)》の運輸杜絶し、為めに人造肥料の需要をして益々大ならしめたり、是に於てか戦役後も其惰力によりて人造肥料は遍ねく施用せられ、事業熱の勃興と共に人造肥料会社は遽に増加し、戦役前の八会社に対し更に大小十数個の同業会社を生ずるに至れり
然れども戦後の事業熱は何れの戦勝国にも経験せし所にして遂に其反動を免れざるなり、四十年来財界は不況を呈し四十一年に入りて更に甚しく、加ふに清国産輸入肥料暴落したる為め我邦の人造肥料業は大打撃を受け、生産の制限を為さゞるを得ざることとなれり、是に於てか三十九年雨後の筍の如く興起せし幾多の肥料会社は事業を進行経営すること能はず、既に久しく存立せる会社と雖も生産過剰に苦しみて同業者間の競争激甚となり、製品を投売するもの続々表はれぬ、此間に於て同社と雖も敢て時流に超然たること能はざりしは勿論なり、即ち三十八年下半季に於て資本金を百五十万円内払込五十六万二千五百を以て事業の拡張を計画せしが、是にても尚不足なりしと見え四十年下半季に於て資本金を更に倍額として三百万円に上せ、払込金百八十七万五千円を以て第二次の拡張を為したり、然るに四十一年に至り戦後事業熱の為めに起りたる会社は続々破綻し、或は既設の大会社に合併せらるゝもの相踵げり、当会社の如きも四十年十一月帝国肥料株式会社(資本金三百万円払込七十五万円)を、四十一年五月北海道人造肥料会社(資本金百万円内払込二十五万円)を売収《(買)》するに決し、前者を三十六万円の割、後者を十二万円の割にて売収《(買)》し資本金を更に四百万円に増加せり、是に於て同社は従来有せし東京・神戸・小松川の三工場の外に函館(北海道人造肥料会社の分)及横浜(帝国肥料会社の分)の二工場を増加せり、斯の如く
 - 第12巻 p.212 -ページ画像 
同社が財界不振の時に当り他社を併呑して倍々事業の発展を見たるは一に其基礎の鞏固にして斯界に於ける信用の偉大なるものあるに帰せざる可からず、而かも事業の成績は財界の不振と同業者間の競争猛烈なるとに依り以前の如き好結果を夢みること能はざるなり、請ふ左の一表を見よ
    自三十七年至四十一年営業成績

  決算期       販売高          利益        配当率
                  貫           円     割
 三十七年上半  五、六四三、三五二、三六〇 一〇一、四四一、三〇〇 一・六〇
 三十七年下半  五、六〇六、五三二、〇〇〇 一三四、九〇一、八八五 一・六〇
 三十八年上半  七、二一四、八二〇、〇〇〇 一五一、八一〇、八六〇 二・〇〇
 三十八年下半  六、六五四、〇八三、〇〇〇 一一四、二九五、八九〇 二・〇〇
 三十九年上半  八、七五二、六九八、〇〇〇 一六四、七〇三、四二〇 二・〇〇
 三十九年下半  八、〇〇五、三一〇、〇〇〇 一〇三、一四五、五六〇 一・六〇
 四十年上半  一六、四六五、八七六、六〇〇 一二五、〇四四、七八〇 一・六〇
 四十年下半  一六、五六七、五五七、〇〇〇 一二七、一八四、七六〇 一・六〇
 四十一年上半 一六、六四五、七九八、一〇〇 一二九、一二一、八八〇 一・二〇
 四十一年下半  八、九〇六、七二二、八〇〇 一二九、三九八、五二〇 一・〇〇

更に最近四十一年下半期同社営業報告書に就て見るに曰く「之を要するに本期は前半期来一般経済界不振の惰力を受け、商況自ら振はざるに農家亦金融の円滑を欠くに至りたるを以て、肥料の需要も亦減退の傾向を生ずるに至れり、加ふるに満洲大豆の豊饒は銀価の下落と相俟て低廉なる豆粕の多大なる輸入を促し、為に完全肥料の如きは其影響を被り、九月中間頃より頓に需用の減退を呈し、且つ同業諸会社は進んで投売を試むに至りたれば、本会社の困難一方ならず、剰へ改良肥料取締法並に同施行規則の発布せられて肥料販売手続繁雑苛細を極むるに至りたれば、府県販売店は疑惧畏縮して注文を控へ、一般需用者も亦買進まざるに至れり、而して如上の諸原因は相綜合して遂に前項所載の販売高に止まりしは豈只本会社の不利益のみならんや、然れども翻つて同業諸会社の成績を見るに本期も重ねて無配当又は欠損の止むなきものあるに拘らず、本会社に於ては斯く相当の配当を為し得るもの寔に是れ幸慶とする処なりと信ずるなり」と、今同期間に於ける同社肥料及硫酸の製造高並に販売高を表示すれば左の如し

