デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
25節 取引所
1款 東京株式取引所
■綱文

第13巻 p.681-689(DK130067k) ページ画像

明治39年12月10日(1906年)

神田鐳蔵等有価証券現物市場ノ独立ヲ計ル。栄一是日該計画ニ対スル態度ヲ時事新報紙上ニ表明ス。


■資料

竜門雑誌 第二二三号・第一頁〔明治三九年一二月二五日〕 現物市場設立問題に関する先生の談話要領(DK130067k-0001)
第13巻 p.681-682 ページ画像

竜門雑誌 第二二三号・第一頁〔明治三九年一二月二五日〕
    現物市場設立問題に関する先生の談話要領
 本編は青淵先生が時事新報記者に向て談話せられたる要領にして本月十日の同新聞紙上に掲載せられたるものなり
余が近頃の問題となれる現物市場設立計画に賛同せるが如く云ふは全く事実無根の事共なり、但し余の希望としては現物取引殊に公債類の取引の発達上完全なる現物市場の現実にされんことを常に希望せり、現在の株式取引所なるものゝ実際を見るに公債其他直取引は頗る微々たるものなるに反して定期取引は頗る殷盛なるが如く、而かも其取引たるや殆ど差金取引に止まれるが如くして現物取引の至便円滑に行はるゝ機関なきは甚だ遺憾とする所なり、而して其取引機関として現在の株式取引所が便宜の改良方法を講ずるは元より希望する所なり、若し一部論者の云ふが如く現物取引は到底定期取引と両立すべきものにあらずとせば別個の新取引所の設立も至極妙ならん、要は唯完全なる現物取引市場の現実されんことを国家の為めに希望するに過ぎず、其改良方法の如何、設立者の誰たるやは余の毫も関知する所にあらず、今後現物取引市場なるもの設立せられんか恰かも深川米穀市場が東京米穀取引所の定期売買所謂差金取引の盛に利用せらるゝ一方に於て、現物売買機関として重要視さるゝが如き結果を来すならんと思はる、左れど現物取引が如何なる方法に拠るも到底不可能の事なりとせば別個の新取引所設立せらるゝも到底成立する事も無かる可く、従て現在
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の株式取引所の発達に期待するの外なからんか云々


時事新報 第八三一七号〔明治三九年一二月一〇日〕 △渋沢男曰く(DK130067k-0002)
第13巻 p.682 ページ画像

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渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK130067k-0003)
第13巻 p.682 ページ画像

渋沢栄一日記 明治四〇年
一月二日 曇寒 起床八時就蓐十一時三十分
○上略十一時神田鐳三来話ス、午飧後又来リテ国庫債券現物市場設立ノコトヲ説カル、午後三時頃辞シ去ル
○下略
    ○栄一前日ヨリ国府津ニ来リ国府津館ニ在リ。


