デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
3款 日米関係委員会
■綱文

第34巻 p.146-169(DK340022k) ページ画像

大正13年3月3日(1924年)

是ヨリ先一日、当委員会小委員会開カレ、栄一出席ス。引続キ是日、小委員会麹町区八重洲町渋沢
 - 第34巻 p.147 -ページ画像 
事務所ニ開カレ、栄一出席シテアメリカ合衆国ヘ使節派遣ノ件ニツキ協議ス。尚栄一、コノ件ニツキ是日午後及ビ翌四日、内閣総理大臣清浦奎吾ヲ其官邸ニ訪フ。十七日、外務省ニ外務大臣松井慶四郎ヲ訪問シ、其意見ニヨリ使節派遣ノコトヲ止ム。


■資料

集会日時通知表 大正一三年(DK340022k-0001)
第34巻 p.147 ページ画像

集会日時通知表  大正一三年       (渋沢子爵家所蔵)
三月一日 土 午前十時 日米関係委員会小委員会(事務所)


(阪谷芳郎) 日米関係委員会日記 大正一三年(DK340022k-0002)
第34巻 p.147 ページ画像

(阪谷芳郎) 日米関係委員会日記  大正一三年
                     (阪谷子爵家所蔵)
   三月一日 渋沢事務所ニテ一月十七日付ギユーリツク来状(宗教家ノ会合ニテ高等委員ノ代リニ研究委員決議云々)ニ付相談 渋沢・金子・頭本・阪谷


日米関係委員会集会記事摘要(DK340022k-0003)
第34巻 p.147 ページ画像

日米関係委員会集会記事摘要       (渋沢子爵家所蔵)
 日米関係委員会小委員会、大正十三年三月一日、於渋沢事務所開催
  出席者
  渋沢子爵・金子子爵・阪谷男爵・頭本氏 幹事 小畑
金子子爵 自働車に故障起りし為め遅刻して相済みませぬ、実は外務大臣よりも書面ありし故、是非渋沢子爵に御相談申上け度き希望なりき、外務大臣よりの書面には、総理大臣及閣僚と協議せし結果、人を米国に派遣することに決したれば、小生に相談し度きに付上京を請ふといふにありき
本日の協議会を本月三日まで延期することゝなれり


日米関係委員会往復書類(一)(DK340022k-0004)
第34巻 p.147 ページ画像

日米関係委員会往復書類(一)      (渋沢子爵家所蔵)
(写)
拝啓、時下益御清適奉賀候、然ハ日米問題ニ関シ本日御会合願上候処御差支ノ方多数ノ為メ、更ニ来三日午前十一時八重洲町一ノ一渋沢事務所ニ御再会相願候事ニ相成候間、乍御迷惑御繰リ合ハセ尊来希上申候 敬具
  大正十三年三月一日
                      渋沢栄一
    金子・阪谷・頭本・山田・藤山・団 殿
  乍御手数、御諾否同封端書ニテ御回示願上候
             (別筆)
             添田氏ハ旅行中ニ付発送セズ


集会日時通知表 大正一三年(DK340022k-0005)
第34巻 p.147 ページ画像

集会日時通知表  大正一三年      (渋沢子爵家所蔵)
三月三日 月 午前十一時 日米関係委員会小委員会(事務所)
       午後四―五時 清浦首相ヲ御訪問(同官邸)
三月四日 火 午後三時 清浦首相ヲ官邸ニ御訪問

 - 第34巻 p.148 -ページ画像 

(阪谷芳郎)日米関係委員会日記 大正一三年(DK340022k-0006)
第34巻 p.148 ページ画像

(阪谷芳郎)日米関係委員会日記  大正一三年
                     (阪谷子爵家所蔵)
   三月三日 渋沢事務所ニテ渋沢・金子・団・阪谷・頭本相談、金子氏渡米ノ件ヲ談ス、四日渋沢・阪谷ト清浦首相松井外相ト首相邸ニ会見、前件ヲ談ス、首相・外相ハ民間ノ人ヲ可トス、余及渋沢ハ再考ヲ求メテ去ル


日米関係委員会集会記事摘要(DK340022k-0007)
第34巻 p.148-149 ページ画像

日米関係委員会集会記事摘要        (渋沢子爵家題蔵)
 大正十三年三月三日午前十一時、於渋沢事務所、日米関係委員会小委員会(一日の小委員会の継続)開催
  出席者
  渋沢子爵・金子子爵・阪谷男爵・団博士・山田博士・頭本氏
  幹事 小畑氏
渋沢子爵座長 松井外務大臣は此際米国に使者を派遣する事に決せし旨予に告げられたり
金子子爵 予は枢密院の末席を穢し居る故に、愈渡米とあれば勅許を得るの必要あり、方々面倒《(旁)》なれば遣米使の問題は予を抜きにして考慮せられたし、ヒューズ国務卿が大に尽力する所ありたれば、政府としては埴原大使を通じて同卿に礼を述べられたるべきも、此際日本国民を代表して同卿に謝意を表すべきと思ふ
阪谷男爵 単に答礼使として渡米するならば、必ずしも第一流の人物ならざるべからずとの必要なかるべく、之に反して先方の大人物と折衝する目的ならば、金子子爵若くは渋沢子爵の格にある人物の派遣を必要とす
団博士 政府が使者を派遣するといふには、相当の目的あることなるべし
渋沢子爵 政府側に於ても別に確たる方針を有する訳ではなく、唯適任者があれば派遣すべし位の所なるべし、即ち使者が米国に於て余り強く出られても却つて事を敗る恐あるべく、去ればといふて弱く出られては効能少かるべしなどゝ懸念せらるゝが如し
頭本氏 政府の意向は日米関係委員会が切りに催促するが故に、人を派遣すべしといふ位の所ならん
山田博士 頭本君の言はるゝ所蓋し適解ならん
金子子爵 ポーツマス条約締結の際にも、外務省が使者を派遣する事を躊躇して、愈派遣と決定して後も種々の条件を附せようとせしが予は一切之を排して無条件にて渡米することゝなれり、若し政府の内意を帯びて我日米関係委員会が人を派遣するにしても、斯る態度にて出馬すべきと思ふ
渋沢子爵 吾々六人の申合せとして左の如く決しては如何、即ち従来の関係上金子子爵を派遣せらるゝことを第一案とし、答礼使派遣を第二案とすること、然し万一当局が之に反対なる時は如何なる方法に出づへきか
山田博士 以上の二案に対して当局の反対を見る時は、最後の一案と
 - 第34巻 p.149 -ページ画像 
して渋沢子爵の御出馬を願ふより外に道なかるべし、予としては子爵の御老体を気遣ふ故に此る案の成立を希望せざるものなり、唯止むを得ざる場合に処せんとするのみなり


