デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
3款 日米関係委員会
■綱文

第33巻 p.457-464(DK330034k) ページ画像

大正5年9月5日(1916年)

是日、当委員会及ビニュー・ヨーク日本協会協賛会主催、アメリカ合衆国鋼鉄会社取締役会長エルバート・エッチ・ゲーリー歓迎晩餐会、帝国ホテルニ開カル。栄一出席シ、主催者ヲ代表シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。


■資料

竜門雑誌 第三四〇号・第九七―一〇二頁 大正五年九月 △帝国ホテルに於ける歓迎会(DK330034k-0001)
第33巻 p.457-462 ページ画像

竜門雑誌 第三四〇号・第九七―一〇二頁 大正五年九月
△帝国ホテルに於ける歓迎会 日米関係委員会及紐育日本協会協賛会主催となり、九月五日午後六時半より、帝国ホテルにゲーリー氏を招持して盛大なる晩餐会を催せり、同七時善美を尽せる食堂を開かれ、宴酣なる頃、金子子爵は起ちてウイルソン大統領閣下の為め、又米国大使ガスリー氏は我天皇陛下の為め乾盃し、デザート・コースに入るや、青淵先生は主催者側を代表して懇切なる歓迎辞を述べ、之に対しゲーリー氏は答辞を兼ね、約四十分に亘りて左の如き大演説を試み、同十時食堂を閉ぢ、更に別室に於て主客歓談に時を移し、十時半散会せりといふ。
    ○ゲーリー氏の演説
 私は何等官職を帯びて玆に諸君の前に立つものでは厶いませぬ、併し私は合衆国民中過半の意見を代表し、之を正当に解釈するの能力ありと公言し得るもので厶ひます。今夕は宛も自国人に対すると同様に、何等腹蔵なく明白に卑見を陳べる積で厶います。其の陳べんとするところは、或は全般に渉り或は特に日米両国並に其の国民に関するものであります、而して卑見を陳ぶるに当り、日本語を用ふること能はざるは、私の深く遺憾とするところで厶います、私は海の彼方に在る我同胞より、諸君に対して懇篤にして友情ある敬礼を齎すもので厶ひます。我合衆国民は実に貴国の現状並に其の既に成功し又将に成功せんとする事業に対して、慶賀の意を表するものであります。
 貴国は進運隆々たる諸大国民の中に列し、而も正に其の前列に立てるものでありまして、其の実力其権威若くは其の活動の範囲に於て実に自ら以て誇とするに足るの地位に達したのであります。現に貴
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国が社会・政治・財政・工業・学術及び美術等各方面に於て成就したる発達の証左は、歴々として之を目撃することを得る有様で厶ひます。其の進歩の様は実に具眼の観察者をして、驚歎措く能はざらしむるのであります。殊に歎賞に勝へざるものは、国民挙て忠君愛国の念に強きことであります、而して其の結果の絶大なるは事実の証明するところであります。抑も真正の愛国心なるものは国威の発揚と国運の隆盛の為めに必要欠く可からざるものであります。故に他の諸国は皆競ふて日本人の無限の愛国心に感染せんことを力むべきであると思ひます。而して序ながら玆に一言致したきことは、凡そ権威と実力には必ず責任と義務が伴ふと云ふことであります。
