デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
5節 災害救恤
6款 在京罹災埼玉県人救護団
■綱文

第31巻 p.398-407(DK310057k) ページ画像

大正12年9月7日(1923年)

関東大震災ニ際シ、在京埼玉県人罹災者救護ノ目的ヲ以テ、山口六郎次等ノ斡旋ニヨリ当救護団設立サル。栄一之ヲ援助ス。同年十二月一日当救護団ハ組織ヲ変更ス。栄一其顧問トナリ、翌十三年七月ノ解散ニ及ブ。


■資料

埼玉県人会会報 第五号・第九〇―九一頁 大正一三年九月刊 埼玉救護団(DK310057k-0001)
第31巻 p.398 ページ画像

埼玉県人会会報  第五号・第九〇―九一頁 大正一三年九月刊
    ○埼玉救護団
 埼玉救護団の事業 本会員山口六郎次氏は、大震災の時京橋に在て自ら罹災者の一人たるに拘はらず、埼玉及埼玉人社々員七名を幹部として、急速救護団を組織し、渋沢子爵・粕谷義三・加藤政之助・指田義雄・山口政二・渡辺得男、及元田埼玉県知事の賛助後援の許に、金円・食料・衣類、其他物品の寄附を募集し、日比谷に本部を置き、県出身罹災者の慰問救護に努力、東奔西走せられ、或は帝国ホテル其他にて、慰問活動写真を挙行し、更に罹災者中最も気の毒なる者に向ては、簡易保険を附して今後の安定を与ふる等、懇切熱心に大活躍を続けられしことは、同氏発行の埼玉及埼玉人誌上に詳記せらるゝが、特に是に記して大に同氏の労を感謝し、併せて一般会員に報告す。
  因に記す、同救護団に於て救護せし人員は、実に無慮十余万人に達せりと云ふ。


埼玉県人救護団々報 第四号 【(謄写版)本団設立以来…】(DK310057k-0002)
第31巻 p.398-399 ページ画像

埼玉県人救護団々報  第四号      (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
 本団設立以来今日迄の経過を御報告申上げます
    一、救護所の設置
大正十二年九月七日以来京橋区木挽町一ノ十一旧埼玉及埼玉人社焼跡に本部を設け、夫々役割を制定して、左記六方面に出動、応急処置として食糧供給に従事せり。
 第一班 浅草口並に本所方面
 第二班 南千住口(埼玉県管内)
 第三班 板橋口(埼玉県管内)
 第四班 赤羽口(埼玉県管内)
 第五班 京橋木挽町本社焼跡
 第六班 日比公園入口
    二、救護団事務組織
 基金部      配給部      庶務部
 授産部(職業紹介)医務部
尚本団の救護事業に対して、都下各大学専門学校在学の本県出身学生
 - 第31巻 p.399 -ページ画像 
団が多大の力を致された事は、県民の共に銘記すべき処なり。
    三、本団幹部並に事業協賛の方々
元田埼玉県知事・渋沢子爵・堀内前知事・粕谷衆議院議長・松本米穀製粉渋沢事務所渡辺得男氏・東洋生命保険会社尾高豊作氏・金井滋直氏・卜部直輔氏・武州銀行永田甚之助氏・震災救護事務局某氏・大川平三郎氏・岸井辰雄氏・山口六郎次氏、他在京本県出身者多数にしてこれが御芳名は不日都下諸新聞並に埼玉朝日・埼玉新聞・雑誌埼玉及埼玉人紙上に、公表謝意を表する次第なり。
    四、救護状況
本団開設以来十月廿五日迄配給救護したる本県出身罹災者の数は、合計四千弐百参拾壱名、これが家族の数は約弐万壱千人に達し、これ等罹災者には主として、米・芋・甘藷・味噌・醤油等を配給せり。尚応急救護当時、握飯・ゆで小豆・うどん等を配給救護したる罹災者の数は、殆ど計算し得ざれ共、概算四万人位に達すべき乎。
    五、現在の配給状態
十月十日以降は各出張救護所を統一して、日比谷公園内救護本部に於て、老幼傷病者等特に困窮甚しく且つ府市の救護充分ならざる者に限り米・甘藷・衣類其他を配給し、日を定めて上野・芝・青山・九段の各バラツク、本所・浅草等の特別罹災地へ巡廻救護を行ひつゝあり。


