デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

5章 農・牧・林・水産業
1節 農・牧・林業
3款 耕牧舎
■綱文

第15巻 p.489-498(DK150062k) ページ画像

明治13年2月(1880年)

是ヨリ先明治十二年、栄一、益田孝等ト謀リ箱根仙石原ニ耕牧舎ヲ興ス。須永伝蔵此ガ管理ニ当リ是月開拓ニ着手ス。爾来栄一育成ニ努ム。


■資料

青淵先生六十年史 (竜門社編) 第二巻・第一六一―一六二頁 明治三三年二月刊(DK150062k-0001)
第15巻 p.489 ページ画像

青淵先生六十年史(竜門社編)第二巻・第一六一―一六二頁 明治三三年二月刊
    第三十四章 牧畜業
青淵先生頗ル我国牧畜業ノ不振ヲ慨ス、明治十二年ノ交益田孝・渋沢喜作・小松彰等ト計リ、地ヲ函根仙石原ニ相シ、牧場ヲ開キ、良種ヲ撰ヒ、牛馬ヲ飼養繁殖ス、名ケテ耕牧舎ト云フ、又東京其他ニ支舎ヲ置キ、精良ノ牛乳「バタ」ノ類ヲ供給ス、東京市上等ノ「ホテル」及函根ノ温泉場等ニ於テ用フル所ノ新鮮ノ牛肉牛乳「バタ」ノ類ハ、先生起業ノ恩恵ニヨルモノ多シトス、
先生カ牧場ヲ函根ニ撰定シタルハ、須永伝蔵ノ取調ニ依リタルモノナリ、是ヨリ先キ先生及益田孝等我邦ニ毛布製造ノ原料タル羊毛ノ必要ヲ感シ、勧農局ニ向テ純粋ノ「メリノー」羊五百頭拝借ノ儀ヲ出願シ聞届ケラレシコトアリ、依テ右綿羊飼育方練習ノ為メ明治十二年須永ヲ下総三里塚牧羊場ニ遣セリ、同牧羊場ハ明治八年勧農局ノ開設ニ係リタルモノニシテ、米国人ジヨンス、「ドクトル」ケーヲ聘シテ各県ヨリ二人宛ノ生徒ヲ募リ、専ラ牧畜事業ノ伝習ヲ以テ目的トセル所ナリ、須永同場ニ赴キ、ジヨンスニ従テ専ラ牧畜ノ方法ヲ練習セリ、明治十二年先生等牧畜業開始ノ挙アルヤ、須永相模仙石原ノ地最モ牧畜業ニ適スルヲ以テ之ヲ先生ニ報ス、玆ニ於テ先生等県庁ニ出願シ、其払下ヲ請ヒ、明治十三年二月ヲ以テ其開拓ニ着手ス、○下略


(岡部礼助)書翰 渋沢栄一宛 明治一二年二月一六日(DK150062k-0002)
第15巻 p.489-490 ページ画像

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(芝崎確次郎)日記簿 明治一二年(DK150062k-0003)
第15巻 p.490 ページ画像

(芝崎確次郎)日記簿 明治一二年 (芝崎猪根吉氏所蔵)
十一月七日
○上略
主君御帰館御夜食上リ直ニ八時汽車御乗リ之御積リ鉄道ヘ御出同時発車横浜行、翌日豆州千石原ヘ御出相成候都合
○下略


