デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

2章 国際親善
3節 外賓接待
9款 アメリカ陸軍大臣ウイリアム・タフト歓迎
■綱文

第25巻 p.564-584(DK250046k) ページ画像

明治40年9月30日(1907年)

是日、東京市有志主催ニヨル米国陸軍大臣タフト歓迎晩餐会帝国ホテルニ催サル。栄一出席シテ有志総代トシテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四○年(DK250046k-0001)
第25巻 p.564-565 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四○年      (渋沢子爵家所蔵)
九月十七日 雨 冷             起床六時
○上略 午前 ○中略 外務省ニ抵リ、珍田次官ニ面会シテ ○中略 米国陸軍主任者タフト氏歓迎ノ事ヲ協議ス ○下略
   ○中略。
九月十九日 大雨 冷            起床六時三十分 就蓐十一時三十分
○上略 午前十時東京市役所ニ抵リ ○中略 タフト氏歓迎ノ事ニ関シ種々ノ協議ヲ為ス ○下略
   ○中略。
九月三十日 晴 冷             起床七時 就蓐十一時三十分
○上略
午前十時兜町事務所ニ抵リ ○中略 添田寿一氏ト会シ、今夕米国陸軍卿タ
 - 第25巻 p.565 -ページ画像 
フト氏歓迎会ニ於テ演説スヘキ要旨ヲ談シ、其通訳ノ事ヲ托ス ○中略 午後六時兼子ト共ニ帝国ホテルニ抵リ、タフト氏招宴ニ出席ス、食卓上一場ノ演説ヲ為ス、タフト氏ヨリ答辞アリ、賓主約百六十人ノ大宴会ナリキ、夜十時宴散シ十一時半王子ニ帰宿ス
   ○中略。
十月五日 曇 冷              起床七時三十分 就蓐十一時三十分
○上略 十時 ○午前東京市役所ニ抵リ ○中略 助役ト頃日来挙行セシ祝賀会又ハ歓迎会ノ経費徴集ノ方法ヲ談ス ○下略


