デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
1節 外遊
1款 渡米実業団
■綱文

第32巻 p.461-485(DK320022k) ページ画像

明治43年4月9日(1910年)

是日、渡米実業団第一回記念会、名古屋市ニ開催セラル。栄一出席ス。爾後毎年記念会開催サレ栄一出席ス。特ニ大正六年九月二十四日渡米実業団員中物故者追悼法会ヲ上野寛永寺ニ営ミ、栄一弔辞ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四三年(DK320022k-0001)
第32巻 p.461-462 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四三年   (渋沢子爵家所蔵)
四月九日 雨 軽暖
午前六時半起床、入浴シ後朝飧ヲ食シ、直ニ旅装ヲ理シ、家人ニ留守中ノ要務ヲ訓示シ、七時過キ兼子・愛子・正雄等ト共ニ家ヲ発シ、新橋ニ抵ル、送行ノ人多ク来リ集ル、八時半ノ急行車ニ搭シテ出発ス、車中春雨蕭々タリ、静岡駅ニテ市長及地方人数名来リ迎ヘ、午飧ヲ饗セラル、午後四時過名古屋ニ抵ル、此日汽車中渡米実業団員ニテ名古屋紀念会ニ参列スル者数名アリ、又梅浦氏夫妻モ同行スルヲ以テ、車中談話多シ、名古屋人士多数来リ迎フ、停車場ヨリ馬車ニテ丸文楼ニ抵リ投宿ス、夜食後共進会ニ抵リ夜景ヲ見ル、エルミネーシヨン昼ノ如シ、場内ノ演舞場ニ抵リテ共進会ノ為ニ設ケラレタル舞伎ヲ見ル、畢テ河文楼ニテ地方人ノ主催ニ係ル饗宴ニ列ス、一場ノ謝詞ヲ述ヘ夜十二時散宴帰宿ス
四月十日 曇 軽寒
午前七時起床、風邪気ニテ入浴ヲ廃ス、八時朝飧シ新聞紙ヲ一覧シ、又来客ニ接ス、九時名古屋商業会議所ニ抵リ県知事・市長其他地方人士多数来会シテ接見会アリ、深野知事ヨリ開会ノ挨拶アリ、余亦之ニ答詞ヲ述テ式ヲ了ル、後実業団残務整理ニ付、中野武営氏ヨリ報告アリ、余亦之ニ敷愆《(衍)》シテ其順序ヲ詳細ニ知悉セシム、後共進会場ニ抵リ貴賓館ニテ午飧ス、市役所ヨリノ饗応ナリト云フ、貴賓館ノ構造ハ和様ニテ頗ル高尚ナリキ、午飧後共進会場ヲ匆卒ニ通過シテ、直ニ電車ニテ熱田ニ抵リ、築港ノ新経営ヲ一覧ス、桟橋及埋立地等ハ落成セシモ、海面ノ浚渫未タ完成セス、船舶充分ニ来泊スルヲ得サリキ、又埋立地モ倉庫其他ノ設備聊モ其緒ニ就クニ至ラス、蓋シ之ヲ成就スルハ尚ホ数年ノ後ニアラン歟、一覧後旅亭ニ帰リ、午後六時商品陳列館内ニ開催セラレシ正式晩飧会ニ出席ス、来会者ハ八十余名ナリ、知事・市長・地方出身ノ代議士、其他重立タル人士ト実業団員ノ来会者トヲ合セシナリ、席上一場ノ演説ヲ為ス、夜十一時散会帰宿ス
 - 第32巻 p.462 -ページ画像 
四月十一日 曇 軽暖
午前七時起床、入浴シ畢テ新聞紙ヲ一読ス、朝来中津人数名来リテ明日同地ニ赴ク事ヲ談ス、八時朝飧ヲ食シ、九時ヨリ大曾根町徳川侯爵邸ニ抵リ、其家宝ノ陳列ヲ一覧ス、藩祖又ハ東照公ノ甲胄及ヒ種々ノ武器アリ、又古書籍茶器等ニ頗ル名品アリ、絵画類ニモ名筆多カリキ一覧畢リテ第一銀行支店ニ抵リ店員ニ訓示シ、又三重紡績会社営業所ニ抵リ、同シク店員ニ一場ノ訓諭ヲ為ス、十二時旅亭ニテ午飧シ、午後一時ヨリ神野金之助氏邸ノ園遊会ニ抵ル、庭園・家屋悉ク新構造ニシテ美麗ナリ、種々ノ饗応アリ、余興トシテ能狂言アリ、畢テ伊藤氏ノ呉服店ニ抵ル、米国式ノデパルトメントストアニテ設備又盛大ナリ三階上ノ一室ニテ名古屋婦人会ノ集会アリテ、一場ノ講演ヲ乞ハレシニヨリ、婦人ニ対スル感想ノ一班ヲ演説ス、畢テ旅亭ニ帰リ、晩餐後実業団誌ヲ一読シテ字句ノ修正ニ勉ム
四月十二日 晴 軽暖
午前七時起床、入浴シ畢テ新聞紙ヲ一覧ス、種々ノ来客ニ接ス、八時過朝飧ヲ食ス、渡米実業団誌ヲ一覧シテ、増田明六ニ要旨ヲ口授シテ編纂ニ注意セシム、又東京ヨリノ電報ニ対シテ、佐々木氏ニ一書ヲ裁シテ伝達セシメ、且口頭ニ於テモ之ヲ通告ス、午前十時旅亭ヲ出テ名古屋天守閣ニ抵ル、閣ハ旧城内ニ在リ、所謂金鯱魚ノ燦然タルモノナリ、五層楼アリテ、其高サ三十間アリ、最下層ノ坪数千坪余ナリト云フ、楼上ノ瞻望尤モ佳絶ナリ、一覧畢テ更ニ宮殿ヲ一覧ス、各室ノ絵画総テ狩野・土佐ノ名筆ナリキ、畢テ旅宿ニ帰リ午飧後旅亭ヲ発シ、一時四十分発ノ汽車ニテ美濃中津町ニ赴ク、多数ノ人士来リテ行ヲ送ル○下略


