デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

5章 農・牧・林・水産業
1節 農・牧・林業
4款 十勝開墾合資会社
■綱文

第15巻 p.554-561(DK150070k) ページ画像

明治33年10月(1900年)

交通ノ不便、気候ノ寒冷、諸物資流通ノ困難等ノ悪条件ヨリシテ事業ハ著シキ支障ヲ来シ、所期ノ移民モ進捗セズ、移住者中離散スルモノ続出ス。社員ニシテ負担額未払者モ出デ、既ニ前年末ヨリ貸下地ノ一部返還、起業方法ノ延期願等ヲ行ヒ来リシガ、遂ニ是月、社員田中平八外六名ノ除名、川中源太郎外一名ノ業務担当社員解任、資本金七十万円ニ減資等ノ登記ヲ申請セリ。


■資料

十勝開墾株式会社農場要覧 第三―四頁大正七年八月刊(DK150070k-0001)
第15巻 p.554 ページ画像

十勝開墾株式会社農場要覧 第三―四頁大正七年八月刊
    三、事業の計画並功程
 当会社の計画はその当初金一百万円の資本を投じ、千五百八十戸の移住民を得て開墾を為し、同時に牛馬の飼養をも為さんとするに在りしを以て明治三十一年四月十二日十勝国河西、上川両郡の内、十勝川の両岸「ケネ」並に「ニトマツプ」及び同国中川郡札内の東岸札内原野に於て未開地三千六百三十万四千二百六十一坪の広汎なる地積の無償貸付を得たり。
 玆に於て直ちに移民の募集に着手したるに、劈頭越前地方より応募したるもの三十戸に達したれば、始めて之を移住せしめ、爾来歳々、福井・富山・徳島・宮城の各県より広く募集せり。
 当時の状況を顧みるに、交通極めて不便にして、諸物資は函館より海路大津港に送り、十勝川の水運を利用して帯広に至り、更に駄馬に依りて、農場に至るの外なく、其困難実に名状すべからざるものありき。今日こそ汽車あり汽船ありて、陸に海に交通機関完備し、行程一日余にして函館より農場に達し得ると雖も、当時にありては未だ斯かる機関のあるなく、十勝川の水運を利すとはいふものゝ、漸くアイヌ人の丸木船によりて之が運搬を為したるに過ぎずして、帯広に至る間実に七日間を要したり。されば、移民の募集に就ても、交通不便の為め、予想通りの結果を見る能はず、又、収獲物も運搬の便なきが為めに、その価格低廉なるに反し、他より買入るべき必要品は頗る高価なりしかば、此間に於ける事業の経営容易ならず、社長始め当局諸氏の苦心も計画も幾度か水泡に帰せんとせり。殊に新移民は未だ気候風土に慣れざるに、開墾事業の困難なるを実験し、何れも当初の予期に反するを見て、意気頓に沮喪し、離散するもの尠なからず、遂に予定の計画を実行する能はざるの悲境に陥りぬ。○下略

