デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.16

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

2章 労資協調及ビ融和事業
2節 融和事業
2款 同愛会
■綱文

第31巻 p.678-719(DK310104k) ページ画像

大正12年(1923年)

是ヨリ先大正十年、同愛会組織セラル。同会主宰者有馬頼寧ヲ後援スル目的ヲ以テ、是年栄一等相謀リテ「有馬頼寧氏後援会」ヲ結成ス。爾後栄一昭和二年同会解散ニ至ル迄種々援助ス。


■資料

同愛会書類(一) 【有馬頼寧氏後援会申合】(DK310104k-0001)
第31巻 p.678-679 ページ画像

同愛会書類(一)             (渋沢子爵家所蔵)
    有馬頼寧氏後援会申合
同愛会ノ事業ハ邦家ノ現状ニ鑑ミ焦眉ノ急ヲ要スルモノト認メ、其主宰者有馬頼寧氏ヲ後援スル目的ヲ以テ、下名同人ハ左ノ申合セヲ為ス
一、大正十二年七月ヨリ向フ三ケ年間、毎年金参万円ヲ有馬頼寧氏ニ寄贈ス、社会事情ノ変遷ニ依リ増減スルコトアルヘシ
二、前記金額ノ各自ノ分担ハ左記ノ通リトス
  一金
  一金
  一金
○中略
三、前記金額ハ毎年一月及七月ノ二回ニ其ノ半額宛出捐スルモノトス
四、毎年壱回同愛会事業ノ状況及会ノ既往一年間ノ決算及翌年ノ予算ニ関スル報告ヲ受ケ意見ヲ述フ、尚必要アルトキハ臨時事業ノ情況等ノ報告ヲ受クルモノトス
五、出捐金ハ毎期渋沢子爵手許ニ醵出シ取纏メ、有馬頼寧氏ニ交付スルモノトス
六、本寄附ニ関スル事ハ同人外ニ対シテハ一切秘密トス
    年  月  日
      附
一、申合記載ノ報告ヲ受クル外、臨機有馬氏ヨリ協議ヲ受クル者トシテハ、左ノ諸氏ニ於テ之ニ当ラルヽコト
   徳川頼倫侯   岡部長職子
   渋沢栄一子   牧野伸顕子
二、毎期集金ハ渋沢子爵手許ニ払込ミ、一括シテ有馬氏ニ寄贈スルコト
三、第一年第一期分ノ出捐ハ大正十二年十二月又ハ大正十三年一月中ニ醵出スルコト、従ツテ同年第二期分ハ便宜繰下ケ一月及七月ノ中間ニ於テ醵出スルモノトス、第二年目以後ハ定期ニ復ス
      醵出金者氏名
          但シ○印ハ確定分、他ハ見込分
 年額金壱万円也    ○男 岩崎小弥太君
 同金弐千円也     ○侯 徳川頼倫君
               大橋新太郎君
 - 第31巻 p.679 -ページ画像 
 同金五百円也      子 岡部長職君
               和田豊治君
               団琢磨君
 同金壱千円也      伯 松平頼寿君
             男 郷誠之助君
 同金壱万円也      男 三井八郎右衛門君
 同金弐千円也     ○子 渋沢栄一君
 同金壱千円也     ○子 牧野伸顕君
    以上合計金弐万六千五円百也
      差引不足金参千五百円也
    同愛会予算
 金壱万千五百六拾円也   事務所費
  金千五百六拾円也   家賃
  金五千八百円也    俸給
   常務幹事一、書記三、女事務員一、給仕一、
   書記ハ事務ノ外地方宣伝講話等一切出来ル人ヲ用ユ
  金参千円也      旅費 五人分
  金千弐百円也     消耗費ト雑費
     〆
 金壱万七百円也      事業費
  金千五百円也     講演費 参拾ケ所一回五拾円
  金弐千円也      旅費  講師実費謝礼ヲ含ム
  金四千八百円也    雑誌及パンフレツト発行費
  金千弐百円也     編輯者俸給及手当
  金千弐百円也     通信費 雑誌発送費
     〆
 金弐千参百四拾円也    教育部費
  金千百四拾円也    奨学金
  金千弐百円也     職業講習
     〆
 金千円也         接待費
  金千円也       大会開会弐ケ所分
     〆
 金弐千四百円也      機密費
     〆
 金弐千円也        人事部費
  金弐千円也      俸給旅費 雑費
   主任外一名、東京及大阪人事部ハ職業紹介ヲ中心トスル事
     〆
以上
 合計金参万円也


同愛会書類(一) 【一金五百円 右御申越ニ付現金同封御送申候間…】(DK310104k-0002)
第31巻 p.679-680 ページ画像

同愛会書類(一)             (渋沢子爵家所蔵)
一金五百円
 - 第31巻 p.680 -ページ画像 
右御申越ニ付現金同封御送申候間、御査収被下度候
  三月二十二日 ○大正一二年
                    伯爵 牧野伸顕
    渋沢子爵閣下


同愛会内職補導計画書(DK310104k-0003)
第31巻 p.680-681 ページ画像

同愛会内職補導計画書           (渋沢子爵家所蔵)
(表紙墨書)
十月九日《(栄一墨書)》 ○大正一二年柳田毅三氏東京商業会議所へ持参
                      十一日一覧
   内職補導計画書
                  同愛会
                    有馬頼寧
震災善後の上に於て今日最も緊急必要な事は、罹災者に職業を与へる事であります、然るに男子の職業は現下の状勢に於ては其供給甚だ困難でありますが、女子の内職業は比較的小額の資本を運転する事に於て、又は単なる斡旋上の労力を費する事に於て、割合容易く仕事を供給する事が出来るのであります、殊に公設バラツクの収容所に於ては多数の人々が同様の境遇の本に集つて居るのでありますから、特に便利且つ有利であります、其奨励補導よろしきを得ば、全バラツク生活の基礎を造る事は、必しも至難事ではないと思ひます、一方に於て托児所があり、一方に内職業の補導斡旋があり、始めて所期の効果を挙げる事が出来る事と信じます、私共の会が托児所兼幼稚園を開いて居ります明治神宮の外苑には、目下七千人程の収容者がありますが、此の内に婦女子にして内職をなし得る程度の人達約千二・三百名居ります、会では今回次の様な計画の下に是等の人々の職業補導を致す事を思ひたちました、幸に御賛成御援助下さらむ事を御願ひ致します。
    明治神宮外苑に於ける罹災者
    女子の職業講習補導計画概要
此の仕事を次の様に分ちます。
 一、女子職業講習
 二、女子内職斡旋
     一、女子職業講習
凡そ三百名位ひの講習生を収容し得る講習所を建設しまして(当分は既成バラツクを使用します)成る可く専問的に職業に従事し得る比較的若い適当な女子を撰んで収容致します、此講習に於て致します重なものは毛糸編物・子供服、及附属品、実用刺繍・造花類・ミシン裁縫其他其時機時機に適当して、販売に便にして、収入の豊なものを撰びます。
先づ第一期は毛糸の編物を来年の五月下旬迄、凡そ九十日間致します予定でありますが、場合によりては前記の内の一・二種を加へるかも知れません。
従来の講習と違ふ事は講習生の収入を計る事を本位とし、講習を受けつゝ直ちに其の日から労銀を得られる様にする点であります、従つて
 - 第31巻 p.681 -ページ画像 
編物の種類も各様の編方を教へるのでなく、販売に都合よく収入割合のよきものを撰んで上達させるのが目的であります。
此の講習に要す運転資金及経費は下に概算を掲げます。
     二、内職の斡旋紹介
此の仕事は下駄の鼻緒・紙袋張・製本・着物裁縫・各種刺子の如く、其他殆んど講習を要せずしてなし得る簡易なる内職業を、それそれ希望者に斡旋する為めに、外苑内に内職紹介場を置きました。内職する人は此事務所を中心に自己の職業を撰び、労銀の支払を受くるので、従来の如く中間者に手数料を取らるゝ事なく、且つ時間の上に於て甚だ経済になし得るのであります。又内職者を得んとするものは、是又事務所を中心として一ケ所に多数の内職者を得る便あり、且つ安心して品物を渡す事を得るもので、両者とも甚だ便利であります、殊に目下は問屋と内職者との間をたゝれて居るので、将来復興するに従ひ次第に要望せらるゝ事と信じます、尚此の際新しい内職も色々と現れる事と信じます。
講習場に於ては時々慰安会を催し、懇親を計ると同時に、講演訓話を交へて教養を計る事に力を致します。
尚小学生等も適当の仕事があれば、例令一時間でも勤労する事が、此際殊によい影響を及ぼす事と信じます。
     概算
一金参千六百円也      講習所建設費 六十坪 坪当リ六十円
    毛糸編に要する運転資金
一金弐万弐千四百円也    毛糸五千ポンド購入費
一金壱万四千円也      労銀立換仮払ひ金 ポンド二円五十銭
      説明
毛糸は一人一日平均三十オンス前後を編むものとして、一ケ月約百オンス、三ケ月三百オンス、三百人にて九万オンス、約五千六百ポンドと概算しました。
労銀は製品を売つて支払ふのでなく、製品が出来ると直ちに仮渡しをするのですから、売値より幾分低く見積つてあります、売揚げの結果余りがあれば更に内職者に配当します。
此の外事務員の俸給手当及旅費として、月額凡そ壱千円程の経費を要する事と思ひます。


渋沢栄一書翰 控 有馬頼寧宛 大正一二年一〇月六日(DK310104k-0004)
第31巻 p.681-682 ページ画像

渋沢栄一書翰 控  有馬頼寧宛 大正一二年一〇月六日  (渋沢子爵家所蔵)
大正十二年十月六日有馬頼寧氏宛総長親書写《(朱筆)》
拝啓、益御清適奉賀候、然者過刻御来請之一条ニ付てハ、其後倉知君と会見之上篤と打合候処、御要望之趣旨ハ充分了解いたし候へ共、直に多額之金額を支出候義ハ即答難致、但し原料之毛糸を支給せハ自然繰廻し出来可致、而して是非に必要之場合ハ若干之資金用立可申と申事ニ候、又老生ニ於ても右様之時機ニ際し幾分にても御便宜と相考へ曾て同愛会へ寄附可致と相考居候金壱千円を此際進呈可仕候間、若しも前段三越ニ於て毛糸之原料間に合兼候はゝ、篤と倉知君へ頼入、せめて数千円之融通お頼入相成、精々節約之上御繰廻し被成度と存候、
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右不取敢一書可得貴意、匆々如此御座候 不宣
  大正十二年十月六日           渋沢栄一
    有馬賢台
          玉案下
   尚々老生之寄附金壱千円ハ仮事務所ヘ御申出ニ候ハヽ、直ニ御渡申候様掛員ニ申含置候、乍序此段申添候也


(倉知誠夫) 書翰 渋沢栄一宛 大正一二年一〇月八日(DK310104k-0005)
第31巻 p.682 ページ画像

(倉知誠夫) 書翰  渋沢栄一宛 大正一二年一〇月八日
                     (渋沢子爵家所蔵)
  大正十二年十月八日        三越呉服店
                      倉知誠夫
    子爵 渋沢栄一閣下
謹呈、陳者同愛会婦人手内職之件ニ付、毛糸の輸入期取調申候処、尚ほ約一ケ月後ならでは入荷不致候趣、就ては御談之次第に基き、不取敢金弐千円也御融通申上度候間、よろしく御取計被下度願上候
右要用而已申上度、匆々如斯御座候


(有馬頼寧) 書翰 渋沢栄一宛 (大正一二年)一〇月一二日(DK310104k-0006)
第31巻 p.682 ページ画像

(有馬頼寧) 書翰  渋沢栄一宛 (大正一二年)一〇月一二日
                     (渋沢子爵家所蔵)
                   大正十二年十月十二日《(朱書)》
                   有馬頼寧氏来状
先般来種々御配慮に与り、有かたく厚く御礼申上候
又此度は罹災婦人職業補導のことにつき、御多用中にも拘らず倉知氏を御訪ね御尽力被下候段奉感謝候、尚其上御出資の御厚意を蒙り、厚く御礼申上候、資金の出来候範囲に於て、早速実行に取かゝり可申、其後の成績は何れ御報告可申上候
御老体にも拘らず、邦家の為日夜御奔走の御模様を拝し、自分等壮者の不甲斐なさを愧ぢ居り候、併し出来得るだけは成し得る方面に於て微力をいたす所存に御座候
同愛会の事業に就ても、此後御助力を仰ぐべきこと多々有之候に就ては、何卒御援助の程一重ニ願上候
先は御礼旁々右申上度、此の如くに御座候 草々
  十月十二日               有馬頼寧
    渋沢老台
          侍史


(有馬頼寧) 書翰 渋沢栄一宛 (大正一二年)一〇月二七日(DK310104k-0007)
第31巻 p.682-683 ページ画像

(有馬頼寧) 書翰  渋沢栄一宛 (大正一二年)一〇月二七日
                     (渋沢子爵家所蔵)
                  大正十二年十月二十七日《(朱書)》
                  有馬頼寧氏来状
冠省
過日は多大の御援助に与り、難有厚く御礼申上候
御蔭を以て去る廿二日より罹災婦人職業補導の事業を開始いたし候
多数の申込者有之、日々七・八十名宛目下講習いたし居り候、初心の
 - 第31巻 p.683 -ページ画像 
者のみなりし為、最初一週間たけ講習いたし候
然るに熱心の者多きため意外に進捗いたし、明日頃は已ニ製品を得らるゝ状態に御座候
尚過日も申上候通り、事業の経費ニ困難いたし居り候為め、社会事業団体の中ニ加へられ政府よりの補助を受けたく存じ候間、何卒宜しく御取計ひ頂き度、留岡氏には柳田より御相談いたす手配いたしおき候へ共、私より重ねて貴殿に御願ひ申上候
御厚意に甘へ候事甚だ恐縮に候へ共、何卒御寛恕の程願上候
                         草々頓首
  十月二十七日              有馬頼寧
    渋沢老台
          侍史


(阪井徳太郎) 書翰 渋沢栄一宛 (大正一三年)一月一一日(DK310104k-0008)
第31巻 p.683 ページ画像

(阪井徳太郎) 書翰  渋沢栄一宛 (大正一三年)一月一一日
                     (渋沢子爵家所蔵)
               一月十一日《(朱書)》
               三井合名会社阪井徳太郎氏来状
拝啓、時下愈御清穆奉慶賀候、陳者予て御懇談相蒙り居り候有馬頼寧氏事業後援会に対しては、金参万円也ヲ三ケ年賦年壱万円宛寄贈致候事ニ決定仕候間、左様御了承被成下度奉願上候、甚だ延引仕候ヘ共、右以書中御報旁得貴意度如此御坐候 敬白
  一月十一日
                      三井合名会社
                        阪井徳太郎
    渋沢子爵閣下


