デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.12

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
25節 取引所
1款 東京株式取引所
■綱文

第13巻 p.635-681(DK130066k) ページ画像

明治35年11月28日(1902年)

既ニシテ木内局長ニヨル取引所制度ノ改革実施セラレシモ財界大イニ紛糾ス。当初栄一、欧米旅行中ナリシガ、帰朝後、東京銀行集会所ヲ通ジテ該問題ヲ研究スル所アリ。是日第一回協議会ヲ開ク。


■資料

東京経済雑誌 第四六巻第一一五七号・第八八九頁〔明治三五年一一月八日〕 ○取引所問題と渋沢男(DK130066k-0001)
第13巻 p.635-636 ページ画像

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渋沢栄一 日記 明治三五年(DK130066k-0002)
第13巻 p.636 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三五年
十一月二十八日 曇
○上略十一時銀行集会所ニ於テ役員会ヲ開キ、株式取引所ヨリ請求セル限月ノ事ニ関シ協議ス○下略
十二月十六日 曇
午前八時朝飧ヲ畢リ十時兜町事務所ニ於テ来客ニ接ス、午後銀行集会所ニ於テ取引所限月ニ関スル調査会ニ出席ス、夜王子別荘ニ帰宿ス
十二月二十九日 晴
○上略午後二時銀行集会所ニ抵リ取引所ノ事ニ関スル調査会ヲ開ク○下略


中外商業新報 第六二六一号〔明治三五年一一月三〇日〕 ○取引所問題と銀行家集会(DK130066k-0003)
第13巻 p.636 ページ画像

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東京経済雑誌 第四六巻第一一六一号・第一〇八五頁〔明治三五年一二月六日〕 ○取引所問題と銀行家(DK130066k-0004)
第13巻 p.636-637 ページ画像

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中外商業新報 第六二八七号〔明治三六年一月一日〕 ○限月問題の銀行家委員会(DK130066k-0005)
第13巻 p.637 ページ画像

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東京銀行集会所半季実際考課状 第四五回・第二―三頁明治三五年七月一日―一二月三一日(DK130066k-0006)
第13巻 p.637-638 ページ画像

東京銀行集会所半季実際考課状 第四五回・第二―三頁明治三五年七月一日―一二月三一日
                 (東京銀行集会所所蔵)
    役員会ノ事
一明治三十五年十一月二十一日株式会社東京株式取引所仲買人総代吉川金兵衛外十四名ヨリ当所ニ向テ、株式定期取引限月復旧ニ関シ考究ノ上尽力アリタキ旨ノ書面ヲ差出サレシヲ以テ、同月二十八日役員会ヲ開キ正副会長ノ外特ニ参加ヲ求メタル池田謙三(株式会社第百銀行)原田虎太郎(株式会社第三銀行)上柳清助(合名会社三井銀行)佐々木勇之助(株式会社第一銀行)三村君平(三菱合資会社銀行部)三崎亀之助(横浜正金銀行)ノ六君出席セリ、偶々当日株式会社三十五銀行外二十九行
 - 第13巻 p.638 -ページ画像 
ヨリモ右ニ関スル詮議請求書ノ提出アリシニ付併セテ協議スル所アリシ結果、同月二十九日仲買人ノ請求ハ之レヲ謝絶シ又詮議請求書提出者ニ対シテハ一応会長ヨリ其旨趣ヲ聞取リシ上役員ニ於テ限月問題ニ関シ調査ヲ為スコトニ決シ、稲延利兵衛(株式会社日本通商銀行)池田謙三(株式会社第百銀行)波多野承五郎(合名会社三井銀行)原田虎太郎(株式会社第三銀行)大野清敬(株式会社七十七銀行東京支店)滝沢吉三郎(住友銀行東京支店)野島泰次郎(合名会社中井銀行)安藤三男(株式会社二十七銀行)安藤浩(合資会社川崎銀行)三崎亀之助(横浜正金銀行)十君ノ参加ヲ求メ十二月一日、十六日、廿九日当所ニ会合ヲ為シテ調査ヲ為シタリ


東京銀行集会所半季実際考課状 第四五回・第八頁明治三五年七月一日―一二月三一日(DK130066k-0007)
第13巻 p.638 ページ画像

東京銀行集会所半季実際考課状 第四五回・第八頁明治三五年七月一日―一二月三一日
                (東京銀行集会所所蔵)
    各団体往復ノ事
○上略
一十一月二十一日株式会社東京株式取引所仲買人総代吉川金兵衛外十四名ヨリ、株式定時取引限月短縮ニ関シ当路者ヲシテ速ニ限月ヲ復旧セシムル様尽力アリタキ旨ノ書面ヲ当集会所ニ差出サレタルニ付、詮議ノ上同月二十九日当所会長渋沢男爵ハ右請求者ノ来所ヲ求メ従来当所ニ於テハ他ノ請求ニ依リ決議運動ヲ為シタル例ナキ旨ヲ述ベ其請求ヲ謝絶スル旨ヲ答ヘタリ
○下略


渋沢栄一 日記 明治三六年(DK130066k-0008)
第13巻 p.638 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三六年
四月三日 曇
○上略午後三時山県侯爵ヲ椿山荘ニ訪ヒ、京釜鉄道会社ノ事及株式取引所ノ限月復旧ノ事ヲ談話ス、夕方王子別荘ニ帰宿ス
五月九日 曇午後雷雨
○上略五時浜町常盤屋ニ抵リ株式取引所ノ招宴ニ出席ス、安田・益田・豊川等ノ諸氏来会ス、午後十時王子別荘ニ帰宿ス


東京銀行集会所半季実際考課状 第四六回・第七頁明治三六年一月一日―六月三〇日(DK130066k-0009)
第13巻 p.638 ページ画像

東京銀行集会所半季実際考課状 第四六回・第七頁明治三六年一月一日―六月三〇日
                (東京銀行集会所所蔵)
    諸往復ノ事
○上略
一前期来役員ニ於テ調査中ナリシ株式取引所限月復旧ノ件ハ四月七日農商務省令第三号発布ノ結果自然解決セラレシニ付、当時該問題講究ノ為メ参加ヲ求メタル稲延利兵衛・池田謙三・波多野承五郎・原田虎太郎・大野清敬・滝沢吉三郎・野島泰次郎・安藤三男・安藤浩・三崎亀之助ノ十君ヘ向ケ該問題ノ講究ヲ一先終結可致旨六月十二日附ヲ以テ通知セリ
○下略


中外商業新報 第一四〇一三号〔大正一四年三月七日〕 ○渋沢子が限月の延期に賛成の意見(DK130066k-0010)
第13巻 p.638-639 ページ画像

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〔参考〕渋沢栄一 日記 明治三五年(DK130066k-0011)
第13巻 p.639 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三五年
五月十五日 雨
午前六時床ヲ離レテ入浴ス、朝飧後庭園ヲ散歩シ一詩ヲ賦シ一首ヲ詠ス、七時王子別荘ヲ発シ兼子同伴ニテ八時兜町ニ抵ル、第一銀行員及家人来リテ送別ス、九時新橋停車場ニ抵リ送別ノ人ニ接ス、各大臣及政事家学者商工業家多ク来リ送ル、九時二十五分発ノ滊車ニテ十時過横浜ニ抵リ、第一銀行支店楼上ニ休憩ス、十一時滊船亜米利加丸ニ搭ス、横浜マテ送リ来レル人ハ皆本船ニ来ルヲ以テ船頗ル雑沓ス、十二時二十分抜錨送別ノ諸氏ト分袂ス、此時雨頻リニ至ル、午後一時米国人チソン氏及浅野氏ト瓦斯会社事業等ニ関スル事ヲ会話ス、一時半船航行ヲ始ム○下略
六月九日 晴
朝飧後シカゴ市ニ於テ有名ナル屠獣場ニ抵ル、ストツクヤードト称スルモノナリ、牛豚ノ屠場ヲ一覧ス、一見戦慄ヲ覚ユ、畢テ穀物取引所ニ抵ル、蓋シ此取引所ハ貿易会議所《ボールドオフトレード》ニ属スル一取引場ナリ、小麦・肉類等各農産ヲ区別シテ毎日時ヲ定メテ立合ヲ為ス、其状恰モ我取引所ト同シ、一覧後事務所ニ於テ取引ノ手続ヲ質問ス、午後二時ホテルニ帰宿シテ午飧ス○下略


〔参考〕竜門雑誌 第一七四号・第二頁〔明治三五年一一月二五日〕 ○東京商業会議所に於ける青淵先生の演説(DK130066k-0012)
第13巻 p.639-640 ページ画像

竜門雑誌 第一七四号・第二頁〔明治三五年一一月二五日〕
    ○東京商業会議所に於ける青淵先生の演説
 本編は本月八日東京商業会議所の開催に係る青淵先生歓迎会席上に於て同先生の演述せられたる欧米商工業視察談の速記なり
○上略
夫から続いて第二に参りましたがシカゴでございます、シカゴは商業会議所としてはありませぬ、「ボールド・オヴ・ツレード」と云ふて商業会議所とは少し違つて居る、此「プレシデント」と云ふ人に面会しました、シカゴの「ボールド・オヴ・ツレード」にては穀物取引所の事を管理して居りますから取引に関する要務を聞合せて見たいと思ふて両度迄も訪問しました、併しシカゴにも八日○六月に着し十日に立ちました位でありますから時日は甚だ短縮でございましたから十分なる事は調査し得られませぬ、且取引所の事は商業会議所とは別段で御
 - 第13巻 p.640 -ページ画像 
座いまするで、玆に縷述致すことは見合せに致します○下略