渋沢栄一書翰 控 金子堅太郎宛 大正一三年三月六日(DK340022k-0008)
第34巻 p.149 ページ画像

渋沢栄一書翰 控  金子堅太郎宛 大正一三年三月六日 (渋沢子爵家所蔵〉
(太字ハ朱書)
大正十三年三月六日付子爵金子堅太郎氏宛総長親書ノ写
拝啓、益御清適奉賀候、然者過日来種々御厚配被下候米国派遣員之義ニ付而ハ、小生本月三日を以て総理大臣を訪問し概況を開陳いたし、更に翌四日松井外相も会同にて阪谷男と共に二時間ニ近き凝議を為し至急決定して老閣下派出相成候様と両人より切実に進言致候も、兎角米国之当局者又ハ我駐米大使ニ気兼之様子にて、確乎たる意見之補捉すへきもの無之、再考を約して引取候次第ニ候、依而又昨日他之公事にて首相外相共ニ会見いたし候間催促ニおよひ候へとも、考案中と申事にて今以決定ニ致らす、煩悶此事ニ御座候、就而ハ可相成ハ老閣よりも此際一応御督促被成下度候、昨日或る新聞紙ニハ小生等首相会見之際、渋沢も此使命を忌避するものニあらすと申趣意ニ記載有之候へとも、小生ハ首相外相との談話ニハ、此使命ハ実ニ老閣ニ適任にして小生言語不通之者当るへからさる事ハ再三申述候義に御坐候、蓋し新聞紙ニハ何か謬見誤聞有之事と存候、右為念一言申上置候
右ハ爾来之状況書中申上度如此御座候 敬具
  三月六日                渋沢栄一
    金子老閣 侍曹


(金子堅太郎)書翰 渋沢栄一宛 大正一三年三月一一日(DK340022k-0009)
第34巻 p.149 ページ画像

(金子堅太郎)書翰  渋沢栄一宛 大正一三年三月一一日
                     (渋沢子爵家所蔵)
  三白、近日米大使ニ御面会有之候由ニ付、其節同大使之此意見を小生より漏したる事ハ御開陳無之、只貴台之胸中ニ留め置きて十分御協議相成度候
拝啓、先日之御懇書拝読、御高見一々御同感ニ御座候、実ハ昨日米国大使ニ面会し縷々愚見を開陳致候末、米大使も此際特派員を送る事ハ大体賛成ニ有之、但し米国政府より希望する様ニ而は不宜、全く日本政府又ハ日本側之協会又は有志家之発意に出ることヽし、十分外務省之諒解得て政府よりも援助する事必要と存する旨被申候、依而直ニ御面話可致と存居候処、其節大使之談ニ依れハ昨今風邪ニ而御臥床之由又小生も帰荘を急く要務有之、旁以乍略儀以書面右申上候、何れ両三日之内出京、親しく開陳可致候、先は要用而已匆々 敬具
                    堅太郎
  三月十一日
    渋沢子爵閣下
  尚以此大使之意見は他ニ御口外無之候様御願申上候、尤阪谷男一人ニは御伝言被下度候


(シドニー・エル・ギューリック)書翰 渋沢栄一宛 一九二四年一月一五日(DK340022k-0010)
第34巻 p.149-151 ページ画像

(シドニー・エル・ギューリック)書翰  渋沢栄一宛 一九二四年一月一五日
                     (渋沢子爵家所蔵)
 - 第34巻 p.150 -ページ画像 
     FEDERAL COUNCIL OF THE CHURCHES
        OF CHRIST IN AMERICA
   NATIONAL OFFICES, 612 UNITED CHARITIES BUILDING,
       105 EAST 22d STREET, NEW YORK
                  January 15th, 1924.
My dear Viscount : -
  Your letter of introduction brought by Mr. Takayanagi was delivered a few days ago. I was very glad indeed to meet him and to hear of the excellent success he has already secured in arranging for contributions of books by American libraries and associations for the Imperial University of Tokyo.
  I received a few days ago a cablegram from Mr. Frederick Moore in the Foreign Office, inquiring about probabilities of anti Japanese legislation in Congress. I have written him briefly and reported to him the cablegrams which I sent to you, in reply to yours to me.
  I hope that it will not be inconvenient for you to let him see copies of those cablegrams.
  I think there is very little danger of anti Japanese legislation in Congress this session, in as much as there are other matters of such pressing importance to be taken up. I doubt very much if time will be given to the discussion of a new comprehensive immigration law. The probabilities are that the present immigration law will merely be extended.
  With the best of wishes, I am,
            Very cordially yours,
             (Signed) Sidney L. Gulick
                   Secretary.
Viscount Shibusawa,
  Marunouchi, Tokyo,
  Japan.
(右訳文)
          (栄一墨書)
          三月四日一覧、他之来状をも参考して回答案取調之事
 東京市                  (二月五日入手)明六
  渋沢子爵閣下     紐育、一九二四年一月十五日
               シドニー・エル・ギユーリツク
拝啓、高柳氏持参の紹介状数日前正に落掌仕候、同氏の話によれば米国の諸図書館並に諸協会より東京帝国大学宛寄贈さるべき図書の手配首尾よく運び居候由にて御同慶の至に奉存候
数日前外務省のフレデリツク・モーア氏より、排日法案は今議会に提出さるゝ見込ありや否やに就き、電報を以て照会有之候に付、先般閣下より同様の御問合に接したる折、御返電致置候旨簡単に返書差出置候に付ては、御迷惑とは存候得共、右電文の写を同氏へ御示し被下度願上候
 - 第34巻 p.151 -ページ画像 
今議会には重要なる諸問題他に多数有之により、排日法案の提出さるべき模様は先づ無之候、小生は新規移民法も討議に附せらる間敷と相考へ、先づ現行移民法を継続することと可相成と存候
右御返事旁々得貴意候 敬具