紅葉屋十年志(紅葉屋調査部編)第六七―八三頁〔明治四四年一一月〕(DK130067k-0004)
第13巻 p.682-689 ページ画像

紅葉屋十年志(紅葉屋調査部編)第六七―八三頁〔明治四四年一一月〕
 ○前記第八章有価証券信用力増進に関する紅葉屋行動の一斑
    第三節 現物市場独立の計画
明治三十九年九月同志の現物商・銀行家・ビルブローカー等七十余名と共に、東京有価証券取引組合を組織し、神田鐳蔵其委員長に推されて玆に有価証券現物市場の独立を計画し、同時に内外有価証券信託会社を設立し、両々相俟つて帝国有価証券現物の疎通機関を完備せんことを企画したるも、時可ならずして其目的を達するに至らざりき、当時の意見主張は左の如し
    日本有価証券現物市場開設意見書
 歴史ありて以来絶大の戦役として世界の耳目を聳動したる日露の戦は客歳を以て其局を了し、今や軍国としての威名を宇内に耀せし我日本帝国は局面一変更に須らく平和的の強大国として宇内列国の崇敬と信用とを収むべきの機会に遭遇せり、此時に当りて我帝国は朝野に論なく、相共に奮起して戦後に於ける経綸を策し既得の声誉を永遠に保維するのみならす進んで一層国権を伸張し国力を充実するの道を講せざるへからす、而して之が方案たる二三にして足らざるべきも経済界の規模を拡衍すると同時に沈滞固結の弊習を刷洗し、其動力をして活溌旺盛ならしむるは最第一の急務たるを疑はざるなり、是に於てか主として先づ我国流動資本の現状如何を視察せざるへからす、仮令資本如何に豊富なるも常に停滞鬱積して活動する所なくんば是れ資本の名ありて資本の実なきものとす、何の貴きことか之れあらん、今日我国の流動資本中最も枢要の部位を占め金融展縮の機軸を握るものを有価証券とす、有価証券は其性質たる世界共通的にして苟くも信用鞏固ならんには羽翼なしといへども能く千万里を翔り海外列国の資本家をして喜んで之が取引を為さしむべし、故に経済上一隻眼を具ふる者は有価証券の貴重なるを知りて之を購入するも未だ巧みに之を活動して其本能を十分に発揮すること能は
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す、徒に庫中に死蔵して資本たるの用を没了するが若きの観あるは抑何ぞや、蓋し其原因尠なからざるべしと雖も之が売買機関の具備せざるもの其主たる一因たるべきを確信す
 顧ふに近来我国に於ける各種の会社は著しく其数を増し、目下の資本総額を算するときは殆ど三十三億円に達し、之を去る二十七年末の二億四千五百万円余に比すれば最近十年間に於て倍余の発達を見る、之に加ふるに三十七年一月中の国債地方債各会社債券合計約七億円と同年二月開戦以来の軍事費募集額約十三億円とを以てせば現在の有価証券総額実に五十三億円以上の鉅額に上るべし、嗚呼是れ帝国の資本としては寔に空前の大膨脹にして、之を料理し之を疏通して敏活に且つ簡易確実に売買取引すへき一の機関なきは豈聖代に於ける一大闕典ならずや、試みに之を人体に譬へんか有価証券は猶全身の脈絡を環流して暫くも停滞すべからざる血液の如く、之が取引機関たる市場は猶血液運営の器能を掌る心臓の如し、心臓一度麻痺すれば、運血忽ち止まり其身即ち死す、是れ生理学理を須ずして何人も知る処なり、則ち取引機関たる市場なくして有価証券独り活動し、国家生存の本源たる財政壊乱して其国独り存立するの理遂にあるべからざるにあらずや、是れ今日に於て夫の血液たる有価証券の活動を起すの機関として心臓たる取引機関の急設を必要とする所以なり
 其れ然り、然るに世間往々現在の株式取引所を改良して現物売買を開始し、有価証券の活動を促すの機関に充れば輙ち足れりと為す者あるが若きも、是れ我国取引上の歴史習慣を無視し、且現物と定期と其取引の間に自ら利害の標準を殊にするの別あるを知らざるの過に坐す、今我株式取引所の沿革を顧みるに明治十一年の頃会社株券なるものは僅に第一銀行其他三四の銀行株あるのみにして実際証券売買の必要を見ざるの時に方り定期取引なるものは人為的に開始せられたり、詳言すれば我株式取引所は初めより定規的に出生し、定期一方の目的の下に年を逐ひ月を累ねて発育し来りたるものなるが故に、今に至る迄二十余年間馴致