デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
2節 女子教育
2款 日本女子大学校
■綱文

第26巻 p.905-909(DK260164k) ページ画像

明治40年2月(1907年)

当校第二期拡張ノ為メ、是月栄一、第三回募金中ニ金二万円ヲ寄附ス。


■資料

竜門雑誌 第二二五号・第四七―四八頁 明治四〇年二月 ○日本女子大学寄附(DK260164k-0001)
第26巻 p.905-906 ページ画像

竜門雑誌  第二二五号・第四七―四八頁 明治四〇年二月
○日本女子大学寄附 日本女子大学にては今回理科教室二棟を増築し実験実習の設備を完うせんことを期し、先づ化学教室の起工に着手し
 - 第26巻 p.906 -ページ画像 
又生徒の増加に伴ひ寮舎の狭隘を告ぐるに至りたれば、新たに七棟の寮舎を建築するの議を決し、已に二棟は竣工し、尚ほ五棟は目下工事中なるが、其一棟は洋風の寮舎にして外国女教師をして寮監たらしめ本邦の生活状態に応用せらるべき泰西生活の実際を研究的に経験せしめん筈にて、是等設備に要する資金及び基本金に充つる為め寄附金を募集中なるが、同校評議員兼財務委員たる先生は金二万円を寄附せられたり


日本女子大学校寄附金簿(DK260164k-0002)
第26巻 p.906 ページ画像

日本女子大学校寄附金簿        (麻生正蔵氏所蔵)
    第三回寄附  明治三十九年拾月
 一金弐万円也 五ケ年賦納入                渋沢栄一(印)
 一金弐万円也                       三井三郎助
 一金弐万円也                       森村市左衛門
 一金壱万円也                       大倉孫兵衛(印)
 一金弐万円也                       広岡浅子(印)
 一金弐万円也                       住友吉左衛門
 一金弐万五千円也《(印)》 明治卅九年十二月六日       藤田伝三郎(印)


家庭週報 第九一号 明治四〇年二月一六日 ○今回の同情者及本校寄附金総額(次第不同)(DK260164k-0003)
第26巻 p.906 ページ画像

家庭週報  第九一号 明治四〇年二月一六日
    ○今回の同情者及本校寄附金総額(次第不同)
 二万円             男爵 渋沢栄一氏
 二万円                三井三郎助氏
 二万円                森村市左衛門氏
 二万円                広岡浅子氏
 一万円                大倉孫兵衛氏
 二万円                住友吉左衛門氏
 二万五千円              藤田伝三郎氏
 一万五千円              某氏
 二万円                某氏
  合計十七万円
 なほ創立以来今日迄本校に寄附されたる寄附総額は五十一万余円に達せり
   ○栄一ノ寄附金ニヨリ寮舎一棟建設セラレ、晩香寮ト名付ク。本款明治四十一年四月二十日ノ条参照。



〔参考〕家庭週報 第九一号 明治四〇年二月一六日 日本女子大学校第二期拡張に就て(DK260164k-0004)
第26巻 p.906-909 ページ画像

家庭週報  第九一号 明治四〇年二月一六日
    ○日本女子大学校第二期拡張に就て
 二月九日午後二時より本校第二期拡張発表式は挙行されたり。来賓は評議員及び関係者のみにして、評議員西園寺侯爵・森村市左衛門氏列席せられ、別項記すが如く校長の報告あり、西園寺侯爵の演説ありて、五時過ぎ閉会したり。拡張の内容詳細は別欄に記載せり。
 第一の拡張は明治卅七年十二月十五日挙行されたり。恰も日露戦役酣にして、国事多端、国民の負担は重り、国家の経済は逼迫の憂なきにあらざりしにも係らず、畏しこくも、戦時に際して賜はりたる
 - 第26巻 p.907 -ページ画像 
 軍国多事の際と雖、教育の事は忽にすべからず、其の局に当るもの克く励精せよ
との御沙汰を拝し、折柄社会は人物の払底を告ぐる事急なるより、玆に教育の宿弊を矯め、生きたる教育を以て真の人物を養成する事の必要を痛切に感じ、我が日本女子大学校に於て、其の使命に起たんとするの挙を賛し、森村豊明会を始め、本校創立委員諸氏の寄せられたる同情により、僅々二週日を以て、十一万余円の資金寄附を見るに至れり。これによりて、本校は創立時代を脱して、確乎たる基礎の下に、財団法人の組織成り、併せて教育部開始の機会に遭遇せり。此れを本校第一期拡張となす。而してこれ独り本校の光栄たるに止らずして、実に我が社会の一進歩として喜ぶべきの事実なりき。当時本誌は「第二維新の曙光」と題して記念号を発し、以てこれを一般世人に紹介したり。爾来年を閲する事僅かに二歳、此処に再び第二拡張の発表を報道するの快事に遇ふ。奚ぞ教育界の為め、慶賀せざるべけんや。時は今戦後の経営に忙がしく、しかも其の同情者たるや、本校創立以来屡屡好意を寄せられたるもの、然るに必要と時機とは、本校の第二期拡張を焦眉の急ならしめぬ。即ち諸氏又此の挙に賛し、誠意よりして寄附された資金、総額実に十七万円に及びぬ。これによりて一棟の化学教室、五棟の寮舎は新設せられ、基本金十万円を備ふるに至れり。今回の挙や未だ以て本校の計画を積極的にあらはしたるものにあらずして、たゞ其の設備を補充したるのみなり。然れども此の補充たるや、教育の宿弊を打破するに欠くべからざる設備なりとす。これと相須ちて国文学部の内容に一大革新を与へたり。こも又前述の目的と等しく教育の効果を完からしむるに庶幾からんか。
 而して設備の拡張と、其の経済とは、常に反比例を示す。これ拡張に従つて経常費増加し、歳計に不足を生ずるを以てなり。これを恐れて差し控へんか、教育の効果、遂に完全を得るの機なかるべし。而して本校に於ては敢てこれを実施せんとす、此の責任を頒つの責は当然生徒にあり。即ち大学の生徒は、自ら出来得る限り其の道を開きて進まざるべからず。由て来る四月より大学部に限り、授業料一ケ月に付五十銭宛を増す事となれり。要するに今回の挙は、一言以てこれを云へば拡張と云はんより、寧ろ補充なり、改善なり。而して本校の主義として屡々称ふるが如く、生きたる教育を施さんが為めに、講成、発表の機関を設備したるなり。人は境遇を啓き、境遇は人を感化す。然れども努力なくして、如何でか境遇の恩恵に浴するを得べき。既に女子の為めに此の好境遇は啓かれたり。女子の発展は今や道備はりて、一に其の踏破を待つの時機なりと云ふべし。起てよ女子、努めよや我が友。

