デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

3章 道徳・宗教
5節 修養団体
1款 竜門社
■綱文

第26巻 p.231-236(DK260045k) ページ画像

明治31年4月17日(1898年)

是日栄一、当社第二十回春季総集会ニ出席シ、渡韓ノ挨拶ヲ兼ネテ「韓国ノ経済的観察」ト題スル演説ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第一一九号・第三八―四〇頁 明治三一年四月 ○第二十回春季総集会(DK260045k-0001)
第26巻 p.231-232 ページ画像

竜門雑誌  第一一九号・第三八―四〇頁 明治三一年四月
    ○第二十回春季総集会
春風駘蕩、満都花ならざるなく、東台墨堤人花に狂し、今日一日を措てはまた来ん春を待つの外なかるべき四月十七日は、我竜門社の第二十回春季総集会と定められ、例に依り会場は王子曖依村荘なりし、是より先青淵先生は四月十二日頃を以て先年来企てられし朝鮮漫遊の途に上る予定なりしも、都合に依り延引せられたる為め幸に総会に臨席せらるべしとのことなりしより、当日は来会者殊に多く、加之準備委員の苦心したる前夜来の天候も、十七日は頓に回復し近来の好天気にて、凡てのこと都合善く運びたるは本社の為め賀する所なりし
やかて十時ともなれば、上野の汽車に送られ王子に着きし会員の三々伍々飛鳥山を繞り、霏々たる花片に顔を打たれ、雪と紛ふ落花を踏みて来会せられたる人員三百と註せられぬ、十一時開会、先つ渋沢社長開会の挨拶あり、会員一同に代り謹て青淵先生の朝鮮行を送り、隣邦
 - 第26巻 p.232 -ページ画像 
とは云へ風土の変化もあることなれば健康を害はせられざらんことを祈り、且海陸の旅程も安全に経過し可成速に帰朝あらんことを希望すとの旨を陳べ、本誌の件に関し(社告参照)会員諸君に告ぐる所ありたり、次で田口卯吉氏選挙法を改革し都市の代表者即ち商工業者より多数の代議士を選挙せざるべからざること及清国現時の疲癆に同情を表し、之れが救済には先つ中央銀行を設立するの必要なるを説き、次に坪井正五郎氏は得意の人類学を講し、芝公園丸山古墳より採掘の遺物等を示され、最後に青淵先生より朝鮮行に就ての挨拶あり、先年来銀行の約束に依り本年は是非在韓支店の巡回を要するとのことより、愈々益々多事なる我経済界と暫く相隔たるの不已得に至れり、従て今回の旅行は至て単純なる無意味の漫遊的旅行なれども朝鮮の経済上の観察は怠らざる考なりとて、本邦従来の対韓政策及将来の希望を陳べ其希望の果して朝鮮の事情に適合せるものなるや否は、渡航の上実情を視察したる後、今日の所信が誤りなるやを確め、更に会員諸君と共に攻究すべしと説き終て閉会し、午餉の用意あり、園遊会に移れり
邸園は今回の総会の終るを待つて改築工事に着手すべきを以て、今後数年の間は会員諸君の会合に充つる能はざるならん、最も都に近く最も都塵を脱したる幽邃閑雅なる是の園内にビーアを傾け、おでんを立食し、右手に酒盃を挙げ、左手にだんごを勧めらるゝ最も快活なる曖依村荘の園遊会は暫く中断せらるべきを知らば、会員諸君は残り惜しかりしなるべし、例に依り天ぷら屋・すし屋・おでんかん酒、扨てはだんご・甘酒・菓子屋等適宜に陣取り、何れも劣らぬ繁昌に目も廻はすべき忙はしさ見つゝ、揚たての天ぷらに、すしやの店先に、待遠うそうなる羽織袴の御客様、高帽洋服の姿共に異様の配合なるは今更珍らしからぬことなるべく、橘之助・円右・円左・円三郎等の落語に、音曲に、茶番に、何れも興を添へ歓を尽して午後三時頃より思ひ思ひに退散せられたり、当日主なる来会者は左の如し
 橋本悌三郎・布施藤平・本山七郎兵衛・福岡健良・坪井正五郎・正田次郎・安達憲忠・田口卯吉・穂積陳重・阪谷芳郎・桃井可雄・長田真吉・八巻道成・谷敬三・鈴木恒吉・土居修策・早速鎮蔵・山際霜吾・曾和嘉一郎・坂倉清四郎・上原豊吉・尾高幸五郎・山口荘吉植村金吾・新居良助・青木直治・原林之助・南直助・朝山義六・細谷和助・平田譲衛・斎藤元明《(マヽ)》・猿渡常安・柏木嘉一郎・浅野惣一郎井上金次郎・清水泰吉・朝倉外茂鉄・成瀬隆蔵・西園寺亀次郎・佐佐木慎思郎・佐々木勇之助・三俣盛一・大倉喜八郎(来会順)


