デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

4章 鉱業
1節 銅
1款 足尾鉱山組合
■綱文

第15巻 p.373-375(DK150041k) ページ画像

明治16年12月4日(1883年)

是日古河市兵衛・志賀直道ノ間ニ特約成立シ、栄
 - 第15巻 p.374 -ページ画像 
一ソノ約定書ニ承諾ノ記名調印ヲナス。


■資料

古河市兵衛翁伝 (五日会編) 第一五〇―一五二頁 大正一五年四月刊(DK150041k-0001)
第15巻 p.374 ページ画像

古河市兵衛翁伝 (五日会編) 第一五〇―一五二頁 大正一五年四月刊
   ○本紀 足尾銅山の創業
    五、組合契約の推移
○上略
 初め明治九年冬、翁が足尾銅山を買収した時、相馬家から半額の出資を仰いで、組合稼行の協約を結び、同家々令志賀直道氏を表面の名義人として、翁が実際の経営に当つたのは既叙の如しである。其後明治十三年一月、渋沢栄一氏の参加を求むる事となり、『向後此銅山に付ての権利義務は都て三人にて各其三分の一を分担すべく、坑業に付ての要用の資金は三人平等に之れを出金すべし。』と云ふ協約が新に結ばれた。
 明治十六年十二月に翁と志賀氏との間に次の特約が成立した、それは足尾銅山が今日の如き意外の盛業に立到つたのは、一に翁の尽力に基くものである故に、志賀は感謝の意を表し、今後一ケ年の配当金壱万円を超過する場合は超過分を折半し、其半額を特に翁に贈与するといふ条項であつた。相馬家及志賀氏が足尾組合経営の実蹟に満足したものである事はこの特約によつても窺ふことが出来る。然るに明治十九年十一月に、志賀氏は相馬家内部の事情の為めに組合を脱退することゝなり、翁は其持分を拾弐万円にて譲受ける事に決定した。斯くして翁は相馬家及び志賀家令の多年の眷願に酬い、併せて、旧主家小野組の相馬家に対する不義理を間接に償ふ処があつた。小野組と相馬家との関係は前に第六章に於て略述した如き経緯であつたが、小野組破綻以前に、翁は糸店の主宰者として相馬藩の産米買入其他の交渉に当り、相馬家より受けた信認は実に深厚なるものがあつた。加ふるに同家の志賀家令は小野組瓦解後に於ても、敗軍の一将たる翁を捨てず、その気格手腕を信じて、草倉足尾の経営に投資する事を諾したので、翁はその知遇に感奮し、過去の信認を想ひ、相馬家に対する小野組の不義理を償はんことを心に盟つたが、明治十九年十一月、志賀家令より組合脱退を申込まれた時、幸に多年の念願を果したのであつた。
○下略


古河文書 第二十二巻(DK150041k-0002)
第15巻 p.374-375 ページ画像

古河文書  第二十二巻         (古河男爵家所蔵)
    足尾銅山組合稼行の協約 解説
      約定証書
栃木県下下野国上都賀郡足尾村足尾銅山借区坑業之儀ハ明治十三年一月一日之約定書ニ拠り現ニ渋沢栄一氏及貴殿拙者ノ三名組合ニテ営業罷在候得共、抑右銅山坑業ハ渋沢氏加盟以前より貴殿並拙者両名ニて組合営業致来り其際種々困難之事共相生し候を、貴殿之御尽力ニよりて遂ニ今日之如く意外之盛業ニ立至候ハ、拙者ニ於て殊ニ感謝之至ニ候、依而此度貴殿と拙者との間ニ左之条件を締約し、右銅山坑業中ハ永く拙者より報酬之寸志を表し可申候
一明治十三年一月一日之約定書ニ拠りて銅山坑業純益金ハ其総額之十
 - 第15巻 p.375 -ページ画像 
分一を管理者ニ相渡し候外ハ、組合三人へ平等ニ配当致来候得共、来ル明治十七年一月已降ハ拙者へ配当之金高壱ケ年金壱万円を以て定度とし、右ニ超過する時ハ其超過額を折半し、一半ハ拙者へ受取一半ハ貴殿へ贈進可致候事
  但壱ケ年之純益金壱万円を超過せさる時ハ其年之報酬金ハ贈進せさる事
一右報酬金贈進年限ハ此際先ツ借区期限即明治廿五年迄と相定可申事
一此締約ハ只貴殿と拙者との間ニ特約せし事柄ニ付、明治十三年一月一日之約定書ニハ聊関係無之候事
一万一向後拙者此坑業組合之名義を他人へ相譲可申場合相生し、本約定書ニ拠りて組合一同承諾之上其譲替を為すニ於てハ、其特約之条件も共ニ其譲受人へ引継必ス恪守為致可申事
右之特約を締結せし証として爰ニ記名調印仕候也
右之通相違無之候為後日特約証依テ如件
  明治十六年十二月
              特約立合人
                     青田綱三(印)
              特約本人
                     志賀直道(印)
    古河市兵衛殿
  本書ノ特約ハ明治十三年一月一日ノ約定書ニハ毫モ関係ナシト云トモ、拙者此坑業組合中ノ一人タルヲ以テ、其締約ヲ承諾シタル証トシテ爰ニ記名調印イタシ候也
  明治十六年十二月四日
                     渋沢栄一
  ○明治十六年十二月ノ特約書ハ栄一並ニ陸奥広吉、木村長七三名ニテ推敲ヲ重ネタルモノニシテ、ソノ原稿数通古河男爵家ニ所蔵シ、古河文書第二十二巻ニ収ム、此ニ掲グルハ栄一自筆ノ確定案ニシテ、木村長七之ヲ浄書シ以テ正本トナセリ。



〔参考〕(芝崎確次郎) 日記簿 明治一八年(DK150041k-0003)
第15巻 p.375 ページ画像

(芝崎確次郎) 日記簿  明治一八年 (芝崎猪根吉氏所蔵)
六月九日
例刻出頭、今日ハ御邸ニ御招客有之候、是ハ別懇之方々懇話会と申事御始メ相成、順席御宿被成候御事ニ御座候、午后三時御揃相成候○下略
十日○六月
例刻出頭、午後四時頼合帰宅御邸ニ御知己之方々打寄懇話会盛宴ニ御座候、九日附懇話会言々ハ間違ひニ御座候、九日ハ王子別荘へ阿仁・院内両鉱山古川市兵衛[古河市兵衛]殿今般引受いたし、右ニ付主人公と古川市兵衛[古河市兵衛]殿と両人より工部卿大輔少輔其外役員ヲ別荘江招待相成候、御奥ニテモ一同御越し、円朝其外芸人も罷出候