    ○成瀬校長の演説
          日本女子大学校第二期拡張発表式上に於て
 今日は本校の、第二期の計画を報告しまする為めに、本校の評議員の御出席を願ふて、これより開会を致します。此の会は我が国の女子教育の凱旋祝賀会と云ふ如きものであらうか。或は開戦の報告会と云
 - 第26巻 p.908 -ページ画像 
ふ如きものであらうか。無論これは第二の種類に属するものであらうと思ふ。故に其の報告の中には、随分苦戦をして、負傷者を出したとか、又は戦死者を出したとか云ふ如きこともあるべきであらうかと思ふ。恰も此の第二期の計画を成就して、こゝに其の報告会を開くに際し、我が国の婦人の先導をなして、遂に戦場に斃れられた奥村五百子氏の計音に接したのである、故に我々は今日喜ばしき祝賀会とも云ふべき此の席に於て、始めに一言奥村女史に関して、弔詞を述ぶべきかと感ずるのであります。
○中略
今日は本校第六年目に入り、即ち第二期の計画を企てゝ之を成就して今日それを報告するの栄を担ふたのでありますが、今日の計画は我が国の必要に応ずるものなるか。我が国教育の急務に赴くの積極的計画なるか。又此の学校の大なる責任使命を全うするに必要なる第二の設計を立てられたのであらうか。即ち第二女子大学を此の五ケ年の間に設立し、又当初よりの企画たる理化部・音楽部・美術部・医学部・商業部と云ふ如き者を此処に設立して、其の目的に叶ふ処の拡大をなすの計画であるかと云へば、決して然らず。其必要がないのではない。国家の急務である。奥村氏が絶叫せられた我が国の危機、急務を思へばかゝる積極的の計画が必要である。国家の急務、世界の大勢より見れば第二の計画は積極的でなければならない。併しながら今これに手をつける事は出来ない。何故然るかと云ふに、人が出来ないのである実力が伴はないのである。未だ本校或は桜楓会に於てすら企図した事業に手をつけられぬ。熱心と至誠とはあるが、これを行ふ実力がない手腕に乏しいのである。一言以て云へば、国家が望む人間がまだ此の学校から出ないのである。
○中略
かゝる次第でありますから、到底今日此の上に拡張しても、効果を挙ぐる事は出来ないから、出来るだけ障害物を除き、出来るだけ便利に一層有効なる方法に改め、一日も早く前途に向て進む処の方法を講じなければならぬ場合であります。そこで第二の計画としては、これ迄開始されたる各部の設備を完備し、学科の改善、教育法の改良をなし益々障害物を除き、最も便利なる方法を採用して、一日も早く進まんとするのである。
      第一 学課の組織改良
○中略
△改良の要点
 此度の文学部に就て最も主なる幹となる学問は人文学である。美術史・哲学史・歴史・文学史も皆この材料となるのである。畢竟此の文学史を人文学と云ふ中心に統一せしむるのである。即ち学問をなすには統一点が必要である。人文学は文学部の統一点であります。
○中略
      第二 設備の補充
 以上の如く学生をして、新たなる研究的態度に出でしむるには書物ばかりでは出来ぬ、博物館を作り、古来の美術・衣服其の他、人文学
 - 第26巻 p.909 -ページ画像 
に必要なる標本を置かねばならぬ。而して又、西洋文明史によりて、西洋に育ちたる文明と、東洋に育ちたる文明とが日本に於て接触し、之より世界的潮流を出さしむるの抱負を有するを以て、かく境遇に置かねばならぬ。
 又科学の方面にては、愈々実験の必要がある。故に先づ化学教室を建て、追て生物学・物理学の教室をも建てなければならぬ。
 又境遇を有効にする為めに寮舎を建てるのであります。これは西洋風・折衷風又在来のものも出来る。
      第三 資金寄附
○下略



〔参考〕渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK260164k-0005)
第26巻 p.909 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四〇年     (渋沢子爵家所蔵)
一月十日 晴 寒              起床七時二十分 就蓐十一時三十分
○上略 午後成瀬仁蔵来話ス、添書シテ箱根岩崎氏ヲ訪問セシム ○下略
   ○中略。
三月二十四日 曇 寒            起床七時三十分 就蓐二時
○上略 成瀬仁蔵氏来話ス、井上女史来リ桜楓会ノ事ヲ談ス ○下略