デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

3部 身辺

1章 家庭生活
4節 趣味
2款 和歌
■綱文

第29巻 p.196-216(DK290062k) ページ画像

明治36年11月―同37年3月(1903-1904年)

明治三十六年十一月下旬ヨリ栄一中耳炎ノタメ臥床、翌年三月国府津ニ転地療養ス。是間、和歌二百余首ヲ詠ジ、集メテ「室の小草」「磯の若菜」二巻トス。別ニ「忠臣蔵詠歌」二十四首、「詠史」十首アリ。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三六年(DK290062k-0001)
第29巻 p.196 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三六年     (渋沢子爵家所蔵)
十一月廿一日 晴
昨夜ヨリ風邪気ナルヲ以テ日本銀行ニ開会スル幣制会議ニ不参ノ事ヲ電話シ、十一時兜町事務所ニ抵リ直ニ王子別荘ニ帰臥シ、医師ヲ招キテ診察ヲ乞フ
十一月廿二日
以後病気快方ニ至ラス、其夜ハ喘息症ナリシモ、廿四日夜ヨリ中耳炎ト変シ、且種々ノ余症ヲ発シ、翌年二月廿九日迄ハ読書執筆ヲ全廃セサルヲ得サリシニヨリ、日記モ中略スルニ至レリ、但病中ハ専ラ詠歌ヲ事トシ、常ニ中村秋香氏ノ添削ヲ乞ヒ、名ケテ室ノ小草ト称シテ、別ニ之ヲ一小冊子ト為サントス


渋沢栄一 日記 明治三七年(DK290062k-0002)
第29巻 p.196-197 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三七年     (渋沢子爵家所蔵)
三月十五日 晴
○上略
駿河国興津駅ナル松ノ下庵中村秋香氏ヘ書状ヲ郵送シ、且此程中出詠セシ和歌数十首ヲ添削ヲ乞フ為ニ封送ス ○下略
三月十六日 晴
午前七時起床昨日ト同シク褥中ニ於テ読書ス、興津中村秋香氏ヘ再応書状ヲ発シ、且西洋菓子ヲ送ル、穂積歌子ヨリ来書アリ、中村氏ノ書状及詠草等送リ来ル、即日返書ヲ発送シテ詳細ニ申シ遣ス
○下略
   ○中略。
三月十八日 朝雪降ル
○上略 中村秋香氏ヨリ書状及詠草来ル ○下略
   ○中略。
三月廿六日 晴
○上略 中村秋香氏ヘ一書ヲ送リテ詠草ノ添削ヲ乞フ ○下略 夜中村氏ヨリ古今集詳解一冊ヲ寄送セラレ、且余カ当地滞留ノ時日ヲ問合セ来ル、依テ来月初旬マテハ止宿ノ事ヲ回答ス
 - 第29巻 p.197 -ページ画像 
   ○中略。
三月三十日 曇
○上略 午後中村秋香氏ヘ書状ヲ送リ、詠草ヲ封入ス、来月初旬同氏帰京ノ途次来泊ノ事ヲ申シ遣ハス ○下略
三月三十一日 曇
○上略 午前中村秋香氏ヘ再応書状ヲ発シ詠草ヲ送ル ○下略
   ○中略。
四月七日 晴
午前六時半起床、朝飧後新聞紙ヲ閲シ且中村秋香氏ヘ一書ヲ以テ、詠草ト共ニ興津ニ発送ス ○中略 又村田俊彦(日本興業銀行員)ヨリ東京ノ花信ヲ報シ、且歌ヲ寄セラレタレハ、返書ニ添ヘテ歌二首ヲ遣ス ○下略
四月八日 晴
○上略 午後中村秋香氏来訪ス、臥床中ニ接見シテ国歌ニ関スル歴史談ヲ聴ク ○中略 夜中村氏及土屋・堀井・竹内氏等来会雑談ス ○下略
四月九日 晴
午前六時半起床、朝飧後土屋医師ノ診察ヲ受ク、中村氏来話ス、皆九時三十九分発ノ列車ヲ以テ帰京セラル ○下略
   ○中略。
四月十一日 晴
○上略
夜東京中村秋香氏ヨリ書状来ル、詠草ノ添削ヲモ封入ス