  工場別  肥料製造高          肥料販売高          硫酸製造高
              貫              貫              貫
 釜屋堀 七、九五九、九〇七、八〇〇  八、〇〇五、六二二、八〇〇  三、四四八、一八二、〇〇〇
 小松川   四二〇、一〇〇、〇〇〇             ――    七三一、五七一、〇〇〇
 函館    六七七、七八〇、〇〇〇    二〇〇、一九〇、〇〇〇    三四二、九〇八、〇〇〇
 神戸    六一〇、六八〇、〇〇〇    七〇〇、九一〇、〇〇〇             ――
 合計  九、六六八、四六七、八〇〇  八、九〇六、七二二、八〇〇  四、五二二、六六一、〇〇〇

而して同期に於ける損益勘定は次の如し

                      円
 利益金           四三九、八三八、八五〇
   内
  製造費           九九、七一八、八二〇
  諸税金           一八、〇一六、一九〇
  利息            四一、四二九、一四〇
  営業費           七六、七五九、五五〇
  雑費            七四、五一六、六三〇
 差引
 - 第12巻 p.213 -ページ画像 
  当期純益金        一二九、三九八、五二〇

更に同期配当案左の如し
                      円
 純益金           一二九、三九八、五二〇
  内
  準備積立金          六、五〇〇、〇〇〇
  別段積立金          六、五〇〇、〇〇〇
 差引
  益金残高         一一六、三九八、五二〇
 外に
  前期繰越金         二四、二八〇、四四〇
 二口合計金         一四〇、六七八、九六〇
    内
  株主配当金(年一割の割) 一二四、七五〇、〇〇〇
  翌期繰込金         一五、九二八、九六〇
貸借対照表に就て見るに地所建物機械等に百四十余万円を固定し、諸積立金は約五十六万七千円なり、已に創立後二十三年を経毎期一割以上多きは二割五分を配当せるに比し、積立金の少きに過ぐるやの嫌なきにあらずと雖も、同社の事業が興隆したるは日清戦役後にして其以前の数年間は損失を免れざりしと、事業の性質として株主を金利の高率なる地方に多く有するの関係より配当を成る可く多くするの事情もある可く、特に材料品に百万円以上を固定せる等より推し、銀行又は保険会社等の如き積立金の多寡を以て其会社の健全なるや否やを判定するが如くには行かざる可し、而かも吾人は此点に就て会社が更に意を用ゐんことを希望せざるを得ず
之を要するに東京人造肥料会社は資本金四百万、年運転資金二百六十五万五千円(払込資本)を擁して居然として日本人造肥料の六分を消費する関東に蟠屈し、其営業上の根蔕深く、各府県には夫々特約販売者を設けて会社と運命を共にするの情誼を涵養したれば、元来地方農家を対手とする此事業の事なれば、容易に他同業皆の侵蝕を容さゞるの状なり、而かも近年関西地方に同業者の起ること頻りにして、為めに肥料界に波瀾を湧起すること少しとせず、財界の不振農家の不景気に連れ同業者は共倒れの弊に陥りて、其救済の方法を講ずの論囂々たり、是に於て昨年来頻りに全国人造肥料会社を打て一丸と為し以て無益の競争を杜絶し製品を東西に運搬する営業上の不便を除去せんと画するに至れり、当会社の取締会長として当会社のみならず斯業に多大の勲績を貽せる渋沢男の如き亦此合同を賛するものゝ如く、会長辞任後と雖も会社の合同に就ては一臂の労を尽さるゝの決心なるが如し、吾人は主義として自由競争を杜絶して事業を独占するが如き企業を好まず、又此合同が事実に行はれ得べきや将又実行せらるゝとしても合同後に於て営業の成績佳良を期し得べきや否や多少疑なしと雖も、若し合同の実現せられたる暁には当会社は其重要なる部分を占む可きは予想する難しとせざるなり