(柳田毅三) 書翰 渋沢栄一宛 大正一三年六月二二日(DK310104k-0009)
第31巻 p.683-684 ページ画像

(柳田毅三) 書翰  渋沢栄一宛 大正一三年六月二二日
                     (渋沢子爵家所蔵)
粛啓 初夏の候愈々御清穆被在成為邦家大慶奉り候
傾日《(頃)》は排日問題にて日夜御心労の御事と奉拝察候 米品排拆《(斥)》とか宣教師放逐とか、兎角軽挙盲動の人多く、御苦心一層の御事と奉存候、対米策としては別に高遠の理想と有効なる対亜細亜政策有之申可候、新聞を初めとして従《(徒)》らに宣動国《(煽)》を誤る事多く歎はしき事に御座候
却説同愛会の件に就ては、引続き御高配被成下、肝銘仕居候 然るに故障続出、苒遷日を加へ、今日尚御決定の運びに至らず、遺憾至極に存申候 今回は又有馬会長代議士となりたるを以て、行脳《(悩)》み生じ候哉に洩れ承り、残念千万に存じ申候
御承知の如く昨夏の頃迄は多くの人々政界の腐敗に相想をつかし、従て現組織の社界と政治を否定するもの多く、思想兎角過劇に流れ、社会革命の暗雲漸く濃いく、私共も不尠心配致し居候処、山本内閣の普選声明あり、特に英労働内閣の出現を劃して著しく思想漸進に傾き、総ての社会運動者・学生・青年達も再び政治に興味を持ち、政治に依る革新改造を期するに至り候事は、国民の善転として賀慶に堪へざる次第に有之候 従て今回会長の立候方も各方面より賛成を以て迎へら
 - 第31巻 p.684 -ページ画像 
れ、一人の反対者なかりし次第にて、当選に際して部落の小数同胞は忽論水平社同人等《(勿)》も忡心祝意《(衷)》と喜悦を表し居候次第にて、同愛会の事業遂行には良好の影響を受け居候次第に御座候
有馬先生に於ても何等野心又は名誉心にて出馬したる次第に無之、従来理想一点ばりの人が実行主義に一歩を出したる事にて、将来先生の社会事業は地の上に健全なる発達を期せらるゝ次第に有之候、此際益益先生の後援指導を下し置かれば、国家の上にも不尠利益ある事と信じ申候、御承知の通り後援問題に起き申候は一昨年の事にて、昨年の五月には御後援殆ど確定、従て何時にても活動を致す事ニ人材を集めて一年を御待ち致したる次第にて、自然一切寄附募集は、中止致し居り、昨年来会長の手を通じて出費したる金額三万円に昇り、御手本御困難の際、此上御出費を願ふ事は私共弟子の忍ぶ能はさる処にて、万一御後援御中止となれば、同愛会も一応解散せねばならぬ破目に相成居り、折角三ケ年間に築き上げたる仕事を、最も重要な時機に放擲する事にて誠に血を絞ぼる感致し申候
甚だ御無礼なから今日国家を背負つて立ち居られ候諸先生が、一度有馬会長を御信任下され候て、一応御援助方御約束被下候上は、何処迄御信任を以て御高援下され候て可然哉に愚考致し申候、来る廿四日頃最後の御決定御会合あるやに拝聞致候間、不取敢一書を以て御願奉申上候次第に有之候、拝語万々申述へ度存候も、時節柄御多忙と存じ禿筆差出申候
先生の御意見にて何れへとも決定致す事と存じ申候、重ねて御尽力奉願上候、排日問題を思ふにつけても内に此禍根を絶つ事に御配意を奉願上候 敬具
  大正十三年六月廿二日          柳田毅三
    渋沢老先生
            厳下
      乱筆乱文をお詫び致します


集会日時通知表 大正一三年(DK310104k-0010)
第31巻 p.684 ページ画像

集会日時通知表  大正一三年      (渋沢子爵家所蔵)
六月廿四日(火) 午後参時 同愛会ノ件(華族会館)
   ○中略。
六月廿九日(日) 午前九時 同愛会ノ柳田氏来約(飛鳥山邸)
   ○中略。
七月一日(火)  午後参時 同愛会ノ件(華族会館)
   ○中略。
七月十日(木)  午後弐時 有馬頼寧氏来約(事務所)


同愛会事業報告書 大正一三年(DK310104k-0011)
第31巻 p.684-687 ページ画像

同愛会事業報告書  大正一三年     (渋沢子爵家所蔵)
(表紙墨書)
大正十三年中 同愛会事業
      御報告        有馬頼寧 代
                   柳田毅三
 - 第31巻 p.685 -ページ画像 
    御報告
御援助を願つて居ります有馬頼寧の事業に就きましては、会長より直接御報告申上げたかつたのでありますか、閣下が御病気になられましたので、其機会を得ませず、引続き書類で御報告致す様、白石様から度度申聞けがありましたのですが、会長が多忙でありまして、延び延びに成つて居ります内、去月から病床に就く様になりました、従つて九月中は執筆不可能と存しますので、私が代理致しまして、御後援金を支出致して居ります同愛会の事業に就きまして、予て御手許に提出致して居ります十三年中の決算書に従ひまして、概要御報告申上げます。
同愛会の方針は、既に御承知願つて居ります如く、精神運動に重きを置いて居りますので、具体的の仕事は甚だ尠いのであります、実は御引見願ひまして、斯問題の昨年中に於きます動き、及現在及び将来に於ける趨勢、及び之れに対する方策に就て愚見を申述べたいのであります、幸に其機会を御与へ下されば光栄に存じます。
同愛会の表面の中心事業は、雑誌と地方講演であります。雑誌同愛は月刊でありまして、一年凡そ五万部を刊行し、全国に無料配布致して居ります、全国に於て部落問題に関する雑誌は大約五・六十種ありますが、今日では本誌は中心の位置にありまして、是等諸雑誌の指導的立場に置かれてあります。
講演会は講演費三千六百七十五円と、旅費の六千九百六十五円三十銭中の大部分を支出致しまして、神奈川・長野・大坂・和歌山・福岡・千葉・鳥取・山梨・山口・埼玉・岡山・京都・徳島・栃木・新潟の二府十三県下六十二ケ所の講演会を開きました。
現在融和事業を致して居ります団体は全国に府県単位のもの二十余、郡村単位のものを合せますと三百五・六十団体ありますが、従来は何れも斯問題に対する確たる根本的の方針なく、多くは部落民の形の上の改善によりて一般民の理解を得、其処に融和を発現し様と云ふ行き方でありまして、大小の団体は何等の精神的及び思想的の基調及び関連なく、唯目先きの対症療法のみに窮々として居りました。従つて水平社は勿論、其他の部落民に於きまして、是等の融和事業に依つて自分等の解放を期する事は到底不可能であり、特に水平社の如き部落民唯一の自覚運動が出たにも不拘、之れに対する方策方針皆無の融和団体は愈々部落問題を紛糾せしむるものである、と信する様になりまして、部落民の融和団体に対する態度は甚しく冷眼視する様になりました、玆に於て融和事業団体の仕事は何の方面も行詰りの状態に陥入りまして、融和事業行詰まりの声は昨年に於て諸方から起きて来たのであります。一方部落民は融和事業が右の通りであり、自分等の仲間の解放運動である水平社は、世間の批判の的となり、其伸展を押へられ政府は水平争議が盛にあれば多少此の問題に力を入れてくれるが、争議がなければ平静であると、極めて表面的の観察の下に此問題を放棄せらるゝ態度が見へるので、老人は悲観し、青年には反逆的傾向が著しく増進し、此結果は水平社外の部落の中、青年間に無産運動的思念が甚しく高められて来たのであります。
 - 第31巻 p.686 -ページ画像 
此間に置きまして我同愛会は、雑誌と講演に依りまして、厳正なる立場の上に立ちまして、年来の主張であります国民反省の精神を高調し部落問題の依つて来る根本を指摘し、水平社に対しても、其態度を明かにしまして、水平運動の必然性を承認し、其精神の基調である人間尊重のモツトーと、経済の自由の獲得に賛成を表して、一般民に深き考慮と反省を求め、一面水平社には公平なる批判を下し、同社幹部には個人的に其正しき秩序ある道を趾む様注意を致して来たのであります。
初めは同愛会は水平社に味方をするのであるとか、或は赤色であるとか、色々融和団体から批難を受けたのでありましたが、昨年に置きましては漸次本会の主張に共鳴する人が多くなりまして、従て全国の区区な融和団体も、本会の主張を中心として斯の問題に対する考へ方が次第と接近する事になりまして、今春私共の主唱で融和事業の実際的方法として、全国融和聯盟が成立致しました事は、聊か平常の運動に報いられた事を深く感謝致して居ります次第です。聯盟は未だ事業資金が出来ませんので、金のかゝらぬ仕事だけ辛ふしてやつて居る始末で、甚だ残念ですが、地方融和団体は此聯盟を外にして融和運動の進展の道はないと信じて居ります、尚部落民及び水平社同人も非常に聯盟に希望を繋いで居るのであります。
聯盟に就ては、色々具陳致したいのですが、本年の事業でありますから、此御報告に一所にする事は如何かと存じますので、別に聯盟のパンフレツトを添附しました、何卒御一覧を願上げます。
雑誌同愛は所謂知名の人に執筆は依頼致しませず、五年に渡りまして本会が養生致しました部落出身の若い人達で書いて居ります。
奨学金壱千三百五十五円は、部落出身の学生の窮乏を臨時的に補助致して居ります、従て金額の割合には比較的多数の学生に便利を与へて居ります。
救済互助費八百拾三円は、水平運動に従事して居る人及朝鮮人の互助に支出致して居ります、此用途に於ては記帳せざる様、機密費凡そ二千円昨年中に支出致して居ります、托児所に八千九百四十八円五十一銭支出致して居ります、是れハ会本来の仕事ではありませんか、震災当時の救護事業の内、明治神宮外苑で女子職業補導館と併せ経営致しましたもので、職業補導館の方は正月に閉館致しましたが、托児所の方はバラツク住民の懇望に依り、バラツク撤退期日の決する迄、即ち大正十三年十二月廿六日迄経営致しました。各バラツク内の托児所中優秀な成績を挙げ得ました事を喜んで居ります。
震災共同募金募集費に五百六十六円八十二銭を支出致して居ります。是れも会本来の仕事ではありませんが、昨年の紀念日に各社会事業団体及び市府の催しがありましたが、何れも永久的の考へ方がなかつた様なので、急に本会が主唱致しまして、毎年九月一日に継続して精神の方面にも意味ある事業と存じまして、此の基金の募集を挙行致しましたのです。
昨年は東京朝日新聞の後援、及び本会と東京婦人聯合会との共同主催で、それに数個の団体及び学校が参加し、一切の費用を本会が持ちま
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して、当日東京市内の街路で募集致しました額は四千七百円でありまして、此内から先頃の但馬の震災に壱千五百円寄附致しました、只今も来る九月一日の挙行に対する準備を致して居ります。
以上決算面に就て大要の御説明を申上げて来ました、文中甚だ自惚れた様な字句もありましたと思ひますが、他に発表するのではなく、後援者としての閣下に御報告申上げるのですから、自信ある所を申上げるのが誠であると存じまして認めました。以上      敬具
                   有馬頼寧
                    代理
    渋沢先生              柳田毅三
         閣下


集会日時通知表 大正一四年(DK310104k-0012)
第31巻 p.687 ページ画像

集会日時通知表  大正一四年       (渋沢子爵家所蔵)
九月三十日(水) 午前九時 有馬頼寧・柳田毅三両氏来約(飛鳥山邸)


(柳田毅三) 書翰 白石喜太郎宛 (大正一四年一一月一〇日)(DK310104k-0013)
第31巻 p.687 ページ画像

(柳田毅三) 書翰  白石喜太郎宛 (大正一四年一一月一〇日)
                     (白石喜太郎氏所蔵)
          「大正十四年十一月十日《(別筆)》
            柳田毅三氏ヨリ栗須七郎氏ヲ紹介
拝啓                    (白石主事記)」
陳者予て御話申上候畏友栗須七郎氏を御紹会申上候、御多忙中恐縮ながら御会見被下度願上候、同氏は御承知の通り二松学舎出身にて、水平運動の第一人者に有之、孤軍奮闘誠に御気毒に存居候次第、有馬会長も親交有之、多少御手伝ひ致し居申候
同氏の水平運動の精神及現状を御聞取被下、一度渋沢閣下へも御引合せ願上度、尚其上にて適当に御援助願上得られ候へば、幸甚に存じ申候、右御紹会申上度如斯に御座候、其内拝眉万々御貴意得申たく候
                           敬具
    白石様              柳田毅三
        御侍史


渋沢栄一書翰 控 阪井徳太郎・岩崎小弥太・牧野伸顕宛 大正一四年一二月一〇日(DK310104k-0014)
第31巻 p.687 ページ画像

渋沢栄一書翰 控  阪井徳太郎・岩崎小弥太・牧野伸顕宛 大正一四年一二月一〇日
                     (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、益御清適奉賀候、然ば予て御賛助の同愛会の義に付ては、老生に於て会長有馬頼寧氏又は理事柳田毅三氏等に時々面会の上会務に付承合居候も、纏りたる報告書の提出無之、随て特に申上候事も不相叶不本意千万に打過候処、今回漸く報告書提出有之候に付ては、同書は蕪雑・生硬、加ふるに頗る冗長に候も、不取敢其儘写を調製し、玆許加封致候間、御一覧被下度候、右貴意度如此御座候 敬具
  大正十四年十二月十日
                      渋沢栄一

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 男爵 三井八郎右衛門殿   各通  代 阪井徳太郎殿 男爵 岩崎小弥太殿 子爵 牧野伸顕殿 



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(岩崎小弥太) 書翰 渋沢栄一宛 大正一四年一二月一一日(DK310104k-0015)
第31巻 p.688 ページ画像

(岩崎小弥太) 書翰  渋沢栄一宛 大正一四年一二月一一日
                     (渋沢子爵家所蔵)
                  大正十四年十二月十一日《(朱書)》
                  岩崎小弥太男来状
拝復、益御清勝奉賀候、陳者予而御配慮被下候同愛会ニ係ル事業報告並会計報告提出有之候趣ニテ、右写各壱通御送付被下正ニ落手仕候、御手数奉謝候、尚乍此上御配慮之程奉希候 草々敬具
  大正十四年十二月十一日
                      岩崎小弥太
    子爵 渋沢栄一殿