する所の習慣性は牢として抜くべからざるものあり、然るを遽に表面上の改革を加へ兼ねて現物売買の市場をも此中に開かんとする若きは実業的売買をして投機的売買に同化せしむるの弊なきを保せざるのみならず、二者売買の間利害の反対を来し為に事業上面白からざる影響を及ほす事瞭として火を覩るが如きものあり、若夫れ欧米に於ける株式取引所は他の麦粉・紡績・石油等の商品と同じく現物売買の市場先づ起り、之に随伴して自然的に定期売買をも生ずるに至りしものなるを以て其歴史習慣全く我取引所に殊なり、此異なる歴史習慣を問はずして妄りに例を欧米に藉り直ちに我国に適用せんと試むるものあらば是れ江南の橘を江北に移植し強ゐて同一の果実を得んと欲するの類にして、幾んど識者の一笑にだも値ひせざるを奈何せん、この故に我国に於ては現在の取引所は専ら定期取引所として其不備の点は之を改良し、別に現物売買の市場を新設し彼此相須て各々其功用を做し因て以て有価証券の性能を十分に発揮するにあらずんば我国今後の経済界に処
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する所以の長計と謂ふべからず、尚現物市場の開設、及び現在の取引所以外に独立するを急要とするの理由を摘挙すれば左の如し
  第一 我日本帝国に外人をして取引を為さしむべき機関を欠く
  第二 現行株式取引所の取引高は有価証券増加の統計に伴はず
  第三 売買の依頼を受けたる当業者が各個々につき希望の有無を問合はするの不便
  第四 定期取引は現物売買に伴ふて生ずべきものなるに我国は従たる定期取引のみありて主たる現物市場なし
  第五 正米問屋と米穀取引所とは両立して互に裨益するものなるに有価証券の取引は此良法を採らずして一方に偏せり
  第六 有価証券の非常なる増加は現在取引所のみを以て売買の需要に応ずるに足らず
  第七 現行のヂキ取引は賭博的差金取引にして現物取引市場を不必要とするの理由と為すに足らず
  第八 朝野識者の取引所改良を策して其功を奏せざりしは頭脳性質の累《(異カ)》なる現行取引所の智識を改善せんとしたる誤謬に由る
  第九 現行取引所以外に現物市場を設くるときは二様の公定相場を生じ相扞格するとの非難は誤謬なり
  第十 現行取引所の取引に上らざる公債株式は公定価格を知るの道なし
    第一
 日露戦役の結果日本帝国を有望にして畏敬すべき強大国なりとの感想を宇内列国人の脳裏に印せり、輓近外国資本家が我帝国の財政に対して深厚なる信用を置き、我れの国債募集に応じて投資する者少なからざるは慥かに此事実を証するものとす、是れ世界共通的たる我国債が本来の性能を発揮するの機運を贏ち得たる者にして国家の為め慶すべきは勿論なるが更に一歩を進めんには国債以外の諸証券も亦外資を招致し得るの日を迎ふるや遠きにあらざるべし、外人にして苟くも我国を信ずるの念愈々深厚を加ふるに於ては我商工業者の信用も随て増進し、仮令土地礦山等特種の条件なきも外人は安んじて我事業に放資するに至るべし、而も之が投資を促すの捷路としては即ち前に所謂有価証券即時売買の一大市場を開設するの方策を措て他にあることなし、蓋し世界の資本家が喜んで諸証券に放資するは倫敦・紐育・巴里等の市場に於て何時にても敏速確実に売買せられ即刻現金に換へ得らるるが為めに外ならず、我国に於ても欧米都府の模型に傚ひ完全なる現物市場を設置し如何に鉅大の額たりとも容易に取引することを得るに至らば証券の信用を加ふると共に之を売るの自由なるが為めに外人は毫も不安の念を挿まず割安の株券に対して必ず投資するに躊躇せざるべし、殊更我国の利子は通常年六分なるを以て之を欧米に於ける年三分乃至二分五厘を常とせる利率に較ぶれば夐かに有利たるべきの理あるが故に、欧米市場よりも却て我国の市場を択ぶものあらんも知るべからず、然らば即ち直接には外資輸入の道を流滑疏通し間接には我国の利子をして世界的の
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水平準にまで降下せしむるを得べく、随て我殖産興業に影響するの利益甚だ大なるものあらん、然るに我国の今日は現物取引の市場を欠くが為めに世界的共通の性能を有する所謂国際動産たる有価証券にして国内の流通尚且円活ならざるの憾なき能はず、是れ現物市場開設を急要とする理由の一なり