〔参考〕竜門雑誌 第一七八号・第二―三頁〔明治三六年三月二五日〕 ○青淵先生欧米漫遊報告演説(DK130066k-0013)
第13巻 p.640 ページ画像

竜門雑誌 第一七八号・第二―三頁〔明治三六年三月二五日〕
    ○青淵先生欧米漫遊報告演説
○上略シカゴには「ボールド・オフ・トレード」と称へて商業会議所に似たやうなものですが少しく形を異にして居ります、而して此「ボールド・オフ・トレード」は穀物取引所を持つて居りまして、取引所は「ボールド・オフ・トレード」の監理に属して居ります、此取引所の有様を委しく見せ且つ説明して呉れましてござります、取引所の体裁は其相場立の振合又は立合の手続等まで日本と違つたとこはないやうですが会員組織であつて株式組織でないと云ふことだけが大に異なるやうに見受けました、実に盛なもので且つ聞く所に依ると左様に厳しい法制の検束はないけれども別に違約者があつて折合とか泣とか云ふやうな事柄は殆どないと申して居りました、商業会議所の設けはないゆえに商人の会合して其意見を発表すると云ふことはないけれども併し「ボールド・オフ・トレード」としては考を申述べることも屡々致して居ると云ふ話でござりました○下略


〔参考〕竜門雑誌 第一七一号・第二一頁〔明治三五年八月二五日〕 ○洋行日誌(其三)(梅浦精一)(DK130066k-0014)
第13巻 p.640 ページ画像

竜門雑誌 第一七一号・第二一頁〔明治三五年八月二五日〕
    ○洋行日誌(其三)(梅浦精一)
○上略
六月九日
○中略
午後ボールド・ヲブ・トレイドに到り一覧仕候、此会は会員千八百余名も有之、専ら小麦燕麦コルン其他獣類を売買する場所にして、男爵一行の参り候節は丁度小麦の売買最中にして、一段小高き所に書記一人立ち居り其前面に数十百人の会員相集り互に手を張り出し其指を二本出し又は三本出して売買を決するものにて、恰も我が株式取引所又は米穀取引所の仲買が売買に臨みて手を振るが如し、而して転売・買戻しは自由に行ひ得るものと承知仕候、先般松方伯が当市に被参候節藤田領事を介して質問せられたる時書記長の答には転売・買戻しは一切出来ざる様説明有之候趣の処、我等の質問に対して斯く反対の答有之候は甚不審の至に付、渋沢男は種々に例を挙げて試問せられたるに転売・買戻しは自由に出来得るものと判然答弁有之候、加之ならず此場の或る売買は投機の範囲を脱して殆ど賭博の頂上に達するものありと迄説明有之候、此点は尚ほ紐育に於て再び取調御報告可仕と奉存候


〔参考〕竜門雑誌 第一七〇号・第一一頁〔明治三五年七月二五日〕 ○青淵先生漫遊紀行(其二)(八十島親徳)(DK130066k-0015)
第13巻 p.640-641 ページ画像

竜門雑誌 第一七〇号・第一一頁〔明治三五年七月二五日〕
    ○青淵先生漫遊紀行(其二)(八十島親徳)
○上略
九日 快晴 午前藤田領事の案内によりユニオン・ストツク・ヤード即大屠畜場を観る、牡大言《(壮)》ふ許なし、午後一時よりボールド・オブ・ツレードに到り副頭取に面会し、穀物其他定期取引の市場を観る、ボールド・オブ・ツレードは取引所にして商業会議所を兼ぬるものなり、ボ
 - 第13巻 p.641 -ページ画像 
ールド・オブ・ツレードの観覧終て後藤田領事の案内によりブルマンカー製造所に赴き鉄工・木工・組立・仕上等の各科を観る○下略


〔参考〕渋沢栄一 日記 明治三五年(DK130066k-0016)
第13巻 p.641 ページ画像

渋沢栄一日記 明治三五年
七月三十日 晴
午前九時半倫敦ノ旅宿ヲ発シユーストン停車場ニ抵リ英国北部行ノ滊車ニ搭ス、滊車中ニテ午飧シ午後二時半リバフール港ニ着ス、一行中清水泰吉ハ事務調査ノ為倫敦ニ止リ、三井物産会社渡辺専次郎氏同行ス、リバフール着ノ後穀物取引所及一般商業者集会所ヲ一覧ス○下略


〔参考〕竜門雑誌 第一七三号・第一頁〔明治三五年一〇月二五日〕 ○青淵先生漫遊紀行(其五)(八十島親徳)(DK130066k-0017)
第13巻 p.641 ページ画像

竜門雑誌 第一七三号・第一頁〔明治三五年一〇月二五日〕
    ○青淵先生漫遊紀行(其五)(八十島親徳)
     △英国北部の周遊(第十五信)
            英国倫敦八月十一日発
○上略
    △リバプール
七月三十日 曇 ○中略
午後二時三十分リバプールに着す、三井物産会社の取引先たる棉花商ウオルセス氏外一名出迎へ一行を案内して棉花取引所及一般商品取引所に到る、仲買人数百名群集し盛んに売買を為しつゝあり、此両取引所とも取引所は単に集会席を供給するに止まり取引は全く仲買人間の相対的関係に過ぎずといふ、此の如く取引所の組織は極て簡易にして又極て自由なるも仲買人の員数には自ら制限ありて漫に加入するを許さず、仲買人に欠員を生ずる時は多数の加入希望者の中より投票を以て加入を許るす方法なり、是を以て仲買人は孰も身元正しく信用厚く取引に失態を現はすが如きは殆ど絶無の事なりといふ
○下略


〔参考〕渋沢栄一 日記 明治三五年(DK130066k-0018)
第13巻 p.641 ページ画像

渋沢栄一日記 明治三五年
八月一日 曇
午前九時馬車ヲ僦フテ旅宿ヲ出テマンチターカナール《(エス脱)》ヲ一覧ス○中略一覧畢テ市街ニ抵リ、木綿荷造問屋ノ一店ニ入リテ其営業ノ景況ヲ一覧シ、更ニ其主人ノ案内ニテ商人取引所ニ抵リ各種ノ商業者群集シテ各其取引ヲ為スノ順序ヲ覧ル、此取引所ニ加入スル者ハ数千人ニシテ一人壱ケ年三拾円余ヲ会費トシテ醵出スト云フ、而シテ其建築ハ別ニ所持人アリテ群集スル各商人ハ借家ニテ集会スルモノナリト云フ、一覧畢テ旅宿ニ抵リテ午飧シ、午後二時十五分発ノ滊車ニテグラスゴーニ向テ発ス○下略


〔参考〕竜門雑誌 第一七三号・第三頁〔明治三五年一〇月二五日〕 ○青淵先生漫遊紀行(其五)(八十島親徳)(DK130066k-0019)
第13巻 p.641-642 ページ画像

竜門雑誌 第一七三号・第三頁〔明治三五年一〇月二五日〕
    ○青淵先生漫遊紀行(其五)(八十島親徳)
     △英国北部の周遊(第十五信)
            英国倫敦八月十一日発
○上略
 - 第13巻 p.642 -ページ画像 
    △マンチエスター
八月一日 晴 渡辺専次郎氏の案内にてマンチエスター運河を視、次で三井物産会社の取引先なる「キヤラコ」問屋に到り、重役の案内にて東洋向「キヤラコ」更紗類荷造の実況を見る
夫よりマンチエスター一般商品取引所に到る、同取引所は他と異り言はゞ有らゆる商人の集会所にして各種の商人は各自一定の出金をなして会員となり、毎日一定の時刻を期して玆に集会し各種の商談を為すの機関にして、定期取引は一切之を行はざるも商人相互の往来通信の手数を省くを以て其利便尠からずといふ、此の如き取引所組織は他に見ざる所にして場内甚だ広く優に千人を容るべしとなり
取引所の観覧終りて一行は午後二時十五分発の滊車にてグラスゴーに向ふ○下略