(シドニー・エル・ギューリック)書翰 渋沢栄一宛 一九二四年一月一七日(DK340022k-0011)
第34巻 p.151-153 ページ画像

(シドニー・エル・ギューリック)書翰  渋沢栄一宛 一九二四年一月一七日
                     (渋沢子爵家所蔵)
    FEDERAL COUNCIL OF THE CHURCHES
        OF CHRIST IN AMERICA
  NATIONAL OFFICES, 612 UNITED CHARITIES BUILDING,
      105 EAST 22d STREET, NEW YORK
                 January 17th, 1924.
My dear Viscount Shibusawa : ―
  Your favor of December 31st is to hand this morning. Your replies to my letters are always so prompt that there is no need for apologies.
  You have no doubt been wondering what became of the plan for the conference with Judge Gary, Mr. Taft, Mr. Vanderlip and Mr. Wickersham. I have tried several times to bring it to pass but the extraordinary pressure of duties on these gentlemen and their frequent absence from the city has made it impossible thus far.
  Have I reported to you the action wich I secured at the annual meeting of the Executive Committee of the Federal Council of the Churches with regard to the question of a joint high commission? In view of all the circumstances, it seemed more likely to succeed if we should not use that name, and therefore changing the name somewhat, the following resolution was passed.
  "We realize that the awakening of Asia and her rapid acquisition of important elements of Occidental civilization inaugurates a new era in world-history in which Asia is to play a new and increasingly important role. Whether that role shall be one of peace, goodwill and mutual cooperation, or one controlled by increasing suspicion and fear between the East and the West, will depend largely on the attitude of the Western nations themselves, and especially of the United States. It has seemed to many of our citizens who have become familiar with the question raised by this more intimate and ever-increasing contact with the Orient that the United States might well adopt a more adequate Oriental policy.
  "We therefore respectfully request our Government to establish a Commission to study afresh the whole question of the relations of America with China and with Japan, empowered to confer with corresponding Commissions established by the
 - 第34巻 p.152 -ページ画像 
Governments of these countries on all matters mutually deemed advisable. "
  I hope soon to have a meeting of the Executive Committee of our National Committee on American-Japanese Relations, at which time I am hoping we will adopt a new platform.
  With continued good wishes for your health and strength, I am,
             Cordially yours,
            (Signed) Sidney L. Gulick
                   Secretary
Viscount Shibusawa,
  No, 1 Yaesucho 1 Chome,
  Kojimachiku, Tokyo.
(右訳文)
                (別筆)
                 ニユーヨーク関係委員
                 三月三日回答済
          (栄一鉛筆)
          此来信は重要問題ニ付近日関係委員会を開催して金子子爵外可成多数会同之上篤と協議すへき事
 東京市                (二月十五日入手)明六
  渋沢子爵閣下     紐育、一九二四年一月十七日
               シドニー・エル・ギユーリツク
拝啓、十二月卅一日附貴翰正に落手仕候、御返事は常に早速頂き居候間、別に御詫を戴くまでの事無之候
ジヤツヂ・ゲリー、タフト、ヴアンダーリツプ、ウヰツカーシヤムの諸氏と協議相催候件、其後の成行につきては定而御懸念被遊候事と存候、小生は屡々右開催を試みんと致候得共、前記諸氏が無拠事故又は旅行せられ候等の為今日迄実現に至らず延引に及び居候
聯合高等委員の問題に関し、教会聯合会の実行委員例会の席上に於て小生等の取りし方針につき御報告申上候、即ち諸方面の情況を考慮する時は、聯合高等委員なる名称を用ゐざる方却つて好都合と存候に付幾分其名称を変更し左の通り決議致候
「亜細亜の諸国が覚醒して西欧文明の重要なる要素を速に摂取しつゝあるは、世界の史上に一新紀元を劃するものにして、益々重要なる新役割を演ずるに至るべきを吾人は信ず。而して其活劇が平和・親善及協力の為に貢献するに至るべきや、将又東西両岸の猜疑と恐怖とを増進するに至るべきやは、一に西欧諸国特に米国の態度如何によつて決せらるゝものなり、東洋人と次第に親密なる接触を為せることによりて東洋の事情を知るものにとりては、米国は更に適当なる東洋政策を取るべきものなりと考へらる
依而我々は米支・米日の国交関係を新に調査すべき委員を日支両国と協同にて各別に任命し、相互に必要と考へらるべき凡有問題を協議すべき権能を附与すべき事を米国政府に建言す」
小生は近く米日関係全国委員会の実行委員会を開き、新運動を開始可
 - 第34巻 p.153 -ページ画像 
致所存に御座候
終に臨み閣下の御健康を祈上候 敬具
    (別筆)
    我ハ米国ニ特種ノ関係アリ、即在米同胞ニ関スル件、国民ニ関スル件ハ支那ニハ関係ナシ