竜門雑誌 第二〇一号・第三六―三七頁〔明治三八年二月二五日〕 △東京人造肥料株式会社(DK120027k-0019)
第12巻 p.213-214 ページ画像

竜門雑誌  第二〇一号・第三六―三七頁〔明治三八年二月二五日〕
△東京人造肥料株式会社 青淵先生の取締会長たる同会社昨年下半季の営業成績左の如し
 - 第12巻 p.214 -ページ画像 

                      円
 本季営業益         一一二、四六一・八八五
 前季繰越金          一四、二三三・二一〇
  合計           一二六、六九五・〇九五
   内
 法定積立金           五、九〇〇・〇〇〇
 別段積立金          三〇、〇〇〇・〇〇〇
 配当平均準備金        二〇、〇〇〇・〇〇〇
 株高配当金(年一割六分)   五五、〇〇〇・〇〇〇
 後季繰込益金         一五、七九五・〇九五



竜門雑誌 第二〇七号・第二八頁〔明治三八年八月二五日〕 △東京人造肥料株式会社(DK120027k-0020)
第12巻 p.214 ページ画像

竜門雑誌  第二〇七号・第二八頁〔明治三八年八月二五日〕
△東京人造肥料株式会社 同社本年上半季の利益金分配案左の如し

                      円
 本季営業益金        一五一、八一〇・八六〇
 前季繰越益金         一五、七九五・〇九〇
  合計           一六七、六〇五・九五〇
   内
 法定積立金           七、六〇〇・〇〇〇
 別段積立金          三〇、〇〇〇・〇〇〇
 配当平均準備金        二〇、〇〇〇・〇〇〇
 株高配当金(年一割六分)   六〇、〇〇〇・〇〇〇
 特別配当金 (年四分)    一五、〇〇〇・〇〇〇
 翌季繰込益金         三五、〇〇五・九五〇



竜門雑誌 第二一三号・第二四―二五頁〔明治三九年二月二五日〕 △東京人造肥料会社(同取締役会長)(DK120027k-0021)
第12巻 p.214 ページ画像

竜門雑誌  第二一三号・第二四―二五頁〔明治三九年二月二五日〕
△東京人造肥料会社(同取締役会長)同社に於ては一月二十九日株主総会を開き、左の利益分配案を可決せり

    利益勘定
                      円
 本季営業益         一一四、二九五・八九
 前季繰越益          三五、〇〇五・九五
  合計           一四九、三〇一・八四
   内
 法定積立金           五、八〇〇・〇〇
 別段積立金          二〇、〇〇〇・〇〇
 配当平均準備金        一〇、〇〇〇・〇〇
 株高配当金          六二、五〇〇・〇〇
 特別配当金          一五、六二五・〇〇
 翌季繰込益          三五、三七六・八四



竜門雑誌 第二一九号・第三二頁〔明治三九年八月二五日〕 △東京人造肥料株式会社(同上)(DK120027k-0022)
第12巻 p.214-215 ページ画像

竜門雑誌  第二一九号・第三二頁〔明治三九年八月二五日〕
△東京人造肥料株式会社(同上)同社にては七月二十七日株主定時総会を開き、本年上半季の決算報告を為し、左の利益分配案を可決せり

    利益勘定
                      円
 一当季利益金        一六四、七〇三・四二
 一前季繰越益金        三五、三七六・八四
 - 第12巻 p.215 -ページ画像 
  合計           二〇〇、〇八〇・二六
   内
 一法定積立金          八、六〇〇・〇〇
 一別段積立金         四〇、〇〇〇・〇〇
 一配当準備金         二〇、〇〇〇・〇〇
 一株高配当金(年一割六分の割)七五、〇〇〇・〇〇
 一特別配当金 (年四分の割) 一八、七五〇・〇〇
 一前季繰込金《(翌)》     三七、七三〇・二六



東京経済雑誌 第五四巻第一三五九号・第七一〇―七一二頁〔明治三九年一〇月二〇日〕 人造肥料会社の前途(DK120027k-0023)
第12巻 p.215-217 ページ画像

