公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
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明治34年(1901年)
是年栄一、当校基金募集ニ応ジ、金三千円ヲ寄附ス。
廿五年紀念早稲田大学創業録 同大学編輯部編 第一二五―一二六頁 明治四〇年一〇月刊(DK270027k-0001)
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廿五年紀念早稲田大学創業録 同大学編輯部編
第一二五―一二六頁 明治四〇年一〇月刊
○第五 開校後早稲田大学の発展
其十二 基金
早稲田大学が基金の募集に着手したるは、明治三十四年三月以後の事にして、当時財界の情勢甚だ面白からざるものありしのみか、明治三十七・八年には、振古未曾有の戦役に遭遇し、多大の影響を蒙るなるべしと憂慮せしにも似ず、さしたる障害を受けずして、着々実収の功を挙げ得たること、是れ偏に応募諸彦の高誼によるものにして、我校は辞の以て謝すべき所を知らざるなり。今左に開校後応募金額を完納せられたる諸氏及び目下継続納付中に属する諸氏の金額及び姓名を掲ぐ。
一、基金を完納せられたる諸氏の寄附金額及び姓名左の如し
半世紀の早稲田 早稲田大学出版部編 第一六八頁 昭和七年一〇月刊(DK270027k-0002)
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半世紀の早稲田 早稲田大学出版部編 第一六八頁 昭和七年一〇月刊
○第三章 発展期
第一節 大学開設の機運及び準備
○上略
明治三十四年一月十四日には、大学部設置の願書を東京府庁に提出し、十七日には社員会を開いて、大学部の組織及び基金募集の件を議し三十日には大隈臨席の下に校友大会を紅葉館に開いて、高田学監から如上の新施設、新計画を報告した。
二月二日には基金募集のことを全国の新聞紙上に公表し、二十六日には大隈邸に評議員会及び校友会を開いて、基金募集委員の規定及び募集方法等を協定した。委員長には前島密を推挙し、会計監督には市島謙吉を嘱任した。 ○下略