(シドニー・エル・ギューリック)書翰 渋沢栄一宛 一九二四年二月一一日(DK340022k-0012)
第34巻 p.153-154 ページ画像

(シドニー・エル・ギューリック)書翰 渋沢栄一宛 一九二四年二月一一日
                     (渋沢子爵家所蔵)
      FEDERAL COUNCIL OF THE CHURCHES
         OF CHRIST IN AMERICA
    NATIONAL OFFICES, 612 UNITED CHARITIES BUILDING,
      105 EAST 22d S REET, NEW YORK
                 February 11, 1924.
Viscount Shibusawa,
  Tokyo, Japan.
My dear Viscount :
  You are no doubt watching with keen interest telegraphic reports that must now be going to Japan relative to Mr. Johnson's bill on immigration recently reported to the House.
  You will be interested, I am sure, in knowing that the National Committee on American Japanese Relations had a meeting the very day that the bill was introduced and took strong action in a resolution and provided for a letter to be sent to every member of Congress.
  The Administrative Committee of the Federal Council on Friday, February 8, also passed an important resolution dealing with the proposed legislation, and on Saturday the ninth we sent it with a covering letter to every member of Congress. I am enclosing copies of both of these resolutions and covering letter.
  I feel pretty well assured that there is little chance of the bill passing in its present form, especially as important Republican leaders are said to be opposed to it this year as its enactment might have serious effects on the presidential election next November.
              Cordially yours,
             (Signed) Sidney L. Gulick
                   Secretary
(右訳文)
                   (栄一鉛筆)
                   三月二十七日一覧
 東京                   (三月十日入手)
  渋沢子爵殿   紐育、一九二四年二月十一日
            幹事 シドニー・エル・ギユーリツク
拝啓
最近米国議会に提出せられたるジヨンソン氏の法律案に関する電報に就ては、定而多大の興味を以て観察せられ居る事と存候
 - 第34巻 p.154 -ページ画像 
紐育米日関係委員会に於いては、同法案の提出せられたる日に会合を催し、強硬なる意味の決議を提起したる外、議会の各議員に対して発送すべき書状を起草致候
米国基督教会聯合会実行委員会に於いても二月八日該法案に関する重要なる決議を為し、翌九日議会の各議員に対し右決議文に書状を添へて発送致候、来十一月の大統領の選挙に対して重大なる関係ありとして、主なる共和党の領袖は本法案に反対を表明致居り候に付、該法案は原案の儘にては通過の見込無之と確信罷在候 敬具
  ○決議文写ハ次ニ収ム。


紐育日米関係委員会往復(一)(DK340022k-0013)
第34巻 p.154-155 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

紐育日米関係委員会往復(一)(DK340022k-0014)
第34巻 p.155-158 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

渋沢栄一電報控 ジョージ・ダブリュー・ウィカシャム宛 一九二四年三月二日(DK340022k-0015)
第34巻 p.158-159 ページ画像

渋沢栄一電報控 ジョージ・ダブリュー・ウィカシャム宛 一九二四年三月二日
                   (渋沢子爵家所蔵)
                   March 2, 1924.
 - 第34巻 p.159 -ページ画像 
George Wickersham, Newyork.
Japanese American Relations Committee of Tokyo warmly appreciates fair and courageous stand your committee has taken concerning the immigration bill. Your letter to Congressmen and Senators has been widely reproduced here and created most excellent impression We earnestly bespeak your continued vigilance.
                      Shibusawa
(右訳文)
    ジョージ・ウイッカーシャム殿
東京日米関係委員会は、移民法案に関し貴委員会の執られたる公平にして勇気ある態度を深く感謝す、上下両議員に送られたる貴下の書状は、広く吾国に於ても発表せられ極而良好なる感情を惹起せり、猶ほ引続き御注意を御願申上ぐ
                         渋沢


(ジョージ・ダブリュー・ウィカシャム)書翰 渋沢栄一宛 一九二四年三月三日(DK340022k-0016)
第34巻 p.159-160 ページ画像

(ジョージ・ダブリュー・ウィカシャム)書翰  渋沢栄一宛 一九二四年三月三日
                    (渋沢子爵家所蔵)
                       40 Wall Street
                          New York
                     March 3, 1924.
His Excellency,
  The Viscount Shibusawa,
    Tokyo, Japan.
My dear Viscount:
  I have today a wireless message from you reading as follows:
  …
  I presume you have been advised of the attitude which Secretary of State Hughes has taken in seconding most vigorously the position which our Committee took in regard to the Immigration Bill. It is impossible to tell yet what action Congress will take, but our Committee is doing everything in its power to call to the attention of Congress proper objections to the bill. I enclose a copy of the letter which we have sent to every member of both Houses of Congress as well as to the President and Secretary of State, which sets forth the attitude of our Committee.
  With kindest regards, my dear Viscount, I am,
             Faithfully yours,
            (Signed) Geo. W. Wickersham
GWW-B
(右訳文)
                 (栄一墨筆)
                 (四月二十五日一覧
 - 第34巻 p.160 -ページ画像 
 東京市                 (三月廿六日入手)
  渋沢子爵閣下      紐育、一九二四年三月三日
                ジョージ・ウヰッカーシャム
拝啓
三月二日附の貴電本日左の通り拝誦仕候
  ○前掲電文ノ写ニ付略ス。
移民法案に関し吾委員の執れる態度を極めて強く援助したるヒューズ国務長官の態度に就ては、已に報道に接せられたる事と存候、今日の処議会は如何なる行動に出づるや予め申上げ兼ぬるも、我委員は全力を尽して該法案に反対すべき様議員の注意を促し居候、我委員の態度を表明し、両院議員、大統領及国務卿に発せる書状の写を玆許同封致置候、右御返事旁得貴意候 敬具
 註、書状写はギューリック博士よりの書面中にも封入せられ、已に翻訳済にて御提出申上候に付一言申上候(小畑)