埼玉及埼玉人 第二年第四号・第二五―二七頁 大正一三年九月刊 在京罹災埼玉県人救護団事業報告(DK310057k-0003)
第31巻 p.399 ページ画像

埼玉及埼玉人  第二年第四号・第二五―二七頁 大正一三年九月刊
  在京罹災埼玉県人救護団事業報告
    実際運動に入る
○中略
 一方基金部は、主事山口六郎次氏・名和義規氏等、ボロシヤツ一枚麦ワラ帽子と云ふ、妙な出でたちで、自ら陣頭に起ち、松本米穀製粉を説いて、金若干を拠出させるやう、渋沢・大川・粕谷の先輩連を説くやらの大車輪を演じたのである。
○中略
    埼玉県知事の訪問
 粕谷議長の紹介に依りて、山口社長は、元田知事を訪問したる処、知事は救護団視察の希望にて即日、日比谷の配給実況を視察せられたが、県出身の先輩渋沢栄一、粕谷義三、加藤政之助、指田義雄の諸氏も来訪されて懇ろに、罹災者及び本団係り員を慰問される処あつた。
    根岸日活重役の厚意
 日活支配人根岸耕一氏は本県北埼玉出身の人であるが ○中略 亦救済実況をフイルムに納めて置くのは、県人諸君のために後日大いに紀念となるからとの趣旨の下に、渋沢子爵が救護団配給実況を視に来られたのを機会として『救護団配給実況一巻』を撮影寄贈されたのである、謹んで謝意を表する次第である。


埼玉県公共事業書類 【(謄写版) 在京罹災埼玉県人救護団事業概況】(DK310057k-0004)
第31巻 p.399-400 ページ画像

埼玉県公共事業書類          (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
  在京罹災埼玉県人救護団事業概況
 - 第31巻 p.400 -ページ画像 
第一期事業成績
    一、配給部
九月七日創立以来十一月末日迄本団に於て配給救護した罹災県人の数は
   総計 五万壱千人に達す
右に対して本団の配給救護品中主なるものは左の如し
   衣類 約五千点      米(煮出し)    参拾弐石四斗
   雑穀 八石弐斗一升    うどん(ウデダシ) 拾六函
   甘藷 五千九百参拾六貫  味噌        七樽
   醤油 拾弐樽       魚         七拾壱貫
其他は略す
尚これが資源は山口六郎次氏斡旋の下に、渋沢子爵其他弐拾余の埼玉県出身先輩の義捐になるものなり
○中略
第二期事業成績
十二月一日より 一、組織の変更
十二月一日より左記新組織団体の手に依り大正十三年二月迄の継続事業と定め、埼玉県庁よりの補助金六千円を基礎財源として、罹災県人の救護復興事業を継続す       在京罹災埼玉県人救護団
○下略


埼玉県人救護団々報 第五号 【(謄写版)本団今後の方…】(DK310057k-0005)
第31巻 p.400-402 ページ画像

埼玉県人救護団々報  第五号      (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
 本団今後の方針計劃を録して、特に皆様の御高配御援助を懇請致します

図表を画像で表示--

 一、救護に関する方針   傷病者・老幼者への配給              特別罹災者へのバラツク建築 二、復興に関する計劃   小額(三十円位)生産資金の融通              職業紹介所連絡機関設置              県物産紹介販売所の設置              生産工業会社の設立 