米国陸軍卿タフト氏歓迎晩餐会報告書 第一―五七頁 明治四〇年一二月三〇日(DK250046k-0002)
第25巻 p.565-582 ページ画像

米国陸軍卿タフト氏歓迎晩餐会報告書
          第一―五七頁 明治四〇年一二月三〇日  (見山正賀氏所蔵)
    (一) 発起
米国陸軍卿「タフト」氏は、家族及随員と共に「マニラ」へ向け航行の途次、明治四十年九月二十八日を以て来朝せられたり、始め此報の伝へらるゝや同月十九日、日露協約祝賀会挙行の方法を議すべく東京市役所内に東京市長尾崎行雄・東京商業会議所会頭中野武営・男爵渋沢栄一其の他の有志諸氏会合せられたる席上に於て、同「タフト」氏の為に歓迎会を開催すべしとの議起り、協議の結果東京市及市内重立ちたる人々、合同の上之を挙行することに決し、同時に尾崎市長・中野会頭・渋沢男爵三名を有志総代に挙げ、右に関する総ての準備・方法等を一任したり
    (二) 準備金《(会カ)》
前記の決議に基き、尾崎市長・中野会頭・渋沢男爵は市役所に会合して協議を遂げ、結局左の方法に依りて歓迎会を決行することとなし、尚一切の事務を市役所に委託し、市役所にては助役河田烋氏専ら之を担当せられ、内記課員をして庶務に従事せしめられたり
      歓迎方法
 一、九月三十日午後七時帝国ホテルに於て晩餐会を開くこと
 二、帝国ホテル内会場には適当の装飾を為すこと
 三、食事中は奏楽せしむること
 四、来賓は「タフト」氏一行・米国大使館員・米国総領事其他重なる米国人・大勲位・大臣・元老・大将・貴衆両院議長・其他「タフト」氏接伴員及各令夫人とす
 五、主人側夫人共出席し、会費一人金弐拾円とす
 六、市内重たる有志者に左の勧誘状を発すること
   拝啓、近日米国陸軍卿タフト閣下夫妻マニラ渡航の途次来朝の趣に付、歓迎の為め同夫妻を招待し晩餐会相催し度其方法左の通相定候、目下御繁用の折柄御迷惑とは存候へ共、奮て御賛同を得度、特に此段得貴意候 敬具
     明治四十年九月二十三日
                      尾崎行雄
                      中野武営
                   男爵 渋沢栄一
             宛
 - 第25巻 p.566 -ページ画像 
          令夫人
 一挙行期日は来る三十日午後七時とす
   但タフト閣下の横浜著来る二十八日の予定なれば、延著の場合は順延とす
 一場所は帝国ホテル
 一服装男子は燕尾服、女子は「ローブデコルデー」又は白襟紋付
 一会費一人金弐拾円
 一御賛否並御出席の有無、来る二十五日迄に御一報相煩候
    (三) 会員及寄附者
本会々員の氏名及会費不足補充の目的を以て寄附せられし人名並に其の金額左の如し
      (イ)会員
                    (いろは順)
 一金五百円也    東京市参事会 東京市長 尾崎行雄 一金弐拾円也    井上角五郎
 一金弐拾円也    井上敬次郎            一金弐拾円也    伊藤欽亮
 一金弐拾円也    飯田巽              一金弐拾円也    飯田義一
 一金弐拾円也    岩原謙三             一金弐拾円也 男爵 岩崎久弥
 一金弐拾円也    稲延利兵衛            一金弐拾円也    池辺吉太郎
 一金弐拾円也    池田成彬             一金弐拾円也    池田謙三
 一金弐拾円也    波多野承五郎           一金弐拾円也    袴田喜四郎
 一金弐拾円也    服部金太郎            一金弐拾円也    原六郎
 一金弐拾円也    原田虎太郎            一金弐拾円也    早川千吉郎
 一金弐拾円也    長谷部天夫            一金弐拾円也    本多精一
 一金弐拾円也    徳富猪一郎            一金弐拾円也    小川䤡吉
 一金弐拾円也    小野金六             一金弐拾円也    大橋新太郎
 一金弐拾円也    大橋夫人             一金弐拾円也    大倉喜八郎
 一金弐拾円也    大倉夫人             一金弐拾円也    岡田治衛武
 一金弐拾円也    和田屯              一金弐拾円也    渡辺勘十郎
 一金弐拾円也    渡辺専次郎            一金弐拾円也    渡辺夫人
 一金弐拾円也    川田鷹              一金弐拾円也    川崎金三郎
 一金弐拾円也    鎌田栄吉             一金弐拾円也    柿沼谷蔵
 一金弐拾円也 伯爵 吉井幸蔵             一金弐拾円也    田中平八
 一金弐拾円也    田村利七             一金弐拾円也    団琢磨
 一金弐拾円也    立川勇次郎            一金弐拾円也    高橋一知
 一金弐拾円也    高橋義雄             一金弐拾円也 男爵 高橋是清
 一金弐拾円也    高橋新吉             一金弐拾円也    高田慎蔵
 一金弐拾円也    高松豊吉             一金弐拾円也    高木利太
 一金弐拾円也    添田寿一             一金弐拾円也    津村重舎
 一金弐拾円也    津村夫人             一金弐拾円也    根津嘉一郎
 一金弐拾円也 侯爵 鍋島直大             一金弐拾円也    中野武営
 一金弐拾円也    牟田口元学            一金弐拾円也    村井吉兵衛
 一金弐拾円也    村井貞之助            一金弐拾円也    梅浦精一
 一金弐拾円也    黒岩周六             一金弐拾円也    山中隣之助
 一金弐拾円也    山口宗義             一金弐拾円也    山本達雄
 - 第25巻 p.567 -ページ画像 
 一金弐拾円也    安田善次郎            一金弐拾円也 男爵 松尾臣善
 一金弐拾円也    松方巌              一金弐拾円也    牧田義雄
 一金弐拾円也    藤山雷太             一金弐拾円也    福沢捨次郎
 一金弐拾円也    有賀長文             一金弐拾円也    朝吹英二
 一金弐拾円也    浅野総一郎            一金弐拾円也    浅野夫人
 一金弐拾円也    雨宮敬次郎            一金弐拾円也    安藤保太郎
 一金弐拾円也    佐竹作太郎            一金弐拾円也    佐々木勇之助
 一金弐拾円也    三井八郎次郎           一金弐拾円也    三井高保
 一金弐拾円也 男爵 渋沢栄一             一金弐拾円也    渋沢男爵夫人
 一金弐拾円也    日比谷平左衛門          一金弐拾円也    日比谷夫人
 一金弐拾円也    首藤諒              一金弐拾円也    菅原伝
 一金弐拾円也    菅川清              一金弐拾円也    杉原栄三郎
      (ロ)寄附者
 一金弐百円也    岩崎家              一金弐百円也    日本銀行
 一金弐百円也    日本勧業銀行           一金弐百円也    日本興業銀行
 一金弐百円也    日本郵船株式会社         一金弐百円也    第一銀行
 一金弐百円也    三井家              一金百円也     東京株式取引所
 一金百円也     東京瓦斯株式会社         一金百円也     東京鉄道株式会社
 一金百円也     東京電灯株式会社         一金百円也     大倉喜八郎
 一金百円也     安田善次郎            一金百円也     浅野総一郎
 一金百円也  男爵 渋沢栄一
    (四)来賓
      (イ)主賓
当日主賓として米国陸軍卿「タフト」氏夫妻に発したる招待状左の如し
 拝啓、今般御来京に付来る三十日午後七時帝国ホテルに於て晩餐会を相催し候間、御光臨の栄を得度、右御案内迄敬意を表し候 拝具
  明治四十年九月二十五日
                 有志総代
                      尾崎行雄
                      中野武営
                   男爵 渋沢栄一
  北亜米利加合衆国
    陸軍卿 ウイリヤム・エッチ・タフト 閣下
        同令夫人
      (ロ)陪賓
又当日陪賓として招待したる人名及招待状左の如し
  人名
 タフト氏随行員
 秘書官    カーペンター    陸軍少将 ヱドワード
  米国大使館
 大使     オブライアン           同夫人
 一等書記官  ヱッチ・ベルシバル・ドッチ    同夫人
 一等書記官  ピー・ヱー・ジヱー
 二等書記官  ボスト・ホラー          同夫人
 - 第25巻 p.568 -ページ画像 
 訳官     アール・ヱス・ミラー       同夫人
 陸軍中佐   ジヱームス・エー・アイアンス   同夫人
 海軍中佐   ジヨン・ヱー・ダラチー      同夫人
  米国総領事
        ヘンリー・ビー・ミラー      同夫人
  外務省傭
        スチーブンス           同夫人
  其他
        フアーグソン           同夫人
        ウイルフレー
        ミラード
        アレー
        ダン
        イーガン             同夫人
        コルトン             同令嬢
        バーク              同夫人
        スノー              同夫人
        バス               同夫人
        シヱー・アール・ケネデー     同夫人
        アイ・ケー・オール
        スウイフト            同夫人
        スミス
  大臣
     侯爵 西園寺公望        伯爵 田中光顕
     子爵 寺内正毅             同夫人
        松岡康毅             同夫人
     男爵 斎藤実              同夫人
     男爵 阪谷芳郎             同夫人
        山県伊三郎            同夫人
        松田正久             同夫人
        原敬               同夫人
        牧野伸顕             同夫人
     伯爵 林董               同夫人
  大臣待遇
     侯爵 松方正義             同夫人
     侯爵 井上馨              同夫人
     伯爵 大隈重信             同夫人
     伯爵 板垣退助             同夫人
  枢密院
  顧問官伯爵 樺山資紀             同夫人
  宮内省
    式部官 渡辺直達             同夫人
    式部官 蜂須賀茂韶            同夫人
皇后宮大夫伯爵 香川敬三             同令嬢
 - 第25巻 p.569 -ページ画像 
   調度局長 長崎省吾             同夫人
  外務省
   次官男爵 珍田捨巳             同夫人
    秘書官 吉田要作             同夫人
  秘書官伯爵 寺島誠一郎            同夫人
  元帥府
   元帥公爵 山県有朋
   元帥公爵 大山巌              同夫人
   元帥侯爵 野津道貫             同夫人
   元帥伯爵 伊藤祐亨             同夫人
  軍事参議院
  参議官侯爵 桂太郎              同夫人
  参議官子爵 井上良馨             同夫人
  参議官伯爵 黒木為楨             同夫人
  参議官伯爵 乃木希典             同夫人
  参議官伯爵 山本権兵衛            同夫人
  陸軍省
   次官男爵 石本新六             同夫人
侍従武官長子爵 岡沢精
  東京衛戍総督部
   総督伯爵 川村景明             同夫人
  要塞砲兵射撃学校
教官陸軍砲兵少佐 吉田豊彦            同夫人
  近衛師団
  師団長子爵 大島久直             同夫人
  海軍省
     次官 加藤友三郎            同夫人
  海軍軍令部
   長伯爵  東郷平八郎            同夫人
  警視庁
   警視総監 安楽兼道             同夫人
  東京府
   知事男爵 千家尊福             同夫人
  貴族院
   議長公爵 徳川家達             同夫人
  衆議院
     議長 杉田定一             同夫人
      招待状
 拝啓、今般来京の米国陸軍卿タフト閣下夫妻を招待し、来る三十日午後七時帝国ホテルに於て晩餐会相開き候間、御臨席の栄を得度、此段御案内申上候 敬具
  明治四十年九月二十五日
                 有志総代
                      尾崎行雄
 - 第25巻 p.570 -ページ画像 
                      中野武営
                   男爵 渋沢栄一
             宛
      同令夫人
                「乞貴答」
   (五)開会
明治四十年九月三十日、来賓及会員は予定の時刻に先立ちてホテルに著し、特に設備の緑門より盆栽・造花等にて両側を装飾したる廊下を経、休憩所に集合す、多数の婦人亦来会せられて其の中にあり、軈て定刻に及ぶや喨朗たる奏楽と共に男子は婦人を扶け相伴ふて食堂に入り主賓以下所定の座席に著けり、斯くて宴を開き食事将に畢らむとする頃、有志総代渋沢男爵は悠然起ちて左の演説を試みたり