 貴国が天然の美と人為の美(即美術)に秀づると同時に、貴国人が遠来の客に懇切なること、他に其の比を見ざる程であります。此等のものは一として貴重ならざるはないので厶ひますが、貴国人は之に比して更に一層貴重なるものを有せらるゝことを認めざるを得ないのであります。而も此を称するは決して彼を貶する所以ではありませぬ。況んや、私が貴国に参りました所以は、一面には其の風光を賞せんが為でありますが、又一面には貴国人と相接し、相交り相談し、貴国人の美点に対して敬意を払ひ、且重要なる事項に付て真面目に談論を試みんが為であります。要するに何等に依らず、凡そ人と談論を試みんとすれば、相互に胸襟を披いて談じなければ何等得るところがありませぬ。殊に今私が玆に談ぜんとする諸君は皆私の友人にして、且主義に於て私と利害を共にする人士であります。今や列国は歴史有て以来未だ曾て遭遇せざる、一大危機に際会して居ります、而して此世界的大戦の結果に付ては何人も之を予言するを得ないのであります。兎に角世界は現に戦争熱を以て満され、既に或は一の流行病と化せんとして居ります。此の時に当り、苟も具眼の士は各々其の思想の動機に注意して、此の恐るべき流行病に感染せざる様務めねばなりませぬ。
 私は貴国に対して深高なる友情と敬意を懐くものであります。故に例の日米衝突の説に付て一言するを禁じ得ないのであります、此の説は時々合衆国に於て発表されますが、日本に於ても恐らく同様ではありますまいか、本夕此処で集合されたる諸君並に私は、決して此の説に重きを置くものではありませぬ。併しながら此の説を全く度外視して、之に一顧も与へないのは、決して思慮ある態度ではありませぬ。之に対して大胆に且つ堂々と論議を闘はす方却て智者の行為であると思ひます。殊に思慮あり勢望あり、而も正なる感念に支配さる人士の間に在ては、最も其の必用を感ぜざるを得ないのであります。
 或は前述の様なる説は主戦論者並に無責任者の唱ふるところであつて事実に適合せざる説であると云ふ人があります。実際其の通りに相違ありませぬ。併しながら無責任者の煽動と虚説の為めに国際上の難問を生じ、遂に戦争の惨禍を惹起したる例は決して鮮少ではありませぬ。戦争は或は之を予防することは出来ませうが、一たび其の勃発するや、之を中止せしむることは極めて困難であります。蓋
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し災難の坂は降るに易く登るに難義なものであります。若し故《(マヽ)》に政権を有するものにして漫りに戦争を惹起し、若くは徒に戦争を永続せしむるものあらば、人類は必ず長く之を記憶して其の非を鳴らすこと疑を容れませぬ。
 右の如き次第でありますから、国際間の戦争に関する論議は仮令一見して馬鹿々々しきものと雖も、敢て之を一笑に附し去らす、真面目を以て事実に拠て其の誤謬を摘示することが必要であります。
 私は玆に諸君並に諸君を通じて日本国民全体に向て敢て断言致し度いことがあります、其は合衆国における実業家、即ち私が最も密接な関係を有する社会の人々は、現在に於ても又将来に於ても、日本と合衆国の間に何等の衝突の虞なきを確信すと云ふ事であります。此等の人士は両国の間に衝突を起さしめんとする者に対して、其の全力を尽して頑強に抵抗することは辞しませぬ。而して是れ実に米国民全般の態度であることは疑を容れませぬ。合衆国民が一般に此の如き態度を採ることに付ては固より幾多の理由があります。
 第一両国民の衝突すべき、何等正当の根拠を見出すことは出来ませぬ。識見を有する人は現に両国間に存在する親交を破るに付て、将来も正当の理由の生ずべきことを期することが出来ませぬ。
 次に我合衆国は其の人民の福祉を増進し、又其の関係ある邦国人民の利益を計る点に付て、日本と親交を保ち、其の協力を得ることが最も利益であると信じます。日本の如き大国の道義的勢力は世界の進運に至大の関係を有するが故に、我国は日本の側に立ちて其国運の発展に助力を与へ、之と同時に我国運の発展に対して、日本の助力を得んことを希望するものであります。斯くすることは万国の為めに利益であると信ずるものであります。