救護に関する方針
    ◇傷病者・老幼者への配給
 イ、趣旨、配給は惰民を養成すると言はれて居りますが、傷病者・老幼者の困窮は漸く寒さを迎へて全く悲惨を極めて居ります老いたる者は、栄ある埼玉、大にしては現在の日本を作るために努力した人々であります。幼き者は未来の埼玉、未来の日本を背負つて起つ者、共に栄ある人々であります。
    これ等の不幸な者に対しては生をうけつゝある人々が共に援助すべき当然の責務があると信じます。
 ロ、実行方法、特別困窮罹災者名簿を作成の上、これ等の者には救護本部より三日又は五日目毎に食糧品を配給する事としたし
 ハ、財源経費、現在迄の調査に依れば特に困窮甚しい者も相当な数(約壱千人)にのぼるべきが、これが経費は一日約百円位に
 - 第31巻 p.401 -ページ画像 
して、財源は有力者の寄附に待つべき者、埼玉県庁に集り居れる義捐金の一部提供(他府県の如く特に出張救護を行はなかつた故に、其意味に於て)を願はるれば幸なり。
    ◇特別罹災者へのバラツク建築
 イ、趣旨、政府並に東京府市当局に於て夫々バラツクを設立して罹災民の収容を行ひつゝあれど、独身者の如きは、今尚公園のロハ台に、民家の軒先等に夜を更しつゝあり、又一部罹災民の如きも、故郷近き故一時帰郷不在なりしため、バラツク収容の救護にもれ、極めて粗末なる自製バラツクに住居する者頗多く、厳寒時に至れば、悲惨なる結果を見るべしと信ずるなり。
 ロ、実行方法、埼玉県出身者の最も多く居住し、且つ最悲惨なる本所・深川、及び浅草区内に候補地を求め、木造バラツク略拾棟(間口拾間、奥行弐間半)を急造する者なり。
 ハ、経費財源、バラツク建設費は価格区々なれど、本県下より特に購入せば一坪弐拾五円位にて建設し得る見込なり。従つてこれが経費は六千弐百五拾円にて財源に付いては前項に同じ。
 ニ、復興に利用、尚救護のために建設したるバラツクは、後日帝都焼跡整理復興事業のため、多数本県人も入込むべきに付、其際は有料又は無料宿泊所として利用し、郷人青年諸兄のためにいさゝか便したし。
復興に関する計劃
    ◇小額生産資金の融通
 イ、趣旨、罹災県人の貧窮は一様なれど、従来商業を営みたる者には其業に復せしむるを復興の根本なりと信ず、罹災者は焼け出されると同時に着の身着の儘にて、落ちつく所もなく逃げ惑ひたる始末にて、貯を持ちたる者は極めて尠く、従来の信用に依つて小額の借金をなしたる者も、人心落つかず、それを商業資金として使用すべき路も見出せず、遂に残り尠に至らしめたる者多き模様なり。今は人心稍安定し、弐拾円、参拾円の小額資金を有せば何業に依らず相当有利なる金儲をなし得る如くなり。
 ロ、実行方法、多数希望者あれど、この中事情を鑑識して参拾円位を限度として貸付、最初一ケ年位は据置き、其後は委員を設けて、日歩回収又は半年位に据置き、一時に回収して可なりと信ず。
    尚これが利率は、一般銀行貸付利子の二倍位迄とすれば、事務費の捻出は勿論、回収も困難ならずと信ず、元より一般銀行の熱誠なる賛助に待つべきものなれば、貸付は銀行これに当り、回収には専属委員を設くるを可とす。
 ハ、財源金額、事業としても相当堅実有利なれば、特に銀行家各位の賛助に依り度、殊にこれが総額は約五拾万円位あらば、約壱万人の小資本商人を救済し得る見込なれば、県下銀行特に武州銀行の如きは、遊資を斯の方面に一英断を以つて支出す
 - 第31巻 p.402 -ページ画像 
る時は、後日壱万人の被救済商人が成功の暁は、故郷旧恩忘じ難くして取引等の路も拡くに至り、銀行創立の大目的に添ふべき乎と信ず。
    ◇職業紹介所連絡機関設立
 イ、趣旨・方法、数多くの罹災県人中失業したる者尠からず、これ等は直接紹介の便を計ると共に、政府並に府・市職業紹介所との連絡を計り、速に就業復興せしめたし。
 ロ、経費、他の事業と併行するものなれば、経費としては事務員一名を増加する位のものなるべし。独立してこれのみ実行するとすれば、壱ケ年存置するとして、約壱千円位の経常費を要す。(建築費略)
    但しこれを常設して、故郷県下よりの出京者のために紹介をなし、農閑期等に出稼ぎする者にも紹介する路を拡けば、更に故郷の繁栄に資する事を得んか。
    ◇県物産販売所の設置
 イ、趣旨、多額多数の生産品を有する故郷埼玉県は、今時の如き物資払底の際は、県物産を外部に紹介する絶好の機会なりと信ず。
    既に東北二三の県は、各所に売店を設けて県外に消費の路を求めつゝあり。吾が県の如きは地の利を得て運送の便もある事故、市内数十ケ所に埼玉物産販売所を設けて、随時販路を拡張する時は、これが販売額は非常に多額にのぼるべく、従て県内の生産者は盛なる売行に刺激されて、現在の生産力を倍加するに至り、悠長緩漫なる旧埼玉魂を去つて、緊張発展的な埼玉魂の涵養を見るに至るべし。
 ロ、実行方法、先づ販売の中心とすべき大量取引所を上野附近に設け、市内各所に数ケ所の小売販売所を設くるものなれど、大量取引は県産業組合聯合会に直営せしめ、小売所の主任は失業商人中、相当資産あり、希望するものに認可指令するを可とす。元より価額の統一を計り、一般商人の為めには商業道徳の指導者となりたし。
  ◇生産工業会社の設立
 趣旨、本県は大先渋沢子爵を始め実業界に名士多し、故に此際失業救済事業発展のために、特殊の生産工業会社を興し、失業者の救済を計りたし。特にこれが資金は各方面より募集するを可とし、一日も早く実行普及して、復興の先駆たるを得ば郷人各位の幸これにすぎざるべし。
    大正十二年十月二十八日
              日比谷公園西町七四八
                    埼玉県人救護団本部