同愛会事業報告書 大正一四年(DK310104k-0016)
第31巻 p.688-699 ページ画像

同愛会事業報告書  大正一四年      (渋沢子爵家所蔵)
(表紙、墨書)
大正十四年十二月
        同愛会事業報告
       渋沢子爵閣下

    同愛会事業報告
本会の事業報告を致しますに先ちまして、同愛会創立当時の部落問題の状態から今月に至ります斯問題の動き方及び同愛会との関係、更に将来部落問題は如何様に進むべきかと云ふ私共の予想と、同愛会の方針及び希望を申述べたいと思ひます、これは同愛会の事業報告として無用のものかとも思ひますけれども、此の間に会としての重要な運動がありますので御参考迄に記す事に致しました、但し詳述致しますと大変長いものになりますので、例令ば水平運動の変移と云ふものを書きましても猶に一冊の本となるだけのものがありますので、ほんの筋書だけを極めて簡単に記しました。
      目次
 一、同愛会の創立と当時の部落問題の状況
 一、同愛会の主旨と主張
 一、水平運動の発生とその動機
 一、水平運動の進展と水平社に対する社会の態度
 一、同愛会の水平運動及水平社に対する態度
 一、中央社会事業協会地方改善部の設置と各地融和団体の創立
 一、水平社の分列
 一、融和聯盟の成立
 一、全国融和聯盟の使命及其事業
 一、中央融和事業協会の設置
 一、部落問題の現在の状勢
 一、結論

    同愛会の創立と当時の部落問題の状況
 - 第31巻 p.689 -ページ画像 
同愛会の創立されましたのは大正十年の四月であります。当時東京に於きましては大江さんの帝国公道会が専ら此問題に尽力され、地方では岡山の協和会、長野の同仁会が漸く生れ出たばかりでありました、内務省に於ては社会課に特殊部落改善係りを設け、地方では県庁内に此係りを置き、専ら部落の物的改善を試みて居つたのでありますが、此問題に対し社会は極めて冷淡でありまして、差別は当然の事で、其事が善いか悪いかと云ふ事さへ考へる人は、甚だ尠かつたのであります。
其頃融和問題に関係致して居る人々は何れも、差別の原因は部落民の生活居住が一般に比して劣つて居るからであると信じ、之を改善する事によりて差別を取云ふと致して居りましたので、又部落の有力者も左様に信じ、各所に改善が行はれ、中には中々行届た部落も出来たのでありました、が然し社会の賤視は一向に逃れる事が出来なかつたのであります、而して部落出の人で其出身を隠して色々の方面に就職したり、或は一般民と結婚したりして居る人達の間に、不幸な運命を担つて悶死する人、憤死する人が続々として出て来たのであります、一方大戦の影響を受けて、デモクラシーの思想は非常な勢で擡頭致しまして、労働者や貧民が漸次人間として取扱はれる様になつて来たのでありますが、然も部落民に対する差別は依然として圏外に取捨てられて居つたのであります。
玆に於て改善は終に我々を解放するものでない、といふ考へ方が、次第に部落の有志青年の頭に力強く這入つて来たのであります、死を賭しても、何んとかして我々の力に依りて此差別の桎梏から脱け出ねばならぬ、といふ重苦しい空気が、各所を蔽つて来つゝあつたのであります、同愛会は実に斯の秋に生声を挙げたのであります。
    同愛会の主旨と主張
有馬会長の主旨と主張が即ち同愛会の主張であります。
 人々は愛によりて手を握り合はねばならぬ、
 「階級を越えて総ての人々の握手」
是れが同愛会が社会に呼びかけた第一声であります、部落問題に対しては、差別する事が悪いのなれば、悪い方は差別する方にある、一般民は深く反省して、自分の頭から此悪い賤視感念を取り去らねばならぬ、差別を取去らずに部落の改善を望む事は、事実の上に不可能の事であると同時に、人道の上に容れられざる罪悪である、と主張して従来の部落改善事業に反対したのであります、然し改善其ものを否定したのではなくて、改善によりて差別を取云ふとする不合理に反対したのであります。
此有馬会長の主張は、今日から見れば極めて平凡な且つ当然の事でありますが、当時の如く差別されるのは部落民が悪いからであるとのみ考へて、其根本原因に考及ほさなかつた社会に対しては、全く異様の感があつたのでありますと同時に、長い間の部落問題に対し、将に一転期を画して来たのであります、而ち斯問題に掌はる官公吏及び一般の融和運動者からは、単なる空論と見られ、寧ろ嘲笑されたのでありましたが、今日では融和運動者の総ての人々が、此精神の上に立脚す
 - 第31巻 p.690 -ページ画像 
る様になりましたのであります。
会長は各地に出でゝ、一般民に対し此主旨を宣伝して旅行を致しました、同愛会は一般民の反省を促す目的で宣伝したのでありましたが、結果は予期に反し部落民の中に多くの共鳴者を得たのでありました。
「外に向つて人種差別撤廃を要求し、上に向つて階級打破を叫ぶ一般社会が、此問題を顧ない事は甚しい矛盾であり、斯くの如くんば、恐くは部落の人達の間に、自分の力に依つて立つ解放運動が起き、社会に一抹の暗雲を投ずるであらふ」と
叫んで社会の注意と反省を促して来たのでありましたが、終に大正十一年突如として水平運動が発生したのであります。
    水平運動の発生とその動機
部落の人達は斯様に考へました。
 「明治の初年大法令が発布され、  非人の称が廃せられてから五十年、不合理な差別は以前として行はれてゐる、一般社会の蔑視は寸毫も薄ぎはしない、政府の施設の下に、成程部落の一部分は改善されて来た、民間有志の運動の下に、差別の表面上の形成は次第に取去られて来た、が然し部落民の一般社会から蒙る処の精神上・生活上の圧迫乃至差別は、何程薄らいで来たであらうか、社会の表面に飛出して行つた吾等の兄弟達は、幸に其出身を隠しおはせた者は兎も角、中途其身分の暴露した者は、忽ちに職を失ひ、婚を破られ自ら死を選んで現世を逃れ去るもの、放浪に放浪を重ねて社会のどん底生活に漂泊の運命を嘆くもの、比々皆然りではないか、社会の人々は、長い間の習慣は、左様に早く取去られるものではないと云ふ、然らば何時になつたら我々が解放されるのであらう?」と
踏んで居る人は痛さを感じない習慣であるといふて、何時迄でも踏んで居る、然し踏まれて居る部落民は堪へ得る処でない、加へて一方には平等思想が滔々として浸入してくる、社会は挙げてデモクラシーを謳歌する、万国の労働者団結せよと世界を風迅する労働者解放の叫びが喧しい、此秋に当りて、部落の青年達がどうして旧来の姑息な改善事業で落付いて居る事が出来ませうか、即ち大正十一年三月三日、京都市に水平運動の烽火が上げられ、玆に部落運動史の第一ページを飾る処の水平社の自主的解放運動が起きたのであります。
    水平運動の進展と水平社に対する社会の態度
      水平社の綱領
 一、特殊部落民は、部落民自身の行動によつて絶対の解放を期す。
 二、吾々特殊部落民は、絶対に経済の自由と職業の自由を社会に要求し、以て獲得を期す。
 三、吾等は、人間性の原理に覚醒し、人類最高の完成に向つて突進す
以上の綱領を掲げて、水平社の創立大会が京都岡崎公会堂に開かるゝや、荊冠旗の下に馳せ参ずるもの無慮壱万余、我国の社会運動史に未だ曾て見ざる処のすさましい発会式でありました、それから一年、二年、水平運動進展の勢は殆んど筆紙に尽し難き概がありました、まことに燎原に燃る火の如きものであり、其真剣にして運動の猛烈なる事
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は、他の社会運動に見る事の出来ないものでありました。
新聞雑誌の如く、言論の代表機関は、何れも此運動を当然な発生として、其必然性を認め、多大の好意的興味を以つて見ましたが、一般社会、特に政府は其発展を恐れ、甚しく危険性のものとして厳重なる取締りを加へたのであります。
政府としては水平社員の大部分が無産者である事、及び此運動を指揮する幹部の内に、多くの社会主義的傾向を有する青年が多数を占めて居るといふ事、従つてそれ等の煽動によりて水平社が社会主義運動に進むのではないかとの見解を下したからであります、一般社会は以上の見解に加ふるに「何を生意気な」といふ、極めて低劣な感情が加はつて、甚だしく此運動を嫌悪したのであります。
然らば此問題に従事して居る民間の融和運動はどう見たかと申ますと是等の人及び団体の殆ど総てが反対の態度を示したのであります、それは第一、水平社は「我々自身の団結によりて」といふ名の下に、一般民の入社を許さないではないか、これは却つて一般民との間に差別を造るもので、或は差別の撤廃を旗印として裏に何等か危険な企画を蔵するものではないか、第二は水平社の徹底的糺弾は徒らに世間を騒がすもので、愈々一般民との離隔を深くするものであると云ふのであります、然し其奥に水平社が其出発点に於て、政府の恩恵的施設及現在の改善融和事業は我々の解放を寧しろ阻碍するものである、我々は我々自身の力に依らねば終に我々を解放する事は出来ないのであると叫び、地方の改善団体及融和事業者に反対を表明したのに含む処があつたので、深く部落民の心の奥に這入つて、真の同情を以て被差別者の心理を洞察し、理解する事に努めなかつたのであります。
    同愛会の水平運動及び水平社に対する態度
同愛会は前に述べました如く、社会が斯問題に対し如斯無理解冷淡であるなれば、当然部落民自身の自主的解放運動が出てくる筈であると予想し、且つ主張致して居りましたのですから、水平社及同人に対しても最初から好意を持ち、水平運動の綱領精神に対し賛成の意を表示したのであります。
即ち部落民に対する一般民の無理解と冷淡とは、終に水平運動を発生せしめたのである、社会は更に更に深く反省して、此運動の真精神と其必然性とを認め、自らの禍を正し、水平社に対しても寛容の態度を以て是を迎へ、徒らに過酷な取締や行動の末を否議して、水平社及同人を横道にそれしめ、所謂悪化せしめてはならぬと主張したのであります。
    中央社会事業協会地方改善部の
      設置と、各地融和団体の創立
水平運動が発展するに従つて、各所に所謂徹底的糺弾事件が起りました、奈良騒動は表面に表はれました最も大きい闘争でありまして、世間は初めて斯問題の看過す可からざるを知り、部落問題が初めて社会一般に論議される様になり、社会運動の内に重きをなして来たのであります、是より先、政府に於ても水平社の創立に鑑み、大正十二年に中央社会事業協会の内に地方改善部を置き、是れを中心として各県に
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融和団体を知事会長の下に創立し、専ら部落問題の解決に当たらしめたのであります、即ち官権に於ては厳に水平社の行動を取締り、其宣伝を防ぐと同時に、一方融和団体をして地方部落と一般民との融和接近を計り、水平社の発展を阻碍する事に力を致したのであります、此秋部落の状態を見ますると、水平社に這入つて居るものは全体から見て甚だ尠く、大部分の者は水平社に対し中立若くは反対して居たのであります、それは
 第一、従来改善に従事して居つた部落の長老は、若い者が自分達の行つて来た改善を否定して水平社に走つたといふ事。
 第二、地方一般民が水平社を嫌悪排析するので、水平運動に賛成する事は日常生活に不利益であると云ふ事。
 第三、水平社は社会主義で、国家を否認し革命を目的とするものであつて、社会主義者と連絡を取つて居るそうであると云ふ宣伝に動かされた事。
以上の理由で反対して居つたのでありましたが、然し自分達同族の兄弟の子が、差別から脱け出んとする雄々しい自主的な運動を見ては、自ら血湧き肉躍るの感に堪へんものがあつたのです、理智経験の上からは反対して居つても、心の奥には共鳴するもの多く、口にこそ出さねシツカリやつてくれと叫ばずには居られなかつたのです、況や青年に於ては、多大な熱と興味を以て、水平運動の理論を研究し、水平社の行動を見つめたのであります、只長老に反し両親を振捨て、村の人人に迷惑をかけて迄運動に参加するに至らなかつたのでありました、斯様な状態でありますから、水平運動は極端なる官権の取締りと民間の排析が極めて甚だしかつたのにも不拘、運動の精神は日ならずして全国的に行渡つたのであります、而して是等青年の気持は又遂に親達の心を引付け、水平社には表面賛成しないが、従来の改善融和事業を喜ばない様になつたのであります。
政府及民間の改善融和事業家は、此深い気持を察する事が出来ず、水平運動者は部落の小部分のものであり、且つ信用の無い青年が参加するのみで、有力なものは全部反対であると信じて、一も二もなく水平社を排析しつゝ、只々部落と一般との接近融和を計つたのでありますが然し、如上の事実に依り水平運動は益々盛になつてくるのみで、融和事業は一向に進まず、差別事件は各所に頻発し、部落民からも一般民からもイラン世話であるといふ態度に出られ、全く融和改善事業の行詰りに遭遇したのであります。
同愛会は此の間にありまして、上述の如く断固として水平運動の精神に賛成し
「融和は差別の撤廃に依つて得られる、差別を取去る事に務めずして被差別者の改善を図り、表面上の接近融和を画する事は、木に依つて魚を求めるの類である、須く水平運動の由て来る処を考察し、差別者自ら差別を撤廃せねはならぬ、融和団体は従来の部落に向つて行つて来た教化改善の行方を改めて、一般民の反省運動に向はねばならぬ、只単に両者の形の上の接近を図る事をのみに汲々とすべきでない、宜しく人道の上に、正義の上に、真理の上に立脚せねばならぬ」と有馬
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会長の主意主張に従つて、雑誌に、講演に、懇談会に、専ら宣伝に努力したのであります。
私共は斯様に考へたのであります、水平社の行動は多少悪い点がありませう共、其主張する処が正しいのであるなれば、其に賛成するのが当然であり、斯運動の発生が必然性のものである以上、之が撲滅を図る事は如何に官権の力でも不可能の事であり、強いて其を遂行せんとする事は、水平社を却つて危険な団体にならしめる事であり、且つ部落民全部の、社会に対する反抗を高めさせる事になるものである、同時に水平運動を正しく一般社会に知らしめる事は、又水平社の行動を穏健公正ならしむるものであり、斯問題の解決を早めるものであると考へたのであります。
此時同愛会は最も苦境に立つて居つたのであります、即ち此の主張に共鳴するものは一般民に於て甚だ尠く、多くの融和事業家からは、会が水平社を助けるものである、有馬氏は社会主義者である、売名家である、同愛会は赤色になつた等と批評され、政府筋からも表面は何ともなかつたのですが、随分危険視され、冷淡に扱はれて来たのであります、部落の人達からは、有馬さんが私共の事を心配してくれるといふので、多大な好意を持つて迎へられましたけれども、其真意を了解してくれるものが尠かつたのであります、加へて水平社の急進者からは、売名乃至部落問題を喰物にするものであると思はれ、従来の改善団体と同様に見られて、可成反感を買つたものであります、大正十二年水平社の第一回の大会に有馬会長と同行臨席しました時は、執行委員長の承諾を得てコツソリと入場しましたにも不拘、緊急動議に依りて退場を要求され、特権階級の有馬頼寧を追い出せ等と罵詈されたのであります、一二幹部の仲裁で辛ふじて委員会に依りて動議は撤回されましたけれど、其間喧々囂々殆ど危険が身にせまるが如き心持が致しました、日没に至り危険であるかも知れぬからとの注意を受け、中途退場致しました次第であります、然も会長は周囲の反対と束縛を振り切り、同族の反感と冷視とを意に介せず、断然部落問題に尽力し、水平運動に対しては好意を以て力を致して居られるにも不拘、此事あるを見まして、私は深い深い感慨に打たれたのであります。
然し正しき運動は必ず正解される時が来ますもので、大正十三年の末期頃に至りましては、同愛会の主張が容れられまして、政府及融和団体も従来の改善融和の方針を改めて、人道の上に立脚する国民反省の融和運動となり、水平社以外の部落の人達は勿論、水平社同人からも好意を以て了解される様になり、加へて部落出身の教養ある青年が盛に同愛会を中心として集つてくれ、此問題の為に働いてくれる様になり、会の事業は極めて順調に進む様になつたのであります。
    水平社の分裂
水平社は大正十三年の中頃迄が最も盛でありましたが、漸く幹部の中に内訌を生じまして、所謂遠山のスパイ事件を動機として、旧幹部の排析となり、南執行委員長の引責となりまして中心を失ひ、九州・奈良・大阪・関東と分離の状態で統一を欠き、個人としては群雄割拠で各々勢力を争ふと云ふ状態に立至り、大阪青年派の如きは無産政党組
 - 第31巻 p.694 -ページ画像 
織に熱中するといふ有様になりましたが、それ等の経緯は幹部個人個人の主義主張・動静を詳述しなければ明かになりませんので、玆に記す事を止めます、然し其原因の重なるものは、第一に運動の拡張に従ひ資金が欠乏した事であります、旧幹部が二ケ年不眠不休の活動に可成労れを来した事、各所の糺弾事件で多数の犠牲者を出した事等も大きい原因の一つであります、水平社は斯くして今日では其戦線が甚しく乱れて来ましたけれども、玆に注意しなければならぬ事は、水平運動は全部落に行渡りまして、抜く可からざるものになつて居ると云ふ事であります。
    融和聯盟の成立
大正十三年に至りましては、全国に融和団体が続々と成立致しまして旧来のものを合しますと、全国的のもの七団体、府県単位のもの十八団体を算するに至つたのでありますが、其間私設と官設とあり、官設の中にも官僚気分の濃厚なものと薄いものがあり、各団体の間には少しも連絡なく、各団体各々相違した意見と方策で動いて居たのであります、加へて地方団体の一個一個の力は甚だ薄弱でありますのに、一方水平社の反対に向つて手も足も出ぬ状態に立至つて居つたのであります、然しながら前記の如く同愛会の主張を中心としまして、大体に其根本な考方は一致して来ましたので、本会は融和聯盟の組織を思ひ立ちまして、十三年の秋より準備に取りかゝり、翌十四年二月、全国融和聯盟を組織致しましたのであります。
御参考迄次に融和聯盟の表を掲げました。
    融和団体表

