デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
3款 日米関係委員会
■綱文

第33巻 p.498-500(DK330056k) ページ画像

大正8年12月7日(1919年)

是日栄一、麹町区永田町首相官邸ニ催サレタル、内閣総理大臣原敬主催当委員会会員招待会ニ出席シ、席上明年催サルベキ日米関係委員協議会ニ関シテ当局ノ援助ヲ求ム。


■資料

(阪谷芳郎)日米関係委員会日記 大正八年(DK330056k-0001)
第33巻 p.498 ページ画像

(阪谷芳郎)日米関係委員会日記 大正八年
                  (阪谷子爵家所蔵)
 八、一二、七 原首相邸晩餐、相談同上○有力米人招待ノ件、原・高橋・田中・渋沢・金子・井上・梶原・串田・近藤・目賀田・添田・阪谷・堀越


竜門雑誌 第三七九号・第四八―四九頁大正八年一二月 ○日米関係委員招待会(DK330056k-0002)
第33巻 p.498-499 ページ画像

竜門雑誌 第三七九号・第四八―四九頁大正八年一二月
○日米関係委員招待会 原首相は、十二月七日午後五時半より永田町首相官邸に日米関係委員諸氏を招待し、日米問題に関し懇談せられたる由なるが、先づ原首相より、日米国交上の諸問題に就て、平素其利害得失を研究せられつゝある各位より、此際充分意見を吐露して、以て将来日米国交の親善に資せられんことを請ふと述べ、次に青淵先生は起ちて述べて曰く、
 日米関係委員会なる者は、大正四年予の渡米せる際桑港に於て組織せられ、両国々交に貢献せんことを目的とせる者なるが、日本に於ても予が帰朝早々之を組織して加盟者約二十四五名を有す、爾来両会は互に声息を通じ、時々勃発し来る案件に関し、意見の交換を為し、相提携して日米親善の為に竭し来りたるが、今春四月米国より
 - 第33巻 p.499 -ページ画像 
アレキサンダー、リンチの両氏来朝せる際、来春四月両国関係者の協議会を東京に開き、外交経済其他万般に亘る事項に就き、隔意なく意見の交換を為し度しとの申出でありたるが、対独講和外交開始以来、日米の親善兎角旧の如くならず、勿論双方に誤解あるが為めならんも、面白からぬ感情の生起を禁ずる能はざるものあるを以て予等亦之れに賛成せるが、帰米せる両氏よりは更に来春二月下旬より三月初旬にかけて滞在日数約三週間の予定にて来朝す可く、人員は排日の本場なる加州より五・六名、又東部よりも略々同数を出し総てにて約十四・五名に達する見込なりとの通知ありたるが、抑も如斯き挙は単に我々両国の有志のみが会見協議するも何等効果あるものに非らず、両国当局者の諒解と援助あるに於て、初めて現実的に成果を見得可きものなるを以て、予め当局の諒解と援助を求むる事と為し、終に本日の招待会と為りたる次第にて、幸ひ原首相・田中陸相・高橋蔵相及外務当局の賛成を得る事となりたるは、実に欣幸に堪へざる処なり、願くは来春の会合に依りて排日問題・山東問題等の解決に幾分貢献せんことを期する者なり
とて、日米関係委員会設立の経過及国際協議会に付て報告せられ、原首相再び起ちて「政府に於ても応分の努力を為す方針なり」と言明し次いて金子子爵・目賀田男爵・阪谷男爵等交々意見を開陳し、終て食堂に移り、午後九時半散会せりと云ふ。


中外商業新報 第一二一〇六号大正八年一二月八日 ○日米親善協議 原首相招待会(DK330056k-0003)
第33巻 p.499-500 ページ画像

中外商業新報 第一二一〇六号大正八年一二月八日
    ○日米親善協議
      原首相招待会
原首相は、七日午後五時半より日米関係有力者渋沢栄一男・金子堅太郎子・目賀田種太郎男・阪谷芳郎男・近藤廉平男・井上準之助・堀越善重郎・串田万蔵・梶原仲治・添田寿一の諸氏を招待し
 △晩餐会を催 したるが、主人側よりは首相以下高橋蔵相・田中陸相・埴原外務次官・高橋翰長、児玉・原・山田三秘書官列席、定刻に入るや先づ原首相起ちて
 日米両国の親善を図る為め、日米両国有志間に日米関係委員会なるもの組織せられ、其第一着手の事業として来春東京に於て両国委員会合し、協議会を開催する趣を主唱者の一人たる渋沢男より承はりたるが、政府に於ても大に其趣旨に賛同し、此機会に於て諸君と懇談したきを以て、今夕御招待したる次第なり
と簡単なる挨拶あり、次で渋沢男は
 大正四年米国に渡航せし際、桑港にて米国有力者と談合の上、日米間の親善に資せんと日米関係委員会を組織したるが、帰来日本に於ても同志と共に之を設け、米国に在る二十四・五名の会員と共に声息を通じ意見交換を為し、常に両国間に起る各種問題に就ても相談し或は打合せを為し来れるが、今春会員アレキサンダー、リンチ氏来朝の際、来春日本にて双方の会員会合し、時事問題、両国間の国際問題等に関し協議会を開かんとの相談を受け、略ぼ先方の希望の如く纏まりたるを以て、其旨を原首相にも通じたるに非常に賛成の
 - 第33巻 p.500 -ページ画像 
意を表せられ、政府に於ても能ふ限りの援助を為すべき由を述べられたるが、之等の為め特に首相に請ふて今夕招待を見たる者なり
とて、当初より今日迄の経過に関し
 △詳細の説明 あり、夫より原首相・金子、阪谷・目賀田の諸氏よりも種々の希望及び意見等の開陳あり、同九時散会したるが、結局米国側の希望の如く、日米両国委員会協議会は来春二月下旬より三月に亘り約三週間乃至四週間の予定を以て東京にて開会するに決したり、其協議事項の内容は未だ何等決定し居るにあらざるも、両国の親睦を期する目的たる以上、両国に蟠まる総ての問題を協議せんとするものたれば、米国上院問題即ち青島問題・加州問題等
 △当面の時局 問題も当然其議題となるが如く、而して其協議の結果如何によりて、或は米国側委員は米国政府に、帝国委員は帝国政府に、夫々意見を具陳し、以て両国間の繋争問題を解決せんとする由なり、尚ほ米国側の参列委員は加州より代表的人物として六名、東部各州より五名、即ち十三名《(マヽ)》に達すべしと、因に当日招待に列せし諸氏にして、目賀田男を除きたる以外は全部同委員なりと