竜門雑誌 第一八八号・第一八―二〇頁 明治三七年一月 ○室の小草(DK290062k-0003)
第29巻 p.197-199 ページ画像

竜門雑誌  第一八八号・第一八―二〇頁 明治三七年一月
 ○室の小草
  病の床のつれつれなるまゝに、うめき出したる歌ともを興津なる中村秋香大人に添削を乞ひけるに、いとねもころに批評せられ、あるは返歌をさへ添え給へるを、後の思ひ出草にもとかきしるさせ置くになん
三冬月病にこもる室のうちに
      ことの葉草をつみはやしつゝ
                         栄一
  編者曰く文中△印を附せるは中村大人の評言又は返歌なり
    ○惜歳暮
迎ふるも送るもおなし年なから
      くれ行く今日の惜しくもあるかな
  △実情をうつし出して調やすらかに姿たかくいとをかしき御歌にこそ
    ○歳暮木枯
年浪のたつ音たかくなりぬらん
      ふきすさみたる木枯の末
  △たくみにも云ひなし玉へり
    ○病中歳暮
いたつきにすきしうき世の年の瀬も
      浪しつかにとねきわたるかな
  △世を憂ひたまへるまこゝろ調の外に溢れてあはれにもたふとき御歌なるかな
 - 第29巻 p.198 -ページ画像 
世のうきも喜しきもよそにして
      うつゝを夢とおくるとしかな
  △おもしろく承り候
   忘れませ現と夢の境をも
         只わすれませ此よの中は
     中村大人のかく云ひおこせ給ひけれは、又しもかくなんこたへける
忘れても又くりかへし結ふなり
      いとしもにくきよるの夢かな
    ○病中迎年
ほきことは人にいはせて来る年を
      ひとりこゝろに祝う今日かな
  △これもおもしろくうかゝひ候
身に残る雲はきのふのまゝなから
      むかふる今朝の初日かけかな
  △申すむねも候はす
   初日影のほるすなはち晴れにけり
         耳梨山にまよふ浮雲
    かくなくさめこされけれは
耳なしのやまひのすそ野くも消えて
      つれつれ草そもえ出てにける
    歌子もまた
  もえ出しつれつれ草におもしろき
       言葉の花の咲き匂ふかな
ありふれはうき事まさる世の中に
      またひとゝせをむかへつるかな
  △君にすら猶此声の聞ゆなる
        よそめのみこそ世は楽しけれ
    又折かえして
かこちつる声なとかめそうしといふも
      うき世に老の事しはてねは
  △さらに
   何事もたゝうちすてゝのかれませ
         はてゝと待たははつる日はあらし
   功なり名遂けてと何かしか云ひしも且は養生のうへを思へるなるへし玉のをの命ありてのよなりけり
         のかれませ君のかれませ君
   まれにはかゝるそゝろことも御慰の一つにやとてこそもとよりまほに聞えさするには候はす
見るものはみなあらたまる心地して
      としほかひせし昔恋しな
  △御同感に候
    ○新年月
雲はみな去年のあらしにはらはれて
      かけ新しくさゆる月かな
寒けれといとのとかにも見ゆるかな
 - 第29巻 p.199 -ページ画像 
      しめ縄こしの庭の月かけ
    ○盃
うきにつけ楽しきにつけめくるかな
      うれひをさけの盃のかす
月花のかけのみと見し盃に
      かしらの雪もうかへけるかな
  △酒量の減するによりて老を知るなと、老を忘るゝ酒によりて却て老を悟るのこゝろおもしろくつらね給へり、さてのち
   月花のかけをうかふる盃に
         かしらの雪はうつらすもかな
   とや歎し給ふらん
    ○去年の暮ともに春をとちきりつる盆栽の梅またき
    花の咲き初めけれは床のへにすゑけるをみて
ともにをと契りし梅は咲きにけり
      今日あらたまの年をむかへて
いさわれもおき出てまし咲匂ふ
      老木の梅のうつろはぬまに
  △とく咲て世に春風をさそはなん
      雪にこもれる宿の梅かえ
    又折かへして
世の春のめくみにやかてさきいてん
      老木の梅はいろうすくとも
    歌子もかくなんなくさめける
  かくこそは病ひのねやを出ませと
        まつや咲けん室の梅かえ
    ○病の床の折々の夢におのれ日頃かゝつらへる事とものありありと見ゆるをさめて後はかねてくすしのをしへにしたかひせちに世のことをさけつとめて視聴言の三つを抑制しぬれは朝夕只恍乎として夢路をたとる心地するに
いかてかくぬる夜の夢はうつゝにて
      さめしうつゝは夢となるらん
    ○同じ折され歌を
なやみつる病は中耳炎なれと
      夜ことの夜に周公を見す
    歌子はかくなんこたへき
   ゆめたにもかたらはせしのいたはりに
        聖のさけてあはぬなるらん
    この贈答を中村大人に示しけるにかくそ云ひおこせ給ひける
  △いとをかしく興ありて承り侍れと穂積夫人の御かへしに尽し給へれは今さらに何事をか聞えまつらんさりとておよひくはへんもさすかにて
   周公の夢にみえぬは仲尼炎
         止みぬるかなの故にそあらまし