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東京経済雑誌 第五四巻第一三六四号・第九六二頁〔明治三九年一一月二四日〕 △北海道人造肥料応募好況(DK120027k-0024)
第12巻 p.217 ページ画像

東京経済雑誌  第五四巻第一三六四号・第九六二頁〔明治三九年一一月二四日〕
△北海道人造肥料応募好況 資本金百万円を以て設立したる北海道人造肥料株式会社は、四千株を一般より募集し去る十五日申込を締切たるが、地方よりの申込に付きては未だ精確なる計算を得ざれども、東京のみの申込数は、既に三万六千株にして殆んど其十倍に達し居れば、地方よりの分をも合すれば優に二十倍以上に達すべく、その内最も多きは北海道なりと云ふ


竜門雑誌 第二二五号・第四〇頁〔明治四〇年二月二五日〕 (五)東京人造肥料株式会社利益金分配(DK120027k-0025)
第12巻 p.217-218 ページ画像

竜門雑誌  第二二五号・第四〇頁〔明治四〇年二月二五日〕
    (五)東京人造肥料株式会社利益金分配
                          円
 一当期利益金            一〇三、一四五・五六〇
 一前期繰越金             三七、七三〇・二六〇
  合計               一四〇、八七五・八二〇
    法定積立金            五、二〇〇・〇〇〇
  内 別段積立金           二〇、〇〇〇・〇〇〇
 - 第12巻 p.218 -ページ画像 
    株主配当金(一割六分)     八四、三〇〇・〇〇〇
    翌期繰込益           三一、三七五・八二〇


竜門雑誌 第二三〇号・第五三―五五頁〔明治四〇年七月二五日〕 (三)人造肥料株式会社(名誉銀牌)(DK120027k-0026)
第12巻 p.218-219 ページ画像