集会日時通知表 大正一二年(DK310057k-0006)
第31巻 p.402 ページ画像

集会日時通知表  大正一二年      (渋沢子爵家所蔵)
十一月十七日 土 午前十時 埼玉県救護団ノ日比谷公園ニ於ケル救護実況御視察
 - 第31巻 p.403 -ページ画像 


渋沢子爵親話日録 第一 自大正十二年十一月至同年十二月 (高田利吉筆記)(DK310057k-0007)
第31巻 p.403 ページ画像

渋沢子爵親話日録 第一 自大正十二年十一月至同年十二月 (高田利吉筆記)
                     (財団法人竜門社所蔵)
○十一月十七日
○上略
△十時埼玉県人山口六郎次氏の計画になれる県出身の震災被害者に救護品支給の現状実見の為、渡辺得男氏を随へて日比谷公園バラツクに赴かる、配給行届きてしかも濫与に陥らず、よく中庸を得たりと称揚せらる
○下略


埼玉県人救護団々報 第六号 (謄写版)救護組織の充実(DK310057k-0008)
第31巻 p.403 ページ画像

埼玉県人救護団々報  第六号      (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
    救護組織の充実
愛郷観念! 同郷融和の気分を湧起せしむるため(世の所謂、地方色党閉気性涵養と同視せざらん事を望む)出来得るだけ郷人同志で救護し合ふ趣意の下に、左記の如く無料救護所を設けてあります。
これは今後更に拡張充実の筈であります。
 医薬無料救護所   小石川区白山上
             ドクトル・メヂチーネ  坂本和三郎氏
           芝区下高輪町(市電東禅寺下車)
            医学士          荒井琢磨氏
 産婦無料救護所   神田区三崎町二丁目十二番地
            産婆           河野かた子氏
 法律無料相談所   麹町区地方裁判所
              弁護士会館内
            東京弁護士会副会長弁護士 岸井辰雄氏
           麹町区丸の内三菱二十一号館
            弁護士          山口政二氏


集会日時通知表 大正一三年(DK310057k-0009)
第31巻 p.403 ページ画像

集会日時通知表  大正一三年      (渋沢子爵家所蔵)
五月二十八日 水 午後四時 埼玉救護団ノ件(事務所)


埼玉県公共事業書類 【(活版) 大分暑くなつて参りました。 皆様には、お変りありませんか? サテ、今度、救護団では、特に困つて居る在京罹災県人の徹底的救護方法として…】(DK310057k-0010)
第31巻 p.403-404 ページ画像

埼玉県公共事業書類           (渋沢子爵家所蔵)
(活版)
大分暑くなつて参りました。
皆様には、お変りありませんか?
サテ、今度、救護団では、特に困つて居る在京罹災県人の徹底的救護方法として、皆さんのために、簡易保険を掛けて見たいと思ひます、これは罹災者諸君に貯蓄心を吹き込み傍々た、今後万一の御不幸に際して、其時すぐに困らない様に、今から心掛けて戴きたいのです、就いては左記各項を、よくお読みの上、同封のはかきにて、至急お返事を下さい。
 一、保険は簡易保険に依る十ケ年払込の終身保険であります。
 - 第31巻 p.404 -ページ画像 
 一、掛金は一ケ月六十銭宛で、毎月一回宛払込み、一ケ年七円二十銭を払込む訳であります。
 一、保険を掛け始めてから満拾ケ年を経過すれば、合計壱百円也保険金が貰へる訳であります。
 一、この保険は、救護団で保険掛金の一部(即ち最初の一ケ年間、或はそれ以下になるかも知れません)だけを払込んで上げます。
 一、従つて、残余の九ケ年間(毎月六十銭宛を必ず)はあなたの方で払込むのです。
 一、勿論保険金はあなたの所有になります。
 一、保険を掛ける名義人は、あなたの家族ならば誰方でも差支ありません、但し他家の人では絶対にいけません。
保険金の掛ける見込の無い方!!
 ◇いろいろお家庭の暮し向きの都合で、保険に入れない方、保険金を引続き掛けて行く見込の無い方は、其旨お返事下さい。
 ◇引き続き保険金を掛けて行く見込の無い方、掛けられるか掛けられないか当のない方等は、切角申込んでも「ムダ」になりますから、始めから申込まない事。
 ◇保険に入らない方には、別の方法で救護したいと思ひます。
  大正十三年六月九日
              東京市日比谷公園西町七四八
                    在京罹災埼玉県人救護団