竜門雑誌 第一八九号・第二四―二九頁 明治三七年二月 ○室の小草(DK290062k-0004)
第29巻 p.199-202 ページ画像

竜門雑誌  第一八九号・第二四―二九頁 明治三七年二月
 - 第29巻 p.200 -ページ画像 
 ○室の小草
                        栄一
    ○病の床にて
つきし日も忘るゝはかりいたつきの
      床のふすまの長くもあるかな
かた糸のくりかえしてはかそへつる
      日数もなかきいたつきの床
あきはてし病の床に冬くれて
      にひ年をさへむかへつるかな
    ○回向院のにきはひ今年はわきてめさましきよし子等の云ひはやすをきゝて角力といふことを
立むかふすまひのほてのひとつかひ
      をのこの中のをのことそ見る
身にまとふ錦織りなせすまひとり
      力とわさをたてぬきにして
  △たくみに云ひなし給へり
きそひつゝ進むはものゝ常なるを
      なとすまひのみとりはやすらん
  △けにけにしかり
    ○折にふれて
雪霜の世のうき冬をふみてこそ
      むかふる春は楽しかりけれ
  △艱難即歓楽の意がおもしろし
咲花のみつすふ蜂の多き野に
      蓼の葉をくふ虫もありけり
  △花の露きそふからさにくらふれは
         たてはなかなかあまくやあるらん
    ○中村大人より ふみの中に
  △十二月三十一日の夜東京なる家にぬす人入りてもの多くもていにしよし告けこしけれは
   暮れてゆく年のうきせを越えかねて
         うちや入りけん夜半の白浪
   まつしさにたへぬあまりのわさならん
         ぬすまるゝ身そうれしかりける
   これもまた人の子そかしあはれはれ
         いかにわひたるはてにかあるらん
     とありけれはなくさめまうさんとて
言の葉の花咲く君か宿なれは
      冬もみとりの林をそ見る
  △あたりかたくなんされとこの御言葉をたまはるをよろこひて冬かれの緑の林入りてこそ
         にほうこと葉の花は得てけれ
おもひきや海原遠き君が家に
      よるしら浪の打よせんとは
  △けに本郷台に白浪の打よせたる末の松山もたのみかたき世の中にこそ
    歌子もまた
 - 第29巻 p.201 -ページ画像 
  御心は海ももかは打入りし
      あとしら浪にたちもさわかす
  いかなれは君か旅ゐはおきつかた
      かたゝかへても浪のよりけん
     と申おくりけるにかく云ひおこせ給ひきとそ
  世をうみにのかれきよみの浦千鳥
      よるしら浪にたちもさわかす
    ○六家の月といふことを
     山家
山のはにてる月影は清けれと
      のきはをくらし谷のひとつ家
  △実景題詠のものとは思はれす
     漁家
沖遠くすなとる舟も見ゆるまて
      月さやかなり浦のあまか家
     富家
高殿の月のまとゐは名のみにて
      光まはゆきのきのともし火
     貧家
軒くちてとさしもあはぬ賤か家の
      おくまててらす月のかけかな
     僧家
住みすてし野寺の軒はかたふきて
      かけあはれにも月そさし入る
     農家
賤のをか稲かる影も見ゆるかな
      黄はむ門田の秋の夕月
    ○六家の雪といふことを
     山家
酒かひてかへるをのこも見ゆるなり
      雪の友まつ峰のひとつ家
  △かろき御口つきや
     漁家
のりすてし小舟は雪にうつもれて
      軒にあみほす浦のあまか屋
     富屋
つき山の木々に雫は見えなから
      はらひつくしゝ庭の初雪
  △無風流のさまおもしろくつゝけ給へり、此庭の松は蜘のすかきしことく縛められ、梅は藁のよろひあつらかにきせられたらんといとをかしくこそ
     貧家
かたふきし軒も垣根もなかなかに
      見ところ多き雪のしつかや
  △あはれに承り候
 - 第29巻 p.202 -ページ画像 
     僧家
陀羅尼よむ声の末さへ氷るなり
      雪にあけゆく山寺の窓
     農家
とりいれもはてし田の面の雪見つゝ
      年ほかひするあかた人かな
  △調おほらかにすかたたかき御歌かな
  編者曰く 文中△印を附せるは中村大人の評言又は返歌なり


