デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
28節 貿易
12款 日本貿易協会附 商品陳列館
■綱文

第15巻 p.139-149(DK150009k) ページ画像

明治21年8月2日(1888年)

是ヨリ先、政府ヨリノ勧奨ニヨリ栄一、益田孝・大倉喜八郎ト共ニ貿易協会ニ附属スル商品陳列館ヲ開設センコトヲ謀リ、是日該案ヲ同協会幹事会ニ提出シテ可決セラル。爾後栄一等之ガ設立ニ奔
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走セシガ、貿易協会ノ不振ト共ニ同問題モ終ニ消滅ス。


■資料

中外物価新報 第一七三六号 明治二一年一月一五日 ○商品陳列に関する相談会(DK150009k-0001)
第15巻 p.140 ページ画像

中外物価新報  第一七三六号 明治二一年一月一五日
○商品陳列に関する相談会 東京商工会及び貿易協会の幹事諸氏にハ明十六日午後一時より木挽町の貿易協会に集会し、過般来計画ある商品陳列所設置の件に付き相談を遂げらるゝよし


東京経済雑誌 第一七巻第四一二号・第四一七頁 明治二一年三月三一日 ○商品陳列所発起人相談会(DK150009k-0002)
第15巻 p.140 ページ画像

東京経済雑誌  第一七巻第四一二号・第四一七頁 明治二一年三月三一日
    ○商品陳列所発起人相談会
東京商工会及貿易協会の幹事諸氏が商品陳列所創設の事に就き屡々相談会を開きたることハ曾て我が経済雑誌に登載したる処なるが、右発起人ハ去二十七日東京商工会に於て此事に就き又々相談会を開かれたり、今其の決議の要旨なりと云ふを聞くに、原来右発起人ハ曾て相談会を開き創立費並維持費補助請願書・創立請願書・館内規約等を立案し内々これを通商局長にまで差出し其の閲覧を願ひ置きたる処、通商局長は農商務省・文部省の主務官と協議の上右草案に多少の修正を加へ、且創立費は之を下附せず其代りに一ツ橋外旧博物館の家屋を無代価にて貸渡すことゝし、又維持費ハ年々外務省より千三百円、農商務省より千円つゝを下附することゝし其趣きを発起人に内通せられたり依て発起人ハ右修正案を原案として種々協議を遂げられたる処、ツマリ外務・農商務・文部の主務官が議定したる要旨に基き愈々商品陳列所を設立するに決し近日其の創立願書を差出す趣なり、尤も商品陳列所は今度始めて我邦に新設せらるゝものにして、其の利害に就ては曾て実験なきことなれは、創設後両三年を経たる上にて補助費・組織法等の事に就き篤と其筋の主務官と熟議を遂げ、追々完全の陳列所を我国に設置せんことを期せらるゝ趣なり


東京商工会議事要件録 第三二号・第一二―一三頁 明治二一年(DK150009k-0003)
第15巻 p.140 ページ画像

東京商工会議事要件録  第三二号・第一二―一三頁 明治二一年
    第十六定式会第廿九臨時会(明治廿一年五月廿一日開)
○上略
次ニ会長(渋沢栄一)ハ商品陳列所設立ノ事ハ兼テ本会及貿易協会ノ幹事諸氏ガ一私人ノ資格ヲ以テ発起人トナリ其手続等調査中ナルガ、抑モ此事ハ昨年春中始メテ問題トナリ、其後外務省ニ於テモ特ニ海外諸国ニ在ル商品陳列所ノ組織及規程等ヲ調査シテ下附セラレタルニ付発起人ハ数回会合シテ其規約並ニ願書案等ヲ調成シ、過日間々其筋ヘ打合セタルニ、文部省ヨリハ右陳列所ニ充ツル為メ神田区一ツ橋外高等商業学校ノ構内ニ在ル旧博物場ヲ無料ニテ貸渡サレ、又外務省ヨリハ毎年金千三百円、農商務省ヨリハ同金千円ツヽ商品ノ見本ヲ購入シテ之ヲ貸附セラルベシトノコトナリ、従テ猶発起人ニ於テ相談中ナルガ、愈々熟議ノ上ハ会員募集ノ手続ニ着手スベキ見込ニ付、為念之ヲ報告スル旨ヲ陳述ス
○下略

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中外物価新報 第一八五一号 明治二一年六月二日 ○貿易協会員の総会(DK150009k-0004)
第15巻 p.141 ページ画像