(山口六郎次) 書翰 渋沢栄一宛 大正一三年七月一二日(DK310057k-0011)
第31巻 p.404-405 ページ画像

(山口六郎次) 書翰  渋沢栄一宛 大正一三年七月一二日
                     (渋沢子爵家所蔵)
 子爵 渋沢閣下
   大正十三年七月十二日《(朱書)》
                埼玉県人救護団主事
                      山口六郎次
炎暑の折柄、益々御健勝に亘らせられ候御模様を拝し、邦家のため謹喜至極に存じます
さて埼玉県人救護団事業に関しては、其都度渡辺理事より御報告申上げ居る事と存じ候が、閣下並に関係先輩各位の御高配に依り、万事頗る好都合に運び、近く一切の事業終了して、救護団も解散の予定に有之候
就いては該救護団の事業経過一切を、小生の主宰す月刊雑誌「埼玉及埼玉人」紙上へ記載致し度と存じ候が、閣下に於かせられては、本団のためには、顧問の地位に居らせられ、亦大震善後会《(災脱)》にも副会長として、大いに御尽力下され候立場から、何か大震と救護事業に就いて、御感想御発表下され度、種々邦家のため御多用の処へ恐縮には有之候へ共、折入つてお願申候
 尚小生お伺ひ申すべきが礼に有之候へ共、本日は救護団配給日にても有之、亦雑誌の方は、記者掛員、担当致し居り候間、本社記者斉藤栄治君を御伺はせ申候間、何卒御引見下され度願上げ候、同人は
 - 第31巻 p.405 -ページ画像 
本春明大卒業の県人にして、さきに、救護団のためには、応援学生班の班長として、尽力せられたる者に御座候 匆々
  大正十三年七月十二日


(山口六郎次) 書翰 渋沢栄一宛 (大正一三年七月一四日)(DK310057k-0012)
第31巻 p.405 ページ画像

(山口六郎次) 書翰  渋沢栄一宛 (大正一三年七月一四日)
                     (渋沢子爵家所蔵)
冠省
予て御協議下され候結果に基き、明十五日午前八時より日比谷公園西町救護団本部に於て、罹災者諸君に対する最後の配給救護(うどん並醤油一瓶)致すべく候間、炎暑御多用の折柄、甚だ恐縮の儀に有之候へ共、御都合相叶ひ候はゞ御監督相仰ぎ度、御報告旁々得貴意候 匆々拝具
              在京罹災埼玉県人救護団
                   主事 山口六郎次
    渋沢栄一殿


埼玉及埼玉人 第二巻第四号・第三一―三二頁 大正一三年九月 言は易く行は難し(救護団顧問子爵渋沢栄一)(DK310057k-0013)
第31巻 p.405-406 ページ画像