竜門雑誌  第二三〇号・第五三―五五頁〔明治四〇年七月二五日〕
    (三)人造肥料株式会社(名誉銀牌)
科学の進歩に伴ひ廃物利用の方法は各方面に開展されてあるが、就中銅分五パーセント以下の硫化銅の如きは多年廃鉱に属して居たのであつたが、一度これを人造肥料に要する硫酸の原料として用らるゝに至つてから、其需要亦頗る巨大に上り銅鉱国たる我国富を増進すること夥敷、実に喜ぶべき現象の一として数へねばならぬ、今此応用化学の粋を適用して盛んに人造肥料を製出し居る処の東京人造肥料株式会社を玆に紹介するのである、同社の創立は明治二十年であつて其創業者は渋沢男爵と益田孝の両氏にして設計者は高峰譲吉氏であつた、渋沢男は我農業の大革新大発展には先づ第一に肥料の改良を図ることの急要なるを看破せられて、我在来肥料の恃むに足らざるを説き、如何しても我農業の将来、人造肥料の供給を仰がねば発達するの道はないと屡々絶叫された、其達観たるや実に敬服するに余りあるではないか、今日に至つてこそ人造肥料の有効を知らぬものはないが其当時なぞは専門家以外には殆ど其名をさへ知らなかつた程であるから、本会社創立以来の苦心は実に推察するに余りありだ、斯の如くで会社は創立されるはされたが、第一農民が未だ其用途をさへ知らぬので、親切なる誘説も其甲斐なく製品の販路容易に開けざるのみならず、火災にかゝつて建築物等は烏有に帰し、進退玆に谷まり会社はまさに解散せんとするの悲運に際会したのであつた
此時株主中にはコンナ会社は宜敷解散すべしだ、火災残余の金属等は古金買ひに売つてはどうだと迄迫つた連中が多かつたが、流石渋沢男は此会社は他日大に成功するの時機が到るからと云つて衆議を排し、従来の二十五万円の資本金を十二万五千円に半減して会社を持続するの説を立て、若し諸氏が不賛同であるなら自分一人で負つて立つと迄誓はれたので他の諸氏も其言に動されて渋沢男の説に一決した、兎に角此等の大難関を切り抜けて来たる本会社は明治二十六年頃から販途漸く開け、日清戦役前後には始めて二割の配当を見るに至つたのである、此際に当つて大阪硫曹会社が本社と激烈なる競争をやつた結果として供提問題さへ起つたがそは事実と成るに及ばなかつた、其後日露戦争前後経済界の発展と共に本会社は益々多大なる発展をなし、特に今年に入りて同業新会社続々と増加して、これ等の同業新会社が各農家に供給する処の人造肥料は実に七百万俵の巨額に上ぼつたが、是れ全く同会社が率先して草径を開いた結果たらずんばあらずだ、実に新会社の資本金及び同業会社近年の増資等を計算すれば、これ亦実に一千万円の巨額に当るので、現今の七百万俵を超へて一千百万俵の人造肥料は近き将来の需用に供されんとしつゝあるのである、即ち二十年前同会社が初めて呱々の声を挙げて我日本に人造肥料なるものを紹介したる往時に比すれば、我邦の人造肥料業なるものは正に五百倍の発達を遂げ、猶は年々益々増加の勢を示して居る、是実に慶賀すべき事
 - 第12巻 p.219 -ページ画像 
で同会社が国家に貢献したるの功績頗深大である、世人が所謂渋沢男の三会社と称して第一銀行・東京瓦斯会社・東京人造肥料会社を挙げて其成功を説き、又渋沢男自からも其熱誠を注ぎて此三会社の為に尽さるゝ所以も偶然ならぬは勿論、実に我実業界に於る美事にして事業経営の好模範である、今同会社が東京博覧会に提出せる解説書によりて、其最近十箇年間の販売高を示せば左の如くである
             円                円
 三十年    二九、五八六一  三十一年   四三、七一九七
 三十二年   四八、六五四九  三十三年   六一、六九〇七
 三十四年   五四、八六一〇  三十五年   六七、四九八三
 三十六年   八五、三〇五一  三十七年  一一二、四九八三
 三十八年  一三八、一五二五  三十九年  一六八、四二二六
右の統計に拠つて見るも本会社が如何に発展しつゝあるかは一目瞭然たるべく、月々需用が激増するを以て資本を漸加して生産力を増進すと雖も、従来の同社にては拡張するの余地に乏しきに至つたので、明治三十八年から本社(東京府下南葛飾郡大島町)を去る約半里の小松川に本社に数倍する一大工場の建設に着手し、目下既に大部分出来せしを以て近々の中其の製造開始の筈で、また関西地方の農家に便益を与へんとするの主旨を以て、明治三十九年中神戸市兵庫の海浜に一工場を設けた
斯の如くにして本会社は関東関西に其羽翼を張り、日本全国に消費さるゝ人造肥料の三分の一を供給するの準備整頓し、価格の低くして而かも成分高きものを製造販売して以て我農民の福利を増殖し、延て我国益を増進して殊に本会社創立以来の目的を貫徹せんとして、在来肥料又は不正人造肥料等と戦ひつゝあるのである、実に本会社の如きは飽く迄も我農界に貢献するの主旨を以て業務に従事して居るので、渋沢男の帷幕として又敏腕の評ある現在専務取締役犬丸鉄太郎氏を始め社員一同献身的に各事務を掌どりつゝあるのは実に模範的会社とも称すべく、其層一層の発展正に偶然にあらざるを知るに足るのである


竜門雑誌 第二三一号・第三三頁〔明治四〇年八月二五日〕 (五)東京人造肥料株式会社利益金分配(DK120027k-0027)
第12巻 p.219 ページ画像

竜門雑誌 第二三一号・第三三頁〔明治四〇年八月二五日〕
    (五)東京人造肥料株式会社利益金分配
                          円
 一本季営業益金           一一八、七九二・七八〇
 一前季繰越益金            三一、三七五・八二〇
  合計               一五〇、一六八・六〇〇
    準備積立金            七、〇〇〇・〇〇〇
  内 別段積立金           一七、〇〇〇・〇〇〇
    株主配当金(年一割六分)    九四、〇〇〇・〇〇〇
    後季へ繰込益金         三一、九六八・六〇〇


竜門雑誌 第二三一号・第三五頁〔明治四〇年八月二五日〕 ○東京人造肥料株式会社の増資(DK120027k-0028)
第12巻 p.219 ページ画像

竜門雑誌  第二三一号・第三五頁〔明治四〇年八月二五日〕
○東京人造肥料株式会社の増資 東京人造肥料会社にては今回資本金を三百万円に増加することゝなり、臨時株主総会に於て之を議決せり