竜門雑誌 第一二〇号・第五四頁 明治三一年五月 ○寄贈者諸君に鳴謝す(DK260045k-0002)
第26巻 p.232-233 ページ画像

竜門雑誌  第一二〇号・第五四頁 明治三一年五月
○寄贈者諸君に鳴謝す 去月春季総集会開会の節、左の諸君より各金員及物品を寄贈せられたるは本社の特に鳴謝する所なり、即ち玆に謹て謝意を表す
  一金三百円            青淵先生
  一金七円             同令夫人
  一金弐拾円            渋沢篤二君
  一金五円             同令夫人
 - 第26巻 p.233 -ページ画像 
  一金弐拾円            大橋新太郎君
  一金拾円             浅野総一郎君
  一金五円             穂積陳重君
  一金参円             同令夫人
  一金五円             阪谷芳郎君
  一金参円             同令夫人
  一金五円             佐々木勇之助君
  一金五円             谷敬三君
  一金五円             笹瀬元明君
  一金五円             福岡健良君
  一金五円             谷崎安太郎君
  一金五円             三俣盛一君
  一金参円             竹田政智君
  一金参円             西脇長太郎君
  一金参円             猿渡常安君
  一金参円             山口荘吉君
  一金弐円             浦田治平君
  一金弐円             尾高幸五郎君
  一金弐円             山中譲三君
  一金弐円             新居良助君
  一金弐円             荒木民三郎君
  一金弐円             斎藤平太郎君
  一金弐円             鈴木金平君
  一札幌麦酒四打          札幌麦酒会社 植村金吾君
  一同二打             鈴木恒吉君
  一麦酒一打            在三井銀行 本社々員諸君