〔参考〕渋沢栄一 日記 明治三五年(DK130066k-0020)
第13巻 p.642-643 ページ画像

渋沢栄一日記 明治三五年
八月十二日 曇
午前八時半朝飧ヲ畢ル、植村俊平氏来リ鉄道抵当法案ノ事ヲ談ス、十一時市原盛宏ヲ伴ヒ地中電気車ニテシチーニ抵リ、三井物産会社ニ於テ渡辺専次郎氏ヲ訪ヒ同伴シテウエルスヘーバー保険組合店ニ抵リ、スヘンサー氏ニ面会シ東京海上保険会社ヨリノ伝言ヲ述ヘ且保険ニ関スル事ヲ談ス、次テロヤルエキスチンジ《(エ脱)》ニ於テロイド保険同盟ノ事務取扱方ヲ一覧ス、畢テ一レストランニ於テ午飧ス○下略
九月一日 雨
午前九時ヱリス氏父子来リテハンブルグノ港内ニ於ル諸設備一覧ノ事ヲ告ク○中略一覧畢テ市中一ノ料理店ニテ午飧ス、食後取引所又ハ市役所ヲ一覧ス○下略
九月十三日 曇
午前シーボルト氏来着スルヲ以テ旅宿ニ於テ面会ス、十時シヤンゼリゼーニテ美術館ヲ一覧シ、十一時バンクドフランスニ抵リ当直ノ役員ニ請フテ行内ヲ一覧ス、機械室・印刷局等極テ整頓セリ、営業ノ各局ハ他ノ家屋ニアルヲ以テ一見スルヲ得ス、午後一時帰宿、午飧後株式取引所・商品取引所及商業会議所ヲ一覧ス、林忠正氏誘引セラル、株式取引所ニ抵リテ仲買ノ一人ニ就テ取引ノ実況ヲ質問ス、倫敦又ハ米国ニ於テ聞知セシ処ト大同小異ナリ、転売・買戻ノ方法ハ規則上ニ之ヲ禁スレトモ実際ハ都テ行ルヽモノナリ○下略
九月廿四日 晴
午前七時船ホルトセードニ着ス○中略埠頭ニ於テ荷物ノ検査ヲ受ケ市街ヲ散歩シテ一大旅舎ホテルヱキスチエンヂニ投宿ス○下略
十月三十日 晴
昨日ハ風雨強ク雲靄四方ヲ眺望スル能ハサリシヲ以テ今日ノ入港ニ当リテモ尚四望ノ不自由ナラン事ヲ恐レタリシカ、午前三時半頃土佐ノ東方ナル室戸崎島灯台ヲ右舷近方ニ見ル、時ニ雨歇ミテ天色稍明カナリ、午前六時頃ヨリ阿波地方ヲ右舷ニ紀州地方ヲ左舷ニ見ル九時過キヨリ淡治島《(マヽ)》ヲ右舷ニ見ル十二時頃ヨリ遥ニ摩耶連山ヲ見ルヲ得テ神戸ノ市街雲烟ノ中ニ在リ一行ノ喜識ルヘキナリ、ヤカテ和田ノ岬ニ着ス
 - 第13巻 p.643 -ページ画像 
ルヤ検疫船来リテ満船ノ乗組員ヲ点検シ、同時ニ来着セシ数隻ノ小蒸気船ハ余等ヲ迎ノ為来レル多人数ヲ乗セテ本船ニ来リ船中俄ニ混雑ヲ極ムルニ至レリ、篤二及一二ノ家僕モ来リ迎フ、第一銀行員及各会社ノ人々又ハ神戸・大坂、西京ヨリ来レル商業会議員等数百人《(所脱カ)》ニ及ヒタリ、午後一時半小蒸気船ニテ上陸シ諏訪山常盤ニテ暫時休憩ス○下略


〔参考〕第三回農商工高等会議議事速記録 第六八三―七一九頁明治三二年一月一〇日(DK130066k-0021)
第13巻 p.643-644 ページ画像

第三回農商工高等会議議事速記録 第六八三―七一九頁明治三二年一月一〇日
             農商工高等会議々員 高橋是清提出
    株式取引所制度改正ノ儀ニ付建議案
 現今本邦ノ株式取引所ハ株式組織ニシテ会員組織ニアラス、且定期取引ハ三ケ月ノ長期ヲ許セリ、是レ共ニ非ニシテ改正ノ最モ急務タルヲ信スルナリ
 抑々株式取引所ヲ公設スルノ目的ハ有価証券ノ相場ヲ明確堅固ナラシメテ公衆ノ利益ヲ保護スルニアリ、故ニ取引所ノ取引ハ多少投機的ノ性質ヲ帯フルヲ免レストスルモ、其取引ニ従事スルモノヲシテ濫ニ自己ノ資力ニ超越シテ無謀ノ投機的売買ヲ恣ニスル能ハサラシムルヲ最モ緊要トス、是レ欧米株式取引所ノ第一義トスル所ニシテ会員組織ヲ必要トシ長期売買ヲ禁制セサルベカラサルノ理由ハ則チ玆ニ存ス、是ヲ以テ倫敦・紐育ノ株式取引所ハ共ニ会員組織ニシテ倫敦ニ於テハ英国整理公債証書ヲ除クノ外ハ必ス二週間目ニ売買ヲ決算シ、紐育ニ於テハ必ス日日之ヲ決算シ決シテ長期売買ヲ許サヽルナリ、然ルニ翻テ本邦ノ株式取引所ヲ見ルニ前述ノ如ク株式組織ヲ採用セリ、而シテ既ニ株式組織ナレハ取引高ノ多少増減ハ株主ノ利害ニ直接ノ関係アルカ故ニ取引所ハ務メテ取引ノ増加ヲ誘フノ傾向ナシトセス、三ケ月ノ長期売買ヲ許スカ如キ蓋シ主トシテ相場師ノ便益ヲ謀ルノ精神ニ出ツルモノニシテ、随テ相場師ハ僅少ノ差金ヲ以テ鉅万ノ取引ヲ為シ得ルカ故ニ其思惑取引ニ従事スルヤ自己ノ資力ニ顧ミズ適当ノ限度ヲ超越シテ濫売買ニ耽ルヲ免レス、終ニ株式取引所ハ有価証券ノ相場ヲ明確堅固ナラシムルノ目的ヲ達スル能ハス、反テ投機者流ヲシテ数種ノ株券ヲ弄ヒテ輸贏ヲ争ハシムル一種賭博場タルノ観ヲ呈スルニ至ル是レ誠ニ慨歎スヘキナリ、故ニ取引所ノ相場ハ激変多クシテ公衆ハ之ヲ標準トシ之ニ信頼スル能ハス其結果ヤ真正ノ売買ハ取引所内ニ行ハレスシテ却テ取引所外ニ行ハルヽニ至ルナリ、斯ノ如クナレハ取引所アリト雖モ殆ト其効用ナキナリ、且将来自然ノ趨勢ニ任セ外国資本ノ漸次輸入セラルヽノ時運ニ会スルモ株式取引所ノ状態今日ノ如クナランニハ大ニ其輸入ヲ障害スヘシ、故ニ今日ニ於テ取引所ノ制度ヲ改正シ其弊害ヲ匡救シ欧米ニ於ケルカ如ク真ニ能ク有価証券ノ相場ヲ明確堅固ナラシムルノ目的ヲ達シ内外人ヲシテ之ニ信頼セシムルハ最モ急務ニシテ、果シテ玆ニ至レハ外国人モ自カラ安ンシテ其資本ヲ本邦ノ有価証券ニ投スルヲ躊躇セサルヘシ、且内地公衆モ有価証券市価ノ堅固ナルヲ認メ欧米ニ於ケルカ如ク確実ナル有価証券ヲ所有スルハ殆ト利付ノ現金ヲ所有スルニ異ラサルニ至レハ、公衆ノ貯金ハ先ツ有価証券ニ投セラレ其取引所ニ注カレタル貯金ハ更ニ銀行ニ流入スヘキカ故ニ銀
 - 第13巻 p.644 -ページ画像 
行モ低利ナル貸付資金ヲ得テ大ニ金融ヲ暢通スルノ利益アルヘシ、是レ政府カ欧米ノ制度ニ傚ヒ速ニ我カ株式取引所ノ制度ヲ改正セラレンコトヲ希望スル所以ナリ
 右本会ノ決議ヲ以テ農商工高等会議規則第弐条ニ拠リ此段建議仕候也
  明治三十一年十月 農商工高等会議々長 渋沢栄一
    農商務大臣 大石正巳殿


〔参考〕銀行通信録 第一五六号・第一六八四頁〔明治三一年一一月一五日〕 ○農商工高等会議(DK130066k-0022)
第13巻 p.644 ページ画像

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〔参考〕銀行通信録 第一五六号・第一六九〇―一六九一頁〔明治三一年一一月一五日〕 ○農商工高等会議に提出されたる重要建議案(DK130066k-0023)
第13巻 p.644 ページ画像

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〔参考〕中野武営翁の七十年(薄田貞敬編)第一五六―一七六頁〔昭和九年一一月〕(DK130066k-0024)
第13巻 p.644-652 ページ画像