竜門雑誌 第二六三号・第七五―七八頁明治四三年四月 ○渡米実業団第一回紀念会(DK320022k-0002)
第32巻 p.462-465 ページ画像

竜門雑誌  第二六三号・第七五―七八頁明治四三年四月
    ○渡米実業団第一回紀念会
青淵先生には、昨年秋渡米実業団々長として渡米せられたる縁故に依り、令夫人・令嬢を伴ひ本月九日より名古屋に於て開会せらるゝ同団第一回紀念会に出席せられたる事は、別項関西旅行日程と聊か重複の嫌ひあれど、簡単に同紀念会に於ける先生の行動を記すべし
△四月九日 (土曜日)
午後四時十二分名古屋に到着せらる、加藤名古屋市長、神野・伊藤・上遠野の紀念会委員諸君、第一銀行支店伊藤・井上・西条の諸君出迎はれ、夫より直に丸文に到り投宿せらる
 渡米実業団員にして此紀念会に出席の為め名古屋に来着せられたるものは左の如し
  丸文旅館   青淵先生 同令夫人 増田明六 巌谷小波 原林之助の諸氏
  名古屋ホテル 佐竹作太郎 高石真五郎 左右田金作 大谷嘉兵衛の諸君
  千秋楼    神田男爵 同令夫人 渡瀬寅次郎 西池成義 藤江永孝 中橋徳五郎 村田省三の諸氏
  河正旅館   中野武営 加藤辰弥 飯田旗郎 大井卜新 岩
 - 第32巻 p.463 -ページ画像 
本栄之助の諸君
  志那忠本店  土居通夫 坂口平兵衛 石橋為之助 田村新吉 町田徳之助の諸君
  山田旅館   西村治兵衛君
丸文に於て夕餉を済まし、第一回紀念会プログラムに依て午後七時鶴舞公園内演舞場に於て舞踊を観覧せらる、其背景の一なる多摩川の景色は、渡米団員伊藤守松氏の随行員たりし画師久保田金仙氏の筆なりと云ふ、午後十時より河文楼に於て催されたる団員の宴会に出席せらる、出席者は
 青淵先生・同令夫人・令嬢・神田男爵・同令夫人・中野・土居・西村・大谷・佐竹・中橋・左右田・大井・坂口・石橋・渡瀬・巌谷・町田・原林之助・岩本・藤江・西池・高石・飯田・増田・村田・加藤・神野・上遠野・同令夫人・令嬢・伊藤・久保田の諸君
にして、宴に先ち神野君委員総代として一場の挨拶を為し、之に対し青淵先生団員を代表して答辞を述べられ、宴半なる頃偶々此家にて開会せられたる名古屋実業家九日会の会員伊藤治郎左衛門・森本善七・鈴木惣右衛門の諸君十数名来りて献酬あり、夫より芸妓舞踊数番ありて散会したるは午後十二時過ぎなりし
△四月十日(日曜日)
青淵先生には伊藤与七・西条峰三郎両君の為めに揮毫せられ、丸文主人の請ひによりて数葉を認められ、午前十時半商業会議所に於けるレセプシヨンに出席せらる、名古屋側出席者は県知事・市長・会議所議員十数名にして、先ず上遠野君一場の挨拶を為し、次いで深野知事は名古屋側を代表し、青淵先生は団員を代表して何れも簡単なる挨拶を交換し、夫れより団員一同は先生を先頭に一列に整列し、名古屋側も知事を先頭に一列と為りて、米国に於けると同様に順次握手の交換を為し玆に式を終る
此席に於て、渡米団残務整理委員の考案より成れる米国の重なる歓迎員に寄贈すべき感謝状・紀念銀器等及団誌原稿の一部を陳列して、団員の一覧に供せられたり
右に次ぎて別室に於て団員集会を催ふし、残務整理委員長中野武営君及青淵先生より種々の報告あり
正午共進会場内待賓館に到り、紀念撮影を為したり
午餐の席上にて、元米国太平洋沿岸聯合商業会議所会頭たりしミスター・ローマン氏に、青淵先生の名を以て、左の電報を発する事を決議し、即刻之を発したり
 名古屋に於て盛大なる渡米実業団第一回紀念会を開き、貴国旅行中の愉快なりし事を回想し、且貴台等の厚意を追懐して遥に健康を祈る
右終りて特別電車に依りて名古屋築港を見る
午後五時一ト先づ旅宿に戻り、六時より商品陳列館に開会せられたる正式晩餐会に出席
出席者は渡米実業団員及名古屋市実業家合せて七十会名、来賓は県知事深野一三氏・市長加藤重三郎君及貴衆両院議員にして頗る盛大なる
 - 第32巻 p.464 -ページ画像 
宴会なり、来会者神野金之助氏先づ立ちて簡単なる挨拶を為し、夫れより同氏指名の下に、深野知事起ちて 天皇陛下の万歳を三唱し、次ぎに青淵先生・加藤市長・渡瀬寅次郎・巌谷修君の演説あり、当夜の晩餐会は全然米国式なりし、午後十一時半散会す
△四月十一日(月曜日)
午前十時徳川邸に到り美術品を拝観す、天下無類の珍品幾百種、げに拝観人堵の如く、室内立錐の地なし、同家々令某君は特に青淵先生の為に案内の労を執り、先導と為りて一々詳細に説明せられ、徳川侯爵又出でゝ先生の為めに手つから器物を取りて丁寧に示されたれば、先生は深く其厚意を陳謝したり、拝観を終りて後第一銀行支店に到り、支配人以下一同に一場の訓諭を為し、夫れより三重紡績会社営業所を訪ふて、伊藤・斎藤両氏と会談し十二時帰宿せらる、令夫人・令嬢は徳川侯爵邸より別れ、伊藤守松・上遠野令嬢の案内にて熱田神社に詣で、又同時刻に帰宿せられたり、午餐の後神野金之君邸に於ける園遊会に臨む、到れば既に会酣なり、芝生に赤毛布を敷き団坐して献酬するもあり、或は玆処彼処に三々五々談笑するもあり、紅裙其の間を斡旋して中々賑へり、やがて能狂言は室内に於て開始せられ、一同歓を尽したり、神野邸を辞し夫れより伊藤呉服店階上かれは倶楽部に於ける名古屋婦人会の渡米団歓迎会に出席せらる、婦人会員及委員の到着を待ちて、先づ店主守松君は種野婦人会幹事を渋沢男に紹介し、次で男は夫人・令嬢及神田夫人を一同に紹介して、概要左の演説を試みられたり
 由来実業家と婦人との位置は克く其の境遇を同ふし、何れも社界より重要視せられざりし、古来我国の歴史を見るに、婦人界にも名媛才姫決して其人に乏しからさりしも、時代が時代丈けに、武人のみ重視せられ、婦人及商人は尤も社会から軽視されて居つたもので、特に商は士農工商と云はれて社会の下級に置かれたりき、然かるに時勢一転、明治時代となり世界と交際を結ぶことゝなるや、国家は武人のみにては富強を期すべからざることゝなり、実業家の位置も認めらるゝに至りしと同時に、他面にては婦人の位地も向上し来り初めて国家を組織する車の双輪備はるの感あるに至れり、昨年渡米実業団に加はり、親しく彼地の婦人の状態を見るに、知識と云ひ、交際の伎能と云ひ、彼地婦人の今日ある偶然に非ざるを知るを得たり、固より我国の婦人にも温良貞淑柔順等の美徳ありと雖も、今日の時勢は是等以上に多くの資性を要求しつゝある事を忘却せざらん事を希望す、今日此会に臨み当地の淑女の方々に面会したるは、余の最も喜ぶ所なると共に、諸氏が時々刻々、修学の念を怠らず智徳を研磨せられんことを深く希望して置きます云々
右終りて午後七時半帰宿、夕餉の後は東京より持参の渡米実業団諸原稿の校閲を為す
此日中津より野呂駿三・間由吉外五君、青淵先生出迎の為め来着す
△十二日(曇 火曜日)
午前三時大川平三郎氏令夫人と共に来着、丸文投宿、本社渋沢社長・田中栄八郎両君も大川君と同列車にて来名せられたるも、直に中津行
 - 第32巻 p.465 -ページ画像 
に乗換らるなり
午前十時青淵先生は令夫人・令嬢・大川君・同令夫人・梅浦君・同令夫人・大倉君・伊藤与七君・西条峰三郎君、及増田君等と共に名古屋城及離宮拝観、十二時帰宿、午食の後、先生は令夫人・令嬢及従者三名を伴ひ、大川君・同令夫人及中津町より出迎はれたる野呂、間及中井己次郎の諸君と共に、午後一時四十七分笹島発汽車に乗し、中津に向け出発せられる
 因に名古屋・中津間列車には平常一等列車の連結なきも、中津町有志者は鉄道院に交渉して、特に先生一行の為に一等列車を調へたるは、先生にも深く感謝する所なりき
 又増田明六君は先生に随行の筈なりしが、事務の都合上、十二日名古屋に於て先生と別れ帰京せられたり


渡米実業団誌 同団残務整理委員編 第六二八頁明治四三年一〇月刊(DK320022k-0003)
第32巻 p.465 ページ画像

渡米実業団誌 同団残務整理委員編  第六二八頁明治四三年一〇月刊
 ○第三編 報告
    第十章 残務整理
○上略
   名古屋紀念会
名古屋在住団員の主催にて、同地共進会開催を機とし、実業団第一回紀念会を、四月八日より同十日迄開催せり。即ち同十日、中野委員長は同地商業会議所接見会の後、来会団員に残務整理の各種報告をなし渋沢前団長又起て、残務に関する説明ありたり。
○下略


渋沢栄一電報 ジェームス・ディー・ローマン宛一九一〇年四月九日(DK320022k-0004)
第32巻 p.465 ページ画像

渋沢栄一電報  ジェームス・ディー・ローマン宛一九一〇年四月九日
            (ジェームス・ディー・ローマン氏所蔵)
              (COPY)
            TELEGRAM
              Nagoya, Japan, Apr. 9, 1910.
J. D. Lowman,
  Chamber of Commerce,
    Seattle, Wash.
  Honorary Commercial Commissioners holding first reunion at Nagoya recall many pleasant memories of visit to America and send warmest greetings.
                   Shibusawa


(ジェームス・ディー・ローマン)電報控 渋沢栄一宛一九一〇年四月一一日(DK320022k-0005)
第32巻 p.465-466 ページ画像

(ジェームス・ディー・ローマン)電報控 渋沢栄一宛一九一〇年四月一一日
            (ジェームス・ディー・ローマン氏所蔵)
              (COPY)
            TELEGRAM
              Seattle, Wash. Apr. 11, 1910.
Baron Shibusawa,
  Tokyo,
 - 第32巻 p.466 -ページ画像 
  Cablegram recalls flood pleasant memories. Extend commissioners our coasts greetings.
                   Lowman