東京経済雑誌 第五六巻第一四〇〇号・第二六九―二七〇頁〔明治四〇年八月一〇日〕 ○東京人造肥料株式会社廿年祝賀会(DK120027k-0029)
第12巻 p.219-220 ページ画像

東京経済雑誌  第五六巻第一四〇〇号・第二六九―二七〇頁〔明治四〇年八月一〇日〕
 - 第12巻 p.220 -ページ画像 
    ○東京人造肥料株式会社廿年祝賀会
東京人造肥料会社は去る六日創立廿年祝賀会を大日本麦酒会社吾妻橋工場庭園に開催せり、来賓は松岡農相を始め朝野の紳士淑女無慮七百名内外にして、余興としては落語・大神楽・手踊・伊井河合一座の演劇、其他煙火等ありて盛会なりき、犬丸専務取締役の述ぶる所に拠れば、会社創設の当時は年々無配当にして欠損あり、廿九年火災の際は会社全部烏有に帰したるが為め解散説も起りしが、会長渋沢男爵の尽瘁に依り其後社運益隆盛に至り、本年は六個月間に百〇五万叺の製造販売ありたりと云ふ、余輩は益々其社運の隆盛ならんことを祈るものなり


中外商業新報 第七七六七号〔明治四〇年一〇月三日〕 全国肥料会社の会合(DK120027k-0030)
第12巻 p.220 ページ画像

中外商業新報  第七七六七号〔明治四〇年一〇月三日〕
    全国肥料会社の会合
東京人造肥料・日本人造肥料・関東酸曹・共益完全肥料(以上東京)摂津製油・大阪アルカリ・大阪硫曹・堺硫酸晒粉・多木肥料(以上大阪)岡山の日本製銅の各会社代表者、渋沢男爵・田中平八郎・前田清莎・田中市太郎・阿部市三郎・藤江章吉・志方勢七・多木粂次郎外数名の諸氏は二日午後六時より日本橋浜町常盤家に会合し、各社とも従来の如き製品の競争販売を避くるため製品の価格を一定するか、共同販売を組織するか、若くは販売を合同するかに就て協議せりといふ


竜門雑誌 第二三三号・第三八頁〔明治四〇年一〇月二五日〕 ○全国肥料業者聯合会(DK120027k-0031)
第12巻 p.220 ページ画像

竜門雑誌  第二三三号・第三八頁〔明治四〇年一〇月二五日〕
○全国肥料業者聯合会 関東及関西の各肥料会社は相互の競争を避け同業の利益を増進する為め協議会を開くことゝなり、本月二日東京人造肥料会社の主催にて浜町常盤屋に晩餐会を開き、尋で翌三日午前兜町渋沢家事務所に於て開会せる協議会に於て、先づ同業者機関として全国肥料業者聯合会を組織することに決し、東京人造肥料会社の犬丸鉄太郎氏、大阪「アルカリ」会社の田中市太郎氏を幹事に推選したり同会は春秋二回並に其他必要に応じて開会し、経費は会員の分担を以て支弁する筈にて、東京人造肥料・関東硫曹・日本人造肥料製造所・共益人造肥料・大阪硫曹・硫酸肥料・摂津製油・大阪「アルカリ」・日本製銅肥料・多木製肥等の各株式会社之に加入する筈なり、斯くて同月五日再び協議会を開きて価格の協定に関し種々協議する所ありしが、結局該問題は宿題として後日に譲ることゝなりて散会したり


竜門雑誌 第二三八号・第一八頁〔明治四一年三月二五日〕 (五)東京人造肥料株式会社利益金分配(DK120027k-0032)
第12巻 p.220 ページ画像

竜門雑誌 第二三八号・第一八頁〔明治四一年三月二五日〕
    (五)東京人造肥料株式会社利益金分配
                          円
 一本季営業益            一二七、一八四・九六〇
 一前季繰越益金            三一、九六八・六〇〇
  合計               一五九、一五三・五六〇
    準備積立金            六、三六〇・〇〇〇
  内 別段積立金            六、三六〇・〇〇〇
    株主配当金(年壱割六分)   一一九、七七五・〇〇〇
    後季繰込益金          二六、六五八・五六〇