中野武営翁の七十年(薄田貞敬編)第一五六―一七六頁〔昭和九年一一月〕
 ○五 東京株式取引所理事長として
    (2)限月短縮の勅令
 中野武営翁が、株式取引所理事長時代に起つた一番大きい仕事は、限月復旧問題であつたのです。初め日清戦役後、経済界の膨脹に伴うて投機熱が大いに起り、特に、東京・大阪・名古屋の諸市で、現物市場を設置しようと計劃するものが続出しました。そこで政府では、明治廿九年三月廿一日、農商務省令第一号を以て之を禁遏したのです。併し新法では、取引所の資本金額を最低三万円と規定した為に、地方小取引所の設立を容易ならしめ、其結果、種々の弊害を生じました。そこで政府は、明治三十五年六月二日勅令第百五十八号《(三)》を以て「明治廿六年の勅令第七十四号」を改正したのです。其中第四項として限月短縮といふ事が含まれて居たので、其条文は、左の通りです。
 「有価証券定期取引約定期限は二ケ月以内とし、米其他の商品に在りては、三ケ月以内とすること」
 政府は夫れを直ちに其年の七月一日から施行する事としました。之に対して、全国の有力なる取引所は、絶対に反対を唱へたのですが、しかし政府当局は、飽迄之を断行し毫も当業者の要請に耳を仮さなかつたのです。処が、愈よ七月に此の改正法を施行して、従来三ケ月期限を二ケ月と短縮した結果、株式取引所株は暴落し、其売買高は激減し、爾後数ケ月を経ても恢復の模様がなく、為に有価証券の流通を阻
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礙する事となり、銀行業者の方も、今は聯合して政府の反省を促すといふ騒ぎです。
 斯うなると、農商務省でも、流石に捨て置けず、三十五年の末、省内に調査委員を設けて、之が善後策を講じたが、議容易に決せず、翌三十六年四月七日、農商務省令第三号を以て延取引の方法を改正し、之により有価証券定期取引二ケ月制の不便を補ふ方法を取りました。即ち其方法といふのは、従来転売買戻を許さなかつた延取引に於て、売買者間に、合意により、債権債務の移転を為した場合、取引所は、其売買差金の交換又は預りを為す事とし、以て転売買戻の手続を便にし、新たに八十日間期限受渡の延取引を認可したのです。之れで売買者は、定期取引の限月に依らずに、自由に転売買戻を為し、且定期取引の如く、課税の負担なくして、略ぼ定期取引と同様の売買取引を行ふ事が出来、かくして延取引は、相当の取引を見る事になりましたが之に反して、定期取引の方は、全く売買が行はれず、其結果、国庫には、取引所税の収入が失はれるといふ事になりました。
 其間も一方当業者は、飽迄限月復旧を希望して止まず、遂に之が帝国議会の問題となり、三十六年七月に、時の農商務大臣平田東助氏は責を負うて辞職し、清浦奎吾氏が之に代りました。そこで、其年八月十四日に、勅令第百二十七号を以て、定期取引の限月を復旧し、又賠償責任準備積立に関する規定に変更を加へたので、此の斯界空前の物議を醸した限月短縮問題も漸く終決を告け、会々金融緩和と相俟つて商況恢復の途に向つた様な次第です。処がも一ツ後に残つた問題があります。それは、賠償責任準備積立金の一項で、之に対しては、当業者は、極力其の撤廃を要求した結果、明治三十九年二月、第二十二帝国議会に於て、右積立金に関する勅令規定の廃止建議案を可決したので、政府に於ても、其年六月廿六日に、勅令第百七十四号を以て右の規定を削除しました。
 以上は、此の限月問題の経過であつて、表面世上に伝はつた事実其儘なのです。東京株式取引所五十年史の中にも右の通り記載されて居ます。
 併し、内面の事情を考へて見ると、其間にはいろいろ魂胆があり、中野翁が時の株式取引所長《(理事脱)》としての努力苦心は並大抵でなかつたやうです。
    (3)商工局長 木内重四郎氏
 従来我邦には、各学校に於て、此の株式取引所の事に就て講義をした例もない事とて、法律学者も、経済学者も、全然、取引所の制度を知らなかつたのです。一方、当業者の方では、筆にも口にも取引所の事を論ずる事もないので、是が、国家経済上に重要欠くべからざる機関であるに拘らず、世間では、取引所の性質を真に理解する人が甚だ乏しかつたのです。
 今日では、往々学校の講義に、取引所の事を加ふる向もあるやうですが、未だ一般には理解されて居ないやうです。それで従来、此の株式取引所に関する問題は、官庁机上の論に誤られた例が多いのです。我政府に於て明治二十年五月に発布した、株式取引所条例は、俗にブ
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ールス条例と唱へられたもので、是は、最も実際に遠ざかつた悪条例とも言ふべき一例です。是は、我邦の旧い習慣を顧慮せず、全然西洋を模倣したもので、其組織、及売買制度が、実行に適しなかつたのです。それで、僅かに神戸と佐賀の二ケ所に取引所が起つたのが、何れも不成績で、依然旧来の取引所の営業が延期継続され、此の新制度は殆んど有名無実の有様であつたのです。
 政府では、是は、強制した処で到底行はれるものでないと見切りを付け、明治廿五年十二月に、取引所法案を議会に提出しました。
 そこで、議会では、当業者の意見を聴き、数項に亘つて修正を加へた上、之を通過したのが現行法の基礎を据ゑたのです。それで、政府は、各商業会議所から委員を集めて、諮問し、又当業者の意見も質した上、之に附属する勅令を発布する事となり、斯くして多年の紛議も一旦解決されました。
 然る処、当時世間では、株式取引所を一種の賭博場でもあるかに視る傾きがあり、実際を知らぬ空論者が多かつた為に、政府も、之に動かされ、時の農商務大臣・平田東助氏も配下の進言に迷はされ、明治三十三年に商工局長、木内重四郎氏を欧米に派遣して、外国の取引所制度を調査させたのです。当時の木内氏は、新進気鋭、覇気満々、農商務省を切つて廻はす勢力があつたので、氏は此の株式取引所に絡はる投機的弊風を一掃せんものと、猛烈に之が改革を主張し、依て之が調査の為め欧米派遣といふ処迄漕ぎ付けたのです。併し、木内氏は、取引所内部の実情に精通した人でもなく、寧ろ純理論から之を賭博場類似のものといふ先入見を立てたやうなものですから、欧米の取引所を調査するに当つても、唯だ其の表面に現はれた処丈けを一通り瞥見したのみで、其の由て来る処、並に他の関係事情等を深く考査する迄には至らなかつたやうです。
    (4)中野翁の限月復旧運動
 中野翁は、政府に限月短縮の意あつて、木内氏を其為の調査に外国に派遣したといふ内情を知るや、是は多年の慣例を破却する事で、容易ならぬ事態を現出すべきを思ひ、依て政府筋の調査丈けでは安心ならずとなし、取引所自らも進んで之が調査を為すの必要を感じ、就いて、東京株式取引所書記長、江口駒之助氏を欧米に派遣して、外国の事情を調査させました。江口氏は、詳細の調査を遂げて帰り、「欧米取引所」と題する浩瀚なる報告及び、取引所制度に関する意見書を提出しました。此の報告は印刷に付して公表された為に、大いに後日の論議に益する処あつたのは言ふ迄もありません。
 最初平田農商務大臣は、木内局長の進言を聴取の際、之は、軽々に処理すべからざる問題であると考へ
「限月短縮などいふ事は、頗る専門に亘る研究を要する問題であるから、之は、株式取引所理事長たる中野武営氏に諮らなくてはならぬと思ふ」と注意をしたのです。
 処が、木内氏にしては、其事を中野翁に諮るとなると、之は、到底同意を得がたいと見たらしく、其点は、中野翁の内諾を得て居るといふやうな事をきつぱり明言したものらしく、平田大臣も安心して決裁
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したものであらうと言はれます。
 そこで、中野翁等の限月短縮に反対する理由は如何。一言で尽せば期限の長短は投機に関係がないといふ事なのです。其実証を示すものは、西洋の取引所です。西洋の取引は、何れも短期ですが、之は担保がないからで、売買に依つては、相当長期のものもあるのです。一体西洋では、無税若くは低税であるから、短期でも繰延べに便利です。其点は我邦の重税と異る。有価証券の融通を妨げ、事業の投資を厭はしめ、相場の昂低を激甚ならしめ、又市場を緩和するに必要な鞘取業者を失ふのです。従来、売買其他に於て、期限の長いといふ事に就ての不便を唱へた者はないのです。
 斯ういふ事で、各地の商業会議所、銀行など皆な、限月短縮に反対を唱へ、殊に銀行では、手形の期限は六十日としてある処へ、取引所の売買を二ケ月限りとするのでは、随時、其担保品を売捌くに差支を生ずるといふ論が出ました。当時、在留の一外人は
「日本の誇りとする処は、皇室と富士山と、他に唯だ一ツの発明たる限月制度がある。然るに今此の良制度を破壊するとは惜しい事で、平の清盛が天日を招き旋さうとした話にも似て居る」と評したのです。
 兎角する中、一日、木内重四郎氏は、元町の中野翁邸に訪来して、いろいろと此問題を語りどうでも短縮しなくてはならぬと説く、中野翁は飽迄反対を唱へる。
 すると木内氏は辞して帰る折、玄関で靴を穿きながら、中野翁に向ひ
「実は今日此の問題は閣議で決定した」と告げる。中野翁之を聞いて激怒し、どうでも旧の三ケ月でなければならぬと、そこで限月復旧運動といふのを起したのです。同時に元町の邸に八畳と六畳の二室を建て増しすると言ひ出して、之を設計しました。
 併し已に勅令を以て公布された限月短縮を復旧即ち改廃するとなると、之は農商務大臣の責任問題で、大臣は引責辞職しなくてはならない。それからでないと復旧は出来ないのです。
 そこで面白いのは、此の復旧運動と、二室建増しとを中野翁は掛け持ちにして、両方を念入りにやつた事です。限月復旧と家を建てる事との両方を同時にやつて見せる、何れが先きに出来るかといふので、独り角力を取つたのです。到頭一年経つて家が出来る、木内商工局長は罷免となつて限月復旧といふ事になりました。
    (5)加納友之介氏限月問題を語る
 尚ほ、此の限月復旧問題に就て、当時、木内重四郎氏の下に、商工局に勤務した加納友之介氏の語る処、極めて順序能く、内情に詳しいのですから、前述する処と多少の相違や重複もありますが、談話を其儘に収録します。曰く――
「明治三十五年頃から、曩きに日清戦争後の経済動揺に伴ふ諸会社の乱立などあり、何せよ、戦勝国の景気は大したもので、其の影響なのですから、其間には無理も多い、随つて株式取引所にも波瀾が生じました。それが遂に取引所の制度改正といふ処へ来て、株の売買方法に関して議論が生じたのですが、監督官庁たる農商務省でも、此の複雑
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な売買法に対して斧鉞を加ふる事は流石に憚つたものです。然るに、時の商工局長木内重四郎氏は、敢然自ら任じて此の難局を買つて起つ事となり、親しく、其道の人に聞いて改正案を立てようといふので、磯野氏・田中源太郎氏・中野武営翁等にも、意見を問ふたのです。当時、中野翁は株式取引所理事長で、其下に伊藤幹一氏・渡辺亨氏など理事をして居ました。
「それで、木内氏は、再々中野翁とも会見して改正の要点に就き研究されたので、中野翁も、理事長たる事は、一己の利益の為めでは勿論無く、又、良い加減な事をして仲買人達に儲けさせる為でもないので唯だ、国家経済の上に必要止みがたき機関として、此の如何はしい賭博類似とも見える取引所の事務を公平に出来る丈け正しい方へ導かうといふ肚で尽力して居るのですから、今、木内氏の熱心な改革の意志には全く共鳴し、大体の見当は、双方の間に一致したらしいのです。之が為めには、双方の間に数十回の会合相談があり、互に胸襟を披いて論じ合つたもので、当時商工局に勤務中であつた私も再々其席に列したのです。