中外物価新報  第一八五一号 明治二一年六月二日
○貿易協会員の総会 木挽町六丁目の貿易協会にてハ愈よ来る五日午後会員の総会を開き、幹事を二十名に増す事及ひ同会組織変更の件等を議する由


貿易協会雑誌 第五号・第三〇―三四頁 明治二一年六月 本会録事(DK150009k-0005)
第15巻 p.141-142 ページ画像

貿易協会雑誌  第五号・第三〇―三四頁 明治二一年六月
    本会録事
○幹事会 五月十七日午後五時を期し幹事会を開きて先づ臨時総会に提出すへき議案の調査を為せしに、此日来会するもの幹事大倉・森村・松尾・村田・岡田の諸君を始め会員大橋君等都合六名なりき、組織変更の議に関しては種々の異論もありしか、協議の末是迄の幹事を増して二十名となし、組織論の結末は衆員の意見に問ふべしと内決し、一同散会せしは同夜九時なりき
○組織変更論の顛末 五月一日の例会に大倉君か本会組織変更の議を提出せしより会員の心根も何となく不穏克にて、中には之に賛成するもあり不同意なるもありしか、元より貿易協会は一人一己の見込通に支配すへきものにあらされは、兎に角衆員の意見を問ふべしとて、愈々六月五日午後五時を期して臨時総会を開きしに、例刻に至り来り会するもの三拾余名、幹事長河瀬君は支障ありて出席せざりしを以て渋沢栄一君を以て議長に推薦し、席定まると共に大倉君より建議案の要領即ち貿易協会現時の有様にては会員の出入極て稀なるのみならす、経済上にも収支相償はさるの姿なれは拡張は勿論維持さへも覚束なく到底此儘にて永続すへからさること、及ひ目下商人の集会所なきか故に交通往来等に甚しき不便を感することなれは此際本会の組織を一変するときは本会の繁栄は言ふ迄もなく同時に府下商人の利便を助くるに至るべき事等、凡て純然たる倶楽部組織となすの必要を陳述せしに、色川・江木・岡田等の数君は本会創立の起原に溯り、大倉氏の議に反して無主義無目的の集合躰となすは最初設立の意思に背き兼て社会の希望に戻るものなること、及維持拡張の手段に窮すればとて酒屋か餅屋に変するか如く主義目的迄を変するの必要なきことを詳説し討論数時、去りとて詮方なけれは議長は説を為して、成程手段の為に目的を棄るは宜しからす、勿論組織を変更するの建議も其実唯た本会の規模を拡張せんとするの熱心より出てたるものなれは、此際衆力を合して貿易協会の主義目的を変せす、今日唯今の儘にて更らに之を維持拡張するの方法を商議せは又然るべき良方法なきにも限らさるべし、兎に角く其方法の調査を幹事に一任する事となしては如何と曰ひしに、異議なく之に可決し、即座に来八日午後五時より幹事会を開くべき事を約したり、尤も幹事を二十名に増員することは少数にて否決したれは所謂幹事とは是迄の幹事のみを云ふなり、斯くて一同退散せしは同夜九時半頃なりしか、其出席員を挙くれは
  恵藤卯三郎君   佐々木荘助君   堀越善重郎君
  吉田幸作君    林麒一郎君    福島宜三君
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  梅浦精一君    佐々木綱次郎君  中村重平君
  小林義雄君    江木保男君    江副廉造君
  安田善次郎君   山東直砥君    林謙吉郎君
  今村清之助君   山崎楽君     村田一郎君
  吉村甚兵衛君   色川誠一君    松尾儀助君
  星松三郎君    石見藤助君    円中文助君
  佐羽吉右衛門君  渋沢栄一君    大倉喜八郎君
  綿野吉二君    森岡治右衛門君  矢島作郎君
  福間久米吉君   矢島正兵衛君   朝吹英二君
  岡田任一君
 等総計三十四名なりき
 八日に至り予定の如く幹事会を開きしに、此日は午後より雨模様にて夕刻には烈しく降り出したれは出席諸君は如何にと気遣ひしも、幹事諸君の熱心なる雨を冒して来集せられたるは本会の偏に鳴謝するところなり、即ち当日の出席者は河瀬幹事長を初めとし渋沢・大倉・村田・朝吹・川村・今村・岡田等の各幹事にして本会申合規則に脩正を加ふること、倶楽部整頓の為め支出予算を調製すること及維持方法等に関して詳論熟議し、差当り会員百五十名を増募することに一決し、尚ほ費用予算の出来を俟て総会を開くことゝなし、一同散会せしは同夜十時頃なりき
○下略