渋沢栄一 書翰 須永伝蔵宛 (明治一三年)一月二三日(DK150062k-0004)
第15巻 p.490-491 ページ画像

渋沢栄一 書翰 須永伝蔵宛 (明治一三年)一月二三日
                    (須永一郎氏所蔵)
一翰啓上仕候、陳者先頃ハ罷出色々御厄介ニ相成百事都合能相運ひ万謝之至ニ候、帰途漸夜ニ入船橋着ニ付無拠一泊翌九日帰京仕候義ニ御坐候
第二三区拝借之義者早々松方局長ヘ申立候積之処、即今熱海入湯留守中ニて未タ帰京無之乍思延引仕候、併近日帰京之由ニ付直ニ罷出委細申立相試尚其模様ニより進止相決候積ニ候間、左様御承引可被下候
犢牛買入之為メ貴兄米国行之事ハ益田も同論ニ候間、近日決定之上申上候様可仕候、尤先日御遣之計算書も同人へ相示し置候
仙石原も県庁ニ異議ハ無之筈ニ候得共、今日迄指令無之ニ付尚催促いたし候積ニ御坐候、就而弥右指令を得候ハヽ先同地開牧ノ手続即犢牛買入其他之見込等取究、而して貴兄ニハ不取敢其手配相立候上ニて米国行被成候様仕度と相考申候ニ付、其中御出京之義も可申上候間、夫迄ハ右等之御心含ニて先其地ニ御修業被下度候
伊佐野之方も近日願書さし出候運ニ取計申候、是ハ年限ハ弐拾ケ年といたし、直段ハ壱反ニ付金拾銭と定、弥見込相立候ハヽ御払下相成候様且夫迄ハ無借地料といたし、御払下後鍬下も弐拾ケ年と申立候積ニ御坐候
第二三区之拝借ハ若し松方ニて地価聊も低下せす、其上農具拝借も不相行、又家屋之直段割引も三割以下ハ不相成と申事ニ候ハヽ、多くハ相止候心得ニ候、併少々も勘弁筋有之候ハヽ或ハ壱区丈ケも拝借可致哉と即今打合中ニ御坐候、小生ハ向来之為メニも壱区位ハ拝借いたし候方彼是牧羊場之連絡も相付候義ニ付、多少便宜を得可申と相考候義ニ候
追々仕事も相増候義ニ付、誰か貴兄之手助ケニも相成候人物心当申度と種々心配之処、此間下手計村之人ニて松村泰次郎と申もの(年齢三十三)尾高幸五郎と才三郎と同行出京、岡部茶園ニ相雇度旨相談有之候間、篤と右泰二郎之様子承リ候ニ至而手堅きものニて農事ハ素より功者ニ有之、且至極之辛抱人ニて少々ハ算筆も有之由、幸之事ニ付開牧之事相勧候処大ニ傾心いたし終ニ横取之姿なれとも当方ニ相雇候事ニ取究、今夕再出京仕候(先日其相談いたし一旦帰村之上家内之示談いたし再出京せし訳ニ候)就而ハ明日益田其外へも披露いたし近日貴方へさし出可申候間、差向臨時農夫様ニ入込修業為致奉存候、尤前書
 - 第15巻 p.491 -ページ画像 
松方之模様も明日ニも相分リ候ハヽ尚松村ハ両三日滞京せしめ、其辺之事共も申遣し候様可仕とも存候、何れにも手堅人物壱人を得候間精精御教導可被下候
過日は御書状も拝見早々拝答可申上之処、両三日風邪平臥其上種々取込居候旁意外ニ御疎情申上候、御海容可被下候
岩山氏へも御礼状壱封さし上候、宜御申上可被下候、外諸君へも御伝声可被下候右申上度 匆々再拝
  一月廿三日
                      渋沢栄一
    須永伝蔵様
  尚々先頃岩山へ相頼候池田へ(米国)添書ハ出来候ハヽ御遣し可被下候
  馬御払下之事ハ願書草案其中御遣し可被下候
  尚其中前書松村差出候時色々取究可申上と存候也