    第二
 我国の有価証券は年を逐ふて著しく増加しつゝあるに拘らず我株式取引所の売買高は毫も此潮勢に伴はず、依然として旧胡蘆を画き発達の勢を示めさざるは頗ぶる奇観に属せり、之に反して欧米諸国の取引所が如何に偉大の勢力を有し経済の天地を斡旋操縦するかは驚歎に堪へざるものあり、即ち各種産業の方針物価の均衡を支配するは勿論新設会社の運命を左右するが如き皆取引所の評定に繋れり、又山海万里を隔絶せる英米二国の金融は時に異同を免かれざるべきが如くなるも、倫敦・紐育両取引所の協定に依り緩急自ら調和せらるるを常とせり、是を以て其取引高の莫大なる殆ど想像揣摩の外に在り、即ち倫敦取引所の売買受渡高一ケ年約三百七拾億円、紐育取引所に於ては一日約一億弗なりと云ふ、顧みて我東京株式取引所の受渡を見るに一ケ年僅に二千万円内外にして倫敦取引所に較ぶれば三千七百分《(マヽ)》の一に過ぎず、是れ豈威名八紘を覆ひ東洋第一の新興国として盛運を列国に誇るに足るの資格に副ふと謂ふべけんや、然れども若し完全なる現物取引所を設置し敏速に確実に売買するの仕組成立せんには其取引高の十倍に上るは決して難事にあらざるのみならず、我国債の東京相場をして倫敦若しくは紐育市場に於ける高位の相場と大逕庭なからしむるに至ることも亦庶幾し得べきなり、故に我東京をして倫敦・紐育等の規模に学び世界的の一大市場たらしめんと欲せば、首として有価証券即時売買の有力なる機関を設くるに如くはなし、是れ現物市場開設を必要とする理由の二なり
    第三
 有価証券の妙用の存する所は最も敏速に最も簡易確実に売買せられ金融市場に翺翔して其霊能を発揮し以て金融の調和産業の発達に資するに在り、然るに今や有価証券の金額非常の増加を来せると同時に現物売買も頻繁を極むべき筈なるに、売買の依頼を受ける当業者が各商店各銀行等に就き一々売買希望の有無を問合せ、而る後に日常の取引を結了せんとする若きは、決して需要供給の媒介を謀るの方法を得たるものと謂ふべからず、是れ現物市場開設を必要とする理由の三也
    第四
 凡そ市価を有する商品は其何たるを問はす市価の変動には之に伴ふの危険あるを免かれず、故に普通の商売と雖も究竟すれば多少の投機的性質を含まずんばあらず、而かも市価変動に伴ふの危険を利用して反て自家の利益を博せんと試むるものは世に所謂投機業者にして競争的利益界に於て此種の一階級を生ずる事蓋し誠に已を得ざるなり、而して市価の変動には必ず若干の時間を要し長時間に多くの変動あるを常とするが故に投機業者は市価の変動を利益の目的と為
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すと共に時間を以て取引上主要なる条件と為さざるを得ず、定期取引の法成立する所以のもの蓋し玆に存す、要するに投機業者は先物の時価を唱へ其変動を利用して利益を博せんとするに、其反対に立てる普通一般の商業者は定期取引を利用し所謂売繋ぎ買繋ぎ等の手段を用ひ之れに拠りて以て時価の変動より来る危険を投機者に転嫁し営業上の利益を保護せんとし、両者相抗し相持する間に於て財界の動力を進め生産の発展を促すの活機伏す、故に本来定期市場は現物市場に随伴して生ずべきもの、現物は形の如く定期は影の如し、未だ形無くして影独り生ずるものあるを聞かず、之れを欧米に視るも現物取引のみ行はれて定期取引行はれざる所はあるも定期取引所のみありて現物取引所無きものはあらざるなり、其之れあるは独り我国にして所謂影ありて形なきの変例に属す、是を以て此変例を改良し、現物市場を新設して定期取引と形影相顧みるの関係をなし、以て有価証券売買の方式を完全ならしめざる可からず、是れ現物市場開設を必要とする理由の四なり
    第五