東京経済雑誌 第一七巻第四二三号・第七九四頁 明治二一年六月一六日 ○商品陳列所は如何(DK150009k-0006)
第15巻 p.142 ページ画像

東京経済雑誌  第一七巻第四二三号・第七九四頁 明治二一年六月一六日
    ○商品陳列所は如何
昨年以来頻りに創設の噂ありたる商品陳列所は外務・農商務及文部の三省の協議も調ひ、既に白耳義国ブルツセル府商業博物館の組織に傚ひ創立手続等の調査も略ぼ完了したる趣にて今にも創立に着手せらるべしと思ひたるに、去月二十五日創立発起人会に於て外務省及農商務省は陳列品補助の為め毎年金二千三百円に相当する商品見本品を下附せらるゝ筈なるが、斯くては実際事務を取扱ふに当り種々の不便なるのみならず、其見本品は猥りに他へ売渡すことも出来兼ねる筈なれば其不便は益々甚しき者あり、依て右金二千三百円は現金にて下附せられんことを稟議し、此事若し成らずんば陳列所の設立は当分見合せに若かずと云ふに決し、其後発起人渋沢栄一氏より浅田通商局長へ現金下附の事を照会せられたる趣なるが、原来商品陳列所の事は外務・農商務・文部の三省の協議に成りたるものなれば三省に於て篤と協議の上何分の義回答せらるべき筈なり、然るに今日に至るまで同局長よりは何たる回答なきに付現金下附の事は多分許可せられざるべしと云ふ者多し、果して然るや否やは追て報道する所あるべし


貿易協会雑誌 第七号・第三三―三四頁 明治二一年八月 録事(DK150009k-0007)
第15巻 p.142-143 ページ画像

貿易協会雑誌  第七号・第三三―三四頁 明治二一年八月
    録事
○上略
 - 第15巻 p.143 -ページ画像 
○幹事会 本会々務の拡張に付き幹事中に於ては兼てより議題の調査に従事せし処此程に至り漸く脱稿せしを以て、本月二日午後六時より本会館に於て幹事会を開きしに、例刻に至り渋沢・大倉・松尾・森村・岡田・村田の諸君来集せられ主任幹事の議題に基き逐次相談会を始めしが、渋沢君は更らに商品陳列場を以て本会の附属物となしては如何との議を提出せしに一同異議なく之に賛成せしを以て、追て同君より此事に関する委細の議案を総会に持出すベしとの事にて一先づ同会を完了し、一同退散せしは午後十時頃なりき
○下略


中外物価新報 第一九六一号 明治二一年一〇月一〇日 商品陳列所の相談(DK150009k-0008)
第15巻 p.143 ページ画像

中外物価新報  第一九六一号 明治二一年一〇月一〇日
    商品陳列所の相談
貿易協会にてハ一昨八日午後五時より商品陳列所のことに就き集会を催す筈なりし処、来会者少数なりしを以て来十二日午後五時より開会することになりたる由


中外物価新報 第一九六二号 明治二一年一〇月一一日 貿易協会(DK150009k-0009)
第15巻 p.143 ページ画像

中外物価新報  第一九六二号 明治二一年一〇月一一日
    貿易協会
貿易協会ハ今度商品陳列所の業務を担当する事となりしより、是迄の家屋にてハ陳列其他に不適当なればとて此程他に適当の場所家屋を索め得たる由なるが、幸ひ今度従来の家屋を日本鉄道会社より譲り受けたしとの申込あるに付、明十二日の総会に於て之を議し、決議の上ハ直に譲渡の手続きを了へ協会ハ他へ移転するとの事なり


中外物価新報 第一九六五号 明治二一年一〇月一四日 貿易協会総会の決議(DK150009k-0010)
第15巻 p.143 ページ画像

中外物価新報  第一九六五号 明治二一年一〇月一四日
    貿易協会総会の決議
予て記せし如く木挽町六丁目の貿易協会にてハ一昨夜会員の総会を開き、渋沢栄一氏議長の席に就きて議する所ありしが、今度同協会に於て商品見本陳列所を担当すべき目的を以て同協会の規摸を一層拡張するの必要あるより、同会現在の家屋ハ幸ひ日本鉄道会社の懇望にまかせ金一万四千円にて売却する事に議決し、同協会ハ暫時他の仮事務所へ移転し進んで見本陳列所の事に従事する筈なりといふ


