デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

5章 農・牧・林・水産業
1節 農・牧・林業
2款 聯成社・岡部山林
■綱文

第15巻 p.481-488(DK150061k) ページ画像

明治7年(1874年)

郷里ノ親戚故旧聯成社ヲ結ビテ茶園ヲ栽培ス。栄一出資シテ之ヲ助ク。然レドモ経営意ノ如クナラズ数年ノ後解散ス。栄一ソノ土地ヲ引受ケテ松苗ヲ植ウ。面積十三町歩、岡部山林コレナリ。


■資料

青淵先生六十年史 (竜門社編) 第二巻・第一五一―一五二頁 明治三三年二月刊(DK150061k-0001)
第15巻 p.481 ページ画像

青淵先生六十年史 (竜門社編)第二巻・第一五一―一五二頁明治三三年二月刊
 ○第三十三章 開墾及植林業
    第二節 岡部山林
明治七年ノ交青淵先生郷国ノ親戚故旧等一社ヲ結ヒ共同シテ茶園栽培ノ業ヲ経営セント欲ス、名ケテ聯成社ト云フ、先生ニ出資ヲ請フ、先生之ヲ諾ス、然ルニ其経営其宜シキヲ得スシテ解散ス、先生則チ地所ヲ引受ケ残務ヲ整理セシム、而シテ地所ニハ松ヲ植付ケ山林ニ仕立シム、岡部山林是ナリ、其面積十三町歩余ナリ


子爵渋沢栄一閣下年譜 第八頁 昭和三年刊(DK150061k-0002)
第15巻 p.481 ページ画像

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(渋沢市郎) 書翰 渋沢栄一宛(明治八年)七月二四日(DK150061k-0003)
第15巻 p.481-482 ページ画像

(渋沢市郎) 書翰 渋沢栄一宛(明治八年)七月二四日
                    (渋沢子爵家所蔵)
以幸便ヲ奉啓上候、極暑甚々敷御座候処先以其表
御満堂様益々御揃無御障被為入候条欣喜不斜奉存候
御尊公様大坂江御出張被遊候処御道中も御無滞去ル五日御帰京被遊候由承リ大啓之至ニ奉存候、当春以来は永々病気ニ付大勢御厄介ニ相成居皆様之御精々ニ相成追々宜敷御座候誠に以難有仕合奉存候、御上坂御留主中奥様江申上乍保養岡部聯成社江参居猶在宅江も参居候、前之内新屋敷手計ニても一同無事罷在候、前之叔母様之御精々ニ而蚕宜敷ク繭も六七拾メ目出来仕、種も三百枚計リ出来仕候、諸方之御精力ニ而病気も全快ニ相成誠に忝奉存候、戸長之義も未タ歎願ニ相成□《(不カ)》申候得は先病気全快不致様申居候、細野様より熊谷県江御申込被下候得共区長之方ニ而差扣日ヲ送リ歎願致ス方宜敷様相吉殿江申聞ニ付日延ヘニ相成、猶当時は時節柄繁多ニ付差送居候処此内歎願仕呉候由ニ御座候御尊公様御帰京早速御伺可申之処、甚々申訳も無之候得共暑中甚敷故御無沙汰之段偏ニ御用捨可被下候、何れ其内御伺可申候、余は万々彦次郎より御聞取可被下候 匆々恐々謹言
  七月廿四日               渋沢市郎
    渋沢大君様
  尚々申上候、折角暑中御厭御養生専一ニ奉祈候 早々
 - 第15巻 p.482 -ページ画像 
   ○「第一国立銀行第四回考課状」ニヨレバ栄一、明治八年六月三日ヨリ七月五日マデ旅行ス。右書翰ハ同年ノモノナルベシ。


