デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
2節 女子教育
3款 其他 2. 共立女子職業学校
■綱文

第26巻 p.922-924(DK260173k) ページ画像

明治19年12月(1886年)

是ヨリ先、宮川保全等当校ヲ創立ス。是月栄一、其趣旨ニ賛シ、出資シテ之ヲ援ク。


■資料

青淵先生六十年史 竜門社編 第二巻・第六二五頁 明治三三年二月刊(DK260173k-0001)
第26巻 p.922 ページ画像

青淵先生六十年史 竜門社編  第二巻・第六二五頁 明治三三年二月刊
 第五十八章 公益及公共事業
    第十節 女子教育奨励会
○上略
青淵先生女子教育ノ為メ尽ス所少ナカラス ○中略 明治十九年共立女子職業学校創立ノ際ニハ資ヲ出シテ補助ス ○下略


青淵先生職任年表(未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編 竜門雑誌第五一九号・別刷第三頁 昭和六年一二月刊(DK260173k-0002)
第26巻 p.922 ページ画像

青淵先生職任年表 (未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編
                竜門雑誌第五一九号・別刷第三頁 昭和六年一二月刊
    明治年代
 年   月
一九  一二 ―共立女子職業学校出資―


 - 第26巻 p.923 -ページ画像 

東京日日新聞 第四四三二号 明治一九年八月二二日 ○共立女子職業学校(DK260173k-0003)
第26巻 p.923 ページ画像

東京日日新聞  第四四三二号 明治一九年八月二二日
○共立女子職業学校 神田区錦町二丁目に取立つる共立女子職業学校は裁縫・編物・刺繍・造花・押絵・組糸・紙細工・藁細工・玩具・洗濯・図画等の諸術を教へ、兼て読書・習字・算術・家事・料理の諸課業をも授くるとの事なれば、女子一人前の教育に於て欠くる所なき好学校と云ふべし


朝野新聞 第三八三九号 明治一九年八月一一日 共立女子職業学校(DK260173k-0004)
第26巻 p.923 ページ画像

朝野新聞  第三八三九号 明治一九年八月一一日
○共立女子職業学校 今度永井久一郎・那珂通世の両氏外二十余名の男女有志者の発起にて、府下へ共立女子職業学校を設立さるゝ由、其趣旨は左の如くなりとぞ
 つらつら我国婦女の世を渡る有様を視るに、概ね其父兄・良人に便りて其衣食を仰ぐのみにして、自ら生業を営むことを知れる者甚少し、一朝其杖柱と頼める父兄・良人の不幸あるにあへば、忽身を処するたつきを失ひて、俄に貧苦に陥り、徒に人を怨み世を嘆ちてせんすべを知らざるに至る者あり、其惨ましさいはん方なし、かゝる有様に至るゆゑんを推究むるに、女子の教育いまだ遍からずして、実業を授くるの道行はれざるに由るなり、近頃女子学校の設、世に乏しからざれども、其授くる学科は或は閑雅優美に流れ、或は高尚深遠に趨り、概文字章句の末に拘り、実業に疎くして日用に適せず竟に小学以上の学校教育は専ら中人以上の子弟に行はれて、広く世の女子に及ぼすを得ざるに至れり、吾等窃に之を憂ひ、同志の者相謀りて女子の職業学校を設け、専ら女子に適する諸の職業を授け、併せて修身・和漢文・英語・習字・算術の如き日用必需の学科を教授せんとするなり、然るに世の人、或は職業としいへば賤しき業として厭ふ者あれども、そは大なる謬なり、今其最も見易き例を挙げんに、古より天子后妃の尊きを以て、御みづから農桑の業をとられしこと、和漢の歴史に昭々たり、近くは我が 皇太后 皇后の両宮には、毎年宮中に於て養蚕の業を執らせたまふにあらずや、かゝれば此等の女功は決して賤しき業にあらず、否之を婦女の本分とこそ云はめ、争でか之を賤むことを得べき、世の女子を持てる人、疾く考を玆に運らして、吾らが此挙に同意し、実業の教育を女子に授けしめられんこと、吾らが偏に望む所なり



〔参考〕全国学校沿革史 東都通信社編 第二八四―二八五頁 大正五年六月刊(DK260173k-0005)
第26巻 p.923-924 ページ画像

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