 株式取引所と相対峙して、商界に定期取引を為す者を米穀取引所とす、此取引所も亦影のみありて形なき者かと云ふに決して然らざるなり、今米穀取引所の沿革を考ふるに徳川三代将軍の頃に当り米穀取引上自然の必要に由り長門国赤間関に初めて北国問屋なる者を生じ、尋で大阪にも定期取引を為す者起り、遂に正米商と投機米商との分業を見るに至れり、而して正米商即ち米穀に於ける現物商業は投機商を利用して営業上の利益を安固にせんとし、投機商は年の豊歉を予想し因て起る所の市価の変動に乗じて贏利を獲取せんとし、両者互に相須て次第に発達せるものの如し、明治二年に於て一たび定期取引を禁示せられたるも明治四年の四月を以て三ケ月限り限米受渡を実行すべき条件の下に大阪に於ける米商会所の設立を許可せられたるを始とし、各地に米商会所なるもの起り漸次に発達変形して今の米穀取引所を成立することとはなれり、是れ即ち現米市場に伴ふて定期取引の必要を生じたるものにして、固より自然の順序に由れり、而して定期取引所と現米市場とは両立して迭に相牽制し却て斯界を裨益する妙用あるが故に、株式もまた定期取引所以外に現物市場を開設するは我米商界に於ける良習慣を襲用するものにして断じて弊害あることなし、是れ現物市場開設を必要とする理由の五なり
    第六
 有価証券の取引所は本と売買両者の利便を謀るの目的に依て設立せられたるものなるも、取引の実際は即時に受渡すること能ざるのみならず種類を異にせる多くの証券を自由に売買することも亦望み得べからざるものあり、現に我国取引所中、重要の位置を占めたる東京・大阪・京都・名古屋の四取引所の如き其常に採用して売買せる株式は僅々百種内外に止まり、全国株式の総数に視れば百分の二三に過ぎず、殊に国債・地方債・債券等諸公債は殆ど売買せらるるに至らず、且つ其採用せる百種内外の株式すら或る動機に触るる時は
 - 第13巻 p.687 -ページ画像 
一日の売買高五六万株に達し、為に一日一回の立会市場は晷に継ぐに燭を以てすることあり、又或は二回の立会を為す能はずして止むことあるの状況なるを以て、全国多数の各種証券をして現今の取引所に於て売買せしむる若きは到底不可能の事に属す、故に現今の取引所は売買の利便を謀るの目的に出ると雖も此利便は狭隘なる区域に限られ売買上に貴ぶ所の自由と敏速とは得て望むべからざるを奈何せん、倘し現今の取引所をして今日の有様に安んじ改善する処なからしめんか、有価証券益々増加して流動愈々遅滞に傾くの変状を現するに至らん、是れ現物市場開設を必要とする理由の六なり
    第七
 現今の株式取引所中に「ヂキ」と称する一種の売買行はる、之を欧米の取引所に求むるも其類例を見出すこと能ず、蓋し我国投機界に偶生したる変則的取引に過ぎず、顧ふに「ヂキ」なるものは現物売買者に対し毫も便宜を与へざるのみならず、時として市価を攪乱するの動機となるの虞あるを以て断然之を廃止する事寧ろ取引所に於ける弊害を除却する所以なるべし、故に現今の取引所に「ヂキ」と称する売買あるは現物市場の開設を不要とするの理由たらざるのみならず、反て其必要を立証するものとこそ謂ふべけれ、是れ現物市場開設を必要とする理由の七なり
    第八
 輓近朝野識者にして時運の趨勢を察し取引所の改良を図りしこと一再に止まらず、而かも未だ其実を挙ぐる能ざる所以のものは、蓋し定期と現物との関係異同を探究せず、其性質上全然差違することを明知せざるの失に帰するが如し、而かも現今の取引所中に現物市場を設けんとするは漫々たる潮水に一掬の清水を混ぜんと試むるの類にして、其清水が立ところに潮水に化すべき必要の理に想到せざるを異まざるを得ず、顧ふに投機業者の目的は相場の変動を利するにあるを以て変動の多大なるべきは其望む所ならざるを得ず、且つ薄資を以て巨額の取引をなし得るが故に市場動もすれば攪揺せられ多数の附和雷同者を生じて価格の激変を招くこと少しとせず、定期取引に於ける第一の欠陥は実に玆に存す、故に現物市場は必ず別に之を設置し其相場を標準的灯明として常に定期相場を反照すれば其相場の正当を得ると否とを判断すること容易なるべし、同時に亦併せて買占売崩等の悪手段を用ゆるの余地なからしむるを得べし、是れ取引所改良の策としても亦現物市場開設を必要とする理由の八なり
    第九
