デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

6章 政治・自治行政
2節 自治行政
8款 神戸市水道公債問題
■綱文

第28巻 p.426-433(DK280054k) ページ画像

明治34年12月21日(1901年)

神戸市トアメリカ合衆国人ゼームス・アール・モールストノ間ニ神戸市水道公債ニ関スル紛議アリ。栄一ノ仲裁ニヨリ、是日和解成ル。


■資料

竜門雑誌 第一四三号・第三二―三三頁 明治三三年四月 ○モールス対神戸市事件(DK280054k-0001)
第28巻 p.426 ページ画像

竜門雑誌  第一四三号・第三二―三三頁 明治三三年四月
    ○モールス対神戸市事件
横浜モールス商会か、神戸市を被告とし横浜地方裁判所へ出訴せる水道公債契約に関する解除及違約金請求事件は、去十二日第二公判を開廷し、証人訊問弁論等を為して退散し、去十九日裁判言渡ある筈なるが、今原被両告の訴訟代理人が主張せる所を挙れば左の如し
 原告陳述の要旨 曰く(第一)公債の裏面に英貨磅の換算額を記載しながら、表面に之を記載せざるは一の契約違反なり(第二)契約書に英貨換算額は公債証書に記入する事を書したるは、全く英貨支払の主意に出たるものと云ふべし、然るに英貨支払をなさゝるは違約なれは、右に基き予め定めたる違約金二万五千円を請求すると云ふにあり
 被告陳述の要旨 公債の裏面に英貨換算額を併記せるは、日英貨幣の換算を知らしめし、購入者の計算に便利を与へん為にして、素より英貨支払の主意にあらず、我邦公債は殊に外貨支払を記せざれは勿論日本貨幣にて支払ふべき筈にて、即ち公債条例第六条に従ふたるものなれば、完全の契約にして大蔵省に申請したる結果発行したるものなれば、既に主務省が外貨支払を許可せざるは原告も知る処にして、殊に発行に先ち原告は公債を持帰り居れば、是等の事実は予め承知の上契約したるものと云ふべし、故に違約は原告にありとして、違約金請求の反訴を起すと云ふにあり


渋沢栄一 日記 明治三四年(DK280054k-0002)
第28巻 p.426 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三四年     (渋沢子爵家所蔵)
十二月廿一日
神戸市水道公債ニ関シ、米人モールス氏ト紛議ヲ生ジ、現ニ控訴院ニ於テ審理中ナルヲ、仲裁和解セシム
   ○後掲資料ニヨレバ調停調印ノ日ハ二十日ナリ。


銀行通信録 第三三巻第一九五号・第一一四―一一五頁 明治三五年一月 ○神戸市対モールス控訴事件の和解(DK280054k-0003)
第28巻 p.426-427 ページ画像

銀行通信録  第三三巻第一九五号・第一一四―一一五頁 明治三五年一月
    ○神戸市対モールス控訴事件の和解
曩に神戸市の発行したる水道公債引受者米国人ゼー・アール・モールス氏と神戸市との間に紛議起りて裁判沙汰となり、始審に於てはモールス氏の敗訴に帰せしも、氏は之に服せずして控訴し、渋沢栄一氏仲裁を試みたるも原被互に意見を固執して相譲らず、仲裁談は其儘沙汰
 - 第28巻 p.427 -ページ画像 
止となりたりき、然るに此程モールス氏より渋沢氏に向ひ是非和解したしとの申出あり、又神戸市よりも市長及び市参事会員上京の上、是非渋沢氏の仲裁に依て協定和解したしとの申出ありしかば、氏は再び仲裁の労を執ることゝなり、此度和解成りて訴訟を取下ぐるの運に至れり、其要件は現にモールス氏の所有に係る水道公債五十万円の内二十五万円だけは、応募価格を以て旧臘三十一日までにモ氏に払戻して公債を取戻すことゝし、残額二十五万円は訴訟の争点となりし支払契約を英貨払と改め、今一月早々更に公債証書を作りて前公債と引換ふるの約定にて和解するに至りし次第なりしと云ふ