渋沢栄一 書翰 須永伝蔵宛 (明治一三年)一月二八日(DK150062k-0005)
第15巻 p.491-492 ページ画像

渋沢栄一 書翰 須永伝蔵宛 (明治一三年)一月二八日
                     (須永一郎氏所蔵)
  尚々貴兄之月給及臨等旅費等之義も追而ハ社則ニ宛取扱申度義ニ付其分界も相立置度候間、委細ハ柴崎より申上候筈ニ付可然御承知可被下候
本月廿三日附御状廿五日収手拝見仕候
牧羊場第二三区拝借之都合ハ松方殿漸両三日前熱海より帰京被致候ニ付、明廿九日不取敢面会之上篤と相願其模様ニよりて取捨相決し候積ニ候間、其上ニて委細書状を以て可申上と存候
伊佐野原地所拝借願ハ今日出状いたし白石へも委敷書通し且安生矢板へも別封さし出、県庁之周旋方丁寧頼遣し候間其中ニハ許可可相成と存候・併是も内務省伺等ニて早くとも一ケ月位ハ相掛リ可申歟と存候仙石原之義も本月早々許可之指令差越候筈、神奈川県官と内引合いたし置候得共今以其指令無之ニ付今日書状を以催促申遣候間、是又不日許可を得可申と存候
種牛買入之為メ米国行之事も益田も貴兄を派出之義ハ同意ニて其積ニ相考居候、乍去時節ハ五月頃を適度といたし候由ニ付貴兄出立ハ三月末ニて可然と存候、就而ハ其前ニ仙石之方着手之順序相立候上旅行候様致度ニ付、不日拝借之許可を得候ハヽ早々可申上候間其上御出京被下度と存候
先日も申上候松村泰二郎義、一応御返事を得候上差出し申度と存候得共、尚再考候ニ松方君之方とても、一面会ニて百事取究候も無覚束候間、其模様を松村口上ニ申上候ハ或ハ時日遷延も難測、然時ハ同人之稽古も夫レ丈ケ延引候筋ニ付、先一日も早く稽古ニ取掛らせ候方と存し、今日益田・茅場町とも申談明後三十日出立さし出候間、着候ハヽ御面話ニて尚御聞取被下、臨時農夫之口へ御入被下候歟又ハ何れ之筋ニても充分修業出来候様御取計可被下候
同人ハ末永く相雇候筈ニて、詰リ貴兄之助役ニも相成可申人物と存候間、何卒御伏臓なく御申談被成御世話も被下度存候、尚又大川之悴栄
 - 第15巻 p.492 -ページ画像 
八郎義○中略是又御世話なから先農夫ニ組込候様御心配可被下候
尚外ニ益田より壱人佐藤新次郎と申者差出度と申居候、是ハ未タ其者ニ面会不仕候得共多くハ松村と同行為致候様可仕候、右様一時多人数さし上嘸御差支と存候得共、既ニ修業と見込候人物空敷消光させ候も無用ニ付、差付さし上候義ニ候、可然御取計可被下候
前書松村月給之義ハ聢と取究不申候得共、先月ニ七円か八円位と打合置候、右者貴兄実地ニて御試之上、御見込も御申越被下取究申度と存候、尤も同人ハ行末事業ニ利益相生し候ハヽ詰り貴兄抔ニ属し何分か其利益より配当を為し候積ニ付、通常之月給ハ可成低下ニいたし度積ニ候
又栄八郎義ハ敢而修業ニハ無之懲役之為メ遣し候義ニ付費用ハ毎月五円と相定、拙生より別ニさし上候ニ付其遣払も貴兄もしくハ松村ニて御世話なから御見届被下、無用之失費無之様頼上候義ニ御坐候
尚追々可申上候得共差向松村さし出候為メ如此御坐候 匆々再拝
  一月廿八日
                      渋沢栄一
    須永伝蔵様
  尚々才三郎ニ御面会云々御尤ニ候得共、同人も高崎出店ニ類焼之事有之早々出張之筈旁以滞京仕兼候よしニ付、此度ハ貴兄御出京ニ候とも折合せ兼候間又他日御会合之積ニ被成下度候
  奥氏ニハ未タ面会不致候、岩山氏ヘハ其中何か品物ニてもさし上過日之挨拶いたし度ニ付御考之上御申越可被下候也
下総牧場 須永伝蔵様 要件
松村泰二郎 持参 封 (朱印) 東京深川区福住町四番地 渋沢栄一


渋沢栄一 書翰 須永伝蔵宛 (明治一三年)一月三一日(DK150062k-0006)
第15巻 p.492-493 ページ画像

渋沢栄一 書翰 須永伝蔵宛 (明治一三年)一月三一日
                    (須永一郎氏所蔵)
  尚々松村氏へも宜敷御頼申上候、本文猪太郎事ハ別而同人之教育相願度候、是又御伝声可被下候
爾後益御清迪奉賀候、然者兼而御依頼いたし候西園寺猪太郎事昨年中之評議ニて一時銀行事務講習之事ニ相決し、十二月中より第一国立銀行へ見習として出勤為致候処、何分性質不適当なる故か又ハ本人怠惰之然らしむる為か終ニ旧臘より頭痛症相発し、到底会計事務之如き綿密之仕事ニハ堪兼候様子ニ付、新年以来種々再評之上㝡前之見込ニ復し農事修学候事ニ再定仕候、就而ハ幸便も有之候ハヽ米国へも可差遣との見込ニ候得共、兎角身体も充分健康と難申、其上農事牧畜とも何一つ実際之摸様心得不申而ハ折角海外ニ留学するも其効少き義ニ付、此度改而貴場修学相願即此書状持参差出候間食客同様之人物貴方之御厄介とハ存候得共何卒御使役御伝習被成下度候
兼而御熟知之如く本人ハ兎角怠懣之性ニ付、常ニ相応之日課御命無之
 - 第15巻 p.493 -ページ画像 
而ハたとへ貴場へ遣し候とても只空く其日を消し候のミと存候間、可成ハ相応之用事御申付被下、時々御鞭撻有之候様呉々頼上候、又本人も何ツまても子供にハ無之ニ付㝡早将来処世之方向相定可申との義ハ聊相考候様子ニ付、不充分なからも御示命ハ相奉し可申候間、願くハ御厭無之又心易きニ流れぬ儼然御教示可被下候、実ニ少年を教育する程世話なるものハ無之候得共先輩之訓導無之而ハ後生を長育いたし候義ハ出来不申ニ付、詰り世ニある甲斐とも可申事ニ付御迷惑等之御小言無之飽迄御世話被下度候、当委曲同人へも申含候得共御依頼迄一書如此御坐候 匆々不宣
  一月三十一日              渋沢栄一
    須永伝蔵様
  尚々一月中再三之書状ハ夫々回答仕候間疾御承知と存候、官林拝借相済候ハヽ放牧之都合も別而便宜相成候事と存候
  頃日度々寒雨有之候、貴方ハ雪ニ可有之、放牧之牛馬ハ景況如何来示可被下候
  令息ハ先日血洗島へ遣し直ニ尾高抔同行帰京、其後夜分ハ少々宛英漢書籍勉強為致候、気軽ニて聊敢為之気有之候間追々ニハ用立可申と存候、御安心可被下候