(シドニー・エル・ギューリック)書翰 渋沢栄一宛 一九二四年三月二五日(DK340022k-0017)
第34巻 p.160-161 ページ画像

(シドニー・エル・ギューリック)書翰  渋沢栄一宛 一九二四年三月二五日
                    (渋沢子爵家所蔵)
         NATIONAL COMMITTEE
              ON
        AMERICAN JAPANESE RELATIONS
         287 FOURTH AVE. , NEW YORK.
                     March 25, 1924.
Viscount Shibusawa,
  No. 1 Yaesucho Itchome,
  Kojimachiku, Tokyo, Japan.
My dear Viscount Shibusawa:
  …
  The points you make in your letter will, of course, be given consideration, and you may rest assured that we shall do everything possible to secure a fresh study of the Japanese problem.
  I must confess, however, that the approaching elections, together with the growing demand in the Pacific Coast States for legislation by Congress that will absolutely stop the coming of further Japanese for permanent residence in the United States, do not present a very hopeful outlook at the present.
  If the Japanese Government could only see its way to adjusting the laws relative to dual citizenship, at once, and to stopping of its own accord the further coming of wives and children to the United States, the probabilities of successful procedure would be greatly increased.
  As I said when I was in Japan, so long as the laws of dual citizenship remain as they are, there will be continuous agitation for changing our federal Constitution in such a way as to deny American citizenship to "aliens ineligible for
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citizenship"
  There is no immediate danger of such a proposal being carried through, but the agitation will continue and the local State Legislatures will continue to devise repressive local legislation because they believe that by so doing they will help to stop further immigration of Japanese to this country.
  You will be interested in knowing that the speeches of Mr. McClatchy, Attorney General Webb and former Senator Phelan did not make very favorable impressions upon the Senate Immigration Committee. I confidently expect that the outcome will show that that Californian delegation was defeated.
  With kind personal regards to my many friends,
         I am, as ever,
           Very cordially yours,
            (Signed) Sidney L. Gulick
                  Secretary.
(右訳文)
                   (栄一鉛筆)
                   五月五日一覧
・東京市 (四月十八日入手)
  子爵渋沢栄一殿     紐育、一九二四年三月廿五日
                シドニー・エル・ギユーリツク
○中略
御申越の諸点に対しては充分考慮可致、小生は将来とも日本人問題講究の為に能ふ限り尽力可仕所存に御座候間、御安心被下度候
永住の目的を以て米国に入国する日本人を絶対に阻止すへき法律を議会に於て通過せんとの希望は、太平洋沿岸地方に於て益々有力となり居るの事情は、来るへき大統領選挙と相俟つて、今日の所日本移民問題に対して面白からざる形勢を示し居候
若し日本政府に於て今日速に二重国籍法を改正すると共に、日本人の妻や子が米国に入国するを自発的に禁止する事と相成候はゞ、吾等の目的達成の見込は次第に其曙光を認め可得と存候
小生の日本滞在中に申上候通り、二重国籍が従来通り存在する限り、吾国に於ては、憲法の改正を行ひて所謂「市民権なき外国人」なる名称の下に、米国市民たる権利を拒否せんとの議論止まざるへく候
此る提案が今直ちに通過するの憂は無之候共、今後とも論争は絶ゆる事なく、州議会は抑圧的法律を通過せんが為に究々たるへく候、何となれば、彼等は如此せば我国に日本移民の入国するを阻止し得へしと信じ居るが故に御座候
マクラツチー氏、検事総長ウエブ氏、元上院議員フヒーラン氏等の演説は上院の移民委員に対し良好なる感動を与へ不申候
小生は加州議員は結局敗北に終るなるへしと確信罷在候
乍末筆御友人諸氏に宜敷御伝声被下度候 敬具
  ○右ハ三月三日付栄一書翰ニ対スル返書ナリ。

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渋沢栄一書翰 控 シドニー・エル・ギューリック宛 大正一三年三月一五日(DK340022k-0018)
第34巻 p.162 ページ画像

渋沢栄一書翰 控  シドニー・エル・ギューリック宛 大正一三年三月一五日
                     (渋沢子爵家所蔵)
          (別筆)
          国籍法中二重国籍に関する改正案の件
               大正十三年三月八日御一覧
          三月十五日回答済
      案
 紐育市東第二十二街一〇五
  シドニー・エル・ギユーリツク博士殿
                    東京
                      渋沢栄一
拝啓、益御清適奉賀候、然ば頃日来貴国両議会の問題となれる合衆国移民法案、特に日本移民に関する法案に関し、ウヰツカーシヤム博士等と共にジヨンソン案の通過を阻止せん為め御尽力之由、新聞紙上にて承知致し、感佩罷在候
我政府は去る一月三十一日付を以て第四十八議会に対し
 「国籍法第二十四条第一項中「前六条」ヲ「第十九条・第二十条・第二十一条乃至第二十三条」ニ改正ス」
との議案を提出せられ候、而して第二十四条第一項の規定は
 「満十七年以上ノ男子ハ、前六条ノ規定ニ拘ハラズ、既ニ陸海軍ノ現役ニ服シタルトキ又ハ之ニ服スル義務ナキトキニ非サレハ、日本ノ国籍ヲ失ハス」
といふに有之候間「第二十条ノ二」の規定即ち
 「外国ニ於テ生マレタルニ因リテ、其国ノ国籍ヲ取得シタル日本人ガ、其国ニ住所ヲ有スルトキハ、内務大臣ノ許可ヲ得テ、日本ノ国籍ノ離脱ヲ為スコトヲ得」
との条項は、第二十四条第一項の特別規定に関係なきものとなりて、米国出生の日本系男女に適用せらるゝことゝ相成り候故、彼等は何時なりとも国籍を離脱し得る次第に有之候
当局に於ては、右案の通過を熱心に希望致居候処、不幸にして右案提出の当日議会解散せられ候為め、右案も其儘と相成候も、次回の通常議会に於ては必ず通過致候ことゝ存候、而して本案通過の暁には、貴台の予而御厚配被下候我邦国籍法中二重国籍規定の改正実現致候義にて、延ては老生等が年来懸念致居候加州日本人問題中の一大難問を解決し得ることゝ可相成と期待致候
右遷延ながら御通知申上候 敬具
  ○本款大正十二年六月二十一日ノ条参照。