竜門雑誌 第一六四号・第三六―三七頁 明治三五年一月 ○青淵先生の神戸市対モ―ルス氏間紛議の調停(DK280054k-0004)
第28巻 p.427-428 ページ画像

竜門雑誌  第一六四号・第三六―三七頁 明治三五年一月
    ○青淵先生の神戸市対モ―ルス氏間紛議の調停
去明治卅二年以来、神戸市参事会と横浜モールス氏の間に結んて解けさりし神戸水道公債紛議事件は、其後内外の人士にして仲裁を試むるなきに非りしも、容易に局を結ぶに至らさりしが、青淵先生は事の対外関係にして其影響する所重大なるを以て、双方の間に立て深く斡旋せらるゝありしが、去十二月廿日神戸市の側よりは市長坪野平太郎・市参事会員神田兵右衛門・同山本繁造の三氏を招き、之に相手方なるモールス氏を加へ、兜町の先生事務所に会し、玆に全く従来の紛議を和解協定するに至れり、今其協定条項を掲載すれば左の如し
 明治参拾弐年大日本帝国神戸市参事会市長が発行せし水道公債の売買に関し、債券売人たる神戸市参事会市長と買人たる米国人「ゼイアール・モールス」氏との間に生じたる紛議の仲裁を、今般当事者双方の合意に依りて男爵渋沢栄一に依頼し、同男に於て審理の末和解協定せしめられたる条項左の如し
 第一、曩に神戸市参事会市長が「モールス」氏へ売渡したる水道債券額面五拾万円の半高弐拾五万円は、其際「モールス」氏が仕払ひたると同価格を以て、本年十二月三十一日限り神戸市参事会市長が之を買戻すべき事
   但其取引は横浜市に於て之を行ふべき事
 第二、「モールス」氏の保有する残額弐拾五万円の水道債券に対しては、神戸市参事会市長は日本貨壱円に対し弐志○片拾六分の拾参の割合を以て英貨にて其元利を仕払ふべき旨を明記したる新債券を成るべく至急調製して、神戸市に於て従前の債券と引換に「モールス」氏に交附すへき事
   但本項新債券の元利を英貨にて仕払ふの件は、債券引換の終了すると否とに拘はらず、来る明治参拾五年一月一日より其効力を生すへきものとす
 第三、右の二項を協定したるに付ては、当事者双方は現に東京控訴院に提出しある訴訟を取下げ、従来双方の間に懐抱したる悪感情を除去し、共に信義を守りて交情を厚くすべき事
 右仲裁せし証として玆に記名調印致候也
  明治三十四年十二月二十日
                    仲裁者
 - 第28巻 p.428 -ページ画像 
                      渋沢栄一
 右御仲裁の条項、双方共合意承諾致候に付、玆に記名調印致候也
                    当事者
             神戸市参事会市長 坪野平太郎
             市参事会員    神田兵右衛門
             市参事会員    山本繁造
                    James R .Morse.


東京経済雑誌 第四二巻第一〇四二号・第三〇五―三〇八頁 明治三三年八月一一日 ○神戸市水道公債売買紛議の真相(DK280054k-0005)
第28巻 p.428-433 ページ画像

