デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
1節 外遊
3款 第三回米国行
■綱文

第33巻 p.51-65(DK330004k) ページ画像

大正4年11月30日(1915年)

是日栄一、ボストンヲ発シニュー・ヨークニ入ル。十二月五日同地ヲ発シテワシントンニ赴キ、六日ホワイト・ハウスニ於テ大統領トーマス・ウドロウ・ウィルソンニ会見シ、談日米国交親善ノ事ニ及ブ。八日同地ヲ発シシカゴヲ経テ十三日早朝ロス・アンジェルスニ到着、同日夜出発十四日再ビサン・フランシスコニ入ル。


■資料

渋沢栄一 日記 大正四年(DK330004k-0001)
第33巻 p.51-56 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正四年          (渋沢子爵家所蔵)
十一月三十日 半晴
午前七時半起床、洗面衣装ヲ整ヘ八時朝飧ス、此日当地ヲ発シテ紐育ニ赴ク筈ナレハ朝来旅装ヲ理ス、服部博士其他邦人来リテ別ヲ告ク、昨日ヨリ穂積重遠ノ一行ニ加ルアリテ、共ニボストン停車場ニ抵リ、九時過ノ列車ニテホストンヲ発ス、車中ツーヤ嬢・安井夫人等モアリ
 - 第33巻 p.52 -ページ画像 
テ種々ノ談話ヲナシ、午後三時過紐育ニ達ス、停車場ニハ多数ノ邦人及米人来リ迎フ、新聞社員数名写真機ヲ以テ撮影ス、〔    〕《(原本欠字)》ホテルニ投宿ス、後四新聞社員来リテ余カ渡米ノ理由ヲ問ハル、又邦人各方面ノ人々来リテ各種ノ談話ヲ為ス、夜七時邦人設立ノ倶楽部ニ於テ、在住邦人有志ノ歓迎会アリ、来会者五十名許ナリ、日本料理ニテ美善ヲ尽セリ、卓上旅行ノ理由ト感想トヲ演説ス、中村総領事司会者トナリテ、周旋尤モ勗ム、夜十二時散会帰宿ス
帰宿後来書来電ヲ点検シテ、夜一時就寝
十二月一日 晴
午前七時起床、頃日来ノ風邪未タ全ク愈ヘスシテ入浴スルヲ得ス、洗面衣装ヲ整ヘテ日記ヲ編成ス、午前九時頃ヨリ新聞社員多ク来リテ、種々ノ質問アリ、十時半ゼネラールエレキテリツク社コヒン氏来ル、堀越氏ノ通訳ヲ以テ支那ノ事業経営ニ関シテ談話ス、午後一時国際病院ノ件ニ関シ、トエスレル氏ヨリノ案内ニ応シテ一倶楽部ニ抵リ午飧ス、食卓上主賓ノ演説アリ、商業会議所会頭シスロー氏及商工組合長モルガン氏等来会ス、余モ一場ノ謝詞ヲ述フ、畢テゼームス・ヒル氏ヲ其事務所ニ訪問シ、種々ノ談話ヲ為ス、鉄事業ノ必要ト、農作上修約法《(集)》ヲ勉ムル事ヲ主トスル旨ヲ丁寧ニ説明セラル、余ハ近来日本ノ学生浮薄ニ流ルルノ弊ヲ叙シテ、其救済ヲ試問セシニ、ヒル氏ハ米国ニ於テモ同シク此弊アルヲ免レス、依テ先覚者ハ勉テ信念ノ涵養ヲ為スニ在リトノ意見ナリキ
夜七時ロータス倶楽部ニ於テ盛宴ヲ開カル、高峰博士ノ主人ニテ余ノ為ニ開会セラルルナリ、紐育有名ノ諸紳士来会スル者八十名許ナリ、主人及他ノ弁士ヨリ余ノ履歴ニ付演説アリ、余モ一場ノ答辞ヲ為シ、夜十二時過散会ス
十二月二日 曇、朝小雨
午前九時起床、風邪気全愈セサルニヨリ入浴ヲ廃シ、九時半朝飧シテ後理髪ス、畢テ来訪ノ米人ニ接ス、曾テ東京大隈邸ニテ会見セシ人ナリ、十一時浜岡氏来訪ス、相携ヘテ聯合準備銀行ニ抵リストロング総裁ニ会談ス、準備銀行設立ノ起因及爾後ノ経過ニ付詳話セラル、去テクンロープ銀行ニ抵リ、シフ氏ニ面話ス、歓ヒ迎ヘテ懇切ノ談話ヲ為ス、午後一時正金銀行一宮氏ノ開催セル金融主脳ノ人士ヲ集合セル午飧会ニ出席ス、バンカース・クラブ楼上ニ於テ開会ス、卓上金融ト東洋ニ於ル新事業ニ付、日米提携ノ必要ニ付テ意見ヲ演説ス、宴散シテ帰宿シ種々ノ来客ニ接ス、午後七時日本協会開催ノ大宴会ニ出席ス、来会者五百名余ニシテ、男女相混シテ盛況ナリキ、食卓上多数ノ演説アリ、余モ一場ノ演説ヲ為ス、食事畢リテ接伴会アリ、次テ舞踏会アリ、夜一時過散会帰宿ス
十二月三日 晴
午前七時半起床、八時過朝飧ヲ食ス、米人ストレート氏来リ新会社設立ノ事ヲ談ス、十一時半高峰博士及米人マケー氏来リ、兼約ニ従ヒオエスター・ベーニアル前大統領ルーズベルト氏ヲ訪問ス、蓋シ午飧ヲ饗スル旨ニテ招待セラルルナリ、途中マケー氏邸宅ヲ一覧ス、ロングアイランド中風光明媚ノ地ニ在テ構造壮大ナリ、午後一時半ローズベ
 - 第33巻 p.53 -ページ画像 
ルト氏ノ邸ニ抵ル、川ニ臨ミ小邱上ニアル一大邸宅ナリ、午飧前後ニ於テ国交上緊要ノ談話ヲ交換ス、食後同氏ハ種々ノ貴重品ヲ一覧セシメ、款談各胸襟ヲ披瀝ス、午後四時辞シ去リテ旅宿ニ帰リ、衣服ヲ更メテセリート称スル料理店ニ抵リ、東西通信社ノ開催セル宴会ニ出席ス、紐育及近傍ノ新聞雑誌ノ記者来会スル者八九十名許リナリ、席上日米国交ニ関スル加州問題及将来支那ノ事業経営ニ付、日米間当業者ニ於テ相交譲ノ念ナキニ於テハ終ニ競争衝突ノ弊ヲ生セントノ意見ヲ演説ス、来会者中ニ多数ノ弁士アリテ頗ル盛宴ナリキ、夜十二時散会帰宿ス
 此夜桑港沼野氏・山脇氏等ト遠距離電話ヲ交換ス
十二月四日 晴