渋沢栄一 書翰 須永伝蔵宛 (明治一三年)二月三日(DK150062k-0007)
第15巻 p.493-494 ページ画像

渋沢栄一 書翰 須永伝蔵宛 (明治一三年)二月三日 (須永一郎氏所蔵)
客月下旬御差立之御状(日附無之)ハ三十日到手、又三十日附之御状ハ二月一日ニ落手仕候
其前松村・大川差上候ニ付同人へ相渡し候拙書ハ両人着之節御披見被下候事と存候
其節申上候益田より差出候壱人即佐藤直司と申者、此度出立之由ニ付此添書仕候間着候ハヽ前両人同様農夫へ差加候様御心配被下度候、此佐藤ハ㝡前差出候松村之如く従来農業ニ従事せし人ニハ無之ニ付、稽古も無覚束よし益田被申候得共兎ニ角御試可被下候
先状椚林之御考案ハ至極適当之御見込と存候、益田へも打合申候、乍併弐三区拝借願行届候上ならてハ取行兼候事ニ付其都合ニより決定仕度候間右ニ御承引可被下候、松方殿ニも先日益田同行拝眉色々事情申上候処兎ニ角望之通書面ニてさし出候様との差図ニ付、場処ハ弐三区合併拝借とし地価ハ芝地弐円拾六銭(㝡初御買上価格)熟地ハ其節之有高丈ケ拾円といたし、跡ハ芝地並ニ相願年限ハ矢張拾ケ年といたし家作ハ五割減農具ハ無拝借料ニて御貸下相成、其他牛羊等ハ別段ニいたし候積申上候筈ニて、不日右書面松方へ差上夫ニて被相行候様なれハ早速本願書進達之都合ニ御座候
椚林之為メニハ弐拾ケ年相願候方上策ニ候得共、夫ハ余り永過候間御聞届無之哉ニ被申候間無拠前陳之通り願試候積ニ御坐候
追々修業人さし上候ニ付岩山君へ一書申上度候得共、今日ハ取急き候間跡より御依頼可申上候、宜御伝声可被下候(御同人より一書先日之返事有之候)且右之外色々申上候事有之候得共、何分取込居候ニ付不取敢佐藤へ添書のミ尚後便委細可申上候 匆々
  二月三日              渋沢栄一
 - 第15巻 p.494 -ページ画像 
    須永伝蔵様
  尚々才三郎ハ此程帰郷其中又出京之筈ニ付、其頃ハ貴兄も百事御打合之為メ御出京相成候様仕度奉存候
  先日之両人ハ㝡早勉強之順序相立候哉折角御督責可被下候
取香牧ニテ 須永伝蔵様 御直展
佐藤真司 持参 封 (朱印) 東京深川区福住町四番地 渋沢栄一


(西園寺猪太郎) 書翰 渋沢栄一宛 (明治一三年カ)一〇月四日(DK150062k-0008)
第15巻 p.494-495 ページ画像

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(芝崎確次郎)日記簿 明治一三年(DK150062k-0009)
第15巻 p.495-496 ページ画像