図表を画像で表示融和団体表

 団体所在地       団体名        代表者       創立年月日 神田区三崎町一ノ九   中央社会事業協会   子爵 渋沢栄一   大正十二年七月 赤坂区青山北町三丁目  同愛会        有馬頼寧      大正十年九月 芝区白金三光町     帝国公道会      伯爵 大木遠吉   大正八年十一月 牛込区市ケ谷田町三ノ二 聖訓奉旨会      子爵清岡長言    大正十二年三月 上京区田中樋ノ口町   公平会        本多譲       大正十三年八月 堀川通本派本願寺    一如会        本多恵隆      大正十三年十月 天王寺区伶水町     愛国同志会      森秀次       大正十一年二月 京都府庁        親和会        府知事 神奈川県庁       神奈川県青和会 兵庫県庁        清和会        県知事 埼玉県庁        埼玉県社会事業協会  県知事 南葛飾郡役所      大和同志会      浅野尚太郎     大正元年八月                        吉川吉次郎 三重県庁        三重県社会事業協会  県知事       大正十二年四月 静岡県庁        静岡県社会事業協会  同 滋賀県庁        自治協会       同 上田市役所       信濃同仁会      成沢伍一郎     大正九年九月                        成沢勇 鳥取県庁        鳥取県一心会     県知事       大正十三年五月 島根県庁        島根県和教会 岡山市上ノ町      岡山県協和会     大原孫三郎     大正九年九月 広島市材木町三     広島県共鳴会     中村桂堂      大正十年三月                        河野亀一 和歌山県庁       和歌山県同和会    県知事       大正十三年三月 愛媛県庁        愛媛県善隣会     同         大正十三年三月 高知県庁        公道会 




 - 第31巻 p.695 -ページ画像 
    全国融和聯盟の使命及其事業
融和聯盟の使命に就ては別冊同題のリーフレツトを添附致しましたから、玆に省略致しますが、要するに聯盟は
 一、強制によらずして中央地方の各団体の思想及行動の連絡統一を生み出す事
 一、各融和団体を純民間の運動とし人道の上に立脚する精神運動たらしめ、各団体に活生命を充実せしむる事
 一、国民の名の下に差別者被差別者相集り相協力して、全国民的精神運動を起す事
 一、各団体の一致の力を以て政府に進言し、政府をして斯問題に対する国策を樹立せしめ、其施行を円満有効ならしめる事
等が、聯盟の使命及事業として重要なる点であります、聯盟は成立致しますと同時に議会請願に着手しまして、請願別冊「同胞融和事業の徹底に関する請願書」を提出致しまして、貴衆両議院を通過致しました。
聯盟は本日迄三回の委員会を開きまして、種々協議を重ねて居りますが、未だ資金が出来ませんので、金のかゝらぬ方面の仕事のみ致して居ります、今日迄の処同愛会が大部分拠出致して参りました、本年九月安田修徳会から不取敢年額五阡円二ケ年の御寄附をして下さる事になりました。
    中央融和事業協会の設置
大正十四年九月、政府は従来の中央社会事業協会内の地方改善部を廃して、改めて中央融和事業協会を造りました、これに就ては未だ出来たばかりでありまして、批評の限りでありませんが、其スタートに於て誤りがあり、其組織に於て失敗があります、終に効果を挙げ得ないものであらうと一般の評でありますが、それ等の事は後日報告に譲ります、惜むらく政府の人は、聯盟の必然性と使命を察知しられる事が出来ず、これが利用を誤まられて居る事は甚だ遺憾な事であります。
    部落問題の現在の状勢
此項は詳しく書く必要があると思ひますけれども、非常に長いものになりますから、極めて大観的に要領だけを記する事に致しました、若し御必要がありましたら御質問願ひたいと思ひます。
水平社の運動と融和団体の働きと政府の力で、兎も斯問題が幾分かでもよくなつて行つて居る事は事実であります、特に形の上の差別事項は相当に減じて居ります、が然し、一方部落民の自覚が進むに従つて差別を感ずる事が強くなりまして、差別が減じて行くよりも寧ろ足並が早いので、差別事相は事実に於て広く深くなりつゝある状態にもあるのであります、殊に注意す可きは、差別が漸次陰性的に深くなり行く傾向がある事で、即ち「関係すると面倒であるから、関係せんに限る」と云ふ考方が、一般に可なり強くなつて行きますと同時に、其半面に、被差別者の方には、異民族的心理が拡充されて行く事であります、つまり部落が社会から孤立に置かれんとするものでありまして、此心持は今日では両者の頭の奥に僅に芽を出して居るのでありますけれども、最も寒心すべき事相で、長く国家社会に禍根を残さんとする
 - 第31巻 p.696 -ページ画像 
ものであります、玆に至りました原因は、所謂水平社の徹底的糺弾が禍ひ致しましたので、水平社も糺弾の方式に就ては充分注意考慮する必要があると思ひますが、又一般民は差別の無いところに糺弾はおきないのであると云ふ点を、深く自省する必要があります。
此点から見ますと、水平社は融和を妨げて居るのでありますが、水平社としましては、其使命が融和の前に先ち差別を取去る、即ち人間として平等に取扱れる様になると云ふ事が第一の目的でありますから、若し是れを妨げる社会人に対しては、闘争しても止むを得ないと云ふ感情と理論があります、又水平社が水平運動を初めましてから、一般民も此問題を社会問題として考へ出したので、これが無かつたら恐くは深く考慮に置かず、自然に放置したでありませう、すれば教育の進むに連れて、被差別者は必ずや立つて自主的運動を起すに至ります、当然の結果で玆に水平運動発生の必然性があるといふ事を認めなければならぬと思ひます、従つて繰り返して申上げますが、水平運動及水平社が悪いとして排析する前に、社会は斯運動を正しく理解する事に務め、自ら差別を取去る事に努力致しますれば、水平社は自然穏健にならざるを得ないのであります。
現在に於きましては、結婚は勿論でありますが、尚就職・営業・社交居住其他に於きましても、不合理な差別が存在して居ります、例令ば部落のものが地方の町に出で家を借ふとして借れなかつたり、商売を初め様として妨害されたりする事は沢山あります、又部落の人が住宅土地を担保に置いて銀行に金融を依頼する時は、多くは拒絶されるのであります、最も銀行の方から見ますと、万一担保流れになつた時其処置に困ると云ふ事情があるからでありますが、これは大なる差別事実を裏書するものであります。
差別事相の例はいくらでもありますが、並べる必要もありませんから省略します、要するに今日差別はしてないといふ事は、踏んでる側の云い分で、踏まれて居る人から見れば、堪へられぬ有形無形の差別圧迫を蒙つて居るのであります。
    結論
部落問題は将来何ふ進む可きか、何ふしたらよきかと云ふ事を、極めて要点のみ申上げて結論と致したいと思ひます。
融和運動が漸次水平運動になつて行く、水平運動が漸次融和運動になつて行く、同じ目的を以て行く二つの民間運動の流れが、一つは反省的であり、一つは自主的である、此二つの運動が互に相通じ相伴ひ、陰陽二面合して一つになる所に、部落問題の帰結点があるのではないかと思ひます、然し今直に此状態を望む可きではありません、其所に至る迄は可成な年月と、色々な紛糾があると思ひます。
融和運動の方は将来可成順調に進んで行くとも思はれますが、水平運動の方は是から益々波乱があると考へられます、今日は無産運動・無産政党と云ふ方に脱線して居る様ですが、これ等も水平運動の統一を非常に阻碍するものと思ひます、然しながら水平社が如何様に変りませう共、此問題は水平運動と云ふ自主的運動即ち部落民自身の運動を除いては、差別撤廃の目的は達せられません、同時に同様の重要さを
 - 第31巻 p.697 -ページ画像 
持ちまして融和運動と云ふ国民的立場の力強い運動なしには、融和の目的を達成する事は不可能であります、加へて政府の真剣な努力と云ふものが加はつて、初めて融和の実現を期する事が出来るものと考へます、此重要な三つの一点に集る処が、有馬会長個人の双肩にかゝつて居るものと信じます、同愛会の責任も此点にあります。
従つて同愛会と致しましては、一面に水平運動の人々と相知り、一面に於て融和団体の連絡と統一を図る事と、更に聯盟の協力によつて政府を動かして、其政策を遂行せしめなければならないのであります。
同愛会は御後援によりまして今日此処迄仕事を進めて参りました事を深く御礼申上げます、然るに来年末で御後援の期限が了ります事になりますのですが、左様なりますれば、既に来年半ばから会をやめる準備を致さねばならぬ事となりまして、折角今日迄致して参りました事が、或は水泡に帰するのではないかと懸念致します次第で、希くは今二ケ年御継続願上げます事が出来ませんでせうか、すれば聯盟の基礎も確実となり、水平社の行く処も稍見当がつき、例令会として解散致しましても、有馬会長個人として此事業に尽力する事で差支へない程度迄立至りますものと信じます次第であります、此事を心から御願申上げます。            以上