 第二に合衆国人は戦争に対しては其利己心に拠りて痛切に反対するものであります。吾人の信ずる所では戦争は勝利者を負かすものであると思ひます。即ち戦争は一国の富を減じ、其の人民の生命を損じ、其の土地を荒廃に帰せしめ、徒に民を塗炭の苦に陥らしめ、以て単に国家の進歩を阻止するのみならず、時に之を後退せしむるものであります。
 最後に日米両国の親交を永く持続するの必要に付き、経済上の理由があります。即ち金銭上の利益に基く理由であります。此の点に付ては若し来週火曜日昼餐の席上に於て一場の演説を試むる機会あらば、更に詳しく卑見を諸君に開陳する積りであります。
 我々亜米利加人は如何に日本が強からうが急速に進歩しやうが、決して嫉みも羨みもしません、日本が良い方に進歩するのなら、決して悪口は致しません。却つて其成功を褒めます。また何時たりとも具体的な援助が必要だとあらば、其も決して尻込みは致しません、時に或は日米開戦などといふ、忌はしい声を聞く事がありますが、是に就ては我々は次の真理を篤と味はねばならんと思ひます。
 第一、何人に限らず一人で以て何から何まで知つて居るといふ事は到底出来ません。
 第二、には誰でも少しも欠点の無いと云ふ人間は有りません。
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 第三、には如何な人間でも国家でも決して議論に間違がないとは限りません。
 御互に致しましても最初は正しいと思つた事でも、後になつて間違ひを発見する事はいくらも有りますが、どうも其を左様だと言ひ難いものであります、でありますから、個人間にせよ国家間にせよ、万一意見の一致しない事がありましたら、縦令其がどんな大事件にせよ、両方の当事者さへ正当な考へを備へて、少し我慢して分別をすれば、腕力などに訴へずとも、無事に解決のつく筈であります、成程日米間にも、現在にせよ或は是から先にせよ、随分意見の衝突といふ事は起り得ぬとも限りますまいが、時には先以て其問題を、唯今此処に御列席になつて居る様な方々の中の御幾人かと、其と同数の亜米利加人との間に於て、討論評議致しまするならば、結局は穏かに解決のつく事でありませう、さて其問題が解決致しました上で、之を当局者の手に委任致しましたならば、当局の方々も喜んで多数輿論の意見を実行せらるゝ事であらうと存じます。
 私の考へまするは、進んで此国際問題を研究するのは、日本と米国の有力なる実業家諸君の大なる任務と思ひます。特に忌はしい戦争汰沙などの聞ゆる時は、一層切実にさう思はれるのであります。若し此等の諸君が一致協力して事実の真相を説明し、何も知らぬ連中ががやがや騒ぐのを、納得の行くやうに言ひ聞かせるやう御尽力下さるならば、非常に有力なものになつて、一切の阻礙を取り去つて正当の結果を得る事が出来やうと思ひます。兎かく此等無智の連中が面倒を惹き起すのでありますが、其癖一旦事が起ると、一番先きに責任を免れやうとしたり、危険から逃げ出さうとするは此連中であります。私は呉々も日本なり米国の実業家の友人に向つて、此点に於て其義務を実行して貰うやうに飽くまで勧めるつもりであります。御同様国家に対して、忠君とか愛国とか申しましても、戦争を避けるように尽力して、之を口にも唱へ行にも実行する位、大きな忠君愛国は無いだらうと思ひます。また実業家は出来る丈け政府の仕事に参与するやうにならねばならぬものでありまして、或点から見れば、政府とは大きな実業団体とも言ふ事が出来ます。何となれば経済といふ事があらゆる問題の根底になつて居りまして、社会問題も財政や軍事の問題も、皆実業の発達なり進歩成功に由つて左右せらるゝのであります。