午前七時半起床、入浴シテ朝飧ヲ食ス、後種々ノ来人ニ接ス、十一時半頭本・今西・中村総領事・浜岡氏等ヲ同伴シテ、ヴワンデリツプ氏ノ居ヲ訪問ス、家ハハトソン川ノ上流ニ在テ、市街ヲ距ル十数哩ノ処ニアリ、此日同氏ヨリ午飧ノ招宴アルニヨリ一同其家ニ抵リ、他ノ二名ノ米人アリテ種々緊要ノ談話ヲ為ス、同氏経画ノ新会社ニ関シテ質問ヲ試ミ、且支那ニ対スル事業ニ付、日米共同ノ意見ヲ協議ス、午飧後モ尚談話ヲ継続シ、四時頃辞シ去リテ高峰博士ノ家ヲ訪ヒ、茶菓ノ饗アリテ六時帰宿、直ニ衣服ヲ改メ、ウスレ倶楽部ニ抵リ、日本人会主催ノ宴会ニ出席ス、来会者四十名許リナリ、席上高峰氏ノ演説アリ余モ卓上演説ヲ為シ、散会後更ニカーネキー・ホールニ於テ講演会アリ、来会者ハ紐育在留ノ邦人青年数百名ナリ、依テ信念ニ関スル一場ノ演説ヲ為ス、十一時散会帰宿ス
十二月五日 曇
午前七時起床、洗面衣服ヲ理メ、本日此地ヲ発シテ華盛頓ニ赴ク筈ナレハ、朝来旅装ヲ整理ス、八時過朝飧ヲ食ス、後種々ノ来客アリテ行ヲ送ル、九時過ウルワス高塔ヲ一覧ス、重遠・頭本氏等同行ス、十時過停車場ニ抵ル、邦人多人数来リテ行ヲ送ル、十一時発車、車中ニテ午飧シ、午後四時半華盛頓ニ着ス、停車場ニハ珍田大使始メ館員多ク来リ迎フ、大使ト共ニ自働車ニテニユー・ウエラート・ホテルニ投宿ス、前大使ブライアン氏来訪、明後七日午飧会ヲ催フス事ヲ告ケラル珍田大使ト渡米ノ理由及桑港到着以来各地ニ於ケル景況ヲ詳話ス、特ニ紐育・桑港等ニ於テ会見セシ諸方面ノ談話ニ付、種々ノ事情ヲ会話ス、夜八時大使ノ催フセル晩飧会ニ出席ス、鄭重ニシテ且懇篤ナル日本料理ナルヲ以テ、一行大得意ニテ各旅行中ノ談話ヲ為シ、夜十時半散会帰宿、十二時就寝
十二月六日 朝来快晴
午前七時半起床、入浴シテ朝飧ヲ食シ、後日記ヲ編成ス、華盛頓ハ市街ノ装飾モ市人ノ往来モ、紐育ニ比スレハ極テ質素ニシテ且静穏ナリ午前二三ノ来人アリ、十一時半珍田大使来ル、直ニ同伴シテ大統領謁見ノ為ホワイト・ハウスニ抵リ、武・正・重遠・頭本氏ヲ合セテ五名謁見ノ事アリ、相坐シテ日本国交親善《(米)》ノ事又ハ国際病院ノ事ヲ談ス、辞シ去リテ国務省ニ抵リ、ランシング国務卿ニ面会シ、種々ノ意見ヲ述フ、午後二時過ヨリ華盛頓ノ墳墓ニ詣リ、又其旧宅ヲ一覧ス、武・
 - 第33巻 p.54 -ページ画像 
正・重遠・増田ヲ加ヘテ五名、自働車行尤モ興味アリ、午後五時半帰宿、八時コロネル・トムソン氏ノ招宴ニ応シテ其家ニ抵ル、家屋ノ構造最モ美麗ナリ、主人夫妻周旋最モ勉ム、来会者当地有名ノ紳商ナリ夜十一時散会帰宿ス
十二月七日 晴
午前八時起床、入浴シテ朝飧シ、後髪ヲ理ス、十時半日曜学校関係ノ諸氏六七名来訪、明年日本ニ開催ノ手続ヲ談ス、十一時半珍田大使来ル、相伴フテ当地ノコングレスニ抵ル、構造壮大ニシテ美麗ナリ、此日議会開会ニ当リ、ウエルソン大統領議場ニテ教書ノ朗読演説アルニヨリ、大使ノ周旋ニテ、余、頭本氏ト共ニ一覧ヲ許サル、上下議員悉ク来会シ、傍聴席ハ四方、多ク婦人ニテ満員ス、十二時半過ヨリ始リテ一時半後ニ至リテ止ム、直ニブライアン氏開催ノ午飧会ニ出席ス、来会者多ク官憲ノ人士ナリ、珍田大使モ同伴ス、畢リテ旅宿ニ帰リ休憩ス、後二三ノ来客ニ接ス、夜八時珍田大使開催ノ晩飧会ニ出席ス、来会者ハ当地有力ナル官吏又ハ政客ナリ、食卓上数名ノ演説アリ、余モ今回ノ旅行ニ付テノ理由ト渡米以来ノ感想トヲ演説ス、夜十二時散会ス
十二月八日 晴
午前七時起床、入浴シテ朝飧ス、九時重遠ヲ伴フテ大使館ニ抵リ、珍田大使ト種々ノ政務ヲ談話ス、十時半帰宿ス、後二三ノ来客ニ接ス、十二時大使館ノ吏員斎藤氏ノ案内ニテ上院ニ抵リ、セネート某氏ノ款待ヲ以テ院内各室ヲ参観ス、午後一時某クラブニ抵リ、平和協会ノ主催スル午飧会ニ出席ス、来会者四十名許リ、多数ノ演説アリ、余モ一場ノ演説ヲ為ス、畢テ旅宿ニ帰リテ小憩シ、午後四時半ホスタ氏ノ茶会ニ出席ス、氏ハ曾テ支那ニ使節トシテ在任セシ人ナリ、家富ミテ名声又高シ、午後六時此地ノ停車場ニ抵リ、シカゴニ向フ発車ス、珍田大使及館員多数来リテ行ヲ送ル、六時十五分発車ス、夜中進行迅速ナリ
十二月九日 曇
午前八時起床、洗面衣服ヲ整ヘテ朝飧ヲ食ス、汽車ノ速力最モ速ナリ車中絶句類選ヲ読ミテ二三ノ絶句ヲ賦ス、午飧後二時過シカゴ市ニ着ス、曾テ当地在住ノ島津氏ニ書通シテ、今夕一行ノ小憩ヲ依嘱セシニヨリ、同氏ハ停車場ニ来リ迎フ、余ハ一行ト分レテ、島津氏ト共自働車《(ニ脱)》ヲ馳セテリンコーン公園ヲ一覧シ、更ニ動物園ヲ見ル、四時島津氏ノ家ニ抵リ、一行相会シテ日本食ノ夜飧アリ、栗栖領事及郵船・商船両会社ノ主任者モ来会ス、八時シカゴヲ発シ、夜汽車ニテロスアルゼルニ向フ、夜中汽車ノ進行迅速ナリ
十二月十日 曇
午前七時半起床、衣服ヲ理メテ観覧車ニ抵ル、暫クシテ朝飧シ、後日記ヲ編成シ、又絶句類選ヲ読ム、沿線ノ山容水態荒涼ニシテ殺風景ナリ、時々路傍ニ牧場ヲ見ルモ、所謂野飼ニテ其処理頗ル粗放ナリ、午飧後モ読書ト詩料ヲ得ルニ勉メテ、終日記スヘキ事ナシ、夜汽車室内ニ在テ花牌ノ遊戯ヲ為ス、十二時就寝
十二月十一日 曇