    事業報告
会の事業の主要なる点は前述の如くでありますが、此処には大正十三年一月一日より大正十四年十月に至ります二十二ケ月間の会計支出計算面に表はれました数字に就きまして、会計と併せて御説明申し上げます。
事務所費 事務所費五仟四百拾八円の過半は家賃でありまして、月百参拾円であります、只今二階を聯盟の方に使用致して居りますので聯盟が独立事務局を置くことになれば、六拾円位いな家に移転する事に予定致して居ります。
給料に 壱万四仟六百弐拾円、即ち毎月六百六十五円を支出致して居りまして、手当賞与と合算しますと、事業費に対し人事費が比較的多いのでありますが、目下仕事の範囲が拡大致して居りますので止むを得ん次第であります、然し是れも将来は専任を二人か三人にして、事務所費と共に人事費の削減をしまして、事業費の方に当てる計画を致して居ります。
雑誌費 雑誌費壱万八百九拾弐円弐拾銭は、原稿料・印刷費・発送費を全部込めたものであります、目下毎月四千部乃至五千部出して居ります、雑誌は本会の主要なる事業の一つでありまして最も力を注いで居ります、幸に現在では斯問題に関する権威となりまして、融和団体は本誌(同愛)を通じて思想の調和、行動の一致点を発見しつゝある次第であります、只あまりに専門的で、融和事業の指導機関の感がありますが、一般民衆に対しては更に平易なパンフレツト乃至印刷物を時々配布する考で居ります。
奨学金に 弐仟八百八拾五円を支出して居ります、本会の奨学金は臨時的に補給致しますので、人員は四十名位ひになつて居ります、成
 - 第31巻 p.698 -ページ画像 
績は非常に宜ろしく、現在の会の中堅になつて働いて居ります人は此の中から出ました秀才であります、「部落の青年で出来る者は皆同愛会がとつてしまう」との評を受けて居る状態でありますが、決して左様な次第ではありません、何れも会長を崇敬して集つて来るのですが、従つて、会の奨学金は甚だ好果を挙げて居ります次第です。
旅費に 壱万弐仟五百参拾円六拾八銭、講演費に七千弐百参拾四円八拾七銭を支出致して居りますが、講演と旅費は厳重に区別がついて居りませんので入り交つて居る点もあると存じます。
 「其明細は別に表二通添附致しましたから御覧願ひます」講演は三府十八県下に渡りまして八拾七ケ所開いて居ります、此の外会長が各所の講演及び政治演説を依頼されて行きますと、多くの場合斯問題を一口でも話す様に致して居りますから、講演宣伝は相当に行渡つて居ります、由来講演会は人寄りの悪いもので、他の講演会の様子を聞きますと、地方では郡役所や町村役場で相当人寄せに尽して尚二三十人しか入場者が無かつた等と聞かされるのですが、本会は幸に何処も好人気で、尠くも二百、三百、多い時は二千人位いの聴講者がありまして喜こんで居ります次第です。
集会費に 壱仟五十八円拾五銭を支出致して居ります、集会は時々会の内部で研究会、茶話会、有志の懇談会等を開きましたり、社会問題に関係して居る新聞記者を招待致しましたり致しますのですが、此計算面には聯盟の創立時代の費用及発会式の費用が這入つて居りますので、金高が上りました。
救済互助費に 壱仟四百八十三円を支出致して居ります、専ら会の外の人を助けて居りますのですが、又内部の人の病気其他の為に支出致して居るものもあります、此項に計算すべきもので機密費がありますが、是れは会長と私が会の会計を通ぜずに支出致して居りますので表には計算致しませぬが、此期間に七千五百円ばかり支出致して居ります。
交際及接待費は 御説明する迄もないと思ひます。
融和聯盟寄附に 壱仟五百九十六円六十銭を支出致して居ります、是れは聯盟事務局開始以来聯盟に立換へて来たものですが、去月の第三回委員会の節寄附致すことに致しましたものです。
震災基金募集費に 壱仟八十七円参拾壱銭を支出致して居ります、それは部落問題には関係ありませんが、大正十二年の大震災紀念事業として毎年九月一日東京市で本会が主催致しまして、朝日新聞社後援の下に震災共同基金の募集積立てを致して居りますので、本年で二回挙行致しまして壱万円程積立てました、其の内壱仟五百円は但馬の震災に寄附致しました、女学校や青年団が参加して呉れて居りますけれど、発起者としてお世話をせねばならぬ事になつて居りますのです。
托児所費に 八千九百四十八円五十八銭を支出致して居ります、是れは本会の致しました震災救護事業の一つでありまして、震災直後に神宮外苑で開きまして、大正十三年十二月に閉所致しました、これ
 - 第31巻 p.699 -ページ画像 
には、善後会から五仟円御寄附を頂きまして、大変助かりました、幸に好成績で閉ぢました時は、罹災民と泣いて別かれた様な次第です。
職業補導館欠損に 壱仟五百六十円を計上致して居ります、是も震災救護事業の一つでありまして、大正十二年九月末に開きまして、十三年の正月末に経営困難で閉場致しました、是れは渋沢子爵閣下から十二年に壱千円御寄附下さいまして助かりました。
返済金に 八千五百八拾七円六十九銭を支出致して居ります、是れは後援会に御願ひを致しましたのが、大正十一年の末でありまして、十二年の春頃には大分御後援の儀が進みまして居りましたので、人員を増したり等致して居りました所、延び延びになる内震災で、更に十三年からと云ふ事になりましたので、其の間に借金を致しましたのですが、それを返済する予猶なく、去月有馬家の会計から支出致して頂きました次第であります。
   ○右報告書ハカーボン複写書キ。


(有馬頼寧) 書翰 (大正一五年)三月一一日(DK310104k-0017)
第31巻 p.699 ページ画像

(有馬頼寧) 書翰  (大正一五年)三月一一日
                    (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
謹啓、時下益々御清穆の御事と賀し奉ります。時に本年は恰も本会の創立五週年に相当いたしますので、来る六月一日発行「同愛」は創立五週年記念号として発行し、聊か本会の創立五週年を記念すると共に部落問題のために一層の努力を期したいと存じます。就きましてはこの際、甚だ御迷惑な御願ひとは存じますが、本会の微意の存する処を御諒察の上、雑誌「同愛」記念号へ、該問題に対する貴見の御一端を御寄稿賜はり、此度の計画を御援助下さいます様、切にお願ひいたします。
 尚編輯の都合もありますので、貴稿は来る四月三十日迄に「東京市芝区今入町一五同愛会編輯部」宛御送附賜らば、幸甚の至りと存じます。
  三月十一日
                 同愛会長 有馬頼寧


竜門雑誌 第四五五号・第七七―七八頁 大正一五年八月 同愛会創立五週年に際して(DK310104k-0018)
第31巻 p.699-700 ページ画像

竜門雑誌  第四五五号・第七七―七八頁 大正一五年八月
    同愛会創立五週年に際して
 同愛会が過去五ケ年間、部落問題のために熱心に尽瘁して来られた事は、たゞたゞ感謝の外はない。今更ら言ふ迄もなく、今日尚部落問題のやうな問題が残されて居る事は、共に倶に悲しむべき事であつてたゞに一部同胞の不幸であるのみならず、我等国民全体の不幸であり恥辱である。我々は共に深く相省み相戒め、かゝる悲しむべく忌はしき問題の、一日も早く解決さるゝ様、最善の努力を払はなければならないと思ふ。
      ○
 私も嘗つて差別待遇を受けた事のある一人である。私は埼玉県の百
 - 第31巻 p.700 -ページ画像 
姓の家に生れたが、当時百姓は武士からひどく侮蔑され、差別待遇を受けたものであつた。これは私の十七の時の事であるが、私の所から十七里ばかりある岡部といふ所の代官から呼出され、私は親爺の代理か何かでそこに行つた事がある。するとその代官が御用金を申付けるのに、私を恰で奴隷扱にし、人間として到底堪へられないやうな種々な侮辱を加へた事を、私は今でも覚えてゐるが、当時私は腹が立つてたまらなかつたものであつた。実際、人間を止め度くなつた位であつた。が、これは当時の社会制度が悪かつたからの事で、今日の部落問題とは趣を異にするが、何れにしても人間にとつて賤視侮蔑され、差別待遇を受ける位ゐたまらない事はない。古い諺だが我身を捻つて人の痛さを知れである。自分が侮蔑され差別された時の事を考へれば、他人に対して到底かゝる事は出来ない次第である。部落問題に於ても之を他人の問題として考えるから六ケ敷くなるのであつて、之を銘々が自分の問題として考へるならば、その解決も左程困難ではあるまいと思ふ。
      ○
 同愛会の創立五週年に際して何か書けとの事であるが、要之部落問題の解決は、各人の反省と、博い愛を措いては到底企図されまいと思ふ。古来幾多の聖賢によつて説かれてゐる道も、要するに「愛」の一字に尽きる。クリストに於て然り、孔子に於て又、然りである。荘子は「夫子の道は忠恕のみ」と言つてゐるが、「恕」は即ち「愛」である。「愛」こそ道のすべてゞある。すべては「愛」の一字によつて解決されるであらう。
 部落問題に於ても同様である。私は誰れもがこの問題を先づ自分の事として考え、博い愛を以て常に臨み、不合理な因習一掃のために努力するよう希望して止まないものである。(同愛六月号所載)


(柳田毅三) 書翰 白石喜太郎宛 (大正一五年四月)(DK310104k-0019)
第31巻 p.700-701 ページ画像

(柳田毅三) 書翰  白石喜太郎宛 (大正一五年四月)
                    (白石喜太郎氏所蔵)
粛啓、只今お電話で御報告申上げました通り、昨三十日代々木徳川家鎌田執事ヨリ弐仟円也小切手受取りました、一度持参御報告の上頂く筈でありますが、支払ひが押詰りましたので、其まゝ使用さして頂きました
以上で次ぎの如き計算になります
 一金参仟円也  故頼倫侯爵ヨリ御拝借の分
 一金壱仟円也  御事務所ヨリ御渡シ願ひました分
 一金弐仟円也  昨三十日徳川家ヨリ直接領収の分
 計 六千円也
 従て御約束御寄附高三ケ年分は総て戴きました事になりました
就きましては甚だ恐縮でありますが、是れで一切御約束のものはすみました事を、御手紙で、中は頼貞侯爵宛、表面は市外代々木二ツ橋徳川侯爵邸鎌田正七郎氏宛で御発送願ひ上げたいのであります、同家には有馬先生の領収証を差出して置きましたが、尚貴事務所へも差出します様に致します
 - 第31巻 p.701 -ページ画像 
右取いそぎ御依頼申上げます、御多忙中誠に恐縮致します
                         早々 敬具
                       毅三(印)
    白石喜太郎様
           厳下


(有馬頼寧) 書翰 渋沢栄一宛 (大正一五年八月)(DK310104k-0020)
第31巻 p.701 ページ画像

(有馬頼寧) 書翰  渋沢栄一宛 (大正一五年八月)(渋沢子爵家所蔵)
                   十六日落手一覧済《(栄一墨書)》
粛啓
本年の暑気は格別に存せられ申候処、愈御清康に渡らせられ居候段大慶申上候
陳者折角御静養中を恐縮致し申候へども、御援助願居候後援会の件に就き御相談申上度儀有之、来る二十日御伺ひ申上候間、何卒御面談被下度御願奉申上候
右御依頼申上度如斯御座候 敬具
   二伸
  尚別冊同愛会報告意見書差出申候間、御高覧賜り度候 早々
                    有馬頼寧拝
    子爵 渋沢栄一殿
             梧下


同愛会報告意見書(DK310104k-0021)
第31巻 p.701-703 ページ画像

同愛会報告意見書             (渋沢子爵家所蔵)
(表紙)
八月十六日落手即日一覧《(栄一墨書)》
      同愛会報告意見書

    同愛会の縮小方針に就きまして
 後援会御契約期間の満三ケ年も愈々本年末を以て終ります事になりました、従て同愛会も此九月に本年度第四期分を頂きます事に依つて事業資源を失ふ事になります次第であります。それに就きましては、昨年十一月に差出しました御報告書に於て、今二ケ年の御継続を御願ひ致したのでありましたが、経財界不況の今日御迷惑尠からざる事と存じますし、且つ其節御報告申上げました事業は思ひの外進んで参りましたので、玆に同愛会の縮小方針を立てまして御相談を申上げます何卒従来の御好意の下に御聞届け下さいます様御願ひ申上げます。
 顧ますれば過去五ケ年に渡りまして、同愛会の事業は其の目的の大半を達したと思ひます、勿論部落問題と云ふ極めて長年月を要する問題に対しましては、其の解決は寧ろ将来に懸つてあるのでありますが然し後援会と云ふ運動資源に一定の期間があります以上、又他に代る可き資源を求めるのが不可能であります状況に置きましては、出来るたけ其の期間内に多分の効果を挙げますと同時に、其の効果を無駄にしない様に終らねばならぬのでありまして、斯様な運命にあります会と致しましては、其の事業の上に多少の無理と尠からざる困難があつ
 - 第31巻 p.702 -ページ画像 
たのでありますが、兎も角も此の意味に於きまして其の目的の大半を為し得たと信じます次第であります、即ち会と致しましては、今日其の内容を整理縮小し、向後一年位ひの間に於きまして、打切ります適当な時機を造りまして解散致しましても、部落問題は従来私共の採つて参りました方針によりて、問題解決の途に、進んで行くものと存じます、尚仮令同愛会を解散しましても、私共は依然斯問題の中心に居りまして、長く此の問題に奉公を致しますので、決して斯問題から逃避するのではありません、それ等の事情につきまして御報告を兼ね御説明申上げたいと存じます。
 其の前に御参考として左に昨年差出しました報告書中結論の一部を再摘致します。
 (前略)融和運動が漸次水平運動になつて行く、水平運動が漸次融和運動になつて行く、同じ目的を以て行く二つの民間運動の流れが一つは反省的であり、一つは自主的である、此の二つの運動が互に相通じ相伴ひ、陰陽二面合して一つになる所に部落問題の帰結点があるのではないかと思ひます、然し今直ちに此の状態を望む可きではありません、其処に至る迄はかなりの年月と色々な紛糾があると思ひます。融和運動の方は将来成るべく順調に進んで行くとも思はれますが、水平運動の方は是から益々波乱があると考へられます。今日は無産運動・無産政党と云ふ方面に脱線して居る様ですが、これ等も水平運動の統一を非常に阻碍するものと思ひます、然し乍ら水平社が如何様に変りませうとも、此の問題は水平運動と云ふ自主的運動、即ち部落民自身の運動を除いては、差別撤廃の目的は達しられません、同時に同様の重要さを持ちまして融和運動と云ふ国民的立場の力強い運動なしには、融和の目的を達成する事は不可能であります、加へて政府の真剣な努力と云ふものが加はつて、初めて融和の実現を期する事が出来るものと考へます。(中略)
  従つて同愛会と致しましては、一面に水平運動の人々と相知り、一面に於て融和団体の連絡と統一を図る事と、更に聯盟 ○全国融和聯盟の協力によつて政府を動かして、其の政策を遂行せしめなければならないのであります。(後略)
 水平社は本年九州に於ける全国大会で、綱領を改正し、共産主義的無産運動の旗色を明かに致しました、昨今は共産主義反対の社員によりまして、共産一派を撲滅する為めに純水平運動の結束を試みつゝあります、これ等は既に私共の想像致して居ります道程中の一波乱でありますが、人物は寧ろ共産主義派に沢山居りますので、可なり根深く発展致して居ります、此の際融和運動が相当に威力を以て進みませんと、其の目的の達成を尠からず阻害される事と思ひますし、国家の上から見ましても憂慮すべき傾向と思はれます。
 水平社に対しては、今の処個人的に連絡を取りまして、よく其の状態を知悉し、水平運動の精神を誤らない様に注意すると同時に、関接に水平運動の浄化及穏健なる発達を図る可きでありますが、融和団体に対しましては、各団体事業の連絡、思想の統一を為し、他面其綜合したる力を持つて、政府に斯問題に対する根本政業を遂行せしむる事
 - 第31巻 p.703 -ページ画像 
が最も重要なのであります、即ち全国融和聯盟は此の目的を以て創立致しましたのであります、申す迄もなく此の方針は部落問題の全極に対し最も有効であり、時代に適応したる進路として取り来つたのでありますが、又一面には他日同愛会か資源を失ひ、事業の縮小乃至解散を致します時、会に代つて此の問題に当る更に大きな衆力を集めて事業の方針を継承し、会の努力を一層効果あらしむる為めにも考へた事でありました。
 報告書を差出しました当時は、聯盟の基礎甚だ薄弱でありまして、会の縮小は直ちに聯盟の結束発展の上に影響する恐れがありましたので、後援会の御援助を更に二ケ年延期御継続方を御願ひ致しましたのですが、爾来幸に聯盟の事業は順調に進みまして、経財的には甚だ困難致して居りますけれども、全国主要団体は殆んど全部の結束が出来ましたし、殊に今春の議会運動の結果として、貴衆両院議員諸君の理解を得まして、両院議員による融和問題研究会が成立致しました、既に会員も両院合して三百名程あります程で、今冬は殆んど全議員の入会を得る事と思ひます、各派を代表して幹事諸君が熱心に尽力されて居りますので、政府に対する希求も漸次実現する事と思ひますし、民間に向ても、聯盟と同一歩調で実際融和問題に当る事になりましたので、聯盟の基礎も漸く固きを加へました、従て此の際会を縮小致しましても、融和問題の全極に支障を来たす事はない迄に進みましたと信じます。会は昨年末負担過剰で、其の経営に甚だ苦んで居りますので此の際断然組織を換へまして、専務職員一切常任を解き、無俸給とし常経費の一切を省略したいと思ひます、唯必要な事業だけは、例へば雑誌・パンフレツトの発行、講演・懇談会の如きは、総て臨時事業として、必要に応じ資金を求めてする様に致したいと思ひます、会と致しましては従来の負債も相当ありますし、職員の退職手当も相当見積る必要がありますし、聯盟も尚来春頃迄は其経費を補足致して行かねばならぬ事と思ひますので、以上御高察の上、今一ケ年御援助を只管御願ひ致します次第であります、尚半額は何等かの方法によりまして此の際整理縮小費及本年末迄の諸経費として御渡し願ひたいのであります、残半額は或は来年聯盟の方へ御寄附下さいましても結構であります。
 右其の後の事情御報告申上げまして、御相談致します次第であります、詳細は直接御面会の節貴意得たいと存じます。 敬具