                         (速記)
 合衆国陸軍長官「タフト」閣下、並に一行の諸君、新任大使閣下・淑女・紳士、今夕は「タフト」閣下の非律賓へ御旅行に付きまして我日本へ御立寄りになりました、恰も好し帝国駐在米国大使も御同船で御到著になりました、此好機会を利用して一夕、歓迎の宴を開きたいと云ふので、東京市及市内実業有志家が申合せて此に此小宴を開きました次第でございます、幸に「タフト」閣下・大使閣下、其他内外朝野の諸閣下・淑女・貴紳の光臨を辱ふしましたのは、会員一同の光栄此上もございませぬ、私は此に会員に代りまして一言の謝辞を申上げます
 「タフト」閣下が政治界に軍事界に名声の顕著なることは、単り合衆国に於てのみ称讚するばかりではございませぬ、謂はゆる世界の公認する所と存じますれば、私共の此に呶々を要する必要はございませぬ、而して斯る名誉ある方々が数次帝国に御渡航下さいまして吾々一度ならず此に歓迎を申上げ、又吾々の請願を容れられて御喜び下すつて清賁を賜つたのを、吾々感謝を申上げなければならぬのでございます、私は斯る機会に単り「タフト」閣下に謝辞を申上げるのみならず、我日本帝国に最も負ふて居ります謝辞を一言陳情いたさうと考へます、国を開いてからまだ新しい日本でございますから、今日に進んで参りまするまでには亜米利加・欧羅巴、謂はゆる先進国々の御誘導を蒙つたことは一方なりませぬ、殊に米国に対しては吾々忘れんと欲して忘るゝ能はざる感情を有つて居りますのでございます、私は故あつて幕末の外交史を時々取調べて居りますが多少五十有余年以前の歴史を記憶いたして居りまするので、丁度我嘉永六年即ち千八百五十三年でございます、「コンモドル・ペルリ」が二艘の軍艦を率ゐて浦賀に這入りましたのは、丁度其年日本の六月、欧羅巴の七月であつたと記憶しますが、永く海外と交をして居りませぬ日本は実に長夜の夢を醒されまして、其時の驚愕、今日には想像も猶ほ為し能はぬ程でございます、元来日本が左様に三百年も鎖国いたした原因如何と考へますと其昔は外交杜絶の国柄では無かつたのであります、併し元亀・天正といふ頃ひから元和・慶長元年に至る時代、即ち三百年の昔に「ジエスイト」と云ふ宗教の一派
 - 第25巻 p.571 -ページ画像 
が葡萄牙から――辺に参つてそれから日本に参つた、此宗派は殆ど宗教を以て他の国を侵略すると云ふ評判を立てた宗教でございますそれからして日本は頻りに鎖国主義が強くなりまして、徳川家が覇府を東京に開きまして暫く後、全く外交を杜絶いたしました、船は残らず纜を切る、大きな船は造らぬ、外国人は唯だ和蘭若くは支那と云ふだけに国を限つて交通を致すと云ふ方法を講じたので、殆ど二百五六十年泰平の眠を貪つて居つた、玆に始めて前申す「コンモドル・ペルリ」が軍艦を将て長夜の夢を醒されたのでございますが即ち前申す驚愕が一方ならぬと云ふことは蓋し想像に足るであろうと思ひますので、其騒動に際して提督「ペルリ」が、日本を扶掖誘導したことは実に容易の艱難辛苦では無かつたらうと私共は存じます、其時分日本の外交の任に膺る人は海外の容子を存じませぬ、又一方には鎖港党と称へる一種の種類がございました、蓋し斯く申す渋沢なども其頃は矢張り其一人であつたと云ふことを、此に自白せざるを得ぬのでございます、内には左様の徒があつて外からは頻りに迫られ、其処措に甚だ苦むだでございますが、嘉永六年・安政元年両度の渡来に於て到頭和親の条約をば「コンモドル、ペルリ」の手に依て成立いたしました、是が最も日本の長夜の夢を亜米利加人の手に依つて醒して下すつたと云ふ記憶すべき事柄と私は存じますそれからして両三年を隔つて即ち安政の元年「タウンセント、ハルリス」君が下田に参りまして、終に此通商条約と云ふものゝ必要を説かれて、段々の談判で、其三年に通商条約が結ばれて、安政五年に真正なる条約が締結せられました、此間の又「ハルリス」君の此条約に付ての御骨折と云ふものは、殆ど談判を重ねること十五回に及んで居ります、以て其困難を証明するに足りまするのでございます、而して此「ハルリス」君が単り通商条約に付いて左様に苦心を下すつたのみならず、丁度千八百六十年、安政の六年でございました、其通訳官たる蘭人の「ヒユースデルト《(ヒユースケン)》」と云ふ御人が、日本の暴徒の為に殺害を受けましたけれども、「ハルリス」君は夫等の困難に出遭うても聊かも心を動さず、我日本の為に力を尽されたと云ふことは、政治家として左様の度量は始終具へゞきものとは思ひまするけれども、吾々は最も紀念いたさなければならぬことゝ感じますのでございます、続いて其翌年に品川東禅寺に一日英吉利公使の通過するとき暴徒の襲撃がございました、此時に駐在する各国の公使は、日本の有様を甚だ憂ひ且つ憤つて、東京に駐在することを止めて、皆横浜に引揚げた、然るに「ハルリス」君は決して是は政府が悪るいのでは無い、新しい国の開けて往く有様は斯る事柄は珍らしいとは申さぬ、是は政府の当局を責めるのは甚だ過酷である、私は決して其為に驚いて横浜に引揚ぐると云ふことは得致さぬと主張いたされて、到頭其公使館をば、動かずに仕舞ひましたのでございます、因て各国の公使も一旦横浜へ引揚げたのが追々東京へ戻つて来られると云ふ有様で、玆に始めて右様な暴徒の襲撃も、旧幕府が外国に対する甚だしき過怠とならずに畢りましたのは、詰り「ハルリス」君の御好意の然らしむる所と申して宜しいと思ひます(拍手)
 - 第25巻 p.572 -ページ画像 
爾来追々日本の総ての方面の事務が進むで参りまして、政治に軍事に通商に、外国の方々に見るべき点があると仰しやられるやうになりましたが、私は特に経済界の事情に付いて一言申上げまするが、維新以前の貿易は、殆ど此に記憶して申上げる程の価値はございませぬ、維新以後に付いて聊か統計を取つて申上げても、明治六年の亜米利加との貿易は如何であつたかと申しますと、僅かに五百何十万と云ふ金高しかございませぬ、後十五六年を経て明治二十年の貿易の有様は如何であるかと申しますると、是以て二千三百万しかございませぬ、然るに三十九年、即ち昨年の総計は殆ど二億に垂んと致して居ります、斯の如くに物質的進歩を致すを得ましたのも、丁度五十有余年以前、前に申上げた「コンモドル、ペルリ」「タウンセント、ハルリス」君の如き有為の合衆国の人々が我が野蛮を解き、我が不文明を開いて下すつたことから今日に至つたことと考へます独り私のみならず日本国民の総は、合衆国の一般の人々に対して皆悉く感謝して、此上も無い十分なる感情を以て御迎へ申して居ると申して………(拍手急霰)故に吾々が合衆国民を見ること、猶ほ我国民を見る如くに思ふて居りまするので(拍手)仰ぎ願くは「タフト」君閣下は、此使命を終られまして御帰国の後、吾々日本国民は斯様の感情を具へて居ると云ふことを、貴国の朝野の人々に普ねく御知らせ下すつて、吾国民が合衆国民を我国民同様に思ふ如く、夫れ程合衆国民も亦吾々日本の国民を同様と御看做し下さることを希望して已みませぬのでございます(拍手)此に平日の所懐を述べまして、閣下を歓迎の辞と致します(拍手)
と演べ、畢りて盃を挙げ「タフト」氏の健康を祝す、全員起立して之に同し、各復席するや、会員添田寿一氏右の演説を英訳せらる、次に「タフト」氏起ちて壮烈なる快弁を揮て左の答辞を演ぶ
  Baron Shibusawa,Mr.Mayor,Gentlemen of the Municipality and Chamber of Commerce, and other Distinguished Citizens of Tokyo:
  I beg to extend to you my heartfelt thanks and acknowledgments for this magnificent evidence of your hospitality and good will.It is a little more than two years ago since a large party,of whom I was one , was the recipient of a similar courtesy and attention in this very hotel at the hands of the then Prime Minister Count Katsura.So many were we then that I venture to compare our coming to the decent of a cloud of locust upon this devoted land.But you stood the onslaught nobly and your treatment of us is a bright memory, never to be effaced.At that time you were engaged in a titanic struggle with another great nation but the first traces of the dawn of peace were appeaning in the East. We Americans shall always feel proud of the part that Theodore Roosevelt with the prestige of the leadership of our people was able to play in hast
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ening the end of the war. Peace has come under circumstances honorable to both parties and Japan having proved her greatness in war as in peace has taken her stand in the first ranks of the family of nations. You have concluded new treaties with your former antagonist, of amity and commerce, and the wounds of war are healed.
  The growth of Japan from a hermit country to her present position in the last fifty years is the marvel of the world.In every step of that development, even at the very beginning, we Americans are proud to record the fact that Japan has always had the cordial sympathy and at times the effective aid of the United States. The names of Commodore Perry, of Townsend Harris, of John A. Bingham,of General Grant and Theodore Roosevelt will be inseparably connected with the history of the advance of Japan to the first rank among the world powers. But now for a moment, and for a moment only, a little cloud has come over the sunshine of the friendship of 50 years... a slight shock has been felt in the structure of amity and good will that has stood the test of half a century... how has it come about? well, in the first place, it took a tremendous manifestation of nature to bring it about. Only the greatest earthquake of the century could have caused even the slightest tremor between such friends. I do not intend to consider the details of the events in San Francisco I cannot trespass on the jurisdiction of the Department of State, of my colleague Mr. Root or of my friend Mr. O'Brien to discuss them. But this I can say-that there is nothing in these events of injustice that cannot be honorably and fully arranged by the ordinary diplomatic methods between the two governments conducted as they both are by statesmen of honor, sanity and justice, and representing as they do two peoples bound together by half a century of warm friendship.