竜門雑誌 第一九〇号・第三二―三五頁 明治三七年三月 室の小草(DK290062k-0005)
第29巻 p.202-205 ページ画像

竜門雑誌  第一九〇号・第三二―三五頁 明治三七年三月
 室の小草
                              栄一
    ○閑中新年
とふ人もまれなる庵の柴の戸は
      しめ縄にのみ見ゆるにひ年
なかなかに初日のとけく見ゆるかな
      うき世のかれしにひとしの窓
  △けにと承り候、たゝし此松の下庵には
   とふ人もなき柴のとは新年のしるしを門にしめ縄もなし
    ○山路霜
朝またきたとる山路の霜の上に
      まつこえ行しあとも見えけり
今日もまたひよりなるらむ山かけに
      雪と見るまておける朝霜
    ○雪後月
また咲かぬ梢に匂ふ花みえて
      雪の木の間をてらす月影
千さとまて雪にくまなく見ゆるかな
      すみわたりたるむさし野の月
  △よろしく承り候
    ○雪中旅行
朝ぬれし時雨の袖もほしあへす
      雪になりたるまかね路の旅
  △朝ぬれしの句は汽車に入らさる前をの玉ふものなるへけれと、いさゝかものたらぬこゝちす
ふるゆきにこゆる山路のつゝらをり
      人のあとこそしをりなりけれ
    ○都雪
たちつゝくいらかに白く残れとも
      ちまたは雪のあともとゝめす
  △都下のさまよくつらね玉へり
しはらくははしる車もとたへけり
      みやこ大路の雪のあかつき
    ○夜霰
しくれぬと思ひねし夜の夢さめて
      まと打つ音にしる霰かな
 - 第29巻 p.203 -ページ画像 
いく度かふりし昔をかたりつゝ
      ねなからに聞く小夜霰かな
    ○沢水鳥
風寒み沢辺の鴨のよる鳴くは
      こほりに床やとちはてにけん
  △景樹かあらしふくさやまか池のおもかけありておもしろく承り候
むらたちし沢への蘆も枯れはてゝ
      あらはに見ゆる水鳥のかけ
    ○川氷
里川の流れの氷とちしより
      橋行く人もまれになりけり
霞たつちゝふの高根雪きえて
      氷なかるゝ隅田の河水
    ○嶺寒松
木々はみな冬かれはてゝ峯の上に
      いよいよあをく見ゆる松かな
  △一吟の下歳寒後凋の意おのつからおもひしられてをかしき御歌に候
吹あれし夜半の木からし音たえて
      月かけ寒し峯の松かえ
  △やすらかに承り候
    ○寒夜月
小夜更けて池のみきはにてる月は
      やとる影さへ氷りはてけり
さしこめし障子もあけてみつるかな
      梅か枝うつす窓の月かけ
    ○時事有感
吹かえす風の村雲たゝよひて
      雪となるへき空の色かな
雲深み海原くらき雪空を
      ふきはらさなん春のはつ風
  △句々時情に切にしていとをかし
    ○春漸近
来る春は近つきぬらん我そのゝ
      梅も柳もいろめきにけり
やかてくる春のいそきのことはしめ
      まつよりかくる青柳の糸
近つきし春のたよりを朝風の
      吹き送りたる野路の梅か香
    ○節分
うつまめにかり出されし鬼の子は
      よるへなみ路に春やむかへん
家ことにふくは内にとよひはやす
      声より春も入りや来ぬらん
  △興ふかし
 - 第29巻 p.204 -ページ画像 
    ○山家初春
梅もまたほころひかぬる山里は
      来し初春を何にしるらん
しめなはゝおのつからなる松か枝に
      のこりて寒し春の山里
  △はたらきたる御歌にこそ
    ○早春旅
旅衣春また寒きゐなか道
      門松たてし里も見えけり
咲初めし磯部の梅の香をとめて
      いてゆにあらふたひ衣かな
   △いといとおもしろし
    ○病床にて
うちかつくかろきふすまもいく日数
      かさねて重きいたつきの床
  △たくみに云ひかけ玉へる環のはしなきか如くいとをかし
    ○折にふれて
きくかひもなしとしるしるともすれは
      猶世のことにみゝとゝめつゝ
世を忘れよにわすらるゝ老か身に
      病はなとかつきまとふらん
    ○病の床にて
暦なきみ山の里を身にしめて
      梅に春しるいたつきの床
  △いといとをかしく承り候
    ○梅始開
朝霞たなひきそめし我園の
      みなみの岡は梅咲にけり
  △すらすらとしてよく聞え候
ちる花と見し木のもとの雪きえて
      今日はまことの梅咲にけり
    ○竹残雪
かきりある姿も見えてあはれなり
      下折竹にのこるしら雪
おきかへるおのか力に払ひけり
      竹の葉末にのこるしら雪
    ○谷鶯
春きぬとふく朝風に鶯の
      ひと声なきて出る谷の戸
  △調少しくるしき心地す
たゆたひて谷間はなれぬ鶯は
      野辺の霞の立をまつらん
    ○夜こと夢のさめたる後、ねふられぬこと多かりけれは
 - 第29巻 p.205 -ページ画像 
いきたなく寝たる昔をしのふかな
      あかしかねたる暁の床
  △上の句一気呵成いといとおかし

    ○旅順口海軍戦捷             栄一
ますらをの赤き心しかたけれは
      もろく砕けぬ仇の黒船
    ○陸軍の戦捷と思ひはかりて
朝日かけ匂ふ御旗の下風に
      くたけてなひく露のしこ草
    ○賀古大人の従軍の首途をおくるとて
春霞今日たつ君か旅衣
      ゆくては花そおくりむかへん
帰り来ん日にこそ聞かめ西比利亜の
      野末の露のちりしおとつれ