 孰れの国家にもせよ、平和が長く続けばこそ着々進歩発達する事も出来、富源を開拓利用する事も出来、又国民の教育・健康・道徳・富力・兵力も向上するのでありますから、国家に取りては此平和の持続といふ事が、一番大切で、是あるが為めに、其国家を堅固にして濫りに他国から不条理に攻撃さるゝやうな事の無いやうになるのであります。従つて国民も安楽と福祉を享ける事が出来ます。
 所が日本といひ合衆国といひ、孰れも目下非常に繁栄もし成功もして居るばかりでなく、尚ほ此の先き益々進歩発達するのは分り切つて居るのでありますから、何も今更好んで戦争などを始めて、折角是迄に築き上げた、地位や評判を引下げるやうな事があらうとは、
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どうしても考へられません、私の此の考は決して間違なからうと固く信じて居ます。何故なれは戦争をすれば我が合衆国の損失と不幸を招くばかりで、何の利益も無い事であります、しかのみならず、日米両国民の大多数は互に非常に親密な友情を懐いて居りまして、何時までも此の良関係が続くやうにと願つて居るのでありますから決して例の煽動政治家や或は何れか為にする所ある野心家の術策に乗るやうな事は、万一無からうと考へます。成程どちらの国にも皆が火事の無いやうに無いやうにと一生懸命で用心をして居る最中に、却つて松火で火を放けて歩くやうな、不心得の奴が居ないとも限りません、いや現に随分居りますが、斯のやうな奴は実に唾棄すべき厄介者であります。所が玆にまたも一つ別の国民がありまして、自分等が何か為にする所あると見え、又々日本と米国との意見の衝突を喜んで見物して居ないとも限りません、もし果してさうとすれば、是は我々の友人でも無くまた人道の友でもありません。
 而かし玆に一つ御断り致し置きたいのは、私は前のやうに申上げたとて、是が非でも飽くまで平和を主張するのだなどゝ御考へになつても困りますし、又他国から不条理に侵撃せられても、防禦が不足だもんだからあんな事をいつてるのだなどと、誤解せられても困ります。決してさういふ訳ではありません。私は妥協も可し、相談も可し、討論も可し、又相当の理屈があつて実行の出来る事なら譲歩しても可し、或又名誉も失はず権利も害はれない事なら、成る可く戦争も避けるが可いと考へますが、然し苟も一つの国家をなす以上他国から不条理に攻撃されたなら何時でも防戦する丈の軍備はして置かなければならず、又かゝる場合には国力を賭しても最後まで戦はなければならぬものだと考へます。然しながら我が合衆国が現に取り居る主義政策に対しては、孰れの国からも不条理に攻撃を加へらるゝ心配はない筈で、別して日本から攻撃さるゝ様な事は断じてないものと固く信じて居ります。此二国は互に提携して世界の公益の為めに尽さうといふ希望があつて、実際其丈の事は出来ると思ひますが、一面又、米国は米国、日本は日本で、国家としても箇人としても各々其の由るべき道を取つて、互に犯さず、犯されず、何処までも名誉と公平を以て進んで行くべきであらうと考へます。
 私は従来まだ斯んなに腹蔵なく思ふ事を存分に御話した事はありません、其といふは、畢竟動ともすれば面倒が起る恐れがあるからであります、然しながら是まで申上げた色々の事柄が嘘であれかし、事実とならぬ様にと熱心のあまり思ひ切つて申上げた次第であります。何んでも自分が是は大切の事だと思つて居る問題は直接膝をつき合はせて率直に議論するに限ると思ひます。現に先般渋沢男爵が、合衆国を訪問された節にも熱心に言葉を強めて日本人は合衆国に対して友誼的な感情を持つて居ることを演説致されましたが、聴衆は大に満足して余程良い影響かありました。私はどうか斯んな訪問は幾度も繰り返され、また今少し沢山に日本から代表者が御出になることを希望致します。我々は何時にても歓迎を申上げるのみならず皆様が御出下されば、双方の間に一層親密の度を加へる事と存じま