 - 第15巻 p.555 -ページ画像 

十勝開墾合資会社第三回(明治卅二年度)報告書(DK150070k-0002)
第15巻 p.555-556 ページ画像

十勝開墾合資会社第三回(明治卅二年度)報告書
                 (十勝開墾株式会社所蔵)
    事務摘要
社員総会
 明治三十二年四月十四日、第四回通常総会並ニ臨時総会ヲ東京ニ開ク、出席社員左ノ如シ
  渋沢栄一     渋沢喜作     渋沢作太郎
  石崎政蔵     長尾三十郎    上原豊吉
 和久伊兵衛代理
  横山定吉     高山豊次     渡辺勘三郎
  中村豊次郎    以上拾名
 委任状送附ノ社員
  福田彦四郎    渋沢篤二     阿部彦太郎
  水谷藤八     植村澄三郎    大崎宗恭
  書上順四郎    中村蔵次郎    以上八名
 欠席社員
  小室信夫     大倉喜八郎    田中平八
  加東徳三     田中源太郎    浜岡光哲
  本野小平     鶴岡夏之助    谷七太郎
  藤江謙三郎    以上拾名
通常総会ニ於テ
 一 明治三十一年度事業ノ実況並ニ同年一月ヨリ十二月ニ至ル決算報告ヲナシ全会ノ承認ヲ経タリ
 一 当社々員中資本金負担額未払込者左ノ七名ハ業務担当社員会ニ於テ当社契約証書第十二条ニ依リ除名処分ト決議セリ、併シ重大ノ件ニ付一応当臨時総会ニ本議ヲ提出ス、各位異議ナク承認セリ
  右未払込人名
   田中平八     加東徳三     田中源太郎
   浜岡光哲     本野小平     谷七太郎
   藤江謙三郎    以上七名
 一 右除名中田中平八・田中源太郎ノ両氏ハ業務担当社員ナルヲ以テ、当社契約証書第十七条ニ依リ補欠撰挙ヲ行ヒタルニ、左ノ両氏当撰各其承諾ヲ得タリ
  業務担当社員
   石崎政蔵     中村豊次郎
 一 当社監査役中村太三郎死亡ニ付、当社契約証書第十七条ニ依リ補欠撰挙ヲ行ヒ、左ノ通リ当選シ其承諾ヲ得タリ
  監査役
   渡辺勘三郎
業務担当社員会
 一 明治三十二年一月
  一 出資額金五万円         社員 中村太三郎
  右死亡ニ付当社契約証書第十五条三項ニ依リ遺産相続人中村豊次ヘ名義書換ノ事
 - 第15巻 p.556 -ページ画像 
  一 出資額金弐万円     譲渡人 社員 中村蔵次郎
                譲受人    中村豊次郎
  右中村蔵次郎ハ当社出資額頭書ノ持分ヲ中村豊次郎ヘ譲渡度旨請求ニ付、当社契約証書第十五条ニ依リ其手続ヲ了スル事
 一 明治三十二年四月
  当社々員小室信夫氏死亡後本社員ノ資格ヲ継承スルモノナキニ依リ、当社契約証書第四十四条ニ依リ正当手続ヲ為ス事
 一 明治三十二年度事業費トシテ出資額壱万円ニ対シ金百円ノ割ヲ以テ六月十五日限リ徴集候事
  明治三十二年度事業費ノ内出資額壱万円ニ付金百円ノ割ヲ以テ十月三十一日迄ニ各社員ヨリ徴集候事
  明治三十二年十二月農場長町村金弥ヨリ辞任申出ニ付解任セリ
 一 農場副長小田信樹ニ農場長ヲ命シタリ
○下略


十勝開墾合資会社第四回(明治卅三年度)報告書(DK150070k-0003)
第15巻 p.556 ページ画像

十勝開墾合資会社第四回(明治卅三年度)報告書
                 (十勝開墾株式会社所蔵)
    事業報告
○上略
十勝国開墾ノ概況
 一抑モ各農場ニ於テ小作人トシテ専ハラ保護ヲ与ヘ内地又ハ本道内ヨリ募集セシ移民一般ノ実況ヲ視察スルニ、多クハ破産者又ハ自活シ能ハザル惰民若クハ無頼ノ徒ニアラサレハ募集ニ応スルモノナシト云フモ敢テ過言ナラサルヘシ、故ニ偶々土着ノ精神ヲ以テ移住スルモノアルモ他ノ悪風習ニ化セラレ良心ヲ変スルモノ少ナシトセス、最モ甚タシキハ地主ノ契約アルニモ拘ラス移住後数月間ノ貸与ヲ受ケツヽ一転逃走シテ他ニ住シ、前者ノ保護ヲ無視シテ自由ノ生活ヲ為スモノアリ、若或ハ其契約ヲ励行スルカ為メ之レ等ヲ踪索逮捕スルモ只法律ニ訴ヘ其違犯ヲ責ムルニ過キスシテ地主ハ損害ト手数トヲ要シ一ツモ得ル処ナキニ終ルノミ、之レ現今一般ノ困難ヲ感スル処ニシテ一方ハ規程ノ起業法ニ対シ齟齬ヲ来シ事業ノ進捗ニ障碍ヲ蒙ルモノアリ、之等不良ノ惰民ヲ集メテ以テ百年ノ長計タル拓殖ノ業ヲ完成シ相互ノ好果ヲ得ントスルハ亦至難ト云フヘシ、而シテ一方単独又ハ団体移住民ノ成蹟ヲ視ルニ競フテ農事ニ精励シ或ヒハ農間余業ヲ務メ能ク労力ニ耐ヘ、移住後三年ニシテ農家ノ体裁ヲ備ヘ多少ノ恒産ヲ造ルヲ以テ殆ント風俗ヲ為スカ如シ、之レ其目的ノ異ル結果ニシテ勢ヒ已ムヲ得サルヘシ