  It is said that there is one word that is never allowed to creep into the diplomatic correspondence between nations, however hostile, and that word is "War". But I am not a diplomat and am not bound by diplomatic usage-I can talk of war- I am not one of those who hold that war is so frightful that nothing justifies a resort to it. We have not yet reached the millenium and there are international grievances that can be redressed, and just international purposes that can be accomplished in no other way. But as one of our great Generals has said,"War is Hell"and
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nothing but a great and unavoidable cause can justify it.
  War between Japan and the United States would be a crime against modern civilization. It would be as wicked as it would be insane. Neither the people of Japan nor the people of the United States desire war. The Governments of the two countries would strain every point to avoid such an awful catastrophe.
  What is Japan to gian by it? What has the United States to gain by it? Japan has reached a point in her history where she is looking forward with confident hope to great commercial conquests. She is shaking off the effects of war, and is straining every nerve for victories of peace. With the marvellous industry, intelligence and courage of her people there is nothing in trade, commerce and popular contentment and enlightment to which she may not attain. Why should she wish a war that would stop all this? She has undertaken with a legitimate interest in so close a neighbor to reform and rejuvinate an ancient kingdom that has been governed or misgoverned by fifteenth centry methods. His Majesty, the Emperor, has shown his appreciation of the difficulty of the past by sending to Korea Japan's greatest statesman, who has exhibited his patriotism by accepting the heavy burden when, by his years and his arduous labors for his country in the past, he has earned a right to rest. No matter what reports may come, no matter what criticism may be uttered, the world will have confidence that Prince Ito and the Japanese Government are pursuing a policy in Korea that will make for justice and civilization and the welfare of the backward people. We are living in an age when the intervention of a stronger nation in the affairs of a people unable to maintain a Government of law and order, to assist the latter to better government becomes a national duty and works for the progress of the worlds. Why should Japan wish a war that must stop or seriously delay the execution of her plans of reform in Korea?
  Why should the United States wish war? War would change her in a year or more into a military nation and her great resources would be wasted in a vast equipment that would serve no good purpose but to tempt her into warlike policies. In the last decade she has shown a material progress greater than the world has ever befere seen. To-day she is struggling with the abuses which accompany such material development and is engaged in an effort
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by process of law to retain the good for her people and to supress the evil. Why should she wish war in which all the evils of society flourish and on which all the vultures fatten?
  She is engaged in establishing a Government of law, order and prosperity in the Philipine Islands, and is fitting the people of those Islands, by general education and by actual practies in partial self-government, to govern themselves. It is a task full of difficulty and one which many Americans would be glad to be rid of. It has been suggested that we might relieve ourselves of this burden by the sale of the Islands to Japan or some other country. Japan dose not wish the Philippines. She has problems of a similar nature nearer home. But more than this, the United States could not sell the Islands to another Power without the grossest violation of its obligations to the Philippine people. It must maintain a government of law and order and the protection of life, liberty and property itself or fit the people of the Islands to do so and turn the Government over to them. No other course in honor is open to it.
  Under all these circumstances, then, could anything be more wicked and more infamous than the suggestion of war between nations who have enjoyed such a time honored friendship and who have nothing to fight for?
  "If this be true" some one asks,""why such reports and rumors of war?"
  The capacity of certain members of the modern press by headlines and sensational despatches to give rise to unfounded roports has grown with the improvement in communication betwen distant parts of the world. The desire to sell their papers, the desire for political reasons to embarrass an existing Government, and other even less justifiable motives have lead to misstatements misconstructions, unfounded guesses, all worked into terrifying headlines that have no foundation whatever. In each country, doubtless, there are irresponsible persons that war would aid or make prominent who try to give seriousness to such a discussion; but when one considers the real feelings of the two peoples as a whole, when one considers the situation from the standpoint of sanity and real patriotism for each country, it is difficult to characterize in polite or moderate language the conduct of those who are attempting to promote misunderstand
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ing and ill-feeling between the two countries.
  It gives me pleasure to assure the people of Japan that the good will of the American people towards Japan is as warm and cordial as it ever was, and the suggestion of a breach of the amicable relations between them finds no confirmation in the public opinion of the United States.
  It is exceedingly gratifying for me to have, as my companion in my visit to these shores, Mr.O'Brien, the new Ambassador to Japan from the United States. We have been friends for years. I am sure that you will find in Mr.O'Brien all that could be desired in one whose chief official duty it will be to preserve the friendship between our two countries.