中外物価新報 第一九七四号 明治二一年一〇月二六日 貿易協会(DK150009k-0011)
第15巻 p.143 ページ画像

中外物価新報  第一九七四号 明治二一年一〇月二六日
    貿易協会
京橋区木挽町六丁目の貿易協会の建物ハ今度日本鉄道会社へ売渡すことになり、該社にてハ同所への引移りを急くゆゑ協会の事務ハ移転先定まる迄当分楼下に於て事務を取ることとし、鉄道会社ハ今明日位に楼上に移転して事務を取扱ふ由、就てハ是迄同協会建物内を借り居りたる蚕糸業・茶業の両本部も、是非本月中には他へ移転する筈にて、蚕糸業組合中央部ハ本日を以て京橋区元数寄屋町二丁目一番地へ移転し、明日より同所に於て事務を取扱ふ由


東京商工会議事要件録 第三五号・第二頁 明治二一年(DK150009k-0012)
第15巻 p.143-144 ページ画像

東京商工会議事要件録  第三五号・第二頁 明治二一年
 - 第15巻 p.144 -ページ画像 
    第三十二臨時会(明治廿一年十月廿六日開)
○上略
次ニ会長(渋沢栄一)ハ商品陳列所ノ事ニ就キ報告シテ曰ク、商品陳列所ノ義ハ嘗テ全会《(前)》ニ披露シタルガ如ク本会及貿易協会ノ幹事諸氏ガ発起人トナリテ出願ノ手続調査中ニシテ、其後主務省へモ夫々打合セタル所アリシガ、今般貿易協会ニ於テ専ラ其設立発起ノ任ニ当リ度旨ノ望起リタルニ付、本会幹事諸氏ヘ協議ノ上其設立ノ事ハ全ク之ヲ同協会ニ委任スルニ決シタリ、此事タル敢テ本会ノ事務ニハアラザレトモ各員ノ心得迄ニ為念一言シ置クナリ
○下略


中外物価新報 第一九七五号 明治二一年一〇月二七日 商品陳列所創設の運び(DK150009k-0013)
第15巻 p.144 ページ画像

中外物価新報  第一九七五号 明治二一年一〇月二七日
    商品陳列所創設の運び
諸品陳列所設立《(商品陳列所)》の事ハ初め貿易協会及東京商工会の幹事諸氏が計画したるものにして、規則書及び補助の儀に付きては其筋ともしばしば打合を為し大抵その辺のことも極りしが、都合に依り相談の上にて右陳列所設立の事ハ一切貿易協会に於て引受けることになりしも、補助金下附の一段に至りて其筋に於ても彼是と其議を遷延されしが、頃日漸く其議も極り農商務・外務の両省よりハ兼て噂さの通り二千三百円を補助し、東京府庁よりハ創立費として二三千円を下附せらるゝことになりたれば、何れへか早く善き地を相して同陳列所を創立せんと目下其場所を捜索中の由なるが、文部省にてハ過般一橋外高等商業学校の博物館を貸与へんとの話もありたる程なれば、成らう事なら木挽町十丁目(即徒弟講習所のある所)の地所を借受け其処に同陳列所を設けんとの議にて、今や文部大臣が帰京の程を待ち受け居らるゝと云へば場所の定まるは兎に角文部大臣が帰京の後なるべし、何様商品陳列所設立の評議も随分久しきものなれば、どうせ完全に期し難しとするも速かに着手せんことを望むになん


中外物価新報 第一九七八号 明治二一年一〇月三一日 貿易協会と茶業会議所(DK150009k-0014)
第15巻 p.144 ページ画像

中外物価新報  第一九七八号 明治二一年一〇月三一日
    貿易協会と茶業会議所
貿易協会ハ今度其の家屋を日本鉄道会社へ売渡したるに付き、当分の内京橋区南金六町十三番地岡田任一氏方に転し、同協会に在りし茶業組合中央会議所ハ本日京橋区南佐柄木町二番地に移転する由


中外物価新報 第二〇〇八号 明治二一年一二月七日 商品見本陳列所(DK150009k-0015)
第15巻 p.144 ページ画像

中外物価新報  第二〇〇八号 明治二一年一二月七日
    商品見本陳列所
商品見本陳列所設立の事ハ貿易協会に於て担当することになり、同協会に於てハ目下木挽町十丁目商工徒弟講習所のある位置へ之を設立せんとて其筋へ照会中なるが、何に致せ右の地所ハ農商務省・文部省・東京府の三庁に関係を有し、彼此の照会を要することを少からず、為めにチヨツクラ一寸と議の極らずして其決着を待ち居るより設立の事も兎角運び兼ねたることなるが、どうしても右場所の許可せられざる上ハ他に場所を選び其処に陳列所を設立することになるべしと云ふ

