デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
2節 中央社会事業協会其他
1款 中央慈善協会
■綱文

第30巻 p.496-497(DK300056k) ページ画像

大正5年11月19日(1916年)

是日、前橋市公会堂ニ於テ群馬県慈善協会ノ発会式挙行セラル。栄一、当協会会長トシテ祝辞ヲ送ル。


■資料

慈善 第八編第三号・第二七七―二七八頁 大正六年一月 群馬県慈善協会(DK300056k-0001)
第30巻 p.496 ページ画像

慈善  第八編第三号・第二七七―二七八頁 大正六年一月
○群馬県慈善協会 予て群馬県下の救済事業経営者に依て計画せられたる同会は、各種の準備整ひ、客年十一月十九日を以て前橋市公会堂臨江閣に其の発会式を挙行せらる、当日は午前と午後に渡り経過報告来賓の祝詞及び幹事七名の役員選挙等ありて後、直ちに講演会に移り内務省嘱託法学士高田慎吾氏は「現代の慈善事業」と題する極めて適切にして且つ有益なる講演を試みられ、来会者一同に多大の裨益を与へたりと云ふ。切に将来の健全なる発達を祈る。尚ほ本会々長男爵渋沢栄一氏の祝詞は左掲の如し。
 輓近社会の趨勢に伴ひ、慈善救済の事業益々隆盛に赴き、其の種類亦随て多きを加ふるに至れるは寔に欣ふべきの現象なりと謂ふべし然れども凡そ事物の多くは利弊両つながら之に伴ふあるを免かれず慈善事業の如き豈然らざるを得むや、其の数徒に多くして、而かも相互の間に聯絡を欠き、或は経営の途を愆まるが如きことあらむか到底完全に其の成果を収むるを得ざるべし、聯絡機関に依りて相互の気脈を通し、指導機関に依りて設備の整善を図るの必要是に於てか存す、群馬県下に於ける斯業経営者諸氏、深く此に見る所あり、即ち相謀りて群馬慈善協会を設立し、互に脈絡を保ち、研鑽を積みて、県下に於ける斯業一般の為に尽さるゝ所あらむとするは、寔に時宜に適へるの企画なりと信す、幸に此の挙に依りて県下幾多の慈善事業が咸其の歩調を一にして、健全なる発達を遂くるを得むか其の沢の及ぶ所や豈啻に上毛の一地方のみに止まらむや、聊所懐を述べて本協会の前途を祝し、併せて其の真摯なる活動を切望す。
  大正五年十一月二十六日
            中央慈善協会長 男爵 渋沢栄一



〔参考〕日本社会事業名鑑 中央慈善協会編 第二輯第二四頁 大正九年五月刊(DK300056k-0002)
第30巻 p.496-497 ページ画像

日本社会事業名鑑 中央慈善協会編  第二輯第二四頁 大正九年五月刊
    群馬慈善協会           群馬県庁内(会長 群馬県知事)
 事業 連絡機関
 組織 会員組織、現在数六十三名あり、会費・補助金及寄附金等を以て維持経営し、職員として会長以下副会長一名・理事六名・評議員
 - 第30巻 p.497 -ページ画像 
十三名を置く。
 沿革 明治四十一年十二月設立。同年十一月皇太子殿下同県前橋市に行啓あらせられたるを記念せんが為、同年同県より内務省主催の第一回感化救済事業講習会に出席せる十二名の有志主唱の下に本会を組織せり。大正七年四月組織を変更して、同県知事を会長に、副会長を内務部長に、事務所を県庁内に置くこととなり、爾来目的の遂行に努め、又県外の視察を実行しつゝあり。其他大正九年度より従業者の表彰及慰藉会を実行する予定なり。
      収支(会計年度自四月一日至三月末日)

    収入         支出
     大正七年度       大正七年度
         円           円
  会費    一九    事務費    七
  寄附金   五〇    事業費   四五
  補助金   三〇    合計    五二
  合計    九九