東京朝日新聞 第一三五六〇号 大正一三年三月五日 排日法案の意見交換 渋沢子と阪谷男、首相・外相と会見(DK340022k-0019)
第34巻 p.162-163 ページ画像

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東京朝日新聞 第一三五六一号 大正一三年三月六日 排日案緩和の為 渋沢子の渡米を首相・外相から懇望 但し子は金子子を推薦す(DK340022k-0020)
第34巻 p.163-164 ページ画像

東京朝日新聞  第一三五六一号 大正一三年三月六日
  排日案緩和の為
    渋沢子の渡米を首相・外相から懇望
      但し子は金子子を推薦す
米国排日問題の緩和策につき渋沢子爵は三日清浦首相を訪問したが、更に四日も阪谷男と共に首相官邸に於て首相・松井外相と会見懇談した、米国では移民法が委員附託となつて委員会に於てジヨンス氏の修正案に就いて調査中であるが、何分にも
移民法は 本年六月三十日迄の期間であるから此の期間中には何とか解決せねばならぬ、又日本としても此の期間内に公平なる移民法が締結されなかつたならば、日本移民問題は憂ふべき結果に終るのであるから、政府としては法理上且は国際条約に於ける日本の主張等に就ては埴原駐米大使をして其機宜の処置を取らしむると同時に、経済的方面から渋沢子の渡米を希望し、米国政界の裏面に非常なる潜勢力ある紐育・シカゴ等の大実業家と子爵と親交あるを以て、此の方面から国際情誼の上に於て十分意志の疏通を計り
表裏両面 より融和策を講ぜんとするのである、渋沢子は
 自分が渡米して果して日本移民問題と云ふ重大案の解決に多少でも効果があると当局が信ずるなら、自分は老躯を提げ健康の許す限り渡米するも敢て辞する処でないが、移民問題は法理上国際条約に関する問題であるから、十分語学に精通し法理に通暁した人を派遣する事が必要である、此の意味に於て日米協会会長である金子堅太郎子爵を煩はしては如何
との意を洩らしたが、政府としては移民問題に対する公式の交渉は
埴原大使が 駐在して居るから、更に内地から此の方面の人物を渡米
 - 第34巻 p.164 -ページ画像 
さするは屋上屋を架するの嫌ひあるからとて、飽迄渋沢子の渡米を懇望した、其結果一両日中に渋沢子は首相及び外相と会見何等かの決定をなす筈であるといふ


読売新聞 第一六八七一号 大正一三年三月九日 御奉公納めに渡米するか 排日緩和の大任を負うて渋沢子(DK340022k-0021)
第34巻 p.164 ページ画像

読売新聞  第一六八七一号 大正一三年三月九日
    御奉公納めに渡米するか
      排日緩和の大任を負うて渋沢子
在米同胞に対し差別待遇をなさんとの目的から加州に於ける土地禁止法案、日本人系米国市民より市民権を剥奪するを目的とする憲法改正問題、及び目下ワシントンに於て論議されて居る移民禁止問題等については、在米同胞は勿論日本当局並に日米両国識者間に於て考慮せられて居るが、渋沢栄一氏等を中心とせる日米関係委員会に於ても、此問題の解決は単に両国政府の折衝に一任するのみでなく、国民相互の諒解がなければ円満なる解決は望まれぬとの見解から、過般来これが代表として渋沢子は屡清浦首相・松井外相等と懇談し、民間有力者を渡米せしめ親しく米国官民との意志の疎通をはかることを当局に献言して居るが、清浦首相は其の趣旨には賛成なるも、米国には埴原大使の駐在するあり、更に政府諒解の下に国使を派遣するとの誤解を受けるが如き事あらば反つて問題の紛糾を招く惧なしとせず、故に其の人選には慎重の考慮を要するとの意味に於て、渋沢子を適任として推薦して居るが、渋沢子は語る
 清浦首相は私に行けとの事であるが、今回はどうも適任ではないと思はれる、たとへは国務卿あたりと話合ふ際でも通訳附であると話がかたくなつて困る、かたい話ならば全権大使がやつてくれるから別に心配はないので、自分とすれば何も外交向きの話をするのではなく、単に交歓を交へるといふのであるから自由に言葉の使へるものがよいので、此意味で私は金子堅太郎を推したのだが、首相はお前行けと言つて居る訳だ、いづれは誰かにきまるだらうが、私でもよいとなれば何処で死んでもよい体だから御奉公納めに出かけてもよいと思つて居る