竜門雑誌 第二六七号・第六一―六二頁明治四三年八月 ○米国在留邦人歓迎会(DK320022k-0006)
第32巻 p.466 ページ画像

竜門雑誌  第二六七号・第六一―六二頁明治四三年八月
○米国在留邦人歓迎会 昨秋渡米せる日本実業団一行の内、東京在住の青淵先生以下、及折柄来合せたる各地団員諸氏発起と為り、七月十八日午後四時より一行が渡米中種々尽力せられたる米国在留邦人にして目下帰朝在京中なる左記の人々を、日本橋倶楽部に招待して鄭重なる晩餐会を催されたり、青淵先生は発起人を代表して開会の辞を述べ頭本元貞氏来賓を代表して答辞を述べられ、右終りて饗筵を開き、帝国劇場技芸学校生徒の演劇、落語等の余興あり、主客歓を尽して午後十時散会したり
    来賓(いろは順)
 元正金銀行紐育支店長 今西兼二氏            同令夫人
 外務省通商局長    萩原守一氏  元正金銀行桑港支店長 穂積太郎氏
            同令夫人   ポートランド領事   沼野安太郎氏
 加州リバサイド農業家 金子真成氏  華洲日本人会長    高橋徹夫氏
 紐育東洋通報社々長  頭本元貞氏  元三井物産桑港支店  津田弘視氏令夫人
 元高田商会紐育支店長 津村微氏   森村組重役      村井保固氏
 元三井物産紐育支店長 福井菊三郎氏            同令夫人
 森村組重役      新井領一郎氏            同令夫人
    主人側
 青淵先生       同令夫人      中野武営
 同令夫人       土居通夫      大谷嘉兵衛氏
 日比谷平左衛門氏   大橋新太郎氏    根津嘉一郎氏
 同令夫人       岩原謙三氏令夫人  中橋徳五郎氏
 左右田金作氏   男爵神田乃武氏     同令夫人
 堀越善重郎氏令夫人  原林之助氏     同令夫人
 小池国三氏      同令夫人      町田徳之助氏
 同令夫人       大井卜新氏     巌谷季雄氏(準備委員)
 加藤辰弥(準備委員) 名取和作氏(同上) 増田明六氏(同上)
 白石重太郎氏(同上)


竜門雑誌 第二七一号・第五七頁明治四三年一二月 ○元渡米実業団の感謝状(DK320022k-0007)
第32巻 p.466-467 ページ画像

竜門雑誌  第二七一号・第五七頁明治四三年一二月
○元渡米実業団の感謝状 元渡米実業団長青淵先生及中野武営・日比谷平左衛門・佐竹作太郎諸氏は本年十二月十七日は正さに帰朝の一週年に相当するを以て、将来長く此日を記念すると同時に滞在中米国官民より享けたる懇情を追想し転た懐旧の念に堪へずとて同日米国シヤトル市外七市の商業会議所会頭に向け左の感謝状を発送したりと云ふ
 拝啓、昨年今日は日本渡米実業団が貴国各地の訪問を終へ海陸無事に帰朝せし日なるを以て、実業団の有志者相集りて其日を紀念し、我等が貴国滞在中貴国官民より享けたる懇切と歓待とを追想し、転た懐旧の念に堪へず、殊に貴会議所は率先して主人方となられ、多
 - 第32巻 p.467 -ページ画像 
大の便宜と援助とを与へられたるは、我等の深く感謝する所なり、我等は此機会に於て、貴下並に貴下を経て貴下が会頭たる貴会議所の会員諸氏に敬意を表し、且つ深く感謝する所なり
 我等の貴国訪問は一の観光に止まらず、両国交誼の敦厚、貿易の増進に資するの多大なることを信じ、併せて将来貴我社交通商の益々発展せんことを希望す
  ○是日ノ栄一ノ日記ヲ欠ク。


東京商業会議所月報 第四巻第三号明治四四年三月 △羅府商業会議所の決議文(DK320022k-0008)
第32巻 p.467-468 ページ画像

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渋沢栄一 日記 明治四四年(DK320022k-0009)
第32巻 p.468 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四四年   (渋沢子爵家所蔵)
十二月十六日 晴 寒
○上略 午後六時帝国ホテルニ抵リ、旧渡米実業団員相会シテ紀念会ヲ開ク食卓上数名ノ演説アリ、水野・永井・頭本三氏ハ来賓ノ演説、余ト中野氏トハ主人側ノ演説ニシテ、一同歓呼ノ中ニ散会ス。○下略
十二月十七日 晴 寒
○上略 此日ハ一昨年米国ニ渡航セシ実業団員諸氏来会ノ約アリテ、午前十時頃ヨリ続々参集ス、囲碁ノ余興アリ、又庭園ヲ散歩シ、書画類ヲ展覧ス、午後一時午飧、一同食卓ニテ会食ス、畢テ又囲碁アリ、五時頃ヨリ皆自働車ニテ帝国座ニ抵リ観劇ス、夜十一時帰宿ス、此日会スル者男女三十一人許リ、水野夫妻、神田・堀越氏等モ夫妻共ニ来会ス各歓ヲ尽シテ去ル


竜門雑誌 第二八三号・第四四頁明治四四年一二月 ○渡米実業団の第二回紀念会(DK320022k-0010)
第32巻 p.468 ページ画像

竜門雑誌  第二八三号・第四四頁明治四四年一二月
○渡米実業団の第二回紀念会 青淵先生を委員に仰ぎ、東京・大阪・京都・横浜・神戸・名古屋の六商業会議所代表議員より成りし旧渡米実業団は、毎年右六地の何れかに於て紀念会を催す筈にて、昨年は四月其第一回を名古屋に開催したるが、本年は東京に於て之を催し、一昨年帰朝日を卜し、去る十二月十六日夜帝国ホテルに於て、米国大使其の他関係諸名士を招待して晩飧会を催し、十七日は午前中より飛鳥山青淵先生邸に会し、以て忙中一日の閑を太平洋船中の和楽に擬し、昼食を共にし、夜は一同打連れて帝国劇場に観劇せられたりと云ふ。


竜門雑誌 第二八四号・第七七―七九頁明治四五年一月 ○渡米実業団紀念会(DK320022k-0011)
第32巻 p.468-469 ページ画像

竜門雑誌  第二八四号・第七七―七九頁明治四五年一月
○渡米実業団紀念会 去る明治四十二年青淵先生を団長に仰ぎ、中野武営氏を委員長とし、一行四十余名を以て組織したる渡米実業団は、秋冬三ケ月に亘り、米大陸各都市を巡回視察して、同年十二月十七日帰朝したるが、此の年○明治四四年十二月の其の紀念すべき日を卜し、第二回紀念会を開きたり、先づ十六日午後七時を期し帝国ホテルに旧団員相会し、当時此の旅行に関係ありし内外の外交官を招待して、盛大なる晩餐会を開催し、青淵先生の発声にて 皇帝陛下及米国大統領閣下の万歳を祝し、夫れより演説に移り、青淵先生は起ちて
 渡米実業団の起つに至りし理由は、只米国の風物を見物する為めにあらず、日米両国の親善を厚ふし、又貿易を増進せんが為なり、思ふに文明国の人民は、啻に自己の利益を図るのみならず、国家の利益を計る責を負担する感念なかるべからず、吾々は常に此意念を脱せず心を尽すときは、仮令政府に於て外交上欠点ありとしても、国民の情緒を以て、之を補ふを得べし。
 吾々が費す処の日子四ケ月、経過したる都市五十三、里行程舟車二万一千哩、而して到る処充分の歓待を受け、米国人に接して心中を吐露し、実に愉快なる旅行を遂げたり。
 此の旅行に次ぎて、爾来米国より日本に観光の為めに来るもの甚多
 - 第32巻 p.469 -ページ画像 
し、是等は孰も善良なる感情を齎らして帰国するが如し、之れ蓋し渡米実業団より連鎖したるものなるが、爾後は益々其の数を増加するならんと思考す、而して同舟の人たりし御互は、益々懇親を深くして、大にしては国家、小にしては相互の為め、永く継続せん事希望に堪へざるなり云々。
大要右の如き演説を為し、次ぎに中野武営氏は団員一同を代表して、先生が団長として尽されたる当年の功労、及び続て来れる米国人に対し、終始不渝尽力せらるゝを謹謝し、日米両国人の交際は実に先生に依りて益々親密に趣くものなりと云ふも過言にあらずと、荘重なる言辞を以て青淵先生に謝辞を呈し、次ぎに青淵先生指名の下に、元紐育総領事たりし水野幸吉氏・現桑港領事永井松三氏・頭本元貞氏の演説ありて、和気曖々たる裡に十二時解散したり、当日の来会者は来賓水野幸吉・田中都吉・永井松三・頭本元貞の諸氏にして、旧団員は青淵先生・中野武営・日比谷平左衛門・佐竹作太郎・岩原謙三・堀越善重郎・小池国三・原林之助・町田徳之助・男爵神田乃武・大橋新太郎・増田明六・加藤辰弥・名取和作・上田禎三(以上東京)大谷嘉兵衛・左右田金作・原竜太・亀田行蔵(以上横浜)大井卜新・岩本栄之助(以上大阪)多木粂次郎・田村新吉(以上神戸)伊藤守松・久保田金遷(以上名古屋)の諸氏なりし。
超へて十七日は一行が無事横浜に上陸したる紀念日なりしかは飛鳥山青淵先生邸に於ては可成深き印象を残さんとて、室内に船中喫煙室に擬したる装置を設け先生及同令夫人主人役となり、午前中より前日来会の諸氏及一行に加はりたる神田男爵夫人・水野夫人・堀越夫人の諸氏を招待して午餐会を催し席上渡米中の失敗談其他懐旧談等あり、午後は別室に於て囲碁・将棋等の興あり、又一同庭園に下りて紀念の撮影を為し充分の歓を尽したる上、午後四時より自動車を聯ねて帝国劇場に到り、晩餐を取り観劇を共にして十一時目出度紀念会を終りたり