竜門雑誌 第一九一号・第三五―三八頁 明治三七年四月 ○室の小草(DK290062k-0006)
第29巻 p.205-208 ページ画像

竜門雑誌  第一九一号・第三五―三八頁 明治三七年四月
 ○室の小草
                         栄一
    ○窓早梅
寒けれと窓はとさゝし香に匂ふ
      のきはの梅は咲き初めにけり
日おもての窓さしのそく梅か枝に
      かそふるはかり見ゆる初花
  △興ある詞つかひと存し候
  編者曰く以下△印は秋香大人の評言なり
    ○待鶯
寒けれと世は春風になりにけり
      梅に来て鳴け谷のうくひす
    ○早鶯
とゝのはぬ音をやはちらふ鶯の
      鳴きこゝろむるやふの下かけ
    ○余寒月
おほろけに見しは雪けの雲にして
      なほかけ寒し春の夜の月
春浅き沢への水にてる月の
      かすむとみしはけふりなりけり
  △ともにやすらかに承り候
    ○草漸青
ちかよれはまたかれふなる春の野も
      とほめは青くみえ初にけり
日にそへてみとりましけり河岸の
      草も柳の色にならひて
    ○谷梅
 - 第29巻 p.206 -ページ画像 
きのふけふ谷間の梅の咲きしより
      朝風かをる深山辺の里
八重霞たつにまかせて春をよに
      きそふ色なき谷かけの梅
    ○道路
まかね路をゆきかふ車数みえて
      みやこ大路もせはくなりぬる
ひろけつる道はた狭く見ゆるかな
      世はならはしのものにそありける
    ○船
立のほる煙は雲とうちなひき
      海原とほくはしるおほふね
小簾こしに酒くむかけも見ゆるなり
      堤にそひし隅田の河ふね
  △糸の音のとはかりたえし程なるへくや
    ○電車
鳴神にそひし雲間のいなつまも
      車ひく世となりにけるかな
稲妻のまたゝくひまにとく行て
      かへりくるまの早くもあるかな
  △落花流水の調
    ○家屋
いかめしく作りななしそなかなかに
      ことそきしこそおくゆかしけれ
  △けにけにしかり
わひたれとみやひはかゝし我庵は
      かやか軒はに霞むつくはね
    ○庭園
きそひあひし花も紅葉もちりはてゝ
      むかひの園は松そしめたる
  △心ありけの御歌にこそ
見わたしの千町の田面秋たけて
      月おもしろき岨のあつま屋
  △飛鳥山荘の実景とこそ承れ
    ○挿花
玉たれのをかめの梅の咲そめて
      まとのうちにも春は来にけり
花かめに八千代のよはひまかせおきて
      しはし匂へる玉つはきかな
    ○茶道
木の芽にるかこひのかまの松風に
      ちりの外なる人そつとへる
打つとふ友もあるしもくつろひて
      心ひろくもすむかこひかな
 - 第29巻 p.207 -ページ画像 
    ○裁縫
わかせこかたつ旅衣ぬふはりの
      めさへなみたにいとみたれつゝ
  △たくみにいひなし給へり
たちてぬふ綾のたもとやぬのゝ袖
      都もひなも春は来にけり
    ○造花
たをやめか心にしをる汗の露
      そゝきてちらぬ花は咲けり
    ○習字
紙屋川みし水くきはあせゆきて
      かにはふあとのいやましにける
    ○女学生にしめす
開けゆく世の色と香を身にしめて
      むかしのさまに咲けをみなへし
    ○卒業生におくる
とく飛ひてたかく雲井に羽うたなん
      ふみの林に巣たつひな鳥
    ○うれしきもの
朝のふみにあらましを見しかちいくさ
      つはらに友のかたりつけたる
  △朝のふみよくつかひなし給へり
ことくさにまなひの種をうつし来て
      世にあたらしき花を見るかな
    ○たのしきもの
道の上にわかまたわけぬことわりを
      くちさかしくも子らかときたる
  △真に御同感なり
うつくしき花もさき出んをしへ子の
      まなひのはやし春をむかへて
    ○かなしきもの
ひかこともひらくるまゝに多きかな
      花にあらしのさわりある世は
月に日にすゝみゆくての道をしけみ
      ふみまよふ人のおほくもあるかな
    ○わひしきもの
契りおきし友にはあはてちる花の
      木かけおくらく春雨のふる
  △けにいとわひしかるへし
花ちりてとふ人もなき夕暮の
      のきはかすめてかはほりの飛ぶ
  △あわれに承り候
    ○くやしきもの
折しもあれとひ来し人のさまたけに
 - 第29巻 p.208 -ページ画像 
      かな路の車はや出てにけり
  △常あるさまよくつらね給へり
わかゝりし昔の旅の夢さめて
      うつゝにかへる老のあかつき
                     (室の小草おはり)