 - 第33巻 p.55 -ページ画像 
午前七時半起床、衣服ヲ整ヘテ朝飧ヲ食ス、後読書ス、線路ノ両側ニ小邱起伏ス、唯樹木ナキヲ以テ光景寂莫ナリ、小邱ノ間時々牛馬ヲ飼育スルヲ見ル、終日特書スヘキノ記事ナク、小詩二三ヲ得ルニ止ル、午飧後モ同シク読書又ハ一行相談話シテ閑ヲ消ス、夜飧畢リテ相聚リテ遊戯ス、夜十二時就寝
十二月十二日 晴
午前八時起床ス、昨夜四時頃ヨリ汽車中途ニ停滞ス、蓋シ線路ニ破壊ノ処アリテ、前ノ貨物車脱線シテ路ヲ塞キタル為メナリト云フ、八時半朝飧シテ後日記ヲ編成ス、十時汽車ニテ髪ヲ理ス、十一時鉄路漸ク開通スルヲ以テ発車ス、路ニ貨車数輛、線路ニ沿イテ転覆スルヲ見ル鉄路ノ故障アリシ為メ、ロスアンゼルス到着予定ヨリ十時余ヲ遅引シ午前二時ニ至リテ漸ク無事ニ同市ニ達スルヲ得タリ、停車場ニハ大山領事始十数名ノ同胞来リ迎フ、相携ヘテ同地アレキサンドリヤ・ホテルニ投宿ス、二時半就寝ス
 当市ハ気候温暖ニシテ、冬期ノ避暑地《(寒)》ニ適応シ、且商工業モ繁盛ニシテ、近来住民殊ニ多キヲ加ヘ、ホテルノ構造モ頗ル壮大ニシテ、且美麗ナリ
十二月十三日 曇
午前七時起床、入浴シテ朝飧ヲ食ス、畢テ種々ノ来客アリ、新聞記者数名来リテ旅中ノ感想ヲ問ヘ且ツ撮影ヲ求メラル、午前十一時当地日本人会ノ案内ニテ、各処ノ名勝ヲ自働車ニ《(テ脱)》案内セラル、活動写真ノ原板製造ノ場処ヲ一覧ス、十二時半ホテルニ帰リ、当市商業会議所ニ於テ開催スル歓迎会ニ出席ス、来会者四五百名許リ、頗ル大会ナリ、食卓上司会者ノ歓迎詞ニ答ヘテ一場ノ演説ヲ為ス、畢テ日本人会ニ抵リ来会者ニ対シテ一場ノ挨拶ヲ為シ、更ニ倶楽部ニ抵リ、多数ノ来会者ニ向テ訓誡的演説ヲ為シ、五時過大山領事ノ官舎ニ於テ在留同胞ノ企望演説アリ、後晩飧ノ饗アリ、畢テ直ニ停車場ニ抵リ、桑港ニ向テ発車ス、車中牛島氏同乗シテ種々ノ談話アリ、夜十一時就寝
十二月十四日 晴
午前七時半起床、衣服ヲ整ヘテ直ニ朝飧ヲ食ス、昨夜来雨降リテ汽車線路ノ両沿ニ処々潦水ヲ見ル、午前十一時桑港着、停車場ニハ沼野領事ヲ首トシテ多数ノ同胞来リ迎フ、自働車ヲ馳セテヘヤモント・ホテルニ投宿ス、小憩後此ホテルニ於テ開催シタル日米関係委員招宴ニ出席ス、来会スル者十余名、皆客月十一日当地商業会議所ニ会同セシ人人ナリ、食卓上余ハ日米関係委員会ヲ日米両方ニ設立スルノ必要ト、東部旅行ニ付テノ感想ヲ演説シ、来客中ノ代表トシテアレキサンドル氏ノ答辞アリテ、午後三時散会ス、更ニ沼野・頭本及ガイ氏ト今夕ノ宴会ニ関スル協議ヲ為ス、畢テ本邦ヨリ到来セシ家書ヲ一読ス
午後六時半パレス・ホテルニ開催スル労働代表者ヲ招宴スル会席ニ出席ス、七時シヤーレンヘルグ氏以下七名来会ス、食卓上主賓各胸襟ヲ披キタル演説ヲ為シ、夜十一時半散会ス
 郷書数通ヲ落手シ、直ニ一読ス
十二月十五日 晴
午前七時起床、入浴シテ朝飧ヲ食ス、後在米日本人会書記長神崎氏及
 - 第33巻 p.56 -ページ画像 
桑港商業会議所ノ人々来リテ陳情スル所アリタリ、十時沼野領事来リ堀越・増田ト共ニ自働車ニテスタンホルド大学ニ抵ル、途上ノ光景松樹道ヲ夾ミテ故山ニ似タリ、十二時スタンホルドニ抵リ、市橋教授ノ案内ニテ校内各処ヲ一覧ス、一時ジヨルダン氏ノ居ヲ訪ヘテ、種々ノ談話ヲ為ス、博士夫妻迎ヘテ懇款至ラサル処ナシ、午飧中欧洲戦乱ノ事、又加州排日問題等ヲ談ス、三時辞シテ帰途ブイ氏ノ家ヲ訪フ、兼約アルニ依ル、家ハ樹木鬱叢ノ中ニアリ、穏雅愛スヘシ、茶菓ノ饗アリ、辞シ去リテ五時過帰宿、直ニ衣服ヲ改メテ牛島氏ノ宴会ニ赴ク、麦嶺ノ家ニ抵レハ、加州大学総長夫妻・沼野領事夫妻其他数名ノ来客アリ、設備意ヲ尽シ饗応鄭重ナリ、大学総長ト種々ノ談アリ、十二時帰宿
十二月十六日 晴
午前七時起床、入浴シテ朝飧ヲ食ス、後種々ノ来訪者ニ接見ス、中央農会・商業会議所ノ諸氏来会ス、又協賛株式会社ノ跡始末ニ付、沼野領事外数名来ル、午後一時金門公園ニ抵リ、萩原氏ノ茶店ニ於テ桑港日本人会ノ送別会饗宴アリ、萩原氏ノ経営ニナル日本風ノ庭園及神社等ヲ見ル、午後四時過帰宿、六時半衣服ヲ改メテ一ホテルニ抵リ、ダラ氏ノ開催セル日米人旅行ノ紀念会ニ出席ス、来会者男女十五名、各自旧情ヲ話シテ親交極メテ密ナリ、畢テガイ氏主催ノ接見会ニ出席ス来会ノ男女三百名許リナリ、茶ノ湯・生花ノ余興アリ、最後ニ余ハ留別ノ詞トシテ一場ノ演説ヲ為ス、十一時過散会帰宿ス
 此ノ日ノ接見会ハガイ氏ニ於テ周旋甚タ勉メ、来会者一同満足ノ色アリ、桑港有力ノ人士ハ多ク来会シ、余ヲ《(ノ)》演説ニ同意ヲ表ス
十二月十七日 雨
午前七時起床、入浴シテ朝飧ヲ食ス、後来客ニ接ス、大久保歯科医師ヲ訪フテ治療ヲ受ク、十二時小川亭ニ抵リ、各日本人ニテ当地滞在中種々ノ助力アリタル向三十有余名ヲ会シテ留別ノ宴ヲ開ク、食後一場ノ挨拶ヲ為シ、宴散シテ二三ノ揮毫ヲ為ス、午後四時過散会帰宿ス、六時沼野領事ノ家ニ抵リ、送別ノ饗宴ヲ受ク、食事畢リテ此ノ地ノ劇場ニ抵リ観劇ス、武・正・高梨・堀越氏等同行ス、夜十一時帰宿ス、後昨日来ノ書類ヲ一覧ス