渋沢栄一書翰 ジェームス・ディー・ローマン宛一九一一年一二月一八日(DK320022k-0012)
第32巻 p.469-470 ページ画像

渋沢栄一書翰  ジェームス・ディー・ローマン宛一九一一年一二月一八日
           (ジェームス・ディー・ローマン氏所蔵)
             (COPY)
Baron E. Shibusawa
  Tokyo
                  December 18th, 1911.
J. D. Lowman, Esq.,
  Seattle.
Dear Sir,
  It is my strong conviction that only through the profound sympathy of you and your countrymen in general, we, the Japanese Commercial Commissioners of 1909 were able to finish that memorable tour of three months through your various cities, executing very useful observations, fulfilling the important missions, and coming safely back to Japan, all with great pleasure and to full satisfaction. While on our way home, we formed
 - 第32巻 p.470 -ページ画像 
the desire to keep the permanent memory of this pleasant trip, passed a resolution to the effect that we should celebrate the event by holding a meeting once every year at such a place as where its Chamber of Commerce was represented by a member of the party. In pursuance of this resolution, the first meeting was held at Nagoya last year; and this year the second one at the Imperial Hotel at Tokyo on the 16th inst., to which we were glad to invite the members of the diplomatic corps home and foreign, who had been more or less connected with our tour. It was really a grand dinner. But the greatest regret was that the American Ambassador, Councillor, Secretaries, and Consul-General were not present, as they had already accepted invitations from the Asiatic Society at Yokohama. However, Ambassador Bryan sent me, beside a formal note, a very cordial letter to emphasize his regret for his inability to join us in "celebrating the event that he knows has contributed so much to the better understanding between the American and Japanese peoples and to the commercial development which is so important to both natios." I read his letter at the banquet and finished it amidst loud applause.
  The following day, the 17th, was the day on which all the party landed in Japan safely; and to commemorate it, I invited all to my residence at Asukayama. To make deep impressions upon their minds I caused one of the rooms to be decorated just like the smoking room on board the ship. We gathered together in the morning, took tiffin together, and spent a very nice time through the afternoon, by recalling and narrating to one another the various pleasant incidents connected with our travel, and in particular, everybody joining in the expressions of sincere gratitude for the noble spirit and warm sympathy with which you had done so much for us throughout the memorable tour.
  I hope that we shall never fail to have a meeting every year according to the resolution whereby we shall refresh our memory of the profound sympathy of you and your people, and at the same time, add to a greater development of trade and further promotion of goodwill between both countries.
  While I take great pleasure to report you the above, I have no doubt you will be much interested to receive this pleasant news.
        I remain,
             Yours sincerely,
                   (Signed)
              Baron E. Shibusawa.

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竜門雑誌 第二九六号・第六八―七〇頁大正二年一月 ○渡米実業団記念会(DK320022k-0013)
第32巻 p.471-472 ページ画像

竜門雑誌 第二九六号・第六八―七〇頁大正二年一月
○渡米実業団記念会 去る明治四十二年北米合衆国太平洋沿岸聯合商業会議所の招待に応じ、秋冬三箇月に亘り、同国各都市を巡回視察して同年十二月十七日帰朝したる渡米実業団員は、其記念すべき去十二月十七日に第三回記念会を開きたり、当日は午後四時日本橋倶楽部に京浜の旧団員相会し、船中喫煙室に擬し、囲碁将棋を戦はし、午後六時晩餐会に移り、席上当時委員長たりし中野武営氏は起ちて
 当時渋沢男爵が団長として自ら指導せられたればこそ、到る処歓迎を受け、聊かも故障なく重大なる使命を完ふしたるものなれば、此機会に於て感謝の意を表す、加之男爵は爾来引続き米国人とは不絶音信を通じ、又其来朝する者に対して多額の私財と数多の時間とを提供して款待優遇し、以て吾々実業団員渡米の目的を有効ならしめんと期しつゝあり、蓋し彼の渡米も単に吾々が彼の地を歴遊したればとて決して有効なるものにあらず、引続き其縁故を継続し、相互友誼を交換してこそ親睦を厚ふすべきなり、男の此意念をもつて多忙なる時を裂きて彼の来朝するものを優待せらるゝは、単に団員たる為のみならず、日本国民の一人として、予は常に感謝するものなり、次ぎに団員たりし原林之助君過日病を獲て長逝せられたるは、諸君と共に深く哀悼に堪へざる次第なり、先きに団員京都市西村治兵衛氏を失い、亦玆に原氏を他界に送り、此席に氏の温容を欠きたるは頗る遺憾とする処なり、付ては西村氏逝去の際に於ける例に俲ひ、原氏に対して本会の決議を以て弔詞を贈呈せんと欲す、而して其起草は列席せる巌谷季雄氏に嘱託せんと
一同に誇りたるに満場一致賛成之を決議したり次に青淵先生は起ちて中野氏の予に対する賛辞は、到底当る処にあらずとて謙譲の言葉を以て説き始め、抑も此渡米実業団は、米国太平洋沿岸商業会議所より我商業会議所に対して招待したるに起原したるものなりしが、当時予は会議所に何等の関係を有せざりしが、外務当局より、又玆に列席の中野氏其他実業家代表的の人々より、是非にとの勧誘を受け又米国側よりも電報を以て一行に加はる様と勧誘を受け、遂に意を決して老躯を提して其一員に加はりしが、幸に団員諸君の愛国心より惹て予を助けられたる結果、不肖ながら団長の位置を辱めずして無事使命を終りたるは、此機会に於て深く感謝する処なり
 渡米実業団員諸君の始終一致協同せられたるは、予の常に賞讚し且感謝する処にして、此一致無かりせば、到底所期の効果を揚ぐる事能はざりしなり
とて、昨年九月上旬米国華盛頓及紐育に開会せられたる応用化学万国会議に列席したる日本派遣委員の不一致なりし実例を挙げて
 団員五十余名が、終始一致の行動を以て全旅行を終りたるを追懐して敬服の至に堪へず、蓋し団員の一致は単に彼地に在る邦人の賞讚するのみならず、米国人に於ても、斉しく賞讚する処ならんと思考す、願はくは団員御互は彼地旅行中に於けると等しく、将来も協同一致して益日米両国間親善の連鎖たらんことを希望す、云々
右終りて宴を撤し、太平洋沿岸八商業会議所に決議文を送付する事を
 - 第32巻 p.472 -ページ画像 
一決し、一同之に署名し、夫れより談話に移り午後十時散会したり当日の来会者は左の如し
 青淵先生    中野武営氏   岩原謙三氏
 巌谷季雄氏   堀越善重郎氏  大谷嘉兵衛氏
 神田男爵    根津嘉一郎氏  町田徳之助氏
 小池国三氏   左右田金作氏  紫藤章氏
 大橋新太郎氏  加藤辰弥氏   田辺淳吉氏
 上田碩三氏   増田明六氏
尚前記八商業会議所に送付したる決議文は左の如し
 以書簡啓上仕候、陳ば本月十七日は下名等在京浜の日本渡米実業団員は、千九百九年米国太平洋沿岸聯合商業会議所の招待に応じ、秋冬三箇月に亘り、五十三市海陸二万一千哩の旅行を終へ、無事帰朝せし当日なるを以て、此吉日を紀念せむが為一同相会し、旧交を暖め、玆に下記の決議を為し之を貴下に致すの光栄を有す
  一、我が実業団は貴国訪問中貴国官民より受けたる厚情優待に対し、衷心感銘する処にして我等好個の記録なり。
  二、我実業団の貴国訪問は、両国間既存の国交を増進し、通商貿易の発達に多大なる貢献をなしたるものと信ず。
 玆に我等一同は貴下に対し最高の敬意を表し候 敬具
                        来会者連署
又故原林之助に対する弔辞は如左
 回顧すれば明治四十二年、我等実業団は所謂平和の使命を佩びて遠く北米合衆国に渡り、月を閲すること四箇月、都市を訪ふこと五十余箇所、其間幸に大過を見ず、使命を辱めざりしは、我等の共に快とする処なり、然るに爾来未だ四年に及ばずして、近く原林之助君を不帰の旅程に送るに至りしは深く遺憾とする処なりとす、蓋し原君は業に従て誠実、事に当りて敏捷、有為の偉才を抱き、春秋尚富める身を以て、俄然二豎の侵す処となり、養痾数日に及ばさるに溘焉として長逝せられしが如きは、殆んど夢裡の事なる感無き能はず我等をして転た天道の是非を疑はしむるものあり、今夕玆に第三回紀念会を開くに当りて、座に君の温容を欠くが如きは痛恨何物か之に如かんや、然れども我等は君が存生中の交誼を永く感受すると同時に、君が遺志のある処を体して、渡米当時の使命の重きを益各自に服膺して、着々其実を挙げんことを期す、君が在天の霊冀くは安ぜよ、玆に謹んで追悼の意を表す。