「処が愈々、具体案を作る場合になつて、木内氏は、絶対の秘密主義を取りました。それといふのは、お互相談の間は、共鳴であつても、愈々右か左かと決する場合になると、双方に意見の杆格を生ずるもので、従来、斯種の事は、それが為に破れた経験があつたからでせう。其頃新聞では、予想記事を掲載して、今に取引所制度に一大改正が加へられると報じたものです。併し、中野翁にしては、木内氏との間に話は順調に進んで居つたのですから、敢て怪しむを須ゐず、両者の間に交換されて来た意見の秘密を世間へ洩らす様な事はしません。武士気質で、操守が堅く、妄りに他言する人ではないのです。唯だ株式仲買人方面の問に対しては、「事柄はまだ決まつて居ないが、大丈夫だ。心配する事はない。ま、或る点は、お互辛棒を要するだらう」と答へたのです。翁自らも、滅多に間違の生ずる訳のものでないと信じ切つて居たやうです。
「当時、株式取引所聯合会といふのがありまして、之は、強大な勢力があり、帝国議会や、元老を動かす力があつたので、此の聯合会の連中も、自己の勢力を恃み、「木内、何にするものか!」位に思つて居た事でせう。そしては、中野翁に迫つて、「そんな、木内如き無経験者の改正など、碌なものでなからうから、速く之を破壊したが宜しい」といふのです。中野翁は、其れを抑へて、宥めて居ます。「木内、我を知る、我に丈けは改正案の内容も詳細に語る筈だ」と、中野翁は、従来の行がかり上、自分にも内証で、木内氏が、突飛な改革などをやる訳はないと信じて居ます。
「当時の大官中には、時の政府を動かす力ある人も二三あり、桂総理も是等の人へは、手が出なかつたものです。木内氏は、此の事情を能く知つて居るから、是は、誰人へも、滅多に内容を話すべきものでない、一旦外へ洩れては、到底実行の運びが出来ないと考へ、全然自分一己の肚へ蔵め、就て、東京に居る事を避けて、箱根へ行つて、案を作つたといふのですから、大した真剣ぶりであつたのです。其案を作
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るに、三ケ月位掛かつたのですが、木内氏は、其間絶えず、中野翁と会合をして、別意なきを装ふたのです。為に中野翁は、案が出来上つた事も知らずに居たと言ひます。それで、木内氏は、愈々、具体案作成を終へた時も、然うとは言はずに、唯だ之を自己の意見として、中野翁と議論を闘はし、其の利害得失を議論として論じ合つたのです。
「それから二三日して、木内氏は、其作成案を携へて、平田農商務大臣・安広伴一郎次官の室へ行き、直ぐ居催促で判を押す事を要求したと言ひます。
「其時、平田大臣は、「此事は中野と打合せてあるのか」と問ふたさうですが、木内氏は、従来数ば、談合もし討議もした関係にあるので其点は大臣に安心させた事でせう。
「已に大臣・次官の捺印を得た木内氏は、其足で直ぐ法制局へ行き、又居催促で、判を押させる。此間の行動、僅か二時間といふから、其の敏速驚くべきものです。夫を自ら官報局へ持つて行き、自分が傍に附いて居て、活字に組ませ、翌日の官報へ勅令第何号として、公表したのです。此間一日半で事足りたといふは例外の早業で、木内氏の敏腕は舌を捲かすべきものです。何んでも、其夜の十時半迄に活字を組ませたと言ひます。
「扨て、翌朝、官報に、限月短縮の勅令が出て居るのを、木内氏は確かと読み終るや、直ちに中野翁を自邸に招き「いろいろと御心配をかけました。此通り官報に掲載されて、私も満足致しました」といふ挨拶です。
「夫を聞くと、中野翁顔色を変へて、じつと官報を視て居ましたが、勃然として「こんな官報を見せ付ける為に、人を招んだのか、私にも考がある、愚弄するにも程がある、宜しい」と、席を蹴つて去つたのです。
「木内氏は直ぐ役所へ出て、私を招き、「中野が憤つてね」といふ話で、「どうも去つた事は止むを得ない、君一ツ中野を訪問して何んとか宥めて呉れ」といふのです。
「私も、之は容易ならぬ役目とは考へましたが、併し、已に官報へ発表になつた事ですから、中野翁如何に憤つた処で、到底はあきらめる外なからうと思ひ直し、直ぐ出かけました。会つたら、斯うもあゝも言はう、何んとか、説明の仕やうもあらうといふ肚で出かけたのですが、中野翁は、てんで受付けません、「顔が丸つぶれになつた以上、私は私の考通りやります」と言つた強ついあいさつ、私も取付く島がなかつたのです。斯うなると、株屋街一般の気受けの悪い事夥だしい木内氏は四面楚歌裏の人となり、新聞紙は一斉に之を非難反対する、平田大臣・安広次官も今更ら驚いて、「木内どうした!」と呆れ顔です。
「当時、桂総理は、近く露国と一戦を交へて、其の横暴を挫いてやらなくてはと、苦心して居る場合で、此の限月問題が、議会に持出されて、非難されては困る。何しろ騒ぎが大きいので、一旦出した勅令だが、モ一度引込めるが上策とあつて、一年後に取消しです。それで、平田大臣・安広次官迄が、責任を負うて辞職、勿論、木内氏は真先き
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に首です。之には、一二大官の方からも、反対運動があつたと聞きます。平田といふ人は、こんな場合には、正直な性質で、未練がましい事は言はなかつたのです。元来中野翁は、立派な人で、実業界には全く類のない武士気質でしたから、一旦憤らせたら大変です。木内氏にしては、事功を急いだ点もありませうし、気鋭の人で、やるとなつたら、明快にやるので、多少、世事に経験が乏しく、中野翁を其朝招いで、一片の報告をしたといふも、手落ちであつたでせう。モつと何とか、丁寧に、自分の秘密主義の理由を説明して、中野翁をして憤るにも憤られないやうな話ぶりにも出られた事でせう。ま、千慮の一失ですか。長い間苦心してやつた仕事が、官報へ出た以上、モウ弓でも鉄砲でも来いと言つた安心と共に、其朝、中野翁を招いた時の態度も少し無理があつたではないかと思はれます。中野といふ人は、酒を飲んで、春風駘蕩、滅多に悲憤するといふ事がなかつたやうですが、いざとなれば、徹底やるといふ気概が見えました。渋沢子爵の後を承けて実業界の第一位の人となり、統制力もあつたのですが、併し、親分肌と言つた、嫌や味もなかつた、好く出来た人です。木内氏が官報に出たから、モウよいと考へた処が誤りでせう。中野翁の酒席といふのは芸者が居ても、居らんでも、同じ事で、乱れず、騒がず、それで決して淋しからず、磊落であつても粗放でなく、赤穂の大石といふ男もかくあつたかと思はれました。兎に角、武士気質の実業家といふ処が、動かぬ評で、或は此点渋沢子爵にも優つたものを有つて居たとも言へませう」
    (6)代議士を棒に振つた活動ぶり
 扨て、農商務省も漸く限月短縮の非を覚り、明治三十五年の末、省内に委員を設けて善後策を講じた結果、翌三十六年四月に、省令を以て延取引法を改め、債権移転といふ名目で、転売買戻の実を行はしめ其差金は取引所で立替へ又は預るといふ事にし、八十日の期限を認可したのです。之が為め、定期の方は延べに転じ、政府では、税金の収入を失ふ事となりました。一方又当業者の方では、其手続上、受渡しが月末でない事等に不便を感じ、矢張り習慣の三ケ月取引に復旧せん事を希望して飽迄運動を継続したのです。
 此に至つて政府も兜を脱ぎ、愈よ復旧と決し、明治三十六年七月に平田農商務大臣は、責を引いて辞職し、清浦奎吾氏之に代り、八月十四日勅令を以て、限月復旧並に積立金の率を減ずる旨発表しました。
 右の様な経緯で、此の経済界に大動揺を起した、有価証券取引限月短縮問題も、僅か、一年二ケ月で、復旧運動が完全に功を奏したのです。此の成功に就ては、是れ全く中野翁の努力の結果と言うても過当ではないので、元来株式取引所は、東京以外では大阪・京都・名古屋の三ケ所丈けで、其他は、米を主とし、株を兼ねた処もあるのですが之は名目丈けで、其実株の取引は殆んでないのです。それに、米の取引所は、株式が衰微する程却て繁栄するといふ実情で、利益が相反したものなのです。そして株式取引所とても、地方に在つては、運動に不便です。そこで中野翁は、自ら全責任を負ひ、時恰も、衆議院議員改選期で、郷里の香川県から推されて、候補に立つたのですが、此の
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限月問題の為に、一回も帰郷せず、桂総理大臣以下、其他の関係より商業会議所員、又諸銀行員等に対して、昼夜を分たず、自身出向ひて限月復旧の為に、論弁解説に力め、議会開かるゝと共に、一層の論陣を進めて、当時は今日に比して遥かに官尊民卑の時代に立つて、敢然政府に対抗し、僅かに一年二ケ月の歳月を以てして、当局大臣を引責辞職せしめ、全く旧制に復せしめた功労は大なるものと言ふべきでせう。此の事は、中野翁生涯中の大難事といふべく、其間に処して、翁が、毅然として起ち、不撓不屈、鉄壁をも貫くの勇気を以て奮闘した事は、敬服に値するものと言はなければなりません。
 此の限月復旧問題の時には、杉山茂丸氏も一役買つて出たといふ事で、同氏の語る処――
「当時私は、露国と到底一戦を交へずには済まされぬと考へ、開戦論者として、どうでも速く戦端を開きたいと焦慮して居たので、他の問題の為に奔走したくなかつた。中野翁とは、其以前から識つて居るので、当時、取引所理事長、限月復旧運動の事で、私に会ひたいといふが、私は、夫を避けて会はない様にする。何せよ先生やつて来ると、「熱いのを一本」と先づ要求されるので、元来酒を嗜まぬ私は、取次がせない用心。
「すると、築地のある宿屋に居る処を早朝門が締まつて居るので、取引所員の一人が嗅ぎ出して、中野翁を導き、寝込みを襲ふた。斯うなつては、逃げられない、室に坐り込んで、「熱いのを一本」と来る、私は飲まぬからいやだと言ふた処で、中野翁腰を据ゑて動かない。限月復旧運動の一役を私にやれといふのです。夫れで、京都の商業会議所会頭、田中源太郎氏なども来て、是非一肌脱いで呉れと言ひます。
「そこで、私も毎日々々其の方から攻め立てられるのでは、肝腎の露国と開戦の運動が妨げられる次第で、之は早く片を付けなくては仕様がないと考へ、時の総理桂太郎伯へ膝詰談判をした。
「限月が三ケ月の習慣を一朝突然勅令を以て、二ケ月に短縮するは其意を得ない。三ケ月では長過ぎて、其間に賭博類似の行為の乗ずる隙を与へるといふが、之は寧ろ法律を以て監視して弊害を除くべきものであつて、敢て短縮令を発する要はない事と思ふ。それを今回闇打ちに、人民の生命財産を保護する筈の政府が、却て、取引関係の人々に損害をかけるといふのは、事理に暗い話である」といふ論法で、私は迫つた。それで、此の勅令は取消しといふ事になり、発布後一ケ年余りで、解消、限月復旧は出来た。
「此の限月復旧の勅令が出た当日に、取引所で後場を立てたら、其場で、一ケ年間の損害が戻つて了つたといふ景気、仲買連の一部からは私にお礼をしたいとあつて、三十万円ばかり贈るといふ話だ。処が、中野武営といふ男は、そんな場合、中々明察なもので、株が上つて儲けた人達から、礼金を貰つたと知れたら、そこに、大きな疑獄事件が起る。桂総理に迄、煩累が及ぶ事にもならうといふので、老巧な中野翁、それをやらせない、其の工夫が良かつた。つまり、私を信じて呉れたのです。私は勿論そんなものを一文だつて取る考は最初から無かつた。私に一肌脱げといふ知己の言に感じて、私は、一役を買つた丈
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けの事だ。
「そこで、「杉山の拙な義太夫一席三万円」といふ、変な事が伝へられた。私は、義太夫を好きで、口ぐせに語るので、聴く方へ一席三万円を出すといふ事になつた。取るといふなら聞えるが、出すといふ三万円は一層の価値だとひやかされたのだ。そこで、渡辺亨氏が私を煽てる役になり、取引所関係、仲買商連が、私の義太夫を聴く、それが場所を変へて十回に及ぶ、それで、私へのお礼が済んだといふ。中野といふ人もうまい事を考へたものだ、三十万円の代りに十回の拙な義太夫を謹聴する、そこで、杉山の拙な義太夫一席三万円也といふ事になつて、私にしては、一生一代の誉れだ。
「本当のお礼といふのが、僅かばかり来た。金とプラチナの時計が二箇。之は西洋の機械部分品を日本で造つたもので、一寸役に立つた。
「此時、大阪の藤田伝三郎氏が、私に手紙を書いて来た。
「摂津大掾が、義太夫一席語ると五百円、三勝半七一段で一字が廿五銭につく、処が杉山君の義太夫は、一段三万円とあつては、摂津も顔色なし」といふのだ。之れが皆な中野武営翁の計画だ。深謀遠慮の人で、あの男の為には、安心して、私も仕事をした。諧謔あり、余裕あり、実業界には、全く毛色の変つた存在であつた」