 現在の取引所以外に現物の即時取引所を設くる時は一地域に二様の公定相場を生ずると云ふを以て其両立を非難するもの無きを保せずと雖も、定期の目的は本と価格の変動を予想して売買するに在るが故に売買の資本は甚だ多からざるも能く市場に出入し、若し価格を高低せしむべき或る動機に際会する時は忽ち許多の売買者を生じ、自ら人為的作用を逞ましうするの憂あるを免かれず、随て常軌を逸して暴騰し暴落すること少からざるが故に、之を以て公定相場と為すは固より正準を得たるものと謂ふべからず、姑く数歩を譲り之を
 - 第13巻 p.688 -ページ画像 
公定相場とするも唯是れ定期の公定相場にして即時現物の公定相場と謂ふことを得ず、定期相場に比すれば利子を加へたるを以て多少の高位にあるは当然のみ、若し売買者の予想にして多く正鵠を失ふことなからんには其受渡時期に於ける現物相場と協合すべきの理にして、両箇の相場は大体に於て相伴ふべきものなるも、現物と定期とは其売買者の意思目的の殊なると共に相場に差違を生ずるの場合あるを免かれざるなり、要するに両者の間二様の相場を生ずるは当然の現象にして、互に相牽制し対抗して始めて真正の公定相場を得べきのみならず、財界に於ける左右の耳目となり物価の「バロメーター」となりて善く資本放下の針途を示し、生産事業の趨向を知らしむるを得べし、是れ現物市場開設を必要とする理由の九なり
    第十
 前にも述ぶる如く我国の重立たる取引所が採用して取引するの株式僅に百種内外を出でざるが故に、此他幾千万種の多数株式は売買せられざるものと視ざるべからず、而して此等の株式は財界に於ける日蔭物とも云ふべき有様なるを以て公定相場を知るに由しなく、売買上不便尠なからざるものあり、又現在定期に採用せられつつある株式は自ら世界に信用あるも、定期取引に上らざる株式は一般に不信と速了せらるるの不利益も亦尠なからざるなり、仮りに定期取引に上らざる株式の多くは不信用に相違なしとするも多少の価格は無論之あるべきものとす、已に多少とも有価の株式たるに於ては宜しく相当価格を定めて売買せらるべきものなるに之が売買の機関なければ随て其価格を知ること能はず、為めに夥多の株式は空しく庫裡に錮せられて反古紙同様の待遇を受るに至る、何ぞ其薄命の甚しき世人動もすれば、支那人の金銭を死蔵し之をして活動せしむるの道を知らざるを嗤ふ、殊に知らずや我国多数の株式は実際死蔵せらるるの愚に陥りつつあることを、今の時は錙銖の細利も看過すべからざるの時なるを以て廃物も亦利用の道を求むるほどなるに、幾千万或は幾億の有価証券を挙げて之を反古紙と同視し措て顧みざる若き豈国家経済を重んずるの所為と謂ふべけんや、然れども此不幸なる反古的株式も其所有者の信用に依りては全然無価物たりしもの相当の価格を出すに至るの場合なきにあらざるべきを以て、完全なる取引機関の下に於て自由敏活に売買せらるるの道一たび開けんには死券復活して財界に貢献すること尠少ならざるべし、是れ現物市場開設を必要とする理由の十なり
 以上列挙せる十箇の理由に基き有価証券現物市場を開設するは我国刻下の最大急務にして一日を緩ふすべからざるものたることを確信す
 嗚呼今日の日本帝国は如何なる位置に立ち如何なる事業を為すべき時運に遭遇せるかを省みられよ、世界列国は必ず将に謂はんとす、日本国は軍事的行動に於て異常の能力を有し毎戦必勝の気概あるは我れ之を許す、未だ知らず平和的の商戦に於ても亦軍事に均しき異能を有し善く必勝の功を天下に耀し得べきや如何と、是れ唯吾人の仮想に過ぎずと雖も恐くは多く謬りなからん、然らば則ち我国の位
 - 第13巻 p.689 -ページ画像 
置は世界環視の中心たる晴れの舞台に立つものなり、我れの当に為すべき事業は店頭の小商売にあらずして世界的大取引に在るなり、此舞台に活動して大取引に奇功を博し得るにあらざるよりは焉んぞ能く幾十億の大負担を逓次減了し更に膨脹しつつある国家経済を料理按排するを得べけんや、吾人が有価証券現物市場を開設するの急要を唱ふるもの其実之を基礎として以て外資輸入の便を謀り同時に我東京をして商戦上の倫敦たり紐育たらしめんと欲するの目的に外ならざるなり、不肖鐳蔵自ら揣らずして本意見を発表する所以のものは聊か多年の実験に資り深く時事に感ずる所あるに由るなり、仰ぎ望むらくは朝野の貴紳本書述ぶる所の意見を精察玩味せられ賛同の栄を垂れらるるに吝ならざらんことを、区々の衷情激切悃到の至りに勝へず
  明治三十九年十二月