東京経済雑誌  第四二巻第一〇四二号・第三〇五―三〇八頁 明治三三年八月一一日
    ○神戸市水道公債売買紛議の真相
事件の梗概は左の如し
 一、神戸市か本件公債を発行する為に制定したる神戸市水道公債増募条例中より本件に関係ある条項を摘示すれは左の如し、但此条例は明治三十二年四月中市会に於て議決し、同年五月十九日内務大臣の認可を経て同年六月三十日発布したるものなり
   神戸市条例第十二条
    神戸市水道公債増募条例
  第一条 神戸市水道工事拡張に拠り該増費に充つる為め、神戸市水道公債百九十四万円を限り、本条例実施の年より向三ケ年以内に之を募集す
  第三条 此公債証書は無記名利札付にして、其見本は神戸市役所並各取扱銀行に備置くものとす
  第四条 此公債を募集するときは其金額及価格・申込期限等は本市参事会より告示す
    但本市参事会は時宜に依り本条の手続に依らす、相当資産を有するものと特約して之を募集することを得
  第六条 此公債証書には本条例に定むる必要の条項を摘録し、且之を英訳し及外国貨幣を併記し、此公債証書所有者と本市との関係を明にすへし
  第七条 此公債元金は実施の年より十ケ年間之を据置き、其翌年より向三十六ケ年以内に抽籤法を以て償還するものとす
 二、右条例と共に之と同様の手続を経て神戸市が制定発布したる神戸市水道公債増募集及償還額方法中の償還年次表は皆円を以て算出したり
 三、前記の公債条例及募集償還方法は、明治三十二年三月三十一日水道事務長宮内二朔氏其草案を携へ大蔵省に出頭し査閲を求め、且つ公債を所持者の希望に任せ外国貨幣を以て償還し得へき明文を此条例に掲けんことを議りしに、同省理財局長松尾臣善氏より外国貨幣を以て償還することは到底許可なるましきを告けられたるを以て、市参事会は之に従ひ条例を改めて外債償還の明文を省除せりと曰ふ、左れは当局者は此時より既に外債償還の行はれさることを知るなり、此事実は訴訟に関して松尾理財局長之を証明せられたり
 四、同年七月七日神戸市参事会と「モールス」氏の間に此公債の売
 - 第28巻 p.429 -ページ画像 
買契約を取替はせたり、即前記の公債条例に従ひて作成したる公債証書を目的とし、且此条例を契約の一部となしたるものにして其契約書全文左の如し
    神戸市水道公債増募引受契約証書
   今般神戸市水道公債増募に付神戸市参事会市長鳴滝幸恭と横浜居留地二十八番館米国人ゼームス・アール・モールスの間に契約を締結すること左の如し
  第一 神戸市水道公債増募条例並同募集償還方法は、本証に附綴したる別冊の通にして之を以て本証契約の一部とす
  第二 今般神戸市は右神戸市水道増募条例並募集償還方法に拠り水道公債証書額面百九拾四万円発行すへきものゝ内百万円発行の証書は、ゼームス・アール・モールスに於て引受け、募集に応すへし
  第三 右ゼームス・アール・モールスか引受くる応募価格は、額面千円に付九百弐拾円の割合を以て其引受金額に対し積算し、日本通貨を以て本証契約の期限に於て市参事会へ引渡すへし
  第四 公債応募引受高百万円の半額は来る十五日市参事会の受取証と引換へ、残半額は来る十二月十五日以前又は遅くも来る十二月十五日には必す公債証書と現金と引換受授するものとす
    但来る七月十五日半額受渡済の上は公債本証書を調製し、来る八月十五日迄に市参事会より相渡すへし、公債証書には本年七月一日為換相場壱磅九円六拾七銭弐厘五毛即千円に対し換算額百三磅七志九片二分一の英貨幣を併記するものとす
  第五 公債証書と現金と交換受授する場所は横浜居留地二十八番館とす
  第六 此契約を万一ゼームス・アール・モールスか其責めに帰すへからさる原因に遭遇して履行すること能はさるに当ては、モールスか嗣子又は相続人之を継承するを得と雖も、第四項の払込期日以前に其継承方を市参事会に届出てさるときは、爾後本契約の履行は市参事会に於て自然消滅と見做すことを得
  第七 神戸市参事会又はゼームス・アール・モールスの何れかに於て此契約を履行せさる為め、本契約第四項に拠る期定の日限内に公債証書と現金と引換ゆる能はさるとき、之に対する一方の当事者は直に本証の契約を解除することを得るものとす
    但本項の場合に於ては本契約を履行せさる当事者より他の当事者へ違約賠償として、金弐万五千円を支払ふへきものとす
  右契約締結の確実なるを証する為め、同文の本証書弐通を作り、双方契約主之に署名し各壱通を領置するもの也
   明治三十二年七月七日
                 神戸市参事会
                  神戸市長
              右法律上代理人 鳴滝幸恭
                ゼームス・アール・モールス
 五、右契約締結の当日「モールス」氏より市長に左の書面を送れり
 - 第28巻 p.430 -ページ画像 
    訳文
   千八百九十九年七月七日 於横浜米国貿易商社