(尾高幸五郎) 書翰 渋沢栄一宛(明治一一年)四月一三日(DK150061k-0004)
第15巻 p.482 ページ画像

(尾高幸五郎) 書翰 渋沢栄一宛(明治一一年)四月一三日
                    (渋沢子爵家所蔵)
謹テ奉拝稟候、和暖之候大厦愈御揃益御清穆被為入抃喜之至奉敬賀候随而蓬戸一同無異罷在候間乍憚御寛懐奉祈候
陳者過日熊谷君より御電報ニ随テ大亦・芝崎御両氏より兼テ紅茶製ノ事件ニ寄テ毛利治六事此度(十日十七日)此ノ両日出船ニ乗込ミ可相成旨委細被仰聞候条拝承仕候、依テハ今般右本人義社ノ留守中も予備相済出立拝芝申上度何卒宜敷奉願上候
一売繭之義も御心配ヲ蒙リ候処爾後土ト魯ノ一条も電信殆ント悪敷候趣之由、横浜景況も引続思敷無御坐御事依テ者奉恐入候得とも何方宜敷奉仰候、尚書外ハ毛利治六義奉申上度何卒御承允祈上候、右者乍麁略不取敢捧愚札候 匆々膝行頓首々恐々敬白
  第四月十三日
                    尾高幸五郎(印)
    渋沢尊大人様             百拝
          玉机下
   ○右尾高幸五郎「書翰」並ニ後掲資料ニ出ヅル熊谷ハ熊谷義一ニシテ、下記遠藤氏談ニヨレバ明治十一年三井ノ製茶事業ニ関係セリ。
    遠藤佐々喜氏談話 昭和十六年二月廿七日 三井物産株式会社にて 宇野脩平聴取
          熊谷氏について
    三井では明治十一年に熊谷義一といふ人を雇入れ京都で紅茶・緑茶の栽培製造をし外国輸出を行つたことがあります。その頃横浜でも大々的にやつてゐました。美濃でやつたことは聞いておらぬが、多分その管轄だつたのでせう、京都茶場系でせうね。


渋沢栄一 書翰 須永伝蔵宛(明治一一年)九月三日(DK150061k-0005)
第15巻 p.482-483 ページ画像

渋沢栄一 書翰 須永伝蔵宛(明治一一年)九月三日(須永一郎氏所蔵)
本月廿二日之御状昨日拝見仕候、其後御清迪御勤務之条拝賀、小生も無事廿六日より伊香保辺より旧里迄相廻り昨夕帰京仕候(家内ハ廿日頃出立旧里迄同行本月六七日頃帰京之積ニて小生のミ先ヘ帰京仕候)血洗島手計共ニ一同無異、新田之病人も大ニ快方仕候、才三幸五子抔ハ出殻買出し等ニ勉強いたし居候、久振ニて墓参旁両日程田舎ニ止宿仕候
熊谷氏も引続き勉力、製茶之総仕上も十月頃相済可申由拝承仕候
毛利寿六之事先頃熊谷氏来状ニて何か不都合云々其後詳細御報知可有之との事ニ候処其儘来報無之候、右ハ如何之次第ニ候哉早々御申越被下度候、其節熊谷氏へも早々来報有之度と答書さし出候得共爾来一度も来状無之候、御伝声可被下候
右拝答旁更ニ可得御意如此御坐候 謹言
  九月三日                渋沢栄一
    須永伝蔵様
 - 第15巻 p.483 -ページ画像 
須永伝蔵様 渋沢栄一 要件



渋沢栄一 書翰 須永伝蔵宛(明治一一年)九月七日(DK150061k-0006)
第15巻 p.483 ページ画像

渋沢栄一 書翰 須永伝蔵宛(明治一一年)九月七日(須永一郎氏所蔵)
九月四日附御状及拝司御托之御状とも収到拝見仕候、即日益田とも面会ニ付直ニ勧農局ヘ願立候手続ニ打合申候、又平岡も幸ニ参り合候間早々申談し同人土山出張之方より精々差繰送リ方可致旨同人より申通し候筈、依而貴方より土山平岡代人ヘ御書通被成候ハヽ何程か都合可出来と存候
熊谷氏爾来書状無之益田方へも出状少きよし不都合之事ニ候、都而遠方ニ事務取扱候ハ書状ニ入念し、該地之事情百事手ニ取る様本社ニ了解候事専一ニ候旨、兼而申入置候事ニ候、然ルニ右様等閑ニ渉リ候而ハ自ら疎隔之恐有之、甚以不宜義ニ候、能々御申通し可被下候、既ニ当方へも毛利之事不都合有之後日報知すへしと先月初旬来状有之候儘爾後一封も到手不致候、夫是篤と御打合可被下候、右拝答旁如此御坐候 匆々
  九月七日
                      渋沢栄一
    須永伝蔵様
  尚々小生過日郷里ヘ来リ候摸様ハ先日一封さし上候ニ付閣筆仕候
須永伝蔵様 渋沢栄一 御直展