竜門雑誌 第三三三号・第六六―六九頁大正五年二月 ○青淵先生米国旅行記(二) 随行員増田明六記(DK330004k-0002)
第33巻 p.56-58 ページ画像

竜門雑誌 第三三三号・第六六―六九頁大正五年二月
    ○青淵先生米国旅行記(二)
                 随行員 増田明六記
○上略
十一月三十日 火曜日 晴
 午前十時ボストン市発車、午後三時半紐育市に到着、多数日本人の出迎を受け、ビルトモーア・ホテルに於て小憩、夜中村総領事及在留日本人有志聯合晩餐会に出席、演説の後十二時帰宿せらる。
十二月一日 水曜日 晴
 午前ゼネラル・エレクトリツク電気会社々長コツフイン氏の来訪を受け、正午トイスレル博士催にかゝる国際病院評議員午餐会に出席、午後ゼームス・ヒル氏を訪問し、夜高峰博士主催米国実業家招待晩餐
 - 第33巻 p.57 -ページ画像 
会に出席、雄大なる演説を試みられたり、同晩餐会に列席せられたる同市実業家は、孰れも世界に著名なる人々のみにて、如此実業家を網羅したる晩餐会は、従来嘗て無き処なりと云ふ、博士が先生に対し如何に深き歓迎の意を表したる哉知るべきなり、列席者はセスロー、ロックフヱラー氏令息、シツフ、コツフイン、フオートの諸氏、外五十余名なり。
十二月二日 木曜日 晴
 午前中各方面よりの来訪者に接見し、正午正金銀行支店長一宮鈴太郎氏の催されたる同市銀行家招待午餐会に出席、午後紐育準備銀行総裁ストロング氏を訪問の後、ワナメーカー氏を訪問せられ、夜日本協会主催大歓迎晩餐会に列席せられたるが、来会者は五百余名にして、同協会が嘗て催されたる晩餐会中最も盛大なるものなりしと云ふ。
十二月三日 金曜日 晴
 午前アメリカン・インターナシヨナル・コーポレーシヨン副社長ストレート氏来訪、会談せられ、正午、前大統領ローズベルト氏邸に於ける午餐会に出席、夜は東西新聞社主催の紐育新聞記者招待晩餐会に出席せられたり。
十二月四日 土曜日 晴
 午前中各種の来訪者に接見し、正午ヷンダリツプ氏の招待に応じ、同氏邸に於て午餐の饗を受け、午後高峰博士邸に於てラレー氏と会談夜日本人会晩餐会に出席の後、大演説会に臨まれたり。
十二月五日 日曜日 晴
 午前十時グランド・ステーシヨン発車、午後五時二十分ワシントン市に到着、珍田大使其他日本大使館諸氏の出迎を受けられ、ニユー・ウイラード・ホテルに休憩の後、七時珍田大使の歓迎晩餐会に出席、十二時帰宿せらる。
十二月六日 月曜日 晴
 午前中来客に接見し、正午ホワイト・ハウスに於て大統領ウヰルソン氏に謁見せられ、次で国務卿を訪問の上帰宿せられ、午後一時自働車を馳りてマウント・バーノンに至り、故ワシントン将軍の墳墓に詣で、尚旧邸を拝観し、旧事を偲びて帰宿、午後七時よりトムソン大佐邸晩餐会に出席せられ、十二時帰宿せられたり。
十二月七日 火曜日 晴
 午前中在宿、書翰等を認められ、正午国会議事堂に於ける大統領の教書朗読式を傍聴し、午後一時半前駐日大使ブライアン氏邸に於ける午餐会に臨み、帰宿の上、午後七時より珍田大使の公式晩餐会に列席十二時帰宿せらる。
十二月八日 水曜日 晴
 午前中来客に接見し、正午カーネギー平和財団ワシントン支局長スコツト博士の午餐会に出席せられ、夜六時十五分珍田大使等の見送を受けワシントン停車場を発し、ローサンゼルスに向はる。
十二月九日 水曜日 晴
 午後二時シカゴ市停車場に到着、島津岬氏の出迎を受け、汽車乗換迄の時間を利用して、同氏の案内に依りて動物園を参観せられ、夫れ
 - 第33巻 p.58 -ページ画像 
より日本人基督青年会館《(教脱)》に到り、同氏令夫人の料理せられたる日本食の饗を受け、八時五分同停車場より再度乗車、ローサンゼルス市に向はれたり。
十二月十日 金曜日 晴
 終日汽車
十二月十一日 土曜日 晴
 終日汽車
十二月十二日 日曜日 晴
 午前四時ロツキー山腹クロジーア駅附近に於て、前方に進行せる貨物列車脱線したる為め、其復旧するまで七時間停車の後、十一時同駅を発す、午後十時パサデラ停車場に於て、大山副領事・牛島謹爾・金子真成の諸氏出迎同乗せらる。
十二月十三日 月曜日 晴
 午前一時半ローサンゼルスに到着、直にアレキサンドリア・ホテルに投宿せらる。
 午前大山副領事其他在留日本人の案内に依り、同市外ユニヷアサル市に於けるユニヴアサル・ヒルム会社に到り、活動写真製造の状況を巡覧し、正午商業会議所主催の歓迎午餐会に出席せられ、夜大山副領事邸に於ける晩餐会に列し、在留邦人より其従事する事業の概況を聴取し、八時十五分同地発汽車に搭乗して桑港に向け出発せられたり。
十二月十四日 火曜日 晴
 午前十一時桑港停車場に到着、直にフエアモント・ホテルに到り、休憩の暇も無く予て先生より招待し置きたる米国側日米関係委員諸氏と会して午餐を共にし、夜パレス・ホテルに加州労働派首領シヤーレンバーク氏外重なる人々を招待して晩餐会を催され、午後十二時帰宿せらる。
十二月十五日 水曜日 晴
 午前十時自働車を馳りてスタンフオード大学を参観し、正午総長ジヨルダン博士令夫人主催の午餐会に臨まれたるが、博士は病気療養中にも不拘席に列し、先生と種々意見を交換せられたり、帰途ブイ氏を訪問、茶菓の饗を受け、一先帰宿、夜牛島謹爾氏邸に於ける晩餐会に臨み、加州大学総長ホエラ氏と会談、午前一時帰宿せらる。
十二月十六日 木曜日 晴
 午前中在宿、来客に接見し、正午桑港日本人会の催に係はる午餐会に出席せられ、午後六時半明治四十一年日本に来遊したる米人観光団員中桑港に在住するものに依りて催されたる記念会に出席し、午後九時桑港日本協会に依りて催されたるレセプシヨンに臨み、午前一時帰宿せらる。
十二月十七日 金曜日 晴
 午前中来客に接見し、正午在留邦人三十余名を小川ホテルに招待して、告別午餐会を開かれ、夜は沼野領事邸に招かれて晩餐の饗を受けられたり。
○下略
 - 第33巻 p.59 -ページ画像 