 - 第15巻 p.145 -ページ画像 

中外物価新報 第二〇二七号 明治二一年一二月二九日 商品見本陳列所(DK150009k-0016)
第15巻 p.145 ページ画像

中外物価新報  第二〇二七号 明治二一年一二月二九日
    商品見本陳列所
同陳列所設立の件に付てハ是迄発起者諸氏と外務省其他の官省とも色色協議を遂げたるが、其陳列すべき商品ハ海外駐在の我領事の手を経て購入する筈になりあれば、外務省にてハ先づ米・英・仏・伊・白・魯・瑞等の諸国より新嘉坡・フヰリツピン群島其他海峡殖民地に於ける需用品にして我邦並に他の外国より輸入する物品、又目下我より輸入品なきも将来其望を属すべき品類と認むべきものを取調べて申出らるべしとて、去る廿六日右諸外国に於ける輸入品国別略表数冊を渋沢東京商工会々頭へ差廻されしが、右商品陳列所創立の事に付てハ貿易協会との関係もあり、且位置の選定方其他に就て新年早々発起人会を開く筈なるを以て、購入陳列品取調の事業も同会に於て評議の上何分の答申に及ぶべき旨昨日同氏より外務省へ復申せられたる由


中外商業新報 第二一六〇号 明治二二年六月八日 貿易協会臨時総会(DK150009k-0017)
第15巻 p.145 ページ画像

中外商業新報  第二一六〇号 明治二二年六月八日
    貿易協会臨時総会
貿易協会に於ては兼て商品陳列所設立の議ありしも、種々困難の事情ありて急速の運ひ覚束なきに付、来十二日築地寿美屋に於て臨時総会を開き、前途運動の方向等を協議する由


中外商業新報 第二一六六号 明治二二年六月一五日 貿易協会員の会議延期(DK150009k-0018)
第15巻 p.145 ページ画像

中外商業新報  第二一六六号 明治二二年六月一五日
    貿易協会員の会議延期
貿易協会員諸氏は是迄同会の萎虀振はさるを慨し大に之を振作して商業上一大運動を為す所あらんとて、去十二日築地の寿美屋にて総会を催ほす筈なりしも都合に依り延期せしが、来る二十日頃には是非一会を催ほして相談を遂ぐる筈なる由