(毛利治六) 書翰 渋沢栄一宛(明治一一年カ)九月二一日(DK150061k-0007)
第15巻 p.483-485 ページ画像

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聯成社製茶創業表 明治一二年(DK150061k-0008)
第15巻 p.485-486 ページ画像

聯成社製茶創業表 明治一二年 (大川鉄雄氏所蔵)
(欄外)
「大川様 紅茶壱袋」
    明治十二年聯成社製茶創業表
一金四拾六円拾三銭五リ三毛    仕払高
    内訳ケ
 金八円弐拾八銭壱リ      器械費
 - 第15巻 p.486 -ページ画像 
 金拾壱円廿六銭三毛     生葉百八拾九メ四百廿五匁摘賃金壱メ目ニ付五銭九リ四毛
 金拾四円五拾七銭八リ壱毛  製造雇夫四拾六人六分五リ壱人賃金三十一銭弐リ五毛
 金七円三拾五銭壱リ     炭藁反古紙粘松費生葉壱メ目ニ付三銭八リ一
 金四円六拾六銭五リ     賄料壱人ニ付金十銭ヅヽ
一生葉百八拾九メ四百廿五匁   摘揚高
  此製茶三拾八メ八百五拾四匁
    内訳ケ
  従来日本風製茶ノ部       印度風紅茶製試検ノ部
 精製茶弐十五メ六百目      白毫四メ四百六十目
内精製茶拾弐メ八百目本年株主一同配当壱株ニ付壱斤宛
                内白毫弐メ弐百三拾匁本年株主渋沢両家配当
 精製茶拾弐メ八百目 試売の分  白毫弐メ弐百三拾匁本年試売ノ分
 薄味茶七百六十目     同  砕白毫六百目   同
 飛出し茶弐メ五百五拾四匁 同  小種壱メ七百目  同
 粉末茶壱メ九百四拾匁   同  簸子五百目    同
                 粉末茶三百四十匁 同


渋沢栄一 書翰 芝崎確次郎宛(明治一三年)五月一四日(DK150061k-0009)
第15巻 p.486 ページ画像

渋沢栄一 書翰 芝崎確次郎宛(明治一三年)五月一四日
                    (芝崎猪根吉氏所蔵)
十日附書状十四日一覧仕候
○中略
聯成社ヘ貸金其外金子之都合承知仕候
○中略
  十四日                      栄一
    柴崎殿

(芝崎確次郎) 日記簿 明治一三年(DK150061k-0010)
第15巻 p.486 ページ画像

(芝崎確次郎) 日記簿 明治一三年   (芝崎猪根吉氏所蔵)
九月十七日 晴
例刻出頭夜ニ入帰宅、昨夜渋沢市郎殿来、今日銀行ヘ被参候テ聯成社ヘ貸金八百五十円入金相成候ニ付、主君ヘ上申直ニ当座口ヘ入金致シ置候○下略
   ○中略。
九月廿二日
本日例刻出頭、夕刻渋沢市郎殿来社金弐百円聯成社貸金口ヘ返却受取
○下略


