デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

6章 対外事業
2節 支那・満州
9款 満州興業株式会社
■綱文

第16巻 p.749-751(DK160126k) ページ画像

明治40年3月30日(1907年)

是日、東京商業会議所ニ於テ、創立計画中ノ満洲豆粕製粉会社ヲ改称セル満洲興業株式会社ノ創立総会ヲ開催ス。栄一、創立委員長トシテ議長席ニ着キ、創立事務ノ報告並ニ役員ノ指名ヲナシ、相談役ヲ嘱託セラル。ココニ会社創立ヲ見タルモ十一月ニ至リ解散ス。


■資料

竜門雑誌 第二二二号・第四五頁 明治三九年一一月 満洲豆粕製粉会社創立計画(DK160126k-0001)
第16巻 p.749 ページ画像

竜門雑誌 第二二二号・第四五頁 明治三九年一一月
○満洲豆粕製粉会社創立計画 青淵先生を始め原六郎・大谷嘉兵衛氏等発起人となり、今回五百万円の資本を以て満洲に題号の如き会社を設立することに決し、青淵先生には創立委員長として尽力せられつゝあり、其の計画に依れば、牛荘・大連其他満洲内地五ケ所に工場を設置し、一昼夜千五百石の大豆を原料として消費する予定にして、其の製油は多く独逸に輸出して石鹸の原料たらしむる外広東方面に供給し豆粕は主として本邦の需用に供給する見込なりといふ


東京経済雑誌 第五四巻第一三六五号・第一〇〇七頁 明治三九年一二月一日 △満洲豆粕製粉株式会社創立(DK160126k-0002)
第16巻 p.749 ページ画像

東京経済雑誌 第五四巻第一三六五号・第一〇〇七頁 明治三九年一二月一日
△満洲豆粕製粉株式会社創立 今回志岐信太郎・松尾寛三の諸氏発企となり渋沢男・大谷嘉兵衛氏等の賛助を得て満洲豆粕製粉株式会社といふを創立せり、其目的は豆粕・麦粉・豆油等の製造販売の外倉庫業をも営む筈にて、資本金を五百万円となし、本店を東京に置き支店及び工場を営口或は奉天其他に設置して、最新式機械により製造に従事し、満洲貿易の発展を図る見込みにて、近々株式募集に着手する由、創立委員は渋沢栄一・日下義雄・渡辺嘉一・小川䤡吉・浜政弘・小野金六・山中隣之助・松尾寛三・志岐信太郎の諸氏なり


銀行通信録 第四二巻第二五四号・第七八一頁 明治三九年一二月 △満洲興業会社(DK160126k-0003)
第16巻 p.749 ページ画像

銀行通信録 第四二巻第二五四号・第七八一頁 明治三九年一二月
△満洲興業会社 渋沢栄一・森村市左衛門・原六郎・大谷嘉兵衛・中野武営・浅田正文・馬越恭平・松尾寛三・志岐信太郎等の諸氏は満洲に於て製粉其他の事業に従事する目的にて、今回資本金七百万円を以て満洲興業株式会社を設立することに決し其準備中なり


竜門雑誌 第二二三号・第四二―四三頁 明治三九年一二月 ○満洲興業株式会社(満洲豆糟製粉会社改称)(DK160126k-0004)
第16巻 p.749-750 ページ画像

竜門雑誌 第二二三号・第四二―四三頁 明治三九年一二月
○満洲興業株式会社(満洲豆糟製粉会社改称)満洲豆糟製粉株式会社創立の件に関しては前号に記したるが、其後同社の設立を賛して発起人及賛成者たらんことを希望するもの甚だ多かりしを以て、当初予定の資金五百万円を七百万円に増加し、豆粕豆油製造及び製粉の外更に高梁酒の醸造販売及倉庫業をも其の営業科目の内に加ふることゝなりたるより、本月三日の発起人総会に於て、名称を満洲興業株式会社と
 - 第16巻 p.750 -ページ画像 
改称すること本月十六日を以て之を発表し、同日より二十四日に至る九日間に於て株式を募集することに確定せり、猶同社の株式十四万株の内十一万三千株は已に発起人及び賛成人間に於て引受済みとなり、一般より募集する株数は二万七千株なりと云ふ、因に同社発起人の語る処によれば、同会社の企業の有利なるは何人も認むる処なるべきも事業の成否は時期の如何と経営者の熟練如何によるものなれば、先づ資本金の四分一を以て第一期の経営に充て、第二期以後の事業費は第一期の成績により充分有望なるを認めたる上、漸次払込ましむる都合なり、又明春を以て直に事業を開始する予定にて、差当り営口若しくは大連に工場を設くる筈なるが、同社にては右工場建設前と雖も大豆及豆粕の売買に従事するを以て、払込後第一期より相当の配当を為すを得べしと云ふ


