デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
1節 実業教育
5款 大倉商業学校
■綱文

第26巻 p.754-757(DK260123k) ページ画像

明治40年4月1日(1907年)

是日栄一、当校第四回卒業式ニ臨ミ、生徒ニ対シテ一場ノ訓辞ヲ述ブ。


■資料

竜門雑誌 第二二八号・第二五頁 明治四〇年五月 大倉商業学校卒業式(DK260123k-0001)
第26巻 p.754 ページ画像

竜門雑誌  第二二八号・第二五頁 明治四〇年五月
大倉商業学校卒業式 青淵先生の協議員・監事たる同校本年度卒業証書授与式は、去る四月一日同校に於て挙行せられたるが、先生には之に臨席して一場の演説を為されたり


竜門雑誌 第二二九号・第七―一〇頁 明治四〇年六月 ○大倉商業学校卒業証書授与式に於ける演説(四月一日)(青淵先生)(DK260123k-0002)
第26巻 p.754-757 ページ画像

竜門雑誌  第二二九号・第七―一〇頁 明治四〇年六月
    ○大倉商業学校卒業証書授与式に於ける演説(四月一日)
                       (青淵先生)
来賓諸君・学生諸子、今日は大倉商業学校の第四回の卒業式でありまして、此の紀念すべき日に参上致して、学生諸子に相見ゆるのは誠に愉快の至りであります、此の式日に当りまして私に一言愚見を申述ぶるやうにと云ふ校長から予て御委嘱を蒙つて居りました、平常御協議
 - 第26巻 p.755 -ページ画像 
等には与つて居りますが、斯る時こそ罷出て、仮令諸子を充分に裨益することは出来ませぬでも愚見の一端を申述べるは、私の此の学校に対する職分とし尽さんければならぬと云ふ考で、謹で御受けを致した次第であります、併し道が遠いのと、雨の強い為めに大に刻限を誤まりましたことは、第一に御詑びを致さねばならぬ次第であります、左様な訳で此の席に出ましたけれ共、実は雑務に従事する身体で、殊に平素修めて居る学問とてもありませぬから、学理とか学術上の調査に依つて、諸子を裨益すると云ふやうなことは申上げ兼ねまする、諸子は玆に数年の間蛍雪の労を積んで、今や社会に旅立をすると云ふのである、今迄充分に養育を受けて、今や自身世の中に立つて雄飛すると云ふ時代になつて居るのである、斯る時機に諸子の出掛ける社会は何う云ふものであるかと云ふ、其の現況を御知らせ申すのと、も一ツは諸子が此の社会に出るには斯る覚悟を以てし、社会の事務に従事するには斯る心得がなければなるまいと云ふ、申さば老の繰言を一言申述べて置きたいと思ふのであります、偖て之が今日世の中への初旅、競争場裡即ち平和の戦争の初陣である、此の初陣に対する総ての忠告と斯う御聞きとり下すつたら、私の満足此の上もないのであります、凡そ世の中の事は日常万事、総て心に留めねばならぬが、偖て人間と云ふものは朝から晩まで総てを記臆に存すると云ふことは六ケ敷いものである、折に触れて特に記臆すべき事がある、諸子に於ける今日の如きは即ち其最も記臆すべき時機でありますから、斯る場合に先輩となつて居る我々共から、斯く心掛ねばならぬ、又諸子の出掛る場所は斯る景況であるぞよと云ふことは、多少他日の記臆になるだろうと思ひます、既に当校創立以来督長として此学校の事に御尽力になり、今又理事として全体を管理せらるゝ石黒閣下から諸子に懇切なる御教誡がありましたが、諸子の此の先の旅路は多分私の経営しつゝある商業界であると思ふ故に、此商業界の現在は如何なる有様であるかと云ふことは、新聞に談話に概略は御きゝで御坐いましようが、斯る発途の時機に於て、現に其の位地に居る私が、斯様な有様で御坐いますぞよ、斯う心得て下さいましと忠告するのは、決して無用の弁ではないと思ふので御坐います、元来此の商業界と云ふものは、其の昔は甚だ微々たるものであつて、又至つて階級の低かつたものであると云ふ事は、既に誰も言ひまして私も亦屡々論弁して居る、併しそれは昔のことであつて、今日の我が日本の商業界と云ふものは、さう昔日の嘆声を繰返すものでは御坐いませぬ、又苦情を継続するものでは御坐いませぬさればとて如何にも鞏固なるものである、如何にも安全なるものであると云ふことは申されぬのである、是れから先き諸子が此の商業界へ出られるに就ては、其の苦辛其の勉強は決して容易なことでは往けまいと思ふのであります、四十年来の歳月を経て、一般の国運の進歩に伴ふて商工業者の位地も高まり、商工業の範囲も拡がり、其の事務も増して参つたと云ふ事は事実であります、併し商工業者の位地も思想も鞏固で、而して種々の方面から観察しても、商工業者は他の各種の階級に比較して、聊も愧づることはないとまで申されるかといふと、大に否と言はなければならぬのです、此商工業界即ち諸子が出立する