東京朝日新聞 第一〇五五八号 大正四年一二月二日 渋沢男一行紐育着 三十日紐育特派員発(DK330004k-0003)
第33巻 p.59 ページ画像

東京朝日新聞 第一〇五五八号 大正四年一二月二日
    ○渋沢男一行紐育着 三十日紐育特派員発
渋沢男一行は、三十日午後ボストンより紐育に到着し、ホテル・ビルトモアに投宿せり


東京朝日新聞 第一〇五六一号 大正四年一二月五日 米国日本協会総会 三日紐育特派員発(DK330004k-0004)
第33巻 p.59 ページ画像

東京朝日新聞 第一〇五六一号 大正四年一二月五日
    ○米国日本協会総会 三日紐育特派員発
      ▽渋沢男招待
二日夜紐育のアスター・ホテルにて日本協会の定期総会を開き、渋沢男を招待し、珍田大使も華盛頓より来会し、珍田大使は其演説中に曰く、米人間の所謂排日感情なるものは、要するに米人が日本の事情に通ぜざるに基くものにして、予は少くも米人が日本人の米国を了解する半分丈なりとも日本を了解せんことを望むと、之に対し紐育商業会議所頭取セスロウ氏は、此目的を達する為に、日本協会等が斡旋して日本に米国留学生を送り、日本の真精神を研究せしむることを可とすと述べ、注意を惹きたり