    神戸市長 鳴滝幸恭殿
   拝啓陳者御互の御協定に従ひ拙者は貴下より神戸市公債を各壱千円の額面とし、各公債の裏面に壱千円に対し英貨百〇三磅七志八片半の為替相場を記入し、而して百円に対しては九拾弐円の割合を以て引受けんことを同意致候、前記金額の一半本月十五日に引受け之か支払を為し、残額は十二月十五日又は其以前に引受支払可致候 敬具
                ゼームス・アール・モールス
 六、前記契約に基き三十二年七月十五日に神戸市参事会は「モールス」氏より日本通貨を以て四拾六万円を受取り、同月廿三日に仲立人たる石田千之助氏へ公債証書の見本を送付し〔横浜地方裁判所に於て「モールス」氏代理人の述へたる所に依れは「モールス」氏か此見本を受取りたるは同月三十日頃なりと云ふ〕八月十四日に額面五拾万円の公債証書を「モールス」氏に引渡せり、其証書の表面は日本文にして英貨の記載なく、裏面は英訳文を記載しあり、其文左の如し
            (Translation)
    The Kobe City Water Works Loan Bonds
        Mark ほ 1,000 yen No.
 (£103-78 1/2,St.at the rate of exchange on the lst July,the 32nd.year of Meiji.)
             〔以下略す〕
 七、九月十一日「モールス」は石田千之助氏に書面を附して、神戸市参事会に交渉せしむる所あり、其書面の大要は「本件契約は千円に付き百三磅七志八片二分一の為替相場と定め、英貨を以て償還を受くへき筈なるに公債の日本文には英貨の記入なし、故に英文翻訳は不正確なる旨、及此公債英貨を以て償還せらるゝものなるや否や」と謂ふにあり、神戸市参事会は石田氏より右書簡の逓送を受け、同月廿一日之に対し回答書を送れり、其書面には「証書裏面の英訳文中に記入ある英貨は、唯た時の為替相場に拠り換算併記したるのみにして、決して英貨を以て償還するものにあらす」との趣旨を記載したり
 八、モールス氏の代人として石田氏は十月十日頃神戸に来り、神戸市長鳴滝氏等を訪ひ、本件公債を英貨にて償還するものとなさんことを懇請して止まさるか故に、特に好意を以て市長は大蔵省理財局長松尾氏に左の書面を送り、松尾氏よりは次に掲くる回答を得て、英貨償還に関する大蔵省の意見か公債条例制定の当時に異ならさることを確め、結局英貨償還を希望する「モールス」氏の請求を拒絶したり
   拝啓仕候益御清適可被為入奉欣賀候、偖先般煩御配慮候本市水道公債の義、去る七月七日元横浜居留地二十八番米国人ゼームス・アール・モールスより百万円募集の契約相調ひ、内五十万
 - 第28巻 p.431 -ページ画像 
円は同月十五日払込み済み、残額五十万円は来る十二月十五日迄に払込の筈にて、右払込済額に対しては去る八月十四日別紙見本通証書相渡候次第に有之候処、今般右モールスより該証書裏面に記載ある英貨百三磅七志八片二分の一を以て、他日元金の償却を受け度旨申来候処、該証書並に本公債の為に設けられたる市条例に於ては、到底右の要求に応すること能はさる義と被存候而已ならす、曾て御省に於ても本公債の元金は英貨を以て支払ふは不可なりとの御意見に相承り居候得共、今若前記モールスの希望を容れんとせは、更に市会の決議を経て英貨支払の新法を発するに非されは其効力無之ものと被存候、乍併御省に於ては到底英貨支払の事は御許容無之義に御座候哉、或は市の意見に拠り本邦貨又は英貨何れ共支払上御差支無之筋に候哉モールス請求ニ対し夫是取調居候次第に付、甚た恐縮の至りに奉存候得共何分御報示被成下度、此段御依頼迄得貴意候頓首
    明治三十二年十月廿八日       鳴滝幸恭
     松尾臣善殿
   復啓倍々御清適奉賀候、然れば貴市公債の内一百万円の募集都合好く相運候趣にて証書見本御送付相成奉謝候、御問合の英貨を以て元金償還の件は許可不相成省議に有之候間右様御承知相成度此段御回答迄申進候 敬具
    十一月七日           松尾理財局長
     鳴滝市長殿
 九、其後一両度此事に関して双方間に往復ありしも、神戸市参事会は都て之を拒絶し、又「モールス」氏は残半額の取引を五ケ月間延期すへきことを求めたれとも市参事会は此請求をも拒絶したり玆に於て最後に「モールス」氏は十二月七日付を以て此事を法律家の手に委する旨を市参事会に申込み、終には訴訟の止むを得さるに至れり
 十、明治三十三年一月十八日「モールス」氏訴訟代理人は訴状を横浜地方裁判所に提出し、契約の解除と四十六万円元利の取戻及二万五千円の損害賠償金を請求し、二月十二日神戸市参事会訴訟代理人は答弁書を提出し、且つ違約の責は却て「モールス」氏にありとし、損害金二万五千円の反求をなしたり
