公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
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明治43年2月2日(1910年)
是日外務大臣伯爵小村寿太郎、栄一以下旧渡米実業団員一同ヲ招キテ帰朝歓迎晩餐会ヲ其官舎ニ開ク。内閣総理大臣侯爵桂太郎・農商務大臣男爵大浦兼武臨席、外務・総理両大臣ノ演説アリ、栄一答辞ヲ述ブ。
渋沢栄一 日記 明治四三年(DK320021k-0001)
第32巻 p.459 ページ画像
渋沢栄一 日記 明治四三年 (渋沢子爵家所蔵)
二月二日 晴 寒
○上略 六時半外務大臣官舎ニ抵リ、其宴会ニ列席ス、蓋シ渡米実業団ヲ慰労スル為メノ饗宴ナリ、卓上桂総理・小村外務ノ演説アリ、余モ之ニ対スル答詞ヲ述ヘ、夜十時過散会ス
竜門雑誌 第二六一号・第三九―四〇頁明治四三年二月 ○外相の渡米団招待(DK320021k-0002)
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竜門雑誌 第二六一号・第三九―四〇頁明治四三年二月
○外相の渡米団 招待
小村外務大臣は、二月二日午後六時半より霞ケ関の官邸に渡米実業団員を請待し、晩餐会を催したり、桂首相・大浦農相も列席し、外務省よりは石井次官、倉知・萩原両局長、水野総領事・阪井事務官等出席斡旋せり、来賓は青淵先生を首め
中野武営・佐竹作太郎・日比谷平左衛門・小池国三・根津嘉一郎・原林之助・堀越善重郎・高辻奈良造・岩原謙三・渡瀬寅次郎・熊谷岱蔵・町田徳之助・大谷嘉兵衛・左右田金作・上遠野富之助・伊藤守松・神野金之助・西村治兵衛・西池成義・土居通夫・中橋徳五郎・大井卜新・石橋為之助・岩本栄之助・松方幸次郎・田村新吉
の二十八名にして、其の他は事故ありて欠席、宴酣に及び小村外相は起ちて
諸君の御帰朝以来未だ一堂に会するの機会を得ず、今夕漸く此の小宴を開きて諸君の御来臨を辱うしたるは感謝する所なり、諸君が長途の旅行を終へ、一人の病者もなく無事に帰朝せられたるは、先づ以て祝せざるべからず、諸君は米国五十余箇処の都市を歴訪して、彼我の交情を密にし、意志の疏通を謀られたるは、其功労甚だ大なり、之に依つて商業上の関係を、一層進歩せしめられたるのみならず、諸君御自身の観察は得る所大にして、後来我国の事業発展上に資する事も亦多からんと信ず、玆に総理・農商務両大臣の御来臨を得たるを謝し、杯を挙げて諸君の健康を祝さん
と挨拶し、三鞭の杯を挙ぐ、青淵先生は団員一同に代り
我等の旅行は、其の効果果して如何あらんかと案じ居たるに、唯今外務大臣閣下より斯く御認めに預り、御叮寧なる御挨拶を受けたるは、一同の感謝し且安心する所なり、就ては今後に於ける責任も大
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なれば、尚大に勉むる所あらんことを期す
との答辞を述たり、次に桂首相は起ちて
本官は諸君の出発に際し、諸君と共に芝離宮に於て優渥なる御思召により、酒饌を賜はりたることを深く記憶して忘れず、諸君が米国視察の結果種々得る所ありしは、外相の云はれし如くならん、本官は今後も此の如き団体が陸続欧米、又は支那等各方面に向ひて旅行し、以て相互の交情を暖め、見聞を博する事の益す多からんを望む而も諸君は之が嚆矢となり指導者となられたるを賀す
との祝辞を述べ、再び杯を挙げて団員の健康を祝し、夫より別席に移りて歓談笑話、九時過に至て散会したり
渡米実業団誌 同団残務整理委員編 第六〇〇―六〇四頁明治四三年一〇月刊(DK320021k-0003)
第32巻 p.460-461 ページ画像
渡米実業団誌 同団残務整理委員編 第六〇〇―六〇四頁明治四三年一〇月刊
○第三編 報告
第八章 外務大臣の催したる歓迎晩餐会
外務大臣小村伯爵は、一行の帰朝早々、歓迎慰労の宴を開くの意ありしも、当時団員中帰郷を急ぐものありたるを以て、追つて適当なる時機を待つこととなし居たる所、帝国議会開会せられ、団員にして議員たるもの、及び議会に関聯して東上する者多きを以て、二月二日を卜し、午後六時半より霞ケ関外務大臣官邸に於て晩餐会を催したり。同日出席したる者左の如し。
渋沢男爵 中野武営氏 伊藤守松氏
岩原謙三氏 西村治兵衛氏 土居通夫君
大井卜新氏 大谷嘉兵衛氏 神野金之助氏
左右田金作氏 根津嘉一郎氏 中橋徳五郎氏
松方幸次郎氏 佐竹作太郎氏 日比谷平左衛門氏
神田男爵 熊谷医学士 岩本栄之助氏
石橋為之助氏 原林之助氏 西池成義氏
堀越善重郎氏 渡瀬寅次郎氏 高辻奈良造氏
上遠野富之助氏 田村新吉氏 町田徳之助氏
小池国三氏
外に総理大臣桂侯爵・農商務大臣大浦男爵・外務次官石井菊次郎氏・政務局長倉知鉄吉氏・通商局長萩原守一氏・総領事水野幸吉氏・秘書官吉田要作氏・同篠野乙次郎氏・同坂井徳太郎氏等列席せり。
農学博士南鷹次郎氏・巌谷季雄氏・原竜太氏・多木粂次郎氏・藤江永孝氏・坂口平兵衛氏・紫藤章氏等が、公務、若くは業務上の差支に因り、此宴に列するを得ざりしは遺憾なりし。尚ほ団員にして未だ帰朝せざる為め列席せざりし者、頭本元貞・高石真五郎・松村敏夫の三氏とす。
宴酣にして、小村外務大臣は徐ろに立つて、一場の演説を試みたり、其大要は
○外相演説前掲ニツキ略ス。
終つて三鞭の杯を挙げ、一同之れに応じて乾杯す。
玆に於て渋沢男爵は団員を代表し、立つて挨拶をなしたり。其大旨左の如し。
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○栄一挨拶前掲ニツキ略ス。
次に桂総理大臣は、主人たる伯爵の許可を得て一言する所あるべしとて、起つて大要左の趣意の演説をなしたり。
○首相演説前掲ニツキ略ス。
とて再び杯を挙げ、一同之れに和して乾杯す。
演説終りし後ち、別席に移りて打寛ぎたる談話あり、一同退出したるは九時四十五分なり。