渋沢栄一書翰 ジェームス・ディー・ローマン並夫人宛一九一三年六月一四日(DK320022k-0014)
第32巻 p.472-473 ページ画像

渋沢栄一書翰  ジェームス・ディー・ローマン並夫人宛一九一三年六月一四日
           (ジェームス・ディー・ローマン氏所蔵)
             (COPY)
                    June 14th, 1913.
Mr, and Mrs. J. D. Lowman,
  Seattle, Wash. U.S.A.
Dear Sir and Madam:
  It has been customary with the late Honorary Commercial
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 Commissioners to the United States to hold an annual reunion to refresh the memories of our delightful tour of three months through that extensive country in 1909.
  This year the reunion was held for three days at Kyoto, one of the items on the program being a visit to the tomb of the late Mr. Jihei Nishimura, who joined the Commission as President of the Kyoto Chamber of Commerce.
  At the meeting it was resolved :
  That we write to our friends whose acquaintance was made during that memorable trip, and assure them that we still cherish the memory of all the happy relations formed on that occasion, and that conforming to the spirit of that mission of peace we are making every effort to bring about a better understanding and to strengthen the ties of friendship between the peoples of the United States and Japan.
            Faithfully yours,
        (Signed) Baron Eiichi Shibusawa,
              Ex-Chairman of Honorary
              Commercial Commissioners to
              the United States of America
  ○右ノ京都ニ於ケル記念会ニハ栄一出席セザリシガ如シ。


竜門雑誌 第三〇八号・第八三―八四頁大正三年一月 ○渡米実業団記念会(DK320022k-0015)
第32巻 p.473 ページ画像

竜門雑誌  第三〇八号・第八三―八四頁大正三年一月
○渡米実業団記念会 旧渡米実業団は、去明治四十二年米国より帰朝したる十二月十七日を期し毎年記念会を開くを例とせるが、昨年十二月十七日は帰朝後第四回記念日に相当するを以て、同日午後五時より日本橋倶楽部に於て其会合を開きたり、出席者は元団長青淵先生・委員長中野武営の両氏を始め、日比谷・佐竹・岩原・小池・町田・渡瀬神田男・増田・加藤・名取・田辺・上田諸氏・又横浜より大谷・左右田・亀田の諸将にて京浜に於ける旧団員の殆んど全部出席したり、宴将に終らんとするや青淵先生は起ちて今昔の感に堪へざるものゝ如く
 行を終つて玆に四年星霜、爾来日米問題の経過に鑑み、渡米団の効果如何を問はるゝ時、吾人は私かに赤面する次第なるが、其の間日米国交の問題は、遂に一日として吾人の心頭を去らず、出来得る限りの力を致し、聊かにても其効果ありたるを信すれば、亦聊か慰むるに足る云々
と述べ、次で中野会頭は、昨年京都に於ける同団記念会の顛末を報告し、永久に同団員が日米問題の為に尽瘁せむ事を誓ひ、最後に大谷氏は元団長青淵先生並に委員長中野氏の旅行以来の尽力を謝し、同氏の発声にて万歳を三唱し、十時散会したる由なるが、当日の決議に依り青淵先生には其後一同を代表して、当時同団旅行に密接の関係ある米国の人々に記念の書翰を発せられたりと云ふ


渋沢栄一書翰 ジェームス・ディー・ローマン宛一九一四年一月一七日(DK320022k-0016)
第32巻 p.473-475 ページ画像

渋沢栄一書翰  ジェームス・ディー・ローマン宛一九一四年一月一七日
            (ジェームス・ディー・ローマン氏所蔵)
 - 第32巻 p.474 -ページ画像 
             (COPY)
Baron E. Shibusawa
  Tokyo
                 Jan. 17th, 1914.
J. D. Lowman, Esq.,
  Seattle, Wash.
Dear Sir :
  I think you know very well that we, the late Honorary Commercial Commissioners to the United States, are keeping up the custom of holding a reunion once every year, at one of the cities, where the Chamber of Commerce to which any of the late Commissioners belong is situated, the purpose of the gathering being to commemorate the happy relations which were created between us and your countrymen who were so kind to us during that memorable trip.
  Besides the above reunion, those of us living in Tokyo and Yokohama are in the habit of holding an annual meeting on the day of our return from your country in 1909; so on the 17th of last December, the fourth annual gathering was held at the Nihonbashi Club, Tokyo. The number of those present at the meeting was seventeen in all, namely ; Baron Kanda, Messrs.
Nakano, Hibiya, Satake, Iwahara, Koike, Machida, Watase, Masuda, Kato, Natori, Tanabe, Uyeda and myself of Tokyo ; and Messrs. Otani, Soda, and Kameda of Yokahama.
  We recalled and talked over many happy incidents and experiences relating to the courtesies of your countrymen, to the sights of the cities we visited, to the factories we inspected, and to the sceneries we admired. What we all remembered with feelings of deepest gratitude was the unbounded kindness shown to us by yourself and your colleagues during the whole journey.
  Indeed, you were kind enough to accompany us from the beginning of our trip to the end; and that was what we all felt particularly grateful for. We believe that we could never have made such a long and pleasant trip in any other country than in the United States, and we also believe that it was the first great journey ever tried by Japanese through your country.
  Mr. Nakano and myself made after-dinner speeches, each referring to your kindness and to the fact that our journey had done much good towards the betterment of the friendly feelings and the commercial relations of both countries, and renewing our mutual vows to do our best in promoting better understanding between the two nations.
  Finally, we drank to the health and prosperity of yourself,
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your family and our other American friends, and after three "Banzais", the most enjoyable gathering broke up. With the kindest wishes, I remain,
            Yours ever sincerely,
                   E. Shibusawa.


竜門雑誌 第三二〇号・第九二―九三頁大正四年一月 ○渡米実業団記念会(DK320022k-0017)
第32巻 p.475 ページ画像

竜門雑誌  第三二〇号・第九二―九三頁大正四年一月
○渡米実業団記念会 去る明治四十二年、米国太平洋沿岸聯合商業会議所の招待に応じ、青淵先生を団長に仰き、米国各地を巡回旅行したる渡米実業団京浜在住の会員は、其無事帰朝したる十二月十七日を期して、毎年記念会を開会する例なりしが、本年は当日差支の会員多数なりし為め、同月十九日を卜し、午後四時より日本橋倶楽部に会し第五回記念会を開催せられたり、出席者は
 青淵先生・中野武営・日比谷平左衛門・佐竹作太郎・根津嘉一郎・堀越善重郎・小池国三・町田徳之助・大橋新太郎・増田明六・加藤辰弥・名取和作(以上東京)左右田金作(横浜)大井卜新・石橋為之助(以上大阪)伊藤守松(名古屋)
の諸氏にして、席上青淵先生に於ては来会者を代表して、此記念開会の意を同時同行せられたる米国各地商業会議所代表者に通知すること及本年京浜の団員主人側となりて、委員総体の記念大会を東京に開催する事を決議し、尚種々の懐旧談に時を移し、午後十時散会したり
  ○是日ノ栄一ノ日記ヲ欠ク。


東京日日新聞 第一三六九一号大正三年一二月二〇日 ○渡米実業団の感謝(DK320022k-0018)
第32巻 p.475 ページ画像

東京日日新聞  第一三六九一号大正三年一二月二〇日
    ○渡米実業団の感謝
十九日は、先年米国商業会議所の招待に応じ渡米したる渡米実業団一行の無恙帰朝せる当日に当るを以て、渋沢男・神田男・中野武営氏以下二十余名は、同日午後四時より日本橋倶楽部に例会を催し、渡米当時の主人公たりし紐育・市俄古・桑港、其他各地の商業会議所会頭等に対し、感謝状の電報を発送したり