 十一、原告〔「モールス」氏〕の主張は本件の公債は英貨を以て償還すへき契約なり、又其英貨は公債証書の裏面の英訳文にのみ記入しありて表面の日本文に記入なし、故に契約に適合せすと謂ふにあり、被告〔神戸市参事会〕は曾て右等の合意の契約を認めさるに拠り全く原告の主張を拒絶し、且つ十二月十五日迄に残半額の払込をなさゝりしは原告の違約なりと主張せり
 十二、三月三日、四月十二日両回の対審を経て裁判所は全く被告の勝訴に判決せり
抑も此事件の論点たる第一は、此公債は英貨を以て償還すべき契約なりや否や、第二は此公債証書の表面に日本文を以て英貨を記入すべきか否やにあり、今吾人は単に世間普通の常眼に依りて此問題を解決せ
 - 第28巻 p.432 -ページ画像 
んとす
本件の公債を発行する為に神戸市が市会の議決を経、且つ内務大臣の認可を得て発布したる公債条例は、双方の契約に先だつ数月前に制定せられたるものにして、市吏員は唯だ之を遵奉すべく決して之を変更することを得ざるなり、従て此条例を以て双方間の契約を解釈するの材料となすべきも、契約を以て双方間の契約を解釈するの材料となすを得ざるや勿論なりとす、而して今回の争論を惹起せし根源たる其第六条は「此公債証書には本条例に定むる必要の条項を摘録し、且つ之を英訳し及び外国貨幣を併記し云々」と曰ひて「必要の条項を摘録し及外国貨幣を併記し且つ之を英訳すべし」と曰はざるは、文理上明かに外国貨幣は訳文の部に於て併記するものたることを認め得べく、又本条に規定せる所の「条例の要項を摘録すること、之を英訳すること外国貨幣を併記すること」の三者は共に同一の趣意目的に出てたるこは何人も之を認め得べし、即条例の要項を摘録すれば、公債の目的・性質及償還の方法等を一見明瞭ならしめんとするものにして、其之を英訳するは外人をして容易に前同様の事項を知らしめんとするに在り乃ち知るべし其外国貨幣を併記するの理由に至りても、亦此趣意目的に出てたることを、換言すれば、外人をして日本の通貨壱千円は英貨の何程に相当するかを知るの便に供せん為め外国貨幣を併記するに外ならず
前述の如く公債条例の意義は極めて明瞭にして、毫も英貨償還の意味を含有せざるは勿論、外国貨幣は訳文の部に併記するものたることも亦毛頭疑を容るゝの余地なしと雖も、「モールス」氏は双方合意の上契約せしものゝ如く云ひ、甚しきは英貨償還の如何を以て契約の死活を決せんとするものにあらずや、然らば英貨償還の事は「モルース」氏に取りて、本件契約最大要件なりと云はざるべからず、而して仮に「モールス」氏の言ふが如く英貨を以て償還すべきものとすれば、即ち普通の法則に反する公債なるを以て、第一条例に其明文を掲ぐべきは勿論、契約書にも、必ず此例外的合意を明記すべきは、論を待たざる所にして、此の如き主要の条件を契約書に遺脱するが如きことは万万有得べからず、然るに七月七日の契約書を見るに、公債条例及公債償還方法は明かに契約の一部となりて、氏が主張する所の英貨償還を許さゞるのみならす、外貨併記に於けるも何等違例なきにもあらずや「モールス」氏は又市長其他の市吏員か英貨償還の事を口外せりと主張し、石田氏及「ウルセイ」氏の証言ありと云ふと雖も其証言に付ては甚だ疑ふべきものあり、兎に角双方の間に取替はせたる完全なる契約書が、他人の口舌の為に左右せらるゝに至ては実に容易ならす、而かも之を信ずること能はざる反対の事実あるを奈何せん、乃ち市長其他の市吏員は公債条例制定の当時大蔵省に交渉して英貨償還の行はれざることを知れるのみならず、後「モールス」氏の請に応じて好意上より大蔵理財局長に照会したる文面を見るも、当初より英貨償還の意思あらざりしことを証するに充分なりと信ずればなり
「モールス」氏は又為替相場に関し、双方の間に交渉ありしは相場の高下を争ひたるものなりと云ひ、之を英貨償還の意を含むものゝ如く
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云ふと雖も、神戸市参事会が之に対して弁ずる所を聞くに、神戸市は初め大蔵省の定めたる相場に拠りて記載するを穏当なりと思惟せしに「モールス」氏は七月七日契約当時の市場の相場に拠らんことを望み玆に双方意見を異にせしは事実なり、然れども本公債は素と「モールス」氏との契約に拠りて発行するものにあらざるを以て、契約当日の相場に拠ることを拒絶し、而して公債条例は六月三十日に発布せしにより、其翌七月一日即ち公債証書の調製に着手する当日の為替相場に基き換算するを最も穏当なりと信じ、然か決定したるものにして、当時相場の高下に就ては一言も之を争ひしことなく、従て英貨償還の意を存するが如きは何等の形跡も之れあらさるなりと、以上の弁明に依れば是亦「モールス」氏の主張は毫も理由を見出さゞるなり
以上観察するに所に依れば、本件の争点たる英貨償還の事及び英貨を公債の日本文に記入する事の二事は、何れの点よりするも神戸市参事会の行為に何等の欠点あるを認めず、「モールス」氏の主張は殆んど価値なきが如し、冀くは両者互に譲歩し此紛争を止め、適当の和解に至らんことを切望に堪へずと云々