東京朝日新聞 第一〇五六二号 大正四年一二月六日 日米親善努力 四日紐育特派員発(DK330004k-0005)
第33巻 p.59 ページ画像

東京朝日新聞 第一〇五六二号 大正四年一二月六日
    △日米親善努力 四日紐育特派員発
      ▽渋沢男米国記者懇親会
高峰及家永の両氏は、渋沢男の為に、三日夜紐育の重なる新聞雑誌記者・教育家等五十六名を招きて懇親会を開きたるが、ミラー氏(紐育タイムス記者)ヴイラード氏(ポスト紙記者)ジヨンソン氏(トリビユーン記者)コヘー氏(ヘラルド記者)アツポツト氏(アウトルツク記者)シヨウ氏(アメリカン・レヴユウ・オブ・レヴユウス記者)等何れも第一流の記者出席し、加州問題及支那問題を論じたり、列席者は何れも、加州に於ける日本人が差別的待遇を受くるは正当ならずとの意見に一致し、即ち移民の制限と在米日本人の取扱とは別問題として考ふべきものなるべしとの渋沢男の意見に賛成したり、席上ポスト紙記者ヴイラード氏は、米国の海軍の拡張は日米親善に重大の関係あるものなれば、寧ろ此費用の一部を以て太平洋会議を組織し、太平洋上の一島嶼に会合し、東洋対米国間の問題を討議研究するに若ずと述べたるが、之に対して適切なる国防は決して国交に障碍を及ぼすものにあらずとて、反対の議論を試むるものありて、為めに国防問題の喧しき折柄なれば大いに来会者の興味を喚起せり


東京朝日新聞 第一〇五六四号 大正四年一二月八日 ウ氏渋沢男歓迎 六日路透社紐育発(DK330004k-0006)
第33巻 p.59 ページ画像

東京朝日新聞 第一〇五六四号 大正四年一二月八日
    △ウ氏渋沢男歓迎 六日路透社紐育発
華盛頓来電==大統領ウヰルソン氏は渋沢男爵を歓迎し、且日米国交の親密なるに深く満足の意を表せり、男は更に国務卿ランシング氏を訪問せり、尚渋沢男歓迎の為めに多くの社交的会合催されたり


大阪朝日新聞 第一二一七四号 大正四年一二月一七日 南加州の渋沢男(DK330004k-0007)
第33巻 p.59-60 ページ画像

大阪朝日新聞 第一二一七四号 大正四年一二月一七日
    ○南加州の渋沢男
 - 第33巻 p.60 -ページ画像 
渋沢男は十三日朝南加州ロス・アンゼルス市着、同市商業会議所は歓迎午餐会をアレキサンドリア・ホテルに開催し、三百名の出席あり、ブアラ会頭の司会にて、オスボーン前会頭歓迎の辞を述ぶ、渋沢男の答辞は非常の喝采を博せり、午後同市日本人と会見し、大山副領事の晩餐会あり、男は十三日夜八時発にて桑港に向へり(桑港特電十三日発)


大阪朝日新聞 第一二一七四号 大正四年一二月一七日 渋沢男桑港着(DK330004k-0008)
第33巻 p.60 ページ画像

大阪朝日新聞 第一二一七四号 大正四年一二月一七日
    ○渋沢男桑港着
渋沢男は十四日正午桑港に着し、直に日米関係委員等を請待し午餐会を催せるが、ジヨルダン及ホエラー両博士以下の委員全部出席し、男は東洋に於ても同様なる委員を設けて日米親善の為努力すべきを語り種々の談話を交換せり、夜は桑港地方の労働党領袖十四名を請待し、晩餐会を催して懇談する所ありたり(桑港特電十四日発)


中外商業新報 第一〇六七六号 大正五年一月六日 ○ル氏と渋沢男の会談 日本移民を難し更に対支外交及戦後日米の位置を論ず(DK330004k-0009)
第33巻 p.60-61 ページ画像

中外商業新報 第一〇六七六号 大正五年一月六日
    ○ル氏と渋沢男の会談
      日本移民を難し更に対支外
      交及戦後日米の位置を論ず
 四日帰朝せる渋沢男が紐育滞在中、同地在住の高峰博士は男爵の為め同地朝野の名士を招き盛大なる迎接宴を開きたるが、当日招待せられたる前大統領ルーズベルト氏は止むなき差支の為め遂に参会するを得ざりしを遺憾とし、ル氏夫妻は渋沢男・高峰博士及同行の頭本元貞氏を其家庭に招き、最も打ち解けたる午餐会を催せり、客は前記三氏と外一米国紳士、主人側は主人夫妻及令嬢と、外に一米国紳士夫妻の九名のみにて、極て小集会なりしも、男爵今次の旅行中に於て最も愉快にして、又意味深き会合なりしと聞く、而して当日の会合は単に一夕の歓会に過ぎざりしとの事なるも、一方は日米親善の大使命を帯び、古稀を越ゆる老躯を提げて遥に米国を訪問せる我民間の代表的人物にして、一は大米国主義の権化にして、彼国武断派の代表的人物なり、此日此二大人物の間に交されたる談話の内容は不幸にして詳細を聞く能はざるも、ル氏のなせる談片を漏れ聞くに、ル氏は先づ
△日本移民問題 に就き、渋沢男が移民に対し人種的差別を設くるは人道上は勿論、日米親善の上に甚だしき障害なりと説かるゝも、這は米国の現状より見て同意し得ざるを遺憾とす、若し一度米国西海岸地方を視察し、日本移民の為め米国労働者が年々歳々其職業を奪はれつつある実情を見ば、何人と雖米国労働者の為め同情せざるものあらざる可し、従つて吾人が日本移民を制限せんとするは、決して日本国民を嫌悪するが為にあらず、実に同胞労働者の保護、換言すれば自衛上止を得ざるもの也、されば日本移民禁止を主張する米人と雖も、日本紳士の来遊又は移住に対しては、衷心より歓迎するものなる事を記憶せられたし、渋沢男にして地を代へ米人の立場より西海岸地方の実情を目睹せば、必ず余と同じく日本移民の制限を主張せらるゝ事ならん
 - 第33巻 p.61 -ページ画像 
と語り、更に
△日支交渉問題 に関しては、日本が露仏伊と提携して帝政延期を勧告せるは、明かに支那の内政に干渉するものにして、之を政治的理想より論ずれば、断じて可なりと言ふを得ざるも、政治は理想のみに依て運用せらるゝものにあらず、其一面に於て実際的方面を有するは、親しく責任の位置に立てる政治家の首肯する処なり、従て日支両国多年の関係より見て、此延期勧告は当然の事なりと信ず、但し斯く言へばとて、日本の対支外交の全体に対して悉く同意する者にあらずと述べ
△朝鮮統治の成績 に関しては、其の施設が極めて干渉的にして、消極的なるは、一般外国人の間に多少非議せらるゝも、余の見る処を以てせば、日本の朝鮮統治は確に成功なり、尤も之を日本人より見れば寺内総督の施設が万事に物足らざるの憾みあり、亦一方外人より見れば余りに苛政なりと云ふもある可し、然れども新領土の統治は局外の見るが如き単純なるものにあらずと賞揚し、一転して欧洲大戦乱後に於ける
△日米両国の位置 に言及し、渋沢男は戦後米国が増大したる政治的勢力と其財力とを以て、支那方面に其手足を伸張するに至らば、或は日本と利害衝突する如き事ある可しとなし、頗る其点に憂慮せらるゝ如きも、余は決して斯の如きは全く杞憂ならんと信ず、何となれば日本は其歴史的関係及其地理的関係より見るも、支那に対し優越せる勢力を有するは世界列強の認むる処にして、何国と雖、此勢力に対抗し得るものなし、即ち日本は将来東洋の盟主たるは米国の承認する処にして、之れと同時に日本も亦、米国が戦後其実力と地理的関係に於て将来南北米大陸及欧洲の盟主たるを承認し、互に其分野を守らんか、何処に利害の衝突あらんやと呵々大笑せりと、単に一座談に過ざるも隻語の裡彼の抱負の一端を窺ひ知るを得ん也