竜門雑誌 第一二〇号・第一―四頁 明治三一年五月 ○韓国の経済的観察(青淵先生)(DK260045k-0003)
第26巻 p.233-235 ページ画像

竜門雑誌  第一二〇号・第一―四頁 明治三一年五月
    ○韓国の経済的観察 (青淵先生)
 諸君、今日は昨日の模様では天気もどうかと思ひましたけれども、幸に持直しまして、此竜門社の総会には何時も天気廻りが宜うございまして、社員一同嘸ぞ御満足のことゝ私も共に歓びを申します、斯る好機会に於て私は満場の諸君に一言申述へて置くことがございます、御聞及もございませうが、私は近日朝鮮に旅行する筈になつて居ります、時節柄経済社会多忙の際に漫遊の如き旅行に日を費しますのは心ならぬやうには考へますが、予て第一銀行の用向で昨年来参らうと約束をして置きましたことですから、暫時漫遊を致す積りでございます、併し私の今度の旅行は決して政治に関係を持つとか若くは経済上の大なる用向を帯びるとか云ふことではございませぬ、又其行先も余り耳新らしい土地でもございませぬからして、何か特に告別の辞を述へると云ふ如き価値ある旅行ではございませぬけれども、暫く留守に致します為めに一言の御別れの辞を述へて置くやうに致します、即ち朝鮮と我日本の是迄の関係に就て一言申述べたいと思ひますので、或は斯様に想像したが実際行つて見るとさ
 - 第26巻 p.234 -ページ画像 
うでなかつたと云ふことがあるかも知れませぬので、其事を一言申述へようと思ひます
此朝鮮と称へる半島国は先年来何やら鼎の重さが能く分らなかつた、其深さも十分に知れなかつた為めに、大方軽ろからう、大方浅からうと思ひつゝも余り世間からして附廻すと云ふことはなかつたやうに見へる、所が明治二十七年に日本と衝突を惹起してからして、遂に其重さ深さが確然分つて来て極東の風雲が今日甚だ忙しくなつたやうに見えますです、吾々商人が斯る言語を吐けば何やら急に政治家にでもなり、若くはならうと欲するかと云ふ御疑かあるかも知れませぬが、私か朝鮮に参るに就て止むを得す箇様な観念を惹起すのであります、偖て右様な次第になりまして、現に今日我朝野の有志の御方々抔も頻りに此東洋の問題に就て種々御議論もあるやうでありますが、自身の考へます所ではどうも此世の中の有様殊に外交上の事柄は多く他働に促されて自働に少ないと云ふ嫌がありはせぬか、露西亜が旅順口を取つたと云ふと吃驚する、英吉利が威海衛に手を付けたと云ふと初めて騒出すと云ふのは甚た遺憾に考へるのでございます、畢竟外交に就ては侵略的即ち政治的と云ふのと経済的との差別が、どうも此自働他働の差別を為しはしないかと思ひます、昔の外交はどうしても国の文明に進む時代程侵略的の方針を執つて己れの領分にすると云ふのが重もなる外交の基礎であつたと言つても宜いでございませう、例へば朝鮮と日本との関係を見てもずつと以前の神功皇后と云ひ、若くは阿部比羅夫又は文禄の大閤でも、総て政治的と云ふ中に侵略を含んで居て、経済的外交は甚だ少なかつたと申して宜いやうです、今日の外交の有様でも尚ほ其国の摸様に依て自ら其主義を見分け得られるかと思はれます、併し今申す成べく丈け自働に行くと云ふには経済的方針を取ることが主にならなければ常に外交を完うすることは出来ぬやうになりはせぬかと思ふのでございます、我々此経済社会に従事するものに於て海外の国はどうなつても宜い、海外に就ては一切関せず焉と云ふことは出来ぬ、唯た侵略とか余り政治熱を強め我力を量らずに居ては困る是は平素慎まれなければならぬ、併し常に他国に対し経済上の利益を増進することは国を愛すると共に務めなければならない、即ち経済的の外交に於て我々は最も力を用ひなければならぬことゝ考へる、維新以前の朝鮮の有様は文禄以後からして徳川時代に於て修交はございましたけれども、貿易・通商と云ふものに於て見るべきものがなかつたと言つて宜い、勿論彼国も野蛮でありましたらうが、さう云ふ己れも余り文明とも申せぬであつたらうと思ふ、為めに其進歩は極く遅々たるものであつた、明治と改まりましても朝鮮に対する関係はさう急に進んで参らない、彼国に求める所の少ない為めに我国が軽蔑したので明治九年頃に修交のことが進んで参つて爾来日韓の貿易は大に注意すべき様に為つたと考へます、而して朝鮮の事情に精通したものに聞きますと情ない国柄と云ふことは誰も言ひますけれども、貿易上の進歩を見ますると決して左様に軽蔑すべきものでなからうやうに思はれます、十年以来の貿易及本邦人の交通に就て調査しましたに中々見るべきものがある、今二十七年から二十九年まで彼国に在留せる人員の増
 - 第26巻 p.235 -ページ画像 
加で見ましても三年の間に九千人から一万二千五百人までに進んで居る、又貿易の輸出入を調へて見ますと二十一年から三十年までの十年の統計が輸出の点に於て二十一年に七十万円と云ふ額が三十年に五百廿五万円までに進んで居る、又輸入の額は百四万円から八百八十六万円までに進んで、輸出入合計二百万円に足らぬものが千四百万円までに進んで居る――殆と七倍の進みを為して居る、さうして此輸出入の重もなる取引はどこの国であるかと云ふと我日本である、又日本の貿易高から較つて見ても朝鮮は左まで低い国ではない、輸出に於ては亜米利加が第一等であるけれども続いて香港とか或は支那とか英吉利とか印度・朝鮮と云ふやうに矢張相当な位置を持つて居る、又輸入は英吉利が一番であるけれども朝鮮は其最下等の国とは言はれない、さうして輸出入品の摸様を見ると、朝鮮からは天産物又は粗製品、即ち米とか大豆・大麦・牛皮・肥料などが其大部分を占め、又本邦からは多く鉄器とか綿糸・織物・摺附木・巻煙草等の種類で、多くは製造品を以て向ふに供給する、殊に日本人の朝鮮近海に於て漁業に従事するものが余程多い趣であります、是の統計は完備して居りませぬけれども……斯様に朝鮮との貿易は相当なる進みでありますけれども、概して日本の朝鮮を見ること甚た冷淡で、朝鮮を大事な国柄と見て貿易を致して居らぬと言ふても宜い有様である、今般私が彼地に罷越すのは最初申上けます通り別に朝鮮の政治上に関し若くは商売上に関して居ると云ふ訳ではございませず、何か思付があつて罷越すと云ふ訳でもございませぬ、併し申前す通り貿易上の関係は甚た重んずへき国であるので、仮令国の程度と云ひ人物と云ひ其階級も下て居て卑むへき有様であるにもせよ、長い間交を結んで居る此朝鮮に参れば、特に心を用ひて之を視察し、丁度先刻田口君が、支那の制度を発達させるには第一に貨幣制度を定め、又兌換紙幣の方法を興し、其国をして中央銀行の如きものを組立させて、大に其国の商売を発達せしむるのが即ち唇の亡びざることを務むる方法になるであらうと仰やいましたが、私も朝鮮に対して尚ほ同し感じを有ちは致しますまいかと考へます、丁度今までの朝鮮との関係又朝鮮を将来誘導致すに於て、第一に経済的に心を用ゆるが宜からうと思ひまする点を申上けて、果して朝鮮の土地へ行つて見て、此事に就ては斯くありたい、一応表面に就ては斯う考へて見たが実際取調へたら斯様である、就ては此後は斯う云ふ処置を施したら如何であるかと云ふことは、取調の上更に此竜門社諸君の御攻究を請ひたいと考へます、唯た朝鮮に対して斯う云ふ意見を以て旅行致して見たいと云ふ、ほんの一場の御告別の為めに一言申上け置くに過きませぬ