貿易 創立満二十五年紀念号 明治四三年一一月 【明治二十一年二月十五日…】(DK150009k-0019)
第15巻 p.145-148 ページ画像

貿易  創立満二十五年紀念号 明治四三年一一月
明治二十一年二月十五日「貿易協会雑誌」の名にて初号を発行せり、蚕糸・茶等に就いて各独立の団体より輸出の実況(主として生糸茶の件)を責任を以て取纏めしめ協会より発行せるものなり、未だ発達せる雑誌に非ざりしが茶生糸の全体に付概括して大誤なく機敏に報道するを得たり当時の会員は少数なりしが互に胸襟を開き寸毫わだかまる所なく、入会亦甚だ困難にして、いかに関係深き人とて一二力争せし為めあたら名士が却つて入会を拒絶せられしものあり、少数鞏固なる団体は遂に多数会員を招致する必要を感ぜざりしなり
この時に於ても毎月一回例会を開き、新に外国より帰朝せし公使領事等を招待し海外事情を見聞せり、苟旦にも貿易及協会に関する事は悉く幹事会の意見に問ひ、互に研究を積み如何なる質問あるも応答水の流るゝが如く総会の決議を仰ぎて後協会の意見として発表せり
出雲橋畔に巍峨として聳えし協会、煉瓦の二層楼は規模小なりと雖ども全会員の熱誠湧躍せるもの、協会には娯楽場あり会食場あり、三々五々手を携へて娯楽に耽るもありしが覇気に富める会員はこれを以て
 - 第15巻 p.146 -ページ画像 
満足せず、凡て精神的会合は主幹となり尽瘁せる人健在なる間は繁栄すれども、其人去らば破滅に終ること多ければ物質的に団結力を強くする為め活動機関を作らんとの議起り、二十二年十月歩一歩これが劃策に入れり、恰もよし我為政者外務省商品陳列館を作るべく案出せり然れども文部・農商務の二省と関連し、三省互に其所管と整理方法に就いて凝議せしが、一日晩餐の際当局者より益田孝・渋沢栄一・大倉喜八郎に可然方法無きかを問はる、案は凡て官設事業なり、唯業務区劃三省に跨るが故に鳩首凝議せしなり、三氏直ちに民間事業として開かしむべしと建議せり、好し、適当なる団体あるか、貿易協会最も好適なり、妙、と大倉氏より案を廻送し来れり
協会に於てももとより望む所、実質的治動の一好機運に際会せりとて幹事会、総会共異議なし
然るにいよいよかゝる事業を経営するとせば会場狭小にして好適ならず、時恰も日本鉄道株式会社事務所なく第十五銀行を借りこれに充て居れり、渋沢氏の発議にて協会を玆に譲ることに決せり
今当時の記録を点験するに
 本会にては欧洲諸国に行はるゝ商品陳列所を設立せんとて先年来数回の幹事会を開き其節の内意をも聞きしに近日に至り双方とも議熟し稍々成就せんとするの折柄、何分現在の家屋にては間取りと云ひ光線の工合と云ひ不適当の廉も少からざれば他に適当の場所を撰定する心算なりしに、此度日本鉄道会社にて本会の家屋を譲り受けたしとの懇望あるに由り、去る八日(明治二十一年十月)を以て臨時総会を開らき、翌九日附を以て会員諸君に宛て左の案内状を差出したり
 今般本会に於て商品見本陳列事業を引受け開設可致旨過日幹事会に於て議決致候処、何分現在の家屋は右陳列所の用に適せざる辺も有之他に適当の場所有之候はゞ移転仕候方便利に付き、兼て其節共合議仕候処略見込の場所も予定致候、然る処此度日本鉄道会社に於て本会家屋を相当代価を以て譲受度旨懇望有之、売却には屈強の機会と相考候得共、此一事たる本会の伸縮或は興廃にも関係し頗る重大の件に付篤と御協議の上相決し度、就ては来る十二日総会相開候間可成御差繰午後五時御出席相成度、右は急速を要し候に付当日御出席員少数にても議決可致候間万一出席無之時は、本議御諾否共乍御手数書面を以て十二日迄に御回報被下度、此段得貴意候也
  二十一年十月九日           貿易協会
    会員宛
 十二日例刻に至り来り会するもの、渋沢栄一・森村市太郎・岡田任一・佐々木綱次郎・梅浦精一・石見藤助・大橋佐平・福島宜三・山東直砥・江副廉蔵・稲垣喜多造・山崎楽・山西春根・岩下清周・恵藤卯三郎・喜谷市郎右衛門・西村甚右衛門・色川三郎兵衛・小林義雄、別に書面を以て多数決に従ふべき旨を申出てたるもの十二名、立案者渋沢栄一より議案の大要を陳述し種々の異論もありしが愈々一万四千円にて本会の家屋附属品等を売却し、暫時仮事務所にて事務を処弁し、追て商品陳列所出来の暁きを以て該所に引移る事に一
 - 第15巻 p.147 -ページ画像 
決したり
政府は陳列館経費として六千円を充てこれに協会の家屋一切の費を投ずれば二万円を得べく、相当雄大なる企劃を為し得べしとてこれが準備に汲々たり
 越えて十七日陳列品目録大成し幹事長河瀬秀治君農商務大臣へ復申すとて合計四百三十五点、一品毎に見本請求の理由及其購入方に関する特別の要件を附記したり、今其類別を回想すれば第一部農産、第一項生糸二十四点、第二項製茶六点、第三項穀物十三点、第四項天産雑貨二十七点、第二部海産二十九点、第三部工芸品、第一項家具及室内装飾用品七十六点、第二項飲食器三十四点、第三項文房具十三点、第四項携帯品及粧飾品二十六点、第五項建築用金具十六点第六項織物三十三点、第七項製紙七点、第八項雑貨十六点、第四部半製品四十三点、第五部器械及道具七十四点、総計四百三十五点
明治二十一年十一月一日京橋区南金六町十三番地岡田任一氏邸を以て事務所に充つ
当時協会が知識の先覚者たりしことは左の記録によりて認識するを得べし
 本邦より広東・新嘉坡・シドニー・ヴワンクーヴワー及びメルボルン府へ輸出すべき農産物中最も能く彼れの需要に適し、今後其数を増すべき御見込の種類は何品に候や、其辺御取調も相付候はゞ御会の御意見御報煩はし度、此旨及御依頼候也
  明治二十二年一月二十六日       農務局
    貿易協会御中
協会が克く当局の諮詢府たる任務を尽せり、今其回答文を見るに
 輸出農産物に関する回答、農商務省農務局より本会に宛て海外輸出に適する農産物の種類を諮問せられたる事は前号記の本誌に詳記せしが、本会に於ては右の諮問に対し去月十三日付を以て左の通り回答したり
 去月二十六日附を以て本邦より広東・新嘉坡・孟買・シドニー・ヴワンクーバー及メルボルン府に輸出すべき農産物中最も能く彼の需用に適し、今後其数を増すべき見込の種類取調報道可致旨御照会の趣敬承、然る処前略右の国々に対し本邦商人直接に貿易を営み居り候者無之ゆゑ、何等の品は最も彼れの需要に適し候哉、未だ確かと相分り兼候得共、従来外国商人の手にて輸出致来り候品物は別紙記載の通りに有之候間不取敢御報道申上候、尚ほ此他に将来輸出に供すべき産物有之候哉も難計目下取調中に付き、相分り候次第御報道可仕見込に御座候、依て此段御回答申上候也
  明治二十二年二月十三日         貿易協会
    農務局御中
 (別紙)輸出品品目 菜子・菜子油・木蝋・茶・百合根・樟脳・人参・生薑・蕃藷・米・小麦・麦稈真田・豆類・薄荷
明治二十二年四月本会が商品陳列館設立の目的を以て旧来の家屋を売却せし以来、荏苒今日に至りたるより幹事会を開き左の決議せり
 第一条 本会は追て商品陳列館を設立するものと定め今日より其準
 - 第15巻 p.148 -ページ画像 
備を為すべきに付、農商務省に請願して同省所管の木挽町九丁目地所の中より相当の坪数を無地代にて拝借すべきこと
 第二条 商品陳列場の設立は其創設及び維持の見込確定せざれば軽易に着手すべからざるに付、前条拝借地所の中に於て此際二千円を目的として先づ本会の集会所のみを建築すべきこと
 第三条 商品陳列場創設の目的を達する為めには現在の会員より応分の醵金を乞ひ、且別に会員を増募し、募集金を以て陳列館創設及び維持の見込相立つ時は直ちに着手するものとし、若其金額不足なれは之を本会積立金として更に殖利の方法を設け置き、他日其時機を待て之を議定すべきこと
と議定し、万一不幸にして趣意貫徹せられざる時は商品陳列館と離れて適当の地所を選定し、独立維持の方法を確立すべく約せり
時に今の帝国ホテル建設せられ、客少なければ此処に事務所を置き、二十三年十一月より玆に執務を始めり
其後三十間堀に引移り会勢漸く振はず、協会歴史は玆に其第一期を劃せり