渋沢栄一書翰 ジェームス・ディー・ローマン宛 一九一四年一二月二〇日(DK320022k-0019)
第32巻 p.475-477 ページ画像

渋沢栄一書翰  ジェームス・ディー・ローマン宛 一九一四年一二月二〇日
           (ジェームス・ディー・ローマン氏所蔵)
             (COPY)
Baron E. Shibusawa
  Tokio, Japan.
                      Dec. 20, 1914.
J. D. Lowman, Esq.,
  Seattle, Wash.
Dear Sir :
  I am very happy to inform you that we, the late Honorary Commercial Commissioners to the United States, held the fifth annual reunion at the Nihonbashi Club, Tokio, on the nineteenth of this month, the object of the gathering being, as you very
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likely know well, to commemorate the kind reception of your countrymen so generously given to us during our long memorable trip throughout the States in 1909. It was a most enjoyable occasion, and we all talked over the delightful memories relating to our American tour. We all recalled with gratitude courtesies of yourself and others, during our trip, and what we felt most grateful for was the great personal sacrifice with which some of you accompanied us in the same train during our whole journey for three months. We all united in expressing our hearty gratitude for the warm reception accorded to us wherever we went. All this is a proof of the fact that the courtesy and hospitality of you and your countrymen have left such a deep impression upon our hearts that we can never forget them.
  After we had indulged ourselves in recalling all these happy memories, it was my painful duty to report to my colleagues present the news of a very sad event which had recently occurred in America. That was the death of Mr. F. W. Dohrmann of San Francisco, who, in 1908, had visited this country as the chairman of the representatives of the Chambers of Commerce of the Pacific Coast, invited to come over by the Tokio and four other Chambers of Commerce of Japan. When I broke the sad news to my friends I could hardly restrain myself from tears, and all the rest were struck with a deep sense of bereavement.
  Since his visit to Japan, Mr. Dohrmann had been a staunch advocate for the cause of betterment of the American-Japanese relation, and we had always relied upon his efforts in promoting a better understanding between the two nations, you can well imagine our sorrow and disappointment on hearing of his death.
Since we returned from your country, the late Commissioners have lost three members, namely ; Mr. Jihei Nishimura, Mr. Rinnosuke Hara, and Dr. Riuta Hara ; and in the early summer of this year, Mr. Kokichi Midzuno, the late Consul-General in New York, who had accompanied us from the beginning of our trip to the end, died in Peking. Our misfortune did not end there, for the news of the death of Mr. Dohrmann, one of the truest friends of Japan, has quite overwhelmed us with sorrow.
  Five years have already passed away since our return to Japan, and during all this time we have been making constant efforts to promote a more friendly feeling and better understanding between your country and ours ; but, unfortunately no tangible results seem as yet to have been gained.
  Indeed, we greatly regr et toseet hat the anti-Japanese bill
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in some form or other is, year after year, brought up in the legislature of a certain state on the Pacific Coast. It is, however, our strong belief that at no remote future, we shall see the happy day when each of the two nations shall become a genuine friend to the other ; and to the attainment of this happy end, we are all determined to devote our best energies.
  With sincere wishes for the health and prosperity of yourself and your family, I beg to remain,
              Yours ever sincerely,
              (Signed) E. Shibusawa
         Representing the Late Honrary Commercial
         Commissioners to the United States.


集会日時通知表 大正六年(DK320022k-0020)
第32巻 p.477 ページ画像

集会日時通知表 大正六年      (渋沢子爵家所蔵)
四月廿日 金 午後五時 渡米実業団記念会(日本橋クラブ)


渋沢栄一・中野武営書翰 ジェームス・ディー・ローマン宛一九一七年五月三一日(DK320022k-0021)
第32巻 p.477-478 ページ画像

渋沢栄一・中野武営書翰  ジェームス・ディー・ローマン宛一九一七年五月三一日
          (ジェームス・ディー・ローマン氏所蔵)
            (COPY)
                Tokyo, May 31, 1917.
J. D. Lowman, Esq.,
  Seattle, Wash. U. S. A.
 My dear Mr. Lowman :
  As you know we, the late Honorary Commercial Commissioners who visited the United States in 1909, are in the habit of holding a reunion once every year on the day of our return home from your country, that is the 17th of December, for the purpose of perpetuating our memory and appreciation of the kind courtesies accorded us by your government and people during that memorable trip.
  Last year, however, it so happened that the 17th of December last was the day of the State funeral of the late Marshal Prince Oyama, who was highly esteemed by the whole nation. So we postponed our usual gathering to the 20th of April of this year, when it was held at the Nihonbashi Club, Tokyo. These present at the meeting numbered fourteen in all, namely, Baron Kanda, Mr. H. Hibiya, Mr. K. Iwahara, Mr. K. Nezu, Mr. K. Koike, Mr. T. Machida, Mr. M. Ito, Mr. H. Iida, Mr. M. Masuda, Mr. T. Kato, Mr. S. Uyeda, Mr. B. Kubota, and the undersigned.
  We recalled and talked about many happy incidents and experiences of the trip and refreshed our memory of the unbounded kindness which was extended to us by your good self and your colleagues during the memorable journey.
 - 第32巻 p.478 -ページ画像 
  After dinner, both of the undersigned made speeches, each referring to the unforgettable kindness your countrymen showed to us, and to the necessity of ever promoting friendly feelings and understanding between the United States and Japan, not only for the sake of both countries but also for the peace of the whole world.
  To us who for these several years have deemed it our mission to do all we can to promote friendship between the two nations, it is sincerely gratifying to observe that the Japanese people have recently come to be understood by your countrymen.
  We feel, however, very sorry to have to inform you that the obituary list of the late Honorary Commercial Commissioners is increasing year after year. Those who have passed away since our return from your country are eight in all, namely : Messrs. Rinnosuke Hara and S. Satake of Tokyo; Messrs.
J. Nishimura and N. Fujiye of Kyoto ; Messrs. Ryuta Hara and K. Soda of Yokohama; Mr. E. Iwamoto of Osaka, and Mr. K. Midzuno, the former Japanese Consul-General at New York.
We intend to hold a commemoration meeting for these deceased friends at Tokyo in the Autumn of this year, their surviving families being invited to be present at the gathering.
  With renewed thanks and kindest regards, we beg to remain,
          Yours ever sincerely,
        (Signed) Baron E. Shibusawa
        (Signed)     B. Nakano
        Representing the Late Honorary Commercial
        Commissioners to the United States.


集会日時通知表 大正六年(DK320022k-0022)
第32巻 p.478 ページ画像

集会日時通知表  大正六年      (渋沢子爵家所蔵)
九月廿四日 月 午後二時 旧渡米実業団員故人追悼会(令夫人共)
              (上野寛永寺)
             右終ツテ晩餐会(上野精養軒)


竜門雑誌 第三五三号・第一二一―一二二頁大正六年一〇月 ○旧渡米実業団員逝去諸氏追悼会(DK320022k-0023)
第32巻 p.478-479 ページ画像

竜門雑誌  第三五三号・第一二一―一二二頁大正六年一〇月
○旧渡米実業団員逝去諸氏追悼会 今回日米関係委員会にては、既往明治四十二年、青淵先生団長として率たる渡米実業団員五十三名の帰朝以後、今日まで既に九星霜、其間該団員中の諸氏にして、今は故人となれる人々、故西村治兵衛氏外八氏の為め、青淵先生及び中野武営氏並に旧団員諸氏主催となり、去る九月二十四日上野寛永寺に於て各故人の遺族を招待して各故人追悼法会を営まれたるが、当日は導師輪王寺門跡円朗大僧正外東叡山総出にて、大悲胎蔵曼荼羅供の読経に次ぎ、青淵先生の故人及遺族諸氏に対する懇篤なる弔辞ありて、壮厳なる法会を営み、後一行はいとう呉服店新築店舗を参観して、更に上野
 - 第32巻 p.479 -ページ画像 
精養軒に於ける晩餐会に臨みたるが、晩餐後、青淵先生の遺族及び来会したる団員諸氏に対する挨拶並に団員諸氏の懐旧談等あり、最後に左右田棟一氏各遺族を代表して丁重なる謝辞を述べ、其散会せるは午後十時なりき。
因に右団員諸氏中逝去せられたる人々は
 西村治兵衛(京都)原林之助(東京)原竜太(横浜)水野幸吉(東京)藤江永孝(京都)左右田金作(横浜)佐竹作太郎(東京)岩本栄之助(大阪)土居通夫(大阪)
の九氏にして、尚ほ当日旧団員にして出席せられたる人は、青淵先生及同夫人、中野・日比谷・大橋等諸氏二十二名にして、故人の遺族は拾名なりきと云ふ。
  ○是日ノ栄一日記及ビ挨拶ノ筆記ヲ欠ク。


渋沢栄一 日記 大正七年(DK320022k-0024)
第32巻 p.479 ページ画像

渋沢栄一日記  大正七年      (渋沢子爵家所蔵)
一月十七日 晴 寒
○上略 瓢屋ニ抵リ渡米実業団ノ記念会ニ出席ス、中野・中橋・日比谷氏等会スル者十余名、食後一場ノ感想ヲ述ヘ、夜十時帰宿○下略