渋沢栄一書翰 控 金子堅太郎宛 大正一三年三月一七日(DK340022k-0022)
第34巻 p.164-165 ページ画像

渋沢栄一書翰 控  金子堅太郎宛 大正一三年三月一七日  (渋沢子爵家所蔵)
(太字ハ朱書)
大正十三年三月十七日金子堅太郎氏宛総長親書ノ写
本月十一日付尊翰拝読、爾来高閣益御清適之条奉賀候、然者来示米国移民問題ニ付而ハ其後米大使にも御会見御談話之次第拝承仕候、小生等も我政府之意向如何と翹望致居候処、今日松井外相より電話にて阪谷・団両氏と共に本省へ出頭種々意見交換致候へとも、要ハ埴原大使最近之電報にて、此際特使派遣之事ハ公私共ニ事体を紛糾せしむる虞有之候ニ付見合せ候事として、米国大統領選挙相済候まてハ可成平静に致候方可然と相考候旨懇々被申聞、電報写をも被相示、且此事ハ総理大臣とも再三内話之趣被申聞候、依而阪谷・団両氏ともに色々之意見も陳述候得共、既に内閣之意志決定之上ハ致方も無之様相考候間、三人とも遺憾なから其意を領して退席仕候も、右に付てハ老閣ヘハ尚外相よりも何等御通信有之候哉とも相考候も不取敢此段報告仕候、御
 - 第34巻 p.165 -ページ画像 
諒承被下度候、猶小生ハ数日前より病気快方出勤仕居候に付、両三日中ニ米大使訪問いたし其意向夫となく聞合せ可申と存候、右ハ近況申上度匆々如此ニ御座候 敬具
  三月十七日               渋沢栄一
    金子老閣侍史
  尚々埴原大使之電報ハ三月十四日付にて、要ハ此際特使派遣之事ハ公私共事体を紛糾する之虞あるに付見合せたし、若し追而必要とせハ大統領之選挙戦相済候後之方可然との趣旨なり、為念大意申添候也


集会日時通知表 大正一三年(DK340022k-0023)
第34巻 p.165 ページ画像

集会日時通知表  大正一三年       (渋沢子爵家所蔵)
三月十七日 月 午後三時 松井外相ト御会見(外務省)
三月十八日 火 午後五時 金子堅太郎子ト御会見ノ約(事務所)
  ○中略。
三月廿四日 月 午前十時 ウツヅ駐日米大使ヲ御訪問ノ約(帝国ホテル内同大使館)
  ○中略。
四月九日 水 午后一時 首相官邸御訪問(同官邸)


(阪谷芳郎) 日米関係委員会日記 大正一三年(DK340022k-0024)
第34巻 p.165 ページ画像

(阪谷芳郎) 日米関係委員会日記  大正一三年
                     (阪谷子爵家所蔵)
十三、三、一七 松井外相ヲ訪フ、渋沢氏・団氏同行ス、外相ノ意見ニヨリ有力者ヲ排日法案緩和ノ為メ派遣ノコトハ見合ス 前日赤松祐之来宅ス
          埴原大使ヨリモ外相ヘ派遣不賛成ノ電報アリ
  ○中略。
        四月二十五日朝渋沢子電話アリ 昨日添田来リ、松井外相ヨリ子外国行依頼云々、子モ断ル考、余モ未タ時機ニアラスト答フ



〔参考〕(阪谷芳郎) 日米関係委員会日記 大正一三年(DK340022k-0025)
第34巻 p.165 ページ画像

(阪谷芳郎) 日米関係委員会日記  大正一三年
                     (阪谷子爵家所蔵)
  二月十四日 綱島牧師夫妻答礼渡米ニ付送別 ステーシヨンホテル諸団体ノ発起也



〔参考〕日米関係委員会常務委員廻議書綴(DK340022k-0026)
第34巻 p.165-166 ページ画像

日米関係委員会常務委員廻議書綴    (日米関係委員会所蔵)
    滞米中の運動予定      小畑
             明六 服部
第一
 桑港を中心として、加洲全体に亘つて運動しポートランド、シヤトル方面に行くつもり、約四ケ月を西部にて費す事。
第二
 シカゴを中心として中央大小都市に於て運動する事、約二ケ月間。
第三
 紐育を中心としてその附近を運動す、ニユーヨルク、ヒイラデルヒイア方面に約二ケ月、ワシントン市には一ケ月滞在の予定。
 - 第34巻 p.166 -ページ画像 
第四
 ボストンを中心として、所謂新英国諸洲に於て活動す、ニユーヘブン、ハートホールド其他の都市を約三ケ月に亘つて運動す。
右壱ケ年間滞米中は各教会・各学校・各種の倶楽部其他の場所に於て講演し、其外、伝道会社年会・青年会大会・各種慈善団体の年会に於て機会を促へ、震災に対する米人の深厚なる同情を感謝し、且つ東京横浜両市民の復興の模様を告げ、同時に日米親善の為に努力し、国民的外交の実を挙げん事を期す。
             (以下二行別筆)
               大正一三・三・四綱島佳吉
                 (芝、二本榎西町三番地)



〔参考〕集会日時通知表 大正一三年(DK340022k-0027)
第34巻 p.166 ページ画像

集会日時通知表  大正一三年       (渋沢子爵家所蔵)
三月十九日 水 午前九時 綱島佳吉氏来約(飛鳥山邸)



〔参考〕在米日本人往復(一)(DK340022k-0028)
第34巻 p.166-167 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕(綱島佳吉)書翰 渋沢栄一宛 (大正一三年)八月二七日(DK340022k-0029)
第34巻 p.167 ページ画像

(綱島佳吉)書翰  渋沢栄一宛 (大正一三年)八月二七日
                     (渋沢子爵家所蔵)
別紙の如き予定にて不日東部に向ふ心組に御座候、ギユーリツキ氏とは再三書面の往復を致し候、遠ふからす面話致し申すべく候
我外交の方針は今後確と臍を固めて掛からねばならぬと考へ申候、米国には立派なる親日派の人数多有之候間、之れ等と提携して徹底的国民外交をやるの必要を感じ申候、祝福豊かならん事を祈り申候 早々
  八月廿七日              綱島佳吉
    渋沢子爵殿
         閣下