〔参考〕日本貿易協会五十年史(同協会編) 第二三―三〇頁 昭和一一年一月刊(DK150009k-0020)
第15巻 p.148-149 ページ画像

日本貿易協会五十年史(同協会編)  第二三―三〇頁 昭和一一年一月刊
    第五章 商品陳列館と博覧会出品問題
 協会○日本貿易協会 の組織が完備し、会員数の増加するにつれて一大発展を試みやうとする機運が自然に協会内に醞醸されて来たのである。恰かもよし、時の外務当局は商品陳列館を作つて貿易の発達に資しやうとしたが、事は文部・農商務二省とも関聯して居るので、その所管や監督などに就て容易に議論が一致しない。そこで当局者は一日、我が協会の益田孝・渋沢栄一・大倉喜八郎の三氏に対し然るべき方法の有無を諮問されたのであるが、三氏は種々研究の結果、商品陳列館の設置は甚だ時宜を得てゐるに相違ないが、既に貿易の伸展に資するものである以上、寧ろ民間の事業として経営するを可とすべしと答申した処、改めてその方法如何を諮られたので、三氏は我が日本貿易協会をして之に当らしむるのが一層効果をあぐる所以である事を述べ、協会に於ても幹事会・総会共にこの方針に就て何等異議なく賛成し、当局者亦たこの提案を容れられたので、こゝに我が貿易協会は、商品陳列館を中心とし、又新しい活動を試むるに至つたのである。処がいよいよこの種の事業を経営するにしては、出雲橋畔の新築会館も甚だ手狭であるから、之を他に譲渡し、協会としては別に商品陳列館向きの新事務所を建築することとなり、時恰かも日本鉄道株式会社が事務所を有せず、第十五銀行内の一室を借りて居つたので、渋沢氏の発議にて協会事務所を同会社に譲り渡すことに決定したのである。この事に関し、当時の記録を二三摘記して見やう。
○中略
 斯くの如き経緯の下に本協会は商品陳列所の経営に全力を傾注せんとしてゐたのであるが、偶々米国に博覧会があり、それに対し協会員共同して出品するの是非につき、端なくも会員間に意見の相違を生じたのである。即ち本協会創設の主眼とする処は海外貿易の振興にあり
 - 第15巻 p.149 -ページ画像 
博覧会へ共同出品する如き、結局は貿易振興の一助たるには相違ないが、之に全力を傾注する如きは本末顛倒も甚しいといふ純貿易主義の建前から反対する者があり、終に多数会員の脱退を見たのである○下略