竜門雑誌 第一九三号・第一九―二二頁 明治三七年六月 ○磯の若菜(DK290062k-0007)
第29巻 p.208-210 ページ画像

竜門雑誌  第一九三号・第一九―二二頁 明治三七年六月

 ○磯の若菜
                         栄一
長うなやみける中耳炎も、つひにおこたりはてけれは、病後の身をやしなはんとて三月六日はかり、相摸なる国府津の浦にまかりて、一月あまりとゝまり居ける程に、医師のいましめきひしけれは、猶世の事にはかゝつらはす、つれつれなる旅ねのすさひにつみためたる言の葉草、いつしかも籠にみちぬ、さてかき集めたる一巻を磯のわか菜とよひてましとそ人のいふなる、けにけにさしひく潮のからうして立てたる趣考もなみなみをも得越えす、老の口すさひに似もやらて言の葉のをさなきにたくへてもいとふさはしうこそと打わらひて、やかて詠草の名とはなしぬ
  編者曰く△印を附せるは中村秋香大人の評言なり
    ○国府津の海浜をそゝろありきして
浜辺ゆく袖もゆるきの浦風に
      かすみをもれていつの島山
  △のとかなる御歌こゝのけしきも思ひ合せられておもしろく候
    ○路傍の梅いとよく咲たるを見て
袖の香を家つとにして梅の花
      わか木の枝は折らて帰らん
  △いといとおもしろし
    ○国府津あたりは梅もやゝほころひたるに三月十三日雪いと多く降りけれは
うちつけに残れる花と見るはかり
      ちりし梢にかゝるあわ雪
はた寒き風なかりせは遠山の
      雪はかすみと見やまかふへき
  △実景の御歌妙々
    ○夕つかた磯辺にあそひて
あすもまたひよりなるらん夕凪の
      霞にこもる大島の山
  △のとけくゆたかなる御調夕なきに霞める島山の如し
朝なきの沖のいさりや多かりし
      さゝめきあひてかへる釣船
  △これも実景にてをかし
貝の音に妹もその子もつとひつゝ
      ひくや水際の背子かつり船
    ○春山
 - 第29巻 p.209 -ページ画像 
つく杖に霞をわけてのほり行く
      高根にも見る麦の山畑
    ○春里
かへるさの道を忘れぬ遠里の
      夕はえ匂ふ花の木のもと
    ○野遊
まつつみし菫の色もあするまて
      うかれて暮らす春の野辺かな
  △実況いとおもしろく承り候
    ○桃花
くろ木おふしつの妹背もいこひけり
      桃の花さく畑のそは道
見る人もなき山かけに咲く桃は
      手折られてこそ花もはえあれ
    ○菜花
春雨にみとりましゆく麦畑の
      なかにひときは匂ふ菜の花
    ○蝶
おとろきてたちつゝ花に寐る蝶は
      子らにおわれし夢や見るらん
  △こまやかにいひつらねたるさま楊誠斎の詩の趣あり
うちつけにちり来る花とおもひしは
      木のまにとへる小蝶なりけり
    ○雀
あまか屋の軒端の花になく雀
      声ものとけくにほふ春かな
さめやすき旅ねの夢をなくさめて
      軒端の雀あさなあさななく
    ○江村春
さく花もたてる霞もよそにして
      砂にあみほす浦のしつの女
    ○海上霞
朝なきの空のけちめも見かぬまて
      かすみこめたる春の海原
    ○勇ましきもの
いくさ船艫にへさきをつらねつゝ
      千里をはしる大和田の原
  △ともにへさきの句興ある御詞つかひに候
    ○心ゆくもの
ふく風にやかて暑さは払はれて
      あを葉にそゝく夕立の雨
    ○憎きもの
ひか事とさすかにわれも知るらんを
      鷺をからすと云ひくろめたる
 - 第29巻 p.210 -ページ画像 
  △けにけに世にはかゝる人ありまことに憎き限りに候、鷺をからすとかゝりて云ひくろめたるとうけたるいといと妙なり
    ○厭はしきもの
うちつとふうたけのまとゐ人ことに
      うけてはかへす盃のかず
  △まことに御同感に候
    ○しれかましきもの
よそめには争ひあふと見るはかり
      つとふまとゐのむしろゆつりて
  △これまたまことに妙けにしれかましき限りにこそ
    ○さひしきもの
ひとり行く片山里の夕まくれ
      谷かけくらくさを鹿の鳴く
    ○もとかしきもの
故郷のはりかねたより中絶えて
      ゆくて定めぬこと国の旅
    ○宣戦の詔勅を拝して
幾年をたきゝに臥しゝ国民は
      きそひたちたり大みのり文
  △臥薪嘗胆やすらかに用ひ給へり
    ○従軍の士を送る
西比利亜の広野の花やちらすらん
      君かゆくてをおくる春風
    ○旅順海戦に就て
西の海とゝろく夜半のいかつちに
      つはさうたれてひそむ荒鷲
  △一気呵成の御歌水雷敵艦を砕くの勢あり
    ○箱崎八幡の社頭にむれ居し鳩一夜の程に其数少なうなりしよしきゝて
えみし打つ神のつかひと広前の
      鳩はひと夜にたちやゆきけん
    ○海陸の戦勝を祝して
海山のいくさのさちもしられけり
      まつ生なからとりし大鷲
    ○旅順閉塞
きく人の胸こそひらけ身をすてゝ
      ますらたけをのせきし湊は
    ○国府津の停車場に従軍の士を送りて
えみし打つうつゝの友を送りつゝ
      忍ふもあはれいにしへの夢
    ○東京よりとひ来し友に第五回旅順攻撃の事をきゝて
来し友にとふは都の花ならて
      かすむ海路の浪のおとつれ
 - 第29巻 p.211 -ページ画像 