〔参考〕(綱島佳吉)書翰 渋沢栄一宛 大正一三年一一月一四日(DK340022k-0030)
第34巻 p.167-168 ページ画像

(綱島佳吉)書翰  渋沢栄一宛 大正一三年一一月一四日
                     (渋沢子爵家所蔵)
 - 第34巻 p.168 -ページ画像 
謹啓
国際基督教徒大会ハ、去十一日より十三日(昨日)迄三日間ブハフロー市に開会せられ、独逸・英国其他より態々来会せる者もあり、会する者男女代員五百名、其外の出席《(者脱カ)》を合せて千名以上の集会なり、一昨夜の大会には紐育のフホスヂツク博士の講演ありて五千名以上の人集り、実ニ近頃の盛会にて有之候
此大会ニ於て日本に関する重要の決議を致し候、今朝のブハフロー新聞の切抜を差上申候間御覧被下度、此大会ニは米国中の有数の学者・牧師の出席あり、ギユリツキ博士は昨日朝演説せられ、一同の注意を引き申候、小生は昨日午後日本を代表して演説致し申候、シカゴー市其他ニ於ける運動ニ就て申上度事多く有之候得共、之れは他日に譲り今日は取急ぎブハフロー大会のもよふを一寸御報道申上候、明十五日オベリン大学に赴き一・二回講演を為し、一先つシカゴー市に帰へる積りに御座候、ギユリツキ氏とは、来月上旬ジヨルジヤ州アタランタ市に開く米国教会同盟年会にて面会する事を約し昨日相別れ申候、小生儀幸ひ身体健然活動致し居候間御休神被下度願上候 敬具
  大正十三年十一月十四日
                紐育州ブハフロー市にて
                      綱島佳吉
    子爵渋沢栄一殿
          閣下
  ○バッファロ新聞ノ切抜、書翰ニ添付セラレタレド略ス。



〔参考〕(シカゴ基督教) 青年会週報 一九二四年一一月二六日 (謄写版)綱島博士と米国内の反響(DK340022k-0031)
第34巻 p.168-169 ページ画像

(シカゴ基督教) 青年会週報  一九二四年一一月二六日
            (別筆)
             大正十四年一月七日入手
            (栄一墨書)
             一月十六日湯河原客舎にて閲了
(謄写版)
    綱島博士と米国内の反響
本年十月以来当市滞在の綱島博士は今や米国内に一大反響をなして、同氏が所論に対し歓迎を表しつゝあり。近着の桑港「日米」紙は特に数段に亘る社説を掲げ、同博士が東部に試みつゝある講演と共に基督教主義に基つく平和論を高調せり。布哇発刊の「日布時事」も亦過般綱島博士が講演せるバツフアロー市開催の国際聯盟基督教大会の決議事項即ち「明春米国海軍が布哇近海にて挙行する大演習を他に移す事及現行移民法を修正し日本も割当移民に加はるべき」を掲載し「日本の対米反感の緩和」と題し一文を草せり
近々数週間に於て同博士はスターリング市開催メソヂスト教会年会にシカゴ・サンデ・イヴニング倶楽部三千の聴衆に、シカゴ米婦人会に、シカゴ神学校に、ユニオン神学校に、婦人矯風会五十年記念大会に、シカゴ大学に、マツコミツク神学校等に講演し、更に来月三日より九日迄ジオジア州アトランタ市に開催せられんとする米国新教派同盟年会に招聘を受け出席講演すべく、実に異例の努力をせられつゝあり、氏は先に震災に関し米国の厚意に感謝すべき使命を帯び渡米せるも、最近排日的移民案の通過と共に、過去七十年来の日米国交上一大危害
 - 第34巻 p.169 -ページ画像 
の加はるを憂ひ、今や基督教の立場より諄々として日米の親善を唱導しつゝあり、我等此の遠来の国士を歓迎すると共に、博士が高調しつつある平和が一日も早く真に世界に到来せん事を祈るものなり。



〔参考〕(綱島佳吉)書翰 渋沢栄一宛 (大正一四年)三月五日(DK340022k-0032)
第34巻 p.169 ページ画像

(綱島佳吉)書翰  渋沢栄一宛 (大正一四年)三月五日
                     (渋沢子爵家所蔵)
  子爵渋沢栄一殿
        閣下
                  ロスアンゼルスにて
                      綱島佳吉
一書謹呈仕候、小生儀市俄古に二ケ月滞り中部の運動を終りブツハロー、アタランタ両市の大会に列し、次ひて紐育を中心として支部の運動に着手致し候処、ロスアンゼルスに在る妻の病報に接し急遽当地に至り申候、病気は腎臓病にて医士は是非切開手術を要すると申候へ共本人は之れを好まず早く日本へ帰り度様申出候、医士も左様致す方宜しからんと云ひ、且つ友人の勧告もあり止を得ず妻同伴帰朝する事に決心致し申候、最も大切なる東部の働きを中途に打切るなとは如何にも残念に存し候、殊にかねて会見の約ある大統領クーリツチ氏に面謁することも出来ず、帰朝の途につくは不本意千万に御座候へ共、止を得さる事と諦め申候
小生は今日迄日米人の為に約九十回余の講演を試み日米親善を絶叫致し候、米人間には可成丈大多数の集会に臨み、我国の立場を明かにすることに務め申候、市俄古イフニング倶楽部に於て救世軍のブース夫人と演説せし時は、三千人の聴衆ありて実に愉快を覚へ申候
ここ暫時の間加州に於て掉尾の運動を為して帰途に上る心組に御座候
種々申上度有之候、拝眉の時を待ち申候、先は右御報旁草々敬具
  三月五日