十勝開墾合資会社第四回(明治卅三年度)報告書(DK150070k-0004)
第15巻 p.556-557 ページ画像

十勝開墾合資会社第四回(明治卅三年度)報告書
                 (十勝開墾株式会社所蔵)
社員総会
 明治三十三年三月十五日、第五回通常総会並ニ臨時総会ヲ東京本社ニ於テ開ク
 - 第15巻 p.557 -ページ画像 
 通常総会ニ於テ
  明治三十二年度事業ノ実況並ニ同年一月ヨリ十二月ニ至ル計算報告ヲナシ一同ノ承認ヲ得タリ
 臨時総会ニ於テ
  本社ノ事業ハ社員ノ除名及資本金ノ減少ニ従ヒ縮少スルノ必要アルヲ以テ、北海道庁ヨリ貸下ケ地所ノ幾部ヲ返地シ其坪数及時期事業設計上ノ変更ハ業務担当社員ニ一任シ、便宜之ヲ処理スル事ニ決ス
業務担当社員会
 明治三十三年四月
  明治三十三年度事業費ノ内出資額壱万円ニ付金百五拾円ノ割合ヲ以テ六月五日迄ニ各社員ヨリ徴集ノ事
 明治三十三年四月
  出資未払者ニ対シ契約証書第拾弐条ニ依リ払込催告状ヲ発スル事
 明治三十三年七月
  明治三十三年度事業費ノ内出資額壱万円ニ付金百五拾円ノ割合ヲ以テ九月三十日迄ニ各社員ヨリ徴集ノ事
 明治三十三年八月
  町村金弥ヨリノ願出ニ依リ当社貸付地札内原野ノ内百弐拾万坪譲与ノ儀許可スル事
 明治三十三年十月
  町村金弥ニ農場顧問嘱托スル事
 登記申請
  明治三十三年十月田中平八外六氏除名処分ノ登記ヲナス
  同年同月田中源太郎・田中平八二氏ノ業務担当社員解任ノ登記ヲナス
  同年同月除名処分ノ決果トシテ資本金百万円ハ七拾万円トナリタルニ付減資ノ登記ヲナス


十勝開墾株式会社所蔵文書(DK150070k-0005)
第15巻 p.557-558 ページ画像

十勝開墾株式会社所蔵文書
(朱書)
北海道庁指令第五九号

              東京府武蔵国東京市日本橋区北新堀町九番地
              十勝開墾合資会社々長
                      渋沢喜作
明治三十二年十二月十四日願、明治三十一年四月二十日北海道庁指令第七二二号ヲ以テ十勝国上川河東郡十勝川両岸字ケ子並ニトマツプ及中川郡札内川東岸サツナイ原野ニ於テ、畑及牧場目的ニテ貸付シタル未開地参千六百三拾万四千二百六拾一坪ノ起業方法、順次一ケ年延期ノ件許可ス
  明治三十三年一月十三日
         北海道庁長官 男爵 園田安賢
    起業方法延期ノ義ニ付願
弊社十勝農場ニ於テ昨年移住セシメタル小作人廿六名ノ外、七十四名
 - 第15巻 p.558 -ページ画像 
ヲ本年中ニ募集シテ百名ト為スベキ筈ニテ、昨年洪水ノ際右廿六名ノ畑地過半水害ヲ蒙リ、収穫殆ト皆無ニ帰シ、之レガ救助ニ要スル雑穀スラ、一般水害ノ為メ品不足ニテ容易ニ購入難致折柄、雑穀相場暴騰セシニモ不係、本年ワ是非共七十四名ヲ移住セシメンガ為メ、漸ク食料ヲ買入、且小屋ヲ建設シテ、小作人ノ到着ヲ待ツ準備悉皆相整ヒ、今春早々社員ヲ越前越中両国ヘ出張セシメ、一月ヨリ四月迄募集ヲ担任為致候得共、内地一般ノ情況タルヤ、本道水害ノ惨状ヲ恐ルヽト豊作ノ結果トニヨリ応募者無之、漸ク六名ヲ得タル始末ニ付、出張員引揚后内地ニテ相当ナル人ヘ募集方ヲ嘱托シテ不絶勧誘セシメ、其他百方尽力仕候得共、到底年内ニ不足名数ヲ補充スルコト不能、為メニ墾成反別モ現住名数三十二名ニテ百町歩ニ不過候間、何卒特別ノ御詮義ヲ以テ、総テノ起業方法ヲ順次一ケ年延期之義と御認可被成下度、此段奉願候也
             東京市日本橋区北新堀町九番地
                十勝開墾合資会社
  明治三十二年十二月十四日
                  社長  渋沢喜作
    北海道庁長官 男爵 園田安賢殿