竜門雑誌 第一九四号・第二〇―二二頁 明治三七年七月 ○磯の若菜(DK290062k-0008)
第29巻 p.211-213 ページ画像

竜門雑誌  第一九四号・第二〇―二二頁 明治三七年七月
 ○磯の若菜
                         栄一
    ○故郷柳
結ひおきし柳の糸もあとたえて
      われたにまよふ故郷のかと
こよみこそ都にかはれ故郷も
      柳はおなし春の色かな
  △新しくしていといとをかし
  編者曰く△を附せるは中村秋香大人の評言なり
    ○春旅
のりすてしわか小車もかすむまて
      野路にうかるゝ春の旅かな
八重にたつ山路の霞ふみわけて
      ひと重ぬきたる旅衣かな
    ○社頭鶯
広前の梅ややかてのぬさならん
      ぬかつくことく鶯のなく
みつ垣に鳴きこゝろむる鶯は
      初音を神にさゝくなるらん
    ○鶯出谷
鶯のまた打とけぬ声すなり
      けふ谷の戸をいてしなるらん
新しく野辺の霞にさそはれて
      谷の古巣をいつるうくひす
    ○若草
きのふけふふりつゝきたる春雨の
      はれ間まちてももゆる若草
朝日さすかたより草はもえ出てゝ
      あをみそめたる庭の面かな
    ○遠山霞
春あさみ霞も一重ふたら山
      たかねにのこる雪も見えけり
  △口調なたらかに姿のおもしろき恰も春風柳条を弄するか如し
遠目には雲かとそ見るむさし野の
      かすみのおくに立てる筑波根
    ○海辺春曙
うちわたすいそ山かけはくらけれと
      霞にしらむ浦のあけほの
こきいつるあまのつり船ほの見えて
      横雲しらむ浦のあけほの
    ○江村春
花さかぬいそわのしろく見え《(ベカ)》ぬるは
 - 第29巻 p.212 -ページ画像 
      浦の霞のなひくなりけり
    ○寄梅懐旧
うゑしよの色香は花に匂へとも
      古枝こけむす園の梅かな
    ○春日散歩
かいまみし昨日の梅を心あてに
      行きこゝろむる小山田のくろ
    ○旅宿春雨
玉水のおとにのみしる春雨は
      旅寝の夢ものとけかりけり
  △旅寐の心とけかたき意言外にしられておもしろし
打しめる旅寐の夜半の春雨に
      おとつれしのふふるさとの花
    ○霞中帰雁
旅衣かすみとゝもにたつかりを
      かへるとは誰かいひそめにけん
  △きこえたり
声はして霞かくれに行く雁は
      花に別れを惜しむなるらん
    ○村田俊彦ぬしより告け来し花の消息にこたへて
ひらきあへす心の色は匂ひけり
      君かおくりし花のおとつれ
かへらはや磯山かすみけふわけて
      あすかの花のちりはてぬまに
    ○新聞紙
うらおもて浮世のさまのうすきぬを
      筆にあやなす朝のふみかな
    ○競漕
しろあかとはやす隅田のふなくらへ
      水の面にも花や咲らむ
つかのまにおくれさきたつ世のさまを
      まのあたり見る舟くらへかな
  △やすらかにして感深くいとをかしき御歌と存し候
    ○鞦韆
少女子のさゝめく声もきこゆなり
      花の木かけのゆさはりの縄
おほろ夜の花ちる庭のゆさはりに
      かけなゝめにもかゝる月かな
  △夜沈々のさまおもしろし
    ○寄桜祝
ますらをの心とそ見る山桜
      ちりてはえある花のいさをは
    ○春暁
おもひねの枕にちりし夢さめて
 - 第29巻 p.213 -ページ画像 
      まとあけて見る暁の花
    ○春朝
うらうらと霞むみきはの朝ほらけ
      さもゝのうけによする浪かな
  △のたりのたりかなの情景を清くうるはしくの給へるいといと妙なり
    ○春夕
をすこしのことの音かすむおはしまに
      花かけうつす春の夕月
  △月移花影上欄干の意おもしろし
    ○春夜
高とのゝ花のうたけやはてぬらむ
      ほかけ消えゆく庭の木のもと
  △これまた詩より来りて詞やすらかに姿うるはし