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す。御承知の通り我々二国は地球の反対に在つて各々一方に土地と勢力を占めて居ります。勿論我々の面積なり人口は全世界より比較していへばほんの一小部分に過ぎぬのでありますが、又ある点よりいへば我々は頗る有力だとも言ふ事が出来ます。其で若し我々二国が上帝より特に我々に授けられたる手段を最も高尚有益な目的に使用するとせば、国際間の平衡を調節推持すべき勢力となつて人類社会全体の為めに尽す事が出来ないものでありませうか、恐らく我々両国は天から或る重大なる使命を受けて居るだらうと思ひます、即ち我々が今迄想つて居たよりも一層広くて大きい世界の事件に就いて、責任を帯ぶるの名誉を持つて居りますまいかと存じます。其で若し我々両国が此の高尚な理想を共にして協力して活動するとすれば、二国間の兄弟関係は尚ほ一層鞏固になる事と存じます。
 今日此処に諸君のやうな日本に於ても有数な方々がかく多数御列席下さつたといふ、此の事が既に諸君に於ても大体私が只今申し上げた結論に御同意下された事を証拠立てゝ居ります、何となれば、不肖自分の如き者をかく鄭重に御招き下されたといふも、畢竟自分が合衆国の一民であるからでありませう、従来屡々起つた相互の思ひ違ひや誤解を避くる為には、何卒此のやうに自分を通じて米国人に就いて、諸君が懐抱せらるゝ御意見なり、御希望なりを、遠慮なく御申聞けあらん事を願ひます。諸君の寛厚にして而も誠実なる御友誼は、必らす我が米国人の胸底にも反応する事と存じます。
 私は至極簡短に申上げましたから、通訳なしでは御分りにならぬ方方にも、左程御迷惑を懸けなかつたらうと存じます、尤も言葉は簡短でありましても、其中には無限の意味と満腔の熱誠が籠つて居りますから、宜く御酌量を願ひます、私は仕合せにも好い機会に参上致しまして、かゝる御集りの席で我が米国人多数の真の希望と目的とを述べる事が出来たのは返へす返へすも満悦に存じます。
 終りに臨み敬んで日本皇帝陛下の為めに万歳と聖福とを祝し度いと存じます。願くは陛下には御盛徳弥々高くましまして、玉体益々御健康に渡らせられ、永く此の世界に比類なき国家の忠誠と敬慕とを享け賜ひ、また其国家は賢明なる陛下の善政と一心同体の臣民の愛護とに由りて、更に国光を宣揚して、何等阻礙も蹉躓もなく、名誉と成功の絶頂に達せんことを偏に希望致す次第であります。


中外商業新報 第一〇九二一号 大正五年九月五日 ○鋼鉄王の入京 箱根から自働車を馳らす 茅ケ崎では相撲見物(DK330034k-0002)
第33巻 p.462-463 ページ画像

中外商業新報 第一〇九二一号 大正五年九月五日
    ○鋼鉄王の入京
      箱根から自働車を馳らす
      茅ケ崎では相撲見物
七月廿四日横浜に立ち寄つて直馬尼剌へ出発した米国の鋼鉄王ゲエリー氏夫妻は、フレザー秘書官、上海支店主任のフレデレツ・サイト及び通訳佐野廉蔵氏の外男女各一名の僕婢を伴ふて再び日本を訪問し、各地を経て四日の夜八時東京に着いた
△其旅館なる帝国ホテルを訪へば、ゲエリー氏は途中の疲労甚だしき為め食堂にも出でず、自分だけは部屋で食事を済ませ直に就寝した
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といふので面会出来ず、佐野通訳の語る所に依れば、同日宮の下を出発したのが正午頃、途中小田原なる益田孝氏の別荘に招かれ、三井物産の重立つた人々や瓜生男の夫妻等十二名と共に昼餐の饗応を受け、食後山県老公を訪問して三十分間ばかり会談の後、記念の撮影をして午後四時同地出発