雨夜譚会談話筆記 下・第四三八―四三九頁 昭和二年一一月―昭和五年七月(DK280054k-0006)
第28巻 p.433 ページ画像

雨夜譚会談話筆記  下・第四三八―四三九頁 昭和二年一一月―昭和五年七月
                     (渋沢子爵家所蔵)
  第十五回 昭和二年十一月十五日午後五時半 於飛鳥山邸
    一、明治卅四年十二月神戸市対モールスの神戸水道公債事件を調停せられしに就て
先生「モールスとの此問題は詳しい記憶がありません。問題の調停に這入つたのは私がモールスと懇意であつた為だつたと思ふ。といふのは此の人がやりかけた京仁鉄道を私等が買収した関係があつた。此事が明治卅一年であります。其以前に神戸市が借金をして居つたが、之れは銀の貸借になつて居つた。その後市とモールスとの間に銀相場の変動から問題が生じたものだから、モールスから私に内々で希望を打開けて調停を頼んで来た。それで私が神戸市へ話してやつた迄だらう思ひます。それで双方了解して呉れて治りました。モールスと云ふ人は左まで上品な人ではなかつたけれども、事業経営の才はありました」
○下略
   ○此回ノ出席者ハ栄一・夫人・穂積宇多子・渋沢美枝子・渋沢鄰子・渋沢敬三・増田明六・渡辺得男・白石喜太郎・小畑久五郎・高田利吉・岡田純夫泉二郎。