埼玉及埼玉人  第二巻第四号・第三一―三二頁 大正一三年九月
    言は易く行は難し (救護団顧問 子爵 渋沢栄一)
 在京罹災埼玉県人救護団が、気の毒な数万の罹災者の救護に種々な方法を講じて、其の生活を助け、或ひは其の復興の一助となり、こゝに芽出度解散するの運びに至つたのは、其の顧問の一人として誠に喜ばしい次第である、私も及ばずなから尽力して来たが、救護団の名は余り広く知られず、且つ其の救護する範囲も埼玉県人に限られ狭いものであつて、之を国家的見地から見るならば極はめて微々たる一事業に過ぎない。併乍ら物の値打ちといふものは、其の事業の範囲が大なるか故に値打ちがあるのではなく、其の事業が極はめて小さいから値打ちが少ない訳のものではない、要は其の範囲の大小に関せず、其れに依つて如何なる実績を挙げる事が出来たかに依つて、其の事業の値打ちが定まるのである。
 我が救護団は其の名も余り高からず、又大事業なりとはいはれないが、其の内容即ち救護の方法と其の挙げた実績等に於いては、他の範とするに足るものがあると確信する。かくの如く救護団が非常に良好なる成績を挙げる事が出来たのは、粕谷・加藤君を初めとして、関係者一同が一致協力して事に当つたからであるが、殊に本団主事山口六郎次君の献身的奮闘に負ふ所が多い。山口君は未だ卅才に満たざる青年で、しかも彼の大震災に依つて精神的にも物質的にも大打撃を被つた罹災者の一人であつたにも拘はらず、在京県人の窮状に深く同情を寄せ、自己の事業を顧みず東西奔走し、非凡なる方法を講じて奮闘努力して救護に尽くしてくれた近来稀に見る感心な青年である。
 曾つて古人が『言ふは易く行ふは難し』と教へたが、実に千古の金言である。今の世は、我々の若い時代と違ひ学問が発達して居るので口には実に立派な事を言ふが、さて実際に当つて其の言ふ所を万難を排して断行するの勇気に至つては極めて乏しい。言ふだけなら何人にでも出来得る極はめて易々たる事である。一度口にした事を実行して初めて其の言ふた所に値打ちが生ずるのである。今日比谷には帝国議
 - 第31巻 p.406 -ページ画像 
会が開かれて、代議士に選ばれた人達が国の政治に付いて熱心に奮闘してくれるのは感謝に耐えない次第であるが、彼の代議士諸君が、議会で主張する事と、実際に行ふて居る事との間に、幾多の矛盾がある様に思はれるのは、甚だ遺憾である。凡べて口に言ふだけならば極はめて易々たるものであるが、それを実行するのがなかなか難かしいのである。
 私も監督の地位にある関係上、日比谷の救護団本部を訪づれて救護の実況を視察に行つたが、主事山口六郎次君が、其の言ふ事を飽くまで断行してくれて居たのは唯々感心の外はなかつた、其の所信を一貫して遂に有終の美を発揮し、此処に芽出度く解散の運びに至つたのは誠に喜ばしい次第である。終に臨み多大の後援を忝ふした県当局者に深く感謝の意を表すと共に、罹災者各位が一日も早く復興せらるゝ様祈つて居る次第である。


埼玉及埼玉人 第二年第四号・第三八頁 大正一三年九月 人類愛の権化(救護団理事渋沢同族会社重役渡辺得男)(DK310057k-0014)
第31巻 p.406 ページ画像

埼玉及埼玉人  第二年第四号・第三八頁 大正一三年九月
    人類愛の権化 (救護団理事渋沢同族会社重役 渡辺得男)
○上略
而して右の事業は、昨年十一月に始まり本年七月に終はりを告げたのであるが、今や事業完了に際し、私には三つの特に感謝しなければならぬ事柄がある。其の一は渋沢子爵及粕谷義三・加藤政之助の二氏が山口君の至純なる動機、熱烈なる努力に対して深い同情を寄せられ、其の救護事業の成就を希望せられ、非常に御多忙であらせらるゝにも拘はらず、顧問として事業に携はり、時々日比谷に於ける救護団本部を訪づれられて、直接間接に本事業に対して、声援を与へられた事である。
○下略


埼玉及埼玉人 第二年第四号・第二九頁 大正一三年九月 第二期 事業概況(DK310057k-0015)
第31巻 p.406-407 ページ画像

埼玉及埼玉人  第二年第四号・第二九頁 大正一三年九月
  第二期 事業概況
    組織の変更
 大正十二年十二月一日より組織を左の如く変更し、埼玉県よりの補助金に依つて事業を遂行す
     本団役員在京罹災埼玉県人救護団
               顧問  渋沢栄一
                   粕谷義三
                   加藤政之助
               理事  渡辺得男
                   山口政二
               監事  小崎安蔵
               主事  山口六郎次
    県庁補助金交付
 即ち本団事業を諒解されたる埼玉県庁に於ては、本県出身在京先輩にして、本団の顧問に居らせられる渋沢・粕谷・加藤の三氏に宛てゝ前後三回に亘りて、合計金二万八千円の補助金を交附せられたのであ
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る。


(増田明六) 日誌 大正一四年(DK310057k-0016)
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(増田明六) 日誌  大正一四年    (増田正純氏所蔵)
廿五日 ○五月 月 晴
○上略
本日の面会者如左
○中略
武藤忠義氏、埼玉県熊ケ谷町罹災者救護の件
○下略