〔参考〕銀行通信録 第三三巻第二〇〇号・九八〇―九八三頁〔明治三五年六月一五日〕 ○取引所に関する勅令の改正(DK130066k-0025)
第13巻 p.652-656 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕東京経済雑誌 第四五巻第一一三七号・第一一五一―一一五五頁〔明治三五年六月二一日〕 ○取引所聯合会の陳情書(DK130066k-0026)
第13巻 p.656-663 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕竜門雑誌 第一六九号・第四五―四七頁〔明治三五年六月二五日〕 ○取引所に関する勅令の改正(DK130066k-0027)
第13巻 p.663-664 ページ画像

竜門雑誌 第一六九号・第四五―四七頁〔明治三五年六月二五日〕
○取引所に関する勅令の改正 近来経済界の問題として取引所に関する勅令の改正の如く大事件となりたるものはなし、農商務省に於ては予てより取引所法を改正せんとし其調査中なりしも、先づ之に関する勅令を改正して其基礎を鞏固にし売買取引を改良するの目的を達せんとし、爾後専ら勅令改正の調査中なりしが、其調査は頗る秘密に付し本月三日勅令第百五十八号を以て突然之を公布したるにあり、改正の要点は
 一、従来株式会社組織の取引所資本金は三万円以上なりしを十万円以上とし、資本金の半額以上にして少なくとも十万円の払込を終りたる後にあらざれば業務を行ふを得ざることゝせる事
 二、株式会社組織の取引所に於て株主に配当すべき利益が払込金額
 - 第13巻 p.664 -ページ画像 
に対し年一割を超ゆるときは、一割に当る金額を控除したる残額の二分の一を賠償責任の準備として積立てしむることゝせる事
 三、従来株式会社組織取引所に限り資本金額の三分の一の営業保証金を地方庁に納めしむるに止まりしを、取引所会員及仲買人の身元保証金を供託せしむることゝせる事
 四、従来三箇月以内なりし定期取引を有価証券にありては二箇月以内とせる事
 五、契約期限内に於て為したる転売買戻を取引所の帳簿に記載する所に依り相殺するの方法を株式会社組織の取引所に限り、且つ其方法を用ゆるときは農商務大臣の認可を受くべきことゝせる事
 六、従来仲買人免許料金額は十円なりしを百円とせる事
の六点にありて、右の改正は来る七月一日より之を施行し且つ現在取引所にして資本金額の右改正額に達せざるものは来る十一月三十日までに之を増加し且つ払込を為すべきものとせり、右規定の結果全国八十ケ所の取引所の内僅に十一ケ所を除くの外は皆第一項に該当せず増資せざれば解散の已を得さることとなり、第二項の利益配当の制限は株主の利益を減殺し、第三項の保証金の供托は仲買人の大に困却する所にして、孰れも容易ならざる事件なりしかば、全国取引所の株式相場俄然暴落して、東京株式株は本月二日後場より三日本場に至る最高相場は六月限二百円八十銭、七月限百九十七円六十銭、八月限二百一円なりしに忽にして五十円の下落を来し、翌四日に至りても愈々下落し、其翌五日に至りては六月限百二十二円、七月限百十九円五十銭、八月限百二十円八十銭の安直を示し、之を前記最高相場に比すれば六月限七十八円八十銭、七月限七十八円十銭、八月限八十円二十銭の下落なりとす
之と同時に大坂株式株も亦二日の引直二百六円四十銭より七日引直百五十五円六十銭となりて五十円八十銭を下落せり、其他取引所株は勿論諸株式も亦之に伴ふて大に低落せり
○全国取引所聯合会の決議 別項記載の如く取引所の為めには頗る重大の事件なりしかば、全国取引所に於ては聯合会を東京株式取引所楼上に於て開き左の決議を為せり
    決議案
 本月二日付勅令第百五十八号《(三)》は取引所の基礎を迫害し商業上の慣習を打破する等極めて不当の規定にして、且其実施を急劇ならしめ延て経済社会の擾乱を醸成するものなり、故に該勅令の施行を延期し尚ほ速に之が改正の希望を達せんことを期すべし
右主旨を達するが為め実行委員を選び夫れ夫れ運動に着手せり
又取引所勅令改正に対する世論は殆んど農商務省の改正に反対せさるものはなく、東京商業会議所は本月十日其筋に建議案を提出し、株式仲買一同は主務省に再詮議願書を出し、横浜外人商業会議所の如きも此勅令の改正に反対し、全国の商業会議所亦東京商業会議所と同一の歩調を取らんか、又新聞雑誌の意見を見るに日本・大坂朝日・東洋経済新報を除く外、時事・中外・東京朝日・中央・毎日・東京経済雑誌等異口同調に其改正の方法を誤れることを痛論せり
 - 第13巻 p.665 -ページ画像 


