デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
3款 日米関係委員会
■綱文

第33巻 p.471-472(DK330038k) ページ画像

大正6年7月5日(1917年)

是日、当委員会及ビニュー・ヨーク日本協会協賛会主催遣米特命全権大使子爵石井菊次郎及ビベルギー駐箚特命全権公使安達峰一郎送別晩餐会、日本橋倶楽部ニ開カル。栄一主催者ヲ代表シテ開会ノ辞ヲ述ブ。尚、是ヨリ先六月三十日日本倶楽部主催両氏招待午餐会同倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。七月六日日米協会主催石井大使送別会東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。次イデ十九日栄一、飛鳥山邸ニ同大使招待午餐会ヲ催ス。


■資料

集会日時通知表 大正六年(DK330038k-0001)
第33巻 p.471 ページ画像

集会日時通知表 大正六年        (渋沢子爵家所蔵)
六月三十日 土 正午  石井子、安達峰一郎両氏招待午餐会
           (日本クラブ)
   ○中略。
七月六日  金 午後七時半 日米協会主催石井遣米大使送別会(銀行クラブ)
              燕尾服
   ○中略。
七月十九日 木 午前十一時 石井遣米大使招待会(飛鳥山邸)


竜門雑誌 第三五〇号・第一二八―一二九頁大正六年七月 ○石井大使安達公使送別会(DK330038k-0002)
第33巻 p.471-472 ページ画像

竜門雑誌 第三五〇号・第一二八―一二九頁大正六年七月
○石井大使安達公使送別会 七月五日日米関係委員会及び日本協会協賛会主催の下に、石井遣米特派大使及随員並に安達白耳義公使の送別会を日本橋倶楽部に開けり。来賓は
 石井特命全権大使 随員菅野陸軍少将 永井外務書記官 安東海軍少佐 谷川陸軍少佐(竹下海軍中将及今井副領事は事故差支不参)安達特命全権公使
にして、陪賓には
 中村外務通商局長 小幡外務政務局長 川上清氏(目下桑港より来朝中)
又主人側としては前者の
 堀越善重郎 添田寿一 頭本元貞 中野武営 近藤廉平男 浅野総一郎 阪谷芳郎男 志村源太郎 青淵先生
の諸氏及び後者の
 飯田義一 池田謙三 大谷嘉兵衛 高橋是清男 村井吉兵衛 小野英二郎 福井菊三郎
 - 第33巻 p.472 -ページ画像 
の諸氏及増田明六氏等にして、午後六時余興ありて後、主客一同宴席に著くや、青淵先生は両会を代表して一場の挨拶あり、大概、石井大使の米国に特派せらるゝ効果の多大なるべきは、多年日米両国の親善に努力しつゝある両会の深く期待する所にして、同時に大使今回の労の大なるべきを謝し、又安達公使の白耳義駐箚に対しては、欧洲大戦の折柄別して多大の配慮あるべきを察し、偏に公使の尽力に信頼するもの也とて其健康を祝され、尚ほ不日出立の両君と大使随員各位、並に従来両会と常に同一目的の下に尽力せられつゝある川上清氏とを一堂に招待することを得たるは、両会の光栄とする所なりとて、簡単に招待の意味を述べられたるに対し、石井大使は、両会より斯く鄭重なる招待を被りたるは、我々一同の衷心より感謝する所にして、且つ日米親善の為め多年一日の如く尽力せらるゝ両会の代表者たる青淵先生の御尽力は、余の在官当時より常に感謝しつゝある処にして、余も亦日米両国の親善に関しては、将来引続きて努力すべきに就き、此機会に於て一言御承知を請置きたしとの答辞あり、それより宴に移りて、其散会せるは午後十時なりきと云ふ。


(阪谷芳郎) 日米関係委員会日記 大正六年(DK330038k-0003)
第33巻 p.472 ページ画像

(阪谷芳郎) 日米関係委員会日記 大正六年
                   (阪谷子爵家所蔵)
  六、七、一九 王子渋沢邸、石井子爵渡米ニ付会談ス


(阪谷芳郎) 大日本平和協会日記 大正六年(DK330038k-0004)
第33巻 p.472 ページ画像

(阪谷芳郎) 大日本平和協会日記 大正六年
                   (阪谷子爵家所蔵)
七月十九日王子邸ニテ石井子ト日米関係談アリ、渋沢・添田・頭本・中野・堀越・余ナリ