(芝崎確次郎) 日記簿 明治一四年(DK150061k-0011)
第15巻 p.486-487 ページ画像

(芝崎確次郎) 日記簿 明治一四年
十一月四日 雲
○上略聯成社御貸与金内入金モ有之、差引相立調書主君ヘ上覧之上、松村・渋沢愛吉殿両人ヘ相渡、且橋本呈次郎所持株壱株引受金六十五円ハ振替入金勘定ニ致決算候事、株式引受届ケ書調印相願而シテ同時ニ両人ヘ相渡申候○下略
   ○中略。
第十一月廿六日 晴
○上略
 - 第15巻 p.487 -ページ画像 
  本日主君より受払金左ニ
   ○中略
   一金弐百六拾円         馬車鉄道会社株三回出金分
   一金七拾円  立替紛村氏ヘ渡ス 尾高氏分聯成社株七ツ分出金
   一金百四拾円 松村氏ヘ渡ス   御邸分十四株出金分
    〆金九百六十円 受取証ハ鈴木受取置候事


芝崎確次郎電信案 渋沢栄一宛(明治一五年)五月二九日(DK150061k-0012)
第15巻 p.487 ページ画像

芝崎確次郎電信案 渋沢栄一宛(明治一五年)五月二九日(芝崎猪根吉氏所蔵)

図表を画像で表示--

  盛岡    第一銀行ニテ      渋沢栄一  東京   深川      芝崎 



トノサマブジヲツキキヨウヱツモウシアゲルレンセイシヤセイチヤヒシヤクヨウノタメマツムラシツキヨウゴタイヨクダサルカヘンジマツ
   ○明治十五年五月二十九日午前十一時二十分発信。


渋沢栄一 電信 芝崎確次郎宛(明治一五年)五月二九日(DK150061k-0013)
第15巻 p.487 ページ画像

渋沢栄一 電信 芝崎確次郎宛(明治一五年)五月二九日
                  (芝崎猪根吉氏所蔵)

図表を画像で表示--

  フクスミ町   シフサワウチ     シバサキ  モリヲカ   ダイイチ       シフサワ 



レンセイシヤセイチヤシキンハナルベ キゲ ンシヨウシテタイヨセヨ
   ○明治十五年五月二十九日午後二時三十五分発信。
   ○「第一国立銀行考課状第十八回」ニヨレバ、明治十五年五月二十日ヨリ六月二十日ニカケテ栄一東北旅行ヲナスコトアルヲ以テ、コノ両電信ハ同年ノモノナルベシ。


公事提要(DK150061k-0014)
第15巻 p.487 ページ画像

公事提要 (芝崎猪根吉氏所蔵)
  明治十五年第十月三十日
○上略
   外ニ
  未ダ株券ニ不相成出金分左ニ
○上略
金弐千円 岡部村聯成社株
○下略


公事提要(DK150061k-0015)
第15巻 p.487 ページ画像

公事提要 (芝崎猪根吉氏所蔵)
  明治十五年第十二月
主人方資産調取扱候ニ付写置候事
  資産    貸方
○上略
金六百五拾円 聯成社出金
○下略
 - 第15巻 p.488 -ページ画像 
〔参考〕
支那製茶会社創立願書草案 (芝崎猪根吉氏所蔵)
    支那製茶会社創立願書
御開港以来貿易品追々増加仕候得共、其要ハ生糸・蚕卵・製茶等に有之実ニ無上之良品にして御国殷富之根楨とも相成可申、乍併右三品とも未タ民間産出之際に充全之方法無之免角本を忘れ末に趨る之流弊有之候処、既に生糸蚕卵ニ於てハ両三年来種々御告諭も被為在、随而適正之御規則も御示し被下漸旧習釐革可致之運ニ相向候得共、製茶ニ於てハ尚従前之故套に泥み別段新規之良法も不相立、其上再来追々其品数相増候故ニ候哉価位年々低下いたし、商賈民間均しく其弊を受候勢ニ相成深く苦念之次第ニ奉存候、就而勘考仕候に元来西洋各国にてハ従来支那製之茶而已相用ひ未タ御国製之茶ハ相好不申候ニ付、現今輸出之分ハ悉く米国に而已販売相成候趣ニ有之、之に反して御国内にてハ只管其産出相増候得者終に供給之品数求需之額に超過いたし、夫か為メ貿易之景況を損し甚しきハ一般之御国損にも可相成哉と杞憂之至に候、因而此度当御懸下に於て支那製茶会社相立、支那人を相雇ひ現今欧洲一般之嗜好に投し候様之製茶いたし、御国産販売之途を広め前文之弊害を未然に相防申度、則別紙之通株高相定申合略則相設候間何卒早々御許可被成下度候、尤新規営業之義にて其良否も見込難相立ニ付協同之者も頗人少にして資本金も不足仕候間、何共恐入候願情ニ候得共大蔵御省勧農御課之御保護を蒙り多少右資本之内へ御組入被成下候とも、又ハ拝借被仰付候とも両様之内御聞届相成候様御取計被成下度、此段奉願候也
  ―――――         ―――――――
                   ―――――――
    静岡県参事殿
   ○本草案ハ栄一自筆。



