デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
20節 化学工業
4款 堺セルロイド株式会社
■綱文

第12巻 p.278-279(DK120035k) ページ画像

明治41年2月(1908年)

是月、堺セルロイド株式会社設立計画セラル。栄一、飯田義一・岩原健三等ト共ニ発起人タリ。


■資料

中外商業新報 第七八八六号〔明治四一年二月二六日〕 セルロイド会社(DK120035k-0001)
第12巻 p.278 ページ画像

中外商業新報  第七八八六号〔明治四一年二月二六日〕
    セルロイド会社
渋沢栄一・飯田義一・岩原健三其他の実業家発起にて資本金二百万のセルロイド会社設立計画あり、二十五日大阪ホテルに於て当地の藤田平太郎・嶋村久其他州余名を招待し斯業に関し詳細説明を為せり


竜門雑誌 第二三七号・第二九頁〔明治四一年二月二五日〕 大日本「セルロイド」会社(DK120035k-0002)
第12巻 p.278 ページ画像

竜門雑誌  第二三七号・第二九頁〔明治四一年二月二五日〕
    大日本「セルロイド」会社
三井一派及青淵先生が発起せられたる大日本「セルロイド」会社は、資本金二百万円にして内四分の一即ち五十万円を以て業務を開始し、漸次八十万円まで払込ましむる筈にて、総株数中二万二千五百株は発起人之を引受け、猶関西富豪に向て引受の勧誘中なりと云ふ


銀行通信録 第四五巻第二六九号・第七〇―七一頁〔明治四一年三月一五日〕(DK120035k-0003)
第12巻 p.278 ページ画像

銀行通信録  第四五巻第二六九号・第七〇―七一頁〔明治四一年三月一五日〕
    ○大日本「セルロイド」会社設立計画
渋沢栄一・飯田義一・石原健三等の諸氏は前号(二四九頁)に記載せる近藤廉平・田中常徳等諸氏の設立に係る「セルロイド」会社の外に資本金二百万円を以て大日本「セルロイド」会社を設立せんとし、総株数四万株の中二万二千五百株は発起人に於て引受け、其他を一般より募集する筈にて種々計画中なり



〔参考〕渋沢栄一 日記 大正四年(DK120035k-0004)
第12巻 p.278-279 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正四年
四月九日
○上略午前九時発ノ汽車ニテ大阪ヲ経テ堺ナルセルロイド工場ヲ一覧ス
森田茂吉氏専務トシテ担当ス、各部局ヲ詳細ニ観覧ス、一覧前先ツ其製品ヲ示シテ会社ノ沿革ト製品販路ノ事共ヲ説明セラル○下略
  ○栄一、四月二日ヨリ京阪地方旅行中ナリ。
  ○「日本会社史総覧」(第五五七―五五八頁〔昭和二九年九月刊〕)ニ依レバ大日本セルロイド株式会社ノ沿革ハ左ノ如シ。
   「明治四十一年三井の資本によつて堺セルロイド株式会社、三菱の資本によつて日本セルロイド人造絹糸株式会社が設立された。前者は堺工場の前身で、アメリカ技師によつて設計され、後者は今日の網干工場の前身でドイツ人技師に指導されて創業した。我が国セルロイド工業はこのときに始まつているのであるが、両社とも創立後の数カ年は惨憺たる苦難時代であ
 - 第12巻 p.279 -ページ画像 
つたが、大正三年第一次欧洲大戦の勃発と共に事業は好転し、セルロイドは輪入品から輸出品にかわつた。そしてこの好況は前記二社以外に六つのセルロイド生地製造業者を生み、それが大戦終了後の不況によつて再び共倒れの悲運に再会したが、国策的見地よりこれが大同団結の機運がおこりついにこの八社が合併して大正八年八月資本金千二百五十万円をもつて当社を設立した。」