〔参考〕東京経済雑誌 第四六巻第一一三九号・第二六―二七頁〔明治三五年七月五日〕 ○取引所定款改正案(DK130066k-0028)
第13巻 p.665-666 ページ画像

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〔参考〕銀行通信録 第二〇一号・第一二六―一三〇頁〔明治三五年七月一五日〕 ○取引所問題(DK130066k-0029)
第13巻 p.666-670 ページ画像

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〔参考〕竜門雑誌 第一七一号・第五四頁〔明治三五年八月二五日〕 取引所の解散と増資(DK130066k-0030)
第13巻 p.670 ページ画像

竜門雑誌 第一七一号・第五四頁〔明治三五年八月二五日〕
取引所の解散と増資 勅令第百五十八号の結果資本金及び払込金高十万円未満の各取引所にして最近迄に解散及び増資を決議し農商務省へ認可申請を為せる者を一括すれば左の如し

  増資取引所    増資後の資本金    解散取引所
                 円
熊本米穀       一〇〇、〇〇〇  函館米穀・塩・海産物・株式
富山米穀・株式    一〇一、一〇〇  大阪砂糖
三田尻米塩      一〇〇、〇〇〇  新潟商品
小樽米穀・株式外五品 一〇〇、〇〇〇  高松米麦
大阪油        一〇〇、〇〇〇  名古屋蚕糸・綿布
仙台米穀・株式・生糸 一〇〇、〇〇〇  赤穂米塩
鶴ケ岡米穀      一〇〇、〇〇〇  柳井津米塩
三国米塩       一〇〇、〇〇〇  五泉蚕糸・米穀
近江米・油・株式   一〇一、二五〇  江差米穀・鰊粕
京都米穀・商品    一〇五、〇〇〇  中津米穀・株式
広島米・綿・株式   一一〇、〇〇〇  沼津米塩
徳島米穀・株式    一〇〇、〇〇〇  敦賀商品
酒田米穀       一一〇、〇〇〇  …………
津米穀・株式     一〇〇、〇〇〇  …………
名古屋株式      一〇〇、〇〇〇  …………
四日市米・油・株式  一〇〇、〇〇〇  …………
長崎米穀・株式・石油 一〇〇、〇〇〇  …………



〔参考〕銀行通信録 第三五巻第二一一号・第一一二―一一六頁〔明治三六年五月一五日〕 ○限月問題の解決(DK130066k-0031)
第13巻 p.670-676 ページ画像

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〔参考〕竜門雑誌 第一八三号・第四四―四五頁〔明治三六年八月二五日〕 ○取引所条例再度の改正(DK130066k-0032)
第13巻 p.676-677 ページ画像

竜門雑誌 第一八三号・第四四―四五頁〔明治三六年八月二五日〕
 - 第13巻 p.677 -ページ画像 
○取引所条例再度の改正 取引所限月復旧問題は去四月七日農商務省令第三号を以て定期取引に代ふるに延取引を以てするの変則的便法に依り一先づ解決せられたるが、爾来尚積立金問題及定期取引の真正復旧に関し当業者よりも政府に促す所あり、大蔵省方面に於ても取引税の減少に依つて異論ありしに、恰も平田農相は同問題に関し議会の不信任決議を受け遂に辞職するの已むべからざるに至り、清浦法相兼任するに至りしかは、更に調査を進行し居たるが、愈本月十五日の官報を以て左の如く同勅令の改正を公布し、積立金の制度を緩め、又限月に関しては全然旧の如く定期取引を総て三ケ月に改正したり、今比較参照の為め新旧規定の全文を挙ぐれば左の如し
    改正規定
 明治二十六年勅令第七十四号中左の通改正す
 第七条の二第一項を左の如く改む
  株式会社組織の取引所に於て株主に配当すへき利益が払込金額に対し年一割を越ゆる場合に於ては一割を控除したる残額か一割未満なるときは其十分の三、二割未満なるときは其十分の四、二割以上なるときは其の十分の五を賠償責任の準備として積立つへし
 第十二条 取引所の売買取引の契約履行の期限は当日より起算し直取引は五日以内、延取引は百五十日以内、売買双方約定の日限に依り、定期取引は三ケ月以内取引所指定の限月に依るべし
    附則
 第七条の二第一項の規定は本令施行後の計算期間より之を適用す、計算期間か本令施行に跨かるとき亦同じ
    昨三十五年六月三日改正の規定
 第七条の二 株式会社組織の取引所に於て株主に配当すへき利益か払込金額に対し年一割を超ゆるときは一割に当る金額を扣除したる残額の二分の一を賠償責任の準備として積立つべし
 第十二条 取引所の売買取引の契約履行の期限は当日より起算し直取引は五日以内、延取引は百五十日以内、売買双方約定の日限に依り、定期取引は有価証券にありては二ケ月以内、米其他商品にありては三ケ月以内取引所指定の限月に依るべし
   但農商務大臣必要と認むるときは有価証券は《(マヽ)》米を除く外商品の種類に従ひ其最長期を二ケ月に短縮せしむることを得
    △昨年六月改正以前の勅令規定
 第七条 の積立金に関する規定なし
 第十二条 取引所の売買取引の契約履行の期限は当日より起算し直取引は五日以内、延取引は百五十日以内、売買双方約定の日限に依り、定期取引は三ケ月以内取引所指定の限月に依るべし


〔参考〕東京株式取引所五十年史 第三四―三六頁〔昭和三年一〇月〕(DK130066k-0033)
第13巻 p.677-679 ページ画像

東京株式取引所五十年史 第三四―三六頁〔昭和三年一〇月〕
 ○第二章 本所の沿革
    第三節 自明治二十七年至同三十六年
○上略
 日清戦役後、我国経済界の面目は一新して、各事業の発達に随ひ、
 - 第13巻 p.678 -ページ画像 
株式市場漸く旺盛に趨き、取引所の担保責任は、愈々、大ならんとするものあり。本所は其の責任を全うせんが為め、資本を増加するの必要を認め、明治二十九年二月二十三日、臨時株主総会に於て、資本金を六十万円(株数一万二千株)に増額し、増加株金三十万円(六千株)は二十九年六月三十日現在の株主に、其の所有株式一株に付き増加株式一株を引受けしめ、同年七月二十日迄に全額を払込ましむることと為したり。次で理事者は三十年四月、資本金を更に百五十万円に増加するの案を株主総会に提出したるが、調査委員を設けて増資案に就き調査せしむることとなり、翌五月十日の臨時株主総会に於て調査委員の成案を可決し、資本金を百二十五万円(二万五千株)と為すに決し増加株金六十五万円(一万三千株)の内、一千株を同年六月一日現在の仲買人に分配し、残一万二千株は同年九月五日現在の株主に分配し之を新株式と称し、第一回払込一株に付き金二十五円を同年九月三十日限り、第二回払込一株に付き金二十五円を三十一年一月十一日限り払込ましむることとしたり。之と同時に、敷地拡張及び市場増築の件をも可決し、尚ほ定款に重要なる改正を行ひたり。
 然るに戦後、発展せる経済界に対応して、取引所の機能を発揮せんが為めには、取引所の組織及び制度を根本より改革せざる可からずとの論朝野の間に起り、農商務省亦是に観る所あり、三十三年中、商工局長木内重四郎氏等を欧米に派遣して各国取引所の状況を視察せしめたり。本所も亦同年八月、書記長江口駒之助氏を欧米に派遣するに決したるが、同氏は仏・独・英・米諸国の主なる取引所を巡廻調査し、三十四年四月帰朝し、其の視察報告は之を編纂して「欧米取引所」と題し、世に公にせり。而して木内商工局長以下、視察調査の結果は取引所改良案として青天の霹靂の如く発表せられたり。是れ即ち三十五年六月二日《(三)》の勅令第百五十八号にして、取引所の資本金・賠償責任準備金・仲買人身元保証金・売買契約履行の期限・転売買戻・仲買人免許料の件等に関し、重要なる改正追加を見たるが、之に附属して農商務省令第十一号及び同第十三号あり。而かも其の実施期(同年七月一日)余りに急迫にして、加ふるに従来の商慣習を無視し、取引所の既得権を蹂躙せるの嫌ありとし、全国各取引所は同盟聯合会を本所内に開き、協議の末、該令施行の延期又は改廃に就き当局大臣及び其の他の諸大臣に請願せしも、遂に其の効を奏せず、該令は指定の期日より実施せられたり。其の結果、最も大打撃を蒙りたるは株式取引所にして、日々の商況は、俄然衰頽し、本所の売買高の如き、一日多きも一万株内外、少きは一千余株に過ぎざりしことあり。是れ畢竟するに限月短縮の為めに売買上、鮮からざる不便を生じたるに因るものにして取引所は勿論、仲買人等は孰れも殆んど半休業の境遇に陥りたり。依て本所は大阪・京都・名古屋の各取引所と聯合して、屡々、当局大臣に限月復旧の事を具陳し、仲買人等亦委員を設けて各方面に陳情したり。是に於て農務省《(商脱)》も、稍々、省みる所あり、三十六年四月、省令第三号を発して有価証券の延取引に一種の転売買戻方法を認めて、定期取引限月短縮の不便を救はんとしたり。仍て本所は該省令の趣旨に基き定款並に営業細則を改正して、同年五月一日より之を施行したり。
 - 第13巻 p.679 -ページ画像 
爾来、市場の形勢一変して、従来、殆んど売買なかりし延取引漸く行はれ、之に反し、定期取引は激減して互に其の地位を代ふるに至れり。而かも、一旦、沈衰せし人気は容易に恢復する能はざりしを以て理事者は飽くまで当初の意思を貫徹せんが為めに、鋭意、努力する所ありたるが、政府も遂に初志を翻して、同年八月十四日、勅令第百二十七号を発し、前年勅令第百五十八号を以て改正したる事項を更に改正し、定期取引の限月を三箇月に復旧して九月一日より実施し、同時に賠償責任準備積立金率をも幾分か軽減したり。
○下略