(後藤文夫) 書翰 白石喜太郎宛 (昭和二年)三月三日(DK310104k-0022)
第31巻 p.703-704 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

渋沢栄一書翰 控 同愛会同人連名宛 昭和二年三月一七日(DK310104k-0023)
第31巻 p.704 ページ画像

渋沢栄一書翰 控  同愛会同人連名宛 昭和二年三月一七日   (渋沢子爵家所蔵)
拝啓益御清適奉賀候、然者予て御同様配慮致来候有馬頼寧氏後援会醵出金の儀、昨年末を以て満了と相成、御醵出の金  円也も同氏へ総て交付仕候、右は全く御厚志に基く処と拝謝の至に御座候、然る処此程有馬氏より同会目的の達成に一段と精進仕り、所謂有終の美を期し度、付ては今壱ケ年を限り従来通り御寄附被成下度旨の懇願有之候、又爾来配慮致居候後藤台湾民政長官よりも、同様の来示に加えて、本年中に解散の上事業一切を全国融和聯盟に引継く見込に付き、枉げて御承認の上本年限り賛助を得度旨懇嘱有之承諾致候外無之と存候、就ては時節柄御迷惑察入候得共、何卒御賛成被下本年上半期分金  円也御寄附被下度候、右拝願申上度匆々如此御座候 敬具
  昭和二年三月十七日           渋沢栄一
 尚々御承諾被下候はゞ、差迫り恐縮至極ながら来三月二十二日迄に丸の内仲廿八号館弊事務所へ御払込被成下度候

図表を画像で表示--

                年額 男爵   岩崎小弥太殿   (金壱万円)   引受済《(太字は朱書)》 男爵   三井八郎右衛門殿  同       引受済               (金壱万円) 伯爵   牧野伸顕殿     同       引受済               (金壱千円)     各通 侯爵   徳川頼貞殿     同       白石氏徳川家《(別筆)》ト引合ノ結果勧誘見合トナル               (金弐千円) 子爵   渋沢栄一      同       引受済               (金弐千円)               (合計金弐万五千円也)  




 - 第31巻 p.705 -ページ画像 


(岩崎小弥太) 書翰 渋沢栄一宛 昭和二年三月一八日(DK310104k-0024)
第31巻 p.705 ページ画像

(岩崎小弥太) 書翰  渋沢栄一宛 昭和二年三月一八日 (渋沢子爵家所蔵)
拝復、時下益御清康之段奉慶賀候、陳者有馬頼寧氏後援会ニ対スル当方寄附金之義、昨年末ヲ以テ終了致候処、猶一ケ年丈従前通リ継続方縷々御来示之趣、敬承仕候、就テハ上半期分金五千円也御指図ノ期日迄ニ払込為致可申候間、左様御了承被下度、右貴酬迄如此御坐候
                           謹言
  昭和二年三月十八日
                    三菱合資会社
                       岩崎小弥太
    子爵 渋沢栄一殿


同愛会書類(一) 【第1号 (附属書類壱通) 昭和二年三月廿二日】(DK310104k-0025)
第31巻 p.705 ページ画像

同愛会書類(一)               (渋沢子爵家所蔵)
 第1号 (附属書類壱通)  昭和二年三月廿二日
拝啓、益御隆昌奉賀候、陳ハ有馬頼寧氏後援会ニ対シ更ニ今年丈金壱万円也従来通リ寄附ノ事ト相成候処、上期分金五千円也小切手ヲ以テ玆許御送付申上候間、御査収被下度此段得貴意候 謹言
                 三菱合資会社人事課長
                    堤長述(印)
    渋沢栄一殿事務所 御中


同愛会書類(一) 【案 男爵 三井八郎右衛門殿 代…】(DK310104k-0026)
第31巻 p.705 ページ画像

同愛会書類(一)               (渋沢子爵家所蔵)
    案
  男爵 三井八郎右衛門殿 代
     阪井徳太郎殿
  男爵 岩崎小弥太殿
  伯爵 牧野伸顕殿
拝啓、益御清適奉賀候、然者予て御賛助の有馬頼寧氏後援会に対する御醵出金、本年度下半期分金  円拙者事務所へ御払込被成下度候、此段得貴意度如此御座候 敬具
  昭和二年七月一日
                      渋沢栄一


同愛会書類(一) 【拝啓、益御清栄之段奉賀候、陳者予テ牧野内大臣宛御申出ノ…】(DK310104k-0027)
第31巻 p.705 ページ画像

同愛会書類(一)               (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、益御清栄之段奉賀候、陳者予テ牧野内大臣宛御申出ノ有馬頼寧氏関係ノ寄附金千円也ノ残金五百円、内大臣ノ命ニ依リ御送附申上候間、御領収相成度此段得貴意候 敬具
  昭和二年七月廿七日
               内大臣秘書官 岡本愛祐
    子爵 渋沢栄一殿


同愛会書類(一) 【柳田毅三様 拝啓、炎暑の候益御清適奉賀候、…】(DK310104k-0028)
第31巻 p.705-706 ページ画像

同愛会書類(一)               (渋沢子爵家所蔵)
柳田毅三様
拝啓、炎暑の候益御清適奉賀候、然者有馬氏後援会寄附金残額金千五
 - 第31巻 p.706 -ページ画像 
百円也、並に銀行利子金弐百九拾弐円五拾四銭也御引渡し致度と存候間、如例領収証御持参御来所被下度候、右にて寄附金は悉皆引渡完了致候次第、御承知被下度と存候、先は右不取敢御報まで、匆々如此御座候 敬具
  昭和二年七月廿八日
                      渋沢事務所


同愛会書類(一) 【(印刷物) 謹啓 時下盛夏の候益御清穆の段奉賀候、陳者本会創立以来…】(DK310104k-0029)
第31巻 p.706 ページ画像

同愛会書類(一)               (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
謹啓 時下盛夏の候益御清穆の段奉賀候、陳者本会創立以来、玆に六年、幸に大方各位の御庇護を辱うし、以つて融和問題のために微力を致し居候処、今般同問題の現状に鑑み、中央融和事業協会と合同致す事と相成候に就ては、本会も七月三十一日限り、解散致す事と相成候間、御諒承被下度候、尚乍末筆永年の御芳情御援助を深謝し、併せて御健康を祈り上候
先は略儀ながら御通知旁々御挨拶迄如斯御座候
  昭和二年七月三十一日
                 東京市芝区今入町一五
                  同愛会
                      有馬頼寧
                      外一同


集会日時通知表 昭和二年(DK310104k-0030)
第31巻 p.706 ページ画像

集会日時通知表  昭和二年       (渋沢子爵家所蔵)
八月五日(金) 午前九時 有馬頼寧氏来約(飛鳥山邸)


同愛会事業報告書 自大正一四年一〇月至昭和元年一二月(DK310104k-0031)
第31巻 p.706-714 ページ画像

同愛会事業報告書  自大正一四年一〇月至昭和元年一二月   (渋沢子爵家所蔵)
(表紙)
     昭和二年八月十二日入《(別筆朱書)》 柳田毅三氏寄
 昭和二年八月十三日御一覧済《(別筆墨書)》
  同愛会事業報告

(謄写版)
    同愛会事業報告  自大正十四年十月至昭和元年十二月
        此報告は曩に差出しました報告書を御参照の上御覧願ひます。
会の事業報告に先きだちまして今期間の部落問題の状勢概要を申上げます。
     部落問題状勢概要
部落問題は曩の報告書に申上げた如く進んで居ります、従て会の方針も既定の如く進めて居りますが、御説明の便宜上先きの報告書中其論を次に再録致します。
      結論(再録)
 「融和運動が漸次水平運動化し、水平運動が漸次融和運動化する、同じ目的を以て行く二つの民間運動の流れが、一つは反省的であり
 - 第31巻 p.707 -ページ画像 
一つは自主的である、此二つの運動が互に相通じ相伴ひ、陰陽二面合して一つになる所に部落問題の帰結点があるのではないかと思ひます、然し今直ちに其状態を望む可きではありません、其処に至る迄は可成な年月と、色々な紛糾があると思ひます。融和運動は将来可成頂調に進んで行くと思はれますが、水平運動の方は是から益々波乱があると考へられます、今日は無産運動・無産政党と云ふ方面に脱線して居る様ですが、これ等も水平運動の統一を非常に阻碍するものと思ひます、然しながら水平社が如何様に変りませうとも、此問題は水平運動と云ふ自主的運動、即ち部落民自身の運動を除いては、差別撤廃の目的は達せられませんと同時に、同様の重要さを持ちまして、融和運動と云ふ国民的立場の力強い運動なしには、融和の目的を達成する事は不可能であります。加へて政府の真剣な努力が加はつて、初めて差別撤廃、融和の実現が期せられるものであると考へます。
  従て同愛会と致しましては一面に水平運動の人々と相知り一面に於て各融和団体の連絡統一を図り、更に聯盟の協力によりて政府を動かして其政策を遂行せしめなければならないのであります。」
以上再録の如くに今期に於ける融和運動及び水平運動は推移致して居ります。
即ち融和運動に於きましては、月を加ふるに従て順調に進んで居ります、殊に水平運動の精神及び其必要の方面も、漸次相識るに至りまし
      全国融和団体一覧表   (大正十五年十月現在)
て、水平社との争ひも漸減し、進んだ地方では水平社中のよき人々とは次第に接近して行く様になりました。
融和運動の水平運動化と申しますと、何だか融和団体が過激な運動になるのではないかと誤解があるかも知れませんが、決して左様の意味ではありません、即ち前述の如く融和運動者が水平運動を理解する事でありまして、従て水平社のよき人々と接近する事であります。すれば水平社の人々も次第に融和運動を理解し、過激な運動を排し、穏健な運動をする様になる事は当然でありまして、既に水平社中共産主義を排しました純水平運動を旗記しとする運動が各地に勢力を恢復しつつあります、最近旧水平社執行委員長南梅吉君等も、共産主義無産運動を排する日本水平社を創立致しました、今年に於て相当な働きをする事と信じます、即ち融和運動の水平運動化、水平運動の融和運動化は此様にして既に着々実現しつゝあるのであります。
融和団体の聯絡統一と云ふ点に於きましても、全国融和聯盟を中心と致しまして漸次進捗致して居ります、聯盟に未加入団体も地方に於て加入団体が中心となりまして、近畿・中国・山陰・四国に於きまして各其範囲に於ける聯合協議会を開催して、相互の研究調及連絡を取つて居ります。
今期に置きまして融和団体の新設されましたものは、群馬・富山の二県及東本願寺の真身会の三団体であります。
次に全国に於ける融和団体の表を掲けます。

 - 第31巻 p.708 -ページ画像 

図表を画像で表示--

 府県名   団体所在地       団体名        代表者     創立年月      活動区域   機関雑誌   備考 東京    内務省社会局内     中央融和事業協会   平沼騏一郎   大正十四年九月   全国     融和 同     芝区今入町十五     同愛会        有馬頼寧    同十年九月     同      同愛     加盟 同     芝区白金三光町     帝国公道会              同八年十一月    同      公道     同 同     牛込区市ケ谷田町三ノ二 聖訓奉旨会      子爵清岡長言  同十二年三月    同      聖訓     同 京都    上京区田中樋ノ口町   公平会        本多譲     同十一年八月    同             同 同     堀川通本派本願寺    一如会        本多恵隆    同十三年十月    同             同 同     大谷派本願寺      真身会        大谷瑩誠    同十五年四月    同             同 