 - 第26巻 p.756 -ページ画像 
是れから先きの旅路は、例へば一の大公園といふて宜しかろうと思ふが、此公園には種々の悪魔も居りませう、諸子の才能は学識・勉強其の他種々なる所からして終に佳境にも達し得らるゝでありませう、又其公園には種々なる誘惑があつて魔界とでも申されませう、地獄とも申されませう、其行く可き先きには工業の山あり、商業の海もあり、此の山海万里の間には遂に堕落に陥るやうなこともないとも申されぬが、其代り又崑崙山に登つて立派なる宝も得ると云ふことも出来る訳である、故に諸子の前途は甚だ遼遠であつて、又大に楽みを有して居る、楽しみを有して居る代りに、大に謹まんければならぬ、大に奮励せねばならぬと云ふことに就き常に覚悟を要するので有ります
殊に前も申す通り、此の商工業界は第一に商業道徳が鞏固でなければ決して将来の安固隆昌と云ふことは申されませぬ、不肖ながら私は今日商工業界の先輩の位地に居る積りであるが、是非共此の事業の進むと共に其道徳を高めて、商工業界の品格を高めると云ふことは、最も勉めて心掛けて居るのであります、故に我々の後継者たる諸子は、何うか其一事に心を注いで戴きたいと思ふのであります
先づ諸子の先途たる商工業界は大凡そ斯様なものだと云ふことを申述べましたが、第二に之れに従事するに就ては、如何なる考を持たなければならぬかと云ふことを申上げましよう、前にも商業道徳に就て一言申しましたが、君子・小人と云ふことは何う云ふ所から差別するか之れも支那人の付けた称呼であるから、今日から見ると頗る古臭いかも知れぬ、西洋学を修めたる御人から云ひますれば、渋沢は古風な説を以て諸子に告別をしたと非難されるであらうが、併し私は決して古風でない積りであります、此の商工業に就いては小人商人に成り度くない、商工業者の人格を上ると云ふには君子商人に成つたらば満足であると、斯ふ自分は信ずるのである、そこで此の君子と小人との差別を、孔子の言葉に由て概略を申上げませう、論語に君子は義に敏る小人は利に敏る、と云ふことがある、此の義と利との差別が即ち君子と小人の分別である、即ち君子は総て高尚なる思想を持つて小利に汲々としない、一旦覚悟したる事は必ず貫くと云ふ堅実の志操を持つて居る、君子と云ふものは総て左様の性質から成立つたものである、小人は之に反して己れの利益にのみ拘泥する、一身を本位として事業を経営する之を号して小人と云ふ、果して然らば今日日本の将来の商工業界の完成を真実に企望するならば其実力の進む程此高尚の品格を損する所の小人商人のみ多くなるのは迷惑である、力が進む程、智慧が進む程、国家の利益を大に増すと云ふ君子商人を未来は沢山出す様に致したいと云ふことは、決して私の企望が只古臭いと云ふ御誹謗は受けまいと考へるのであります
私は此程商人と云ふことを歌に詠みました、之は甚だ拙劣なる歌でありまするが、校主大倉君は始終風雅のことを御好みでございますから此処に諸子の御聴きに入れて、諸子に斯くありたいと云ふ渋沢の希望する所を御記臆を願ひたいのであります「天津日の御旗の光り世に高く、照り渡る迄みがけあき人」今一つは「商人の売場拡めて四方の海の、果も隣となれる今日哉」是が私の商人の心を詠じたる腰折であり
 - 第26巻 p.757 -ページ画像 
ます、蓋し調と申し格と申し、勿論歌に成るか、成らぬか分りませぬが、併し商業は国旗の光りに依て進んで行くとは政治家の言葉であるけれども、国旗の光りに依つて商業が進んで行くと云ふのは、政治家の我儘言葉と言ひたい、さうではない、国旗の光彩は商工業の活動に由るものである、自他を反対に解釈したと私は思ふのであります、故に「御旗の光り世に高く照り渡るまでみがけ商人」と申すのであります、又昔の商売の区域は、実に他国といへば僅かに支那・朝鮮若しくは和蘭に止つて居つたものである、然るに今日は世界の果てが隣国と相成つたもので、果ては隣りとなれる今日哉と致したのであります、其れで諸子は今日より此の商工業界に、旅立をなさるのでありますから、前途種々の苦みがある、又従つて楽みが来ると云ふことは、呉々も御承知になつて御忘却のないやうに願ひたいと存じます、是れを以て今日の祝辞に代へた次第であります