集会日時通知表 大正七年(DK320022k-0025)
第32巻 p.479 ページ画像

集会日時通知表  大正七年      (渋沢子爵家所蔵)
十二月十七日 火 午後五時 渡米実業団記念会(日本橋クラブ)


渋沢栄一 日記 大正八年(DK320022k-0026)
第32巻 p.479 ページ画像

渋沢栄一日記  大正八年      (渋沢子爵家所蔵)
二月二十四日 曇 寒
○上略 午後五時浜町常盤屋ニ抵リ、渡米実業団ノ紀念祝賀ノ宴ニ出席ス兼子及高梨孝子モ同伴ス、中橋文相・松方幸次郎氏等十数人来会ス、根津嘉一郎氏等主人トシテ接待ニ尽力ス、種々ノ余興アリ、酒間一場ノ挨拶ヲ述フ、夜十時過散会○下略


竜門雑誌 第三七〇号・第七七―七八頁大正八年三月 ○青淵先生八十寿祝賀宴(二)(DK320022k-0027)
第32巻 p.479 ページ画像

竜門雑誌  第三七〇号・第七七―七八頁大正八年三月
○青淵先生八十寿祝賀宴(二) 旧渡米実業団員主催の青淵先生八十寿祝賀宴は、二月二十四日午後五時より、浜町常盤家に於て催されたり、同団員諸氏は、毎年十二月十七日を以て一堂に会し、該旅行を追懐しつゝありし所、当時団長たりし青淵先生八十寿祝賀を兼ね、同一行中の中橋徳五郎氏文部大臣就任を慶賀すべく、大谷嘉兵衛・根津嘉一郎・松方幸次郎・神野金之助諸氏発起人となりて、此の清宴を催せる次第なる由。尚ほ、当日出席せられたる主賓は、青淵先生・同令夫人・中橋徳五郎氏、陪賓高梨孝子氏にして、主人側には前記発起人諸氏を始め、日比谷平左衛門・岩原謙三・小池国三・巌谷季雄・大井卜新・田村新吉・上遠野富之助・伊藤守松・久保田金遷・増田明六諸氏なりき。


集会日時通知表 大正九年(DK320022k-0028)
第32巻 p.479 ページ画像

集会日時通知表  大正九年      (渋沢子爵家所蔵)
十二月廿四日 金 午後六時 旧渡米実業団記念会(銀行クラブ)令夫人共

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渋沢栄一書翰 ジェームス・ディー・ローマン宛一九二一年一月二〇日(DK320022k-0029)
第32巻 p.480-481 ページ画像

渋沢栄一書翰  ジェームス・ディー・ローマン宛一九二一年一月二〇日
           (ジェームス・ディー・ローマン氏所蔵)
               (COPY)
Viscount Shibusawa
  Tokyo
                      January 20th, 1920《(1921)》.
Mr. J. D. Lowman,
  Seattle, Wash. U. S. A.
Dear Sir :
  So far it has been my pleasant duty to send to you annual greetings on behalf of the Late Honorary Commercial Commissioners who travelled through your country covering the Fall and Winter of 1909 and who received boundless kindness from the hands of the officials and private citizens of your great country.
  In order that we may perpetuate the never-forgettable gratitude which we sustain towards you, we made the 17th of December the memorial day of our trip to America since we arrived on our home land on that day. We have, every year, held our reunion with a special joy and enthusiasm. Some years we had to change the date of meeting, postponing them a few days, but never failed to hold it. The gathering of 1920 was held in the evening of the 24th of December at the Banker's Club, Marunouchi, Tokio. This was the eleventh reunion and the following members were present on the occasion :
    Kenzo Iwahara    Tatsuya Kato
    Kinsen Kubota    Tokunosuke Machida
    Meiroku Masuda   Kaichiro Nedzu
    Kumejiro Tani    Shinkichi Tamura
    Sekizo Ueda     Eiichi Shibusawa
  As the chairman of the evening, I opened up the meeting narrating my experiences concerning my dealings with American-Japanese questions during the year. Afterward they began, every one of them, to talk about their pleasant experiences which they were permitted to enjoy during the journey, because of your inexpressible kindness and exquisite courtesy. Indeed real brothers could not have received any better attention than what we the strangers received from your hands.
  Thus every one of us spent a very delightful evening refreshing our memories of the good old days.
  You know that we are advocates of peace and especially are anxious to see a permanent peace maintained between America and Japan. Very likely this is your desire also. Can
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we not then, we on this side of the Pacific and you on the other, do our utmost to promote peace and friendship between us and also in the world at large? Thanking you again for your past courtesies to us, I beg to remain,
               Very truly yours,
                  E. Shibusawa
         Representing the Late Honorary Commercial
         Commissioners to the United States of America.


竜門雑誌 第四一六号・第五八頁大正一二年一月 ○旧渡米実業団記念会(DK320022k-0030)
第32巻 p.481 ページ画像

竜門雑誌  第四一六号・第五八頁大正一二年一月
○旧渡米実業団記念会 去る明治四十二年秋、青淵先生を団長として渡米したる実業団員は、十二月十七日○大正一一年午後六時より東京会館に於て其記念会を開催し、青淵先生より、一昨年渡米せられたる理由より現在の日米関係の状態に就き談話ありたる後、青淵先生を中心として、当年米国各地に於て受けたる厚遇より各種出来事等の懐旧談に耽りたりと云ふ。
 当日の出席者は左の如し。
 青淵先生    岩原謙三氏   巌谷季雄氏
 伊藤守松氏   小畑久五郎氏  渡瀬寅次郎氏
 加藤辰弥氏   頭本元貞氏   根津嘉一郎氏
 名取和作氏   上田碩三氏   久保田金仙氏
 町田徳之助氏  増田明六氏   小池国三氏
  ○是日ノ栄一ノ日記ヲ欠ク。


集会日時通知表 大正一一年(DK320022k-0031)
第32巻 p.481 ページ画像

集会日時通知表  大正一一年      (渋沢子爵家所蔵)
十二月十七日 日 午後六時 旧渡米実業団記念会(東京会館)


(増田明六)日誌 大正一一年(DK320022k-0032)
第32巻 p.481 ページ画像

(増田明六)日誌  大正一一年      (増田正純氏所蔵)
十二月十七日 日 晴
○上略
午後六時東京会館ニ於て、旧渡米実業団第十二回記念会を開催、渋沢子爵外十五名出席《(四)》、六時半食堂に入る、食後子爵の最近米国問題ニ関する状況を報告せられたり、根津嘉一郎氏子爵の為めニ乾杯す、食後別室ニ於て懐旧談あり、根津・小池両氏、頭本・町田両氏の対局あり来会者孰れも散したるが、頭本・町田両氏悠々と対局、子爵又悠々と傍観セられ、小生も亦不得止無意識ニ傍観し、午後十一時帰宅す


竜門雑誌 第四二四号・第七一―七二頁大正一三年一月 ○旧渡米実業団員のクラーク氏一行招待会(DK320022k-0033)
第32巻 p.481-482 ページ画像

竜門雑誌  第四二四号・第七一―七二頁大正一三年一月
○旧渡米実業団員のクラーク氏一行招待会 旧渡米実業団の諸氏はクラーク氏の来朝を機とし、同氏並にグリツグス氏及びホーグ氏を主賓とし、青淵先生・増田明六・名取和作・岩原謙三・小池国三・飯田旗郎・田辺淳吉・町田徳之助・渡瀬寅次郎・大谷嘉兵衛・小畑久五郎諸氏出席の上同団が明治四十二年青淵先生を団長として渡米せる際に寄せられたる多大の好意を謝する為め、毎年十二月十七日を以て開催する定めの記
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念会を兼、ク氏を招待して往事を談じ旧情を温めたる由なり。


渋沢子爵親話日録 第二 自大正十二年十一月至 高田利吉筆記(DK320022k-0034)
第32巻 p.482 ページ画像

渋沢子爵親話日録 第二 自大正十二年十一月至  高田利吉筆記
                    (財団法人竜門社所蔵)
○十二月七日
○上略
△六時芝紅葉館に於ける旧渡米実業団主催のクラーク氏招待会に出席せらる○下略