  I have already referred to the enthusiastic welcome which was accorded our party of American Congressmen two years ago by the people of Japan. So great was the kindness of His Majesty the Emperor and the officers of the Government that we were overcome with our welcome. Coming now to this country for the fourth time, I am an old story, and am not entitled to any other welcome than that to be accorded an old friend who comes often. The distinction of being the Emperor's guest another time I do not deserve and I should feel it my duty to decline, enjoyable as the honor is, but for the fact that I know His Imperial Majesty graciously adopts this course not as a personal matter but to signify to the American people and Government the continuance of his friendship for the United States. It gives me the greatest pleasure and is a great honor for me to be able to bring a reciprocal message of good will from our President and our people.
右畢るや、更に会員の健康を祝する旨を攄べ盃を挙ぐ、而して此の演説は同氏接伴員たる伯爵寺島誠一郎氏通訳の労を執られたり、左に之を掲ぐ(速記)
 渋沢男爵・市長・市並に商業会議所に関係ある諸君、及び東京市の有力なる諸君、今夕は此盛大なる宴席を開かれて私を御招き下さいまして、之に対して私は深く感謝の意を表します、二年前吾々多数一緒に貴国に参りまして、此帝国ホテル、此場所で其当時の総理大臣桂伯より本夕と同様の盛大なる歓迎を受けましてございます、其節一行の者共甚だ多数でありまして、私は是を蟆子《ブト》の――蝗虫《ウンカ》のやうに群をなして貴国に襲来したと譬へたのであります、然るに貴国は其襲来を好く受けられまして、吾々は其時のことを帰国以来忘却することが出来ぬのであります、当時貴国は彼の一大強国と大なる戦闘をせられて居る際でありました、併ながらもう其当時は既に平
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和の曙光を確かに東の方に認め得ることを得たのであります、吾々亜米利加人として、我国の大統領の地位に在る所の「ルーズヴエルト」が此戦争の早く終を告げむが為に、平和の克復することに大に力を尽したと云ふことは、米国人一般の非常に自負する所であります、で、日本国並に露国、両国の為に甚だ平和なる、甚だ名誉ある有様の下に此平和の成立つたと云ふことは、実に喜ぶべきことであるのでございます、其平和を復した暁に、貴日本国は世界強国の問に一大地位を占むることになられたのであります、孤棲の地位からして今日の如く貴国が進歩せられたと云ふことは、実に世界一般の大に驚いて居る所であります、併し其進歩をして来られるに付ましては、色々の時期を経られて今日に到著せられたのであります、其各時期に於て初めからして吾々米国人は、貴国の為に始終同情を有つて居つたと云ふことゝ、且つ或場合に於ては他より一歩進むで実質的に補助を貴国に与へたと云ふことは、是亦米国人の自負する所であります、それで彼の「ペルリ」提督、「タウンセント・ハルリス」、「ビンカム・グラント」並に当大統領「ルーズヴエルト」等の名は貴国の歴史と密著なる関係を有つて居るのであつて、今日世界の最も立派なる、最も強国の立派なる地位を貴国が得られたと云ふことゝ密接なる関係を有つて、決して離るべからざるところ忘れ得べからざる所の間であるのであります、併し此頃不幸にして五十年間離るべからざる密接なる厚誼を結んで居る其間に聊か一点の雲が来たのであります、即ち友情好意を以て正義として成立つて居る一の建物の間に其建物は如何なる場合に於ても故障を生じたことは無い一種の建物に少し罅が入つて来ました、如何にして此罅なるものは起つたのでありませう、第一是は人力では無く、自然の恐ろしき出来事があつたからであります、即ち此一世紀間に見ることの出来ない所の大なる地震があつた為に、斯の如き密著なる関係を有つて居る友国の間に微動を生じたのでございます、私は今日は桑港に起つた詳細の出来事を御話申す積では無いのであります、で、我が国務省の主管事務の下に我が同僚と「ルート・オブライアン」氏の有して居らるゝ事件、論ずべきことを私が此所で論ずることではありませぬ、併し是は不正の出来事であるのでございます、此不正当なる出来事は名誉ある、健全なる、且つ公平なる政治家、其政治家諸君、此両国間に現存して居る所の実に温き交情を代表せられて居る其政治家の方々に依て、両国の間に通常の外交手続を以て、両国に名誉ある、且つ十分満足を与へるやうに、総ての事柄が処理せらるると云ふことは、私が思ひ切て申されるのであります、如何に敵意を有つて居りまする国と国との間に於きましても、其外交文書中に決して記入することは出来ない文字があるのであります、其文字は何かと言へば、戦と云ふ字であります、併しながら私は外交官ではございませぬ、故に外交の紐環に依て自分は束縛せられて居らぬのであります、でございまするが、私は戦と云ふことを悲むのでございます、人に依りますると、如何なる事柄が両国の間に起つたにせよ、其事の為に戦ふと云ふことは甚だ恐ろしいことであつて、絶対
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的に戦をしてはならぬと云ふ者があります、それを言ふが如きものでは無いのでございます、それで理想的の泰平の世にはまだ達して居らぬのであつて、国際間の紛議の性質如何に依りましては、戦ひに依らなければ解決し得ざるものがあるのでございます、又正当なる国際間の目的を他の方法に依ては達し得ることは出来ないこともあるのであります、併ながら我米国の一将軍が曾て言へることがあります「戦は邪悪である」と、さうして此戦ひを起す為には、是を「ジヤスト、バイ《(ジヤステイフアイ)》」する所の大なる、且つ済ふべからざる所の理由が無くてはならぬのであります、日本と北米合衆国との間の戦争は私の見る所を以てしますれば、近代の文明に対しての一大犯罪であるのであります、狂乱にして又罪悪なるものであります、日本国民及米国――合衆国民は決して戦ひを望まぬのであります、両国政府は又総ての点に於て力を尽して此の恐ろしき災害を避けるべく努めて居るのであります、日本は戦ひをして何の利する所があるや、又米合衆国も戦ひをして如何なる利益を得るのであるか、日本は今日自ら深く信じて、一大商業上勝利を獲得することに力めなければならぬ歴史上の時節に到来して居るのであります、戦ひの創痍を癒し全力を尽して平和の情態より生ずる所の利益を得ることに勉めて居るのであります、で、貴国人民は驚くべき工業の発達、軍事の発達及勇悍なる性質を備へて居られる、若し商業・貿易・一般社会の進歩及開発に努められますれば、何物にしても得られぬものは無いのであります、で、是等の総ての物を眼の前に備へて居りながら、それを総て阻碍する所の戦ひを如何なる理由を以て起されるでありませう、殊に貴国の実に接近して居る所の一国――千五百年来悪政の行はれて居つた一旧帝国を改善し、且つ刷新する所の義務を持たれて居るのである、貴国の至尊 天皇陛下に於かせられても、此事業の如何に困難であるかと云ふことを諒知せられて、貴国の最も大なる政治家を韓国に派出せられたのであります、で、伊藤公爵は既に其齢は随分進むで居られ、且つ今日まで既往に国家の為に尽瘁せられた諸種の事業に鑑みて、十分休養されて宜いのにも拘らず、重大なる責任を果し得る為に韓国に往かれたと云ふことは、我輩等の称讚して措かない所であります、で、如何なる報知が諸方面より来るにせよ、如何なる批評が耳に入ることにせよ、世界は伊藤公爵並に日本政府の韓国に於て時代遅れの韓国民をば改善して之を文明に導き、是に進歩を与へる為に、立派なる政策を履行しつゝあるのであると云ふことは、世界各国の信ずる所であります、即ち自ら正当なる政府、強い秩序ある政府を維持することに不適当である国民の事業を、一強国が善良なる目的を以て之に干渉すると云ふことは、其国の義務であると云ふことは、今日は世の中に皆認められて居る事柄であります、斯の如き情態であるのに、何が故に貴国は是等の韓国に於ける諸種の改善と、事業の遂行に努められて居る際に、是をば阻碍し又遅延せしむる所の戦争を望まれるのでありませう、又北米合衆国も何が故に戦争を希望するでありませう、若し北米合衆国に於て戦争をすると云ふことになりますれば、一・二年を経たずし
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て「ミリタリーネーシヨン」となつて仕舞ふのてあります――軍人国となつて仕舞ふのであります、それで北米合衆国の有して居る大なる無限の財源――唯だ貴国と戦争をしてそれが為に何か得る所があろうかと云ふ目的の為に、立派なる無限の財源を抛棄されることになつて仕舞ふのであります、近年北米合衆国の物質的の進歩は、世界各国に於て見ることを得ざる程であるのであります、今日北米合衆国に於ては、斯の如き物質的進歩に伴ふ所の色々の弊害の模様に対して、之を除かんが為に大に奮闘して居る、即ち今日の情態の下に存して居る所の善良なるものを保持して、最大の弊因となるべきものを総て避くる為に奮闘して居るのであります、であるのに北米合衆国は又何が故に戦ひを望むでありませう、即ち戦ひになれば社会の総ての罪悪は此に集りまして、終に拯ふべからざることになるのであります
 で、「非律賓アイランド」に於きましては、規律ある秩序ある、且つ非律賓の繁栄を来さんが為に政府を打建てつゝあるので、其島民に教へて、或時節が到来しますれば自治の制度を布き得るやうに尽力して居るのであります、其事業は亦甚だ困難なる事業でありまして或る亜米利加人の如きは、北米合衆国をして此事業を抛棄せしめんと希望する者もあるのであります、又或る者は斯の如き事業を亜米利加の手より放して仕舞はんが為に、非律賓島を、日本或は其他の国に売却せんと欲する者もありと云ふことの噂がある、併し此噂の如きは実に取るに足らざることであります、即ち日本は非律賓を希望して居らぬのであります、日本国は近くに是と同様なる性質の問題を控へて居るのであります、また夫れのみならず、更に米国は非律賓島民に対する重大なる責務に背くことになりますから、他の国に此非律賓を売ると云ふことは出来ないのであります、米国の義務は規律ある、秩序ある、立派なる政府を非律賓に打建てなければならぬのであります、即ち斯くして始めて北米合衆国の名誉を全うすることが出来るのであります
 で、前申上げました通り、斯の如き情態の下に善良なる友誼を持続して居り、又戦ふ為に何等の理由も現存して居らぬ此両国間に、戦ひを云々するが如きは実に悪逆の甚しきものであります、然るときには或人は夫れでは何故に戦ひと云ふ噂があるのでありませう、又戦を報知するものがあるのでありませう、で、今日新聞事業の発達に鑑みまして、世界の非常に隔離したる地点から通信することの容易くなつたが故に、自分の新聞紙を余計売らんが為に、或は又現今成立して居る所の政府の事業を阻碍せんとする政治上の理由を有つて居るが為に、其他又種々の理由のあるが為に、斯の如き訛伝、誤解又理由無き推測を下すのであります、是等のことを弄ぶ者に対しては、実に如何なる言葉を以て是等を責めて宜いやら甚だ苦むのである、今日私は北米合衆国民の貴国人民に対する感情は、甚だ好意を有つて居ると云ふことと、それから今日まで成立つて来た如くに同じく実に深厚なるものであると云ふことを、日本国民に保証することを得るのは甚だ愉快とする所であります(拍手)今日此席に日
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本に来られたる新大使「オブライアン」氏を見ることを得るは、甚だ喜ばしいことである、私は「オブライアン」氏とは親好深きものであります、年来の知己であります、諸君よ、此「オブライアン」氏たる人は我両国間に存在して居る所の、今日の好誼を保持して往く為に責任を尽されると云ふことは、私が諸君に保証する所であります、で、私は既に申上げた通り、二年前に此所に出まして、 天皇陛下より非常なる厚遇を受け、並に政府の諸氏及び国民より鄭重なる待遇を受けたのでありまして、是を再びし、三たびするのは甚だ相済まぬ話である、今般来朝の際は御断りしなければならぬと自分は感じて居るのであります、併しながら恐れ多くも 天皇陛下が私に対して斯の如く鄭重なる接遇を与へられると云ふのは、私一個の自身に対してなさることで無くして、即ち斯くして米国々民並に政府と、日本国民並に日本政府との間に、現存して居る所の交情の益々厚くなるものであると云ふことを発表せられる意味のあると云ふことを、自分は感じて居るのであります(大喝采)今日私は此盛んなる宴席に於きまして、米国大統領並に米国々民より厚意の使命を此に果たすことの出来ましたのは、甚だ大なる光栄と信ずる所であります(拍手)
以上主客の演説は、孰れも非常に熱心を以て、満堂の傾聴する所となり、多大の感動を与へたり、夫れより尚賓主互に相歓語・談笑し、靄靄たる和気堂の内外に充溢せり、一同宴を撤して退散したるは十時三十分
    (六)献立
当日の献立左の如し
                   Menu