東京経済雑誌 第五四巻第一三六八号・第一一四五頁 明治三九年一二月二二日 △満洲興業会社の計画(DK160126k-0005)
第16巻 p.750 ページ画像

東京経済雑誌 第五四巻第一三六八号・第一一四五頁 明治三九年一二月二二日
△満洲興業会社の計画 渋沢男爵・森村市左衛門・大谷嘉兵衛其他三十余名にて発起中なりし満洲豆粕製粉会社は此程の発起人会に於て左の決議をなしたり
 一高梁酒は無限の需要あり其原料なる高梁の生産豊富なり、又工業用アルコールに精製して本邦に輸入するに於ては有利なる営業なることを認定し、営業種目に加へたり
 一資本金七百万円株式十四万株にして満洲興業株式会社と改名せり
 一事業の方針は豆油豆粕製造を第一とし、次に高梁酒に着手すべし製粉業は有利の事業なるも原料蒐集の地点と方法に関し猶ほ攻究を要するものあるが故に、原料の産額及買収上安固なる方法決定の上に着手すべし、倉庫は原料仕入及製品貯蔵上設置を要するが故に其附属事業として営むにあり
 一此会社が経営する目的の事業は従来の需要額何れも一千万円以上に達するものなるが故に、第一着の経営にて強固なる基礎を作り漸次拡張以て安全時久の策を執る方針なり
 一本会社は工場建設以前と雖も大豆豆粕等の売買に従事するが故に払込後第一期より相当の配当金を為し得べし


青淵先生公私履歴台帳(DK160126k-0006)
第16巻 p.750 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳              (渋沢子爵家所蔵)
  民間略歴 (明治二十五年以後)
○上略
一満洲興業株式会社相談役 同○四十年三月 解散
○中略
   以上明治四十二年六月七日迄ノ分調


竜門雑誌 第二二七号・第三二頁 明治四〇年四月 ○満洲興業会社創立総会(DK160126k-0007)
第16巻 p.750-751 ページ画像

竜門雑誌 第二二七号・第三二頁 明治四〇年四月
○満洲興業会社創立総会 満洲興業会社創立総会は三月二十日午後東京商業会議所《(マヽ)》に開会、創立委員長たる先生議長となりて創立事務に関する報告あり、創業費支所の承認を得、役員報酬を一箇年一万五千円以内と議決し、重役選挙は議長指名にて左の如く選定せり
 - 第16巻 p.751 -ページ画像 
 取締役{馬越恭平(社長) 志岐信太郎(専務) 大谷嘉平衛
     日下義雄    小野金六 松尾寛三  渡辺嘉一
 監査役 浜政弘 鎌田勝太郎 山中隣之助
猶青淵先生は同社相談役の嘱托を受けられたり


東京経済雑誌 第五五巻第一三八四号・第六八九頁 明治四〇年四月二〇日 △満洲興業会社創立総会(DK160126k-0008)
第16巻 p.751 ページ画像

東京経済雑誌 第五五巻第一三八四号・第六八九頁 明治四〇年四月二〇日
△満洲興業会社創立総会 満洲に於て豆油・豆糟・麦粉・高梁酒の製造販売及倉庫業経営の目的を以て資本金七百万円にて設立せる満洲興業会社は、去三十日商業会議所に於て創立総会を開催せり、渋沢男委員長として議長席に着き、創立事務の報告、経費支出の件等を承認し役員報酬は一ケ年一万五千円以内とし、役員は議長指名にて左の如く決定せり○中略閉会後直に取締役会を開き、互選の結果社長には馬越氏専務に志岐氏就任に決せり


渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK160126k-0009)
第16巻 p.751 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四〇年         (渋沢子爵家所蔵)
八月十二日                   起床六時 就蓐十一時三十分
○上略 午前九時馬越恭平氏来話ス、十一時兜町事務所ニ抵リ満洲興業会社重役会ニ出席ス、馬越・小野・渡辺・志岐ノ諸氏来会ス○下略
   ○中略。
九月十四日 晴冷 起床六時三十分 就蓐一時
○上略 十時満洲興業会社重役会ニ出席シ馬越氏其他ト同会社ノ事ヲ談ス
   ○中略。
十一月八日 晴冷               起床七時三十分
○上略 商業会議所ニ抵リ満洲興業会社株主協議会ニ出席ス○下略


竜門雑誌 第二三四号・第二七頁 明治四〇年一一月 ○満洲興業会社の解散(DK160126k-0010)
第16巻 p.751 ページ画像

竜門雑誌 第二三四号・第二七頁 明治四〇年一一月
○満洲興業会社の解散 満洲興業会社株主中の調査委員に於ては、本月九日の委員会に於て全会一致を以て解散の意見に一決し、取締役会に対し此事を報告せりといふ


東京経済雑誌 第五六巻第一四一四号・第九一二頁 明治四〇年一一月一六日 ○満洲興業会社(DK160126k-0011)
第16巻 p.751 ページ画像

東京経済雑誌 第五六巻第一四一四号・第九一二頁 明治四〇年一一月一六日
○満洲興業会社 満洲興業会社に於ては本月九日渋沢会長の指名に係る十名の調査委員会を開き解散・非解散に就き協議したるが、結局全会一致を以て解散することに議決したり、尚ほ同社定時総会は十一日東京商業会議所に於て開会、馬越恭平氏議長席に着き、当期利益金四万六千四百二十二円八十九銭中一万五千円を創業費に、八千六百八十六円九十三銭五厘を興業費に各償却し、残余を後期に繰越し、了て定時総会《(臨)》に移り、取締役及び監査役各一名の欠員は当分現在の儘とし、会社解散に付き動議ありたるも既に重役会議にて解散に決したるを以て近々日を期して臨時総会を開くに決し散会したり
   ○東洋経済新報社版「索引政治経済大年表」明治四十年三月三十日ノ条ニ左ノ如ク記セリ。
     ◇東京 滞洲興業株式会社設立。
    仍テ前掲「東京経済雑誌」ノ記事ト照合シテ綱文ノ日ヲ定ム。