(増田明六) 日誌 大正一四年(DK320022k-0035)
第32巻 p.482 ページ画像

(増田明六) 日誌  大正一四年       (増田正純氏所蔵)
十日○一二月 木 晴 出勤
午後二時根津嘉一郎氏を日本工業倶楽部に訪問した、彼の渡米実業団の記念会は毎年十二月十七日、即其帰朝したる日を以て開催したのであつたが、一昨年大震災後中絶したので、本年之を実行しようとの相談を持つて行つたのである、併し其団長たりし渋沢子爵は病後静養の必要上、夜間の会合には一切出席しない事ニ為つて居るニ付てハ、之を昼間即チ午餐会ニて催ふしてハ如何と図つたのであつたが、根津氏は歳末段々多忙の折、昼間の開催は出席者が頗る迷惑を感するならんとハ云ひ、子爵が出席無くては記念会の意義を為さぬ事ニなるから、一層の事来月ニ延期し子爵の健康の御宜敷時機ニ開催してハ如何との意見で、遂ニ之を延期する事ニした
  ○大正四年及ビ同十年ハ栄一アメリカ合衆国渡航中ノタメ記念会ノ催ナシ。


渋沢栄一書翰控 ハワード・エリオット宛 大正一四年六月二六日(DK320022k-0036)
第32巻 p.482 ページ画像

渋沢栄一書翰控  ハワード・エリオット宛大正一四年六月二六日
                      (渋沢子爵家所蔵)
      案
紐育市ナツソー街廿四
 ハワード・エリオット様
  大正十四年六月廿六日         東京
                      渋沢栄一
拝復、三月弐拾七日附御懇書落手拝誦致候、然ば去る明治四十二年貴地方に罷出候実業団の記念として呈上致候粗品、現在尚ほ御保存相成当時を御追想御喜悦被下候趣、真に嬉しく拝読、かく迄珍重被下候義を却而恐縮仕候、老生も当時の事共鮮かに記臆致、御心入の御款待を思ひ返し、感慨深きもの有之候、老生も今一度貴国に渡航し、旧友諸彦と親しく久闊を舒し度くとは存居候得共、頽齢に有之、希望を実現致候事甚だ以て覚束なく、遺憾千万に御座候、終りに貴下の変らさる御厚情を拝謝し、御健康を御祝申上候
右御回答迄可得貴意如此御座候 敬具
  ○右英文書翰同日発送。


渋沢栄一書翰控 ジェー・ポール・グード宛 大正一五年三月一七日(DK320022k-0037)
第32巻 p.482-483 ページ画像

渋沢栄一書翰控  ジェー・ポール・グード宛 大正一五年三月一七日
                    (渋沢子爵家所蔵)
      案
 - 第32巻 p.483 -ページ画像 
           (別筆)
           増田氏の訂正及承認を経たるものなり
市俄古市
 ジェー・ポール・グード殿
  大正十五年三月一日
                     東京
                      渋沢栄一
拝復、昨年十二月廿二日附尊書正に落手難有拝誦仕候、爾来御無音に打過ぎ誠に失礼仕候処、貴台には御壮健にて御活動の由、何よりの儀と奉慶賀候、老生も健全にて消光罷在候間、乍憚御省念被下度候
個人的悪感情が導火線となり、終には国際関係にも重大なる影響を及すに至るとの貴見より、先般の排日移民法通過も、畢竟相互の国情に暗らき結果なりとの御断案を以て、貴国民に日本の国情を諒解せしめんと屡々御講演を試みられ候由拝承致、不相替両国親善の為め御尽力被下候不断の御厚意を感謝致候
貴台御夫妻には昨秋我国に御渡来被成度御予定の処、令夫人には州議員に御当選相成り、又貴台は極めて重要なる化学研究に御成功相成、引続き其御研究の必要上、右旅行も延期の止む無きに至り候由、御旅行延期の為め久々にて拝眉し得る機会を自然延引致候事は遺憾に候得共、貴台並令夫人が各主要の目的を達せられ候事を貴台の友人たる小生は衷心より悦居候義に候、併両三年中には世界漫遊の途に上られ候由に候へば、其節には是非我国に御立寄被下度、今より期待致候
去る明治四十二年の秋貴国を訪問せし我々実業団員が、我邦人の誰もが未た経験せさる極めて愉快にして有益なる視察を遂げ得たりしは、全く貴台等が御心から御懇篤なる御待遇を与へられし結果と、深く感謝罷在候、今度尊書に接し、当時の状況を追懐し、更に感謝の意を深ふしたる次第に候、烏兎匆々爾来十八年、当時の我団員中には故人となれる人々も少なからず候、御懇請に従ひ同団員人名表別紙の通り作製御送付申上候、過ぐる大震火災の際同団に関する書類も悉く烏有に帰し候為め、乍遺憾故人の死歿年月日を詳にする能はず候間、此儀何卒御諒承被下度候
右返事旁々得貴意度如此御座候 敬具
  ○団員名簿略ス。
  ○右英文書翰ハ大正十五年三月十七日附ニテ発送セラレタリ。


渋沢栄一書翰控 ジェー・ポール・グード宛 昭和二年一月二四日(DK320022k-0038)
第32巻 p.483-484 ページ画像

渋沢栄一書翰控  ジェー・ポール・グード宛 昭和二年一月二四日
                    (渋沢子爵家所蔵)
               (栄一鉛筆)
               昭和二年一月廿一日一覧
      案
市俄古
 ジェー・ポール・グード殿
拝復、昨年十二月七日付御懇書落手、難有拝読、何時もながらの御好意深謝仕候、爾来思ひながら御疎情に打過候処、愈御勇健にて御研究御怠りなき趣、真に慶賀の至に御座候、貴翰中御懇切に御申越被下候渡米実業団記念会の義は、老生等にとりては忘るゝ能はざる事柄に付
 - 第32巻 p.484 -ページ画像 
出来得る限り毎歳開催致来候も、近来会員の物故するもの相踵き、其数も大に減少致、自然休会勝と相成、殊に昨年は老生病臥致候為め其事も無之打過ぎ候に、却而貴台には御記臆被下、態々御懇示に接し候は、実に心嬉しき次第にて、御礼の申上様も無之程に御座候
御心入の尊書により、一九〇九年の貴国旅行の際特に色々と御世話様に相成候事共、なつかしく想起候、殊更御専門の地理的御講演は、各地に於て御懇切に被成下候に付ては、今尚記臆いたし居、身に沁みて難有感佩罷在候
日米親善増進に付ては、老生も引続き努力罷在候処、先年貴国議会に於て移民法通過致候に付て、日本の加州移民は従来の位置を毀損致候義に有之、加之一国の体面としても心苦しく、是非修正せられ候様衷心希望罷在候、然しながら一国の法律に関し、他国人の容喙可致限りに無之候間、只貴国人の御好意に依る外無之と、機会ある毎に御懇親の方々に対し、或は書面又は会見面談致居候、幸に貴台よりも今回御懇書を得たるに付、拝復旁玆に愚衷申添候次第に御座候
右得貴意度如此御座候 敬具
 昭和二年一月二十四日
                      渋沢栄一
  ○右英文書翰同日発送。


(ジェー・ポール・グード) 書翰 渋沢栄一宛一九二七年一一月一四日(DK320022k-0039)
第32巻 p.484-485 ページ画像

(ジェー・ポール・グード) 書翰  渋沢栄一宛一九二七年一一月一四日
                        (渋沢子爵家所蔵)
              (COPY)
          The University of Chicago
          Department of Geography
J. Paul Goode
  Economic Geography
  Cartography
                 CHICAGO, Nov. 14, 1927
Viscount Shibusawa,
  1 Nichome Yeirakucho Kojimachiku, Tokyo.
My dear Friend : -
  Recently I have received a fine letter from my student friend, Mr. Tomonori Takei, who presented you letters of introduction from me on his return to Japan last year. I am delighted that he has been able to secure a position in the First Bank of Tokyo. I hope he will prove his worth and win the respect and confidence of all his co-workers.
  It has given me very great pleasure to have his report of your courteous, generous and friendly appreciation of my friendship. Let me assure you that I shall never forget the friendships begun on the Tour of the Honorary Commercial Commissioners in 1909. That date seems long ago now, but the friendships begun with you and your colleagues at that time have grown with the passing years and if I were to live a thousand years
 - 第32巻 p.485 -ページ画像 
I should never forget the splendid demonstration which you made for friendship to our country and of your lifelong desire for peaceful and friendly relations between our two countries. It has been an inspiration to me, and I want to assure you again that everything I can do to enlighten my people in regard to the high quality of the Japanese nation shall be done, in speeches, addresses, in writing, and in my constant contact with my classes and friends. Just as keenly as you do, do I regret the boorish conduct of our politicians in the legislation which has put so sore a condition upon your people in our country. Sometimes I feel very pessimistic about the outcome, but I was born an optimist and feel that the right relations will be established some time, and to that end I know that you and I will devote every ounce of our effort.
  I am very sorry to tell you that Mrs. Goode has been very sick for the last five months. It has been sometimes uncertain whether she would recover, but just now I am happy to say she is improving. I hope you and the Viscountess are in the best of health and that you may be spared for many years to come.
  With kindest regards, I am
                 Sincerely,
               (Signed) J. Paul Goode.