竜門雑誌 第三三二号・第一九―二一頁 大正五年一月 ○カーネギー・ホールに於て(DK330004k-0010)
第33巻 p.61-63 ページ画像

竜門雑誌 第三三二号・第一九―二一頁 大正五年一月
    ○カーネギー・ホールに於て
 本篇は青淵先生が十二月四日米国カーネギー・ホールに於ける演説の大意なりとて、同月十一日日米週報に掲載せるものなり(編者識)
△渡米の目的 今回渡米の目的は、既に新聞紙上にも発表せし事故、改めて説明する迄もなしと雖も、之を約言せば一私人としての旅行にして、大博の見物、旧友との温交、大戦後に於ける米国識者の意見聴取、日米実業家との親交、万国日曜学校大会の要件と云ふが如き目的を以て渡航せしものなるが、今日迄に於て略ぼ此等の予定事項を成就したりと信ず。
△戦後の日米関係 欧洲大戦乱は、世界の金融界並に商工業に著しき変化を来しつゝあるなり、而して此等の変動は米国及日本の現在並に将来に対し、又少なからぬ影響を来すべきを以て、余は此等の方面より米国有識者の意見を聴集し、且つ出来得る限り之を調査して、今後に於ける日米の関係をして益々親善ならしめ、以て世界の平和に貢献せしめんと欲す、即ち東西両洋の文明を調和し、世界人類の平安を齎
 - 第33巻 p.62 -ページ画像 
らすべき大使命は日米両国民の双肩にあるなり、余は此の一事に就き前大統領ルーズベルト氏と会見せし処、幸にして同一の意見を有し、同一の信念を抱き居るを以て、吾等二人は互に意思相投合する事を得たるは、余の最も痛快に感ずる処也。
△米国々勢の進歩 六年前に渡米せし当時と今日に於ける米国々勢の進歩とを比較すれば、実に驚くべき発展をなし居るを認む、即ち各地に於ける都市の発展、道路鉄道の新設、其他商工業の発達等、悉く驚くに堪へたり、然れども余は此等各種の物質的文明を通覧したればとて、殆んど得る処はなく、又役立つべきものあるを認めざるなり、さりながら米国に於ける政治・人情・宗教・教育等に関する事に就ては多少研究を重ねつゝあれば、帰朝後は此等の方面に於て大に実行したき冀望を有するに至れり。
△文明の背後に於ける原素 然るに米国の文明をして如斯大発展を遂げしめつゝある背後には、実に絶大なる威力たる一大原素ある事を知らざるべからず、余は此の原素に就き所感を述べて、在留同胞諸君の参考に供せんと欲す、有体に云へば米国市民は頗る卒直なり、元より此の卒直主義は時として誤解せらるゝ事あらんも(例へば或地方人が世界第一主義を吹聴して物笑の種となるが如きこと)彼等の精神には常に一定の信念ある事を認めざるべからず、余は此信念を称して米国文明の原素と称するなり。
△原素養成法 次に此等文明の原素を養成すべき方法としては、幾多の手段あるべし、即ち米国に於ては先づ基督教なり、然れど余は必ずしも基督教に限るとは云はざるべく、仏教可なり、儒教可なり、神道可なり、要之に人間には一種の信念信仰なくんば、何事も成就し能はざるべく、実に此信念を有するは即ち処世の第一義と云はざるべからず、彼の各自が職業を勉励し、之に科学的智識を加ふる事は最も必要の事なれども、人は之れのみを以て足れりと云ふ能はざるべし、何となればこの観念は、単に一私人的若しくは機械的の物たるに過ぎざるが為めのみ、即ち人には信念あるにあらずんば、人間たるの価値なければなり。
△万国日曜学校と日本 第八回目の万国日曜学校大会が、戦乱後我日本に於て開催せらるゝ事となり、吾等重立つ実業家・宗教家、又は大隈伯の如き政治家と協議して、教友会なる者を組織し、以て此の大会の下準備たらしめんと努めつゝあるなり、余は斯く云へばとて、直ちに基督教を日本に宣伝すべき事を奨励せんとする謂にはあらずして、日本をして世界的ならしむるには、単に経済貿易或は条約と云ふが如き提携のみに依つては、何となく物足らぬ感あるが為め、即ち各方面に於て、世界的関係を有せしむるに足るだけの素質ある事を天下に発表する手段として、万国日曜学校大会を日本に開催せしめんと欲するのみ。
△日本の宗教道徳と帰一協会 日本実業界は、明治維新の当時に於ては頗る幼稚なりしも、半世紀を出でずして今日の如く世界的地位に到達したるは、誠に喜ぶべき事なり、然れども其の当時に於ける我国の教育界は、主として政治方面のみに施されたる為、商業教育を受けた
 - 第33巻 p.63 -ページ画像 
る者すら尚ほ官界に投ぜんとせし傾向ありしなり。而して此等の教育は、主として智識的方面のみにして大に進歩発達せしと雖も、不幸にして道徳的教育に於ては矢張り幼稚なりき。即ち何等の信念を有せざりしが為め、人としても単に一個人たるの人以外に、社会あり、国家ある事を忘れたる有様にて、此等の教育は遂に真実なき教育として、社会の為にも亦国家のためにも殆んど役立たざりしなり、余は明治維新以来商業方面のみの道徳啓発に努力せしと雖も、今や其他各種の方面に於ても力を致さゞるべからざる事を信ずるに至れり、即ち帰一協会設立は正に此の精神に外ならず、これ社会的国家的信念を養ふと共に、又世界的信仰を涵養せんがためなり、故に二十世紀の日本人は、智識を磨き徳行を修め、其行動たるや、即ち君子は行ふに愧ぢずと云ふ信念を以て、国家的観念と共に又世界的理想を抱て、国運の隆盛を計らざるべからず、而して之を実現するには意志の鞏固を要すると共に、其行動たるや、必ず共同的の態度を保持せざるべからず、余は在米同胞諸君が此の目的を達せんがため、敢て世界列国民に比し遜色なき様努力あらん事を冀望して止まず。


