デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

3章 道徳・宗教
2節 神社
3款 富岡八幡神社修補会
■綱文

第26巻 p.52-54(DK260013k) ページ画像

明治36年7月9日(1903年)

是日栄一、東京市深川区富岡町府社富岡八幡神社修補会会長ト為リ、其修補ニ尽力ス。


■資料

青淵先生公私履歴台帳(DK260013k-0001)
第26巻 p.52 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳           (渋沢子爵家所蔵)
    民間略歴(明治二十五年以後)
一富岡八幡宮修保会会長 卅六年七月九日 四十二年六月六日辞任


府社富岡八幡神社社務所報告(DK260013k-0002)
第26巻 p.52 ページ画像

府社富岡八幡神社社務所報告      (財団法人竜門社所蔵)
当神社大修繕ノ目的ヲ以テ明治三十六年富岡八幡宮修保会ヲ設立シ百ケ町ノ氏子ニ於テ故渋沢青淵先生ヲ会長ニ推戴シタリキ、先生ハ敬神崇祖ノ念頗厚ク、且当時先生ノ本籍ガ深川区内当社氏子地福住町ニ在リ、縁由浅カラザルヲ以テ快諾就任セラレタリキ、爾来会務円満ニ進捗シ、氏子及崇敬者ノ寄附金其他極メテ順調ニ運ビ、工事ノ設計監督ヲ辰野葛西事務所ニ嘱託シ、予定ノ如ク完成シタルヲ以テ四十四年九月十二日正遷座ノ式典ヲ挙ゲ、引続キ十六日迄奉祝臨時大祭例大祭ヲ盛大ニ執行スルニ至リタリキ、而シテ先生ガ中途会長ヲ辞任セラレシハ渡米ニ由リシモノナリト信ズ
 追記、富岡八幡宮修保会ニ関スル書類ハ、大正十二年九月大震災ニ罹リテ悉皆焼失シタリシハ、洵ニ遺憾ノ事ナリトス
  昭和九年十二月廿五日
           東京市深川区富岡町一丁目三十一番地一
   ○修保会ハ修補会ノ誤リ。(富岡宣永氏ノ談)


渋沢栄一 日記 明治三六年(DK260013k-0003)
第26巻 p.52 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三六年     (渋沢子爵家所蔵)
十一月七日 曇
○上略 八十島親徳来リ ○午前十時以前富岡八幡社ノ事ニ関スル会則ノ修正ヲ托ス ○下略


竜門雑誌 第二七一号・第五七頁 明治四三年一二月 ○深川八幡宮の修補工事竣成(DK260013k-0004)
第26巻 p.52 ページ画像

竜門雑誌  第二七一号・第五七頁 明治四三年一二月
○深川八幡宮の修補工事竣成 深川八幡宮の氏子一同は、先年同社修繕の目的にて修補会と云ふを組織し青淵先生会長となり、七万余円の金を募集して起工し、本工事は辰野事務所の手に竣成し、尚請塗工事は本年一月中宮内省御用請塗師小西喜一郎氏が引受け僅か十一ケ月にして此程全部工事を了へたりといふ


竜門雑誌 第二七八号・第四五頁 明治四四年七月 ○深川八幡宮の社殿竣工と遷宮式(DK260013k-0005)
第26巻 p.52-53 ページ画像

竜門雑誌  第二七八号・第四五頁 明治四四年七月
○深川八幡宮の社殿竣工と遷宮式 深川公園内八幡神社は、寛永年間時の真宗永代寺住職が太田道潅の守本尊たりし八幡宮を奉迎建立せしものにして、現今の堂宇は貞亨四年の造営に成り、安政元年一度修繕
 - 第26巻 p.53 -ページ画像 
されたるまゝ太く荒廃に委したるより、去る三十六年頃之れが大修築の議起り、青淵先生会長の下に修保会なるもの起り、四十一年辰野工学博士・笠井学士設計監督の下に工事に着手し、昨今殆んど竣工して僅に二間半に二間の神楽堂約三十坪と御供所を剰すのみとなりたるが今回竣工せる拝殿は間口九間・奥行三間・棟の高さ三間、御幣殿は間口三間に奥行六間、本殿は間口三間半・奥行二間半の極彩色殿堂造にして、全部朱漆塗とし、処々に金銅金具にて装飾し、天井は赤地極彩色の花鳥の絵、欄干は銀地に花鳥の絵又は極彩色花鳥の彫刻を附し又扉・柱及本殿は全部金箔塗り、屋根は赤銅葺にて結構華美壮厳を極め之に要せし費用は約拾万円なりと云へるが、八月中迄には全部竣工を告げ且つ内部の装飾をも了る筈にて、九月十二日より十六日まで盛んなる遷宮式を施行する予定なり。


富岡宣永氏談話筆記(DK260013k-0006)
第26巻 p.53 ページ画像

富岡宣永氏談話筆記          (財団法人竜門社所蔵)
          昭和十二年六月二日 於深川富岡八幡神社
          社務所応接室 本資料編纂員 松平孝聴取
    府社富岡八幡神社修補会に就て
 氏子総代の推薦に依り、五木田治郎吉が先生に会長となられるやうにお頼みした処心良くお受け下さり、此の会が出来たのです。会長推薦の式は氏子総代及び私共社務所当事者が参列して、明治三十六年七月九日に深川区役所楼上に挙行しました。会の役員は子爵が会長となられてから会長の名に於て嘱託したものです。相談会其の他の役員会は総て私どもの社務所を使用し、先生は大抵出席されて議長となり、屡々意見を出され会則案も修正されました。然しどんな意見を出されたかは只今記憶致しません。唯工事は特に辰野金吾氏へと言はれたのは覚えて居ります。工事成つて遷座式の時は夜分でもあつた為か出席なさいませんでした。寄附は確か壱千円であつたと思ひます。尚時の副会長は中沢彦吉氏でした。余り古い事なので記憶も少く、且つ明瞭を欠き剰へ断片に過ぎるので資料とはならないでせうが、只今では之位しか覚えてをりませんので御参考迄に申上げた次第です。
兎に角震災で書類を全部焼失してるのは残念に堪えません。



〔参考〕渋沢栄一 日記 明治三六年(DK260013k-0007)
第26巻 p.53 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三六年     (渋沢子爵家所蔵)
七月九日 大雨
午前八時朝飧ヲ畢リ、病既ニ愈ルヲ以テ出勤セントスルモ、風雨ノ為外出ヲ見合ハス



〔参考〕五木田治郎吉氏談話筆記(DK260013k-0008)
第26巻 p.53-54 ページ画像

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