(芝崎確次郎)日記簿 明治一三年(芝崎猪根吉氏所蔵)
第一月六日 晴
本日君公並(キ)公御同伴下総牧羊場ヘ御出発被遊候、附テ銀行支配人ヘ伝言且横山孫一郎殿ヘ御直書ニテ馬之直段御問合使村年雄差出し候
○下略
   ○中略。
第一月十二日 晴
○上略 主君午前十一時御出頭被遊大倉組横山氏ヘ馬代金上納方被命、午後三時ヨリ手紙と金子持参仕候処商館ニも御不在故宅江罷出候処御留守ニ付、再度立寄商館ヘ手紙丈ケ相預ケ帰社ノ事
○下略
   ○中略。
第二月三日 晴
○上略 主君御帰宅
牧羊場須永氏ヨリ来状、又谷中墓地扱所より来状ノ件上申、廻答方被命直ニ出状取計、午後一時帰臥寐《(前)》ス
   ○中略。
第二月六日 晴
○上略 今朝牧羊場須永氏ヨリ来状調書到来、直ニ入御覧申候○下略
   ○中略。
三月九日
○上略 夜ニ入牧羊場事件ニ付書類調致シ午後一時帰宅臥《(前)》ス
   ○中略。
三月廿七日
例刻出頭、午後一時主君ヨリ手形ニテ五百円受取直ニ引替五円券ニテ五百円、是ハ牧羊入用之内ヘ松村泰次郎殿ヘ相渡ス分、三井銀行本店ヘ振込当店預リ券主君之宛ニテ受取、小田原同支店ニテ当座小切手取付之事ニ依頼添手紙受取帰社、主君ヘ上申致シ候○下略
   ○中略。
七月三日
○上略 主君横浜行、帰途盛岡之馬引仙石原ヨリ帰リ一途ニ相成、屋しきヘ一泊為致候事○下略
   ○中略。
八月十七日
 - 第15巻 p.496 -ページ画像 
例刻出頭本日牧羊費第五回金弐百円御出金受取、持返リ夜ニ入帰邸、出金元帳ヘ記載致シ候事
   ○中略。
九月十七日 晴
○上略 主人今夜品川益田氏泊リテ仙石原牧羊見分出張相成候事、但シ廿日帰京之積
   ○中略。
第十一月十日 晴
○上略
牧羊之件ニ付主家ヘ組合一同集会相成候
   ○中略。
第十二月六日
例刻出頭夜ニ入帰宅御屋しきニテ夜食致シ主君ヨリ用件被命候左ニ
   ○中略
   金四百円      同断 ○小切手ニテ
     是ハ耕牧舎ヘ出金之為メ受入
   ○中略
  〆 右之三口
         明日出頭之上受渡方被命候事
○下略
十二月七日
○上略 昨夜被命件々ハ出頭之上夫々差出申候、耕牧舎出金四百円之証ハ奥方ヘ差上申候○下略


(芝崎確次郎)日記簿 明治一四年(DK150062k-0010)
第15巻 p.496 ページ画像

(芝崎確次郎)日記簿 明治一四年(芝崎猪根吉氏所蔵)
第一月廿九日 晴
○上略
主君仙石原牧羊場見分とシテ御出立被遊候、益田孝氏も同道内田佐之助随従候事


渋沢栄一書翰 古河市兵衛宛 (明治一四年)二月三日(DK150062k-0011)
第15巻 p.496 ページ画像

渋沢栄一書翰 古河市兵衛宛 (明治一四年)二月三日(古河男爵家所蔵)
○上略
拙生も廿九日仙石原へ罷越昨夜帰京仕候、此段為念申上候匆々
  二月三日
                      渋沢栄一
    古河市兵衛様


(根岸俊平)書翰 渋沢栄一宛 (明治一四年)四月四日(DK150062k-0012)
第15巻 p.496-497 ページ画像

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(芝崎確次郎)日記簿 明治一四年(DK150062k-0013)
第15巻 p.497 ページ画像

(芝崎確次郎)日記簿 明治一四年(芝崎猪根吉氏所蔵)
四月三十日 晴
○上略
本日仙石原より牛引之為メ土屋庄太郎ナルモノ須永氏書状持参来ル、主君ヘ之書状も有之候得共御出頭無之ニ付新原氏王子ヘ持参候事
○下略



〔参考〕日本産業資料大系第一巻(滝本誠一向井鹿松編) 第一編農林業・第七五九頁 大正一五年七月刊(DK150062k-0014)
第15巻 p.497-498 ページ画像

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