〔参考〕東京株式取引所五十年史 第一三四―一三五頁〔昭和三年一〇月〕(DK130066k-0034)
第13巻 p.679-680 ページ画像

東京株式取引所五十年史 第一三四―一三五頁〔昭和三年一〇月〕
    第四章 市況概観
○上略
 明治三十五年 一月中は金融、稍々、引締りの趨勢を示し、外国貿易が、依然、逆勢を持続したるの外、強弱材料共に市人の注意を惹くに足らず、諸株の相場一進一退の保合を辿りたるが、二月十二日に至り、突如、日英同盟条約発表され、人気振興して市場一般に買人気となり、相場は尺進寸退、売買高亦非常の多額に達し、三月に入りては本所創立以来の売買高六万四千株を算したることあり、遂に諸株、一斉、破竹の勢を以て昂進したり。然るに人気上走りの反動忽ち現れ、同月三・四日頃より引続き場面総崩れの有様となり、中旬末に至り、日本銀行は金利引下を決行したるも、其の見越相場は早く既に市場に現れ居たりしを以て、何等の好響を与へざるのみならず、下旬に至りては、日英同盟に対し露仏同盟の発表あり。又金融は漸く引締りの傾向を示したれば、市場は日を逐ふて沈衰の状態に陥れり。爾来、天候不順、対清為替相場暴騰、大蔵省証券の発行等、弱気材料簇出し、不振の市場をして、愈々、恐怖の念を懐かしめたり。然れども五月下旬に至りては、一般商業不振の為め、資金の需要多からず、金融意外に緩慢なりしかば、市場漸く活気を呈せんとしたる折柄、六月三日、定期取引売買限月短縮の勅令第百五十八号の発布あり、諸株激落、人気全く銷沈して、容易に恢復する能はざるの勢を呈したり。下半期に於ては、日本銀行は、三度、金利引下を行ひたるも、何等の刺戟を与へずして前期の商勢を襲ぎ、閑散不振に始りて、中頃、殆ど其の極点に達し、期末に臨みて全国取引所聯合会運動の結果として、定期取引の限月は復旧の望ありと伝へられ、稍々、恢復の曙光を現したるが、大勢は、依然、閑散の状を脱すること能はざりき。
 明治三十六年 同年は前年下半期に比し、市場幾分の賑ひを添へ、且つ三月中旬、日本銀行は第五次利下を行ひたるも、限月短縮の影響により市況、依然、閑散不振の域を脱せず。五月に至り、限月短縮令の範囲外に於て新に設けられたる延取引の決済方法も、一旦、銷沈せる人気を容易に恢復せしむる能はず、六月末に至りては殆んど不況の極点に達し、売買高の如き、一日、一千株乃至二千株内外に止まること屡々ありたり。然るに同年八月、限月短縮令の改正ありて旧に復し一方、金融概して緩慢なりしが為め、玆に人気一転して漸く活躍の状
 - 第13巻 p.680 -ページ画像 
を呈せんとするの趨勢を示したり。然れども、会々、露国との外交問題勃発するありて気勢を抑へられ、遂に市況の恢復を見るに至らずして同年を送りたり。
○下略


〔参考〕株式会社大阪株式取引所第四拾九回報告 第一二―一三頁明治三五年自一月至六月(DK130066k-0035)
第13巻 p.680 ページ画像

株式会社大阪株式取引所第四拾九回報告 第一二―一三頁明治三五年自一月至六月
                     (大阪株式取引所所蔵)
    諸規定改正
○上略
理事長上京 右勅令ノ改正ハ咄嗟ノ間ニ発布セラレ其施行期日ノ如キモ一ケ月ニ足ラサル期間ニ於テ定メラレ、各其条項ニ至テハ株式売買ノ期間ヲ短縮シ転売買戻ニ認可ヲ受ケシムル等取引所ノ根本ニ一大変革ヲ行フモノニシテ之レカ為メニ経済界ニ影響セシ所尠少ナラス、取引所トシテ黙過スヘキ所ニアラサルヲ以テ六月八日磯野理事長ハ寺井支配人ヲ随ヘ上京シ、同月十日全国取引所聯合会幹事会ヲ東京ニ開キ、更ニ同月十三日取引所聯合会ヲ開キ同会ノ決議ヲ以テ勅令ノ実施延期ヲ陳情シ、一方ニハ将ニ出テントスル省令ノ改正ニ対シ事情ヲ具シテ従来ノ規定ニ大ヒナル変更ナカランコトヲ請ヒタル所、政府ハ勅令ノ延期ハ之ヲ容レラレサリシモ其他ノ手続ニ於テハ従来ノ規定ト大差ナカラシメタリシハ聊慰ムルニ足レリト雖トモ勅令ノ改正ハ独リ株式取引所ノ蒙ムル所多クシテ之カ為メ売買ニ影響スル所少ナカラサルニ至テハ頗ル遺憾トスル所ナリ、他日機ヲ得テ復旧ノ方法ヲ講スルコトヲ怠ラサルヘシ


〔参考〕株式会社大阪株式取引所第五拾回報告 第六頁明治三五年自七月至十二月(DK130066k-0036)
第13巻 p.680 ページ画像

株式会社大阪株式取引所第五拾回報告 第六頁明治三五年自七月至十二月
                     (大阪株式取引所所蔵)
    事務要領
○上略
理事長上京 磯野理事長ハ限月復旧及営業継続出願ノ用務ヲ帯ヒ十月三十日寺井支配人ヲ伴ヒ上京シ、東京・京都・名古屋ノ各株式取引所理事長ト協同ノ上桂首相・平田主務大臣ニ面謁、限月復旧ノ義ニ付屡陳情ヲ為シ、傍ラ其他ノ方面ニ向ツテ種々方法ヲ講シタリシモ未タ希望ヲ達スルニ至ラス、営業継続出願ノ件ハ至急ヲ要スル事情具申ノ結果速ニ免許ヲ得タルニヨリ十一月七日一先帰阪シタリシガ其後同月十八日ニ至リ更ニ各理事長ノ連署ヲ以テ桂首相ニ限月復旧ノ義申請書ヲ呈シ、目下政府ニ於テモ調査中ニアルモノヽ如シ


〔参考〕株式会社大阪株式取引所第五拾壱回報告 第五頁明治三六年自一月至六月(DK130066k-0037)
第13巻 p.680-681 ページ画像

株式会社大阪株式取引所第五拾壱回報告 第五頁明治三六年自一月至六月
                     (大阪株式取引所所蔵)
延取引売買 四月七日農商務省々令第三号ヲ以テ有価証券ノ延取引ニ限リ売買者間ノ合意ニ依リ債権債務ノ移転ヲ為シタル場合ニ於テ、取引所ハ其売買差金ノ立換又ハ預リヲ為スコトヲ得ルニ至リタルヲ以テ、同月二十九日株主総会ヲ開キテ定款ノ改正ヲ決議シ、六月十日ヨリ売買ヲ開始セリ
 - 第13巻 p.681 -ページ画像 
限月復旧問題 同問題モ前記延取引ニ対スル省令ノ発布ニ依リ解決セラレタルモノニシテ、今後延取引ノ発達ヲ促スニ於テハ却テ限月復旧ヨリモ好結果ヲ収ムルコトヲ得ルニ至ラン乎


〔参考〕株式会社大阪株式取引所第五拾二回報告 第三―四頁明治三六年自七月至十二月(DK130066k-0038)
第13巻 p.681 ページ画像

株式会社大阪株式取引所第五拾二回報告 第三―四頁明治三六年自七月至十二月
                     (大阪株式取引所所蔵)
限月復旧問題 延取引ノ開始ニヨリ一先ツ解決セラレタル同問題モ其後延取引ナルモノヽ売買取扱上ニ於テ繁雑ヲ加フルノミナラス、売買不慣ノ為メ売買者中往々危惧ノ念ヲ抱クモノモアリ予想ノ如ク発達ヲ見ルニ至ラス、殊ニ有価証券ニ限リ多年ノ旧慣ヲ破リ限月ヲ短縮スヘキ理由ナキヲ以テ屡々主務大臣ニ具申スル所アリシモ、尚本年七月第七回全国取引所同盟聯合会ノ決議ヲ以テ明治二十六年勅令第七十四号ノ改正ヲ具陳シタリシカ、遂ニ八月十四日ニ至リ勅令第百二十七号ノ発布ヲ見ルニ至リ、限月ハ全ク復旧セラレテ客年以来ノ希望ヲ達スルニ至レリ、依テ直ニ定款改正ノ手続ヲ了シ、九月五日ヨリ新甫十一月限ノ定期取引ヲ開始シ、従来ノ延取引ハ其筋ノ内命ニヨリ十月二十日以後ノ取引ハ新ニ売買ヲ為サヽルコトヽナセリ