〔参考〕竜門雑誌 第一二六号・第四八―四九頁 明治三一年一二月 ○第二十一回秋季総集会(DK260045k-0004)
第26巻 p.235-236 ページ画像

竜門雑誌  第一二六号・第四八―四九頁 明治三一年一二月
    ○第二十一回秋季総集会
竜門社第二十一回秋季総集会は、十月廿三日午後一時より日本橋倶楽部に於て開会し、例に依り渋沢社長開会の挨拶を陳べ、次で阪谷芳郎氏の外資輸入に関する有益なる演説、及土岐僙氏の沢橋兵太夫伝なる評論的考証演説あり、終て園遊会に移れり
 - 第26巻 p.236 -ページ画像 
邸園の風致、固より曖依村荘の脚下にだも及はず、殊に園内広からざるより、おでん・かん酒・天ぷら屋・すし屋、扨は甘酒屋・だんご屋等相櫛比し、三百数十名の来会者は肩摩穀撃し、偕楽園の弁当と札幌の黒ビールは其間に配分せられ、至て狭隘を告げ、予想外の雑沓を極めたり、黄昏に及び一同楼上に引上げ、円遊・一蝶斎の余興に歓を尽して午後八時頃より思ひ思ひに帰途に着きたり、当日主なる来会者は左の如し
 清水釘吉・長田忠一・坪井正五郎・谷敬三・土岐僙・大橋新太郎・山口荘吉・阪谷芳郎・同夫人・佐々木和亮・山田昌邦・穂積陳重・同夫人・小崎懋・穂積八束・同夫人・細谷和助・安達憲忠・八巻道成・浅野総一郎・諸井恒平・堀越善重郎・植村金吾・戸田宇八・鈴木恒吉・原林之助・諸井時三郎・野崎広太・山中譲三・西園寺亀次郎・和田格太郎・和田垣謙三・本山七郎兵衛・上原豊吉(来会順)
   ○栄一渡韓中ノタメ出席セズ。但シ例ニヨリ総集会費ニ金三百円ヲ寄付ス。