事業縮少之要領(DK150070k-0006)
第15巻 p.558-559 ページ画像

事業縮少之要領          (十勝開墾株式会社所蔵)
    事業縮少之要領
一 三千六百万坪     貸附地熊牛ニトマツプ札内総地積
  此反別壱万弐千町歩
    内訳
 千五百万坪      上川河東二郡ニ係ル熊牛地積
   此反別五千町歩
      内
  七百五拾万坪  反別二千五百町歩    畑地
  四百万坪    同千三百三十三町歩   牧場
  百弐拾万坪   同四百町歩       風防林
  (太字ハ朱書)
  弐百三拾万坪  同七百六拾六町歩    返地
差引 千弐百七拾万坪        存置地積
  此反別四千弐百三拾三町歩
  此反別七百六拾六町歩
 九百三拾万坪         上川那ニトマツプ地積
   此反別三千百町歩
      内
  百五拾万坪   反別五百町歩      畑地
  百九拾六万坪  同六百五拾三町歩    牧場
  四拾四万坪   同百四拾六町歩     風防林
  五百四拾万坪  同千八百町歩      返地
差引 三百九拾万坪         存置地積
  此反別千三百町歩
  五百四拾万坪              返地々積
   此反別千八百町歩
 - 第15巻 p.559 -ページ画像 
計千六百六拾万坪          存置地総地積
  此反別五千五百三拾三町歩
    内訳
  九百万坪    反別三千町歩      畑地
  五百九拾六万坪 同千九百八拾六町歩   牧場
  百六拾四万坪  同五百四拾六町歩    風防林
  千二百万坪   反別六千五百六拾六町歩 札内返地
計千九百七拾万坪          返地総地積
    内訳
  七百七拾万坪  反別二千五百六拾六町歩 熊牛ニトマツプ 返地々積
  千弐百万坪   同四千町歩       中河郡     札内悉皆返地々積
右之通り
  明治三十三年二月


十勝開墾株式会社所蔵文書(DK150070k-0007)
第15巻 p.559-560 ページ画像

十勝開墾株式会社所蔵文書
北海道庁河西支庁指令第一一五一号
                東京市日本橋区北新堀町九番地
                     十勝開墾合資会社
明治三十三年七月二十七日願、明治三十一年六月十六日北海道庁河西支庁指令第七二一号ヲ以テ、十勝国河西郡帯広市街予定地東一条十一町目一番・三番・五番・七番・九番・十一番・十三番・十五番・十七番・十九番地ニ於テ貸付シタル未開地壱千六百弐拾坪起業方法・順次壱ケ年延期ノ件許可ス
  明治三十三年九月十一日
        北海道庁河西支庁長 諏訪鹿三
    起業方法書
一 十勝国河西郡帯広村市街予定地
二 未開地千六百弐拾坪
三 樹木ノ種類員数 草原地ニシテ樹木ナシ
四 目的ノ地目ハ宅地ニシテ十勝開墾合資会社社業経営
五 建物使用ノ目的 事務所倉庫社宅物置移住小作人休泊所ニ充用
六 事業配当程度
  初年 八百拾坪成功 此費用金弐拾五円
   但シ人夫五拾人ヲ以テ雑草苅取、高低ヲ敷均シ、宅地ニ成功
一 建物 事務所・倉庫・物置三棟六拾坪
   此費用金九百六拾円
  事務所一棟弐拾四坪      此費用金四百八拾円
  倉庫一棟弐拾四坪       此費用金三百六拾円
  物置一棟拾弐坪        此費用金百弐拾円
 右構造方法 地杭ヲ打込、土台据付、事務所間口六間奥行四間、倉庫間口六間・奥行四間ノ柾葺平家造リニテ、事務所ハ壁付、倉庫ハ板囲トス、物置ハ平家柾葺土間トス
一 井戸一箇所 此費用金弐拾円
 - 第15巻 p.560 -ページ画像 
   土方弐拾人ヲ以テ掘鑿、井戸側ヲ篏メ成功
  二年 八百拾坪成功 此費用金弐拾五円
   但シ人夫五拾人ヲ以テ雑草ヲ苅取、高低ヲ敷均シ、宅地ニ成功
一 建物 社宅・物置・移住小作人休泊所三棟七拾坪
   此費用金千百弐拾円
  社宅壱棟弐拾四坪       此費用金四百八拾円
  物置壱棟拾坪         此費用金百円
  移住小作人休泊所壱棟三拾六坪 此費用金五百四拾円
右構造方法 地杭ヲ打込、土台据付、社宅間口六間奥行四間ノ柾葺平家造ニテ壁付、移住小作人休泊所ハ平家柾葺板囲トス、物置ハ平家柾葺土間トス
一 井戸壱ケ所 此費用金弐拾円
   土方弐拾人ヲ以テ掘鑿井戸側ヲ簸メ成功
  三年 建物 社宅・倉庫・移住小作人体泊所三棟六拾四坪
      此費用金千三拾円
  社宅壱棟弐拾四坪  此費用金四百八拾円
  物置壱棟拾坪    此費用金百円
  倉庫壱棟三拾坪   此費用金四百五拾円
 右構造方法 地杭ヲ打込、土台据付、社宅間口六間奥行四間ノ平家柾葺ニシテ璧付、倉庫ハ間口六間奥行五間ノ平家柾葺ニシテ板囲トス、物置ハ平家柾葺土間トス
  起業費合計金参千弐百円也
  (朱書)
  建坪計百九拾四坪