図表を画像で表示--

 府県名 人口        戸数     団体所在地   団体名       代表者   創立年月    活動区域  機関雑誌   備考 京都   四二、一七九   八、五一五  京都府庁    親和会       府知事   大正十二年八月 京都府 神奈川   七、六五八   一、六五一  神奈川庁    神奈川県青和会   内務部長  同十三年八月  神奈川県  青和     加盟 兵庫  一〇七、六〇八  一八、五四七  兵庫県庁    清和会       県知事   同十二年十月  兵庫県   清和 埼玉   二八、一三九   四、七五八  埼玉県庁    埼玉県社会事業協会 同     同十三年三月  埼玉県   社会時報 群馬   二四、五一六   三、九五九  群馬県庁    群馬県融和会    同     同十五年一月  群馬県   春光 奈良   三二、六七八   六、四二七  南葛城郡役所  大和同志会     浅野尚太郎 大正元年八月  奈良県   融和の友   加盟                                        吉川吉次郎 三重   三八、三八三   七、〇八五  三重県庁    三重県社会事業協会 県知事   同十二年四月  三重県   斯民     同 静岡   一四、四七六   二、三〇四  静岡県庁    静岡県社会事業協会 同     同十三年十一月 静岡県   会報 滋賀   二五、八一九   四、八八二  滋賀県庁    自治協会      同     同十二年    滋賀県   共済 長野   一九、二六三  一二、二〇〇  上田市役所   信濃同仁会     成沢伍一郎 同九年九月   長野県   同仁     加盟                                        成沢勇 富山   八、二四二    一、四四四  富山県庁    富山県融和会    県知事   同十五年四月  富山県 鳥取  一九、〇二二    三、〇〇六  鳥取県庁    鳥取県一心会    同     同十三年五月  鳥取県   社会時報   加盟  以下p.709 ページ画像  岡山  四二、八九五    八、八〇六  岡山市上ノ町  岡山県協和会    大原孫三郎 同九年九月   岡山県   協和会報   加盟 島根   六、四九二    一、五六五  島根県庁    島根県和敬会    恒松於莵二 同十四年二月  島根県   和敬 広島  四〇、一三三    八、〇二四  広島県庁    広島県共鳴会    中村桂堂  同十年三月   広島県   共鳴     加盟                                        河野亀市 山口  一九、八七八    四、〇〇六  山口県庁    山口県一心会    県知事   同十三年二月  山口県   社会時報   同 和歌山 三六、〇七二    七、四三八  和歌山県庁   和歌山県同和会   同     同十三年三月  和歌山県  同和     同 愛媛  四六、〇一五    八、五九八  愛媛県庁    愛媛県善隣会    同     同十三年三月  愛媛県   善隣     同 高知  三三、三五三    五、四七七  高知県庁    公道会       同     同八年十月   高知県   公道 大分   七、〇九五    一、四〇三  大分県庁    大分県親和会    同     同十三年    大分県 



      水平運動及水平社
水平運動の方は、是亦再録に申上げた如くに、可成紛糾を致しまして今期に於て著しく共産主義化・無産運動化致しましたが、其一面社の統一が乱れまして、今日の処全水平社の威令行はれる本部が無い状態にあります、従て其勢力も共産派・虚無派・純水平運動派と、各地に割居致して居ります、只今の処、九州水平社が本部と成りて居りまして、執行委員長は徳川公暗殺事件で有名の松本治一郎と云ふ博多の侠客であります、同君は別に共産主義ではありませんが、同君を中心に集つて居る幹部は何れも共産派でありまして、従て今日の水平社は表面共産化し其運動方針も水平運動の埒外に出まして、農民組合及無産政党の極左傾を支持致して居ります、換言すれば、今日の水平社は表面共産派を以て占められた恰好になつて居りますが、然し真に共産主義を奉ずる人々は幹部の人々だけて、社員の多くは引き連られて行て居るのでありまして、裏面から見ますと、共産主義派は寧ろ小数で、本年に於きましては、共産派排撃の方が勢力を擡頭して来るのではないかと思ひます、恐らくは南梅吉君の日本水平社を中心とする純水平運動と勢力を争ふ事になるであらふと思はれますが、然し労働運動や農民組合の左右の争ひと違ひまして、争いの内にも、虐げられたる人人の相互に持つ暖い親しみが、心の底を流れて居るのであります。
今日地方の農民組合には、何れも水平社員が可なり加入致して居りまして、相当勢力を持して居ります、特に有力な幹部の内に必ず水平社出身の人が居ります事は、注意すべき事であります。
御承知の如く、精神の上に更に経済上の圧迫を二重に被つて居る人々でありますから、自然無産運動には優秀な闘士を将来共沢山出す事と思ひます。
以上の如く、今日の所では水平運動の融和運動化と云ふ事は甚だ六ケ敷い様に見へますが、然し既に南君の運動の如く融和化した水平社が出来つゝある状況でありまして、私共の見方は決して裏切られてない
 - 第31巻 p.710 -ページ画像 
と思ひます、殊に共産主義に走る人達も、無産運動の方が部落民解放の早道と信じて運動して居る人々が多いのでありまして、従て真実の融和運動が進むにつれ、後に帰る者が多いと信する次第であります、然しながら、融和運動の真実と力がなく、一般民が尚今日の如く冷淡であり、且つ政府又水平社の取締にのみ注意して、部落民の向上発展に尽力する処なけれは、終に容易ならぬ大事を引起す事は明瞭であります。
水平運動に就て相当申上げたい事もありますが、記録致す事は差控へたいと思ひます。
以上今期に於ける部落問題状勢の概要を申上げました。次に同愛会の事業報告を記します。
     同愛会の事業
同愛会に於きましては、従来の根本方針である国民反省運動を持続致して居ります外、今期に於ては、専ら全国融和聯盟を中心とする全国の融和団体の連絡提携に力を致しました、更らに具体的運動に一歩を進めまして、今春(大正十五年二月)貴衆両院議員を以て組織する融和問題研究会を創立致しました結果、政府に対する私共の進言は甚だ有力になりまして、昨年来聯盟に於て提唱致して居ります部落問題国策樹立案も、漸次其実現を可能ならしめました事は、同愛会の具体的事業として最も大きな獲物であります。
事業の内容に就きましては、添附しました印刷物と報告書末の収支計算書を御覧下さいますれは、詳細分明する事と存じますから、其説明を省略致しますが、唯次に聯盟と研究会の極めて概要の御説明を申上げます。
      全国融和聯盟
聯盟の創立・使命・目的等は曩きの報告書で申上げました通りであります、目下加盟団体数は十八程でありますが、未加盟団体も主要のものは総て加盟同様会議にも参加し、一切歩調を揃へて運動致して居ります、唯政府の創設致しました中央融和事業協会が未加盟であります為め、表面の加入が出来ない団体がありますのですが、従つて全国の団体は事実上聯盟の下に、纏まつて居ると云つて差支ないのであります、是れは年来政府が自らの手に統制しやうとして得なかつた事で、同愛会としては大きな実を結んだ事と思ひます。
聯盟の事業と致しまして主なるものは
一、融和問題研究会と協力して、政府に部落問題に対する根本的国策を樹立せしむる事
一、融和団体の協議会を各地に開きまして、各団体の連絡を密接にし融和問題に対する思想傾向を統一する事
一、宗教家・教育家・社会事業家に斯問題の趣旨を徹底普及し、併せて共力を求める事
一、各地の講演会に講師を派遣する事
一、全国民的反省運動を為す事
一、部落問題及び是れに関連する諸問題の調査研究をなす事
等でありまして、機関紙と致しましては月刊「融和運動」を発行致し
 - 第31巻 p.711 -ページ画像 
て居ります、今日では毎号二万部を標準として、配布致して居りますが、特殊号にあつては臨時に一万・二万の増刷りをして居ります、其他必要なるパンフレツトを出しまして、要所に配布致して居ります。
      融和問題研究会
大正十五年二月に貴衆両院議員のみにて組織致しました、専ら政治の上に於ける斯問題の解決策を研究し、政府に向て其実施を交渉致して居ります、十二月末に於て二百五十名の会員が出来ましたが、此議会中に議員の大半入会する見込であります、各派より代表的幹事を出しまして、政派を超越し熱心に尽力致して居られます、国策樹立建議案も本議会は満場一致有力なる建議として、衆議院を通過せしむる事に既に各派交渉会に於て決定致しました次第です、貴族院に於ても本年は特に此の建議案を提出すべく幹事に於て奔走中であります。
     会計報告
○次記収支計算書の通りであります、曩の会計報告が大正十四年十月迄でありましたので、便宜上今回の計算は一様に致しまして、一つは十四年十一月より同年十二月末迄、一つは十五年一月より同年十二月末迄と致しました。
○十五年から聯盟の方に会の主力を致しました結果、其経費も殆んど総て会の会計で支出致しましたので、講演旅費・集会費・印刷費・家賃等は会と一所に致して居ります。
○九月に五千円退職手当が出て居りますが、是れは聯盟の費用が増大するに従て、会の経営が困難になりますので、常務を除く外、会の書記・事務員は総て常任を解きまして無給と致しました関係上、退職手当を支給したのであります、同愛会は中途に於て解任又は辞職した人が無いので、皆五年・四年と勤続した人でありましたので、退職手当も比較的多分に支出しました。
○機密費は多くは他の団体事業の援助、救済互助費は個人援助のものであります。
○震災共同基金は、同愛会本来の事業ではありませんが、震災以来同愛会が中心で、都下の女学校・宗教団体及び青年団と共力して、記念日に震災・火災の防備・救護を目的とする基金の募集を、東京朝日新聞社後援のもとに致して居りますので、既に基金も壱万三千余円ありますし、諸方の大震火災に五百円乃至千五百位ひの寄附を致して居ります。
    同愛会収支計算表  自大正十四年十一月至大正十四年十二月
     収入之部
一金九阡七百拾五円壱銭也    有馬頼寧支出《(別筆墨書)》
   内訳
  金
  金
  金
     支出之部
一金九阡七百拾五円壱銭也
   内訳
 - 第31巻 p.712 -ページ画像 
  金壱千三百七拾円      給料 常務一名・庶務一名・会計一名書記三名・給仕一名、計七名
  金三千七百四拾五円     手当・慰労金 年末慰労金二ケ月分及臨時手当
  金二百二拾四円五十六銭   印刷及通信費 原稿用紙・用箋・電信・電話・郵税
  金壱千百六拾二円      雑誌費 原稿料・雑誌代五千部.発送費
  金四百五拾五円       奨学金
  金五百二拾三円九十六銭   旅費・講演費 汽車・宿泊料・会場懇親会・広告費
  金壱千三百五拾円      融和聯盟事業費・俸給・慰労金
  金五拾三円六十七銭     集会費
  金三百七拾五円       救済及互助費
  金壱百三拾二円五十銭    交際及接待費
  金二百六拾円        家賃
  金四拾六円五十二銭     事務雑費
  金拾六円八十銭       繰越
          以上


   同愛会収支計算表 自大正十五年一月至昭和元年十二月
     収入之部
一金五万三千八百四拾四円弐十五銭也
   内訳
  金弐万壱千六百七拾六円六十五銭 有馬頼寧支出《(別筆墨書)》
  金弐万五千円        後援会御寄附《(別筆墨書)》
  金五千円          内務省補助金
  金五十円          内務省社会事業奨励金
  金二千五百三十七円     記念号雑誌広告代
  金五百六十三円八十銭    雑収入
  金拾六円八十銭       繰越金
     支出之部
一金五万三千八百四拾四円弐十五銭也
   内訳
  金六千九百十五円      同愛会給料 但シ十月ヨリハ常務一名嘱托二名計二五〇円也
  金五千円          同愛会事務員退職手当 六名
  金三千円          融和聯盟給料
  金壱千八十円        手当・慰労金 融和聯盟並ニ同愛会
  金壱千四百六十円      家賃 十月ヨリハ八十円也
  金四千九百五十円六十銭   雑誌費 原稿料・雑誌代・発送費
  金五千七百四十三円     同愛記念号 七千部
  金四千五百五十一円三十七銭 「融和運動」十五万部
  金弐千八百二十三円七十銭  「パンフレツト」
  金五千八百六十五円八銭   旅費講演費 汽車・宿泊料・会場費・懇親会・広告費
  金三千七百三十二円     機密費
  金一千三百六十五円     集会費
  金壱千百六十三円      救済及互助費
  金五百二十三円九十銭    交際及接待費
  金壱千二百三十円六十銭   震災共同基金募集費
  金二千七百二十八円     奨学金
 - 第31巻 p.713 -ページ画像 
  金壱千二百六十三円四十三銭 印刷及通信費 原稿用紙・用箋・電信・電話・郵税
  金三百五十六円二十一銭   事務雑費
  金九十三円三十六銭     繰越金
          以上

      旅費明細表
金五百二十三円九十六銭也      自大正十四年十一月至同年十二月

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 月   日    旅行先    人員        日数   金額      備考 十一   五   群馬県    会長、楠本     二    二一・六〇   講演      七   京都     小原        三    四六・三〇   会議     一五   広島     山本        七   一二二・五五   会議講演     一六   大阪、京都  会長、柳田、楠本  六   一八〇・〇〇   講演     二十   長野県    会長、八木     三    七〇・〇〇   同     二七   千葉県    小原、玉井、岡田  二    三七・五一   差別問題 十二   三   山梨県    会長、楠本     二    三二・七〇   講演     十一   神奈川    会長、河上     一    一三・三〇   同 



          以上
金五千八百六十五円八銭也   自大正十五年一月至昭和元年十二月

図表を画像で表示旅費明細表

 月   日   旅行先       人員       日数     金額      備考 一   七   山口県       河上              八二・〇〇   講演    一五   広島、兵庫、京都  八木              九五・六〇   調査    一八   群馬県       小原、岡田、外二人       七六・三〇   講演    二六   神奈川       山本              一〇・〇〇   差別問題 二   五   宮城県       八木、玉井          一四六・五〇   講演     七   岡山県       柳田              九二・五〇   同     十   信州        小原              三七・二〇   差別問題    十一   群馬県       岡田弁護士           二四・〇〇   同    十六   長野、松本     会長、楠本           五六・五〇   講演    十七   奈良        山本              五八・七〇   会議    二一   千葉県       中西              一八・四〇   差別問題    二五   九州        岡田弁護士          一三〇・〇〇   同 三   二   京都        河上              六二・五〇   会議     五   鳥取        玉井             一一四・七〇   視察     七   和歌山       河上、岡田          一五一・〇〇   差別問題    一九   静岡県       会長、小原           六二・八〇   講演    二三   長野県       会長、河上    二      三五・〇〇   講演    二四   埼玉県       八木       二      三〇・〇〇   調査 四   二   金沢        河上       五     一〇三・三〇   視察     五   広島        山本       四      八八・四〇   講演     九   愛媛県       岡田、楠本    六     一八七・二〇   講演視察    一五   栃木        柳田       三      五五・〇〇   同    二〇   群馬県       小原、河上    二      三八・三〇   差別問題    二三   滋賀県       会長、楠本    三      六五・五〇   講演    二五   神奈川       小原、八木    二      三三・五〇   会議    三〇   京都        山本       五      六五・〇〇   同  以下p.714 ページ画像  五   三   山梨県       会長、小原    三      七二・八〇   講演 六   四   福岡        中西、小原    五     二三五・〇〇   会議 七   六   三重県       八木       三      五四・五〇   差別問題    十一   群馬県       山本       二      二〇・二〇   視察    十四   京都        河上       五      七八・二〇   会議    二五   愛知        会長、八木    三      七五・六〇   講演    二六   京都        河上       六      八一・三〇   同     二   大阪        山本       五      七七・七〇   同     三   九州        会長、楠本    七     二八七・〇〇   講演     十   千葉、埼玉     小原、玉井    三      七二・三五   視察    一五   作州        柳田       五     一一五・〇〇   講演視察    二四   京都        会長、河上    三      六六・五〇   講演     二   静岡県       会長、小原    三      五六・三〇   同     五   高知        山本、河上    七     二二五・六〇   同    一七   京都        岡田、八木    四      九五・五〇   差別問題    二四   広島        山本       八     一三〇・〇〇   会議 八   五   京都        八木、中西    四      九三・八〇   講演     七   関西、中国     岡田、小原、楠本 十     四三七・〇〇   講演調査    三〇   大阪        河上       十二    一四三・三〇   調査 九  十三   長野、松本     会長、八木    四      九七・五〇   講演    十七   京都        岡田弁護士    四      七八・六〇   裁判    十八   上田        柳田       三      五三・〇〇   講演    二〇   福岡、大分     八木       五      九六・五〇   同    二二   神奈川       山本       二      一六・二〇   同    二八   関西、広島     山本       五      七〇・六〇   同    二九   神奈川       会長、岡田    一      一五・三〇   同 九  三〇   群馬県       小原、楠本    二      三二・四〇   同 十   四   関西        岡田弁護士    五      六四・一〇   裁判    一四   長野        岡田弁護士    三      六二・五〇   差別問題     八   広島        柳田       六     一〇〇・〇〇   講演    一五   静岡        会長、河上    三      五三・二〇   同    一八   山口県       楠本       六      八四・五〇   会議    二〇   長野        岡田弁護士    四      六五・〇〇   差別問題    二五   岡山        河上       四      八三・五〇   講演 十一  十   仙台        小原       六     一〇五・〇〇   講演調査     四   大阪        山本、八木    五     一二七・六〇   差別問題    一七   京都        岡田       六      九三・五〇   調査    二一   埼玉県       会長、河上    二      四四・八〇   講演 十二  一   関西        河上       三      六七・四三   会議     五   埼玉県       山本       二      二五・三〇   調査    十二   群馬県       会長、楠本    二      三三・二〇   講演    十三   長野        山本       三      五七・八〇   調査 