               Hors-d'æuvre varie
              Consommea la Printanier
             Darne de Saumon sauce Crevettes
            Aloyau de Boeuf a la Tardiniere
            Aspic de Fois Gras en belle-vue
                Punch aux Champagne
              Asperges sauce vinaigrettes
              Poulet de grain aux truffee
               Salade a l'Americaine
                 Glace Panachee
                 Fruits Dessert
                   Mocca.
    (七)奏楽
当日の奏楽曲目左の如し
          Programme of Music.
 1. The Stars and Stripes Forever March. Sousa.
 2. America Ouverture an National Airs. Moses.
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 3. Grande Fantasie aus der Oper Carmen Bizet.
 4. Les Cloches de Corneville Valse. Planquette.
 5. Grande Fantaisie sur Faust. Gounod.
 6. Donauweibchen Walzer. Strauss.
 7. Galop du Chemin de Fer. Ernest Boue.
    (八)接待
当日は会員各自接待の労を執られし外、市の助役河田烋氏、市参事会員中鉢美明・渡瀬寅次郎・丸山名政・竹村良貞の諸氏並尾崎市長・令夫人等出席、接待方尽力せられたり、尚外務大臣秘書官吉田要作氏の一方ならざる斡旋を得て、諸事好都合に終れり、玆に附記して其の労を謹謝す
    (九)寄附者へ挨拶
本会経費不足補充の為め寄贈せられたる方々に対しては、左の挨拶状を送りて謝意を表せり
 拝啓、先般開催せし米国陸軍卿タフト氏歓迎晩餐会に関し、費用不足の為め御寄附相仰ぎ候処、早速御承諾の上金 円御寄贈被成下候段、不堪感謝候、何れ精算次第詳細御報道可申上候へ共、不取敢御挨拶申述度如此に御座候 敬具
  明治四十年 月 日
                    有志総代
                      尾崎行雄
                      中野武営
                   男爵 渋沢栄一
            宛
      (十)収支精算
     収入
 一金四千四百円
   内訳
  金五百円          東京市出金
  金壱千七百円        会費
  金弐千弐百円        寄附金
     支出
 一金参千七百拾円
   内訳
  金壱千円          会場装飾費
  金弐千参百弐拾円五拾銭   接待費
  金参拾参円四拾銭      楽隊費
  金弐拾円弐拾銭       新橋停車場前装飾費
  金参拾九円五拾弐銭     通信及印刷費
  金百八拾四円七拾弐銭    報酬及雑費
  金百拾壱円六拾六銭     報告書及残務費
   差引残金
 金六百九拾円
右の如く収支差引残金を生じたるに依り、寄附者の意志に基き東京市
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に保管を依託し、他日の準備金に充つることゝ為せり、而して本件に関しては十月十五日の有志会合に於て、収支に関する認定と同時に予め之を決議したり