〔参考〕支那製茶会社創立願書草案(DK150061k-0016)
第15巻 p.488 ページ画像

支那製茶会社創立願書草案 (芝崎猪根吉氏所蔵)
    支那製茶会社創立願書
御開港以来貿易品追々増加仕候得共、其要ハ生糸・蚕卵・製茶等に有之実ニ無上之良品にして御国殷富之根楨とも相成可申、乍併右三品とも未タ民間産出之際に充全之方法無之免角本を忘れ末に趨る之流弊有之候処、既に生糸蚕卵ニ於てハ両三年来種々御告諭も被為在、随而適正之御規則も御示し被下漸旧習釐革可致之運ニ相向候得共、製茶ニ於てハ尚従前之故套に泥み別段新規之良法も不相立、其上再来追々其品数相増候故ニ候哉価位年々低下いたし、商賈民間均しく其弊を受候勢ニ相成深く苦念之次第ニ奉存候、就而勘考仕候に元来西洋各国にてハ従来支那製之茶而已相用ひ未タ御国製之茶ハ相好不申候ニ付、現今輸出之分ハ悉く米国に而已販売相成候趣ニ有之、之に反して御国内にてハ只管其産出相増候得者終に供給之品数求需之額に超過いたし、夫か為メ貿易之景況を損し甚しきハ一般之御国損にも可相成哉と杞憂之至に候、因而此度当御懸下に於て支那製茶会社相立、支那人を相雇ひ現今欧洲一般之嗜好に投し候様之製茶いたし、御国産販売之途を広め前文之弊害を未然に相防申度、則別紙之通株高相定申合略則相設候間何卒早々御許可被成下度候、尤新規営業之義にて其良否も見込難相立ニ付協同之者も頗人少にして資本金も不足仕候間、何共恐入候願情ニ候得共大蔵御省勧農御課之御保護を蒙り多少右資本之内へ御組入被成下候とも、又ハ拝借被仰付候とも両様之内御聞届相成候様御取計被成下度、此段奉願候也
  ―――――         ―――――――
                   ―――――――
    静岡県参事殿
   ○本草案ハ栄一自筆。



〔参考〕勧農局沿革録 (農務局編) 第九丁表明治一四年五月刊(DK150061k-0017)
第15巻 p.488 ページ画像

勧農局沿革録 (農務局編) 第九丁表明治一四年五月刊
四月○明治七年紅茶ノ製造ヲ試ム上林茂ノ建言ニ由ル尋テ紅茶製法ノ告諭書ヲ府県ニ頒ツ
○八年乙亥二月 農務課中始テ製茶係ヲ置ク」新宿試験場内凡ソ一万五千坪ノ地ニ茶園ヲ開ク」
 三月九州中国地方山野自生ノ茶葉ヲ以テ紅茶ヲ製センカ為メ支那人二名姚秋桂凌長富ヲ雇ヒ、自然茶多産ノ地方ヨリ官費生徒二十名ヲ募集シ伝習セシム初メ紅茶ノ一種タリシニ支那人ノ説ニヨリテ緑茶ノ製ヲ試ムルニ至ル



〔参考〕日本産業資料大系 第一巻 (滝本誠一向井鹿松編) 第一編農林業・第七五八頁 大正一五年七月刊(DK150061k-0018)
第15巻 p.488 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。