〔参考〕農商務省商品陳列館案内 第一―二頁 明治三三年四月刊(DK150009k-0021)
第15巻 p.149 ページ画像

農商務省商品陳列館案内  第一―二頁 明治三三年四月刊
    本館ノ沿革
本館設立ノ目的ハ専ラ貿易ノ拡張ヲ図リ兼テ工業ノ発達ニ資センカ為メニ本邦各種ノ貿易品ヲ蒐集陳列シテ一面外商ノ観覧ニ供シ、一面内商ニ輸出品撰択ノ便宜ヲ与ヘ、其側ニ於テ之カ参考品トシテ外国ノ製造ニ係ル同一ノ商品ヲ駢列展示シ、以テ我カ当業者ヲシテ彼此商品ノ優劣ト其価格ノ高低等ヲ考量比較シ、併セテ内外貿易ノ景況及其需要供給ノ趨勢等ヲ観察シテ益々之ガ改良進歩ノ方法ヲ研究セシメ、又貿易品陳列館ヲ中心トシテ商工業ノ隆盛ナル各地方ニモ漸次公立若ハ共立ノ商品陳列館ノ創設ヲ奨励シテ、中央ト地方トノ脈絡ヲ貫通セシメントスルニアリ、依テ本省ハ明治廿九年度ニ於テ本省建物ノ壱部ヲ以テ本館ニ充用シ、商品並参考品ノ外特許意匠商標ノ明細書標本ヲモ併セテ公衆ノ観覧ニ供スルコトヽナセリ、乃チ明治廿九年三月三十日勅令第百〇七号ヲ以テ貿易品陳列館官制ヲ定メラレ塩田真館長トナリ、四月一日ヲ以テ遂ニ本館ヲ開設シ事務ヲ掌理ス、然ルニ明治三十年六月一日農商務省官制ノ改正ト共ニ貿易品陳列館官制ハ廃セラレ、更ニ商務局中ニ商品陳列館ヲ置キ、内外ノ商品見本ヲ蒐集陳列シ衆庶ノ観覧参考ニ供シ、旧貿易品陳列館ノ事業ヲ継承シテ、益々整理拡張ヲ企図セリ、乃チ明治三十年七月廿八日告示第二十七号ヲ以テ、農商務省商品陳列館規則、同第二十八号ヲ以テ農商務省陳列館出品規則ヲ公布ス(別項所載○略ス)
貿易品陳列館廃セラレテ商品陳列館ヲ置カレタルト同時ニ、塩田真去リテ松岡寿新タニ館長ヲ命セラレシカ、明治三十一年八月松岡寿辞職シテ佐藤顕理更リテ館長ノ任ニ当リ本館ノ事務ヲ継続掌理シ、以テ今日ニ至ル、之ヲ本館沿革ノ概要トス
  ○商品陳列館陳列品目録中ヨリ東京商業会議所会頭トシテノ渋沢栄一名義ニヨル出品物ヲ左ニ摘録ス。
   大理石   (丁抹産)  寄贈人  東京商業会議所会頭渋沢栄一
   花岡石   (同上)   同      同上
   燧石礫   (同上)   同      同上
   革製表着  (同上)   同 東京市  同上
   擬革紙   (丁抹国産) 同      同上
   馬具磨   (丁抹産)  同      同上
   山羊革磨  (同上)   同      同上
   曹達    (同上)   同      同上
   蹄鉄    (丁抹産)  同      同上
   空気喞筒  (丁抹国)  同      同上
   タンロツプ弁(同上)          同上
   ゴム輪   (丁抹産)  同      同上