東京経済雑誌 第五六巻第一四〇八号・第六三五―六三六頁 明治四〇年一〇月五日 米国陸相タフト氏の来朝と歓迎(DK250046k-0003)
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東京経済雑誌  第五六巻第一四〇八号・第六三五―六三六頁 明治四〇年一〇月五日
    米国陸相タフト氏の来朝と歓迎
次期大統領候補者として、内外の望を双肩に担へる米国陸相タフト氏は、去る廿八日横浜入港のミネソタ号にて来朝し、同日入京、畏き辺の思召を以て氏の旅館に充てられたる芝離宮に入れり、氏が今回の来朝は、我邦に対し何等の使命を帯び来れるにはあらず、単に比律賓議会に臨場の途次立寄りたるに過ぎざるが如くなれども、過般山本大将が米国に遊ぶや、一言以て彼我の間に蟠まれる陰雲を一掃し去りしと均しく、氏が来遊は慥かに日米間の友情を温むるの一大連鎖たらずんばあらず、左れば東京市民は率先して去る三十日氏の一行を帝国ホテルに招待し一大歓迎会を開きたり、列する処の人士は井上・松方の両元老を始め内外の紳士淑女百五十余名、花の如く飾られたる会場は当代の名士を迎ふるに於て些の遺憾なかりき、宴は午後七時三十分を以て開かれ、食事全く終りて後、渋沢男爵は左の挨拶を述べたり
   ○挨拶要旨略ス。
渋沢男の挨拶了るや、当日の主賓タフト氏は流暢の弁を振て一大演説を試みたるが、その要領左の如し
   ○演説要旨略ス。
右演説は拍手を以て迎へられ、大喝采の裡に局を結び、之にて全く終りを告げたり、尚ほ寺内陸軍大臣夫妻の催しに係る歓迎会も去る一日小石川後楽園にて開かれ、其他所々の歓迎会に招待されたるも、滞京時日の少なかりし為め多くは之を謝絶するの已むを得ざるに出でたるは、蓋し氏に於ては遺憾とせし所なるべし、タフト氏今回の来朝により、日米両国の交誼依然として旧の如くなるを示されたるは、吾人国民の最も多とする所なり