 - 第12巻 p.221 -ページ画像 

東京経済雑誌 第五九巻第一四八一号・第四三一―四三五頁〔明治四二年三月一三日〕 肥料界の過去現在及将来(一)(在御影 臼谷吉太郎)(DK120027k-0033)
第12巻 p.221-224 ページ画像

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東京経済雑誌 第五九巻第一四八三号・第五二五―五二九頁〔明治四二年三月二七日〕 肥料界の過去現在及将来(二)(在御影臼谷吉太郎)(DK120027k-0034)
第12巻 p.224-228 ページ画像

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東京経済雑誌 第五九巻第一四八四号.第五六三―五六六頁〔明治四二年四月三日〕 肥料界の過去現在及将来(三)(在御影臼谷吉太郎)(DK120027k-0035)
第12巻 p.228-231 ページ画像

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東京経済雑誌 第五九巻第一四八五号・第六〇九―六一四頁〔明治四二年四月一〇日〕 肥料業の過去現在及将来(四)(在御影臼谷吉太郎)(DK120027k-0036)
第12巻 p.231-236 ページ画像

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東京経済雑誌 第五九巻第一四八六号・第六五七―六六三頁〔明治四二年四月一七日〕 肥料界の過去現在及将来(五)(在御影臼谷吉太郎)(DK120027k-0037)
第12巻 p.236-242 ページ画像

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殖民公報 第四八号・第四六―四七頁〔明治四二年五月〕 東京人造肥料株式会社函館工場(DK120027k-0038)
第12巻 p.242-243 ページ画像

殖民公報  第四八号・第四六―四七頁〔明治四二年五月〕
    ○東京人造肥料株式会社函館工場
本社は東京深川区釜屋堀にあり、明治二十年資本金二十五万円を以て創業し爾来幾多の変遷を経、現今は資本金四百万円にして工場を釜屋堀・小松川・横浜・函館・神戸の五箇所に有す、其内函館工場は昨年八月北海道人造肥料株式会社を一切現存の儘合併買収したるものにして、爾後機械器具を改良し製品の成分率を高め製造力を増加せり、函館工場の位置は函館区亀田村有川通にあり、敷地は約一万二千坪にして建築物の主なるものは、肥料製造室、硫酸製造室、汽缶汽機室各一棟、倉庫七棟、工作場、事務所各一棟、社宅四棟とす、製造機械は肥料製造に要するもの「コースクラツシヤー」、「フアヰンクラツシヤー」「ケントミル」、「ミキサー」(配合鍋)、「エレベーター」並附属金篩機肥料砕截機各一台、硫酸製造に要するもの焚硫炉、「グラバー」塔各一個、「ゲールサツク」塔二個、鉛室三個一組、冷却塔一個とし、原動力汽缶汽機は百二十五馬力蒸汽汽缶、「コンデンサー」、「ランカシヤー」形「ボヰラー」、「コルニツシユ」形「ボヰラー」各一台、附属「ポンプ」二台とす、製品の種類は普通過燐酸石灰及ひ特性過燐酸石灰の二種にして、一箇年の製造力は両種合計約二百五十万貫(二十万
 - 第12巻 p.243 -ページ画像 
叺一叺十貫入)、肥料用粗製硫酸(ボーメー氏五十度)約二百万貫なり、而して肥料製造に要する原料は燐礦石及ひ硫酸にして、燐礦石は太平洋諸島産を輸入し一箇年の消費高約二百五十万貫、硫酸原料たる硫黄は本道産を用ゐ一箇年の消費高約百五十万貫なり、製品百分中可熔燐酸の含有量は普通過燐酸石灰は十五以上、特性過燐酸石灰は十九以上なりとす、職工及傭夫は五十四名、内男四十三名、女十一名、臨時雇男二十名、女十五名にして賃銀は平均一日四十九銭、最高男一円三十五銭、最下三十五銭、最高女二十七銭、最低二十銭なり、当場は鉄道支線を敷地内に延長しあると工場前の海浜より直に船積をなし得る等運送上頗る好地位にあり、需用地は石狩を第一とし渡島・胆振後志之に次く、又奥羽・北陸方面に輸出するもの亦尠からず


斎藤又右衛門氏談(DK120027k-0039)
第12巻 p.243 ページ画像

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