渋沢栄一 日記 明治三二年(DK150070k-0008)
第15巻 p.560 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三二年         (渋沢子爵家所蔵)
二月二十日
○上略植村澄三郎氏来リ麦酒分工場ノコト及十勝開墾会社ノコトヲ談話ス○下略
  ○中略。
三月二十六日 曇
○上略十勝開墾会社重役会ヲ開キ大倉氏・同姓喜作其他渡辺・町村・小田ノ数氏来ル○下略
  ○中略。
三月三十日 大風曇
朝来客数名ニ接ス、十勝開墾会社役員会ヲ兜町宅ニ開ク○下略
  ○中略。
四月廿八日 晴
午前十時十勝開墾会社ノ件ニ付テ渋沢喜作其他ノ数氏来会ス、町村・小田両氏ハ近日農場ニ赴任ノ由ニ付五月中ニ中川豊次郎出張ニ関スルコトヲ談話ス○下略


竜門雑誌 第一三六号・第四〇頁 明治三二年九月 ○青淵先生の現職(DK150070k-0009)
第15巻 p.560-561 ページ画像

竜門雑誌 第一三六号・第四〇頁 明治三二年九月
 ○青淵先生の現職 ○中略
  一十勝開墾合資会社業務担当社員
 - 第15巻 p.561 -ページ画像 
○下略


十勝開墾株式会社農場要覧 第五―六頁大正七年八月刊(DK150070k-0010)
第15巻 p.561 ページ画像

十勝開墾株式会社農場要覧 第五―六頁大正七年八月刊
  渋沢男爵の書簡
    (其一)
爾来音聞杳濶に打過候処、貴台益々御清適御座被成候由遥賀の至りに候、此程同姓(故渋沢喜作氏の事)へ御送りの貴状は早速当方へも被相廻一覧仕候、不相替御元気にて農事に御拮据被成候趣殊に本年は作柄も不充分にて種々御心配も被成候得共、何時も勇気勃々の有様は御書状に相見へ、当方一同感服且安心仕候、何時も耐忍は成功の基と相成候様なれども別て農業は短気にては成熟致兼候ものと存候、呉々も御辛抱被下度候、植村君も本月中には出京且つ米国旅行致候筈に候、併し年内又は一月位に帰朝可致と存候
遠隔辺土とも可申土地に付定めて友人に乏しく常に御困難の事と察上候、併し朋友は人のみにては無之、文書も牛馬も草木も自己の心掛にて皆好友と相成候事は古人多く唱へ居候間貴台にも御傚ひ被成候義と存候、右尊書一覧候儘時令御問合まで一書得貴意候 匆々不一
  明治三十三年八月五日          渋沢栄一
    小田信樹様