渋沢栄一書翰 ジェームス・ディー・ローマン宛 一九一五年一二月一六日(DK330004k-0011)
第33巻 p.63-64 ページ画像

渋沢栄一書翰 ジェームス・ディー・ローマン宛 一九一五年一二月一六日
             (ジェームス・ディー・ローマン所蔵)
              (COPY)
             Fairmont Hotel,
           San Francisco, California.
                December 16th, 1915.
Mr. J. D. Lowman,
  820 Boren Avenue,
  Seattle, Washington.
My dear Mr. Lowman:
  I was so pleased to see your kind face and grip your warm hand again. It was an unexpected pleasure to meet you and Mrs. Lowman so early in my trip.
  Let me express my most heartfelt thanks for the kind and thoughtful way in which you arranged our programme in your city. I have never enjoyed my stay in any city more than in Seattle, where, as I told you then, I felt completely at home.
  I write you these few lines just to let you know that we have completed our arduous but fruitful trip without any mishap and that after all the feasting and dissipation I am still alive and in good spirits.
  I hardly need assure you that I leave these shores with renewed faith in the strength and depth of the sentiment of friendship which the great bulk of your people entertain for my nation.
  Please convey my best regards to Mr. and Mrs. Blaine and Mr. and Mrs. Treat. As old friends they will kindly ex
 - 第33巻 p.64 -ページ画像 
cuse my not writing them separately.
  With kindest regards to Mrs. Lowman and yourself,
            I remain,
              Yours very truly,
            (Signed) Eiichi Shibusawa.


渋沢栄一書翰 セオドル・ルーズヴェルト宛 一九一五年一二月一六日(DK330004k-0012)
第33巻 p.64 ページ画像

渋沢栄一書翰 セオドル・ルーズヴェルト宛 一九一五年一二月一六日
             (米、コングレス・ライブラリー所蔵)
              (COPY)
             Fairmont Hotel
              San Francisco
                    December 16th, 1915
Colonel Theodore Roosevelt,
  Oyster Bay,
  Long Island, N. Y.
My dear Colonel:―
  On the eve of my departure for home, I hasten to express to you my profound appreciation of the great honor you did me by inviting me to luncheon at your house. It was, indeed, a great privilege for me to be allowed to listen to your very instructive conversation on various questions of the highest importance.
  I am sending to you by express a package containing three rolls of pictures illustrating the more important incidents in the life of one of the greatest statesmen Japan has produced―Tokugawa Iyeyasu, the founder of the Shogunate Dynasty of Tokugawa. They are reprints of work by Tan-yu, one of our greatest masters. A limited number of copies were printed this year for private distribution in memory of the three hundredth anniversary of the great statesman's death. As a former retainer in the household of one of the descendants, I had charge of the celebration. Your kind acceptance of this trifling mark of the high respect I entertain toward you will be deeply appreciated.
  Thanking you again for your courtesy and with best regards to Mrs. Roosevelt and yourself,
          I remain,
            Yours very truly,
                  (Signed)
                Eiichi Shibusawa
P.S. The lacquered box for these rolls was not ready when I left Japan. I《(It)》 will be sent to you on my return home.


(セオドル・ルーズヴェルト)書翰控 渋沢栄一宛 一九一五年一二月三一日(DK330004k-0013)
第33巻 p.64-65 ページ画像

(セオドル・ルーズヴェルト)書翰控 渋沢栄一宛 一九一五年一二月三一日
           (米、コングレス・ライブラリー所蔵)
 - 第33巻 p.65 -ページ画像 
         (Letter Press copy)
                 December 31st, 1915.
My dear Baron Shibusawa,
  I have just received your most kind and courteous letter and the very beautiful New Year's gift, which Mrs. Roosevelt appreciates as much as I do. I beg you to believe that it was the greatest possible pleasure to have you at lunch at my house. I have long followed your work and as a matter of course have greatly admired it; and I trust you know that there is outside of Japan no more sincere well-wisher of Japan than I am.
               Sincerely yours,
        (Signed) THEODORE ROOSEVELT
Baron Shibusawa
  c/o The Japanese Embassy,
     Washington, D. C.