竜門雑誌 第二三三号・第三九頁 明治四〇年一〇月 ○タフト卿歓迎会(DK250046k-0004)
第25巻 p.582 ページ画像

竜門雑誌  第二三三号・第三九頁 明治四〇年一〇月
○タフト卿歓迎会 東京市及実業家の共同開催に係る米国陸軍卿タフト氏の歓迎宴会は、九月三十日午後七時より帝国「ホテル」に於て開会せられしが、当夜は朝野の紳士百六十余名の出席あり、宴席に於て青淵先生はタフト夫人を右に、オブライエン大使夫人を左にして主人席に着き、タフト卿は尾崎夫人を右に、男爵夫人を左にして主賓席に着き、宴酣にして先生の発声にて米国大統領の健康を祝し、次にタフト卿の発声にて我 天皇陛下の万歳を唱え、右終て先生は再ひ起て左の如き一場の演説を為し、次にタフト卿の演説あり、右にて宴を撤し別室に於て主客交々談笑に時を移したる後散会せり
   ○演説略ス。


東京経済雑誌 第五六巻第一四〇八号・第六三七頁 明治四〇年一〇月五日 ○タフト氏の退京(DK250046k-0005)
第25巻 p.582-583 ページ画像

東京経済雑誌  第五六巻第一四〇八号・第六三七頁 明治四〇年一〇月五日
    ○タフト氏の退京
 - 第25巻 p.583 -ページ画像 
去る廿八日入京したる米国陸相タフト氏は、本月二日午後六時十五分新橋発汽車にて京都に赴きたるが、翌三日同地に於ける御所及び二条離宮を拝観の上、神戸に直行、同夜ミネソタ号に搭乗して比律賓に向へり


(八十島親徳) 日録 明治四〇年(DK250046k-0006)
第25巻 p.583 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治四〇年   (八十島親義氏所蔵)
九月三十日 晴
例刻出勤、今夜帝国ホテルニテタフト陸軍卿一行ノ歓迎宴アリ、尾崎市長ト中野商業会議所会頭ト渋沢男トノ発起ニテ、主人側ハ六十余名也、相客ハ元老・大臣・大使館員等ナリ、装飾ニ弐千余円ヲ費シ近来稀有ト称ス、男爵演説ノ円満、タフト精悍ノ風采、露骨ノ言辞、ヨキコントラストナリ、宴中隣近五二会館全焼、近来ノ大火也、幸ホテルハ事無キヲ得タリ、而シテ宴席殊ニ賓客ヘハ辛フジテ火災ヲ知ラセズニ済ミタルハ、委員ノ大苦心ナリキ



〔参考〕日米交渉五十年史 大日本文明協会編 第四八三―四八四頁 明治四二年五月刊(DK250046k-0007)
第25巻 p.583 ページ画像

日米交渉五十年史 大日本文明協会編  第四八三―四八四頁 明治四二年五月刊
 ○第十章日米の協調
    第一節 タフト陸軍卿の来遊
桑港学童問題に次いで邦人迫害事件の起るあり、日米五十年来の親交の歴史、動々もすれば危殆に陥らむとす、米国政府が之を観て頗る苦慮したるは勿論なるが、我政府とても其苦心は決して米政府に譲らざりき。何となれば政府反対党は之を以て攻撃の材料となさむとし、公正なる政論家も亦当局者の処置如何を監視して怠りなければなり。而して駐米大使として其衝に当れる青木子爵の態度は、内外に於ける邦人の満足を買ひ得ざるのみならず、政府の当局者も窃に其適任にあらざることを感じたるものゝ如し。是に於て我政府は曩に伏見宮貞@親王に扈従して英廷に使したる海軍大将男爵山本権兵衛をして、其帰途親王に別れて米国に過ぎらしめたり。山本大将は四十年七月米国に達し、大統領ルーズヴェルトをその避暑地なるオイスター湾の別墅に訪ひ、胸襟を披きて日米国交の親善なる干繋を回復せむとて良々久しく款語する所あり。その新聞記者を引見するに方りても、先づ日米交情を密ならしむるに力むべきを誓はしめて後、其所見を披陳するなど頗る注意する所ありし為め従来種々の臆説蜚語によりて聊か日本の心事に疑念を懐きたる米国人も稍々覚る所あり。男の滞米日数は極めて短かりしも、其国交上に及ぼせる効果は疑ふべくもあらざるなり。
山本男爵の帰国後、幾許ならずして米国陸軍卿として隆々の声名あり次期の大統領候補者に擬せられたるタフトは、夫人同伴にて比律賓議会臨場の途次、九月二十八日を以て横浜に入港し、即日入京したるが畏き辺の思召を以て芝離宮を以て其旅館に充てられたり。蓋し山本男の訪問に対し、日米国交の融和を計らむが為めなることは公然の秘密と云ふべし。 ○下略



〔参考〕渋沢栄一書翰案 ウヰリアム・ハーワード・タフト宛 (昭和三年三月二六日)(DK250046k-0008)
第25巻 p.583-584 ページ画像

渋沢栄一書翰案  ウヰリアム・ハーワード・タフト宛 (昭和三年三月二六日)
                    (渋沢子爵家所蔵)
 - 第25巻 p.584 -ページ画像 
    案
華府                    三月廿二日一覧《(栄一筆)》
合衆国大審院
院長 ウヰリアム・ハーワード・タフト 殿
                    東京
                      渋沢栄一
拝復、益御清適奉賀候、然ば比律賓総督ヘンリー・エル・ステイムソン氏御紹介の貴書は、先月二十日外務省に於ける外務大臣主催同氏歓迎午餐会の際受領拝見致候、当日は平素懇親を忝う致居る米国大使マクヴエー氏列席し居られ候を以て、同大使の斡旋により通訳を通じてステイムソン氏と暫時対談仕候ひしも、時間に限ありし為め緩る緩る懇談致兼候は頗る遺憾とする所に有之候
今回久々にて尊書に接し懐旧の情禁じ難きもの有之候、老生は貴台が比律賓群島最初の総督として御赴任の途上、我邦を御訪問相成候節御旅情を御慰め申上度と存じ、故伊藤公其他の友人等と相計り一夕御歓迎の宴を芝紅葉館に催ほし、老生主人側を代表して一場の御挨拶を申上ぐる光栄を担ひ候事を鮮かに記憶致居候、当夜の催は甚だ唐突の企図なりし為め、準備甚だ不行届にして貧弱なる会合なりし事を陳謝致候処、貴台の御答辞中に、今夕の主人公は実業界の重鎮たる渋沢にして主賓は比律賓の総督タフト、又陪賓としては大政治家伊藤公の列席せらるゝ此会合を、貧弱と言はるゝは渋沢の謙遜なる言葉とは申しながら、予の首肯し能はざる所なりとの御言葉有之、大に恐縮致候事を記憶致居り候、越えて一九〇九年老生日本渡米実業団一行と共にミネアポリス市を訪問致せし際、貴台にはミネトンカ湖畔に御避暑中の由にて、我等一行をラフアエツト倶楽部に御寵招被下候節、渋沢は旧知の間柄なれば別に紹介を要せず、中野氏も大谷氏も然りなどゝ仰せられ極めて慇懃に老生等を御接遇被下候御記憶と御懇情とは、殆んど二十年後の今日尚ほ昨日の如く目前に髣髴致居候、更に又一九二一年華府に於ける軍縮会議の際、貴台を御官邸に御訪問申上候処、親しく御会見の栄を賜はり、御別れの節は恰も慈母の愛児を扱ふが如き御態度を以て、態々老生を自動車まで御見送り被下候御芳情は深く感銘致居候尊書拝読と共に湧き起る往事を追懐のまゝ記して貴答に換へ申候
尚ほ貴台には、已に古稀の御高齢に達せられ候にも拘らず御壮健にて大審院長の御要職に被為在候由、真に慶賀の至りに存候、老生は先月十三日を以て八十八歳と相成り、頽齢には候得共、健康の許す限り奉公の任務を全う致度き希望にて活動致居候間、乍他事御省念被下度候
                            敬具
   ○右書英訳文ハ昭和三年三月二十六日附ニテ発送セラレタリ。