△国府津から 初は汽車に乗る予定であつたが、自動車が好きなのと途中の風景を賞するに便なるを思ひ急に変更して自動車にし、茅ケ崎では相撲があつたので夫妻は態々車を留めたが、人数も少く面白くないから、二円懸賞の五人抜きをやらせると忽ち活気付いたので、夫妻の喜びは一方でなく、之が為め東京着が三十分も遅れた、道路が案外に好いのと平沼・藤沢の間で富士の姿を充分に見ることの出来たのは此旅行に
△一層の快味 を加へて、朝鮮では京城ホテルに泊つたが、其構造設備万端行届いて実際東洋第一であると嘆称し、尚ほ朝鮮は改良進歩の跡著しく、之全く日本に合併したる結果で、朝鮮の為めには非常の幸福であると言ひ、下の関へ来て春帆楼に日清談判当時の写真を見て喜んだ、馬尼剌滞在の一週間は毎日百十度以上の暑熱で、北京でも随分暑気は酷かつたが、下の関へ着くと俄に蘇生したやうであつた、其れから宮島を見物し、京都に着いたのが卅日の朝で
△三日の滞在 中奈良の法隆寺や桃山御陵参拝、住吉の久原房之助氏邸の招待に応じなどして、夫人は高島屋で絹物三百円余の買物をしたゲエリー氏は已に七十一歳の高齢であるが、夫人はまだ四十歳を超えたばかりで、身辺の装飾も頗る華美に、一個五十万弗もする首飾を所持して居るが、今日はダイヤモンドの別の首飾で数十万円のものを着けて居た、手提などには常に何百万弗の貨幣や貴重なる装飾品が入れてあるので、旅館に着くと直に金庫へ預けるのださうである、猶同氏滞京中の歓迎日程は左の如くである
 △五日 正午渋沢男爵邸午餐会△同夜日米関係委員会紐育日本協会協賛会両会主催歓迎晩餐会、場所帝国ホテル(同夜ゲーリー夫人は帝劇へ案内のこと)
 △六日 三井男爵邸午餐会△同夜東京市民有志者主催歓迎会、場所上野精養軒
 △七日より十日夜まで 日光見物
 △十一日正午 大隈首相邸午餐会△同夜浅野総一郎氏邸晩餐会
 △十二日正午 東京商業会議所主催午餐会(夫人は三越呉服店見物)
 △同夜石井外相主催送別会
 △十三日は横浜滞在、十四日ヱンプレス・オブ・ルシア号にて帰米


中外商業新報 第一〇九二二号 大正五年九月六日 ○鋼鉄王招待晩餐会 ゲーリー氏日米開戦説を駁す(DK330034k-0003)
第33巻 p.463-464 ページ画像

中外商業新報 第一〇九二二号 大正五年九月六日
    ○鋼鉄王招待晩餐会
      ゲーリー氏日米開戦説を駁す
紐育日本協会協賛会長渋沢男及日米関係委員の中野武営氏等発起となり、四日入京せる米国鋼鉄会社長ゲーリー氏を五日午後六時半より帝国ホテルに招待、盛大なる晩餐会を催せり、同七時善美を尽せる食堂
 - 第33巻 p.464 -ページ画像 
開かれ、宴酣にして、金子子はウイルソン大統領の為め、又米国大使グリン氏は我陛下の為め乾杯し、デザート・コースに入るや、渋沢男は主催側を代表し懇切なる歓迎の辞を述べ、之に対しゲーリー氏は答辞の意味に於て約四十分に亘り左の大演説を試み、同十時食堂を閉じ、更に別室に於て主客歓談裡に十時半散会せり、当夜の出席者左の如し(着席順)
 米国大使、高橋男、大谷嘉兵衛、倉知鉄吉、シヤーケー、永井松三 福井菊三郎、星野錫、服部金太郎、安田善三郎、松方巌、アーネル金子子、新渡戸稲造、中村巍、野崎広太、フライシヤー、小野英二郎、杉原栄三郎、団琢磨、江木翼、頭本元貞、奥田義人、早川千吉郎、佐々木勇之助、渡辺専次郎、松井広吉、村井吉兵衛、宮岡恒次郎、ウエルス、添田寿一、中野武営、大倉男、井上準之助、浅野総一郎、池田鎌三、増田明六、堀越善重郎、串田万蔵、フレーサー、三井男、瓜生男、藤山雷太
○下略
   ○本章第五節所収「其他ノ外国人接待」同日ノ条参照。