公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
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明治35年2月27日(1902年)
是日栄一、帝国ホテルニ於テ開催セラレタル松方正義ノ欧米漫遊送別会ニ出席シ、一場ノ送別演説ヲナス。
渋沢栄一 日記 明治三五年(DK280131k-0001)
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渋沢栄一 日記 明治三五年 (渋沢子爵家所蔵)
二月廿七日 晴
○上略 午後五時帝国ホテルニ抵ル、松方伯送別会ヲ開ク、会スル者百十数名、食卓上一場ノ演説ヲ為ス ○下略
竜門雑誌 第一六六号・第六―八頁 明治三五年三月 ○松方伯送別会に於ける青淵先生の演説(DK280131k-0002)
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竜門雑誌 第一六六号・第六―八頁 明治三五年三月
○松方伯送別会に於ける青淵先生の演説
△帝国ホテルに於ける演説
本編は去二月廿七日青淵先生・曾禰大蔵大臣・山本日本銀行総裁・岩崎久弥男・三井高保諸氏発企者となり、大蔵省の高等官及重なる実業家諸氏の合併にて、帝国ホテルに於て催されたる松方伯送別会席上に於て、青淵先生の述へられたる挨拶の速記にして、前編即ち東京銀行集会所に於ける先生の演説速記と重複の点ありと雖、同集会所に於ける松方伯の演説に向ひ、此席に於て更に先生の所感を述べられたるの節あれば、茲に収録せり
松方伯閣下及臨場の諸閣下諸君、唯今大蔵大臣から御述べのございました通り、当夕は松方伯の御漫遊に就きまして、吾々共爰に発起となつて御送別の宴を開きました次第でございます、蓋し此送別の宴は自分も発起人の一人に加はりましたが、曾禰大蔵大臣・山本日本銀行総裁、三井・岩崎の両君と申合せまして、諸君の御賛同を請ふて、伯の御都合を伺ひました処が、快よく会さうと云ふ御挨拶を得まして、茲に此宴を設けましたるに、計すも諸元老閣下にも尊臨を請ふことが出来まして、斯様な盛会に相成つたのは発起人たる私共誠に光栄此上もありませぬ、而して大蔵大臣から御述べの通り、伯は連日の御送別会種々なる御多用の中を御繰合せ下すつて、早くより御臨場下されまして、別して諸君と共に御厚意を謝します、此会は官途の御方と実業界
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の者と打混じた所謂官民混同の送別会であつて、而して今曾禰大蔵大臣から伯の御壮健を祝し謝辞を申されましたから、又私が申上げる必要はないやうでございまするか、松方伯に対しては実業家即ち此所に御集りの私共同種類の方々は、余程御縁故が厚いと思ふのでございますから、私は実業家代表の意味を以て、伯に一言の送別の言葉を申上げたいと思ひます、私は元来本務を申すと銀行者でございます、種々な方面に顔を出すから時々見違ひられることはありますけれども、そこで銀行家の側からは、昨晩も伯に対して不弁なる送別の辞をば呈しましたが、今晩の集つた御方は銀行者のみの代表ではありませぬから実業家の事情から伯に対して一言申したいと思ひます、伯も齢ひ七十に垂んとして、而して其脳力なり身体なり御健全で、此欧米万里の途に御漫遊を企てられたと云ふことは、実に其御壮んを喜び、且つ其御志の勇壮なのを感ずるのであります、昨晩も申上げましたが、段々日本にても経験を重ずるやうになり、年寄りが余り捨てられぬやうになりはせぬかと云ふことも、もふしましたが、伯の如き御方かあつてからに吾々の心を大に強うする、もう仕事が済んだから巨達《(炬燵)》に這入つて隠居しても宜からうと思つたが、イヤ待て松方伯は七十になつて洋行するぞや、さう弱いことを言ふてはならぬと、私さへ言ふから、大方諸君も仰しやるだらうと思ひます、松方伯の此漫遊は全く漫遊である世には或は外資輸入とか何とか言ふやうなことに関係する如く意味して評する人もありますけれども、それは寃罪である、左様な意味は決してないと云ふことを、銀行集会所で仰せられました、又外国から資本を輸入するといふことも、無理なる所作を以てせば、或は益無うして害がありはせぬかと思ふ、而して此外資の流れ込むと云ふことも、相当な手続き以て輸入するのは喜ふべきことであるけれども、蓋し其輸入には多く己の信用と云ふ、呼ふべきものがなければ来るものではなからうと思ふ、斯る趣意を以て吾々に留別の言葉とされましたか、誠に御尤千万で、而して第一に私は伯の寃罪を解かうと云ふて、私が弁護人を頼まれた訳ではござりませぬけれども、果して左様であらうと思ふ、既に伯の趣意とする所は、仇な資本は無闇に入れるのは宜くないと、斯ふ御考へになる以上は、決して殊更らに作為を以て資本を輸入すると云ふやうなことを含んで御出でなさると云ふことのない筈だと、斯う厚く信じ上げるのであります、去りながら日本の今日の実業界を観察すれば、伯の常に言ふてござらつしやる通り、其発達を計るには成り得べき丈利息が安くなければならぬ、高い金利に良い事業が成立つと云ふことは出来ぬと云ふことは、伯の常に主張される所、又経済家の原則とする所である、然るに吾々実業家、則ち此所に集つた者が、此日本の事業に対する金利が果して誠に適当であるか、相当であるかと問ふて見たなば、否な甚だ高過ぎると言ふであらう、之を安からしむるの策如何、或は貯蓄奨励等種々なる点もございませうが之を要するに自然の方法を以て資本を共通せしむると云ふことは、私は最も勤むべき、最も注意すべき事柄であらうと思ふのである、果して然らば伯が今度の御洋行は全く漫遊で、而して仇な資本を入れると云ふ人為上資本輸入策を講するでは無うてもが、併し我が日本の信用
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あるべき程度を余所の国に紹介して、自然的に輸入すると云ふ方に対しての御務めは、伯に於ても自ら執るであらう、又吾々も執つて欲しいと望むのであります、当局者の御尽力で日英の協約成立致して、吾吾其頒布を得たのは、東洋の平和を保ち東洋の商工業を発達せしむるに於て、大なる力あることゝ感佩に堪へぬのでございます、序でを以て申上げるは相済みませぬか、此事に於ては実に吾々は最も満足の意志を表して居ります、去りながら此事柄が唯た単に一つの新聞に誉め一つの電報を送つた、決議をしたと云ふ、文字上の虚栄たけで打過ぐべきものではございませぬ、之を実にせしむるには、其局に当たる御方々の此上の指導誘掖も要りませうが、併し事実は吾々即ち伯を今晩送くる所の実業家が、充分に思慮し充分に刻苦して、或る場合には勇気を出し百難を排して進むと云ふ心掛がなかつたならば、真に協約をして事実ならしむることは出来ない、或は虚栄に終らしむると云ふことがないとは申されぬと思ふのでございます、此点に於ては、伯も果して御同情を表されるであらうと思ふ、而して斯かる事柄に就ての自然の助けを持つと云ふことも、必ず伯の是までの経歴、是までの名誉是までの徳望をして、必ず大に与つて力あらしむることであらうと思ふのであります、伯が実に貴重な御身柄を以て此漫遊万里の御企てを為さりましたことを感謝すると同時に、益々国の為め、又吾々実業界の為めに、前に申上げる事どもを御参考の端として、漫遊中に大なる御尽力を請ひ上げたい、蓋し呈する食饌は少なくて、望む事柄が甚だ多いので、是も商工業者の慾張りと云ふやうな趣意になるかも知れませぬけれども、吾々の意は斯くの如くであると云ふて、一言を呈した次第であります(拍手)
東京経済雑誌 第四五巻第一一二二号・第四三四―四三五頁 明治三五年三月八日 ○実業家の松方伯送別会(DK280131k-0003)
第28巻 p.814 ページ画像
東京経済雑誌 第四五巻第一一二二号・第四三四―四三五頁 明治三五年三月八日
○実業家の松方伯送別会
京浜の重立たる実業家は去月廿七日夜帝国ホテルに松方伯を招待し、送別会を催ふしぬ、出席は大隈伯・渋沢男・山本達雄・相馬永胤・園田孝吉・大倉喜八郎・高橋新吉氏等百余名、席上松方伯は、先づ京浜の重立たる商工業家が、自分の為めに斯る盛筵を催ふせられたることを感謝する旨を述べ、今度の漫遊は決して政府の外債募集の用務を帯ぶるものに非らざることを言明し、及ぶ丈け欧米各国の財政及び経済の情態を視察し、且つは泰西列国に於て政府が其国商工業者に対する待遇は、我国の政府が実業家に対する待遇と、多少趣を異にしたる所あるべく、此れ等の情態をも観察せんとの希望を有する旨を陳述し、次で大隈伯は財政及び経済に対する松方伯の功績を賞讚し、此の老熟したる伯の漫遊は、決して尋常一様には見る可らず、自分は伯が無事に帰朝せられんことを国家の為めに祈ると演説し、松方伯は再び起つて大隈伯の賛辞は敢て当らず、然かも自分が七十の老齢を以て漫遊に上るは、国家の為め大に慾張らんとの考へあればなりと述べ了つて、井上角五郎の演説等もあり、中々盛会なりしと