          以上

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(有馬頼寧) 書翰 渋沢栄一宛 (昭和二年)八月六日(DK310104k-0032)
第31巻 p.715-716 ページ画像

(有馬頼寧) 書翰  渋沢栄一宛 (昭和二年)八月六日 (渋沢子爵家所蔵)
永らく御世話をいたゞきました同愛会も、去る七月三十一日を以て中央融和事業協会と合同いたしましたので、同愛会の事業は此に終りを告げることゝなりました、此際閣下を始め御後援下さいました皆様に対し、御礼の言葉を申述べまして感謝の意を表したいと存じます。
去る大正十年同愛会を創設いたしまして、同志の人々と微力を捧げて参りましたが、問題が極めて困難でありますと同時に、関係方面の甚だ広くありました為め、必要な運動であつたにも拘らず、力の足らざる為めたちまちにして経営難に陥つてしまいました、加之当時は未た一般に此問題に対する理解少く、有力者の援助を受くることは殆んど絶望の状態にありました私共は、精神的にも物質的にもかなりの苦痛を嘗めました、然るに幸にも牧野伯爵の御了解を得、且閣下の御尽力によりまして、岩崎・三井両男、徳川侯の御援助を受けることが出来るやうになりました、其後引続き三ケ年皆様より御拠出いたゞきました金額は、実に九万八千弐百九拾弐円五拾七銭の巨額に達しました、同愛会が五年間其事業を経続し得ましたことは、完く皆様の御援助の賜物に外なりません。
加之、其金は全然無条件に私に御寄贈下さいました、私は其深き御信頼に対し、深く深く感謝いたして居ります、同愛会が五年間に如何なる仕事を為したか、そしてそれが国家社会、殊に部落問題の上に如何なる貢献を為したかといふことにつきましては、私は何も申上げ度はありませぬ、世間にはいろいろな批評の声があります、効を認めるものよりも、かへつてそれを非難するものが多い位であります、併し私と致しましては、自分の信ずるところにより為し得る限りのことを致しました、そして其効績は必らずや認めらるゝの時があると信じて居ります、又譬へ世人に認められずとも、又後世史家によつて誤り伝へらるゝことがありましても、私は神がこれを知つて居られると思ひます、私はそれで満足をいたします、御承知の如く私の家も相当の資産はあります、従つて私は其私財を投じて為さなければならなかつたかも知れませぬ、然るに自分として払ひました犠牲は、皆様からいたゞきました額よりも幾分少くあつたかも知れませぬ、私はそれを甚だ心苦しく思つて居ります、併しそれは当時の私の立場にしては許されなかつたのであります、あゝした仕事をするといふこと、それ自体非常に困難でありました、外との戦いばかりでなく、内との闘も相当困難でありました、そうした情態の下にあつて、とにかく五年間仕事を為し得たのは、まつたく皆様方の御援助があつたればこそであます、随分御迷惑をかけました、併し同愛会の仕事を通して、私が日本の部落問題の上に多少の貢献を為し得たといふことによりまして、どうぞ御許しを願ひたいと存じます、同愛会は無くなりましたが、私は一生此問題から手を引かぬつもりであります、活動の方面を変へ出来得る限りの努力を致します。
この様な手紙の書き方は失礼だと思ひましたが、自分の心持ちを申述る為めに致し方がなかつたのです、お許しを願ひます。
後援会の皆様には何れ機を得て御礼は申し上げますが、閣下からもよ
 - 第31巻 p.716 -ページ画像 
ろしうおとりなしの程を願ひ上げます。
  八月六日                有馬頼寧
    渋沢老台
           侍史


同愛会書類(一) 【有馬頼寧氏後援会収支計算書】(DK310104k-0033)
第31巻 p.716 ページ画像

同愛会書類(一)             (渋沢子爵家所蔵)
    有馬頼寧氏後援会収支計算書
      収入ノ部
金九万参千円      後援会々員五氏寄附金総高
  金四万円         男爵 岩崎小弥太氏
  金四万円         男爵 三井八郎右衛門氏
  金八千円         子爵 渋沢栄一氏
  金四千円         伯爵 牧野伸顕氏
  金壱千円        故侯爵 徳川頼倫氏
金弐百九拾弐円五拾七銭 銀行預金利子
 合計金九万参千弐百九拾弐円五拾七銭
      支出ノ部
金弐万参千五百円    大正十三年度交附金
金弐万四千円      大正十四年度交附金
金弐万弐千五百円    大正十五年度交附金
金弐万参千円      昭和二年度交附金
金弐百九拾弐円五拾七銭 交附金打切ニツキ銀行預金利子引渡
 合計金九万参千弐百九拾弐円五拾七銭
 差引残ナシ


渋沢栄一書翰 控 岩崎小弥太・三井八郎右衛門宛 (昭和二年)九月六日(DK310104k-0034)
第31巻 p.716 ページ画像

渋沢栄一書翰 控  岩崎小弥太・三井八郎右衛門宛 (昭和二年)九月六日
                     (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、益御清適奉賀候、然ば予て御高援被下候有馬頼寧氏後援会義、御蔭を以て所期の目的を達し、七月末を以て打切り候に付ては、有馬氏より別紙写 ○前頁書翰ト同文の通り謝状を送られ候間、同封致候に付御一覧被下度候
右得貴意度如此御座候 敬具
  九月六日
                     世話人
                      渋沢栄一
    男爵 岩崎小弥太様
                 各通
    男爵 三井八郎右衛門様
(欄外記事)
昭和二年九月六日 此書巻紙ニ認メ使ニテ届済尚右両氏ノ外ノ寄附者ニハ本状発送見合ノ事ニ白石氏ヨリ承ル


(岩崎小弥太) 書翰 渋沢栄一宛 (昭和二年)九月八日(DK310104k-0035)
第31巻 p.716-717 ページ画像

(岩崎小弥太) 書翰  渋沢栄一宛 (昭和二年)九月八日 (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、時下益御清穆奉賀候、陳者有馬頼寧氏後援会之義、所期之目的ヲ達シ七月末ヲ以テ打切ノ事ト相成候趣、同氏来翰写相添御来示敬承
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仕候、同会ニ付テハ兼々種々御高配之段奉深謝候、右不取敢如此御坐候                         謹言
  九月八日
                      岩崎小弥太
    子爵 渋沢栄一様



〔参考〕同愛会書類(一) 【(印刷物) 同愛会趣意書】(DK310104k-0036)
第31巻 p.717-719 ページ画像

同愛会書類(一)            (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
    同愛会趣意書
家族の和合を欠いてどうして一家の繁栄を望むことが出来ませう、国民一致なくしてどうして一国の隆昌を期することが出来るでありませう、今から凡そ七十年前、浦賀の湾頭に黒船が現れた時、我国は未だ一つの未開国に過ぎませんでしたのに、今日は世界に於ける五大国の一となりました。これ全く戦時に於ける挙国一致の努力と、平時に於ける国民協同の奮励の結果であります。
然るに近時版図の拡張に伴ひ、新附の民が漸やく増して参りましたが我国民との融合やゝもすれば之れを欠くの状があります。挙国一致の美風此に破綻を生ずるの虞れがないのでありませうか。英国に於ける愛蘭問題は我々に教ふる処極めて大であります、而しながらそれより以前我々の注意せねはならぬことがあります。それは一部の国民が、誤れる思想の為に迫害を受けつゝあることでありまして、それは部落の人々と其他の人々との関係であります。或は人種の相違、或は職業の卑しきを理由として、これを排斥して居ります。而しながら斯の如きは真に謂れなきことであつて、単なる因襲に外なりませぬ。露西亜帝国の覆滅が猶太人に対する積年の迫害に原因することを思ふて、我我は大に反省しなければならないと思ひます。
二百万に余る部落の人々に対し、今にして何等かの方法を講ずるに非ざれば、悔を後に残すことがないとはいはれませぬ。而してそれは物質的援助や形式的融和ではありませぬ、唯国民が真の愛に依つて結び合ひ、形式的にも亦物質的にも、部落なるものを全然削除してしまふことであります、同愛会設立の目的はこゝに存するのであります。
                  同愛会々長
                      有馬頼寧
                  東京市神田区鍋町十一番地
                      同愛会本部
                       電話神田三九三〇番
    同愛会会則
   第一章 目的及事業
第一条 本会ハ人類平等ノ大義ニ則リ、因襲上ノ差別ヲ撤去シテ、国民ノ結合融和ヲ図リ、社会ノ福祉、国家ノ隆昌ヲ期スルヲ以テ目的トス
第二条 本会ハ前条ノ目的ヲ達スル為メ左ノ事業ヲ行フ
  一、育英事業 二、人事経済等ニ関スル一般ノ紹介及指導 三、開拓殖産ノ指導奨励 四、機関雑誌ノ発行 五、講演会、講習会
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ノ開催 六、其他必要ナル施設及事業
   第二章 名称及位置
第三条 本会ハ同愛会ト称ス
第四条 本会ハ本部ヲ東京ニ、支部ヲ全国各地ニ置ク
   第三章 会員及会費
第五条 本会ニ入会ヲ申込ミタル者ヲ会員トス
第六条 本会ノ会員ヲ正会員及特別会員ノ二種トス
第七条 本会ノ会費ハ左ノ如シ
 正会員会費 年額壱円弐拾銭 特別会員会費 年額拾弐円ヲ一口トシ、一口以上トス
第八条 会費ハ支部ニ於テ之ヲ徴集シ、正会員ノ会費ハ半額ヲ、特別会員ノ会費ハ其ノ全額ヲ本部ニ納入スルモノトス
第九条 本会設立ノ趣旨ヲ翼賛シ事業ノ後援ヲ為スモノヲ賛助員ニ推挙ス
   第四章 総裁及副総裁
第十条 本会ハ適当ノ時宜ニ於テ総裁・副総裁ヲ推挙ス
   第五章 役員及会議
第十一条 本会ハ左ノ役員ヲ置ク
 会長一名 副会長二名 理事若干名 幹事若干名 常議員若干名
第十二条 会長及副会長ハ総会ニ於テ之ヲ選挙ス
第十三条 理事ハ会長之ヲ推選シ、幹事ハ之ヲ指命ス
第十四条 会長ハ本会ノ代表トシ、会務ヲ統理シ、総会及役員会ヲ招集シ議長トナル
第十五条 副会長ハ会長ヲ補佐シ、会長事故アル時ハ其事務ヲ代理ス
第十六条 本会ニ顧問ヲ置ク、顧問ハ学識名望アル人士ニ会長之ヲ委嘱ス
第十七条 本会ニ評議員若干名ヲ置ク、評議員ハ幹事会ニテ推挙シ会長之ヲ委嘱ス
第十八条 評議員ハ会長ノ諮問ニ応ズ、重要ノ会務ヲ評議ス
第十九条 理事ハ理事会ヲ組織シテ重要事項ヲ協議シ、幹事ハ会長ノ指揮ヲ受ケ会務ヲ行理ス
第二十条 常議員ハ各支部ヨリ選出シ、又ハ本部ヨリ委嘱ス
第二十一条 常議員ハ支部ヲ指導監督シ、会長ヨリ委嘱シタル場合ハ本部ノ事務ヲ掌理ス
第二十二条 理事会ハ左ノ場合ニ於テ之ヲ開ク
 一、会長之ヲ招集シタルトキ 二、理事三分ノ一以上ノ合意ニヨリ議案ヲ提示シ之ヲ請求シタルトキ
第二十三条 幹事会ハ随時会長之ヲ招集ス
第二十四条 総会ノ議事ハ多数ヲ以テ之ヲ決シ、可否同数ナルトキハ会長之ヲ決ス
第二十五条 本会ハ各支部ニ支部長ヲ置キ、会長之ヲ推挙シ、本部ノ指令ニヨリ支部一切ノ事務ヲ掌理ス
第二十六条 本会ニ常任幹事三名以内ヲ置キ、会長之ヲ指命ス
   第六章 事務
 - 第31巻 p.719 -ページ画像 
第二十七条 本会ニ左ノ各部ヲ置ク
 一、事業部 二、出版部 三、宣伝部 四、庶務会計部
   第七章 総会
第二十八条 総会ハ毎年春季ニ於テ之ヲ開ク
   第八章 会計
第二十九条 本会ノ経費ハ会費、特志家ノ寄附金及ビ其他ノ収入ヲ以テ之ニ充ツ
   第九章 附則
第三十条 本会ノ事業及細目ニ関シテハ別ニ之ヲ定ム
○下略