竜門雑誌 一九五号・第一八―一九頁 明治三七年八月 ○磯の若菜(DK290062k-0009)
第29巻 p.213-214 ページ画像

竜門雑誌  一九五号・第一八―一九頁 明治三七年八月
 ○磯の若菜
                         栄一
    ○電話
かへに耳ありさますゝむ世につれて
      はりかねにさへものいはすかな
  △いみしくはたらきてもよみなし給へり
  編者曰ク△印ヲ附セルハ中村秋香大人ノ評言ナリ
千里をもとなりときけるふることを
      目にあたらしく見る電話かな
  △電話の詞いとよく用ひ給へり、今日の歌全く此工風にありと存し候
    ○墜道
のりあひし汽車のあな路に入りてより
      やみに結れし友の中かき
  △たくみにおもしろく興いと深し
    ○鎌倉
しこ草をかりし昔のしのはれて
      花もはえあるかまくらの里
    ○浮島原
水鳥の羽音に花はちりはてゝ
      木々のみとりもうき島か原
  △おひたゝしき典故ある詞を用ひて落花を形容しさて緑のうき島と結へるいといとおもしろし
    ○久しく逢はさる人にいひおくりける
花さかは其木のもとゝたのめつる
      君にはあはて春くれにけり
  △多情の御しらへや
    ○春の夕国府津の海辺を散歩して
枯生やくいそ山かけを水の面に
      うつしてそ見る浦のいさり火
  △四句上下にかゝりていと重くちからつよき御詠なり
 - 第29巻 p.214 -ページ画像 
    ○春述懐
月花のうき世のさまはいかゝあらむ
      春やむかしの老のあかつき
    ○春祝
うつりゆく世を花鳥にまかせおきて
      千とせかはらぬ春の色かな
  △超凡の御詠なり
    ○中村大人の国府津の客舎に駕を抂けられたるをよろこひて
まちわひし君をむかへてさかみ潟
      花なき里の春にあふかな
  △花なき里なとのたまはするあたり、かたくなん唯一刻千金といふ此春宵、親しくまみえまつりて御物かたり聞え承りしこそ忘れかたけれ
   君にあひて月と花とをかたるかな
         価をしらぬ春のよすから
    ○其夕浦のいさり火いと多く見えけれは
磯山のきしのさくらは見えねとも
      みつに花さく浦のいさり火
  △ことのはの花にうつりて一しほの
         光こそ添えいさり火のかけ
    ○興津より中村大人の来ませし夜東京より土屋国手其他の人々訪ひ来てゆくりなく友とち打つとひけれは
春ふかみみやひの友のつとひ来て
      よるも言葉の花を見るかな
  △けにけに詩歌のみやひかたりまことに心ゆくまとゐにこそ
   にし東匂ふことはの花むしろ
        おほろ月夜にしく夜なりけり
    ○四月廿三日国府津より飛鳥山なる家にかへりて久しく見さりし庭に花のちり残れるを
生ひしけるあを葉かくれにちり残る
      花やあるしをまちわたりけん
  △実景の御詠感いと深し、この御歌につきてといふにはあらねと、かくさはやかせ給ひてかへらせられしをよろこひて
   あすか山ふたゝひ花や匂ふらん
          かひある今日の春をむかへて       (おはり)


竜門雑誌 第一八八号・第二〇―二一頁 明治三七年一月 ○忠臣蔵詠歌二十四首(DK290062k-0010)
第29巻 p.214-215 ページ画像

竜門雑誌  第一八八号・第二〇―二一頁 明治三七年一月
 ○忠臣蔵詠歌 二十四首
  右は青淵先生と同令夫人が忠臣蔵大序兜改めより十一段目討入の場迄を詠まれたるものなり
                         栄一
    忠臣蔵大序 兜改め
とりわけしかふとに残る香はもれて
      うき恋風になりにけるかな
    二段目 力弥使者の場
 - 第29巻 p.215 -ページ画像 
はゝそはは時雨にみえすなりにけり
      姫つたはかりまつに残りて
    三段目 殿中けんか場
こゝろなく加古川水のせきしより
      うき瀬にはつるいさらゐの鮒
    四段目 切腹の場
残しおくなみたの雨のひとふりは
      やかてふゝきと成りにけるかな
    五段目
敵ともしらてうちしは猪ならて
      ひとの皮きしけものなりけり
    六段目 おかる身うり
川水に身をしつめてもかくろひし
      背のうもれきをすくひつるかな
    七段目 茶屋場
ますかゝみみかはす文は恋ならて
      仇のうらかく文字にそ有ける
    八段目 道行
すゑとけぬ妹背のやまをのそみつゝ
      おほつかなくもたとるみやこ路
    九段目 山科ノ段本蔵を
子を思ふ心のやみの夜るの鶴の
      いまはに残すふえのひとふし
    同 由良之助を
いさきよき心にめてゝわかむねを
      明る障子のゆきの白たへ
    十段目 天川屋
妻をおふこゝろのかろくみえつるは
      ちかひしことのおもきなりけり
    十一段目 討入の場
四十あまり七つのむねにつむ雪の
      晴れてのとけき朝日かけかな
   ○夫人兼子ノ詠歌略ス。


竜門雑誌 第一八九号・第二七頁 明治三七年二月 ○詠史十首(DK290062k-0011)
第29巻 p.215-216 ページ画像

竜門雑誌  第一八九号・第二七頁 明治三七年二月
 ○詠史 十首
                         栄一
    ○北条早雲
鵲のふるすをいつの山風に
      はやくも鳩の住みかへにけり
    ○武田信玄
父を追ふまさなきわさのむくひ来て
      其子は我と身をおひにけり
    ○上杉謙信
 - 第29巻 p.216 -ページ画像 
甲斐かねのくらき山路にくらふれは
      いよいよさゆる越のしら雪
    ○上杉景勝
松をしのく梢と人はいはましや
      杉はもろくも雪の下折
    ○織田信長
あへなくも小田は夜のまになかれけり
      つみしかり穂もとり入ぬまに
    ○明智光秀
一時はあけをうはひし色もあせて
      野末にかれぬきちこうの花
    ○前田利家
難波津に香をつゝみても春をまつ
      雪ふるさとの越の梅か枝
    ○豊臣秀吉
こと国の鳥も来鳴きし桐の花
      ちりてあとなき夜半のさみたれ
    ○伊達政宗
あたら世をたゝ陸奥の月にめてゝ
      みやこの花はなと忘れけん
    ○徳川家康
あけに白にきそひし木々の花ちりて
      松のみとりそ世をおほひける